サウジアラビア中部・南部
Central & Southern area石油の採掘と輸出により発展した大都市、首都リヤドや、ヘレニズム時代からローマ時代にかけ、香料貿易で栄えたナバティア人が築いた都跡。栄華を極めたマダイン・サーレの巨大墳墓などのご紹介。
石油の採掘と輸出により発展した大都市、首都リヤドや、ヘレニズム時代からローマ時代にかけ、香料貿易で栄えたナバティア人が築いた都跡。栄華を極めたマダイン・サーレの巨大墳墓などのご紹介。
サウジアラビアのほぼ中心に位置する同国の首都。広い幹線道路と、立ち並ぶ近代的な高層ビルに圧倒されます。市内の近代的な博物館や超高層のファイサリア・タワーの他、初代国王アブドルアジーズが、ラシード家から奪回したマスマク城があります。 クウェートに逃れていたアブドルアジーズは、1902年に40名の同志とともにこのマスマク城を奇襲し、リヤドを奪還します。この作戦を機に、アブドルアジーズは広大なアラビア半島を平定し、王国の基礎を作ります。そして、国名をサウド家のアラビア・「サウジアラビア」と改名し、今日の近代国家への礎を作ったのです。なお、郊外にはサウド家ゆかりのディライーヤ遺跡があります。
紅海に面し、サウジアラビアの西の玄関口。メッカへの巡礼者も、多くはこのジェッダから入国し、巡礼を始めます。 また、サウジアラビアの商業、金融、貿易の中心であり、数多くの商社が支店を構える商業都市ですが、旧市街にはロシャーン様式やマシュラビーヤ様式の独特なバルコニーに飾られた古い建物が残り、スークには乳香やスパイスなどの香りが立ち込めています。
アラビア半島西岸を貫く隊商路を支配し、特にイエメンからダマスカス、エルサレム方面へ乳香を運ぶ隊商から徴収する関税で莫大な富を築いたナバテア人。隣国ヨルダンのペトラを首都とし、壮麗な建築群を残したナバテア人は、このサウジアラビアにも約9平方キロメートルにわたり都市を作り、約130もの巨大墳墓を残しました。 巨大墳墓は、一枚岩を削って作られ、正面にはアッシリアやギリシャから取り入れた模様を彫刻し、装飾を施しています。その他、岩山をくり貫いて作った宗教区画のアル・ディワーンや、雨水をためる貯水槽などが残ります。
かつてオスマントルコが建設し、ダマスカスからメディナを結んだヒジャズ鉄道の駅は、サウジアラビアに数多く残ります。 第一次世界大戦時、軍や物資の移動に使ったため、イギリスの将校ロレンス率いるゲリラ部隊が破壊工作をしたことで有名です。マダイン・サーレ駅には、駅舎跡の他、当時使われた蒸気機関車も展示されています。
マダイン・サーレ観光の拠点となる町。預言者ムハンマドも、ヒジュラ暦9年にこの町に立ち寄ったとの記録があります。 市内には、古き面影を残す旧市街の他、博物館があり、郊外には象の形をした奇岩が聳えます。