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シルクロードみどころガイド

ホータン(和田)

Hotan

ホータンはタクラマカン砂漠と、その南を東西に延びる崑崙山脈とに挟まれたシルクロード上のオアシス都市。ホータン王国(ウテン国)は西暦56年から1006年の間に存在した仏教王国で、法顕や玄奘などの中国僧も訪れています。その後11世紀始めにイスラムの侵攻を受けてその支配下に入ってから住民もイスラム化してきました。 またホータン北方のタクラマカン砂漠にあるダンダンウィリク遺跡で、ホータン王に嫁いで来た中国の王女が、髪の中に蚕の卵を隠していたと見られる壁画が発見されていることから、中国以外で絹が生産された初めての場所とされています。

マリクワト遺跡(マリクワット古城)/ Melikawat

ホータン市の南25km。漢代から唐代にかけてのウテン国の都跡で、南北1.5km、東西800mの規模をもつ遺跡。 地上には陶器片が散乱していますが、日乾しレンガで建てられた遺跡はあまり現存していなく、伽藍跡と考えられる建物が確認できるにすぎません。 遺跡の周囲はゴビが広がっていますので、遺跡の入り口からは電気カートに乗り換えて訪れます。

マリカワト遺跡

白玉河・玉/ Yurungkash River

敦煌市内から西北に80km。東西24m、南北264m、高さ9,7m。西・北面に門が設けられています。前漢の武帝の時代に西域北道への関所として、長城とともに築かれました。
「玉門関」の名前は、新疆ウイグル自治区のホータンで産出された「玉石」がここを通り、中国へ入ってきたことに由来し、スタインが「玉門都尉」と記載された木簡を発掘したことから史書に記載された遺跡であることが特定されました。漢代に西域に汗血馬をもとめた李行利が遠征に失敗し、玉門関まで戻ってきた際に武帝が怒りのあまり門を閉じたというエピソードは有名です。
白玉河

ホータンの絹/ Silk

ホータン市の南25km。漢代から唐代にかけてのウテン国の都跡で、南北1.5km、東西800mの規模をもつ遺跡。 地上には陶器片が散乱していますが、日乾しレンガで建てられた遺跡はあまり現存していなく、伽藍跡と考えられる建物が確認できるにすぎません。 遺跡の周囲はゴビが広がっていますので、遺跡の入り口からはロバ車に乗り換えて訪れます。

ホータンのシルクの絣
繭から絹糸をとる
機織作業
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