連載|第十回
3日で廻るイスラエル聖墳墓教会内にある「ゴルゴダの丘」を訪れると、ちょうどカトリックの公祈祷が始まるところだった。司祭の左奥が、イエスを磔にした十字架が立っていたとされる場所だ
聖墳墓教会で祈りを捧げていたアルメニア使徒教会の聖職者集団に、突然、イスラーム教の一派「ドゥルーズ派」の聖職者たちが近づいてきた
イエスの石墓の上に飾られるイコン群。イエス・キリストが埋葬され3日後に復活を遂げたとされる場所だ
「イエスの墓」を囲む聖堂の天井から吊り下げられたランプ群
「嘆きの壁」に近いエルサレム旧市街を走るユダヤ教徒の子供たち
将来再建する予定の第三神殿に安置するためのユダヤ教の象徴「メノラー(燭台)」が、嘆きの壁の近くに展示されていた
ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」(中央下)と、イスラーム教の聖地「岩のドーム」(中央上)は、共に「神殿の丘」にある
「いくらなんでも、滞在期間が短すぎる!」
私たち夫婦の計画を知ると、イスラエルの親友シャロナは叫んだ。なにせイスラエルの滞在期間は3日間。その間に、イスラエル初訪問の妻を満足させ、私のマニアックなスピリチュアルツアーをも実現させようというのである。私たちが厳選した訪問地は、エルサレム、ヘブロン、死海、ツファット。妻が、子供のときから浮遊体験をしたいと思っていた死海以外は、すべて私の目的地だ。
今回のイスラエルの旅は、期せずして、世界のユダヤ人がイスラエルに「帰る」ときにたどるルートとなった。それは、日本からイスラエルに行く団体旅行の日程表とは大きく異なっていた。
エルサレムで最初に向かったのは、別名「記憶の丘」としても知られるヘルツルの丘だった。ここには、2つの重要な国立施設がある。ナチス・ドイツによる600万人のユダヤ人大虐殺犠牲者を追悼するために建てられた「ホロコースト記念館」と、歴代首相や度重なる中東戦争で国家のために戦死した軍人などを埋葬する「国立共同墓地」だ。満員状態のホロコースト記念館では、余りの悲惨さに涙したり、呆然と立ち尽くしたりする人が散見された。
現地ガイドは、ホロコースト記念館では、第2次世界大戦中、虐殺されるに任せたユダヤ人が、ナチスへの抵抗運動で反撃に転じたことを誇らしげに語り、小鳥がさえずり木々が生える丘全体が墓地と化した国立共同墓地では、十代そこそこで戦死した少年兵の墓や、スパイとしてカイロで絞首刑にされた諜報機関員の墓などを巡った。しかし、アラブとイスラエルの双方に友人を持つ私の心には、「憎しみは、憎しみで終わらせることはできない。過去の世界有数の被害者が、現代の世界有数の加害者になってしまっては、意味がないではないか。ホロコーストの犠牲者は、復讐ではなく、ただ平和を望んだのではなかったか」という思いが沸々と沸き起こってきた。
両施設の見学者のほとんどが若者のグループで、各グループには必ずライフル銃を持った警備担当者がついている。突発的なテロに対する防衛策なのだろう。多くは、イスラエル軍の軍服姿の男女や、流暢な米語を話すグループだ。現地ガイドに聞くと、徴兵された兵士はここに来てユダヤ人やイスラエルの歴史を学習する義務があり、米語を話すグループは、イスラエル政府系慈善団体「バースライト(生まれながらの権利)・イスラエル」が主催する10日間の無料イスラエル体験旅行で、世界中から連れて来られた若いユダヤ人だという。バースライトは、HPによると、2000年の事業開始から10年間で、52カ国から23万人以上が参加したが、その7割がアメリカ人だそうだ。
事業の目的は、ユダヤ人国家であるイスラエルと世界各地のユダヤ人共同体との垣根をなくし、参加者がユダヤ人としての自覚を深め、ユダヤ人の歴史と文化への理解を強化することだが、参加者の実に7割が「人生を変える体験だった」と述べているという。具体的には、最前線(危険を伴うガザ、西岸、エルサレム東部を除く)でのイスラエル軍体験(「5発までの実弾発射体験ができる」という)と兵士たちとの交流、エルサレムの「嘆きの壁」や「ヘルツルの丘」訪問などだ。ガイドは「イスラエル人と海外のユダヤ人との結婚が目的さ」とことも無げに言ったが、私は、この事業による世界中のユダヤ人の「二重祖国化の強化」に憂慮した。いったいこの現象は、人々の心にどんな結果をもたらすのだろうか。
次に私たちが訪れたのは聖墳墓教会だった。イエス・キリストが磔刑にされ、石墓に埋葬され、3日後に復活を遂げたとされる場所で、イエスの墓の上に建つ教会なので「聖墳墓教会」という。紀元4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス大帝の母、聖ヘレナ皇太后がこの地でイエスが磔にされたとされる聖十字架と墓を発見して、教会を建てたのが始まりだ。現在では、カトリックやギリシャ正教会をはじめとするキリスト教6宗派が分割管理している。
教会内の2階部分にあるゴルゴダの丘に階段で上ると、ちょうど、カトリックの公祈祷が始まるところだった。司祭の正面には「十字架への釘付けの祭壇」があり、その左奥にある「磔の祭壇」には、イエスの十字架が立てられたとされる穴があった。その中間が、聖母マリアが十字架から降ろされたイエスの遺体を受け取ったとされる場所である。公祈祷は、多くの見学者の声が石製の教会内に響くなか、厳かに行われた。その後、カトリックの聖職者は、地上階に降りて聖墳墓の前で典礼を行うと、自分たちの事務所へと引き上げて行った。
すると今度は、別の音調の典礼が聞こえるので行ってみると、そこは、アルメニア使徒教会の聖職者たちが管理する地下にある聖へレナ皇太后の聖堂で、聖十字架が発見されたとされる場所だった。その後、彼らは、地上階にのぼり、先程、カトリックが典礼を捧げた聖墳墓に隣接する「哀悼の場所」で祈りを捧げていた。
そこに突然、7人のイスラーム教聖職者が入ってきたかと思うと、熱心に典礼を聞き始めたのである。「一触即発」の光景に周りは騒然としたが、イスラーム教の聖職者は、気にする様子もなくしばらく滞在したのち退席した。私は思わず、彼らを追って教会の外に出て話しかけてみると、ドゥルーズ派だという。同派は、イスラーム教の「異端派」で、神秘主義的傾向が強く、輪廻転生をも信じる人々だ。質問に答えて仏教徒だと答えると、「仏教の哲学は素晴らしいね」と、とても他宗教に対して寛容な態度が見て取れた。ところで、イスラーム教徒にとって、イエスは「神の子」ではなく、磔にもなっていないと考えるが、神が遣わした預言者の一人であり、救世主の一人であるとは信じているのだ。
私たちは、夕闇迫るなか、聖地エルサレムの中心地「嘆きの壁」に向かった。ユダヤ教最大の聖地「エルサレム神殿」は、紀元前10世紀にソロモン王により造営され、モーセが神から授かった十戒を刻んだ石版が安置された場所だ。それが、紀元前6世紀に大国バビロニアにより破壊され、再建されたものの、紀元後1世紀にローマ軍によって再度破壊された。現在は、旧第二神殿の西外壁が「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の重要な聖地となっており、男女に分かれて多くの人々が祈りを捧げている。
その近くには、頑丈なガラスケースに、ユダヤ教の象徴である巨大な黄金の燭台「メノラー」が展示されていた。将来再建する予定の第三神殿に安置するものだという。しかし、第二神殿跡地には、既に、イスラーム教第三の聖地を象徴する7世紀建立の「岩のドーム」と「アクサーモスク」があるのだ。このままの状態で第三神殿を建立しようとすれば、また、多くの血が流されることになる。今日一日だけでも、民族間、宗教間の対立を数多く見聞きしてきた私たちには、少しでも平和と融和が広がるようにと、ただただ祈るしかなかった。
※朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年7月29日掲載)から
1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中より、テレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト、秘境添乗員としての活動を開始。仕事等で訪れた世界の国と地域は100近く。
好奇心旺盛なため話題が豊富で、優しく温かな添乗には定評がある。
NGO「中国福建省残留邦人の帰国を支援する会」代表(1995年~1998年)/ユネスコ公認プログラム「ピースボート地球大学」アカデミック・アドバイザー(1998~2001年)/陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣付アラビア語通訳(2004年)/FBOオープンカレッジ講師(2006年)/大阪市立大学非常勤講師「国際ジャーナリズム論」(2007年)/立教大学大学院ビジネスデザイン研究科非常勤講師「F&Bビジネスのフロンティア」「F&Bビジネスのグローバル化」(2015年)
公式ブログ:http://blog.goo.ne.jp/taka3701111/
主な連載・記事
・文藝春秋「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」(2017年3月号)
・朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月~2011年3月)
・東京新聞栃木版「下野 歴史の謎に迫る」(2004年11月~2008年10月)
・文藝春秋社 月刊『本の話』「秘境添乗員」(2006年2月号~2008年5月号)
・アルク社 月刊『THE ENGLISH JOURNAL』
・「世界各国人生模様」(1994年):世界6カ国の生活文化比較
・「世界の誰とでも仲良くなる法」(1995~6年):世界各国との異文化間交流法
・「世界丸ごと交際術」(1999年):世界主要国のビジネス文化と対応法
・「歴史の風景を訪ねて」(2000~1年):歴史と宗教から見た世界各文化圏の真髄
主な著書
・「秘境添乗員」文藝春秋、2009年、単独著書。
・「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」学研、2007年、単独著書。
・「カイロに暮らす」日本貿易振興会出版部、1988年、共著・執筆者代表。
・「地球の歩き方:エジプト編」ダイヤモンド社、1991~99年、共著・全体の執筆。
・「聖書とイエスの奇蹟」新人物往来社、1995年、共著。
・「「食」の自叙伝」文藝春秋、1997年、共著。
・「ワールドカルチャーガイド:エジプト」トラベルジャーナル、2001年、共著。
・「21世紀の戦争」文藝春秋、2001年、共著。
・「世界の宗教」実業之日本社、2006年、共著。
・「第一回神道国際学会理事専攻研究論文発表会・要旨集」NPO法人神道国際学会、2007年、発表・共著。
・「世界の辺境案内」洋泉社、2015年、共著。
※企画から添乗まで行った金子貴一プロデュースの旅
金子貴一同行 バングラデシュ仏教遺跡探訪(2019年)
金子貴一同行 西インド石窟寺院探求の旅(2019年)
金子貴一同行 中秋の名月に行く 中国道教聖地巡礼の旅(2019年)
金子貴一同行 アイルランド゙古代神殿秋分の神秘に迫る旅(2018年)
金子貴一同行 南インド大乗仏教・密教(2017年)
金子貴一同行 ミャンマー仏教聖地巡礼の旅(2017年)
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金子貴一同行 仏陀の道インド仏教の始まりと終わり(2016年)
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金子貴一同行 南イタリア考古紀行(2014年)
金子貴一同行 エジプト大縦断(2013年)
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金子貴一同行 大乗仏教の大成者龍樹菩薩の史跡 と密教誕生の地を訪ねる旅(2011年)
金子貴一同行 北部ペルーの旅(2009年)※企画:西遊旅行
金子貴一同行 古代エジプト・ピラミッド尽くし(2005年)
金子貴一同行 クルディスタン そこに眠る遺跡と諸民族の生活(2004年)
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