キルギス
Kyrgyz天山山脈とパミール高原に囲まれた高地にある国家。7000m級の山々や「天山の真珠」イシク・クル湖など美しい自然に恵まれ、動植物の宝庫で、中央アジア屈指の親日国家でもあります。 東西を貫くシルクロードの要衝の地にあり、唐からインドへ向かった玄奘三蔵が往路に訪れた著名な遺跡もあります。
キルギスの首都。ソ連時代から独立までは、この地に生まれたソビエト軍司令官・ミハイル・フルンゼの名前を取り、フルンゼと呼ばれていました。 町の中心のアラ・トゥー広場からは、天気が良ければ遠くに天山の峰々を望むことができます。また、市内には世界一長い叙事詩と言われる「マナス」の歌い手の像が並んでいます。
琵琶湖の9倍もの面積を持つイシク・クル湖は、天山山脈に連なるキュンゲイ・アラトゥー山脈とテルスケイ・アラトゥー山脈に挟まれた盆地にあり、「天山の真珠」と呼ばれています。 冬場でも凍結しないため、キルギス語で「熱い湖」という意で、玄奘三蔵の書いた「大唐西域記」にも登場します。 晴れた日の銀色に輝く天山と湖面の景色を見れば、真珠と呼べるのもうなずける美しさで、夏場には岸部に建てられたリゾートホテルでくつろぐ人々が見られます。
唐からインドへ向かった玄奘三蔵は、高昌国を発ってから、イシククル湖を通って砕葉城と呼ばれたこのアク・ベシムに立ち寄ったと言われています。 当時の仏教寺院跡などが残りますが、仏教もまたインドからはるばるシルクロードを通って日本まで伝わったことがわかります。今後の日本の考古学チームによる発掘作業も期待されます。
10世紀に興ったイスラム王朝・カラ・ハーン朝の都跡。中央アジアのイスラム化に大きく影響を与えたこの王朝の首都がキルギスのトクマク近郊に残るバラサグンです。現在もそびえるブラナの塔や、付近から出土した石人像が展示されています。石人は一説によると、古の昔の草原の覇者「突厥」の戦士の墓と言われ、キルギスやカザフスタンで多く出土しています。どの石人も右手に杯のような容器を持ち、左手に武具を持った姿をしています。
オシュはキルギス第2の都市で「南の首都」とも呼ばれる古都。ウズベキスタンのフェルガナ盆地に接し、更に南部のパミール地区へのゲートウェイともなります。 オシュからパミールにかけてはキルギス族が暮らし、夏にはユルトで馬の放牧生活をする人々の姿が見られます。
首都ビシュケクの南東約120キロメートル、標高3016メートルに位置するソン・クル湖。イシククル湖に次いでキルギスで二番目の大きさを誇ります。天山山脈に囲まれた美しい湖畔では、草原の民キルギス族が移動型の伝統宿泊施設ユルタで生活しています。ユルタは柳の木の枝で作った枠組みに、羊の毛で作ったフェルトの織物を巻いて作られており、織物には「水の流れ」や「羊の角」など、部族ごとに違った文様が織り込まれています。