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添乗員ツアーレポート  中近東・中央アジア

タジキスタン第2の都市 ホジャンド

  • タジキスタン

2024.03.04 update

日本では暖かい日が続き、春らしい気候になる4月。シルクロードの国々はいよいよベストシーズンを迎えます。今回は、タジキスタン第2の都市である「ホジャンド」についてご紹介させていただきます。

ツアーでは、ウズベキスタンから陸路で国境を越え、古来からシルクロードの要衝として栄えたホジャンドに入ります。ホジャンドではまず、活気あふれる市場「パンジシャンベ・バザール」を訪れます。

 

 

パンジシャンベ・バザール

 

「パンジシャンベ」とは「週の5日目=木曜日(イスラム教では日曜日から数えます)」という意味。活気あふれるバザール内には様々な食材が売られています。市場では、肉、乾燥ヨーグルト(丸い形のスルト)、ナッツ、スパイスなどが所狭しと並べられている風景に圧倒されながら、見学をお楽しみいただきます。

精肉店で、冷蔵庫を使わずに販売している様子が目に留まりました。売られている肉はそのまま外に出されています。

むきだしの肉が並ぶ

「冷蔵庫に入れていると新鮮な肉ではない」と思われるため、このような販売方法を取っているそうです。日本では腐ってしまうからと避けてしまう方法でしょうが、国が変われば風習が変わり、考え方や販売方法も変わるのですね。

バザールの前には「シャイフ・ムスリヒディン・モスク」があります。

シャイフ・ムスリヒディン・モスク

長い名前ですが、「シャイフ」は宗教上の集団の長を意味する尊称、「ムスリ」は助言という意味。彼は7歳のときに、中国の進行からホジャンドの町を救いました。「宗教の助言を与えた人」という名をもつこのモスクは、2000年に建てられたそうです。のんびりとしたバザールの見学後は、シルダリア川の展望ポイントにて写真タイム。展望所には中央アジアで活躍した英雄たちの像が並んでいました。

英雄たちの像が並ぶ展望所

2006年にオープンした博物館にも訪問。この博物館のすぐ裏手には、アレキサンダー大王の最果ての都“アレキサンドリア・エスハータ”の地に建てられた砦跡もあります。

砦跡

紀元前329年、アレキサンドロス3世がギリシャ人の入植地を建設。“アレキサンドリア・エスハータ(最果てのアレキサンドリア)”とよび、シルダリア川北方のスキタイへの砦としたといわれています。「エスハータ」とは「東」という意味で、1950年代から調査が行われ、30年後にようやく紀元前4世紀の城砦跡が発見されました。
博物館の内部では、石器時代から現代に至るまでタジキスタンの歴史が年代ごとに展示されていました。なかでも一番印象的なのが、地下階に展示されている「アレキサンドリア大王の生涯の大理石画」。彼はスピタメネス率いるソグド人たちの抵抗に非常に苦戦します。弱冠20歳で父フィリッポス2世の跡を継ぎ、ギリシャの王として、そしてペルシャの王として大帝国を築きます。しかしその後、部下の士気の低下によりインド遠征を諦め、帰路のバビロンで亡くなったといわれています。若き大王はまだ32歳でした。

見学を終えたら、町を流れるシルダリア川を眺めながらホテルに向かいます。

悠然と流れるシルダリア川

シルダリア川は天山山脈の2か所(キルギスと東部ウズベキスタン)に源を発し、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンを通過して北西へ流れ、北アラル海に注ぎます。全長2,212kmのうちタジキスタン国内には197kmが流れているそうです。
紀元前3世紀のギリシャ人はこの川を「ヤクサルテス(穏やかな水)」とよび、8世紀のアラブ人は「サイフン(美しい平和な水)」、13世紀のモンゴル人は「シルダリア(穏やかな川)」とよびました。時代ごとに名前は変わっていきましたが、どの時代を通じても同じ意味をもつ言葉でよばれていました。

ホジャンドは、古い歴史と現代に生きる人々の活気を感じられる町のひとつです。「タジキスタンとテルメズの遺産」のツアーでは、タジキスタンの世界遺産である「サラズムの遺跡」にも足をのばします。次回の旅先の候補として、ぜひタジキスタンを選択肢に検討されてみはいかがでしょうか。

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