連載|第十一回
スピリチュアリティとユダヤ文化の世界的中心地 ツファットアブハヴ・シナゴーグで、ラビ・イツハク・アブハヴ直筆のトーラーが納められた聖櫃の前に立つ現地ガイド、バルーチ・アードスタイン氏
奇跡話が多く残るアブハヴ・シナゴーグの天井ドームには、古代ユダヤの楽器など、トーラーに記載されたモチーフが描かれていた
「ギャラリー通り」には、ツファット在住のユダヤ人芸術家の作品を並べたギャラリーがひしめき合い、世界各地からのユダヤ人観光客で賑わっていた
ギャラリー通りの一角にあるカフェテリアの入口。中世の街並みがそのまま生かされている
アメリカ系ユダヤ人のガラス工芸家シェヴァ・チャヤ・シャイマンは、イスラエル在住13年。ガラス細工の製造過程をカバラ理論で説明してくれた
ラビ・シメオン廟に詣でるユダヤ人女性たち。墓標に身体をもたれかけ、思い思いに祈りを捧げていた
ラビ・ルリア廟では、参拝の集団が去ったあとも、超正統派のラビがひとり静かに祈りを捧げていた。16世紀の墓に塗られた水色は、天国を意味するという
「スピリチュアリティとユダヤ文化の世界的中心地 ツファット」
そう、ここは、16世紀以降、ユダヤ教のスピリチュアリティ「カバラ」の中心地として繁栄した都市だ。カバラとは、「神との神秘的合一(一体化)と、秘められた神智(神の智恵)を得ることを目指したユダヤ教の秘密の教え」である。
ツファットは、イスラエル滞在第一日目に訪れたエルサレム、第二日目に訪れたヘブロン、今回は訪問できなかったが、4世紀に聖典「タムルード」(口伝されたユダヤ教徒の生活全般における膨大な慣習律法の集大成)が編纂されたティベリアと共に、ユダヤ教の四大聖地の一つである。うち、エルサレムとヘブロンは、キリスト教とイスラーム教の聖地でもあり、ティベリア周辺は、隣接するガラリア湖と共にイエス・キリストが数々の奇跡を行った地域であることからキリスト教の聖地でもある。しかし、ツファットだけは、ユダヤ教独自の聖地なのだ。
私たちは、ツファットに住む現地ガイド、アメリカ系ユダヤ人のバルーチ・アードスタインと共に、市内の崖の上から周囲の山々を眺めていた。
「確かに、イスラエルが世界に報道されるときは、悲しいニュースが多い。しかし、別の側面を見て下さい。約2000年前に、ディアスポラ(離散)で世界中に散らばったユダヤ人たちが、神のご計画の通り、また、このイスラエルに集まってきているのです。これは奇跡であり、メシア(救世主)が現れる終末の日が近いことを意味します。そして、カバリスト(カバラ修行者)たちは、世界を終末に向かわせるために、ツファットに集結したのです」。
バルーチは、ツファット近郊のメロン山を指差した。
「あそこに、カバラの根本経典である『ゾーハル(輝きの書)』の著者、2世紀の神秘家シメオンの廟があります。同書は、彼が、ローマ帝国の追求を逃れて洞窟で生活した13年間に、神の啓示により書かれたものです。しかし、この経典は、その後11世紀もの間、地中に埋もれてしまい、13世紀にスペインで発見され、宗教指導者であるラビたちによって研究されることになるのです。ところが、難解すぎて誰も分からなかった。そんな中、15世紀末にスペインでユダヤ人追放令が出されると、カバリストたちはこのツファットに移り住み、ここが、カバラの中心地となるのです。
そして、はじめて『ゾーハル』を易しく読み解いてみせたのが、16世紀にツファットに住んだラビ・ルリアでした。彼のカバラは、強いメシア待望論と結びついたものでした。全てのユダヤ人が戒律を護り抜いたとき、悪は滅びて終末を迎え、メシアが現れる。そして、世界はユダヤ人だけでなく全人類にとって、平和で幸福な場所となるというのです。それが、ユダヤ人の聖使命であり、神に選ばれた民族である所以です。そのラビ・ルリアの廟は、この崖下の古代ユダヤ人墓地にあります」。
ラビ・ルリア廟に行くと、ちょうど帽子を被りヒゲを生やした超正統派と言われる人々が祈りを捧げているところだった。ここは、ユダヤ教の宗派を超えて年間70万人もの人々が墓参するというから、ユダヤ人の間で同師がいかに信奉されているかがわかる。墓地ですれ違ったシャロナの友人は、ニューヨークの富豪の妻で、ちょうど知り合いをラビ・ルリアの墓参に連れて行くところだった。
次に、バルーチは、私たちを、16世紀建立のアブハヴ・シナゴーグに案内した。15世紀のスペインの高名なカバリスト、アブハヴの直筆のトーラーが聖櫃に納められたユダヤ教会だ。ここには、このトーラーを巡る数々の奇跡話が残っている。その一つが、18世紀の大地震の際、町が崩壊したにも関わらず、シナゴーグの聖櫃がある壁だけがきちんと立って残っていたというものだ。更に、バルーチは、不妊症の人がここを訪れて懐妊する奇跡が何度となく起きている実話を披露した。その様にして生まれた男性が、歳をとって、つい最近引退するまで、ここの管理人を務めていたという。
ツファットは、神の力や奇跡が、日常生活で普通に信じられている町だった。
一方、ツファットは、説明板にあったようにユダヤ文化の中心地でもある。ここは、ユダヤ伝統音楽「クレズマー」の世界的中心地であり、毎年行われるユダヤ伝統音楽祭は、世界トップレベルのクレズマー音楽家が集まり、盛大に催される。また、ユダヤ人美術家が世界中から集まる町としても有名である。
中世の街並みを貫く、細くて長い「ギャラリー通り」の両側は、小さなギャラリーがぎっしりと軒を並べていた。その通りから少し離れた場所で「ツファット神秘芸術ギャラリー」を経営するアメリカ系ユダヤ人のアブラハム・ローウェンタルは、現代カバラ芸術家だ。カバラの内容をカラフルな抽象画として表現する彼は、カバラの実践者でもある。
「すべての人は神性を持っており、聖なる存在だ」。
「人間の成長は、『見返りを求めて他に施す段階』から、『見返りを求めず他に施す段階』、そして、『絶対者(神)から受け取ったものを、他に施す段階』へと移っていく」。
アブラハムと私は、彼の絵を見ながら、しばらくの間、カバラ思想と仏教思想を比較しながら話し合った。すると、驚いたことに、両者はとても似ているのだ。
「以前にも仏教の僧侶が来て、『似ている』と感心されてましたよ」。
アブラハムは、ヒゲだらけの顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。
また、アブラハムの話を聞いただけでも、ツファットが、カバラと芸術の町であることは偶然の一致ではなく、カバラが芸術創作の基盤となっていることがよくわかった。
イスラエルの旅の最後に、私たちは、ラビ・シメオン廟に詣でた。「ゾーハル」を書いた、約1900年前のあのユダヤ人神秘家である。
「私の人生で辛いことがあると、ここによく墓参に来るの。ラビ・シメオンの魂には、とても親しみを感じるのよ」と、シャロナは言った。
世界中のユダヤ人から絶大な信奉を集める彼の廟の内部は、男女別に参拝できるようになっており、多くのユダヤ人が思い思いに祈りを捧げていた。
私はそこで、私自身がはじめてイスラエルを訪れた1983年のことを思い出していた。当時、私は21歳。ハイファの本屋に入り、どうしても欲しくて買った本が英語版の「ゾーハル」だった。それから27年。今回の旅で、私は、「カバラの真髄を知りたい」という、その時自分に課した宿題の、やっと入口に立てた気がした。
※朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年8月13日掲載)から
1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中より、テレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト、秘境添乗員としての活動を開始。仕事等で訪れた世界の国と地域は100近く。
好奇心旺盛なため話題が豊富で、優しく温かな添乗には定評がある。
NGO「中国福建省残留邦人の帰国を支援する会」代表(1995年~1998年)/ユネスコ公認プログラム「ピースボート地球大学」アカデミック・アドバイザー(1998~2001年)/陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣付アラビア語通訳(2004年)/FBOオープンカレッジ講師(2006年)/大阪市立大学非常勤講師「国際ジャーナリズム論」(2007年)/立教大学大学院ビジネスデザイン研究科非常勤講師「F&Bビジネスのフロンティア」「F&Bビジネスのグローバル化」(2015年)
公式ブログ:http://blog.goo.ne.jp/taka3701111/
主な連載・記事
・文藝春秋「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」(2017年3月号)
・朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月~2011年3月)
・東京新聞栃木版「下野 歴史の謎に迫る」(2004年11月~2008年10月)
・文藝春秋社 月刊『本の話』「秘境添乗員」(2006年2月号~2008年5月号)
・アルク社 月刊『THE ENGLISH JOURNAL』
・「世界各国人生模様」(1994年):世界6カ国の生活文化比較
・「世界の誰とでも仲良くなる法」(1995~6年):世界各国との異文化間交流法
・「世界丸ごと交際術」(1999年):世界主要国のビジネス文化と対応法
・「歴史の風景を訪ねて」(2000~1年):歴史と宗教から見た世界各文化圏の真髄
主な著書
・「秘境添乗員」文藝春秋、2009年、単独著書。
・「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」学研、2007年、単独著書。
・「カイロに暮らす」日本貿易振興会出版部、1988年、共著・執筆者代表。
・「地球の歩き方:エジプト編」ダイヤモンド社、1991~99年、共著・全体の執筆。
・「聖書とイエスの奇蹟」新人物往来社、1995年、共著。
・「「食」の自叙伝」文藝春秋、1997年、共著。
・「ワールドカルチャーガイド:エジプト」トラベルジャーナル、2001年、共著。
・「21世紀の戦争」文藝春秋、2001年、共著。
・「世界の宗教」実業之日本社、2006年、共著。
・「第一回神道国際学会理事専攻研究論文発表会・要旨集」NPO法人神道国際学会、2007年、発表・共著。
・「世界の辺境案内」洋泉社、2015年、共著。
※企画から添乗まで行った金子貴一プロデュースの旅
金子貴一同行 バングラデシュ仏教遺跡探訪(2019年)
金子貴一同行 西インド石窟寺院探求の旅(2019年)
金子貴一同行 中秋の名月に行く 中国道教聖地巡礼の旅(2019年)
金子貴一同行 アイルランド゙古代神殿秋分の神秘に迫る旅(2018年)
金子貴一同行 南インド大乗仏教・密教(2017年)
金子貴一同行 ミャンマー仏教聖地巡礼の旅(2017年)
金子貴一同行 ベトナム北部古寺巡礼紀行(2016年)
金子貴一同行 仏陀の道インド仏教の始まりと終わり(2016年)
金子貴一同行 恵みの島スリランカ 仏教美術を巡る旅(2016年)
金子貴一同行 十字軍聖地巡礼の旅(2015年)
金子貴一同行 中秋の名月に行く 中国道教聖地巡礼の旅(2015年)
金子貴一同行 南イタリア考古紀行(2014年)
金子貴一同行 エジプト大縦断(2013年)
金子貴一同行 ローマ帝国最後の統一皇帝 聖テオドシウスの生涯(2012年)
金子貴一同行 大乗仏教の大成者龍樹菩薩の史跡 と密教誕生の地を訪ねる旅(2011年)
金子貴一同行 北部ペルーの旅(2009年)※企画:西遊旅行
金子貴一同行 古代エジプト・ピラミッド尽くし(2005年)
金子貴一同行 クルディスタン そこに眠る遺跡と諸民族の生活(2004年)
金子貴一同行 真言密教求法の足跡をたどる(2004年)
金子貴一同行 旧約聖書 「出エジプト記」モーセの道を行く(2003年)
金子貴一同行 エジプト・スペシャル(1996年)