ナイル川流域Ⅱ (デンデラ、アビドス~ルクソール周辺)
The Nile BasinⅠ(Dendera & Abydos - in and around Luxor)ルクソールを中心に古代エジプトの史跡が点在し、往時のエジプト文明の力と芸術性に圧倒されます。
ルクソールを中心に古代エジプトの史跡が点在し、往時のエジプト文明の力と芸術性に圧倒されます。
紀元前1世紀、プトレマイオス12世の時代に建設が始められたハトホル神殿が保存状態良く残っています。神殿内部にはハトホル神の柱頭に美しいレリーフが刻まれた列柱室、天井には天の運行を現すレリーフが色彩豊かに残っています。有名なクレオパトラ7世とその息子カエサリオンのレリーフは神殿南側に今でもくっきりと浮かび上がっており、当時の技術の高さに驚かされます。この神殿で面白いのは地下室に残るレリーフです。ホルス神のシンボルであるハヤブサや蓮のレリーフなどがあり、なかでも電球とフィラメントを思わせるレリーフは、一時“デンデラの電球”と世の中を騒がせたこともありました。実際には電球ではなく、朝の空を表す楕円形の中に朝日を表す蛇が描かれているという説が有力です。
第19王朝セティ1世によって建てられ、息子のラムセス2世によって完成されました。塔門にはホルス神、オシリス神、セティ1世のレリーフが残り、内部は7つの至聖所で構成されており、それぞれ神々のレリーフが色鮮やかに残っています。数多くの遺跡が残るエジプトの中でも最も美しいもののひとつとされています。
オシリス神に敬意を表して造られた神殿。建物はかなり崩れてしまったが壁面にはカルトゥーシュや神々のレリーフが見られ、部分的に色彩も残っています。神殿の外壁にはラムセス2世の治世に起こったヒッタイトとカデシュの戦いをモチーフにしたレリーフも見ることができます。
現在の首都・カイロから南に500km、ナイル川沿いに広がる町。BC2130年頃の中王国第11王朝時代に約140年間。BC1560年頃の新王国時代には約500年間、「テーベ」と呼ばれたこの地は都として繁栄しました。周辺にはその時代に造られた多くの遺跡が残り、ナイル川東岸は太陽が昇る「生の都」、西岸は太陽が沈む「死者の都(ネクロポリス)」とされています。現在の市街は東岸にあり、西岸へはナイル川を渡るフェリーが出ています。
王家の谷の南西にあるラムセス2世の王妃・ネフェルタリの岩窟墓。内部の壁画の美しさはエジプト随一といわれています。1904年にイタリアのスキアパレッリが発見し、その後修復作業が行われましたが壁画保護の為閉鎖されていました。現在は見学者を限定して公開されています。
1922年。この場所から完全な形のツタンカーメン王の墓が発見されました。岩山に囲まれた谷を掘り造られたこの墓は、紀元前17世紀以降の新王国の全ての王様が埋葬されています。その数は確認されているだけど60基以上ありますが、修復などのため、現在見学できるのはその中の10基ほど。中でも最大規模の墓はラムセス3世葬祭殿。敵を討つラムセス3世の姿や野牛狩りのレリーフなど勇ましい題材のレリーフを見学する事が出来ます。
王家の谷へと向かう道沿いに高さ20mもの2体の巨大な坐像が建っています。この像は新王国時代の絶頂期の王様アメンホテプ3世によって造られたもの。元々この巨像の背後には、巨大な葬祭殿があったと言われていますが、後の王たちが石材として使用したため完全に崩壊し、今ではこの2体の像だけが残されています。
トトメス2世の妻であるエジプトで始めての女王ハトシェプストの葬祭殿。3つのテラスから構成され、現在見学できるのは第一、第2テラスまでとなっています。内部には女王自身のレリーフや彫刻の他、第一テラスの南側には女王の治世にプント(現在のソマリア)との交易を行っていた事を裏付けるレリーフが奇麗に残されています。
ラムセス3世が自身のための葬祭殿として建設したもの。彼の死後はアメン神の神官達を管理する中央機関として利用された場所でもあります。 北の外壁には史上初めての大海戦となったBC1200年頃の“海の民”との戦いがレリーフとして残されています。
数々の美しい壁画が見られる貴族の谷、中でもラモーセの墓前室に残る葬列図の「哭き女」が有名です。ソリで引かれるミイラを収めた厨子に向かって悲嘆の叫びをあげる女性の姿が描かれており、これは大声で泣いて悲しみを演出する職業の女性達を描いているとされています。
紀元前20世紀頃から建造が始まったエジプト最大の神殿跡。街の北位置し、主に新王国時代の紀元前15~12世紀頃に建てられました。中心のアムン大神殿は四方を壁に囲まれ、スフィンクスの並ぶ参道の先にはオベリスクが立っています。他にも敷地内にはいくつかの塔門や中庭、大列柱室、葬祭殿等が建っています。南にはムト神殿、北にはメンチュ神殿があり、毎晩音と光のショーが開催され、その時間に訪れると昼の間とは全く異なった、幻想的な光に照らし出される巨大な神殿をご覧いただけます。
市街のほぼ中央、ナイル川河畔のこの神殿跡は、カルナック神殿の付属神殿として、紀元前14世紀の新王国時代の初期にアメンホテプ3世により建てられました。かつては、カルナック神殿との間を3kmもの距離に渡って、スフィンクスが並ぶ参道が結んでいました。最奥にはアレキサンダー大王の至聖所があります。かつてはこの神殿に2本のオベリスクが建っていましたが、その一つは1833年にフランスに寄贈され、現在はパリのコンコルド広場に立っています。
ルクソールの遺跡から発掘された彫刻やミイラなどが展示された博物館。規模はそれほど大きくはありませんが、トトメス3世やアメンホテプ3世といった歴代のファラオ達の彫刻など見るべきものは多い。
ルクソールから南に108km。ハヤブサをシンボルとするホルス神に捧げた神殿が残っています。プトレマイオス3世がBC237年に着手し、200年近い歳月をかけて完成されました。神殿内部は当時図書館として使用されており、パピルスで作られた文書が保管されていました。神殿の裏側にはセト神とオシリス神の争いをモチーフにしたエジプト神話がレリーフで描かれています。
プトレマイオス朝時代に建てられたコム・オムボ神殿が見所です。この神殿には至聖所が2つ設けられ、至聖所への通路も2つに別れています。神殿の北の部分はホルス神に、南の部分はワニの姿をしたソベク神に捧げられるという少し変わった造りとなっています。ソベク神のシンボルであるワニは神として崇められ、神殿内から見つかったワニのミイラが展示されています。