ハラッパ
Harappaラヴィ川南岸に位置するインダス文明の都市跡。ハラッパ遺跡は東の城塞区と西の市街地からなり、最盛期には2万人の人々が暮らしていました。 ハラッパ南西に栄えた同インダス文明モヘンジョダロと同時代のものといわれています。 現在も遺跡の発掘作業は続いていますが、全体的な遺跡の復元は難しいといわれています。ラヴィ川の氾濫や19世紀にラホール/カラチ間の鉄道建設が行われた際、この遺跡のレンガが大量に線路の敷石に使用されたことなどが遺跡の破壊を進めました。
ラヴィ川南岸に位置するインダス文明の都市跡。ハラッパ遺跡は東の城塞区と西の市街地からなり、最盛期には2万人の人々が暮らしていました。 ハラッパ南西に栄えた同インダス文明モヘンジョダロと同時代のものといわれています。 現在も遺跡の発掘作業は続いていますが、全体的な遺跡の復元は難しいといわれています。ラヴィ川の氾濫や19世紀にラホール/カラチ間の鉄道建設が行われた際、この遺跡のレンガが大量に線路の敷石に使用されたことなどが遺跡の破壊を進めました。
モヘンジョダロと並び称されるインダス文明の都市遺跡ハラッパ。モヘンジョダロに比べると保存状態は良いとは言えず、ハラッパは「本当に原っぱです」と現地ガイドにたとえられてしまうこともしばしばですが、住居跡や工場跡はまだ残っています。