チュニジア北部
Northern Tunisiaサハラのオアシスから山岳砂漠の渓谷美、地中海沿岸に点在するローマ遺跡・・・チュニジアにはカルタゴやドゥッガ、ブラレジアなどの素晴らしい歴史遺産が残されています。
チュニジアの首都で、政治・経済・文化・観光の中心地です。フェニキア人によって建設され、古代にはチェネスと呼ばれていました。町は13世紀にイスラム都市として栄華を極めたメディナ(旧市街)と19世紀にフランスの保護領だった時代に建設されたパリを思わせる新市街に分けられます。 新市街にはメトロが走り、オープンカフェや高級ホテルが立ち並ぶ一方で、メディナには歴史を感じさせるモスクや庶民の生活の場となっているスークが今だに賑わいを見せています。
カルタゴは紀元前800年頃建てられ、フェニキア語で「新しい町」を意味する「カルト・ハダシュ」と呼ばれていました。カルタゴの街の名前はこの「カルト・ハダシュ」に由来してります。 2世紀にローマの五賢帝の一人であるアントニヌス・ピウスによって建設された「共同浴場」、かつてカルタゴの繁栄を支えた「古代カルタゴの港」、「トフェ」とよばれているカルタゴの守護神が祀られていたというお墓の遺跡等が点在しています。この地に点在するローマ・カルタゴ時代の建造物は1979年ユネスコの世界遺産に登録されました。
真白な建物とチュニジアンブルーの窓枠がコントラストを成し、眼下に広がる地中海が町を一層美しく魅せています。 15世紀、スペインから逃れてきたイスラム 教徒達によって建設されたため、建物にはアンダルシアの影響が色濃く残されています。 数多くの芸術家達がこの地に滞在し、チュニジアで最も美しいと称される町、それがシディ・ブ・サイドです。 通りにはたくさんのお土産店が軒を連ね、いつでも観光客や地元の人々で賑わっています。
かつてチュニジアは“ローマの穀倉”と呼ばれていました。今でもチュニス北西部の丘陵地帯には見渡す限りの小麦畑が広がっています。そんな小麦畑を見下ろす様に残るドゥッガ遺跡はチュニジア最大規模の遺跡です。町の中心に建てられたキャピトルと呼ばれる神殿にはかつてジュピター、ジュノー、ミネルヴァ等のローマの神々が祀られ、町の何処からでも見える様に建てられました。 この遺跡でおもしろいのは風の広場と呼ばれる場所です。床には各方角から季節ごとに吹く12種の風の名前が刻まれ、昔の人々はこれによって季節の到来を知ったのです。その他、遺跡内には劇場、公衆浴場、マーケットなどが保存状態良く残っています。また、「デュオニソス」「ユリシーズ」といったギリシャ神話をモチーフにした素晴らしいモザイク画が見つかっており、現在はチュニスのバルドー美術館に展示されています。
ローマに併合される前、この地はヌミディア王国の都でした。第2次ポエニ戦争の後、ローマ、ビザンチンの支配を受け、町は繁栄を続けました。この町の特徴は地下住居にあります。 夏は暑く、冬が寒いこの地方では、人々は夏の間涼しい地下に住み、冬になると地上で生活しました。数多くのモザイク画が発見され、発見されたモザイクのテーマによってくじゃくの家、狩猟の家、新狩猟の家、魚の家と名付けられています。特に有名なのがブッラレージアで最も美しいと言われるトリトンとアフロディーテのモザイクです。 多くはバルドー美術館へ移されましたが、今でもこの美しいモザイク画はそのままの形で見ることができます。