トルコ東部
Eastern Turkey数千年も昔から様々な王朝や民族が覇権を争い、文化や宗教が往き交った東部アナトリア。 西トルコにはないスケールの大きな自然や遺跡が大きな魅力です。
トルコ東部、イランやアルメニアとの国境に、標高5,137mの雄峰アララット山があります。ここは、旧約聖書にでてくるノアの方舟が漂着した場所として知られています。 信仰の篤いノアとその家族は、神よりくだされた「やがて訪れる災い(洪水)」を信じ、命じられた通り大きな方舟を完成させます。その後、40日40夜にわたって大雨が降り続け洪水が町を襲うと、ノア一家が乗った方船のみ助かり、漂流し続けた結果、アララット山に漂着したといわれています。 この方舟が埋まっているとされる跡が、ドゥバヤズットの町から26kmの地点に残っており、盛り上がった大地が方舟の形に見えます。
アララット山と並んでもう一つ見どころとしてあるのがイサク・パシャ宮殿です。ドゥバヤズットの町から東へ5km行ったところの山腹にあり、この地を治めていたクルド人知事イサク・パシャによって建設が始まりました。 宮殿完成までに99年という長い歳月を費やし、1784年、イサク・パシャの孫にあたるメフメット・パシャの時代にようやく完成しました。部屋数336、モスクやハレム、牢獄を備える宮殿は、周辺の壮大な景色を見渡すように建てられています。
アルメニアとの国境にある町カルスより50kmのところに、アニ遺跡があります。10世紀、アルメニアのバグラト朝の王アショット3世がカルスからアニに遷都してからアルメニア王国として栄えたところです。シルクロードの中継都市として、またアルメニア正教の宗教的中心地として繁栄しました。 遺跡内部には、かつて1,001もの教会があったほどで、現在も、11世紀前半に建設された大聖堂跡やカテドラル、とんがり帽子が特徴のアルメニア教会である聖グレゴリオ教会が残っています。春から夏にかけて、一面緑の美しい景色となります。
東部アナトリア最大の都市エルズルムは標高1,853mの高地にあるため、冬には雪が降り積もり、スキーが楽しめる場所のひとつとなっています。 エルズルムの見どころは、「ヤクティエ神学校」と「チフテ・ミナーレ」です。これらは、元々神学校として機能していましたが、現在は一般公開されています。 この神学校の一番の特徴は、高く聳え立つミナーレ(ミナレット)で、タイルの組み合わせにより、非常に美しい模様を生み出しています。「チフテ・ミナーレ」のチフテとは「対」を意味しており、その名のとおり正面入り口には重厚な2本のミナーレが並んでいます。
アナトリア東部イラン国境近くには、トルコ最大の湖「ヴァン湖」があります。湖面の高さは1,646m、面積3,713平方kmと広大な湖は、流入河川はあるが流出河川がないため、塩水となっています。 このヴァン湖に浮かぶ島「アクダマル島」には10世紀に建設されたアルメニア教会があります。ボートで島に渡ると、教会の外壁には旧約聖書にでてくる「アダムとイブ」「ダビデとゴリアテ」など様々な逸話のレリーフを見ることができます。 ヴァン湖の東側には「ヴァン」の町があり、紀元前9~6世紀には「トゥシバ」の名でウラルトゥ王国の首都として栄えました。ヴァンからさらに27kmほど行ったところには、ウラルトゥ王国の王サルドゥール2世によって建てられた「チャウシュテペの要塞」があり、ウラルトゥ語で書かれた碑文が残っています。
トルコ語で「ネムルトダーゥ」と呼ばれるこの山には、世界遺産に登録された巨大神像があります。首都アンカラから東に600kmのところにある標高2,150mのネムルート山の山頂に、紀元前1世紀にこの地方を支配していたコンマゲネ王国のアンティオコス1世の墳墓があり、東と西にそれぞれ、神々や鷲、ライオンといった動物の像が残っています。 像の首部分が、地震のためあたりに転げ落ち、四方八方に向いている姿がなんとも不思議な光景を生み出しています。 コンマゲネ王朝は、ヘレニズム文化の影響を受けており、これらの神像もその影響を強く受けています。夕暮れ時、赤く神像が照らされる光景には、なんとも言えない神秘的な雰囲気を感じるはずです。
メソポタミア文明を生んだチグリス川上流に、全長5,5Kmもの城壁で囲まれたディヤルバクルの町があります。ここでは、ビザンチン帝国時代に建設された沢山の教会が、その後のアラブ軍の支配下に入ったことで、次々にモスクへと変わっていきました。 その代表例として挙げられるのが、「ウル・ジャミィ」です。かつてマル・トーマ教会とよばれたキリスト教会であったものが、アラブの支配下に入り、モスクとして使われるようになりました。その他にも、ミナーレの一番下部分に4本の柱がくっつき、支えている「4本 足のミナーレ」も他では見られないユニークなミナレットです。