カサブランカ~フェズ
Casablanca & Fez紺碧の空と海を臨むモロッコの首都ラバト。北アフリカ最大の商業都市カサブランカ。大都市の位置する大西洋沿岸部から、ベルベル文化の息づく内陸部の古都へ。
紺碧の空と海を臨むモロッコの首都ラバト。北アフリカ最大の商業都市カサブランカ。大都市の位置する大西洋沿岸部から、ベルベル文化の息づく内陸部の古都へ。
人口約320万人を擁する北アフリカ最大の商業都市カサブランカ。映画「カサブランカ」で一躍その名前が有名になりました。カサブランカの歴史は古く、12世紀のムワッヒド朝時代にはすでに貿易港として栄えていました。一時ポルトガルによって破壊されましたが、18世紀に再建され、スペイン商人らがこの町に住み着くようになりました。それまで町はアラビア語で「ダール・バイダ(白い家)」呼ばれていたのですが、それがスペイン語に翻訳されて「カサブランカ」と呼ばれるようになったのが町の名前の由来です。1907年のフランスによる占領後、外国人の住民が増え、ヨーロッパの影響を色濃く受けるようになりました。
紺碧の空と海を臨むモロッコの首都ラバト。褐色の城壁に囲まれた町には、白壁の建物、ヤシの並木通り、緑豊かな公園や広場が点在し、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。 ムワッヒド朝の没落とともにラバトも衰退し、マリーン朝はフェズを新しい都としました。しかしその後、ラバトは商業貿易の中心としてその勢いを取り戻し、1912年にモロッコの首都となって以降今日に至っています。建国の父と呼ばれる前国王モハメド5世の霊廟はモロッコの伝統工芸の粋を集めた美しい建築です。ハッサンの塔は12世紀のムワッヒド朝の時代に構想された巨大モスクの一部で、約360本の石柱とともに未完のまま残されています。マラケシュのクトゥビアの塔とともにムーア式建築の代表と言われています。
メクネスは、10世紀頃ベルベル系のメクネッサ族によって作られた都市で、周囲には果樹園やオリーブ畑が広がります。17世紀にアラウィー朝のムーレイ・イスマイルがメクネスを王国の首都とし、数多くの城壁、城、門、モスクなどを建設しました。 その中でもマンスール門は北アフリカで最も美しいと言われる有名な門で、キリスト教からイスラム教に改宗した建築家マンスールの設計と言われています。門の全体は青と緑のタイルで飾られ、中央に馬蹄形の大きなアーチの通路があります。ムーレイ・イスマイル廟は中央に大理石の水盤のある広い中庭や、モザイクの壁面、漆喰の彫刻などはイスラム芸術の最高傑作と言われています。
のどかな平原に佇むヴォルビリス遺跡は古代ローマ時代の都市遺跡です。古くは紀元前40年頃に遡り、オリーブオイルの貿易により繁栄しました。遺跡の半分はまだ発掘されず地中に眠っています。カラカラ帝の凱旋門、神殿、庶民の邸宅、公共広場、浴場跡などが残っているほか、床や壁には幸運を表す魚やオルフェウス、四季のモザイクなどが修復されながら保存されています。現在、博物館を建設中で、ラバトの考古学博物館に収められているモザイクが移転される予定です。
1200年もの歴史をもつ古都フェズは、モロッコの思想・宗教・芸術の中心地で、9世紀にできたフェズ・エル・バリ(旧市街)と、13世紀にできたフェズ・エル・ジャディド(新市街)、そして、近年造られた近代的な町にわかれています。旧市街のメディナは世界一複雑な迷路と言われ、ユネスコの世界遺産にも指定されています。ブー・イナニア神学校は14世紀のマリーン朝時代に建てられたムーア建築様式の代表的な建築物のひとつ。ムーレイ・イドリス2世廟はフェズの創始者であり、守護聖者としても崇拝されているムーレイ・イドリス2世を祀った修道院です。