イスタンブール
Istanbulボスポラス海峡を隔て、アジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。ギリシャ時代はビザンチウム、ローマ帝国、ビザンチン帝国時代はコンスタンティノープルとして帝国の首都でした。オスマン帝国時代にイスタンブールと改名し、帝国の首都として繁栄しました。 トルコ共和国独立後、首都はアンカラに遷都されましたが、現在でもトルコの文化、商業の中心です。主な見所はヨーロッパ側にあり、金角湾を挟み新市街と旧市街に分かれます。
オスマン帝国の栄華を象徴するように、6本のミナレット(尖塔)を持つ壮大なモスク。内部が青いイズニック産のタイルで覆われているため、ブルーモスクと呼ばれています。 スルタンアフメット1世の命により建てられたため、スルタンアフメットモスクが正式名称です。オスマン建築の名匠ミマール・シナンの弟子メフメットにより、1609年から7年間の歳月をかけて建てられました。壮麗な内部では現在も、敬虔なイスラム教徒が祈りをささげています。
ブルーモスクと相対するように建っているのが、アヤソフィア寺院。イスタンブールを舞台に繰り広げられた帝国の興亡を体現するような建物です。もともとはローマ時代にコンスタンティヌス2世によって建てられた教会でしたが、ビザンチン時代にユスティアヌス帝により、大聖堂に拡張されました。その後、オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落すると、メフメット2世はこの大聖堂をイスラム教のモスクに変えます。 内部にあったフレスコ画は漆喰で塗られ、代わりにモスクの象徴である尖塔が追加されました。20世紀に入り、漆喰に隠れていたフレスコ画が発見され、現在ではキリスト教のフレスコ画とイスラム教のアラビア語カリグラフィーを同じ寺院内で見ることができます。
ボスポラス海峡、金角湾、マルマラ海と三方を海に囲まれた丘の上にトプカプ宮殿があります。15世紀から19世紀にかけて強大な権力をもっていたオスマン帝国のスルタンの居城として建設されました。広大な敷地を擁する宮殿で一番のみどころといえるのが、スルタンの妻たちが暮らしていたハレムです。 内部には鮮やかなイズニック・タイル装飾や、花や果物をモチーフにした壁画などが施され、当時のオスマン帝国の繁栄ぶりをうかがうことができます。また、帝国中から集められた秘宝を展示する宝物館からも、帝国の強大を伺い知ることができます。歴代スルタンによって増築が重ねられ、4つの庭園を持つ現在のスタイルとなりました。
スルタン・アブドゥルメジット1世によって19世紀中頃、10年の歳月をかけて建設されました。ボスポラス海峡のヨーロッパ側の岸に位置する宮殿の全長は600m、総面積は約1万5,000平方メートルにもなります。なかでも56本の円柱と750個のキャンドルがついた4,5トンの重さの巨大シャンデリアがある大ホールは圧巻です。 大理石を用いバロック様式とオスマン様式を折衷した建築様式となっており、贅を尽くした装飾が内部を覆っています。オスマン帝国が崩壊し、トルコ共和国となってからは初代大統領アタテュルクが官邸として利用し、1938年11月にこの宮殿で息を引き取りました。
4世紀から6世紀にかけてビザンチン時代に貯水池として造られた地下宮殿は、縦140m、横70m、高さ8mの広さとなっており、内部はコリント様式の柱で支えられています。 かつては336本もの円柱で支えられていた巨大貯水池は、水道橋より水が引かれ、溜まった水は周辺地域へと供給されていました。 オスマン帝国時代に、トプカプ宮殿でのスルタンたちの豪勢な生活を支えていたのもこの地下宮殿でした。貯水池では、逆さになったメドゥーサの像が見られます。
トルコ語で「カパル・チャルシ」=「屋根のある市場」を意味するこのバザールでは、広大な敷地内に縦横に路地が広がっており、無数のお店が軒を連ねています。15世紀半ばにメフメット2世によって建設された二つの市場が中心となって現在のバザールへと至っています。 貴金属から絵皿、カーペット、皮革、布地にいたる様々な品物が揃っており、バザール内には活気がみなぎっています。