秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

スリランカみどころガイド

ジャフナと北西海岸

Jaffna & Northwest coast

インド亜大陸と海峡を隔ててわずか100km余りに位置するジャフナ半島。紀元前より南インドから多くの人々が移住したといわれています。スリランカを構成する民族の70%強が仏教徒のシンハラ人であるのに対し、南インドをルーツとするタミル人はヒンドゥー教徒が大多数。ジャフナに暮らす人々のほとんどがこのタミル人で、言葉・文字・食事もスリランカの他地域と異なることから、まるで南インドのような雰囲気が漂います。また、スリランカの気候はモンスーンに左右されますが、北部地域は南西モンスーンの影響は受けません。スリランカ国内の他地域に比べて乾燥しているため、他のエリアでは見られない植物やロバなどの動物を見ることができます。
ジャフナから南に約100km、インドに向かって細く伸びるように突き出すマンナール島があり、さらにその100km南にカルピティヤ半島があります。マンナールは、インド南部のタミル・ナードゥへと繋がるアダムス・ブリッジという浅瀬の連なりがあり、この「海の道」はインドの二大叙事詩「ラーマ・ヤナ」にも登場します。カルピティヤは、ウィンドウサーフィンやドルフィンウォッチングが盛んな、美しいラグーンをもつ小さな町。住民の多くはスリランカ・ムスリムですが、シンハラ人、タミル人、キリスト教徒も暮らしており、異文化が共存しています。

ジャフナ / Jaffna

ジャフナ半島の中央に位置する、スリランカ北部最大の都市ジャフナ。13世紀から17世紀は、南部のシンハラ王朝とは別に独立したジャフナ王国が存続していました。今もナッルール地区にはジャフナ王国の遺跡群が残っています。その後もタミル人の町として栄え、ナッルール・カンダスワミ寺院やナグレースヴァラム・シヴァ寺院などのヒンドゥー寺院があり、ヒンドゥー文化が色濃く残ります。主なみどころのひとつは、スリランカで最も堅固な砦といわれるジャフナ・フォート。植民地時代にポルトガル軍によって築かれた後、127年の歳月をかけてオランダが現在の星型の堀に大改築しました。そして、19世にイギリスの支配下で建設された県庁跡も見逃せません。1983年から2009年にかけて発生した、シンハラ人とタミル人の民族紛争で、ジャフナは激戦地と化しました。県庁跡のオフィスは、内戦中に爆撃を受けて壁面が崩壊。今も当時の戦いの激しさを物語っています。しかし、高いアーチや細かい装飾など、当時のイギリス建築の特徴が見られ、コロンボ大学の考古学研究所によって調査が進められています。

ヒンドゥー文化が色濃く残る
ナッルール・カンダスワミ寺院

マンナール/ Mannar

インドに向かって細く突き出たマンナール島。インド南部のタミル・ナードゥへと繋がる「海の道」である、アダムス・ブリッジという浅瀬の連なりがあります。この「海の道」は、インドの二大叙事詩「ラーマ・ヤナ」にも登場し、ラーマ王子が橋を架けて渡ってきたという伝説があります。マンナールの町は島の南東の端に位置しており、スリランカ本島から続くコーズウェイで繋がっています。町には、ポルトガル人によって造られた要塞等、植民地時代の面影が残ります。

インドからのフェリーが発着していた桟橋跡
マンナールの漁村

カル・ピティヤ/ Kalpitiya

14の島々からなるカルピティヤ半島。半島の先端にあるカルピティヤは、小さな海軍基地やオランダ教会、漁港などがある小さな町です。ビーチは風が強く、ウィンドウサーフィンのメッカとしても知られています。また、カルピティヤの沖ではイルカが観察できるため、ドルフィンウォッチングが盛ん。潮の流れがきついため時期は限られますが、ラグーン側ではスリランカ・ピンクイルカ(Indo-Pacific Humpback Dolphin)が、沖合いでは何百匹ものハシナガイルカの大きな群れに、時にはクジラに遭遇することができます。
>>スリランカの野生動物特集はこちら!

ハシナガイルカの群れ
PAGE TOP