クチャ(庫車)
Kuqa後漢時代には「西域都護府」が、唐代には「安西都護府」が置かれたシルクロードのオアシス都市。かつては亀茲国(きじこく)と呼ばれ東西貿易の中継地として繁栄していました。 クチャ周辺には多くの仏教遺跡が残り、名僧・鳩摩羅什ゆかりの地、西域の代表的音楽の亀茲楽発祥の地でもあります。北に天山山脈をのぞみ、南はタクラマカン砂漠と接し、現在は天山南路の幹線道路上に位置しています。
後漢時代には「西域都護府」が、唐代には「安西都護府」が置かれたシルクロードのオアシス都市。かつては亀茲国(きじこく)と呼ばれ東西貿易の中継地として繁栄していました。 クチャ周辺には多くの仏教遺跡が残り、名僧・鳩摩羅什ゆかりの地、西域の代表的音楽の亀茲楽発祥の地でもあります。北に天山山脈をのぞみ、南はタクラマカン砂漠と接し、現在は天山南路の幹線道路上に位置しています。
キジル千仏洞は、中国で最も早く開かれた敦煌・莫高窟に匹敵する石窟寺院。クチャ西北75kmの拝城県に位置し、ムザト川沿いに3.2kmにわたって開削され、現在、236窟が確認されています。 3世紀頃から作られ始め、8世紀末ごろに放棄されたと言われています。そのうち172窟が仏殿で64窟が僧房窟。塑像は破棄されてしまい、ほとんど残っていませんが、現存する壁画の素晴らしさは新疆一。壁画の題材は、釈迦の誕生から涅槃までの仏伝図、釈尊の生前の物語(本生物語)と古代西域の各民族の人々の風俗画など。そのなかでも38窟(音楽洞)で見られる西域の楽器郡は、日本の正倉院にも伝来したものであることが判ります。
クチャから北へ23km。天山山脈のチュルタク山麓のクチャ川を挟んで東寺と西寺が残っています(通常は西寺のみ見学可能です)。 魏晋時期に創建され、唐代には亀茲国最大の寺院、玄奘が記した「大唐西域記」に登場する「昭怙麓大寺」と言われています。仏塔跡や講堂跡などが現存していますが、木簡、銀貨、仏像などの出土品より亀茲国の繁栄振りが偲ばれます。