秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

2泊3日の縦断ハイキングで楽しむ
白亜の大砂丘レンソイス①

  • ブラジル

2025.02.14 update

白亜の大砂丘レンソイス』、皆さんは訪れたことがありますでしょうか?

 

ブラジル東北部に位置するマラニョン州の州都サン・ルイスから車で4~5時間ほど走ったバヘリーニャスという町の近郊に2024年に世界自然遺産に登録されたばかりの『レンソイス・マラニャンセス国立公園』があり、この国立公園に南米屈指の景勝地の1つである『白亜の大砂丘レンソイス』の風景が広がります。

 

レンソイス・マラニャンセス国立公園は、数万年という年月をかけて形成された1,550km² もの広さを誇る石英100%の大砂丘が広がります。雨季に降った雨により地下水脈の水位が上昇すると、白亜の大砂丘の谷間に無数の神秘的な青い湖が出現します。雨季明けのわずか3ヶ月の間だけ出現する奇跡の絶景をもとめて、6~8月に各社が競ってレンソイスのツアーを実施しています。

 

弊社の『南北ブラジルの大自然を訪ねて』をはじめ、通常の観光ではレンソイスには日帰りで訪れることが多く、昼食後にラグーンで遊び、砂丘の上から夕焼けの眺めを楽しむという日程となります。

白亜の大砂丘レンソイスを歩く

ただ、そこで終わらないのが西遊旅行!

更に、一歩踏み込んだプランも企画しています。
以前、私がレンソイスを訪れた際、現地ガイドとの話の中で「砂丘の上でテントはできないのか、せっかく星空がキレイそうなのに!!」と伝えたところ、開口一番「そういうプランもあるよ」と! 思わぬ返答に驚きつつ、即座にプランを伺い、実施するに至ったのが今回ご紹介する『白亜の大砂丘レンソイス縦断ハイキングと大瀑布イグアスの滝』です。

 

少々前置きが長くなりましたが、他にはない白亜の大砂丘レンソイスを満喫する2泊3日の縦断ハイキングを日程に沿ってご紹介させていただきます。

 

<レンソイス・ハイキング1日目>

◆歩行距離:約7~8km  ◆所要時間:4~5時間

 

バヘリーニャスの町を流れる「ナマケモノ」という意味のブレッキサ川を渡し舟で渡り、1時間ほど4WDにて走行し、レンソイスの砂丘へ向かいます。

川の畔で渡し舟の到着を待つ

バヘリーニャスの町の畔を流れるブレキッサ川

途中、小さなレストランで昼食を召し上がっていただいた後、走行を再開すると、突如目の前に真っ白な砂の土手が姿を現します。その土手を4WDで登り上げると、念願の『白亜の大砂丘レンソイス』の風景、眼下に真っ青な湖(ラグーン)の風景が広がります。いよいよ、大砂丘レンソイスに足を踏み入れる瞬間! 参加の皆さんの気持ちが一気に高揚する瞬間でもあります。

到着したら眼下に紺碧のラグーンが広がる

 

砂丘に到着後、現地スタッフや荷物を運搬する馬&馬係のスタッフと合流し、荷物の積込作業を開始します。お待ちいただく間に、お客様たちは、さっそく近くのラグーンへ足を運び、気の早い方はさっそくラグーンでひと泳ぎされる方もいらっしゃいます。

2泊分の荷物をご自身のザック等に入れて馬で運搬(お一人様あたり寝袋を含む5kgまで)します。

皆さんの荷物は馬が運搬します

 

一般的な観光では、このあたりのエリアを少し散策するだけで終わってしまうのが・・・残念。また、通常のハイキングでは、先頭に現地ガイド、最後尾に添乗員が歩き、その間を一列縦隊で歩いていただくことが基本ですが、このツアーでは簡単なルールだけを決めて、基本は自由に歩いていただきます。ただ、何でも良い訳ではありませんので、ご注意を。準備ができたら、いよいよハイキングがスタート!

レンソイス縦断ハイキングのスタートです

 

続く…

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天山山脈大展望・イニルチェク氷河トレッキング
名峰ひしめくベースキャンプを訪ねて

  • キルギス

2025.02.03 update

イニルチェク氷河は、キルギス共和国と中国の新疆ウイグル自治区にまたがる天山山脈最大の氷河です。いくつかの支流に分かれていますが、このトレッキングでは南イニルチェク氷河上に位置するBCを目指します。
トレッキングのハイライトである5日目以降のルートを写真を交えてご紹介いたします。

 

【メルツバヘル草原キャンプ(3,400m)⇒コムソモレスキ氷河キャンプ(3,800m)】
約12km、約6時間

トレッキング5日目のメルツバヘル草原以降、いよいよイニルチェク氷河上に入っていきます。雪、岩、多色の氷に囲まれたルートの長い1日です。体力を要しますが、いよいよ氷河を歩いているという実感が沸いてきます。

氷河上、最初の夜ですが、シーズン中は常設となるテント下には寒さを和らげるすのこが敷いてあります。

いよいよイニルチェク氷河の核心部へ

各キャンプ地の常設テントは広くて快適

 

【コムソモレスキ氷河キャンプ(3,800m)⇒ディッキー氷河キャンプ(3,900m)】
約7㎞、約5時間

トレッキング6日目は、コムソモレスキ氷河キャンプの右脇に位置する氷河のモレーンを通り、ディッキー氷河まで回り込みます。ディッキー氷河キャンプからは、天山山脈最高峰のポベータ峰(勝利という意味)7,439mの美しい姿を見る事ができます。

天山山脈最高峰のポベータ峰(7,439m) ディッキー氷河キャンプより

 

【ディッキー氷河キャンプ(3,900m)⇒南イニルチェク氷河BC(4,100m)】
約8km、約6時間

トレッキング7日目です。モレーン、白い氷河を横切ってイニルチェク氷河BCへ歩みを進めます。

南イニルチェク氷河BCを目指して進む

緊張間のある氷河上のロープでの下りも経験豊富なガイドのサポートで安心です。名峰ハンテングリ(7,010m)南イニルチェク氷河キャンプより

南イニルチェク氷河キャンプには2連泊でハンテングリ方面への散策を楽しむ

 

南イニルチェク氷河ベースキャンプでの滞在を楽しんだ後は、ヘリフライトでカルカラ谷へ。ヘリが徐々に高度を上げると、車窓からの風景に天山山脈の雪山の景観が広がっていき、だんだんとカルカラ谷の緑の草原へと変わっていきました。約30分のヘリフライトでしたが、雄大な景色に大興奮の時間でした。

南イニルチェク氷河BCから、ヘリで下界のカルカラBCへ一っ飛び

 

 

キルギス最高峰ポベーダ(7,439m)と、ピラミダルな山容が美しく「中央天山の宝石」と形容されるハンテングリ(7,010m)、眼前に聳える7,000m級の高峰群はまさに圧巻です。
天山山脈核心部の絶景を満喫できるトレッキングとヘリフライトでした!

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花のアムネマチン山麓
幻のブルーポピーを求めて

  • 中国

2025.01.07 update

中国青海省、黄河源流のほど近くに位置するアムネマチン山麓には、7月になるとブルーポピーが群生します。インドやブータンなどで見られるヒマラヤのブルーポピーは、背が高くシャキッとした一凛の花が岩場の影にひっそりと咲きますが、アムネマチン山麓は、背丈が低く一つの株に複数の花が咲き、山の斜面に群生しているのが特徴です。その他にも黄色や赤のケシや、様々な高山植物を楽しむことができます。

青海省で見られるブルーポピー

インド北部ロータンパスで撮影(2015年7月)

旅の起点は青海省省都である西寧。ここから大型の観光バスで移動します。近年の中国のインフラ整備は目覚しく、山道ではありますが舗装されていて快適です。フラワーウォッチングのポイントは大きく分けて3つあります。

①青海湖湖畔

②アムネマチン山麓周辺

③黄河源流域マトゥ周辺

①青海湖湖畔
青海湖は中国最大の塩水湖。琵琶湖の6倍もあり、一見海のようにも思います。モンゴル語で「青い湖」という名の通り、晴れた日には紺碧の湖面がキラキラと日差しに輝きます。湖畔一面には菜の花が咲き、7月に満開を迎え、8月頃まで見頃が続きます。青い湖面や、黄土色の山を背景にした美しいコントラストがあちこちで見ることができます。菜の花で採れた蜂蜜が路面で売られていることもあります。

②アムネマチン山麓周辺
青海湖からアムネマチン山麓の町・マチン(瑪沁)へは南に450km。途中、カワスムド(同徳)の町に滞在します。同徳へ向かうには黄河を渡り幾つかの峠を越えていきますが、この間も様々な高山植物を楽しみながら移動します。この周辺では沈丁花の群生が広がっていたのが印象的でした。また、峠付近には黄色のポピーが咲いており、チューリップのように花が大きく、抜群の存在感です。

 

-幻の最高峰アムネマチン-
1944年、アメリカの軍用機がこの空域を飛行していた際、高度8500mを保っていたにも関わらず、目の前に山が現れ、あわや大惨事という事件があったようで、9,000mを超える謎の山されてきました。その後、中国では入域制限などがあり調査が進んでいませんでしたが、最新の技術を用いた計測では6,282mとなっています。チべット民族の聖地でもあり、山を望む丘などには無数のタルチョがはためいています。7月は雨の時期でもあるので、なかなかお目にかかるのは難しい、ある意味では今も幻の山とも言えそうです。私が訪れた時は、幸運に恵まれ、山の全容を望むことができました。

幻の最高峰・アムネマチン

マチンからマトゥ(瑪多)へは幾つもの峠を越える山道を進みます。山の斜面の至るところに、様々な高山植物が咲き誇ります。ポピーも黄色や赤、紫など種類も増えてきます。山には野生の鹿の群が草をかき分け逃げていく姿もあり、移動中の車窓も飽きることがありません。

③黄河源流域マトゥ周辺
アムネマチンをマトゥ(瑪多)周辺までやってくるとブルーポピーの群生を見ることができます。これまではマトゥの奥にある黄河源流のオリン湖まで訪れることができましたが、2018年より環境保護のために立ち入ることができなくなってしまいました。それでも、マトゥへは訪れる人も少なく、峠周辺には高山植物が自然のままに咲いています。また、マトゥから西寧に戻る道すがらの峠道でも、ブルーポピーの群生に出会いました。

 

マチンやマトゥは3,500mを越える高所にあるため、高山病の心配もありますが、徐々に標高を上げていきますので、高度順応もしやすいコースです。7月なので雨季に当たり、雨が振ることも多々あります。気温は、朝夕は冷え込みますので、しっかりとした防寒具が必要です。宿泊施設は、田舎街にも関わらずしっかりとした建物ですので(暖房はなかなか効かないのですが)、安心してご参加いただけます。お食事は野菜の多い中華料理でどれも絶品です。峠でお花を探す際に少し斜面を登りますが、ご自身の体力に合わせて加減していだけます。どなたでもご参加いただけるフラワーウォッチングツアーですので、是非足を運んでみてください。

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北アフリカ最高峰ツブカル山登頂

  • モロッコ

2024.12.23 update

モロッコのツブカル山に登ってきました。

ツブカル山はアトラス山脈最高峰で北アフリカエリア最高峰。標高は4167m。キナバル山よりも少し高い標高です。ステップアップで少しでも高い山に登りたい方、異国情緒たっぷりの登山にもオススメの山です。

 

ツアーでは登山に要する三日間(山小屋2泊)が終われば、あとは魅力溢れるモロッコの観光となり、今回も晴天の中、全員登頂。あとはサハラ砂漠を楽しんたり、世界遺産の迷路のような旧市街やガスバ(要塞のような集落)を訪ね歩き、峠を越えツアー後半を楽しむことができました。

 

観光だけではちょっと物足りない登山好きな方には楽しみいっぱいのツアーでした。

 

さっそく名物タジンをいただく。モロッコではさまざまなタジン料理を味わいました。野菜も豊富でちょっとハマります。

 

登山開始は山麓のイムリル村。登山基地となる村でもあり、世界じゅうから登山者が集まります。特にヨーロッパからの登山者は多く、山小屋も大賑わい。さすがはモロッコの富士山(国の最高峰)だなぁと感じます。

 

登山中もたくさんの茶屋があり、フレッシュオレンジにハマりました。下山の時も栄養補給を楽しみに下山しました。

 

山小屋に泊まり、翌日は山頂アタック。そして昼過ぎには再び山小屋に宿泊します。ヘッドライトをつけて暗いうちから山頂を目指します。ガレ場が続き、慣れていない方は特に下では苦労しました。

 

無事に高山症状もなく、山頂に全員登頂!アトラスの山脈が東西に並んでいます。そして南にはサハラ砂漠、北には見えないけども、大西洋が広がっているのでしょう。その先には中南米。ロマンが広がります。

 

下山して、楽しみのモロッコの観光が始まります。まずは下山後のホテル宿泊でシャワーを浴びてスッキリ。マラケシュ!有名で世界中から人が集まるジャマエルフェ広場へ。広大な広場にたくさんの出店や屋台がでて、ずっと見ていても飽きない人通りです。
イスラムの国ではありますが、女性も自由闊達な様子。広場から一歩外れれば、迷路のようなスークが広がっています。何日も滞在したい街でした。

 

モロッコはアトラス山脈を挟んで二つの顔があります。地中海側は比較的都会で乾燥地帯とはいえ、その先には海があり、豊かです。一方、山脈の南側にはサハラ砂漠が広がる荒涼とした地帯。集落は要塞化したガスバとなり、砂漠への入り口となります。そのガスバの中でも、保存よく、世界遺産でもあるアイド・ベン・ハドゥへ立ち寄ります。岩山の斜面に迷路のように入り組んだ路地があり、山頂部には当初の残骸のような遺構が残されています。

 

 

いよいよサハラ砂漠に来ました。今回の大きな楽しみのひとつです。また砂丘に隣接する砂漠リゾートホテルに宿泊しますので、プラリと砂丘歩きを楽しめます。
サハラ砂漠はなんとアフリカ大陸の1/3をしめ、日本の国土の24倍!!その世界一の砂漠のほんの一端を堪能します。ラクダに乗って雰囲気抜群。夕刻と朝の砂丘を歩き、砂の芸術を楽しみました。

 

夢のようなサハラ世界から再びアトラス山脈を越えて、世界一の迷路の街といわれるフェズに向かいました。
モロッコの街は新市街と旧市街に分かれていることが多く、城壁に囲まれた旧市街の中にはスークが広がり、まさに迷路。無数の路地が入り組んで人々が生活しています。猫もたくさん、みんな猫に優しいモロッコの人々でした。


 

旅の終わりは首都ラバトからカサブランカへ。大西洋に面した街は内陸の街とは違い、白壁の通りが続き海風が気持ち良い。レストランではシーフードも堪能。最後に大西洋に沈む夕日でツアーを締めくくることができました!

 

 

【モロッコ旅の本棚】

 

モロッコを旅するにあたって学びたいことはたくさんあります。まずはイスラム教やイスラム文化。西遊での旅ではイスラム圏を訪ねることも多いので、やっぱり深めたい。さらにベルベル人のこと、街の成り立ち、食など日本とはかけ離れた国だからこそ、興味深いことがたくさんです。
雑誌TRANSITは世界を旅するバイブルで旅行に出かけるときはバックナンバーを是非チェックしたい雑誌です。

 

 

【外国旅のアドバイス】

飲み物に気をつかおう!

 

ツアー中の水分補給はとても大切です。特に登山やトレッキング、乾燥地帯や長い機内やドライブ。水の補給だけでは満たされないものがあります。ミネラルや塩分補給、疲れをとるクエン酸など。

写真のものは一部ですが、ポイントは500mlの水に溶かすだけ!そしてさまざまな味を揃えて、味を楽しむ。ポカリやアクエリアスを持参する人は多いですが、1l用で使い勝手が悪しい味も飽きます。違うドラッグストアを何軒か周りチェックしてみてください。いろんな種類があるとわかります。また経口補水液の粉末500ml用などは体調不良の際にはかなり有効です。また野菜不足になりがちな、海外旅の時は乳酸菌入りの青汁を毎日飲むようにしてます。何だか体調良い気がします。コーヒーも二種。ドリップとインスタント。ノンカフェインは夕食後。とにかく旅行中だけでなく、旅の準備も学習もとにかく楽しみを見出すというのが大切ではないでしょうか。

 

 

Photo & Text : Kamizuru Atsushi

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デカンの至宝
幻の王都ハンピと石彫美術探求の旅 <前編>

2024.11.12 update

人口・面積が大きいことはもちろんですが、その文化の多様性から一つの「世界」ともいえる大国、インド。歴史・文化・言葉などが国内で多様に異なっていますが、大きくは北と南の2つに分かれます。南インドでは、中世以降西から侵入してきたイスラームの影響を大きく受けてきた北インドと異なり、インド固有の宗教であるヒンドゥー教国家が存続している期間が長く、独自の歴史を歩んできました。南インドに属するカルナータカ州にも、様々な時代の国々が築いてきたヒンドゥー寺院がよく残っており、そのどれもが非常にレベルの高い精巧な石彫を刻んでおり、初めて見れば「すごい」の一言に尽きるものばかりです。

 

そんなカルナータカの石彫美術を見て回る「デカンの至宝 幻の王都ハンピと石彫美術探求の旅」を今回は2回にわたってご紹介します。

 

チェンナ・ケーシャヴァ寺院「鏡を見る美女」

ツアーはカルナータカ州の入口となる人口1,000万人の大都市、バンガロールからスタートです。初日はバンガロールに宿泊し、翌日、まずは西に180km行ったところにあるハッサンの町へ向かいます。途中、”Café Coffee Day”で一服。国内に1700店以上の店舗を持つ巨大チェーン店ですが、カルナータカ州の発祥です。インドというと、チャイを一日中飲んでいるイメージがありますが、カルナータカ州はコーヒーで有名で、全インドのコーヒー生産量の約70%を占めているそうです。

 

ハッサンの町付近には、ホイサラ朝 (1026-1343) という王朝が存在していました。ホイサラ朝は南インドの建築発展史上重要な一時代を築いた王朝で、ホイサラ様式と呼ばれるヒンドゥー寺院建築の様式が確立されています。

ホイサラ朝の名の由来で紋章にもなっている、ライオンを倒すサラ少年の像

 

ヒンドゥー教では神の像を作って崇拝するので、ヒンドゥー寺院は神が宿ることになる像を安置する部屋を設置します。これを聖室 (ガルバグリハ) と呼びます。その前面に、神をもてなし礼拝するマンダパ (拝堂) があり、この <聖室+マンダパ> というのがヒンドゥ寺院の基本形となります。この単純な形を発展させて荘厳にしようとすると、聖室は窓のない厚い壁で囲まれた正方形の部屋でこれ自体が巨大化することはないので、その周囲に礼拝のための繞道を巡らせて平面を広げたり、聖室の上部には高く塔状に石を積んだり、聖室を広い列柱ホールとしたりします。ホイサラ様式では、聖室の上の塔は高くないですが、平面的に、正方形を少しずつ回転させて形成したような星型の形状を持っているのが外観的にきらびやかに見せる形となっています。さらに側面には寸分の隙間もないほどに神話場面や動植物紋様の浮彫がうずめいており、圧倒されること間違いなしです。

 

ハッサン近郊の有名寺院2つを訪れました。ひとつは、ホイサラ朝初期の首都であったベルールの町にあるチェンナケーシャヴァ寺院。「チェンナ」とは「美しい」、「ケーシャヴァ」はヒンドゥー教「ヴィシュヌ神」を意味します。名前の通り、八百万ならぬ3,300万とも言われるインドの神々の中でもシヴァ神と双璧の人気を誇るヴィシュヌ神を祀っています。32角の星型の基盤の上に本殿が建っています。神々だけでなく人間の女性像なども、側面だけでなく内部の壁や柱も飾っており、とにかく派手です。

南インドの寺院建築の特徴の一つであるゴープラム (塔門)

ヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダ

 

次いで、ベルールから30分ほどのところにある、ハレビードの町へ。ベルールの後にホイサラ朝の都が置かれた場所です。ここにあるホイサレーシュワラ寺院を訪れました。チェンナケーシャヴァ寺院を建立したのと同じヴィシュヌヴァルダナ王という王が、自分と王妃の為に建立した寺院で、王の為の神殿と王妃の為の神殿が2連になってつながっている珍しい造りの寺院です。このお寺の主神は、シヴァ神。世界を維持するヴィシュヌ神に対して、シヴァ神は破壊神とされています。ヴィシュヌ神やシヴァ神にはそれぞれ乗り物があり、シヴァ神の乗り物はナンディという牛で、これがヒンドゥー教徒が牛を神聖視する理由になっています。そのためこの寺院では、王と王妃のそれぞれの神殿の前に、ナンディ像が置かれたお堂が設置されるという構造になっています。同じく星型の基壇と本殿が構造的に派手な形状をしていますが、驚かされるのはチェンナケーシャヴァ寺院に増して徹底的に彫り込まれた、側面の石彫の数々。何も彫刻のない「ただの壁」である部分を見つけ出すのが困難なほどで、「彫刻の洪水」「平面恐怖症」といった形容詞がしっくりきます。

文字通り隙間なく彫刻で覆われた壁面

マンダパの前のお堂に鎮座するシヴァ神の乗り物、ナンディ

 

ガイドさんのご両親がホイサレーシュワラ寺院の脇でチャイ屋さんを営んでおり、チャイをごちそうになりました。冬でも30度を超える南インドの熱気ですが、コーヒーで有名なカルナータカと言っても、インドと言えばやはり熱々のチャイに限ります。

 

翌日、ハッサンから320km北方にあるホスペットの町へ、インドの田舎の風景の中、一日かけて移動しました。今度は、ホイサラ朝から時代を遡った、前期チャールキヤ朝 (534頃-753) の時代を中心とした遺跡を訪れていきます。まずはホスペットからさらに120km北西にあるアイホーレの遺跡に向かいました。

 

アイホーレは今では小さな村ですが、ヒンドゥー寺院建築の発展史上重要な寺院群が存在しています。ここにはドゥルガー寺院という寺院があり、他では見ることのない後円の縦長な形 (馬蹄型) をした珍しい形状をしています。ドゥルガーというとヒンドゥー教ではシヴァ神の妃パールヴァティの憤怒形の戦いの女神が有名ですが、この寺院の名前は女神に由来するものではありません。「要塞」という意味だそうで、実際に寺院の近くに城壁が存在しています。馬蹄形を縁取るように回廊が巡っており、その回廊にヒンドゥー神話を表現した見事な彫刻が施されています。すぐそばにあるラド・カーン寺院は、正方形の形をした本殿に玄関をつけ、緩い傾斜の屋根を載せた、ドゥルガー寺院とは全く異なる形をしているのが面白いです。古代インドでは今よりも木材が豊富で、寺院も木造が主流だったそうですが、やがて岩山に穴をうがつ石窟寺院や、石造寺院に変わっていったという流れがあります。古代に建てられた木造寺院は残っていませんが、このラド・カーン寺院は木造寺院の外観を石造で模して作ってあります。

馬蹄形をしたドゥルガー寺院

ラド・カーン寺院。屋根上の丸太上の棒は寺院が木造だった頃の形状を模していると言われます

 

アイホーレの次は、パッタダカルという遺跡を訪れました。ここは前期チャールキヤ朝の王が戴冠の儀式を行なった町でした。ヒンドゥー寺院の様式は、北方と南方で分かれて大きく異なりますが、ここパッタダカルの7-8世紀に建てられた9つの寺院群では、その両方の様式が混在しているという珍しい場所であることが評価され、ユネスコの世界遺産に登録されています。

パッタダカル寺院群

 

北方型と南方型の違いを端的に示すのは、聖室の上に立ち上がる塔状部のデザインです。北方型では塔状部が上部に向けて段々と細くなる砲弾状をなして高く伸び上がり、これをシカラと呼んでいます。これに対して南方型の塔では、小さな祠堂群が横に並んで層をつくり、この水平層が階段状に積み重なってピラミッド型の塔状部を形成しています。

パッタダカルの寺院群の中の代表とも言えるのが、ヴィルパクシャ寺院。前期チャールキヤ朝が隣のタミルナドゥ州にあったパッラヴァ朝に勝利した記念に建てられました。パッラヴァ朝の首都カーンチープラムは南インドを代表する寺院のある場所で、その影響を受けて典型的な南インドの様式になっています。北方型と南方型が混在しているというのは、当時のチャールキヤ朝の王がこのように他地方から職人を集めていたことを意味しています。

ヴィルパクシャ寺院 (南方型)

ガラガナータ寺院 (北方型)

 

 

 

後編では、バーダミにある石窟寺院からご紹介します。

 

参考文献:

『南アジアを知る事典』 平凡社

『インド建築案内』 TOTO出版

『ユネスコ世界遺産⑤』 講談社

『インドの大遺跡』 講談社

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