秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

ヨルダン再発見


contents

  • ペトラの隠れた楽しみ方 Petra
  • 死海の浮遊体験とリゾート&スパ Dead Sea Experience
  • アラビアのロレンスの砂漠 Wadi Rum
  • イスラム芸術の宝庫「砂漠の城」
  • 知られざる都市遺跡を訪ねる Umm Qais
  • アラブを食す Arab Cuisine

information

正式名称

ヨルダン・ハシミテ王国 
Hashemite Kingdom of Jordan

面積

8.9万㎢

人口

約648万人(2013年)

首都

アンマン Amman

時差

日本との時差 -7時間  

公用語

アラビア語  

通貨

ヨルダン・ディナール  

宗教

スンニ派イスラム92%、クリスチャン6%、その他2%

旅の季節

ベストシーズンは気温が穏やかな春(3~5月)と秋(10月~11月)です。 特に春には野花が美しい季節です。 夏は気温が上がり、特にペトラなどの砂漠地帯では35度以上にまで気温が上がりますが、乾燥した気候のため不快さはありません。 冬は気温が下がり、10度以下にまで冷え込む日も少なくありません。 ジャンパーなどの防寒具は必携です。

詳しいヨルダン基本情報はこちら  

ペトラの隠れた楽しみ方 Petra

【その1】 夜のペトラ遺跡へ!ペトラ・バイ・ナイトを楽しむ

ペトラ遺跡は日没までに遺跡から出なくてはなりません(夏は19時、冬は17時)。夜のペトラ遺跡を楽しむ方法が「ペトラ・バイ・ナイト」
毎週月・水・木曜日の夜に行われています。シクを歩いてエル・ハズネまで往復するためおよそ2時間かかりますが、昼間とは違う幻想的な光景に時間を忘れるほどです。
夜20:30頃ペトラ遺跡のメインゲートに集合。ここから歩き始めます。入り口からシク、シクの内部もろうそくのあかりでライトアップされます。


  • シクの入り口へと歩く

  • 紙に包まれたろうそくの明かりが優しくシクと照らし、エリ・ハズネー宝物殿へと導きます

  • ろうそく明りに照らされたエル・ハズネへ

明りに照らされたたエル・ハズネの前で静寂の時を感じ、そして振る舞われるミント・ティー、ベドウィンの音楽

【その2】 シクSiq「砂岩の回廊」- 失われた薔薇色の都市遺跡へ

ペトラ遺跡の内部へと導く砂岩の狭い岩の裂け目の通路をシクSiqといいます。砂岩の岩山が長い年月の間に雨で浸食され、また近く変動を受け作り出された天然の回廊です。古代ナバタイの人々はこのシクに壁面に神殿や祠、水路を設けました。古代ナバタイの人々にとってシクは聖域へと通じる、神聖な道であったにちがいありません。 遺跡のゲートから歩くこと800m、およそ1.2キロに及ぶシクは、ペトラで最もドラマチックな光景、映画インディ・ジョーンズ・最期の聖戦」の舞台ともなったエル・ハズネへと至ります。 シクを歩くこと自体がペトラ遺跡訪問のハイライトと言えます。


  • シクの入口へ向かう 右手の方形建物はジン・ブロックDjin Block。アラビア語でジンは「霊」を指し、何のために建てられたのか不明のままですが、初期の塔墓やペトラの入り口を守護する信仰の対象であったなど、想像されています。

  • オベリスクの墓 Obelisk Tomb 上部に4つのオベリスクと風化した人物像が掘り出された墳墓。オベリスクはナバタイ人の葬儀のシンボルであり、1つが1つの魂を象徴すると考えられ、5人の人の墓であると考えられます。

  • ペトラの墳墓は基本的に上から掘り削って作られています。これは彫り始めて建設が中断された墳墓の跡。 デザインはアッシリアのクロウ・ステップ。

  • いよいよシクの入り口です。頭上に張り出した岩山は、60~100mの高さ。入り口にはナバタイの記念アーチがありましたが19世紀末に崩壊して一部を残すだけとなりました。

  • ツーリスト用にシクの入口から出口まで馬車が運航しています。

  • ローマ時代の石畳の下にはナバタイ時代の石畳が。道に沿って水路が築かれています。ナバタイの人々が作った2000年前のテラコッタの水道管が一部残されているところもあります。

  • まさに薔薇色の砂岩の回廊

  • シクの前方がが明るくなりエル・ハズネが見えてきます。エル・ハズネ、「失われた都」ペトラで最も美しい建築物が目の前に現れます。

【その3】 リトル・ペトラ - シク・アル・バリッドのフレスコ画

ペトラの北5キロにあるナバタイの遺跡群。350mのシク、神殿、墳墓、貯水池まであることから「リトル・ペトラ」と呼ばれています。実際にペトラの郊外のキャラバンの宿営地として使用されたと考えられています。 遺跡の入り口にはペトラと同じスタイルの神殿が築かれ、内部には墳墓と住居と思われる洞窟が残っています。 この遺跡で特徴的なのは洞窟住居内に残されているフレスコ画。ナバタイの壁画で現存する唯一のもので、かつてはベドウィンの人々の炊いた火の煙で黒ずんでいたんでいましたが、イギリスの専門家により修復され、当時のナバタイの人々のギリシャ風の壁画とその芸術性をうかがうことができます。壁画は紀元後1世紀頃のものと推定され、ぶどう、鳥、そしてフルートを吹く天使のような少年の姿が確認できます。


  • 3種の葡萄が描かれいずれも古代ギリシャのワインの神ディオニュソスと関連しています。
    フルートを吹く天使のような少年像。

  • 遺跡入り口の神殿

死海の浮遊体験とリゾート&スパ Dead Sea Experience

地球上で最も低い海抜マイナス420mの死海。アンマンやケラック方面から死海へ向かうと、車はぐんぐんと高度を下げていきます。
東アフリカから紅海、そしてアカバ、この死海とヨルダン渓谷を貫く「大地溝帯」の深部へ下って行くことを実感せずにはいられません。
かつては海の底だったこの付近は海底隆起が生じ、パレスチナの高原や東岸の丘陵地帯ができたと同時にプレートの裂け目であったためヨルダン渓谷に断層が生じました。断層の西側(イスラエル側)はアフリカ・プレート、東側(ヨルダン側)はアラビア・プレートです。 生命の住まない海、として文字通り「死海」と呼ばれ、海水塩分濃度3%に対し30%以上の塩分濃度になっています。唯一の水源はヨルダン川。近年のミネラル分の過剰採掘のため水位が下がり続け、アカバから海水を採取して真水を取り出した塩水を死海にそそぐプロジェクトが進められているといいます。


  • 対岸にイスラエルを望みながら浮遊体験

  • 遺跡入り口の神殿

【中東随一のリゾート】モーベンピック・デッドシー・リゾート・アンド・スパ

ヨルダンでは2000年以降死海沿いのリゾートが発達し、隣のイスラエルにも負けない設備のリゾートホテルができています。そのうちのひとつ、モーベンピック・デッド・シー・リゾート・アンド・スパは、死海のプライベートビーチは当然のこと、死海を望むロケーションのカフェやインフィニティ・プールなどマイナス400mの死海の景色を満喫できる美しい施設です。死海での浮遊体験や泥パックをお楽しみいただけます。ご希望の方は中東随一ともいわれるスパ、ZARA SPAへご案内(有料)。死海の塩のスクラブやマッド・エステなどを体験することができます。


  • 高原地帯から高度を下げて死海へ。マイナス420m地点の死海が見えてきました。

  • 死海を望むプール(モーベンピック・デッドシー・リゾート・アンド・スパ)

  • 死海のプライベート・ビーチ(モーベンピック・デッドシー・リゾート・アンド・スパ)

  • ザラ・スパ・ハイドロ・プール(モーベンピック・デッドシー・リゾート・アンド・スパ)

  • バスローブ、タオル、紙パンツ(泥パック用)、サンダルなどの基本アメニティーはすべて用意されています。

  • トリートメントの施術室(モーベンピック・デッドシー・リゾート・アンド・スパ内のザラ・スパ)

アラビアのロレンスの砂漠 Wadi Rum

ワディ・ラムは井戸や泉が点在し、先史時代より人が住み、ギリシャ・ローマ時代には葡萄やオリーブ、松の木があったという記録も残されている砂漠。砂岩の岩肌にはアラビア半島南部からやってきた部族やナバタイ人の文字が刻まれています。 ワディ・ラムが有名になったのは「アラビアのロレンス」と知られるT.E.Lawrenceが1917年、オスマントルコの支配からアラブ同盟の独立を目指してファイサル国王とともに行った「アラブの反乱」の舞台の一つとなったことでした。ラクダと馬に乗った騎馬隊がワディ・ラムの砂漠を走り出撃しアカバを攻略、そして北上しダマスカスを目指しました。
一見荒涼とした大地に見えるワディ・ラムの砂漠は現在もベドウィンの人々により使用される薬草が育ち、雨の後には200種を越える草や花が芽吹きます。砂岩の岩山には鳥や爬虫類、ハイラックスなどの小動物が暮らしています。 ワディ・ラムの砂漠では砂岩の岩山の大地を四輪駆動車で走り、砂岩のアーチ、岩刻画などを巡ります。

  • 観光客を載せて歩くラクダたちとベドウィンのおじさん

  • 砂岩のアーチのひとつ

  • 雨と風による浸食を受けた砂岩の岩山

イスラム芸術の宝庫「砂漠の城」

首都アンマンの東、イラク国境へと走ること100キロほどの砂漠の中に初期イスラムの芸術と建築を今に伝える「砂漠の城」が残されています。
8世紀初め、ウマイヤ朝のカリフによって砂漠につくられた建物です。「城」と呼ばれてはいるものの、実際にはキャラバンの宿営地や交易の拠点、辺境への前哨基地であったなどと考えられていますが、中にはイスラムの厳しい戒律から逃れ快楽を享受したと考えられる「城」もあります。
そのうち、ハラナ城、アズラク城、そして世界遺産に指定されているアムラ城をご紹介します。

ウマイヤ朝時代のフレスコ画が残る、世界遺産アムラ城

もし、砂漠の城を一カ所しか訪問する時間しかなかったら必ず訪れるべきがこのアムラ城。素晴らしいウマイヤ朝時代のフレスコ画が残され、そして修復された「砂漠の城」でユネスコの世界遺産に指定されています。 この「城」は8世紀に建てられた隊商宿跡、浴場跡、狩猟小屋跡とされていますが、フレスコ画に描かれたイスラム初期のこの当時の王族の暮らしについて様々な分析がされています。

  • 謁見のホールに描かれた壁面、天井を覆うフレスコ 胸を露わにした女性、そして働く大工やラクダの姿のパネル(アムラ城)

  • 浴室のドームに描かれた北半球の天体・星座図。この星座図はアムラ城の上空の星座図ではなくより北の地点のものと分析されています。この建物に残されたドームとヴォールト天井のハマムはイスラム以降の建築としては最古のものの一つとされています。

ハラナ城とアズラック城

何もない砂漠の中に忽然と現れる方形の建築物ハラナ城はまさに「砂漠の城」のイメージそのもの。
分厚い壁に支えられた2階建ての建物で四隅に見張り塔を持つ建物で、隊商宿、砦だったとされる説がありますが水を供給した跡が残されていないため、当時のウマイヤ朝の有力者たちが一時的に砂漠のベドウィンとの会合などに使用したものではないか、とも考えられています。
アズラック城は、第一次世界大戦中、アラビアのロレンスとして知られるT.E.Lawrenceがトルコ軍に対するアラブの反乱時(1917-1918)に基地として使用したことでも知られる玄武岩の砦。 この城のあるアズラックは古来イラクやサウジアラビア方面への交通の要衝であったことから3世紀のローマ時代には要塞が築かれ、その後にビザンチン帝国、ウマイヤ朝、マムルーク朝、オスマントルコなどを通じて改築されました。第一次世界大戦まで使われた要塞は1927年の地震により崩壊しました。

  • まさに「砂漠の城」の風貌が美しいハラナ城

  • 3世紀から第一次世界大戦まで使われた玄武岩の要塞、アズラック城

知られざる都市遺跡を訪ねる Umm Qais

ウンム・カイスは首都アンマンから140km、ヤルムーク渓谷(ヨルダン渓谷)の奥にゴラン高原(イスラエル、シリア)、ゴリラヤ湖(イスラエル)を望むロケーションにある遺跡。2世紀にデカポリスのリーダーとして最盛期を迎えた都市遺跡で、石灰岩と玄武岩の都市が周囲の景色のに溶け込んだ美しい遺跡です。 新約聖書の「ガダラの豚の奇跡」の舞台であるガダラ(現ウンム・カイス)は古来から文化の中心として栄え、ローマの修辞学校の創設者であるテオドロスを初めに、何人かの古典詩人や哲学者を輩出しました。 「ガダラ」の町はプトレマイオス朝、セレウコス朝時代を経て紀元前63年、ローマ支配下に入りデカポリスのひとつとして繁栄しました。7世紀ごろに衰退しイスラム勢力の支配下に入りました。オスマン帝国時代には遺跡の石を用いて村が作られ1987年まで人が暮らしていました。
※デカポリス(Decapolis)は新約聖書の福音書に登場するガリラヤ湖南方のヨルダン川両岸地域に繁栄したギリシアの10の植民地の町の総称で、文字通り「10の町」という意味。 ヨルダンではフィラデルフィア(現アンマン)、ガラダ(現ウンム・カイス)、ゲラサ(現ジェラシュ)、ペラ(現タカバット・フィルが知られています。

  • 西の劇場 玄武岩で作られた劇場としては珍しく、3000人の観客を収容しました。ウンム・カイスには2つの劇場がありますが、北の劇場は玄武岩のブロックがその後のオスマントルコの村の住居の材料として持ち出され破壊されています。

  • 彫りこんだ跡まで残る繊細な石灰岩のレリーフ。アカンサスや葡萄の葉などギリシャ・ローマのモチーフがしっかり刻まれています。

  • ローマン・ロード デクマヌス。ローマ古代都市は南北を貫くメインロード「カルドー」、東西を貫くメインロード「デクマヌス」で構成されました。石畳が斜めに配置され、馬車の通行をスムーズにし、ノイズを下げたといいます。

アラブを食す Arab Cuisine

アラブ料理の定番として、前菜はスープやメッゼと呼ばれるサラダ、主菜は羊や鶏などのバリエーション豊かな肉料理があります。ツアーで利用するホテルはほとんどがブッフェとなり、ご自由に選んでいただけます。 ヒヨコマメのペーストのホンムスや定番のカバブなど、日本人の口にも良くあいますので、是非アラブの食をお楽しみください。


  • ホムスとファラフェル

  • メッゼのひとつラバン・メーズ

  • 定番のカバブ

  • マクルーバ(ラム肉のアラブ風炊き込みご飯)

  • ヨルダン産のワインもあります

  • 砂漠ではベドウィンのミント・ティー

【 添乗員同行で行く ヨルダンの旅 】

【 個人旅行で行く 専用車で巡るヨルダンの旅 】

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