秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

デカンの至宝
幻の王都ハンピと石彫美術探求の旅 <前編>

2024.11.12 update

人口・面積が大きいことはもちろんですが、その文化の多様性から一つの「世界」ともいえる大国、インド。歴史・文化・言葉などが国内で多様に異なっていますが、大きくは北と南の2つに分かれます。南インドでは、中世以降西から侵入してきたイスラームの影響を大きく受けてきた北インドと異なり、インド固有の宗教であるヒンドゥー教国家が存続している期間が長く、独自の歴史を歩んできました。南インドに属するカルナータカ州にも、様々な時代の国々が築いてきたヒンドゥー寺院がよく残っており、そのどれもが非常にレベルの高い精巧な石彫を刻んでおり、初めて見れば「すごい」の一言に尽きるものばかりです。

 

そんなカルナータカの石彫美術を見て回る「デカンの至宝 幻の王都ハンピと石彫美術探求の旅」を今回は2回にわたってご紹介します。

 

チェンナ・ケーシャヴァ寺院「鏡を見る美女」

ツアーはカルナータカ州の入口となる人口1,000万人の大都市、バンガロールからスタートです。初日はバンガロールに宿泊し、翌日、まずは西に180km行ったところにあるハッサンの町へ向かいます。途中、”Café Coffee Day”で一服。国内に1700店以上の店舗を持つ巨大チェーン店ですが、カルナータカ州の発祥です。インドというと、チャイを一日中飲んでいるイメージがありますが、カルナータカ州はコーヒーで有名で、全インドのコーヒー生産量の約70%を占めているそうです。

 

ハッサンの町付近には、ホイサラ朝 (1026-1343) という王朝が存在していました。ホイサラ朝は南インドの建築発展史上重要な一時代を築いた王朝で、ホイサラ様式と呼ばれるヒンドゥー寺院建築の様式が確立されています。

ホイサラ朝の名の由来で紋章にもなっている、ライオンを倒すサラ少年の像

 

ヒンドゥー教では神の像を作って崇拝するので、ヒンドゥー寺院は神が宿ることになる像を安置する部屋を設置します。これを聖室 (ガルバグリハ) と呼びます。その前面に、神をもてなし礼拝するマンダパ (拝堂) があり、この <聖室+マンダパ> というのがヒンドゥ寺院の基本形となります。この単純な形を発展させて荘厳にしようとすると、聖室は窓のない厚い壁で囲まれた正方形の部屋でこれ自体が巨大化することはないので、その周囲に礼拝のための繞道を巡らせて平面を広げたり、聖室の上部には高く塔状に石を積んだり、聖室を広い列柱ホールとしたりします。ホイサラ様式では、聖室の上の塔は高くないですが、平面的に、正方形を少しずつ回転させて形成したような星型の形状を持っているのが外観的にきらびやかに見せる形となっています。さらに側面には寸分の隙間もないほどに神話場面や動植物紋様の浮彫がうずめいており、圧倒されること間違いなしです。

 

ハッサン近郊の有名寺院2つを訪れました。ひとつは、ホイサラ朝初期の首都であったベルールの町にあるチェンナケーシャヴァ寺院。「チェンナ」とは「美しい」、「ケーシャヴァ」はヒンドゥー教「ヴィシュヌ神」を意味します。名前の通り、八百万ならぬ3,300万とも言われるインドの神々の中でもシヴァ神と双璧の人気を誇るヴィシュヌ神を祀っています。32角の星型の基盤の上に本殿が建っています。神々だけでなく人間の女性像なども、側面だけでなく内部の壁や柱も飾っており、とにかく派手です。

南インドの寺院建築の特徴の一つであるゴープラム (塔門)

ヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダ

 

次いで、ベルールから30分ほどのところにある、ハレビードの町へ。ベルールの後にホイサラ朝の都が置かれた場所です。ここにあるホイサレーシュワラ寺院を訪れました。チェンナケーシャヴァ寺院を建立したのと同じヴィシュヌヴァルダナ王という王が、自分と王妃の為に建立した寺院で、王の為の神殿と王妃の為の神殿が2連になってつながっている珍しい造りの寺院です。このお寺の主神は、シヴァ神。世界を維持するヴィシュヌ神に対して、シヴァ神は破壊神とされています。ヴィシュヌ神やシヴァ神にはそれぞれ乗り物があり、シヴァ神の乗り物はナンディという牛で、これがヒンドゥー教徒が牛を神聖視する理由になっています。そのためこの寺院では、王と王妃のそれぞれの神殿の前に、ナンディ像が置かれたお堂が設置されるという構造になっています。同じく星型の基壇と本殿が構造的に派手な形状をしていますが、驚かされるのはチェンナケーシャヴァ寺院に増して徹底的に彫り込まれた、側面の石彫の数々。何も彫刻のない「ただの壁」である部分を見つけ出すのが困難なほどで、「彫刻の洪水」「平面恐怖症」といった形容詞がしっくりきます。

文字通り隙間なく彫刻で覆われた壁面

マンダパの前のお堂に鎮座するシヴァ神の乗り物、ナンディ

 

ガイドさんのご両親がホイサレーシュワラ寺院の脇でチャイ屋さんを営んでおり、チャイをごちそうになりました。冬でも30度を超える南インドの熱気ですが、コーヒーで有名なカルナータカと言っても、インドと言えばやはり熱々のチャイに限ります。

 

翌日、ハッサンから320km北方にあるホスペットの町へ、インドの田舎の風景の中、一日かけて移動しました。今度は、ホイサラ朝から時代を遡った、前期チャールキヤ朝 (534頃-753) の時代を中心とした遺跡を訪れていきます。まずはホスペットからさらに120km北西にあるアイホーレの遺跡に向かいました。

 

アイホーレは今では小さな村ですが、ヒンドゥー寺院建築の発展史上重要な寺院群が存在しています。ここにはドゥルガー寺院という寺院があり、他では見ることのない後円の縦長な形 (馬蹄型) をした珍しい形状をしています。ドゥルガーというとヒンドゥー教ではシヴァ神の妃パールヴァティの憤怒形の戦いの女神が有名ですが、この寺院の名前は女神に由来するものではありません。「要塞」という意味だそうで、実際に寺院の近くに城壁が存在しています。馬蹄形を縁取るように回廊が巡っており、その回廊にヒンドゥー神話を表現した見事な彫刻が施されています。すぐそばにあるラド・カーン寺院は、正方形の形をした本殿に玄関をつけ、緩い傾斜の屋根を載せた、ドゥルガー寺院とは全く異なる形をしているのが面白いです。古代インドでは今よりも木材が豊富で、寺院も木造が主流だったそうですが、やがて岩山に穴をうがつ石窟寺院や、石造寺院に変わっていったという流れがあります。古代に建てられた木造寺院は残っていませんが、このラド・カーン寺院は木造寺院の外観を石造で模して作ってあります。

馬蹄形をしたドゥルガー寺院

ラド・カーン寺院。屋根上の丸太上の棒は寺院が木造だった頃の形状を模していると言われます

 

アイホーレの次は、パッタダカルという遺跡を訪れました。ここは前期チャールキヤ朝の王が戴冠の儀式を行なった町でした。ヒンドゥー寺院の様式は、北方と南方で分かれて大きく異なりますが、ここパッタダカルの7-8世紀に建てられた9つの寺院群では、その両方の様式が混在しているという珍しい場所であることが評価され、ユネスコの世界遺産に登録されています。

パッタダカル寺院群

 

北方型と南方型の違いを端的に示すのは、聖室の上に立ち上がる塔状部のデザインです。北方型では塔状部が上部に向けて段々と細くなる砲弾状をなして高く伸び上がり、これをシカラと呼んでいます。これに対して南方型の塔では、小さな祠堂群が横に並んで層をつくり、この水平層が階段状に積み重なってピラミッド型の塔状部を形成しています。

パッタダカルの寺院群の中の代表とも言えるのが、ヴィルパクシャ寺院。前期チャールキヤ朝が隣のタミルナドゥ州にあったパッラヴァ朝に勝利した記念に建てられました。パッラヴァ朝の首都カーンチープラムは南インドを代表する寺院のある場所で、その影響を受けて典型的な南インドの様式になっています。北方型と南方型が混在しているというのは、当時のチャールキヤ朝の王がこのように他地方から職人を集めていたことを意味しています。

ヴィルパクシャ寺院 (南方型)

ガラガナータ寺院 (北方型)

 

 

 

後編では、バーダミにある石窟寺院からご紹介します。

 

参考文献:

『南アジアを知る事典』 平凡社

『インド建築案内』 TOTO出版

『ユネスコ世界遺産⑤』 講談社

『インドの大遺跡』 講談社

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オマーンアドベンチャー 砂漠と海と緑のアラビア【後編】

  • オマーン

2024.10.10 update

Day6 ルブ・アル・ハーリー砂漠

本日は砂漠に連泊です。朝日を眺めに裏手の砂丘へ登ります。まだ暗く、涼しかったので気持ちよいハイキングです。朝食後、暑くなる前に砂丘ハイキングへ。キャンプ目の前の美しい砂丘を楽しみながら頂上へ。風もなくとても穏やかでした。ちなみに、この場所で砂嵐にあったことがありますが、その時は本当に大変でした。

キャンプに戻り、美味しいフルーツ&ティータイム。そして昼食後は皆さん、ゆっくりシエスタ(休憩)タイム。そして、夕方、夕日を眺めに再び裏手の砂丘の頂上へ。頂上からは今日一日を締めくくるような美しい夕日が輝いていました。夕食では、美味しいカレーにスルメイカ、そして焚火でマシュマロを焼いて楽しみました。今日は砂漠を1日堪能しました。

全員で一番高い砂丘に登頂しました

美しい砂丘を歩く

美しい夕日

 

Day7 ルブ・アル・ハーリー砂漠 → ジュベル・コブラ

朝、静かな砂漠でゆっくり贅沢な時間を過ごします。その後、ジープに乗り込み石灰岩の奇岩が生み出す光景が広がるジュベル・コブラへ。ルブ・アル・ハーリー砂漠の美しい砂丘が段々小さくなっていき、再び、石油プラントやパイプラインが現れます。途中、カーン・キブリットの塩の結晶が残る洞窟を訪れました。歩いてみると洞窟の中は見た目以上に広く、天井も壁も全て塩の結晶で覆われていてまさに塩の洞窟でした。

カーン・キブリットの塩の洞窟

ジュベル・コブラ着後、自分の好きな場所にテントを張り、ハイキングへ出かけました。ここは遥か昔海底だった場所で、石灰岩の地層が広がります。何千年と隆起・浸食・風化を繰り返した地形は奇岩の連続で、浸食されたコブラ岩が両サイドに広がっていました。ハイキング後半では、ラクダの骨や、貝の化石も見ることができました。キャンプに戻った後は、きれいな夕日を眺め、美味しい夕食を召し上がってお休みいただきました。

コブラのような奇岩が広がるジュベル・コブラ

 

Day8 ジュベル・コブラ → ホワイトデザート

海を目指して走りカールーフの漁村へ。ビーチ沿いから海を眺めるとたくさんのダウ船が漁をしていました。このビーチは遠浅で大きなダウ船が入ってこれないので、捕った魚はスピードボートに詰め替えてビーチへ。そして更にジープでボートを引き上げるというシステムです。ビーチは漁師たちで賑わっていました。本日はゆっくり時間を取って久しぶりの海を楽しみました。その後、ビーチ沿いを走りホワイトデザートへ。

ホワイト・デザート

ホワイト・デザートのキャンプ地の様子

 

Day9 ホワイトデザート → ラス・アル・ハド

本日は約450km北上し、ラス・アル・ハドへ。右手に海、左手にワヒバ砂漠。この砂漠では、ベトウィン (遊牧民) が今なお生活しています。所々でラクダの放牧も見ることが出来ました。途中、インド料理屋でお昼を食べて、夕方前にラス・アル・ハドへ到着し、夜のウミガメの産卵に備えて出発までお休みいただきました。夕食後、ウミガメ観察へ。オマーンでは、世界に存在する7種のウミガメの内4種いるそうです。(タイマイ、アオウミガメ、アカウミガメ、ヒメウミガメ)。ラス・アル・ハドの海岸にはアオウミガメが産卵に来るようです。今回は、産卵後、砂をかけて穴の中の卵を隠す様子をご覧いただけました。無事に成長してまたこの海に戻ってきて産卵できますように。

砂をかけて穴の中の卵を隠す様子

 

Day10 ラス・アル・ハド → スール → ワディ・シャアブ → マスカット

ワディ・シャアブへキャニオニングに出かけます。入水ポイントまでは、ナツメヤシが美しい谷間を歩き、途中、ガレ場を越えていきます。きれいな川が見えてくると「早く水の中に入りたい!」と皆さんテンションが上がっていました。そして、入水ポイント着後、泳ぐ準備をして水の中へ。水の中を歩いたり、少し岩を登ったり、泳いだりを繰り返し、最後の滝のところまで到着しました。皆さんアドレナリンMAXで楽しまれていました。そして、お昼を食べて同じ道を戻りました。マスカットへの道中は皆さんお疲れで車の中は静かでした。

ヤシの木が生い茂る美しい渓谷をハイキング

ワディ・シャアブでのキャニオニング

滝が流れ落ちてくる場所

 

Day11~12 マスカット(ハイラン・ベイ)→ 帰国の途へ

本日は、出発までアラビア海でのボ-ト・トリップとシュノーケリングを楽しむ1日。まずはBBQの食材を探しにフィッシュマーケットへ。オマーンはイスラム系の国では珍しく、シーフードを好んで食べます。イカ、エビ、マグロの切り身(お刺身用)にアジ3匹、と豪勢なBBQになりそうです。購入後、小型ボートにシュノーケルやアイスボックスなど全部積み込んで、入江を目指しました。透明度の高い海と完全なプライベートビーチで贅沢な滞在になりました。海の中は珊瑚も多くたくさんの魚が泳いでいました。BBQでは美味しい魚介類と野菜をたらふく食べました。贅沢な海鮮BBQでしたね。
旅の締めくくりにアラビアの海を堪能し、夜の便で帰国の途につきました。

プライベートビーチでアラビアの海を楽しむ

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オマーンアドベンチャー 砂漠と海と緑のアラビア【前編】

  • オマーン

2024.09.19 update

Day1、Day2 日本 → マスカット

オマーンの首都マスカットに到着。街中ではオマーン人の男性は伝統衣装「ディスターシャ」を着ており、アラビアに来たなぁと実感させてくれます。ターバンがムッサル、帽子がクッマ、典礼用のダガーはハンジャル、杖をアッサと呼びます。外国製の模倣品や斬新な着崩しから守るため、厳格な基準を設けていて違反者には高額の罰金を科すそうです。

オマーン女性の伝統衣装は「アバヤ」と言います。イスラム教徒の女性は自宅で家族と過ごしたり女性同士で過ごす場合には、頭髪を出していてもかまいません。しかし、外出する場合には、黒い布で作られたアバヤで全身をゆったりと覆い、スカーフで頭髪や耳、首などを隠します。アラブ諸国では、ヒジャブ、ブルカ、ニカブ、チャドルなどイスラム女性の服装は様々です。

夕方、ダウ船サンセットクルーズのため、アル・ロウダ・マリーナへ。16時に出港し南へセイリング。猫の形をしている「猫島」、国会の建物、アルブスタン・パレスを見てから、北へ向かい、オールドマスカットにある王宮や、ミラニ&ジャラリ砦、そしてムトラ方面に沈む夕日を眺めました。

ダウ船クルーズを楽しみました

 

Day3 マスカット → アル・ハムラ → ミスファット・アル・アブリーン → ニズワ

朝、オマーン最大にして最も美しいモスクと称されるスルタン・カーブス・グランド・モスクを見学。その後、海沿いを走り、ハジャール山地を西へ抜けてアル・ハムラ村へ。村には1軒の民家を改築した民俗資料館「ベイト・アス・サファー」がオマーンの女性たちによって運営されており、伝統的な暮らしやパフォーマンスを見学しました。その後、オマニコーヒーとナツメヤシが振る舞われました。アラブ圏では必ずよその家にお邪魔すると、まずナツメヤシが振る舞われます。生活環境厳しいアラビア半島では、来訪者にはまず高カロリーのナツメヤシが何世紀も昔から振る舞われています。

オマニコーヒーやホブス(アラブ式パン)やオイル抽出の実演

次に訪れたのはミスファット・アル・アブリーン。世界遺産「オマーンの灌漑システム」であるファラジがで有名な村です。ファラジの起源は紀元前3000年(5000年前)にさかのぼり、イラン系住民の文化から来たと考えられています。ファラジが張り巡らされた村の中を歩きます。果樹園やナツメヤシなど緑が多く美しい村を歩いて満喫し、宿泊地のニズワへ向かいました。

ファラジが広がる村の中を歩きます

 

Day4 ニズワ⇔アル・キタイム(キャニオンハイキング)

アル・キタイムのキャニオンハイキングへ出かけます。深い谷間を歩きましたが、まさに中東のグランドキャニオンと謳われる風景が広がっていました。途中、右手にオマーン最高峰ジュベル・シャムスの南峰を望むことができました。ちなみに、南峰には軍事基地があるため登山することができず、一般的に解放されている場所では北峰が最高峰となります。また、ここ一体、昔の海底が隆起した地形でオフィオライトと呼ばれています。地質学者にはたまらない国のようです。

アラビア半島のグランド・キャニオンを歩きます

 

Day5 ニズワ → ルブ・アル・ハーリー砂漠

午前中はオマーン随一の観光地であるニズワの観光です。週に一度の家畜市が開かれるニズワのスークと要塞を見学しました。スークではお土産にデーツを買う方がたくさんいました。ニズワのデーツはオマーンの中でも有名です。

ニズワフォートでは民族衣装を着た方たちが歌と踊りを披露してくれました

その後、いよいよルブ・アル・ハーリー砂漠へ向かいます。四輪駆動車にて、一路内陸の砂漠地帯へ進んでいきます。長距離移動でしたがどうにか暗くなる前にキャンプに到着。皆さんの協力もあり無事にテントなど設営が完了しました。夕食は砂漠でBBQを楽しみました。

砂漠でBBQを楽しみます

夕食の様子

 

 

 

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アルゼンチン最北の高原砂漠プーナ
(その2~エルペニョンからアリサロ塩原へ)

2024.08.14 update

ツアーのハイライトの1つであるエルペニョン周辺の観光を終えた後、もう1つのハイライト「トラル・グランデ」へ向かいます。この移動ルートの中も絶景の数々が広がっており、車窓風景や各所展望地からの景色を楽しんでいただける1日です。

 

前日に観光を楽しんだ谷間の走行を重ね、高原砂漠プーナ地帯のオアシスであるアントファガスタ・デ・シエラの町を通過後、ベガ・コロラダ(Vega Colorada)というエリアに入ります。

ベガ・コロラダの塩湖「コロラダ湖」
土壌が若干赤く、この辺りは塩湖。時折ヒツジたちが貴重なミネラルを補給するため、
塩湖の塩を舐めにやってきます。

アンデス山脈に並行して延び、5,500m以上の山をいくつも持つ山岳エリアの一部であるカララステ山脈の麓を流れるカララステ川に沿って標高をどんどん上げていきます。

カララステ峡谷の風景
ツアーにおける最高到達地点は、このカララステ峡谷で通過する4,635mとなります。

カララステ峡谷に入ると、黄金色に染まった美しい風景が高山病の不安を吹き飛ばし、周辺で放牧されている愛らしいリャマたちが高山病の不安を癒してくれます。

カララステ峡谷で放牧されているリャマたち
黄金色の植物の正体は「バハ・ブラハ」と呼ばれるイネ科の植物。
標高4,000mに自生する植物で、リャマなどの家畜たちにとっても貴重な食糧となります。

黄金色に染まるカララステ峡谷を通過すると、眼前に「アントファラ塩原(Salar de Antofalla)」の景色が広がります。展望地からは、アンデス山脈を構成する山の1つである標高6,440mの「アントファラ火山(Volcano de Antofalla)」も望むことができます。

アントファラ塩原を望む
「太陽が沈む(死ぬ)場所」という意味を持ち、カタマルカ州の広がる非常に細長い塩原。
現地ガイドさんの説明では長さは163kmに及びます。

その後、アントファラ塩原に沿って走行を重ね、カタマルカ州から再びサルタ州に入ります。州境である峠を越えると、目の前に「アリサロ塩原(Salar de Arizaro)」の景色が広がります。

アルゼンチンとチリの国境付近にある広大なアリサロ塩原を望む
面積は1,800km²。ウユニ塩原(10,582km²)、アタカマ塩原(3,000km²)に次ぐ、
世界で3番目に大きな塩原です。

アリサロ塩原上には、火山活動でできた砂岩の「コノ・デ・アリタ(Cono de Arita)」をご覧いただけます。

コノ・デ・アリタ(Cono de Arita)
あまりに見事な円錐形であることから、昔の人の手で作られたという噂が流れたそうです。

アリサロ塩原上を北上しながら走行し、ツアーにおけるもう1つのハイライトであるトラル・グランデへ向かいます。

トラル・グランデのみどころのレポートは・・・次回へ続く

 

アリサロ塩原上を北上しながら走行し、もう1つのハイライトであるトラル・グランデへ

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自然豊かな島 タスマニア島 ~ハイキング編~

  • オーストラリア

2024.06.25 update

オーストラリア本土の南に位置するタスマニア島。面積は北海道よりやや小さく、リンゴのような形をしていることからアップルアイランドという別名で親しまれています。オーストラリアの中では比較的降水量も多く、雨の恵みをうけて太古から続く原生林が残されています。そんなタスマニアの大自然を楽しむハイキングコースをご紹介いたします。

 

世界遺産 タスマニア原生地帯(Tasmanian Wilderness)

タスマニア原生地帯はオーストラリア最大の自然保護区のひとつで1982年と1989年に世界遺産に登録されました。世界遺産に登録されたエリアの一つ、クレイドルマウンテン/セントクレア湖国立公園(Cradle Mountain/Lake St. Clair National Park)ではゆったり2連泊し、ゴンドワナ大陸所以の太古の森を歩く2つのルートでハイキングがお楽しみいただけます。

 

ダブ湖周遊トレイルをハイキング(約3時間)

クレイドル国立公園にあるダブ湖を周遊する約6kmのコースです。ハイキングのスタート地点から目の前にはダブ湖に映るクレイドル山の姿が見られます。雄大な姿はこの公園を代表する景色のひとつです。

 


 
クレイドルは揺りかごという意味です。氷河の浸食によって山頂が大きく削られた姿が揺りかごに見えます。湖の周りには他にも氷河期に氷河が削った痕跡が見られます。

 

道中、様々な草花も観察できます。


ピンクマウンテンベリーや南極ブナの木々

 

 

南極ブナはかつて南極に生えていた為、名付けられた植物です。この木の化石が南極半島で見つかっています。南極ブナにも2種類あり、常緑と落葉樹で、落葉の南極ブナは、南米のパタゴニアエリア、オーストラリア・タスマニア、ニュージーランド南部にしか生息していません。この南極ブナが、大陸移動説を証明するきっかけになった要因の1つとされています。

 

キングビリー・トラックのハイキング(約45分)

このハイキングルートは湿って暗いレインフォレスト(冷温帯雨林)、太古の森を歩きます。タスマニア固有の4種の針葉樹のうち、キングビリーパインが多くみられます。鬱蒼とした苔に覆われた神秘的な景色が広がっています。

レインフォレストが山火事に会うと、その後に復活するのは先ずユーカリの森で、レインフォレストが復活するには少なくとも400年以上の年月がかかると言われています。

 

 

樹齢1500年以上といわれるキングビリーパイン。腐りにくい性質のため、タスマニアの銘木ヒューオンパインと同様、昔は船を建造する材料として使われていました。

木々や岩が苔に覆われ、神秘的な雰囲気を感じることができるハイキングルートです。

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