ギャンツェ
Gyantse古くからインドとの交易路の要衝として栄えたギャンツェは、チベットの歴史上、ラサ、シガツェに継ぐ第3の町です。 1904年、開国を求めてチベットに侵攻したヤングハズバンド率いるイギリスの「武装使節団」とのあいだで戦闘が行われたのが、岩山にそびえるギャンツェ・ゾン(城砦)。 結局、イギリス側の近代的火器の前に、わずか半日でギャンツェ・ゾンは陥落。ダライ・ラマ13世がモンゴルに亡命しているうちに、イギリスの優先権を認める「ラサ条約」が結ばれることになった歴史があります。
古くからインドとの交易路の要衝として栄えたギャンツェは、チベットの歴史上、ラサ、シガツェに継ぐ第3の町です。 1904年、開国を求めてチベットに侵攻したヤングハズバンド率いるイギリスの「武装使節団」とのあいだで戦闘が行われたのが、岩山にそびえるギャンツェ・ゾン(城砦)。 結局、イギリス側の近代的火器の前に、わずか半日でギャンツェ・ゾンは陥落。ダライ・ラマ13世がモンゴルに亡命しているうちに、イギリスの優先権を認める「ラサ条約」が結ばれることになった歴史があります。
パンコル・チューデとはチベット語で「吉祥輪大楽寺」の意。特定の宗派に属さない寺院で、15世紀始め頃の明王朝時代にラプテン・クンザン・パクパにっよって創建された寺院です。 1階には本尊の三世仏(過去、現在、未来の三仏)。奥には6~7m高さの釈迦牟尼像、両サイドに167体の菩薩像・観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・金剛仏・千手観音菩薩・ソンツェンガンポ像・パンチェンラマ9・10・11世の写真があり、2階には十八羅漢、大きな壁画や立体曼荼羅があります。 塑像、壁画はインド、ネパール、漢民族の様式を取り混ぜたチベット独自の様相が感じられます。
白居寺境内にある8階建ての大ストゥーパ(仏塔)。諸尊像や壁画で飾られた77の部屋を有する仏塔。仏像が合計10万を超えたといわれているため「10万仏塔」とも称されています。(「クンブム」とは10万の意。) 内部の壁画は密教聖典が成立していく過程が描かれ、右回りで順番に進んでいくだけで、自動的にチベット密教の曼荼羅世界の醍醐味を堪能できる仕組みとなっています。