秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

金子貴一のマニアックな旅

連載|第七回

「プヤ・ライモンディ」の奇跡の一斉開花に遭遇

マグダレー村のはずれにあったチャンカカ(糖蜜)専門店。スルーガイドのC女史(右)が、チャンカカの質を見る。後ろのペットボトルに入っている透明の液体が蒸留酒「カニャリ」(c)natsumi


マグダレー村の路上では、闘鶏を見せてもらった(c)松岡賢一


マグダレー小学校では、スペイン語の授業を参観させてもらった(c)松岡賢一


休耕畑では泥れんが作りが行われていた。泥と砂を混ぜ合わせて型にはめ、3日~1週間程天日に干すと完成だ。泥れんがは、古代ではワカ(神殿)の建築資材だった(c)natsumi


ワラス市場で販売中のモルモット肉。希望者には昼食に出したが、固めの肉だった(c)松岡賢一


絶滅危惧種「プヤ・ライモンディ」の奇跡の一斉開花に、ハチドリも大喜びだ(c)松岡賢一

 北部ペルーの旅の中日、5日目は移動日だった。インカ帝国最後の皇帝アタワルパ終焉の地、カハマルカを早朝5:30に出発。10時間掛けて、シャーマニズムの儀式を体験することになるエル・ブルホまで南下した。


 途中8:20、山間の村マグダレーのカフェテリアでトイレ休憩に入ると、目の前では小学生が列をなして登校していた。私は即座にガイドのC女史に依頼して、あとをつけてもらった。授業参観が出来ないか交渉してもらうためだ。


 突然の訪問にもかかわらず、マグダレー小学校は私たちを温かく迎え入れてくれた。生徒30名ほどの低学年クラスでは、スペイン語の授業が行われていた。日本や皇帝アタワルパについてどんな印象を持っているかを尋ねたが、両方共、知らない生徒がほとんどだった。「アタワルパは知っている」と答えた生徒は、テレビ番組で見たという。家庭でもそれらの話題はなく、授業でもまだ扱っていないようだった。最後にお互いに歌を披露し合ったが、お客様グループの「カエルの歌」は、何の打ち合わせもしていないのに美しい輪唱となった。子供たちは口を開け、放心状態で聞き入っていた。


 マグダレー村を散策すると、ちょうど、闘鶏用のニワトリを持った若者がいた。古代ギリシャ起源ともいわれる闘鶏は、スペイン人入植者により南アメリカ大陸にもたらされた。ペルーには2つの選手権大会があり現在でも盛んだが、その試合は鶏の足に刃物を付けて行う血なまぐさいものだ。早速、刃物を付けない状態で、デモンストレーションをしてもらったが、あまりの迫力に、皆、後退りせずにはいられなかった。


 マグダレー村で最後に訪れたのは、「チャンカカ(糖蜜)」工房だった。サトウキビを絞って、糖蜜をコーン型の木型に流し込んで固めた「チャンカカ(黒砂糖)」を作り、残りの原液は「アスファルト代わりに、道路に敷き詰める」という。村はずれにあった専門店では、ワラに包まれたチャンカカと、チャンカカを原料とした「カニャリ」と呼ばれる蒸留酒が売られていた。泡盛に似たカニャリは、私たちの昼食の食後酒となった。


 9日目、ペルー最終日。私たちは、お客様のリクエストに応えるため、早朝5:00にホテルを出発した。元々の日程にはなかった世界自然遺産「ワスカラン国立公園」に、パイナップル科の植物「プヤ・ライモンディ」を見に行くためだ。最高10mにもなり、「アンデスの女王」とも称されるプヤ・ライモンディは、アンデス山脈の3200~4800mに生育する絶滅危惧種だ。「100年に1度しか花を咲かせない」として有名だが、実際には約40年の寿命で最後に1度だけ一斉開花したのちに枯死する。1本につき3000以上の花が咲き、600万以上の種子を宿すという。


 現地に着いてみると、なんと群生するプヤ・ライモンディは花盛りだった。「奇跡の一斉開花」に、集まって来たハチドリもお客様も大喜びだった。


 考えてみれば、今回の旅はシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)の連続だった。私は、数年前からこの旅の企画と添乗を依頼されていたが、やっと実現したのが2009年9月。日程が決まると、7月からは国立科学博物館で「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都 シカン」が開始され、旅の出発前には、1990年代半ばからシカン遺跡の撮影を続けている日本人テレビカメラマンのE氏を招き、一部のお客様と共に、事前勉強を行うことができた。旅の途中では、5時間の渋滞に巻き込まれたことがあった。しかし、遅れたことが逆に幸いして、その後到着したセロ・セチン遺跡(紀元前2000~1000年)では現地に詳しい考古学者に出会うことができ、詳細な説明をして頂くことができたのだった。更に、リマで行われた最後の晩餐(ばんさん)でも、現地に戻ったE氏をお呼びして、皆様の遺跡への質問に答えて頂くことができたのだ。


 21:30にリマ空港に着く頃には、お客様とスタッフの多くが涙で目をはらしていた。空港の入り口前では、誰もが去りがたく、いつまでも抱き合って別れを惜しんでいた。

※朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年6月24日掲載)から


1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中より、テレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト、秘境添乗員としての活動を開始。仕事等で訪れた世界の国と地域は100近く。
好奇心旺盛なため話題が豊富で、優しく温かな添乗には定評がある。

NGO「中国福建省残留邦人の帰国を支援する会」代表(1995年~1998年)/ユネスコ公認プログラム「ピースボート地球大学」アカデミック・アドバイザー(1998~2001年)/陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣付アラビア語通訳(2004年)/FBOオープンカレッジ講師(2006年)/大阪市立大学非常勤講師「国際ジャーナリズム論」(2007年)/立教大学大学院ビジネスデザイン研究科非常勤講師「F&Bビジネスのフロンティア」「F&Bビジネスのグローバル化」(2015年)

公式ブログ:http://blog.goo.ne.jp/taka3701111/

主な連載・記事
・文藝春秋「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」(2017年3月号)
・朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月~2011年3月)
・東京新聞栃木版「下野 歴史の謎に迫る」(2004年11月~2008年10月)
・文藝春秋社 月刊『本の話』「秘境添乗員」(2006年2月号~2008年5月号)
・アルク社 月刊『THE ENGLISH JOURNAL』
・「世界各国人生模様」(1994年):世界6カ国の生活文化比較
・「世界の誰とでも仲良くなる法」(1995~6年):世界各国との異文化間交流法
・「世界丸ごと交際術」(1999年):世界主要国のビジネス文化と対応法
・「歴史の風景を訪ねて」(2000~1年):歴史と宗教から見た世界各文化圏の真髄

主な著書
・「秘境添乗員」文藝春秋、2009年、単独著書。
・「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」学研、2007年、単独著書。
・「カイロに暮らす」日本貿易振興会出版部、1988年、共著・執筆者代表。
・「地球の歩き方:エジプト編」ダイヤモンド社、1991~99年、共著・全体の執筆。
・「聖書とイエスの奇蹟」新人物往来社、1995年、共著。
・「「食」の自叙伝」文藝春秋、1997年、共著。
・「ワールドカルチャーガイド:エジプト」トラベルジャーナル、2001年、共著。
・「21世紀の戦争」文藝春秋、2001年、共著。
・「世界の宗教」実業之日本社、2006年、共著。
・「第一回神道国際学会理事専攻研究論文発表会・要旨集」NPO法人神道国際学会、2007年、発表・共著。
・「世界の辺境案内」洋泉社、2015年、共著。

※企画から添乗まで行った金子貴一プロデュースの旅

金子貴一同行 バングラデシュ仏教遺跡探訪(2019年)
金子貴一同行 西インド石窟寺院探求の旅(2019年)
金子貴一同行 中秋の名月に行く 中国道教聖地巡礼の旅(2019年)
金子貴一同行 アイルランド゙古代神殿秋分の神秘に迫る旅(2018年)
金子貴一同行 南インド大乗仏教・密教(2017年)
金子貴一同行 ミャンマー仏教聖地巡礼の旅(2017年)
金子貴一同行 ベトナム北部古寺巡礼紀行(2016年)
金子貴一同行 仏陀の道インド仏教の始まりと終わり(2016年)
金子貴一同行 恵みの島スリランカ 仏教美術を巡る旅(2016年)
金子貴一同行 十字軍聖地巡礼の旅(2015年)
金子貴一同行 中秋の名月に行く 中国道教聖地巡礼の旅(2015年)
金子貴一同行 南イタリア考古紀行(2014年)
金子貴一同行 エジプト大縦断(2013年)
金子貴一同行 ローマ帝国最後の統一皇帝 聖テオドシウスの生涯(2012年)
金子貴一同行 大乗仏教の大成者龍樹菩薩の史跡 と密教誕生の地を訪ねる旅(2011年)
金子貴一同行 北部ペルーの旅(2009年)※企画:西遊旅行
金子貴一同行 古代エジプト・ピラミッド尽くし(2005年)
金子貴一同行 クルディスタン そこに眠る遺跡と諸民族の生活(2004年)
金子貴一同行 真言密教求法の足跡をたどる(2004年)
金子貴一同行 旧約聖書 「出エジプト記」モーセの道を行く(2003年)
金子貴一同行 エジプト・スペシャル(1996年)

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