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100人の子供たちが列車を待っている

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チリ

100人の子供たちが列車を待っている

 

Cien Ninos Esperando un Tren

監督: イグナシオ・アグエロ
出演: 映画教室の子どもたち、アリシア・ヴェガ
日本公開:1990年

2016.12.28

チリ独裁政権時代の終わりに生まれた、
小さく眩しい笑顔のプリズム

121年前の今日、1895年12月28日にフランス・パリで「映画の父」リュミエール兄弟が初めて映画の上映をしました。今年最後の「旅と映画」は、リュミエール兄弟の映画にちなんだチリのドキュメンタリーをご紹介します。

チリの首都・サンティアゴ郊外にあるロ・エルミーダに生まれた貧しい子どもたちのために、女性教師アリシア・ヴェガが半年の映画ワークショップを開始します。映画を映画館で見たことない子どもたちは、映画の歴史や、1枚だと動かない絵が残像現象によって動いているように見えることを教えてもらい目を輝かせます。

旅をすると、時には経済的に豊かではない場所に訪れることもあります。貧しいにも関わらず、娯楽が無いにも関わらず、子どもたちがキラキラした笑顔をしている・・・そんな光景を旅先でご覧になったことがある方は少なくないはずです。

子どもたちは、映画タイトルに含まれている「列車」にまつわるある一本の映画を見ます。リュミエール兄弟が121年前の今日上映した映画のうちの一本である『列車の到着』です。ただ列車が到着するだけの映像ですが、列車を待つ人々・列車から降りる人々・出会い・別れ・出発など、様々なイメージを思い浮かべることができます。

『100人の子供たちが列車を待っている』は1989年に製作され、1990年にピノチェト独裁政権が終焉を迎える直前でしたが、21歳以下鑑賞禁止となりました。子どもたちは何を待っているのか・・・それは当時の政治状況にも関連しているようにも思えます。この映画に登場する子どもたちは貧しく、ノートを買うためにゴミ捨て場からダンボールを集ている子どもなどが出てきます。そうした彼らが無邪気に映画のイメージと戯れる様子は、自由・幸せ・喜びを求めることを観客に連想させてしまうと、政府の人々は危惧したのではないでしょうか。

2016年最後の映画・2017年最初の映画に、お子さんと一緒に見るのにピッタリ(55分という見やすい長さです)の作品です。

ギャベ

イラン

ギャベ

 

GABBEH

監督: モフセン・マフマルバフ
出演: シャガイエグ・ジョタトほか
日本公開:2000年

2016.12.21

ペルシャ絨毯を広げて、不思議の世界へ
ある少女の切ない恋物語

イランのどこかにあるきれいな小川に、老夫婦が絨毯を洗いにやってきます。絨毯を広げると、その絨毯と入れ替わるように若い女性・ギャベが現われます。老婆が身の上を聞くと、ギャベは自分の恋物語を話し始めます・・・

ギャベとは、シラーズなどの都市があるイラン南西部の遊牧民によって織り続けられきた絨毯の呼称で、羊・ヤギ・らくだの毛などで織られています。色は遊牧民が暮らす土地の草木によって染められ、劇中でも「ドサッ」という音とともに開かれますが、非常に丈夫で分厚い絨毯です。

ギャベの特徴は、芸術的なモチーフとその色彩にあるといいます。監督のモフセン・マフマルバフも、美しい自然や日常からにじみ出た感情を、織り手が思うがままに織っていった数々の絵柄に心を打たれたといいます。遠くに見える景色や水などから色を手で掴み取るような実験的なカットが劇中にありますが、ギャベの伝統に対する監督の愛情と敬意が、映画全体から感じられます。

私は、イランではありませんが、インドの中でも特に染物・織物・刺繍で有名なグジャラート州に行ったことがあります。私は普段自分ではなかなかそういった製品は買わないのですが、旅を通じて織物や刺繍を生業としている人々が住む村や、人間国宝の刺繍職人の方に会うことができました。彼らの仕事に取り組む姿は私に人間が昔から行ってきた営みを連想させ、なぜか石器時代に洞窟壁画を描く人を見ているような気分になったことをよく覚えています。

「なぜ映画が必要なのか」という問いに対してもよく同様のことが言われますが、生きていくためには物のデザインや色彩よりも優先すべきことが多くあります。しかし、世代を越えて引き継がれてきた伝統というのは多くの人の心を豊かにしてくれるもので、グジャラートの刺繍は外から来た私にもその豊かさを分けてくれたのでしょう。

ギャベを織るのは遊牧民の女性のたしなみとされていて、母から娘へと受け継がれてきたそうです。少女の恋という映画によって語られる物語が、そうした伝統ある絨毯の色彩・モチーフと共鳴していく姿は必見です。

フィルムにおさめられたギャベの色鮮やかさを見たい方、イランのファンタジー映画を体験してみたい方にオススメの映画です。

キャラメル

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レバノン

キャラメル

 

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監督:ナディーン・ラバキー
出演:ナディーン・ラバキー、ヤスミン・アル・マスリーほか
日本公開:2009年

2016.12.14

「中東のパリ」レバノン・ベイルート
色とりどりの憂鬱を持った女性たちの物語

レバノンの首都・ベイルートにあるエステサロンで、おいしそうなキャラメルがぐつぐつと煮られているシーンからストーリーが始まります。

エステサロンの経営者で妻子持ちの恋人がいるラヤール(監督のナディーン・ラバキーが演じています)、恋人との結婚を控えたニスリン、男性が苦手なリマ、女優志望の中年主婦ジャマル、老いた姉と住むローズ・・・20代の若者から年輩まで、恋愛から老いの悩みまで、幅広い年齢の女性たちそれぞれの憂鬱に焦点をあてながらも常にいくらかの希望を携えて物語は進んでいきます。

この映画を見て初めて知りましたが(むしろ特に男性にとっては、見るまで知らなくてあたり前かもしれませんが)、中東の国々ではキャラメルがムダ毛処理のために使われることがあるそうです。甘い砂糖をぐつぐつと煮てキャラメルをつくり、苦すぎるコーヒーを飲むように顔を歪めてそのキャラメルを使う・・・この小さくも意味深い文化のように、レバノン人女性たちのほろ苦くも美しい生き方が映し出されていきます。

この映画の特筆すべき点は、1975年から1990年まで続いたレバノン内戦のことや内戦中にベイルートが東西に分裂したことに一切言及していないことです。

「中東」という言葉や中東諸国の国名は、いまだなお多くの日本人に戦争やテロなどネガティブな事柄を連想させる言葉にとどまっています。世界には道を歩いていると撃たれたり拉致されてしまう場所も確かにあります。距離や関心の問題でそうでない地域にもそのイメージが波及して、偏見が生まれてしまうことは避けがたいかもしれません。

たしかにベイルートでもテロは過去にありました。この物語はそうした事実がさもないかのように進んでいきます。無視しているということではなく、カメラのレンズで焦点を絞るように、レバノンに暮らす女性たちの悩みや希望に焦点を合わせているのです。多くの映画がベイルートを危険な街として描いてきた中で、この作品はそれにつられず真摯に人間そのものを描ききり、キリスト教とイスラム教が共存してきた歴史や、コーヒー占い(コーヒーの沈殿物の模様で運勢を占います)など庶民の文化をさりげなくストーリーに散りばめています。

この映画を見れば明らかですが、ベイルートの街でも日本と同じように普通の人々が普通の日常を送っています。その事実を映画を以って世界中の人々に知らせることができるというのはとても素晴らしいことだと、映画という媒体そのものの良さ・大切さを感じることができる作品でもあります。

レバノンの首都の日常を見てみたい方、アラブ人女性の悩みに共感できるかどうか試してみたい方にオススメの一本です。

レバノン一周

レバノンが誇る5つの世界遺産 レバノン杉の森や数々の歴史遺産が残るレバノンを巡る8日間

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ベイルート

レバノンの首都で、経済・政治の中心地。住民はキリスト教徒、イスラム教徒が共存しており、文化的に多様な都市の一つともなっています。

ブンミおじさんの森

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タイ

ブンミおじさんの森

 

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:タナパット・サーイセイマー、ジェンジラー・ポンパットほか
日本公開:2011年

2016.12.7

森の奥底から輪廻のタイムトラベルへ・・・
タイ東北部・イサーン地方の神秘

「森を前にすると、自分たちの前世であった動物や生き物の姿が見えてくる」という文章から静かに物語は始まります。腎臓病を患って自分の命がもう長くはないと悟ったブンミは、亡き妻の妹・ジェンを自宅に招きます。森の静寂が響く中、夕食を食べている最中に19年前に亡くなったはずの妻の霊が突如姿を現します・・・

チベット仏教の指導者であるダライ・ラマを描いたドラマのように輪廻が映画の重要なテーマになることはしばしばありますが、この映画を見れば監督が生まれ育ったタイ東北部・イサーン地方の人々の、輪廻転生という洗練された概念でも完結することができない不思議な死生観を体感することができます。

「イサーンの人々は、日常生活に生きているだけでなく、スピリチュアルな世界にも生きています。そこでは、単純な事柄が魔法になるのです。」(最新作『光りの墓』公式インタビューより抜粋)と監督自身が発言しているように、イサーンの独特な文化はラオスやカンボジアから影響を受けつつ長い時間をかけて育まれてきました。何の説明もなく、さもあたり前であるかのように死者がこの世に登場するシーンがありますが、仏壇に話しかけたりお盆に霊を送り迎えする我々日本人にとってみれば、その点はかえって違和感なく親しみを持って受け入れることができるでしょう。

幸運なことにアピチャッポン監督のワークショップに参加した際に直接指導を受ける機会がありましたが、今でも印象に残っている言葉があります。”Don’t afraid to be simplified.”(単純にすることを恐れるな)、そして”Give some moments for audience.”(観客に考える時間を与えろ)という言葉です。

映画の中を流れる時間はストーリーを語るためというよりも、ただ純粋に生きる喜びを語るためにあてられていて、生命の神秘を謳歌するパワーが映像にみなぎっています。イサーンに興味ある方だけでなく、何もかもを忘れて映像の世界にただ包まれてみたいという方にオススメの一本です。

知られざるイサーン・クメール 王の道を行く

乾季のベストシーズン限定・クメール王朝の歴史を紐解く旅
「タイのアンコールワット」と称されるピマーイ遺跡ほか珠玉のクメール遺跡を訪問。

イン・ディス・ワールド

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パキスタン・イラン・トルコ

イン・ディス・ワールド

 

In This World

監督: マイケル・ウィンターボトム
出演: ジャマール・ウディン・トラビ、エナヤトゥーラ・ジュマディンほか
日本公開:2003年

2016.11.30

ペシャワールからロンドンへ・・・
国境の壁を乗り越える若きアフガン孤児の意志

パキスタン北西辺境州の州都・ペシャワールの難民キャンプで育ったアフガン人の少年・ジャマールと従兄弟・エナヤットは、より良い未来を求めて陸路でロンドンを目指ことになります。エナヤットの父親が密入国業者の力を借りて息子を親戚のいるロンドンに向かわせようとして、ジャマールは英語が少し話せるためエナヤットに同行することになったのです。信頼してよいかどうかわからない密入国業者だけを頼りに、常に危険と隣り合わせの6400kmの旅路が始まります。

ドキュメンタリータッチで撮られたこの作品は、製作陣による綿密なリサーチをもとにしたフィクションです。多くの亡命者たちが通過するクエッタ・テヘラン・イスタンブールといった要所や実際の国境警備員たちが映っているので、まるでジャマールとエナヤットのカバンにこっそり潜んで旅を見守っているかのような、緊迫したリアリティ溢れるカットが次々と映し出されます。また、サルコジ元大統領によって閉鎖されたにサンガット(フランス北部の港街・カレー近郊)赤十字難民センターの貴重な映像もおさめられています。

映画の大部分を占めるジャマールたちの移動風景(ある時は家畜と、ある時は穀物と・・・)は苦難の旅路の様子ですが、ずっと頭の奥底に眠っていた旅の車窓を思い出してしまうのは私だけではないはずです。移動風景だけでなく、路地裏で遊ぶ子供達たちや街の雑踏の音など何気ない描写が幾重にも重なって、イギリスにたどり着くという一点の光を求めて旅をしているジャマールの複雑な心の中に案内してくれます。

この物語の最も美しい点の一つは、ジャマール少年が物語を語るのがうまいという設定にあると私は思います。物語がどんな内容なのかは見てからのお楽しみですが、なぜ歌が生まれたかという話や、壊れた時計に蚊の死骸が入っている話などを唐突に話し出します。一度私は日本にたどり着いた難民を支援している団体を取材したことがありますが、多くの難民たちが「自分にこんなことが起こる(難民になる)とは夢にも思わなかった」と口にするという話を聞きました。きっとジャマール少年は自分の身に起きたことを物語のように思える強い心の持ち主で、そのおかげで辛い旅路にも関わらずどこか美しい感覚を観客に味わわせてくれるのだと思います。

中東からヨーロッパへの遠い遠い道のり、少年の持つ純粋さ・力強さを体感したい方にオススメの映画です。

桜桃の味

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イラン

桜桃の味

 

طعم گيلاس

監督: アッバス・キアロスタミ
出演: ホマユーン・エルシャディほか
日本公開:1998年

2016.11.23

長く曲がりくねった道の終わりを求めて
イラン映画の歴史に残る一作

この作品は2016年に惜しくも亡くなったイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督の代表作で、「ジグザグ三部作」と言われる『友だちのうちはどこ?』『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』を経てより洗練されたキアロスタミ監督の表現が力強くにじみ出ている作品です。

舞台はイランの首都・テヘラン郊外。荒涼とした道を、中年の男バディが車で走っています。彼は職を探している男を助手席に乗せてはジグザグ道を行き、遠くに町を見下ろす小高い丘の一本の木の前まで無理矢理に連れてゆき、ある仕事を依頼します。その仕事とは、翌日の朝に同じ場所に来て穴の中に横たわっている自分の名前を呼び、もし返事をすれば助け起こし無言ならば土をかけてくれというもので、つまり自殺の手助けをしてくれという依頼です。クルド人の若い兵士も、アフガン人の神学生も、この依頼を聞き入れません。自殺を手伝う人物を探し回るうちにバディはある老人と出会います。老人は嫌々ながらも、病気の子供のために彼の頼みを聞き入れた上で、自分のある経験をバディに語って聞かせます…

映画の内容ではなくこの作品に関する私自身の思い出ですが、この映画を初めて見たのはイギリスに留学している時で、イエメン人のハウスメイトと一緒に作品を鑑賞しました。荒涼としたジグザグ道を行くシーンでアラブ圏の人が話す英語独特の巻いたrの発音とともに”Jimbo, this is the real life of us. (「これが中東の日常だよ」というようなニュアンスかと思います)”と彼から言われたのをいまだによく覚えています。イエメンでも砂漠の中の荒涼としたジグザグ道を走ることは日常的によくあることなのでしょう。この映画に劇的な展開はほとんどなく、私の友人の言葉が示す通りただ現実の延長線上を走っているようなストーリーですが、巧みに計算された演出でキアロスタミ監督は静かに物語を操っていきます。

旅先でのふとした会話や出来事に人生を動かされたことがある方、イランの”real life”を見てみたい方にオススメの作品です。

ONCE ダブリンの街角で

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アイルランド

ONCE ダブリンの街角で

 

Once

監督: ジョン・カーニー
出演:グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロバほか
日本公開:2007年

2016.11.16

アイルランドの首都ダブリンに、
寄せては返すミュージシャンたちの人生

アイルランドの首都・ダブリンの路上で日々ギター演奏をしている「男」は、ある日チェコ移民の「女」と出会います(この映画には、メインキャラクター2人に名前がありません)。男が偶然掃除機を修理するバイトをしていたことなどから交流が始まり、女にピアノの才能があることを男は知ります。男は女のために曲をつくり、その曲でセッションをして素晴らしいハーモニーが生まれ、二人はひかれあっていきます。

この映画を見ながら、私は以前アイリッシュ・ミュージックを聞くためにアイルランドに旅したことを思い出しました。ダブリンはそれほど大きな街ではなく、メインストリートのオコンネル通りからすぐの場所にアイリッシュ・パブがひしめき合うテンプル・バーというエリアがあります。物語が展開する上で重要な場所となるグラフトン通りもまたそのすぐ近くにあり、世界各地から集った路上ミュージシャン(バスカー)たちが昼夜を問わず思い思いの演奏をして賑わっていました。

バスカー(busker)という単語について、不思議な響きの単語なので一度その語源を調べたことがありますが、スペイン語の”Buscar”という単語が由来で、英訳するとseek(探し求める)という言葉でした。ダブリンの街角でバスカーたちを眺めていると、演奏すると同時に自分の行き先や音楽のスタイルを探し求めているという感じがして、単語の持つルーツに納得したのを覚えています。

メインとなる2人はプロのミュージシャンですが、演技はこの映画の時が初めてだったそうです。自然な演技をとるための工夫かと思いますが、望遠で遠くから撮影されたシーンも多く、おそらく予算の関係で通行人はエキストラではなく実際に通りを行き交う人がおさめられています。その結果、さながらドキュメンタリーのような、ダブリンの街で実際に起きた出来事を記録したような雰囲気で物語が展開していきます。さらに、主人公たちの名前が匿名なことによって、私がダブリンで見た光景の中でそうした数々のドラマがあったのではないかと想像させてくれました。

ダブリンのリズムを感じてみたい方、一度でも音楽に心を動かされたことのある方にオススメの作品です。

アイルランド周遊

遥かなる緑の大地、妖精が住むと信じられている幻想的な自然。
ケルトの伝統が息づく南北アイルランドを周遊。

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ダブリン

この町の最大の見所はトリニティカレッジに残る旧図書館です。この旧図書館には「ケルズの書」と呼ばれる装飾写本が保存されています。

ディーパンの闘い

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スリランカ

ディーパンの闘い

 

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監督: ジャック・オディアール
出演: アントニーターサン・ジェスターサン、カレアスワリ・スリニバサン、カラウタヤニ・ヴィナシタンビほか
日本公開:2016年

2016.11.9

力強く静かな象のように・・・
平和を求めるスリランカ難民の闘い

内戦で妻子が殺された兵士ディーパンはフランスに入国するため赤の他人の女・ヤリニと少女・イラヤルとともに偽装家族となり、故郷・スリランカを旅立ちます。難民審査を通り抜け、パリ郊外の団地でディーパン・ヤリニともになんとか職を得て、他人同士の家族の間にも少しずつ交流が生まれていきます。生活にも少し余裕が出てやっと明るい未来が見え始めた時、またしても暴力の影が3人に忍び寄ってきます・・・。

この物語はスリランカで1983年から2009年まで続いたシンハラ人とタミル人の内戦が背景となっています。内戦の原因は元をたどればイギリス植民地時代(イギリス領セイロン時代)に遡ります。それ以前にも古くから関わりがあった両者は、長い時間をかけて社会の中で融和を築いていました。しかし、植民地時代にイギリスが紅茶プランテーションのために大量のタミル人を南インドから移住させ、さらにシンハラ人よりタミル人を優遇したことで、長い間かけて形成されたバランスをあっけなく崩してしまいました。1948年にスリランカが独立した後いがみ合いは激化していき、「仏教徒のシンハラ人」と「ヒンドゥー教徒のタミル人」という形でルーツが同じはずの宗教も戦争の理由として組み込まれてしまいました。

主人公・ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンは、実際にスリランカ内戦を経験した元兵士(タミル側)で、フランスに亡命後作家として活躍している人物です。ディーパンがどのような経験を内戦中にしたのかは劇中ではほとんど語られませんが、役者自身の経験がディーパンの一挙手一投足に説得力を生み出しています。

劇中で特に私が印象的だったは、唐突に何回か挿入される象のカット(おそらく夢の内容を表現した)シーンです。私は時々旅先で「この国に来てるのに、何でこんな夢を見るのだろう?」と思うような奇妙な夢を見ることがあります。日本を離れて、イギリスに留学していた時に初めて英語で見た夢も思い出深いです。スリランカからフランスへの長い旅路の中、そして慣れない異国の地で登場人物たちは日々どんな夢を見ていたのでしょうか。ぜひそういった点も想像しながら映画を鑑賞してみてください。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ

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モロッコ

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ

 

Only Lovers Left Alive

監督: ジム・ジャームッシュ
出演: トム・ヒドルストン、ティルダ・スウィントン、ミア・ワシコウスカほか
日本公開:2013年

2016.11.2

数世紀に渡るヴァンパイアの記憶と、
港街・タンジールの息吹

舞台はアメリカのデトロイトと、モロッコのタンジール。ヴァンパイアのアダムはアメリカのデトロイトで匿名ミュージシャンとして活躍しています。恋人で同じくヴァンパイアのイヴは、モロッコのタンジールで老年のヴァンパイア作家を匿いながらひっそりと暮らしていますが、アダムを訪ねデトロイトへやってきます。数世紀に渡る命を持っているヴァンパイアの彼らであっても、やはり久々の再会は会話を弾ませ、夜の街や楽器に溢れたアダムの家の中で他愛のない会話に花が咲きます。そこに、イヴの妹・エヴァが転がり込んできて、ふたりの大切な時間が徐々にかき乱されていきます…

本作はほかのヴァンパイア映画にみられるようなホラーシーンがほとんどなく、iPhoneやインターネットを使いこなすヴァンパイア同士のウイットのきいた会話が中心であるというとても珍しい映画です。「モーツァルトの弦楽五重奏曲第一番は実は自分が作曲した」とアダムが言うなど、歴史上の人物にからんだエピソードも登場してコミカルな部分も見られますが、人間の何倍もの長さの寿命を持つヴァンパイアの視点から「命とは何か」ということが語られる不思議なドラマです。

その独特な雰囲気を後押しするのが、仄暗いデトロイトの街並みと、そしてなんといってもタンジールの街並みです。私自身もタンジールの街には思い出があります。12月半ばからクリスマスにかけてモロッコを旅行し、あえてクリスマスはタンジールで過ごし、12月26日にフェリーでタンジール港から1時間半くらいであっという間にスペインのアルヘシラス港に渡りました。当然ながら、モロッコではクリスマスの日には特に何も起こらない普通の日で、スペインに入るとクリスマスの余韻が街に残っていました。ローマ帝国時代や、レコンキスタの時代から様々な歴史の蓄積がある街ですが、文化の境目に自分が立っているかのような、五感で街の歴史を感じ取れるような街でした。

また、タンジールのシーンで登場するレバノン人歌手、ヤスミン・ハムダンの美しい歌にも注目です。

一風変わったヴァンパイア映画を見てみたい方、タンジールの不思議な雰囲気に浸ってみたい方にオススメの映画です。

 

 

湾生回家

3f957571fe6dd0c9(C)田澤文化有限公司

台湾

湾生回家

 

湾生回家

監督: ホァン・ミンチェン
出演:冨永勝、家倉多恵子、清水一也、松本洽盛、竹中信子、片山清子 他
日本公開:2016年

2016.10.26

故郷は台湾、国籍は日本
6人の湾生の心を探るドキュメンタリー

1895年の下関条約締結から終戦の1945年まで、台湾は日本の統治下にありましたが、この間に台湾で生まれ育った約20万人の日本人は湾生(わんせい)と呼ばれます。「回家」の「回」は中国語で「帰る」という意味を持ち、本作『湾生回家』は湾生たちがそれぞれの思い出を胸に、心から愛してやまない台湾を訪れるドキュメンタリー映画です。

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湾生たちの多くは敗戦後も台湾にそのまま住んでいたいと願っていたそうですが、ほとんどの人々が日本に強制送還されました。この映画では台湾を去った湾生とともに、台湾に残った湾生も紹介されていて、戦争の終結という歴史的出来事が人々の人生にどのように影響してきたのかを映し出しています。

旅に出る目的の中でも、自分のルーツを振り返る旅であったり、思い出を探し求める旅というのは美しく、また時に悲しいものです。「回家」という単語が示す通り家に帰るのであれば「ただいま」と言えますが、台湾を去った湾生にはそうした帰る家は残されていません。かわりに自分と同様に年齢を重ねた同志や、友人の子どもや、自然の景観に触れ合っていきます。

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劇中では数十年来の感動的な再会、70年・80年のあいだ家族の墓を探し求めてきた人の姿、戸籍という文字の資料が一人の人間の中に眠っていた感情を涙が溢れるほどに喚起させる場面に遭遇することができます。

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戦後70年以上がすぎ、人々から忘れられようとしている湾生の人々に目を向けることで私たちは何を学ぶことができるでしょうか。湾生を生んだのは戦争です。日本が台湾を統治したこと、湾生たちが台湾を離れなければいけなかったこと、そのどちらにも戦争が関わっています。 たとえば、現在ヨーロッパでは中東や北アフリカなどからの移民が大きな社会問題となっていますが、日本人にとってそれはどうしても実感がわきにくい問題です。かつて日本と台湾の間で何が起こったのか、そしてどのように人々が交流してきたのかを振り返ることで、そうした現在の諸問題に対して日本人らしい関わり方を持てるかもしれないと私は思いました。

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湾生の人々の儚く美しい思い出に触れることで、きっと自分の故郷への思い出も湧き出てくることでしょう。

『湾生回家」は11/12より岩波ホールほかにてロードショー。その他詳細は公式ホームページをご覧ください。