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ヨルダン南部

古代ナバタイ王国の遺産が残るペトラ、砂漠の民ベドウィンが暮らすワディ・ラム、紅海に面したリゾート地アカバなど多彩な見どころがあります。

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ペトラ / Petra

ヨルダンで最も有名な遺跡ペトラは、紀元前6世紀頃アラビア半島から移住してきた古代ナバタイ人の都市遺跡です。遺跡の入り口からは徒歩もしくは馬にて1.2km程の道を進み、800mにわたるシークと呼ばれる岩の裂け目にできた道を通じて、「Hidden City」、「忘れられた都」とも言われるペトラ遺跡へと到着します。ペトラの古代都市はこのシークを通らなければ町に入ることができず、周りを岩山に囲まれているため、1,700年もの間発見されることがありませんでした。
遺跡内にはエル・ハズネやエッディール僧院を始め、無数の砂岩の岩山をくり貫いて造られた建築物が当時の姿をそのまま残しています。 遺跡は一日でもまわりきれないほどみどころがたくさんあります。ハイライトはシーク~エル・ハズネ、そして列柱道路の建築群があるあたりまでで、半日で見ることも可能ですが、できれば終日とってその他の墳墓群、エッディール僧院や犠牲の祭壇まで足を延ばすのがおすすめです。

  • ペトラ遺跡で最も有名な「エル・ハズネ」(宝物殿)
  • エル・ハズネが見えてくる
  • ナバタイの素焼きの水道管の跡
  • ナバタイの神ドゥシャラを祀った祭壇と僧侶の住居
  • 列柱道路沿いの大寺院
  • カスル・アル・ビント ナバタイ時代の神殿
バラ色の砂岩の回廊、シーク
バラ色の砂岩の回廊、シーク
 

シーク / Siq

シークとは砂岩の岩山に風と水の侵食作用によってできた、狭い岩の裂け目の道です。両側の崖の高さは60m~100m。シークの途中にはかつて水源地から水を引いた2,000年前の素焼きの水道管の跡、ナバタイ人が信仰していたドゥシャラ神の祠、ナバタイ語で書かれた碑文などが見られます。800mのこのシークを抜けると、突然視界が広がり、エル・ハズネが姿を現します。
ペトラで最も美しいファサードを持つエル・ハズネ
ペトラで最も美しいファサードを持つエル・ハズネ
 

○エル・ハズネ / El Khazneh

アラビア語で「宝物殿」を意味するこの建築物は、紀元前25年ナバタイ王アレタス4世によって建てられたと言われています。砂岩を刳り貫いて造られ、光があたる午前中はバラ色に輝き非常に美しい姿を見せてくれます。この建物にはナバタイ人の様式だけではなく、ギリシャ、エジプト、アッシリアなど様々な影響が見られますが、内部は非常にシンプルで四角い部屋が2つあるだけです。映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のロケ地となった事でも有名です。

アッシリアのクロウステップのデザインを取り入れたファサードの墓
アッシリアのクロウステップのデザインを取り入れたファサードの墓
 

ナバタイの墳墓群 / Nabatene Tombs

古代ナバタイの人々は他の古代の民族と同様、死者を祀り信仰しました。そのため、王や有力者には壮大な墳墓が建設されそのファサード(建物正面)はギリシャやアッシリア、ローマ、エジプトなどの文明の影響を受けた装飾が施されました。内部は空で、内部に穴が彫られ死者が埋葬されました。
バラ色の砂岩の劇場
バラ色の砂岩の劇場
 

円形劇場 / Roman Anphotheater

ナバタイ時代のものの上に作られたローマ文化特有の半すり鉢形の劇場。5000人以上の観客を収容する大きなものです。劇場は後の時代に拡張され上部の墳墓まで削られました。
Palace Tomb, Sextius Florentius Tomb
Palace Tomb, Sextius Florentius Tomb
 

王家の墓 / Royal Tombs

Urun Tomb, Silk Tomb, Corinthian Tomb, Palace Tomb, Sextius Florentius Tombの集合体をまとめて「王家の墓」と呼んでおり、ペトラの墳墓群でも壮大な建築物のひとつです。後のビザンチン時代に教会として利用されたり石のブロックにより増築された跡があります。
凱旋門
凱旋門
 

列柱道路と凱旋門 / Colonnaded Street & Trimphal Arch

もともとのナバタイの道の上に、106年頃に建築されたローマ風の列柱道路と遺構が残されています。 1993年から発掘が進む大寺院 Great templeはBC1世紀のナバタイの神殿遺跡で、その後の地震で破壊されました。

ラクダの形をしたキリンのモザイク
ラクダの形をしたキリンのモザイク
 

ビザンチン教会 / Byzantine Church

ナバタイの遺構の上に6世紀ごろ建てられたビザンチン時代の教会遺跡。近年の考古学者の努力により床に残されたモザイクを見ることができるようになりました。アフリカの野生動物の姿が描かれています。

墳墓群が並ぶファサードの通り
墳墓群が並ぶファサードの通り
 

ファサードの通り / Street of Facades

岩を彫りこんで作られた墳墓の正面が並びます。王族や有力者の墓は装飾されましたが、その他の人々の墳墓はシンプルなものでした。洞窟はかつてのナバタイの人々が暮らした跡とも言われていますが、無数の墳墓が見つかっているのに対し住居跡がほとんどないことから、古代ナバタイの人々はベドウィンのような天幕に暮らしていたと考えられています。

800段の階段を上ってたどり着くエッディール僧院
800段の階段を上ってたどり着くエッディール僧院
 

エッディール僧院 / Ed Deir

ペトラ遺跡の最奥、約800段の石段を登るとエッディール僧院はその姿を現します。1世紀、古代ナバタイ人が信仰していたドゥシャラ神を祀るために造った神殿と考えられています。高さ40m、幅46mの壮大な建物はエル・ハズネよりも大きく、ペトラ最大のものです。ディールとは修道院を意味し、後の時代に教会として使われ十字が刻まれたことからこの名前がつけられています。

ペトラ・バイ・ナイト/ Petra by Night

夜のペトラ遺跡を楽しむことができるのがペトラ・バイ・ナイト。毎週月・水・木曜日の夜に行われています。シークを歩いてエル・ハズネまで往復するためおよそ2時間かかりますが、昼間とは違う幻想的な光景に時間を忘れるほどです。夜20:30頃ペトラ遺跡のメインゲートに集合。ここから歩き始めます。入り口からシークと、シークの内部がろうそく(ペーパーランタン)のあかりでライトアップされます。

  • シクの入り口へと歩く
  • 紙に包まれたろうそくの明かりが優しくシクと照らし、エル・ハズネへと導きます。
  • ろうそく明りに照らされたエル・ハズネへ。
  • 明りに照らされたたエル・ハズネ

リトル・ペトラ(シク・アル・バリド) / Little Petra(Siq Al-Balid)

ペトラの北5キロにあるナバタイの遺跡群。350mのシーク、神殿、墳墓、貯水池まであることから「リトル・ペトラ」と呼ばれています。実際にペトラの郊外のキャラバンの宿営地として使用されたと考えられています。 遺跡の入り口にはペトラと同じスタイルの神殿が築かれ、内部には墳墓と住居と思われる洞窟が残っています。 この遺跡で特徴的なのは洞窟住居内に残されているフレスコ画。ナバタイの壁画で現存する唯一のもので、かつてはベドウィンの人々の炊いた火の煙で黒ずんでいたんでいましたが、イギリスの専門家により修復され、当時のナバタイの人々のギリシャ風の壁画とその芸術性をうかがうことができます。壁画は紀元後1世紀頃のものと推定され、ぶどう、鳥、そしてフルートを吹く天使のような少年の姿が確認できます。

  • 遺跡入り口の神殿
  • 3種の葡萄が描かれ、フルートを吹く天使のような少年像

ワディ・ラム / Wadi Rum

ワディ・ラムは井戸や泉が点在し、先史時代より人が住み、ギリシャ・ローマ時代には葡萄やオリーブ、松の木があったという記録も残されている砂漠。砂岩の岩肌にはアラビア半島南部からやってきた部族やナバタイ人の文字が刻まれています。最も高いラム山は標高1754m。あたり一面に奇岩が立ち並び、まるで月世界の様な景観が広がっています。ワディ・ラムが有名になったのは「アラビアのロレンス」と知られるT.E.Lawrenceが1917年、オスマントルコの支配からアラブ同盟の独立を目指してファイサル国王とともに行った「アラブの反乱」の舞台の一つとなったことでした。ラクダと馬に乗った騎馬隊がワディ・ラムの砂漠を走り出撃しアカバを攻略、そして北上しダマスカスを目指しました。一見荒涼とした大地に見えるワディ・ラムの砂漠は現在もベドウィンの人々により使用される薬草が育ち、雨の後には200種を越える草や花が芽吹きます。砂岩の岩山には鳥や爬虫類、ハイラックスなどの小動物が暮らしています。ワディ・ラムの砂漠では砂岩の岩山の大地を四輪駆動車で走り、砂岩のアーチ、岩刻画などを巡ることができるほか、シーズンには砂漠のツーリストキャンプに泊まることもできます。

  • 砂岩のアーチのひとつ
  • 砂漠を行きかった人々が描いた岩刻画
  • 雨と風による浸食を受けた砂岩の岩山
  • 規模は小さいですが砂丘もあります。砂の上にはラクダの足跡が。
  • 観光客を載せて歩くラクダたちとベドウィンのおじさん

ヒジャーズ鉄道 / Hejaz Railway

オスマン・トルコの作った、シリアのダマスカスからサウジ・アラビアのメディナまで、シリア・ヨルダン・サウジアラビアをつなぐ総延長1308Kmの鉄道。1900年に着工し、1908年に開通。メッカへの巡礼者を運ぶことを目的として作られました。その後、第一次世界大戦に入るとこの鉄道はオスマン・トルコの軍事物資を運ぶことからアラビアのロレンスことT.E.ロレンス率いる「アラブの反乱」により破壊されます。 その後、何度か再建の話は上がりましたが前世開通することはなく、現在はヨルダンのアンマンの南にあるリン酸塩の鉱山からアカバ港に一日数回運行しています。時にはアンマン、ワディ・ラム、アカバの間を観光客を乗せて走る蒸気機関車もあります。この蒸気機関車は1908年の開通当時のものでドイツ製。鉄道ファンにはたまらない存在です。

  • ワディ・ラムを通過するヒジャーズ鉄道の線路
  • 現在の「アカバ鉄道」リン酸塩をのせてアカバ港へ
  • ヒジャーズ鉄道の蒸気機関
  • 蒸気機関車の客車内部


アカバ/ Aqaba

ヨルダンで唯一海に面する町・アカバ。海の玄関口として多くの貨物船か寄航し、ここで荷揚げされた荷物が北部へ運ばれる流通の拠点となっています。また、紅海沿いのリゾート地として注目を集めおり、ヨーロッパ人にも人気が高いです。一方でその歴史は古く、5,000年以上も前の遺跡が残る他、旧約聖書にもその名が登場します。ローマ時代からアフリカとアラビア半島を繋ぐ交易路として、イスラムの時代にはメッカ巡礼者達の中継地として栄えました。現在ではビーチでゆっくりと過ごしたり、スキューバダイビングなどを楽しむ観光客で賑わいます。