秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

インドみどころガイド

ラジャスタン

Rajasthan

インド北西部に位置するラジャスタン州は「ラージプートの土地」が語源になった、誇り高き勇敢なラージプートの故郷です。ここはインドで一番大きな州。西部には広大な砂漠が広がり、色鮮やかな原色の民族衣装が映え、インドの中で最もエキゾチックで幻想的な州といっても過言ではありません。 ラジャスタンの州都でもあり、「ピンクシティ」の別名を持つジャイプル、湖の町ウダイプル、荘厳な城砦を擁する「ブルーシティ」ジョードプル、砂漠に浮かぶ黄金の町「ゴールデンシティ」ジャイサルメールなど、みどころは数知れず。間違いなくラジャスタンはインド屈指の主要観光地と言えるでしょう。

ジャイプール/ Jaipur

インド北西部のラジャスタン州の州都。別名「ピンクシティ」とも呼ばれ、旧市街の市壁や主要道路沿いの建物は赤砂岩でできています。1728年にジャイ・シン2世によって造られた町で、旧市街はインドの歴史的都市としては珍しく、碁盤の目状になった都市計画に基いています。早朝や夕方には、車道を悠然と歩くゾウやラクダの姿が見られることでしょう。


シティパレス

1733年に完成したムガール建築の影響を組んで造られた宮殿です。サワイ・ジャイ・シンがアンベールから移り住み、今も王族の方々が暮らしています。王族の方が住むエリアには立ち入ることができませんが、旗が揚がっている時は王族の方がいらっしゃるそうです。 いくつかの建物は現在博物館となっています。謁見の間に置かれている銀製の大きな壷2つは、世界一の大きさとしてギネスブックに登録されています。1902年、マハラジャがイギリスへ船で渡航する際に、沐浴用にガンジス川の水を入れていくために作られたものです。

風の宮殿(ハワ・マハル)

1799年にサワイ・プラテープ・シンによって造られました。シティパレスの東側、大通りに面して立ち、宮廷の子女が外から姿を見られずに町を眺めるため、建物の表面全体が石製の格子からできています。 奥行きが非常に狭い薄っぺらい建物です。写真は大通りの対面から撮っても、全体を入れるのは難しく、少々斜めから撮られるとよいでしょう。

天文台(ジャンタルマンタル)

ジャイプルの町を造ったジャイ・シン2世は天文学に非常に造詣が深く、ペルシャやヨーロッパの書物まで集めるほどでした。 デリー、ウジャイン、ベナレス、マトゥラーと計5箇所に天文台が建造されましたが、ジャイプールのものが最大規模を誇ります。 これらの原型は3世紀前にさかのぼるウズベキスタン・サマルカンドのものです。観測儀コンプレックスの中には、それぞれ異なった角度で12星座に向かっているものがあります。是非ご自身の星座の観測儀を探してみてください。

シティパレス
風の宮殿
ジャンタル・マンタル

アンベール城/ Amber Fort

1727年にジャイプールへ都が遷都されるまで、カッチャワ・ラージプート族の首都がアンベールでした。イスラムとラージプートの混合様式で建てられており、北側から一列に4つの中庭が並びますが、ガネーシャ門に続く3番目の中庭はシンメトリーが美しいイスラム調に仕上がっています。 小山の上に建つため、行きはゾウタクシーを利用されるといいでしょう。現在は1頭に付き、2名乗りです。ゾウタクシー代金の他に、下りる際にはチップをドライバーに通常渡します。上りと下りはルートが異なります。下りは歩くかジープをご利用ください。道沿いに客待ちのジープが止まっています。

アンベール城
アンベール城のゾウタクシー

ウダイプル/ Udaipur

ウダイプルは別名を「ホワイト・シティ」と呼ばれ、ピチョラー湖を中心に広がるオアシス都市です 。その名の由来となった町のランドマーク「シティパレス」は、代々のマハーラーナー(王様)によって増築され、湖の東岸にその優雅な姿を横たえています。 ピチョラー湖の中心に浮かぶ「レイクパレスホテル」は、一度は泊まりたい憧れのホテルとして有名です。

シティパレス

街の創設者、マハラーナー・ウダイ・スィン2世によって建設が始められたシティパレス。白亜の宮殿内にはマハラーナーがかつて使用していた輿やゆりかご、武器や装飾品などたくさんの宝物が展示されています。マハラーナーの体重と同じ重さの金が民衆に与えられていたという逸話からも、当時の豪華な暮らしぶりが偲ばれます。テラスからは湖と街の美しい眺めを見晴らすことができます。

レイクパレスホテル

18世紀に別荘として建てられた大理石の建物で、現在では世界で最も高級なホテルの1つとして知られています。ラジャスタン州を訪れたなら一度は泊まってみたい宮殿ホテルです。

ロークカラマンダル博物館

ラジャスタンの伝統芸能の1つ、操り人形劇の博物館です。ラジャスタンだけでなくインド全土の人形・化面・楽器などが集められた素朴な展示物を見学したあとは、実際に人形劇のショーを楽しむことができます。 ショーの最後には人形の動かし方を種明かししてくれることも。この人形劇は、お祭りや人通りの多い街角などラジャスタン各地で見られます。

シティ・パレス
ピチョーラ湖に浮かぶレイクパレスホテル
操り人形(ロークカラマンダル博物館)

チットールガル城/ Chittorgarh Fort

ウダイプルから日帰りでも訪れることができるチットールガル城。誇り高き勇敢な戦士として知られたラージプートの都は、その歴史の中で3度外部からの侵略を受け、敗北の屈辱より死を選びました。華やかなウダイプルやジャイプルの宮殿に比べ、しっとりと落ち着いた雰囲気につつまれた場所です。チットールの街に沈む夕日を、中世の戦士達もこうして眺めたのでしょうか。 リキシャーに分乗して砦の中腹へ。貯水池に面して小さな宮殿、パドミニー宮殿が建てられています。貯水池の中央には小さな水汲み場(写真)があります。王様は宮殿の中に大きな鏡を設置し、水汲みに来たお姫様が水面に映る姿を、さらに鏡に映してこっそり眺めていたそうです。 勝利の塔は15世紀に建てられた9階建ての塔。周囲には戦争で殉死した夫の後を追って、自ら命を絶った女性達の墓石があります。こうして16世紀までに1万3000人を越える女性が亡くなりました。現在では地元の人たちが家族連れで集まり、ピクニックを楽しむ姿が多く見られます。

ラージプートの悲劇の舞台となった城塞チットルガール城

ジョードプル/ Jodhpur

ラジャスタン州の州都ジャイプルから西へ約300km、広大なタール砂漠の入り口にある町がジョードプルです。1459年にマールワール王国の首都として、ラートール家の王ラーオ・ジョーダによって創設されました。 長さ10kmもの城壁に囲まれた旧市街のほとんどの建物が青色に統一されているため、ジョードプルは「ブルーシティ」と呼ばれています。 もともと青色の家はバラモン階級(僧侶、祭司)の家を意味し、バラモンは殺さないようにとの区別もされていたそうですが、今日ではバラモン以外の人々も家を青色に塗っています。この青色は蚊を寄せ付けない効果や体感温度を下げる効果もあるそうです。

メヘランガル城

130mの切り立つ岩山に、高さ36m、厚さ24mにも達する城壁を積み上げて築いたまさに「荘厳な砦」です。1459年にラーオ・ジョーダが新都ジョードプルのシンボルとして建設し、その後増改築が繰り返されました。メヘランガル城から旧市街を見下ろすと、自分の目で「ブルーシティ」を実感することができます。今でもマハーラージャが所有しており、現在では博物館として公開されている城砦内には、インドの王室の権威を示す華麗なコレクションが展示されています。 7重になっている城砦の門の中で、最後の門であるローハー・ポール(鉄の門)の脇の壁面には、多数の手形の浮き彫りがありますが、これは、1843年にマハーラージャ・マン・スィンが亡くなり火葬される際、その火中に身を投じて殉死した妃たち(この習慣はサティーと呼ばれています)を表しています。 メヘランガル城では、日本語オーディオガイドを借りることができますので、ポイントごとに説明を聞きながら、効率よく回りましょう。城砦の内部は非常に広いので、時間のない方や疲れている方はエレベーター(有料)を利用されるといいかもしれません。

ウマイド・バワン宮殿

1929年に着工され、3000人の労働者が15年の歳月をかけて完成させた、マハーラージャー・ウマイド・スィンの宮殿。 町を臨む丘の上に建つ重厚なチタール砂岩の宮殿は、市街からでもその姿を臨めます。現在もマハーラージャーの一族が住んでいますが、建物の半分は宮殿ホテルとして営業されており、その規模と豪華さはインド有数です。王族の装飾品や骨董品等を展示する博物館は一般公開されています。

メヘランガル城と「ブルーシティ」ジョードプル
ウマイド・バワン宮殿

ジャイサルメール/ Jaisalmers

ジョードプルからさらに西へ287km、パキスタンとの国境まで100kmの距離。1156年にバッティ家の王ジャイサルによって創設されたジャイサルメールは、インドと中央アジアを結ぶラクダ隊商の交易路の中継地にあり、最盛期には11万人の人口を擁するほど繁栄した都市国家でした。そのため、街には莫大な富がもたらされ、商人や貴族たちは競って、豪華な装飾彫刻を施した立派な邸宅を建てました。 スエズ運河の開通や、インド・パキスタンの分離独立などにより、かつての東西交路のオアシスは衰退してしまいましたが、「ゴールデン・シティ」の異名を持つこの街は、今もなお優雅なハヴェーリーなど中世の家並みを残しており、多くの人を惹きつけています。

ジャイサルメール城塞

1156年にバッティ家の王ジャイサルにより建設された黄砂岩の強固な城塞は、「黄金の都市」ジャイサルメールのシンボルです。旧市街に住む人々の約25%は今もこの城壁内に暮らしており、民家や商店・露店が建ち並び、活気溢れる路地裏などは、城塞都市としての面影を留めています。 城内には、シティ・パレスの他に、美しい彫刻が施された12~16世紀のジャイナ寺院群もあります。見学時には宗教上の理由で皮革製品(靴・ベルトなど)は寺院内に持ち込めませんので入口で預けましょう。

キャメル・サファリ

ジャイサルメールから約42kmのところにサム砂丘があり、キャメル・サファリを楽しむことができます。数時間の体験コースから、砂漠の村々を訪れながら何泊も砂漠で過ごす長期のサファリツアーなど様々です。せっかくここまで来たのであれば、ぜひラクダの背で揺られながら、砂漠の熱風を肌で感じ、満天の星空を味わってみてはいかがでしょうか。 ご参加の際は、飲料水等の他、帽子やサングラスなどの日除け対策、スカーフやマスクなどの砂埃対策もお忘れなく!また、日除けと防寒を兼ねて、長袖・長ズボンでご参加されるとよいでしょう。

ハヴェーリー

ラクダ隊商の中継地として栄えたジャイサルメールには、貴族や富豪商人たちがこぞって建てた「ハヴェーリー」と呼ばれる豪華な邸宅がいくつも残っています。これらのハヴェーリーには、黄砂岩の建物に美しい壁面装飾が施されており、出窓や全面に刻み込まれた精緻な装飾彫刻は非常に素晴らしいものです。その中でも有名なハヴェーリーをいくつかご紹介します。

Patwon ki Haveli (パトウォン・キ・ハヴェーリー)
5階建ての本館を中心に3つの別館からなる、最も大きく豪華なハヴェーリーです。18世紀に宝石商だったパトワ家の5兄弟が建てたもので、全面を覆うレースのような精緻なレリーフに目を奪われます。

Nathmal ki Haveli(ナトマル・キ・ハヴェーリー)
19世紀後半にジャイサルメールの宰相だったデワン・ナトマルの私邸で、今でも大家族が暮らしています。右棟と左棟は、一族の兄弟が別々に建てたので、建物の装飾は似ているようで左右で微妙に趣が異なります。

Salim Singh ki Haveli(サリーム・シン・キ・ハヴェーリー)
18世紀頃の宰相サリーム・スィンの邸宅で、最上階が下層階よりも広く、まるで展望台のように設計された7階建ての建物です。数多く連なる美しいアーチの屋根には見事な孔雀形の椀木があります。

ジャイサルメールの街並みとその向こうに聳えるジャイサルメール城塞
キャメル・サファリ
パトウォン・キ・ハヴェーリー
ナトマル・キ・ハヴェーリー
サリーム・シン・キ・ハヴェーリー

ビカネール/ Bikaner

ビカネールは、1488年にジョードプルの創設者ジョダーの子孫にあたるラーオ・ビーカによって建設された町です。 東西交易の通商路の重要な中継地として栄えた砂漠都市の一つで、16世紀創建の壮麗なジュナーガル城、レトロな雰囲気漂う旧市街のハヴェーリー(邸宅)、色鮮やかな壁画と彫刻で知られるジャイナ教寺院、何千匹もの聖なるネズミが信仰されている珍しいカルニ・マーター寺院等の他、郊外ではキャメル・サファリを体験することもでき、隠れた見どころの多いオアシス都市です。

ビカネール旧市街のハーヴェリー

マンダワ/ Mandawa

デリーから近いラジャスタン州の一地方であるシェカワティは、1549年にマハラジャ・シェカが町を造ったことに遡ります。シェカは王の名前、ワティは庭を意味し、その名も「王の庭、Garden of Sheka」。シェカワティに25あるとされる村で最も美しいといわれるのがマンダワです。みどころは「ハヴェリ」と呼ばれる豪華に装飾されたこの地方の伝統住居。 マンダワはシルクロードの中継地として栄え、各地に進出した「マルワリ商人」はその富を誇示するためにハヴェリの壁面をフレスコ画で飾りました。また、これらのフレスコ画は周囲を砂漠に囲まれたラジャスタンの暮らしに色彩を与えました。

フレスコ画に彩られたハヴェリー
「歓迎する象」のモチーフ

サンガネール/ Sanganer

ジャイプルから南へ約16km。サンガネールは木版染めで有名な町です。花柄模様のインド更紗を作るブロック・プリントの工房が数多くあり、職人たちの手作業を見学することができます。 雨季の後なら、川岸に天日干しにされた何千枚もの更紗を目にするかもしれません。近くには、紙工場やブルー・ポッタリーの工房もあり、サンガネールはまさに職人の町といえるでしょう。

ブロック・プリントの木版
手作業で行われる木版染め

PAGE TOP