ヨルダン南部
Northern Jordan古代ナバタイ王国の遺産が残るペトラ、砂漠の民ベドウィンが暮らすワディ・ラム、紅海に面したリゾート地アカバなど多彩な見どころがあります。
ヨルダンで最も有名な遺跡ペトラは、紀元前6世紀頃アラビア半島から移住してきた古代ナバタイ人の都市遺跡です。遺跡の入り口からは徒歩もしくは馬にて1.2km程の道を進み、800mにわたるシークと呼ばれる岩の裂け目にできた道を通じて、「Hidden City」、「忘れられた都」とも言われるペトラ遺跡へと到着します。ペトラの古代都市はこのシークを通らなければ町に入ることができず、周りを岩山に囲まれているため、1,700年もの間発見されることがありませんでした。 遺跡内にはエル・ハズネやエッディール僧院を始め、無数の砂岩の岩山をくり貫いて造られた建築物が当時の姿をそのまま残しています。 遺跡は一日でもまわりきれないほどみどころがたくさんあります。ハイライトはシーク~エル・ハズネ、そして列柱道路の建築群があるあたりまでで、半日で見ることも可能ですが、できれば終日とってその他の墳墓群、エッディール僧院や犠牲の祭壇まで足を延ばすのがおすすめです。
夜のペトラ遺跡を楽しむことができるのがペトラ・バイ・ナイト。毎週月・水・木曜日の夜に行われています。シークを歩いてエル・ハズネまで往復するためおよそ2時間かかりますが、昼間とは違う幻想的な光景に時間を忘れるほどです。夜20:30頃ペトラ遺跡のメインゲートに集合。ここから歩き始めます。入り口からシークと、シークの内部がろうそく(ペーパーランタン)のあかりでライトアップされます。
ペトラの北5キロにあるナバタイの遺跡群。350mのシーク、神殿、墳墓、貯水池まであることから「リトル・ペトラ」と呼ばれています。実際にペトラの郊外のキャラバンの宿営地として使用されたと考えられています。 遺跡の入り口にはペトラと同じスタイルの神殿が築かれ、内部には墳墓と住居と思われる洞窟が残っています。 この遺跡で特徴的なのは洞窟住居内に残されているフレスコ画。ナバタイの壁画で現存する唯一のもので、かつてはベドウィンの人々の炊いた火の煙で黒ずんでいたんでいましたが、イギリスの専門家により修復され、当時のナバタイの人々のギリシャ風の壁画とその芸術性をうかがうことができます。壁画は紀元後1世紀頃のものと推定され、ぶどう、鳥、そしてフルートを吹く天使のような少年の姿が確認できます。
ヨルダン南部に位置するワディ・ラム保護区は文化と自然が織りなす景観が評価され、複合遺産として世界遺産に登録されました。ワディ・ラムは砂漠の多様な景観が特徴的で、川の流れにより形成された渓谷や自然によって形成された岩石のアーチ、切り立った崖など変化に富んだ地形を至るところで見られます。また渓谷に残された古代の壁画や碑文からは当時の人々の生活に思いを馳せる事ができます。映画『アラビアのロレンス』の撮影場所としても知られているワディ・ラムでは専用車に乗って名勝地をまわります。
オスマン・トルコの作った、シリアのダマスカスからサウジ・アラビアのメディナまで、シリア・ヨルダン・サウジアラビアをつなぐ総延長1308Kmの鉄道。1900年に着工し、1908年に開通。メッカへの巡礼者を運ぶことを目的として作られました。その後、第一次世界大戦に入るとこの鉄道はオスマン・トルコの軍事物資を運ぶことからアラビアのロレンスことT.E.ロレンス率いる「アラブの反乱」により破壊されます。 その後、何度か再建の話は上がりましたが前世開通することはなく、現在はヨルダンのアンマンの南にあるリン酸塩の鉱山からアカバ港に一日数回運行しています。時にはアンマン、ワディ・ラム、アカバの間を観光客を乗せて走る蒸気機関車もあります。この蒸気機関車は1908年の開通当時のものでドイツ製。鉄道ファンにはたまらない存在です。
※2020年4月現在 運行はされておりません。
ヨルダンで唯一海に面する町・アカバ。海の玄関口として多くの貨物船か寄航し、ここで荷揚げされた荷物が北部へ運ばれる流通の拠点となっています。また、紅海沿いのリゾート地として注目を集めおり、ヨーロッパ人にも人気が高いです。一方でその歴史は古く、5,000年以上も前の遺跡が残る他、旧約聖書にもその名が登場します。ローマ時代からアフリカとアラビア半島を繋ぐ交易路として、イスラムの時代にはメッカ巡礼者達の中継地として栄えました。現在ではビーチでゆっくりと過ごしたり、スキューバダイビングなどを楽しむ観光客で賑わいます。