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熊野古道について
熊野古道(別名:熊野参詣道)は、熊野三山へ通じる参詣道の総称。平安時代に開かれ、京都を中心に各地から熊野三社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に向かうルートが熊野古道と呼ばれています。熊野三山に至る苦難の道をたどることによって、己の罪を滅ぼし、生きながらにして新しい自分に生まれ変わると伝えられてきました。
平安時代には、貴族や上皇など身分の高い人々のものでしたが、中世にかけ熊野三山の信仰が高まり、庶民や病人にいたるまで熊野詣をするようになりました。 旅人の切れ目がなく、行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が熊野に参詣したといわれています。
熊野は、古代より「祖霊のこもる国」、イザナミが赴いた「よみがえりの国」として人々の心を癒やしてきた地。海と山に囲まれ、巨石や川、滝などの自然が今も原始のままの姿で残されています。古来から多くの人々が熊野の神仏に魅せられ、それぞれの思いを胸にこの地に足を運びました。そんないにしえの旅人たちに思いを馳せながら、その道のりを辿ってみてはいかがでしょうか。
熊野信仰の聖地
「熊野三山」
熊野三山は紀伊山地の東南部にあり、「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の3つの聖地の総称です。3社は個別の自然崇拝に起源を持ちますが、それぞれの主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として信仰されるようになりました。仏教伝来後は、神仏習合の考えから主祭神がそれぞれ「阿弥陀如来」、「薬師如来」、「千手観音」と見なされたことからも信仰を集め、「熊野詣」の目的地として栄えました。
熊野本宮大社
崇神天皇65年(紀元前33年)、家都御子大神(スサノオノミコト)を主祭神とし熊野川、音無川、岩田川の合流点「大斎原」に建てられたと伝えられています。熊野信仰が広まっていた室町時代には、男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、武士や庶民など大勢の人が参拝に訪れていたといわれています。明治22年の大洪水の被害を受け、流出を免れた上四社が現在の場所に移築されています。
熊野速玉大社
熊野速玉大神(イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(イザナミノミコト)の夫婦神を祭神とする神社。神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられています。もともとは千穂ヶ峰の東南端の神倉山に祀られていたものが、現在の場所に遷され、「新宮」と呼ばれるようになりました。境内には天然記念物に指定される樹齢1000年のナギの大樹があります。
熊野那智大社
熊野本宮大社、熊野速玉大社とともに、全国約4,700社ある熊野神社の総本社。那智大滝に対する原始の自然崇拝を起源とし、古来「熊野夫須美大神(イザナミノミコト)」の御神徳により「結宮(ムスビノミヤ)」と称され、人の縁など諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。仏教における「観音信仰」の聖地でもあり、インドの僧・裸形上人が那智の滝で修行を積んだことでも知られています。別宮として那智の滝を祀る「飛瀧神社」もあります。
熊野古巡礼の主なルート
熊野古道には田辺市から東に分岐する「中辺路」、高野山と熊野本宮大社を結ぶ「小辺路」、伊勢神宮から熊野三山を目指す参詣者が歩いた「伊勢路」、修験道信仰の道「大峯奥駈道」、紀伊田辺から海岸線を歩く「大辺路」。京都・大阪と熊野を結ぶ「紀伊路」など6つのルートがあります。このうち「中辺路」、「大辺路」、「小辺路」、「伊勢路」、「大峯奥駈道」は「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界遺産に登録されています。
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中辺路 / なかへち
京都から大阪・和歌山を経て田辺に至り、熊野本宮に向かうルート。古代から中世にかけ熊野三山の信仰が盛んだった頃には公式参詣道とされ、上皇、女院、庶民までもがこの路を辿りました。大半が険しい山道ですが、苦しみが多いほどご利益が大きいといわれ、人々に好まれました。道の途中には熊野神の御子神を祀った「王子」が点在し、旅人の心のよりどころとなっています。
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小辺路 / こへち
紀伊半島中央部を南北に縦断し、途中標高1,000m以上の峠を3度も越える最も険しいルート。車道、林道が整備されているため歩きやすい反面、古道としての趣に欠けるという意見もありますが、ハイライトとなる果無峠から果無山脈最高峰「冷水山」までの道のりは、ブナの原生林や静かな尾根道がつづき、美しい風景が広がります。知る人ぞ知る魅力的なルートです。
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伊勢路 / いせじ
伊勢神宮と熊野三山の二つの聖地を結ぶ約170kmの道のり。伊勢神宮からもうひとつの聖地・熊野をめざす唯一の交通路で「東海道中膝栗毛」にも登場しています。紀伊路や中辺路など貴族に多く利用されてきたのに対し、伊勢路は主に庶民が利用する道として歴史を重ねてきました。伊勢参りを終えた人々は熊野三山を目指し、さら西国三十三箇所巡礼へと向かいました。
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紀伊路 / きいじ
京都城南宮を出発点とし、大阪・堺市を経て田辺までつなぐ道。紀伊国の主要街道として長い歴史をもち、道沿いには万葉集などの和歌が詠まれた景勝地や、長保寺、道成寺などの多くの文化遺産が点在します。また、「切目~千里の浜」間には熊野古道のなかでも唯一、海岸を歩くルートが存在し、白砂青松の美しい景観を楽しむことができます。
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大辺路 / おおへち
紀伊田辺から那智勝浦町の浜の宮まで、海沿いを通る全長120kmの区間。富田(とんだ)坂、仏坂、長井坂などと呼ばれる厳しい峠道も控え、かつての詣道の面影を残しています。大辺路は海や山の織りなす風景を楽しめるルートで、人気であった中辺路に対し、時間に余裕のある庶民や、文人墨客が風景を愛でながら歩く道であったといわれています。
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大峯奥駈道 / おおみねおくがけみち
大峰山脈の北端・吉野から熊野へと縦断するルート。もともと修験者が平安時代に修行の場として開いた山岳縦走路です。健脚の方向けコースとなり、一般的に5~6日間かけて踏破します。大峯奥駈道を歩いていると「行者講」「山上講」と呼ばれる白装束の山伏(行者)に出会ったり、大峯七十五靡(なびき)とよばれる行場では、法螺貝の音が響き渡ったりと、独特の光景を目にすることができます。