ウズベキスタン
Uzbekistanソビエト崩壊後、独立した中央アジアの国々の中で一番観光に力を入れている国、ウズベキスタン。ソビエト時代には荒れ果てたままだったモスクや神学校は、当時の技術を持つ職人の手によって見事に蘇りました。 また、14世紀に中央アジア一帯の覇者となったティムールが出身した地でもあり、ティムールや彼の子孫が作った建築物が、今なお当時の栄華を物語っています。そして、ソグディアナと呼ばれた地から、はるばる中国やアラビアまで隊商を連ねたソグド人の住んだ地でもあります。
ソビエト崩壊後、独立した中央アジアの国々の中で一番観光に力を入れている国、ウズベキスタン。ソビエト時代には荒れ果てたままだったモスクや神学校は、当時の技術を持つ職人の手によって見事に蘇りました。 また、14世紀に中央アジア一帯の覇者となったティムールが出身した地でもあり、ティムールや彼の子孫が作った建築物が、今なお当時の栄華を物語っています。そして、ソグディアナと呼ばれた地から、はるばる中国やアラビアまで隊商を連ねたソグド人の住んだ地でもあります。
ウズベキスタンの首都で旧名シャシュ。「石の街」を意味するこの街は中国の文献で「石国」という名でも記録されています。1966年の大地震によって、街の大部分は破壊され、ソビエト時代に新しい街が形成されましたが、旧市街には古きシルクロードの面影を残す建物が残っています。
建物の青いタイルの色から「青の都」とも呼ばれるサマルカンドは、中央アジア最古の都市で2500年もの歴史を持つ美しい街です。紀元前4世紀にアレキサンダー大王がこの地を訪れ、その美しさに驚嘆したといわれています。1220年のチンギス・ハーンの破壊によって、古代のサマルカンドは今はアフラシアーブの丘の下に眠っていますが、14世紀に出現したティムールは、この地をティムール帝国の首都として復興し、一大文化都市としました。
ザラフシャン山脈を遠望する、ティムールの故郷。サマルカンドとブハラの間に位置しています。 「緑の街」という意味のシャフリサブスには、アクサライ宮殿、ティムールの親族の廟やモスクなど、彼の残した建築群が残り、 2000年に世界遺産に登録されました。
ブハラはソグディアナの西端に位置するオアシスで、5世紀の唐の文書では「不花刺」と書かれたソグド人の都市国家でした。世界遺産に指定されたブハラ旧市街は、当時の隊商都市の面影をそのまま残しています。また、砂漠を行く隊商の灯台の役割をした巨大なカリヤン・ミナレットが、今もブハラの街を見下ろすようにそびえ立っています。
1592年、ホラズム王国の王アラブ・ムハマンド・ハンによって首都とされ、1920年にソビエト政権が樹立されるまでヒヴァ・ハーン国の王都として栄えました。 外敵の侵略を防ぐための城壁で守られ、内城イチャン・カラは、内城そのものが世界遺産に指定され、当時のメドレッセ(神学校)、アルク(城)など様々な建物が残っています。