インドの旅
インド亜大陸を構成する広大な国土、13億の人口を持つ世界最大の民主国家、インド。一言で「インドとは」と語ることのできないほど地理的にも文化的にも非常に多様性に富んだ国です。長い激動の歴史の中で様々な宗教を生み出し、多くの文化遺産、自然遺産が残されてきました。そんな「インド」の魅力をご紹介します。
インド亜大陸を構成する広大な国土、13億の人口を持つ世界最大の民主国家、インド。一言で「インドとは」と語ることのできないほど地理的にも文化的にも非常に多様性に富んだ国です。長い激動の歴史の中で様々な宗教を生み出し、多くの文化遺産、自然遺産が残されてきました。そんな「インド」の魅力をご紹介します。
「旅の玄関口」デリー。この都市は、はるか昔から存在した歴史的な都でもあります。インド共和国の首都として、その政治と経済を担い、州と同格に扱われる連邦直轄領に位置づけられています。
言わずと知れたインドの至宝「タージ・マハル」がこの町にある事から、インドを旅する人がまず最初に訪れるのがアグラ。ムガール朝時代の古都です。
カジュラホとジャンシーの間、ベトワ川沿いの小さな村オルチャ。ここには16世紀から18世紀まで、ヒンドゥー教であるラージプート族の都バンデラ王国が布かれていました。
バラナシはヒンドゥー教、仏教の一大聖地です。この神聖な土地は三島由紀夫の「豊饒の海」、遠藤周作の「深い河」の舞台として登場し、沢木耕太郎や長渕剛などの著名人もここバラナシを訪れました。現在も多くの旅行者たちの憧れの土地です。
カジュラホはインドの中央「マディヤ・プラデーシュ州」にある人口約5000人弱の小さな村です。この小さな村を世界的に有名な観光地にしたのが紀元後950~1050年に建てられた85ものヒンドゥー教寺院に刻まれた「愛の彫刻」です。
アムリトサルは、デリーの北西約450km、パキスタンとの国境近くにあるパンジャーブ州最大の都市です。
仏教の発祥地としてあまりにも有名なインドには、現在も世界中から多くの巡礼者が訪れます。
インド北西部に位置するラジャスタンはインドで一番大きな州。「ラージプートの土地」が語源になった、誇り高き勇敢なラージプートの故郷です。西部には広大な砂漠が広がり、色鮮やかな原色の民族衣装が映えます。
マハラーシュトラ州中部の町・オーランガバードの近郊に、インドが誇る珠玉の2つの遺産が残されています。
現在のムンバイは7つの島々から構成され、インドの中でも商業の中心地として発展してきました。その歴史は古く、最初に確認されている歴史は紀元前2世紀頃よりこの辺りには漁民が住んでいたと言われています。
インド西部に位置するグジャラート州。中心都市のアーメダバードは工業化が進み、インドの中でも最も豊かな州の一つです。
2千年前のアショカ王時代のストゥーパ(仏塔)がほぼ完全な形で残るサンチー遺跡、1万年前にさかのぼるといわれるビーマベトカの岩壁画。
インドでも1,2を争うほど豊かなマハラジャがいたマイソール王国が州となり、後にカルナータカ州へと改名されました。
東はベンガル湾に面し、西はケララ州とは西ガーツ山脈を隔てて隣接しています。タミル・ナードゥはドラヴィダ文化の宝庫といわれています。
44の河をもつ、緑豊かな「楽園」をイメージさせる土地。 この地では、紀元前3世紀頃からすでに交易が盛んに行われており、エジプト、フェニキア、中国、バビロニアなどの地方からやってきた人々で賑わいを見せていました。
西ベンガル州の州都。イギリス統治時代は「カルカッタ」の名称で知られていました。ムンバイに次ぐインド第二の人口を誇る大都会で、インドで最初に地下鉄が通った街でもあります。
世界屈指の高級茶葉ダージリン・ティーの産地として知られるダージリンは、インド国内でも有数の避暑地となっています。ヒマラヤの名峰カンチェンジュンガの勇姿をバックに、イギリス植民地時代の名残を色濃く残す町並みと広大な茶畑が標高2,100mの山腹に広がっています。
インドの最も東北に位置する「日が昇る場所」アルナチャール・プラデーシュ州。壮大なチベット仏教僧院が点在し、30にも及ぶ少数民族が独自の生活習慣を守って暮らしています。
オリッサ州はかつてはカリンガ国と呼ばれ、バリ島やスマトラ島、ジャワ島あたりと交易をする海運王国でしが、マウリア王朝三代皇帝アショカ王によって、紀元前260年頃に制圧されます。
中国、チベット、ネパールに囲まれるシッキム州は、かつてチベット系王家が統治する王国でした。19世紀には、イギリスがインドを植民地にしたことから、シッキム王国はイギリスの保護領に。1947年のインド独立後、シッキム王国の支配権はインドへ引き継がれました。そして1975年、約3世紀続いたシッキム王国は消滅し、インドの第22番目の州「シッキム州」が誕生しました。
「ナガ族」とはこのナガランド州周辺に住む方たちの総称です。現在16部族もの異なった「ナガ族」たちが今なお昔ながらの民俗風習を守って生活しています。
1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命しチベット亡命政府を樹立して以来、チベット仏教文化の拠点となっている街。「リトル・ラサ」とも呼ばれています。
無数の仏像と壁画で堂内が埋め尽くされたタボ・ゴンパなどの古刹が点在する、インドヒマラヤの谷。悠々と流れるスピティ川と断崖が織りなす雄大な景観は、インド亜大陸で一番といっても過言ではない絶景です。
標高3,500mの荒涼たる茶褐色の大地、乾いた大地に恵みをもたらすインダス川、要塞を思わせる岩山に築かれた大寺院、信仰篤く厳しい自然と共存して生きる人々。インドの中の別世界、秘境小チベットがラダックです。
ラダックの中心地、レーから約450㎞。標高4,000m級の峠を越え、流れ落ちる大氷河の脇を走り抜け、ようやく辿りつけるもうひとつの「チベット世界」がザンスカールです。
ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都シムラーから東へ。 キナール地方と呼ばれる州南部のサトレジ川沿いを走り抜け、入域に特別許可が必要なチベットとの国境地帯を進むとスピティ谷に辿り着きます。
クル渓谷の北部、標高約2,050mの大自然の中に位置する人気の保養地。雨季、標高約3,980mのロータンパス付近には、ブルー・ポピーをはじめとした色とりどりの高山植物が咲き乱れ、気軽にハイキングや花観察を楽しめるスポットとしても知られています。
ラダックのアルチから、4,000mの峠を越えてインド最北部・ヒマラヤ山麓の地ザンスカールへ。 高峰群や大氷河、荒野、湿原など、インドヒマラヤの変化に富んだ大自然も大きな見どころ。
シュリーナガルはインド最北部、ジャンムー・カシミール州の町。ムガール帝国のジャハーンギール帝に"予はカシミール以外に何も望まない"と言わしめたシュリーナガルは、夏でも標高が1,700m近くあるため涼しく、山間にはダル湖が美しく水を湛える「水の都」です。
名称 | インド共和国 Republic of India |
面積 | 328万7590k㎡ |
人口 | 約13.3億人(2018年) |
首都 | デリー Delhi |
時差 | 日本との時差 -3時間30分 |
公用語 | 公用語はヒンディー語を含む18言語。他に地域ごとに多くの言語があり、英語も広く使用されいます。 |
通貨 | ルピー |
日焼け止め | 冬でも紫外線は強く、日焼けします。最近はどの町でも手に入りますがインド製がほとんどです。気になる方はいつも日本で使っているものがあれば持っていったほうがよいでしょう。 |
常用薬 | 飲みなれて安心できるものを持っていきましょう。インドの薬は日本人には強すぎるものが多いので、必携です。 |
折りたたみ傘 | 一本あると便利です。雨が降らなくても日傘としても使えます。 |
マスク・うがい薬 | 街中は非常に埃っぽいので、あると重宝します。のどから風邪をひいたりしないためにも持って行きましょう。 |
虫除けスプレー (ガス式でないもの) |
日本製はよく効きます。こちらも蚊以外の虫にも使えるのであらゆるところで活躍します。 |
蚊取り線香 | 現地でも手に入りますが、インドの蚊取り線香は蚊が逃げるだけで、なかなか死にません。蚊が殺せる日本製が重宝します。 |
懐中電灯 | これは必携です。インド都市部では停電は少ないですが、ちょっとした田舎では1日に何度も停電することがあります。 観光地であるアジャンタやエローラ石窟寺院などでも役に立ちます。予備電池も用意していくと良いでしょう。 |
目薬 | 埃っぽい街中では重宝します。インドでは薬としての目薬は手に入りますが、ちょっとさしたいときの目薬はなかなか手に入りませんし、薬局で症状を説明するときも大変です。眼病予防のために1つはあるとよいでしょう。個別包装されているものが便利です。 |
インドのビザは、東京はインド大使館・大阪は在大阪インド総領事館にて申請します。
[東京] 東京インド大使館
〒102-0074 東京都千代田区九段南2-2-11
Tel:03-3262-2391~97
※管轄区域:愛知、岐阜、福井以東の都道府県と沖縄
[大阪] インドビサ申請センター
〒541-0056 大阪府大阪市中央区久太郎町1-9-26 船場ISビル10階
Tel:06-6261-7299
※管轄区域:滋賀、三重、京都以西の都道府県(除く沖縄)
インドの国際空港はいくつもあります。 ここでは、北インドの玄関口・デリーのインディラガンディー空港の場合についてご紹介します。
空港の手続きは変更になることもあります。 参考情報としてお読みください。
・入国審査
航空機はボーディングブリッジに到着します。ターミナルは1つだけで、すべての乗客は同じ方向へ進みます。流れにそってターミナルに入り、エスカレーター又は階段で1階に降りると、入国審査場です。入国審査場は、「FOREIGNER(外国人)」「INDIAN(インド人)」に分かれています。カウンターでは、入国カードとパスポートを提出して入国審査を受けます。 審査後、カウンターを離れる前に入国スタンプが到着した日の日付で押されているか確認しましょう。また、入国カードの一部分が税関申告書になっており、その部分が返されます。こちらは空港出口で提示を求められますのでなくさずにお持ちください。(現在税関申告書不要)
・荷物のX線検査と受け取り
入国審査が終わり、次に進むと、ターンテーブルが見えますが、その手前にの機械があります。ここで手荷物をX線に通して検査を受けます(X線検査が不要の場合もあります)。ターンテーブルにて預けた荷物をお取りください。 また、ターンテーブルを背にして出口の両側に銀行があります。両替が必要な方は荷物が出てくるのを待つ間にここで済ませるとよいでしょう。日本円、アメリカドル、どちらでも両替できます。両替レートは、街中とほぼ同じです。両替の際は、紙幣の枚数を確認すること、紙幣が破れていないか確認することが大事です。(詳細は「通貨と両替、チップについて」をご参照下さい)。
※
ターンテーブルにて、最後まで待っても自分の荷物が出てこなかったら、日本でチェックインしたときに渡されたクレームタグ(荷物の照合表、帰りのチケットの裏にシールで貼られていることが多い)を空港係員に見せて荷物が出てこない旨を伝えましょう。係員がそれを元に探してくれます。
・税関審査
その後、税関審査があります。税関は「免税(緑色)」 「課税(赤色)」の2種類があります。免税(緑色)の方はほとんどチェックされません。現在、インドへの旅行者はカメラ等旅行に必要とされる品物に限り、各品目ごとに1個までは申告なしでの持ち込みが認められています。 税関審査場では、入国時に返された税関申告書を係員に渡してください。 税関審査を終えられましたら、そのまま出口までお進みください。
・出口でのご注意
出口では、大勢の人が出迎えに来ています。弊社で送迎を手配された方は、現地手配会社のスタッフがここでお待ちしております。また、空港ターミナル内にもタクシーと書いたカウンターがあります。そして、空港ターミナル内でも「タクシー?タクシー?」と声がかかります。空港に集まる白タクは到着したところで物価の感覚がない人を相手にしていて、トラブルが多いので絶対利用しないでください。デリーの空港から市内までは行き先にもよりますが、車で約1時間です。
・空港の入り口にて
空港へは3時間前を目処に到着するようにしましょう。空港の建物の中には出発する人しか入れないようになっています。建物の入口で係員にチケットを見せて中に入ります。
・荷物のX線検査とチェックイン
まず、X線検査機で、飛行機に預ける荷物の検査を受けます。(デリー空港ではターミナル1~3、国内線・国際線ともにチェックイン前にX線検査機の検査はありません。) その後、各航空会社のカウンターでチェックインをします。チェックインには、パスポート、航空券が必要です。
・両替
インド・ルピーが余ってしまった場合は、空港ターミナルに入ってすぐ左側にある銀行で再両替ができます。その際、両替時に受け取られたレシートが必要です。
・出国審査
出国審査場では、外国人用のカウンターに並びます。必要書類は出国カード(現在不要)、搭乗券、パスポートの3点です。そこを過ぎると待合室です。中にはお菓子などの売店と喫茶コーナー、小さな免税店があります。免税店は品数が薄いのでこれ以外のお土産は空港に入るまでにそろえたほうがよいでしょう。
・手荷物のX線検査
ゲートに向かう前に手荷物のX線検査があります。ライターやマッチなどの火のつくものは持って入れませんのでご注意ください。
ルピーのほかにパイサという単位もありますが、ほとんど使われていません。 (1ルピー=100パイサ) 紙幣は5・10・20・50・100・200・500・1000・2000ルピー、硬貨は10・25・50パイサ(見たことありません。オフィススタッフも使わないと)、1・2・5・10ルピーがあります。 ルピー札の左部分にホッチキスの穴があいていたり、穴があいている紙幣をよくみかけます。穴が大きくあいていたり(約直径1cm以下は概ね問題ありません)、裂け目をセロハンテープで止めた紙幣は「価値がない」とされ、受け取りを拒否されます。お釣等を受け取る際に十分ご確認下さい。 両替をしてルピーを受け取るときは、枚数の確認はもちろんのこと、破れていないかも確認しましょう。 国際線空港では、USドル、日本円、トラベラーズチェックのいずれからも両替できます。 USドル(現金)は、土産物屋、中級以上のレストラン・ホテルなどではそのまま使用できます。USドルでのおつりはでませんので、小額紙幣があると便利です(1ドル札・5ドル札など)。日本出発前に用意をしておくと良いでしょう。
デリーやムンバイ、チェンナイ、コルカタなどの大都市や国際的に知られた観光地では、日本円、USドル共にルピーへ両替できます。 両替をした際に発行される両替証明書は、ルピーが残って再両替が必要なときに提示を求められますので、保管しておくとよいでしょう。 ただし、ルピーからの再両替(出国時の空港内でのみ可)は、非常にレートが悪いので、こまめに両替して使い切ることをおすすめします。 また、闇両替は違法です。いくら法外に良いレートをいわれても、うまい話には裏があることはどこの国でも同じです。かかわらないことが大切です。 観光客があまり訪れない小さな町では、外貨両替を扱っている銀行が少ないか、全くないこともあります。 また、USドルの現金のみ受け付けて、日本円やトラベラーズチェックは両替できないこともありますので、移動する前にはルピーを用意しておきましょう。 また、両替のコツとして500ルピー札や1000ルピー札はホテルなどでは使えますが一般的な商店などではおつりがないことが多いので、両替したとき一部をその場で小額紙幣に換えてもらっておくと便利です。
インドにはもともとチップの習慣はありませんでしたが、観光客の増加に伴い既に浸透しています。ホテルのポーターに荷物を部屋まで運んでもらった場合に1個20ルピー程度をポーター代として渡すのが普通です。ルームサービスや頼んだ洗濯物を部屋まで運んでもらった場合(ランドリーサービス)にも、20ルピー程度のチップを渡しましょう。 枕銭も置くのが普通で、大体1人10ルピーが目安です。高級レストランでは通常、10%前後のサービス料が含まれていますが、10ルピー以下のおつりはとらないのが普通です。更に支払い時に50~100ルピー程度を上乗せして払っています もし、サービス料が含まれていない場合は、合計支払い額の10%くらいを添えるのが常識となっています。安宿や中級以下のホテル、町の食堂では上記のようなチップは不要です。高級ホテルでは1回に渡すチップは30~50ルピーほどが目安ですが、チップはあくまでも本人の意思で額を決めるもの、サービスに満足すれば渡せばいいですし、満足いかないサービスを受けたときはチップを渡す必要はないでしょう。また、特別にサービスを頼んでいないのに、「チップ」といわれるケースがあるのも事実です。 ホテルスタッフの教育の行き届いていないホテルでは、頼んでいないのにお茶を運んできて「チップ」というようなケースあるようです。チップはあくまでも頼んだことに対するサービスへのお礼です。不要な場合は「ノー」というはっきりとした態度も必要です。
都市部の交通手段には、タクシー、オートリクシャー、サイクルリクシャ、バスなどがあります。タクシーは、黒色一色、黄色と黒のツートンカラーです。高級ホテルや空港、駅などにはタクシースタンドもありますし、街中では流しのタクシーもつかまります。メーター制を備え付けていますが、多くが交渉制です。行き先を告げて、料金を尋ねます。 外国人観光客の場合は、料金をふっかけられることが多いので、利用する前に、周りの人などに、大体の適正価格をきいておくと良いでしょう。オートリクシャーは、黄色と黒のツートンカラーで、後部座席に大人2人が乗れるように改造した幌のついた車です。タクシーと同様メーターが備え付けられていますが、、多くの場合は交渉制です。相場を知らないと、ふっかけられて大金を払ってしまったり、頼みもしないホテルに連れて行かれたり、土産物屋に連れて行かれたりとトラブルもあります。必要ないときは、はっきりとした態度が必要です。 駅や、高級ホテル前で客待ちをしているリクシャーは、外国人にたいしてふっかけてくる可能性が大なので、少し離れたところで、流しのリクシャーを捕まえるとよいでしょう。 現在街中を走っているリクシャーのメーターはほとんど古いもの。ガソリン代が値上がりしたので、メーター計算も異なっています。メーターの表示価格がそのままではありません。リクシャーの運転手は通常、換算表(チャート表)を持っていますので、目的地に到着して、運転手が、チャート表で計算している場合は、だまされているわけではありません。それを知らずにだまされているのでは、とケンカしてしまうと、お互い後味が悪いものです。 大きな町では市バスも走っています。一番安くて、庶民の移動手段になりますので、大抵は非常に混んでいます。バスの番号と行き先は、ヒンディー語でバスの車体に書かれています。まわりの人に「このバスは○○に行くか?」と聞いてから乗ったほうがよいでしょう。また、レディースシートもあります。痴漢も多いようですので、女性はレディースシートに座るか、利用しないほうがよいでしょう。
インドの鉄道は、営業距離数では世界第2位を誇る規模です。鉄道は主要都市間を幹線で結び、そしてそこからローカル路線へと、まるで網の目のようにインド各地へ移動できる手段です。車窓から見える、様々な風景、川から平野、農村地帯、夜空の星が輝くのを目のあたりにしながら移動できるのは、鉄道の醍醐味です。 インドの鉄道は、大都市近郊では予約システムがコンピューター化され、以前のように駅の切符売場で長時間並んだりすることも少なくなってきました。しかし、切符を買う際には、駅に行って、窓口に並んで切符を予約、購入するのがまだまだ主流です。 切符売場では、利用したい出発地、目的地、利用等級を伝えます。等級は、上から1等、2等、3等です。1等エアコンクラスなど、エアコンの有無の希望も一緒に伝えるとよいでしょう。例えば「セカンドACタイヤー」と頼んだ場合は、「2等のエアコン付の寝台車」ということになります。そして、運賃を告げられ、お金を支払うと、乗車券(指定席入り)をくれます。 大きな駅は、出発ホームが分かりづらいので、駅員さんにききましょう。列車内では、盗難が多発しています。荷物管理には十分ご注意ください。
長距離バスもインドでは主要な移動手段です。とくに、鉄道では乗り換えをしないと行けない区間を直通バスが走っていることもしばしばです。南インドでは、鉄道よりもバスの移動がポピュラーです。主要な町には、必ずバススタンドがあり、そこでバスの予約や切符販売も行っています。鉄道と同じように、バススタンドの窓口で、行き先を告げてお金を支払い、出発時間を確認します。
誰にでも喜ばれるおみやげなら、やはり紅茶でしょう。インドの紅茶の主な特産地は、ダージリン、アッサム、ニルギリです。紅茶の飲み方によって、茶葉を選ぶと良いでしょう。 ダージリンは、ストレートで飲むのがおいしい飲み方です。 薄いマスカット色のダージリンは、クセもなくストレート向きです。アッサム、ニルギリは濃い目で、少しほのかな苦味もありますので、ミルクティー向きです。濃い目に出して、たっぷりのミルクと好みで砂糖を入れていただきましょう。 どの種類のお茶も、お土産用であれば木製のかわいい箱やカラフルなインドシルク製のポーチに入っています。その他インドの人が日常的に飲む紅茶もあります。ミルクで煮出して飲みますので、煮てもあまり苦味がでない、コクのあるものです。毎日使っているため、高級なものではありません。 茶葉も「ダストティー」と呼ばれており、聞こえはあまりよくありませんが、煮出して使う紅茶としては大変おいしいのです。ぐつぐつ煮出して最後にシナモンやカルダモンなどのチャイスパイスを入れて、いただきましょう。スーパーや町の商店で売っています。
インド料理に欠かせないスパイス。ターメリックやクミン、チリパウダーのほか、マサラティーをつくるのに欠かせないカルダモンなどのスパイスや「カレーマサラ」「チャイマサラ」といったミックスものも多く手に入ります。その他、シナモンやサフランなど、日本では高価なスパイスも安く手に入ります。最近ではお土産用にパックされたものもあり、簡単な作り方を書いたレシピも一緒にくれるところもあります。
サリー、ペチコート、ブラウスの3点セットで着ます。ブラウスはサリーにあわせて色を選び,仕立て屋に頼みます。袖たけ、すそ丈、襟ぐりなど、全てにファッションセンスが問われます。あまり、すその丈が長いと、田舎者とみられたりするようです。 カラフルなシャルワ-ルカミ-ズ(インド北西部の民族衣装ですので、パンジャービードレスとも呼びます)もバザール等で購入できます。サルワ-ル(ズボン)とカミ-ズ(丈の長いブラウス)、ドゥパッター(ショール)でセットです。時々、ドゥパッターなしで着ている人もいますが、それははしたない着方ですので、必ず3点セットで着るようにしましょう。 シャルワールカミーズは既製品も簡単に手に入ります。 服装選びでかかせないのは色です。祭りや儀式の多いインドでは、色も例外ではなく、決まりごとがあります。外国人は大目にみてもらえますが、一応知っておいたほうが良いでしょう。 結婚式で花嫁が身につける色は、赤や緑。緑はムスリムにとっても聖なる色です。白は神聖な色ですが、寡婦(夫に先立たれた妻)が身につける色です。逆に黒は、タブーではなく、女神の肌の色と結びつくことから、身につける女性も多くいます。
インドの女性が額の真中につけている丸印は、ビンディー(点)と呼ばれ、シールになっていてシートに10枚程度で売られています。 今は赤い丸だけでなく、色、サイズ、形などバラエティーに富んでいます。あまりに大きいとダサいとか、つける位置によってもファッション性が問われるようです。
様々な種類のハーブをふんだんに使ったアーユルヴェーダ。ハーブを基礎にした自然派化粧品は、従来の合成化粧品にくらべて人気急上昇中です。特に、インド市場でも圧倒的なシェアを誇っているのが、シャナーズフセインです。 デリーがシャナーズフセインの本拠地で、総合ビューティーサロンがあり、アーユルヴェーダの施術も行っています。伝統的ハーブを追求した純度の高い製品ですので、クリームやシャンプー、せっけん、オイルなど、種類も豊富です。ハーブ、野菜、ミルク、花、蜂蜜といった自然の素材を使っています。
他にもインドならではのお土産は色々あります。インドシルク、インドコットンを使った小物入れ、クッションカバー、ベッドカバーなどの布製品、銀製品、細密画、インド映画の音楽CD、アクセサリー、Tシャツ、宝石など。観光地ではお土産屋がたくさんあり、何を買おうか迷うほどですし、店側もかなり懸命に売りこんできます。 じっくり時間をかけて、店の主人と値段交渉しながら買うのが理想的ですが、時間があまりなくても言い値ではなく、交渉して買うようにしましょう。
写真撮影 : 女性、特に年配の方は写真に撮られることを嫌がります。撮影の際には性別を問わず、必ず本人に確認してから撮影して下さい。また、後ほどお金を請求されることもありますので十分にご注意ください。
服装: イスラム教徒が多く暮らす地域です。観光客の服装に制限はありませんが、女性のノースリーブ、短パンといった露出の多い服装はお控え下さい。モスク見学の際は、男性もこのような服装は避けたほうがよいでしょう。
博物館:各地の博物館は原則写真撮影が禁止です。
モスクの見学 : モスクや聖者廟を訪問する際は、靴を脱ぎ、脱帽し、女性はスカーフを着用します。写真撮影は礼拝する人の邪魔にならないようにしてください。
お手洗い:
お手洗いには備え付けの紙がない所も多いので、ティッシュは多めにご用意ください。各観光地にはお手洗いがありますが、長時間の移動中は屋外で済ませる場合もあります。
紀元前2500年頃 | インダス河流域に高度なインダス文明が栄えました。 |
紀元前1500年頃 | 西域からアーリア人の侵入が始まり、先住民族であったドラヴィダ人は次第に大陸の南へと追われていきました。 |
紀元前5世紀頃~ | この頃に興った仏教は前3世紀マウリヤ朝の時代にアショーカ王の保護のもと最盛期を迎え、その後、インドのみならず周辺各国へ広く影響を及ぼしました。紀元後もシルクロードの中継地点として数々の王朝が栄えます。 |
10世紀~19世紀 | 10世紀初頭、イスラム教の侵入が始まり、16世紀にはイスラム教国であるムガル帝国がインド大陸の大半を統一することになります。 17世紀初頭からは東インド会社の名のもとでイギリスの侵入が拡大していき、1857年のセポイの反乱後にはついに直接統治が成立しました。 |
20世紀~ | 2度の世界大戦においてインドはイギリスに多大な協力をしました。多くの犠牲を払うなか、マハトマ・ガンジーの指導を中心に独立の気運が高まっていきます。同時に国内でのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が激化し、1947年8月15日、英領インドは、ヒンドゥー教を主とする国インドとイスラム教を主とする国パキスタンに分離独立し、ここにインド共和国が成立したのです。 |
インドでは食事をするときは、きれいに洗った右手で食べるのが基本です。なぜなら、インドでは用を足した後、左手でおしりを洗うので(紙はつかいません)、左手でご飯を食べていると、「お尻を洗った手でご飯を・・・」と思われてしまいます。
もちろんインドにも左利きの人もいますし、ごくたまに左手で食べる人もいますが、嫌悪感を示す人もいますので、できれば避けたいところです。
また、他の人と飲み物の容器を共有するときには口をつけてはいけません。注ぎ口から口をはなして、じょうろで花に水をやるように、口の上から水を落としてのみます。
上記の水の飲み方にも現れていますが、インドでは他人が指や口をつけた食べ物や使った食器は、けがれたものとみなされますので、食べかけや飲みかけの物を人にすすめたりしないようにしましょう。
インドでは牛肉を食べるのはタブーとされています。牛肉を食べる人も少数ながらいますが、自ら牛肉を食べた話をしたり、インド人に牛肉をご馳走したりしないようにしてください。台所に低いカーストの人を入れない家もありますので、外国人である私達は近づかないようにするか、家の人の許可をとって入るようにしましょう。
インドにはカースト制度という身分制度があります。彼らのカーストは姓をきくと大抵わかるようになっているので、姓をきかれるのを嫌がる人もいます。相手に名前を聞いたときに、名字を言わなかったとしても自分からは聞かないのがマナーです。
食事の際に右手を使うのと同じ理由で、右手を使います。さらに丁寧にするときには右手で物を持ち、右手のひじの後ろに、左手の手のひらを添えて渡します。
インドは多言語国家です。憲法に定められた公用語はデーヴァナガリー文字表記によるヒンディー語です。 しかし、非ヒンディー語圏、特に南インドのタミル・ナードゥ州などではヒンディー語に対する反発が強く、憲法第8付則に現在17言語(ベンガル語、テルグ語、マラーティー語、タミル語、ウルドゥー語、グジャラーティー語、カンナダ語、マラヤーラム語、オリヤー語、パンジャービー語、アッサム語、スィンディー語、ネパーリー語、コンカニー語、マニプリー語、カシミーリー語、サンスクリット語)が地域や州の使用促進言語として認められています。 このうち南西インドのゴア周辺で話されるコンカニー語、北東部のマニプール州のマニプリー語とネパーリー語は1992年にインド議会の決議によって新たに加えられた言語です。また、異なる言語間の共通語として、英語も広く使われています。
インドを訪れてルピー札を手にされたら、ぜひよくご覧になってみてください。インドのお札にはすべて、ヒンディー語と英語の他に15種類の言語で金額の表記があります(一部の古い紙幣は表記言語数が少ない場合もあり)。
インドでは英語の通用度が高く、国レベルの公用語の1つです。特に南インドでは、同じく国レベルの公用語の1つのヒンディー語よりも断然通じます。ちょっとした売店のおじさんでも買い物で使うくらいの英語は話せる人が多いです。 インド人は英語教育を小さなころから徹底的に受けているので、小さな子供が流暢に話したりする姿をみかけることもあります。インドの人の英語は発音もはっきりとしていますので聞き取りやすいでしょう。しかし、インド諸言語に特徴的な発音で英語を話す人がほとんどですので、ある程度の法則性は覚えておくと便利です。 インド英語の特徴をあげてみましょう。まず、Rを巻き舌で発音します。コーナー(角)はインド英語では、コーナル。カラー(色)は、カーラルとなります。次に、Sの音の前に短いイという音を入れて発音します。つまり、スクール(学校)は、イスクール。ステーション(駅)は、イステーションとなります。最後に、THという音は「ダ」という音で発音します。ファーザー(父)は、ファーダル(Rも巻き舌で発音するのでこうなります)、同様に、マザー(母)は、マーダル。つまり、インド英語で「マイ マーダル イズ イスクール ティーチャル」で、「私の母は学校の先生です」となるわけです。この法則さえ覚えておけば、インド英語がいっそう理解しやすくなります。
インドの国レベルの公用語は、ヒンディー語と英語です。その他、各州の州レベルの公用語がありますが、皆自分の言葉以外にヒンディー語や英語を話します。 テレビ・ラジオなどの放送や新聞などはすべてヒンディー語か英語です。旅行者はヒンディー語が話せなくても困ることはほとんどありませんが、それでもいくらか覚えていくとインドがぐっと近く感じられることでしょう。ヒンディー語は文法が日本語とよく似ていますので日本人にとっては親しみやすい言語です。 いくつかおぼえておくと便利なものをご紹介します。
ナマステ 「こんにちは」
いわずと知れた「おはよう」から「こんばんは」、さらには「さようなら」までをカバーする便利な挨拶の言葉です。どんどん使いましょう。ただ、ナマステは少しくだけた言葉なので、目上の人やお年寄りには丁寧語の「ナマスカール」を使うとよいでしょう。
アープ・カエセェー・ヘン?「元気ですか?」「ご機嫌いかが?」
こちらは顔見知りになった人に使うとよいでしょう。英語の「howareyou?」にあたります。これに対する答えは「ティーク・ヘ」(元気です)です。
ジー・ハーン 「はい」
名前を呼ばれたときなどに使います。「おっしゃるとおりです」というニュアンスで使うこともあります。語尾をあげて疑問形にすると「はい?」「今なんとおっしゃいました?」という意味になります。ハーン・ジーと逆にしても同じ意味となります。
ディージエー 「ください」
ディージエーの前にほしいものの名前をおくだけで使えるので便利です。「チャ-イ ディージエー」(チャーイをください)、「イエ ディージエー」(これください)、「サーブン ディージエー」(せっけんをください)、「ターリー ディージエー」(ターリー=定食をください)などなど。
マーフ ディージエー 「ごめんなさい」「すみません」
直訳は「許しをください」になります。なにか本当に悪いことをしてしまった、というときに使う謝罪の言葉です。しかし、これを使うと大げさと思われがちですので、普通は英語の「ソ-リー」または「エクスキューズ・ミー」で十分です。
サマジ ナヒ-ン 「わかりません」
理解することができない、という意味で使います。相手が何を言っているのかわからないときに使います。
イエ キトナー へ? 「これはいくらですか?」
口語的な表現ですが、お買い物に便利です。タクシーやリクシャーでも使えます。「イステーション(駅)、タク(まで)、キトナー へ?(駅までいくらですか)
ダンニャバード「ありがとう」
日本人はよく使いますが、インド人の口からはめったにききません。「心より感謝いたします」というくらい重い意味合いを持っているので頻繁には使われません。普通には「サンキュー」で十分です。
気候、言語と同じく、インドの宗教もまた多様です。人口の約8割はヒンドゥー教で、イスラム教が約1割強、そして残りの1割をシーク教、キリスト教、ジャイナ教、仏教、拝火(ゾロアスター)教、ユダヤ教などが占めています。
インド全土で圧倒的多数を占めるヒンドゥー教。紀元前3世紀から2世紀の仏教の隆盛とともに、もともとは祭儀中心だったバラモン教が土着の宗教を取り入れていき、徐々に現在のようなヒンドゥー教が形成されていきました。創造神ブラフマン、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三神を元に、その妻や化身など、いくつもの神様が存在します。 神はそれぞれの乗り物を持っており、そのうちシヴァの乗り物がナンディといわれる牝牛です。このことを理由にヒンドゥー教徒は「聖牛」の肉である牛肉を口にしません。 ヒンドゥー教徒は火葬で、遺灰を川に流します。聖地ベナレス(ヴァ-ラーナシー)では、火葬場がガンガーの川沿いにあります。ヒンドゥー教徒は、現世に良い行いをしたら来世も良いところに生まれ変われるという、生まれ変わりを信じています。現世では、良い行いをし、死の際には現世に何も残さないようにして、良い来世を生まれ変わって生きるのが信者の中でも最高の生き方です。 よき来世を迎えるために、現世には何も残さないのがポイント。火葬場でもし、火葬シーンを外国人がカメラにおさめてしまったら、よい来世は来ないとされます。絶対にカメラは、火葬場の方に向けないようにしてください。
6世紀にムハンマドが起こしたイスラム教。絶対唯一神アッラーを崇拝し、1日5回の礼拝、禁酒、豚肉を食べない、などの戒律がよく知られています。 イスラム勢力のインド侵入は10世紀ごろから始まりました。13世紀にはトルコ系奴隷王朝によるイスラム国ができ、1857年にムガール帝国が滅びるまで、インドはイスラム政権の支配下にありました。人口の約1割といえば少数派のようですが、インドの人口を考えれば実際は相当な数で、インドは世界で3番目(1位インドネシア、2位パキスタン)にイスラム教徒が多い国なのです。 特に、西インド(ラジャスタン、グジャラート)、北西インドのカシミールに信者が多く暮らします。
15世紀にインド北西部のパンジャーブ地方で開祖ナーナクがヒンドゥー教とイスラム教を融合して興した、比較的新しい宗教。総本山の黄金寺院はアムリッツァルにあります 。身体に刃物を当てることを禁じているため、本来、シークの男性はヒゲや頭髪を切りません。インド人男性の代表的なイメージである「ターバンをかぶった人」は、実はこのシーク教徒の男性の装いです。勇壮で商才に長けた彼らはインド国外にも多数住んでいます。
インドへのキリスト教の伝播は紀元前1世紀ごろとされています。その後15世紀ごろから、ヨーロッパ勢力によって南インドのゴアやコーチンを中心に、主に低カーストのヒンドゥー教徒への布教が行われました。16世紀にはフランシスコ・ザビエルがゴアに上陸しています。現在でも南インドのケララ州などに多数のキリスト教徒がいます。
仏教と同時期の紀元前5世紀ごろに興ったジャイナ教。開祖ヴァルダマーナ(尊称マハーヴィーナ)の前に23人の祖師がいます。 ジャイナ教は不所有と徹底した不殺生を実践しているため、農業や製造業に従事している人は極端に少なく、大多数が金融業などのビジネスを営んでいます。また、空中や地面の虫を殺さないため、マスクをして手にホウキを持っている巡礼の姿がよく知られています。
紀元前5世紀ごろインドに興った仏教ですが、5世紀ごろにはすっかり勢いをなくしました。インド中西部のマハラシュトラ州を中心に、低カーストのヒンドゥー教徒が集団改宗するなどの動きはあるものの、現在ではすっかり影を潜めています。けれどなお、ラダックやシッキムなどヒマラヤ山間部ではチベット仏教が篤く信仰されています。
ツァラトゥストラがイランで興した宗教。拝火、鳥葬・風葬など独特の祭祀で知られます。アラブ人によるイラン侵攻から逃れてインドに亡命した拝火教徒の子孫(パールスィー)が、ムンバイを中心に存在しています。 極めてマイナーな宗教ではあるものの、教育水準の高さとビジネス界での成功によって、インド社会への影響はひじょうに大きいといえます。ターター財閥の創設者ターター氏もパールスィー出身です。
ケララ州コーチンやムンバイなどのごく限られた地域に居住区があります。コーチンには紀元後52年に最初にユダヤ人が移住しました。 その後も長くスパイス貿易で栄え、英連邦最古のシナゴーグも建設されましたが、1948年のイスラエル建国の際に彼らのほとんどがこの地を去り、現在では数家族が残るのみとなっています。
インドの国民全体の約8割がヒンドゥー教徒です。ヒンドゥー教は多神教です。インド各地で神様にまつわる寺院、お祭りに出会ったとき、何がまつられているのかを知る手がかりになればと思います。 ここにあげているのは、インドの人ならほとんどの人が知っている、主な神様です。それぞれにさまざまな伝説・神話があり、それがヒンドゥー文化圏のあらゆる分野でテーマとなっています。
インドの人口の多数を占めるのはヒンドゥー教です。古代インダス文明は今のパキスタン、インド国境を流れるインダス川沿いで発展しました。この地域をシンド地方と呼びます。シンド→ヒンド→インドとなったのが、インドという国名の語源です。 そして、そこではバラモン(お坊さん)を中心とした宗教が発展しました。最初は、バラモン(お坊さん)第一の宗教だったのですが、もともと、ヴェーダ(古代叙事詩)の神々の信仰の強い土地柄。だんだん、ヴェーダの神様を信仰に取りこんでいきました。 ヴェーダの神は、自然がテーマです。スーリヤ(太陽)、チャンドラ(月)、アグニ(火)、ヴァ-ユ(風)などが主なヴェーダの神様です。日本でおなじみの東京柴又の帝釈天は、インドラのこと。起源がインドで日本に渡って帝釈天になりましたが、元々インドではヴェーダの神の1人・雷の神です。そして、バラモン教は信仰を集めるために、ヴェーダの神様やインド各地の土着の神々を次々と取りこんでいきました。現在のヒンドゥ-教の姿に近くなったのは紀元後7世紀といわれています。 ヒンドゥー教の特徴として、「神様が多い」ということが第一に挙げられます。しかし、神々は独立しているわけではなく、宇宙で一番の存在がそれぞれの神の形を取って現れたものともされています。 ヒンドゥー教三大神は、ブラフマー(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊/再生の神)です。それぞれの神に信徒がいる形となっていますが、現実は、ヴィシュヌ派、シヴァ派と2大勢力にわかれています。そして、土着の神を「シヴァの化身」「ヴィシュヌの化身」という形で取りこんでいったので、シヴァやヴィシュヌの化身がたくさんある、ということにもなってしまいました。 他の宗教と比べて人間に近いような、ヒンドゥー教の神様。それぞれ奥さんがいます。ヴィシュヌの奥さんは、知恵の神サラスヴァティー、シヴァの奥さんは山の娘パ-ルヴァティーです。奥さんも色々な化身を持ちます。シヴァの奥さん、パールヴァティーは、ドゥルガー、カーリーなど東インドの土着の神様を取りこんでいます。それらは、すべてパールヴァティーの化身とされています。それぞれ、恐ろしい姿で悪い鬼を退治する、大きなパワーを持った女神とされます。 神はそれぞれの乗り物を持っており、そのうちシヴァの乗り物がナンディといわれる牝牛です。このことを理由にヒンドゥー教徒は「聖牛」の肉である牛肉を口にしません。 バスや車に乗ったときはちょっと運転席をのぞいてみましょう。ドライバーの多くは、自分の車の運転席をお気に入りの神様のポスターや像で飾り立てています。これは、安全祈願のお守りです。インドでは牛を殺すと処刑されますので、彼らは道にぼんやりと立っている牛たちをはねたりしないよう神経を尖らせています。
ヒンドゥー三大神のうち、破壊神の位置を占めます。ヴィシュヌと並んで熱烈な信者を持つ神。ヴェーダ時代は、暴風神「ルドラ」に対する尊称として、使われていました。シヴァは様々な性格を持ちますが、その働きに応じて無数の名称で呼ばれています。 よく描かれるのは、槍、弓、斧、三叉の戟(トリシュール)を持ち、額に半月と第三の目、青い首に蛇を巻き、トラの皮をまとい、ナンディという白い牛に乗っている形です。破壊神としての性質をあらわす名称として、ハラ(万物を破壊するもの)、バイラヴァ(恐ろしい殺戮者)などがよく知られます。生殖、再生をつかさどる神としては、マハ-デーヴァ(偉大な神)、パシュパティ(家畜の主)、シャンカラ(恩恵を与える者)と呼ばれ、シヴァリンガの形で崇拝されます。 その他、聖地カイラース山に住む巨大な修行者として、マハ-タパス(偉大な苦行者)と呼ばれます。ガンガーはシヴァの髪を通じて地上に降下したといわれることから、ガンガータル(ガンガーの所持者)ともいわれます。また、シヴァ・ナタラージャ(踊るシヴァ)として創造、維持、破壊、幻惑、開放の5つの要素をこめてコズミックダンスを踊ります。 シヴァの神妃はパールヴァティーで、2人の間にはガネ-シャ、スカンダという2人の息子がいます。シヴァに関する祭りとして、シヴァラ-ットリ-(2月頃)があります。この日はヒンドゥー教徒は終日断食をします。
大神の中で世界維持神としての役割をもちます。ヴィシュヌ神信仰はクリシュナ伝説を通じて民衆の間に広まりました。様々な土着信仰を吸収して、次第にアヴァターラ(化身)という考え方が広まりました。ヴィシュヌは世の中の正義が衰え、不正義がはびこる時、様々な化身の形で世の中に現れて正義を回復します。この考え方を応用すると、どんなものでも容易にヴィシュヌ神信仰の傘下にひきこめます。以下に紹介するように、ヴィシュヌ神には10の化身があります。
ヴィシュヌは通常、若者として描かれ、4つの手に、円盤、棍棒、ほら貝、蓮華を持ち、神鳥ガルーダに乗ります。ヴィシュヌ神の神妃ラクシュミーとともに蓮華に座っている姿や大蛇の上に横たわっている姿もよくみかけます。また、ヴィシュヌはナーラーヤン・ハリとも呼ばれます。
ヴィシュヌ神の10の化身(ダス・アヴァターラ)
1)マッチャ(魚)
大洪水の時、魚となって賢者マヌを救った。
2)クールマ(亀)
神々と魔人たちが乳海をかきまわし、不死の薬アムリタを取り出そうとした時、亀となってこの作業を助けた。
3)ヴァラーハ(野猪)
大地が魔人によって水底に沈められたとき、野猪として牙の上に大地を支え人類を救った。
4)ナラシンハ(人獅子)
ライオンの頭、人間の体を持ちます。悪魔ヒラニヤカシップを退治した。
5)ヴァ-マナ(倭人)
悪魔バリが世界を支配した時、少年僧に姿を変えて現れ、三歩で歩けるだけの土地を要求した。バリがそれを許すと、突然巨大な姿となって一歩目、二歩目で全宇宙を、三歩目でバリの頭を踏みつけ、バリを地界におしこめてしまった。
6)パラシュラーマ(斧を持つラーマ)
クシャトリヤがかつて世界を制圧したとき、神々やバラモンを守るため、ブリグ族のレーヌカ-とジャマダグニの間にラーマとして生まれた。その頃、カールタヴィーリヤという王がいて、ある時、狩に出かけ、ジャマダグニと出会いました。
ジャマダグニは王を何でも望みのかなう、聖牛サバラによってもてなしました。王は聖牛を欲しがったが断られ、怒ってジャマダグニを殺してしまいました。この王が斧を持ったラーマ(パラシュラーマ)といわれています。パラシュラーマはバラモンとクシャトリヤの絶えることのない闘争をあらわしています。
7)ラーマ
叙事詩ラーマーヤナの主人公。妻シーターとともにインド国民に理想とされる人間像です。
8)クリシュナ
「黒い神」の意味です。ヴィシュヌ神の化身のうちで最も重要で、また民衆に最も人気のある神。
9)ブッダ
仏教の創始者ブッダもヒンドゥー神話においてはヴィシュヌ神の9番目の化身とされます。
10)カルキ(未来の化身)
ニシュカランカともいい、カリ・ユガ期(末法の時、つまり現代)の終わりに出現し、悪、不道徳、不法を滅ぼします。この世を救う神とされています。
また、実在の人物をカルキとしてこの世に現れた者だとすることもあり、インド独立の父マハートマ・ガンディーもヴィシュヌ神の化身であるとヒンドゥー教徒の間で言われた時期もありました。
三大神のうち、世界の創造の神とされますが、シヴァ、ヴィシュヌに比べて知名度は低くなってきました。ブラフマーは一般に4つの顔、そして4本の手を持ちます。4本の手にはそれぞれ持ち物を持っています。ハンサ(神の使いの鳥、白鳥の一種)を乗り物としています。神妃はサラスヴァティーです。
ここまでヒンドゥーの三大神を紹介してきましたが、他に、インド最古の文献の1つ「リグ・ヴェーダ」(紀元前1世紀頃に完成されたといわれる宗教文献)にも多くの神々が登場します。大部分の神様は自然現象を神格化したものです。ここでは、その一部の神様を紹介しましょう。
「リグ・ヴェーダ」以降の太陽神。様々なスーリヤ神話があります。インドでは古代から現代まで太陽崇拝が盛んに行われたため、無数のスーリヤ像が作られ、いたるところに太陽寺院が建てられました。オリッサ州コナ-ラクの太陽寺院は有名です。
太鼓腹で、財布とともに棍棒を持ち、富、財産をつかさどる神としてガネ-シャとともに人気のある神。
「リグ・ヴェーダ」の中で最も多くの賛歌を捧げられているアーリヤ人の武勇神。神々の中でも支配者であり、アイラータヴァという名の象とウッチャイヒシュラヴァという名のウマに乗っています。
ヴェーダ時代は死界の王として楽園にいましたが、だんだん死者の生前の善悪の行為を記録し、その賞罰を司る神の性格を持つようになりました。一般に恐ろしい容貌で表され、南の方角の守護神でもあります。ヤミ-という妹がいます。
毎朝、太陽に先だって空に現れ、暗黒を追い払います。人間や動物を目覚めさせ、祭祀を始めさせる女神。ウシャスは若い女性として表現され、スーリヤの恋人とされます。
「ヴァルナは全てのものの上に君臨し、人間の行為を厳しく監視し、司法神として罰を加えます。
風を神格化したものです。多数のウマの引く車に乗り、敵を追い払い、名声、子孫、家畜、財産を人に与えます。神々の使者ともされ、白い旗を手に持ち、鹿に乗った姿で表されます。
インドラに次いで多くの賛歌があります。原始インド・ヨーロッパ人は火を家庭生活の中心である「炉の火」として神聖化し、これに悪魔を除く力を認めて供物を投入したといわれます。
インドの二大叙事詩としてあまりにも有名な「ラーマーヤナRamayana」と「マハーバーラタMahabharata」。起源はインドにありながら、特に「ラーマーヤナ」は東南アジア諸国にも広く知られ、絵画や芸能の題材となってきました。インドでもこの二つの物語は遺跡や寺院のレリーフや彫刻に繰り返し登場します。
コーサラ王国の王子ラーマ(ヒンドゥー教ヴィシュヌ神と同一視される)は忠実な弟ラクシュマナと旅の途中に大地の娘シータと出会い、結婚する。けれど王位継承の際、父ダシャラタ王の第二王妃カイケーイーの陰謀によって森へ追放されてしまう。 ラーマは妻シータ、弟ラクシュマナとともに猛獣や悪魔を退治したりして暮らすが、ある日、ランカ島(現在のスリランカと考えられている)の羅刹王ラーヴァナがシータを連れ去ってしまう。 ラーマたちはシータ奪還の長い旅に出て、途中、ハゲタカの王ジャターユや猿の大臣ハヌマーンに助けられながらランカ島に辿り着く。 激しい戦いののちラーマはシータを取り戻すものの、捕らわれていた間の貞節を信じることができず、彼女に試練を与える。シータは見事、身の潔白を証明。一行は晴れてコーサラ国に凱旋帰国し、ラーマはついに国王となる。
クル王国の王子たちの王位継承に関する骨肉の争いを描いた壮大な物語。 ある時、王のもとにドリタラシュートラとパーンドゥという兄弟が生まれた。兄ドリタラシュートラは盲目だったため、弟のパーンドゥが王位を継ぐ。パーントゥはクンティ、マドゥリーというふたりの妃を娶るが、呪いのために世継ぎを持つことができなかった。 しかし妃クンティは神々に祈り、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナという3人の王子を得る。続いて妃マドゥリーも同じように祈り、ナクラ、サハデーヴァという双子の王子を授かった。 パーンドゥの死後、実兄であるドリタラシュートラがその跡を継いで王となった。ドリタラシュートラには妃ガンダーリーとの間に「カウラヴァ」と呼ばれる100人の王子がおり、「パーンダヴァ」と呼ばれる前王パーンドゥの息子5人も彼らとともに育つ。 しかし何かにつけてドリタラシュートラの王子たちよりも秀でたパーンダヴァ王子たちは、ドリタラシュートラの長男ドゥリヨーダナの恨みを買い、何度か命を狙われた末、ついに陰謀によって王国から追い出されてしまう。 13年間の隠遁生活の末、パーンダヴァの王子たちはカウラヴァの王子たちに国を返すように要求し、それがきっかけとなって王族や周辺諸国も巻き込んだ18日間の壮絶な戦争が始まる。 マハーバーラタで特徴的なのは、戦争に使われる武器の数々である。紀元前の話とは思えないような、ミサイルや核を思わせる武器が次々と登場する。「ラーマーヤナ」に比べるとずっと血なまぐさく、大人向けの物語と言える。
映画のタイトルやレストランの名前として、日本では呼び名だけがひとり歩きしている感がある「マハラジャ」。「マハ=偉大な」、「ラジャ=王」という意味で、ヒンドゥ教の藩王を指す。 インド各地にあった藩王国のマハラジャたちは、イギリス植民地時代にはうまく権力と結びついて数々の特権を享受し、かつ、植民地支配に潜在的に反発する民衆の心のよりどころでもあった。現在は政治的な実権はないものの、マハラジャの末裔はまだまだ王様として地元の人々の注目と尊敬を集めてる。
1959年に中国政府の弾圧を逃れて亡命したチベットの政教両面の最高指導者ダライ・ラマ法王は、インド北部ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラに亡命政府を樹立しました。当時、ダライ・ラマとともに約8万人ものチベット人が亡命したと言われ、現在もダライ・ラマを慕ってインドに渡るチベット人があとを絶ちません。チベット人居住区はダラムサラのほか、インド各地に多数建設されています。
マハトマ・ガンディー、本名MohandasKaramchandGandhi は、1869年に西インド・グジャラートで裕福なヒンドゥー教徒の家に生まれました。 1988年イギリスに留学して弁護士となり、その後渡った南アフリカでインド人の人権を守る活動を続けるうちに、のちの非暴力・不服従という思想を形成していきました。ガンディーの思想はインドをイギリスからの独立に導き、また世界中の人権運動に影響を与えました。 しかし一方ではヒンドゥー教とイスラム教の融和を図った彼はヒンドゥー原理主義者から敵対視され、1948年にデリーにて暗殺されます。「マハトマ(Mahatma)」は「偉大なる魂」という意味の尊称です。
インド女性といえば、すぐにあの額の赤い印が思い浮かびます。「ビンディ」と呼ばれるこの装飾は、現在では宗教に関係なくインド女性のおしゃれのひとつとして一般的ですが、もともとはヒンドゥー教徒特有のものでした。ヒンドゥー教では額は生気の宿る神聖な場所と考えられており、色粉などでさまざまな装飾を施す習慣があるのです。 市場では台紙にきれいに貼られたシール状のビンディがたくさん売られています。フェルトのシンプルな赤いものだけでなく、色も形もいろいろなパターンがあり、見ているだけでも楽しいものです。地域や年代によって流行もあります。基本的に使い捨てですが、貴石を使ったちょっと高級な細工の細かいものなどは繰り返し何度も使うことができます。 この他、髪の分け目を赤く染めている女性を見かけることもあると思います。これは「シンドゥール」という既婚女性の印で、毎朝、色粉で染めることが女性の誇りでもあるのです。
インドの人は普通、トイレでトイレットペーパーを使わず、水を使ってきれいにします。ですから一般に、インドのトイレには紙がありません。便器の横に小さな手桶と蛇口があるか、水を溜めたバケツなどがあるのが普通です。右手に手桶を持ち、左手でお尻をきれいに洗うのです。 ご旅行中、こんなインド式トイレに遭遇することがあれば、すっきり爽快なトイレ体験に挑戦してみてはいかがでしょう。とはいっても、ホテルのトイレなどにはきちんとトイレットペーパーが用意されていますのでご心配なく。
「インドでは手でカレーを食べるんでしょう?」。よく聞かれる質問です。確かにインドの人は食事の際に手を使います。これはインド特有の「浄・不浄」の概念に基づいた習慣です。 誰が使ったのか分からない食器類を使うよりも、自分の手の方が信用できるのです。また、上記のようにトイレでは左手を使うため、食事の際は基本的に右手のみを使います。しかし、これも場所によります。高級レストランではフォークとスプーンを使います。 誰かがすでに口をつけた食べ物、飲み物も不浄とされます。ちょっと味見をする時も決して直接口をつけません。屋台などで共有の水差しを回し飲みする時、注ぎ口から少し距離をおいて直接唇に触れないように上手に飲んでいる姿をご覧になることがあるかもしれません。
外国人にとって、ヒンドゥ教の身分差別であるカースト制度は少々分かりづらいものです。「カースト」はもともとポルトガル語で「家系・血統」を意味するCastaという語が英語に借用された言葉です。 アーリア人がインドに侵入した際、先住民との間に身分差別を設けたことに由来し、植民地時代にイギリス人のインド統治に利用された事実もあります。 カーストは大まかに、司祭階級のバラモン、武士階級のクシャトリア、庶民階級のバイシャ、隷民階級のシュードラに分かれ、さらにカースト内の身分に入らない不可触民と呼ばれる人々も存在します。カーストはさらに、職業などによっておおよそ2000から3000に細分化されていると言われています。たとえばドービーという階級に属する人々は、親子代々に渡って地域の各家庭の洗濯ものを一手に引き受けてきました。 こういった身分差別がインドの近代化を阻む諸悪の根源とされる一方、広大なインドにおいて、それぞれがカーストによる自分たちの役割を担うことで、社会が潤滑に機能してきたという一面もあります。
広大なインドには多彩な建築様式があって興味が尽きることがありません。紀元前の古代建築といえば、当時、支配階級と結びついて栄えた仏教寺院が挙げられます。 ブッダガヤのマハーボディ寺院や西インドのマハラシュトラ州の石窟寺院、そして仏教がインド全土で衰退した後も生き残ったラダックやシッキムの僧院建築などがあります。その後、5~6世紀頃にバラモン教が土着信仰を吸収しながらヒンドゥー教として台頭し始めると、外壁を豪華絢爛に装飾するヒンドゥー寺院独特のスタイルが発展し、石造建築の基本となって全土に広がりました。 10世紀頃からはイスラム教が影響を及ぼし始めます。偶像崇拝を禁じたイスラム教は、神々がおおらか に表現されたヒンドゥー建築と衝突しながらも、16世紀のムガル朝のもとではそれらと融合して独自のインド・イスラム建築を生み出していきました。タージ・マハル廟はその最高傑作のひとつと言えます。 石造建築が主流ななか、ヒマーチャル・プラデーシュ州やケララ州には珍しい木造建築も見られます。またコルカタやムンバイ、ニューデリーなどには、イギリス植民地時代の名残りであるコロニアル調の建築が多く現存しています。
バックウォーターを巡るハウスボートの優雅なクルーズ、世界遺産・ニルギリ山岳鉄道、聖地カンニャークマリも訪れる究極の南インドの旅。
今も息づく貴重な少数民族の文化を求めて、インド北部の山岳地帯を行く。3ヶ所で定期市を訪問。失われゆく各部族の伝統文化を求め、驚きに満ちた東インドへ。
女王の階段井戸、大カッチ湿原、シャトルンジャヤ巡礼など、グジャラートの歴史・文化・自然にふれる魅力あふれる旅。独自の染織や刺繍が受け継がれる村々も訪問。
アジャンタ、エローラ、サーンチーの三大遺跡をゆったり見学。極彩色の壁画が残るピタルコーラ石窟や世界遺産ビーマベトカなど知られざる見どころも訪問。
憧れのホテルで過ごすインドの休日。アグラ、ジャイプールでは「ジ・オベロイ・ホテル」に宿泊。悠久の歴史を刻む3都市を巡り7つの世界遺産を見学。