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インドみどころガイド

アルナチャール・プラデーシュ

Arunachal Pradesh

インドの最東北に位置する「日が昇る場所」、アルナチャール・プラデーシュ州。壮大なチベット仏教僧院が点在し、30にも及ぶ少数民族が独自の生活習慣を守って暮らしています。インド国籍の人でさえ今なお入域に特別許可を必要とする、この知られざる州のみどころをご紹介いたします。

タワン/ Tawang

標高約2,800mのこの地は敬虔な仏教徒であるモンパ族の中心地でもあり、ダライ・ラマ14世の亡命ルートとしても非常に有名です。人口約5000人程のこの街には仏教僧院が点在し、その街を見下ろすかのように壮大なタワン僧院が聳えています。

山上に建つ壮大なタワン僧院
人々は敬虔な仏教徒

タワン僧院
正式な名前はTAWANGGALDENNAMGYALLHATSE。「神の馬に選ばれし天上界の最も神聖な場所」という意味をもつ僧院です。1681年にMERALAMALODREGYALTSOによって、タワンの街を見下ろすこの場所に建てられました。現在も500人の僧が住むこのゲルク派の僧院は1997年に改修工事が終了し、同年10月15日にダライ・ラマ14世によって法要が営まれました。博物館も併設されているこの僧院は、ダライ・ラマ14世がチベットから亡命してきた際に、最初に落ち着かれた僧院としても非常に有名です。

タワン僧院
六道輪廻の曼荼羅
経文を学ぶ小僧さんたち

カーラチャクラ僧院
1997年にダライ・ラマ14世がカーラチャクラの灌頂を行った際に建てられた僧院。僧院前に広がる広場からは、山の上に聳えるタワン僧院の雄姿を望むことが出来ます。

カーラチャクラ僧院

ウルゲリン僧院
ダライ・ラマ6世TSANGYANGGYATSO生誕の地であるこの僧院。1489年にウルゲン・サンポによって建てられました。元々はニンマ派の僧院でしたが、ダライ・ラマ6世がこの場所に生まれ変わってきた事をきっかけにゲルク派の僧院となり、それに怒ったブータン軍がこの僧院を破壊してしまいました。現在見ることが出来るのはその後1689年に再建された僧院。1階には7つのチョルテンが並んでいます。僧院入口の右手に建つ大きな木は、元々ダライ・ラマ6世の杖だったのだそうです。6世がラサに向かう時に自分の杖を地面に刺し、「この杖が木になり、大きく育って僧院と同じ高さになった時に、私はこの場所に戻ってくる」と言い出発しました。1959年。14世がチベットから亡命しタワンにたどり着いた時、その杖の木は大きく育ち丁度僧院と同じ高さになっていたのです。

ダライ・ラマ6世生誕の地に建つ
タルチョが巻かれた大きな樹木

尼僧院
タワンの街の北方にある丘の上に、小さな尼僧院が建っています。そこには小さなお堂があり、堂内の左壁には大きな古いタンカが掛けられています。この尼僧院はタワン僧院よりも高い場所に建ち、途中の道からはタワン僧院を上から望むことが出来ます。

尼僧院の内部

タワン郊外/ Around Tawang

ジミタン
ダライ・ラマ14世がチベットから亡命した際、最初に辿り着いたのがこの街です。何もない小さな集落ですが、街の上から先を眺めるとそこには確かにダライ・ラマの亡命ルートが通っているのを見ることが出来ます。この街の周辺には、モンパの一系等であるパンチェンパと呼ばれる人々が住んでいます。

ゴルサム・チョルテン
1997年にダライ・ラマ14世がカーラチャクラの灌頂を行った際に建てられた僧院。僧院前に広がる広場からは、山の上に聳えるタワン僧院の雄姿を望むことが出来ます。

マンナム
ゼロポイントと呼ばれている道中の小さな集落。隣国のブータンのすぐ近くにあり、道沿いには“ブータンまであと30km”の道路標識が建てられています。残念ながら外国人はこの国境を通ることが出来ませんが、この国境を越えたブータン側にはモンパと同じような文化・風習をもつブロクパと呼ばれる人々が暮らしています。

ジミタンのチョルテン
ジミタンの民家
ゴルサム・チョルテン

タワンへの道中(ボンディラ ~ タワン)/ Road to Tawang

ボンディラ
アルナチャール西部は、仏教僧院が建ち並ぶチベット仏教文化圏でその入口でもある街。標高約2,400mの場所に位置し、主にミジ族やモンパ族が居住しています。街には「下の僧院(ロウアーゴンパ、正式名称「THUBCHOGGATSELLING」)」と呼ぶ僧院があり、この僧院のヘッドラマはグル・リンポチェ。ニンマ派の開祖とされるパドマサンヴァバの転生活仏です。また、ロウアーボンディラと呼ばれる地域にはバザールが広がっています。

ボンディラのロウアーゴンパ
ロウアーゴンパの内部

ディラン
標高1,600m、タワン地区に入る手前の最後の大きな街。川沿いにある非常に雰囲気の良いこの村の周辺には、最近栽培に力を入れているキウイフルーツの畑が広がっています。住んでいるのは主にモンパ族。この辺りまで来ると雰囲気は完全にチベット仏教圏になります。
<カストゥン僧院>
17世紀に創建されたディランの中心の僧院。僧院へと通じる門には珍しいモンパ族の壁画が残り、ここからは昔の中心地であったディラン・ゾンの全容を望むことが出来ます。

石造りの建物が並ぶディランの街並み
ディランに暮らす人々
祭りを楽しむ様子を描いた壁画(カストゥン僧院)

セ・ラ(峠)
2つの地区の境界となる標高4,200mの峠。色鮮やかな無数のタルチョが風に揺られ、チョルテンが点在しています。周囲には2つの湖があり、晴れていればその神秘的な姿を望むことが出来るでしょう。

雪が積もった冬場のセ・ラのゲート

ジロ/ Ziro

山間部の小さな盆地に開けた村。下スバンシリ地区の中心地でもあるこの村には、アパタニ族が暮らしています。小さな村ですが、村巡りや予想以上に充実した展示内容の博物館もみどころの一つ。小さな博物館ながら、展示されている品々はアルナチャール各地から集められた一級品ばかり。州内に住む多くの少数民族の日用品や装飾品、民具や布などが所狭しと展示されています。残念ながら展示物の写真撮影は禁止されていますが、まさに一見の価値ありです。空港もあり、昔は定期便も飛んでいたそうですが、現在は乗る人も少なくチャーターベースの空港になっているようです。宿泊地になるのはすぐ隣のハポリという新市街。何泊か滞在してじっくりと村巡りをしてみるのがお勧めです。

ミトン牛の親子
ジロのマーケット
アパタニ族の女性
ジロの街並み
ジロで行われるミヨコ祭りの儀式

アルナチャールに住む人々/ People of Arunachal Pradesh

アパタニ族
今なお「ドニ・ポロ」と呼ばれる太陽と月の精霊を崇めているアパタニ族。 高床式の家に住み、各家の前にはアギャンと呼ばれる竹で編んだ魔除けが置かれています。アパタニ族は竹を大事にし、各村の周囲には必ず村で管理する竹林が広がっています。また、各村の手前には田んぼが広がり、お米を作って生活しています。面白いのは田んぼのあぜで四国稗を作っていること。限られた土地を有効に活用しており、ここで採れた穀物は村の入口やはずれに作られた木で出来た穀物庫に保管されています。また各村の中は小さな結いのようなグループがあり、そのグループごとに「ボボ」と呼ばれる大きなポールと、集会場である「ラパン」があります。アパタニ族を最も特徴づけるのは、女性が顔に施す刺青と籐の栓を鼻にはめ込む習慣。周囲に住むニシ族等他部族の男性が美しいアパタニ族の女性をさらって行くのを防ぐため、あえて女性の姿を醜く見せる目的でこの風習が始まったとのこと。アパタニ族の苦難の歴史を物語っています。

ノーズプラグ(鼻栓)をしたアパタニ族の女性

ニシ族
西カメン、クルン・クメイ、パプム・パレ、下スバンシリの各地区に住んでいます。彼らの祖先は、はるか昔にチベットからこの地にやって来たといわれています。竹で編んだ帽子をベースに、孔雀の羽や熊の皮、サイチョウの嘴などで飾った「ビョーンパ」又は「ボパ」と呼ばれる帽子を被っているのが特徴的です。 彼らの持つ刀の鞘は、猫科の動物の頭蓋骨や貝殻で美しく装飾されています。高床式の長屋に住む彼らの住居は木と竹で建てられており、元々は椰子の葉で屋根を葺いていましたが、時代と共にバナナの葉やトタンへと変化してきています。

ニシ族の男性
ニシ族の伝統的な高床式の長屋

モンパ
主にタワン地区と西カメン地区に居住するモンパ族。ヤクの毛をフェルト状にして作った「ジョモ」という帽子をかぶっていて、女性はラック虫で染めたロウシルクの貫頭衣を身に纏い、男性は赤いフェルトのジャケットを着ています。モンパの中でも様々な系統があり、タワン地区にはタワン・モンパ、パンチェンパ、ブロクパと呼ばれる人々、西カメン地区にはディラン・モンパ、カラクタン・モンパ、ブド・モンパと呼ばれる人々などが暮らしています。信仰についてはブド・モンパのみアニミズムで、その他のモンパは敬虔な仏教徒です。

モンパ族にとって羊は大切な財産
臙脂色の衣装を纏ったモンパ族の女性

パンチェンパ
上記のモンパの一系統であるパンチェンパは、チベットとの国境に近いジミタン周辺に住んでいます。一切の肉食を禁じる彼らの帽子は、他のモンパの帽子とは少し異なったもの。同じようにヤクの毛のフェルトで作っていますが、そこに孔雀の羽根を竹で固定した飾りをつけています。

孔雀の羽根の付いた帽子を被った男性
パンチェンパの女性

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