イラン中部・南東部
Central & Eastern Iran16世紀後半からサファヴィー朝の首都として栄華を極め、多くの歴史的建造物が残る「イランの真珠」イスファハンや、イランを代表するペルセポリスなど、見どころの多い中部・南東部のご紹介です。
16世紀後半からサファヴィー朝の首都として栄華を極めたイスファハンには現在も多くの歴史的建造物が残り「イランの真珠」の異名も持っています。当時「世界の半分」と呼ばれていただけあって、現在もたくさんの見どころがあります。
テヘランとイスファハンの間にある小さな町カシャーン。砂漠の中のオアシス都市でガナートと呼ばれる地下水路が発達しています。日干しレンガの家が立ち並ぶ旧市街では、古き良き昔ながらのイランの雰囲気を味わうことが出来ます。 アブヤーネ村はカシャーンから南東に70km離れたキャルキャス山麓の渓谷にあります。かつてゾロアスター教徒の村だった名残か、女性は花柄のスカーフやスカートを履き、男性はすその広いズボンを履いています。村には拝火教神殿跡も残っています。
イランのほぼ中央に位置する、ゾロアスター教(拝火教)の聖地とも言われている町。いくつかのゾロアスター教の寺院も見学することが出来ます。標高は1215mですが砂漠の中にあるため、乾いた熱風と刺すような日差しが特徴です。
イランの南部、ファールス州の州都。バラで有名な町で、シーズン(5月~6月)には町中できれいに咲き誇ります。またイランの4大詩人のうち、ハーフェズとサアディーを輩出した町としても知られており、彼らの廟にはきれいに整備された庭園があり連日多くの人が訪れます。アケメネス朝時代の遺跡ペルセポリスへも日帰りで行ける距離です。
シラーズより北に約60kmのところにあるアケメネス朝時代の大都城址。ダリウス1世(紀元前522-486)によって建設された政治的儀式のための都市でした。当時の広さは12万5000㎡にも及ぶ大都市でしたが、紀元前331年マケドニアのアレクサンダー大王によって陥落し、廃墟となりました。 見どころのひとつに挙げられるのが宮殿へと続く大階段の側面に描かれたレリーフです。内容は珍しい動物やアケメネス朝へ奉げ物を運ぶ国民ですが、さまざまな民族が描かれており当時のアケメネス朝の領土の広さがうかがえます。緻密なレリーフや、宮殿跡を眺めていると当時の栄華が蘇って見えてくることでしょう。
岩山にダレイオス1世などアケメネス朝の歴代王の墓が4つ並んでいます。その横には馬にまたがるシャープール1世の前に、捕虜となったローマ帝国皇帝ヴァレリアヌスが跪く姿を描いた「騎馬戦勝図」と名づけられた3世紀のレリーフも残っています。またゾロアスター教の神殿と思われる建物も見ることが出来ます。
岩山にササン朝時代のレリーフが残っています。レリーフはアルデシル1世、シャープール1世の戴冠の様子やササン朝初期の聖職者が描かれています。
シラーズの北東130km、紀元前546年頃にキュロス大王の下建設が始められたアケメネス朝の最初の首都があった場所。そのキュロス大王の墓や宮殿跡、ゾロアスター教神殿跡などが残っています。 ギリシャの歴史家によると、アレクサンドロスはペルセポリスを破壊した際にこのキュロス大王の墓を訪問したとされています。その時、内部には金色のテーブル、ベッド、杯、宝石類とともにやはり金色の棺が見つかったそうですが、現在それらの痕跡は見られません。
イラン南部にあってペルシャ湾に長い海岸線をもつ同名の州の州都。歴史は深く紀元前3世紀頃からのアルサケス朝、ササン朝時代にはペルシャ湾の要港であったとの記録もあります。7世紀にアラブの侵略を受け衰退の途をたどりました。 また1856年のイギリス・イラン戦争で降伏しイギリス植民地になり、その当時の旧港も残っています。近郊にはササン朝時代のレリーフがきれいに残るビシャプール遺跡もあります。
ササン朝2代目皇帝シャープール2世(241-272在位)によって建設された都市。6年間の歳月をかけて作られたこの都市は山を背にし、川を臨む美しい街づくりを目指し、碁盤の目に街路を走らせたギリシャ的な方形プランでした。 ビシャプールとは「美しいシャー(皇帝)の町」と言う意味です。美しい文様で装飾されていた王宮のほか、シャープール1世の石像を配置した皇帝の廟洞や、壮大な拝火教神殿がありました。
パキスタンやアフガニスタンからも遠くないイラン南東部に位置する町。小さな町ですが、2004年ユネスコの世界遺産に登録されたサファビー朝時代の城砦「アルゲ・バム」があることで有名です。アルゲ・バムはササン朝時代に最初の城が建てられ、17世紀のサファビー朝に最盛期を迎えた城砦都市。18世紀になってアフガニスタンのカンダハルからの勢力に攻め入られ、以来、「死の町」と化していますが、いまだ威厳ある姿で残っています。