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添乗員ツアーレポート  中近東・中央アジア

『草原の椅子』最後の桃源郷フンザロケ

  • パキスタン

2013.03.01 update

草原の椅子 最後の桃源郷フンザロケ バルティスタンの砂漠地帯にてバルティスタンの砂漠地帯にて

世界初・北部パキスタンでの長期映画ロケ

 フンザを舞台にした宮本輝氏の小説「草原の椅子」。この小説をきっかけにフンザに行かれた方、いつか行きたいと思っている方も少なくないのではないでしょうか。長らく「映像化は難しい」と言われてきたこの小説が映画化され、2月23日(土)から全国の映画館で放映されています。西遊旅行は2012年夏に行われたパキスタンロケの手配を担当いたしました。今回は、ロケが成功するまでの現地でのエピソードや北部パキスタンの魅力、映画撮影に携わった地元の人々の活躍についてご紹介いたします。

映画の舞台・バルティスタンとフンザ

1997年12月から1年間、毎日新聞朝刊で連載された小説「草原の椅子」。小説の舞台は中国西部のタクラマカン砂漠とフンザでしたが、映画ではタクラマカン砂漠のかわりに北部パキスタンのバルティスタンにある砂漠地帯で撮影が行われました。
バルティスタンはパキスタン北東部に位置し、中国のアクサイチンやインドのカシミールと接する地域で、チベット系のバルティ族やワハーン回廊からやってきたワヒ族などの人々が暮らしています。この地域の年間降水量は約150mm極端に低く、ところどころに高冷地砂漠(colddessert)ができています。周囲を世界第2位の高峰K2(8,611m)を始めとする8,000m峰、7,000m峰に囲まれているため、空気中の水分が山とぶつかり雪として降ってしまい、内側には乾燥した風しか入ってくることができないのです。美しい砂丘の背後に雪を抱いたカラコルムの山々が聳え、独特の不思議な雰囲気を醸し出す砂漠地帯。撮影はスカルドゥの町近くとシガール渓谷への途中の2ヶ所の砂丘で行われました。
もうひとつの映画の舞台であるフンザはかつてはミール(藩王)の治める藩王国で、旅人から「最後の秘境」「桃源郷」と呼ばれ親しまれてきました。フンザに住む人々はブルシャスキー語という独自の言葉を話し、白い肌に高い鼻、中には青い目をした人もいます。その起源は未だはっきりしておらず、アレキサンダー大王の遠征軍の末裔という説もあるほどです。フンザはイスラム教の中でも穏健なイスマイリ派が信仰されており、女性たちが外で働く姿も印象的です。日本人登山家長谷川恒男氏が愛した谷でもあり、氏の遺志を継いだ「ハセガワ・メモリアル・スクール」も建てられています。深い谷間にあるにもかかわらずフンザの識字率はパキスタン国内で最も高く、子どもたちの多くは英語を話すことができます。

最後の桃源郷フンザの谷
最後の桃源郷フンザの谷

フンザの人々の活躍

美しい自然に囲まれたフンザは「長寿の里」としても有名で、昔は100歳をこえるお年寄りもたくさんいました。物語の重要な登場人物のひとりに、人の瞳の中に星を見ることができるフンザの老人がいます。この老人を、実際にフンザに暮らす101歳のダドゥおじいさんが演じることになりました。おじいさんが出演するシーンは、フンザから川を隔てた谷にあるナガールで行われました。ナガールはフンザから四輪駆動車で30分の距離ですが、19世紀までフンザとは敵対する別の藩王国でした。フンザのお年寄りの中にはブルシャスキー語しかわからない方や、自分の生まれ育った村から一度も出たことがない方もたくさんいます。ダドゥおじいさんもその一人で、はじめナガールでの撮影になかなか協力してくれませんでした。しかし、子どもの頃からおじいさんを知るフンザ出身の日本語通訳ガイド・サリームの熱心な説得により、最終的に映画出演に了承してくれたのです。撮影中は、監督が日本語で演技を説明し、それをサリームがブルシャスキー語に訳しておじいさんに伝えました。
もうひとつの重要な登場人物(動物)が、おじいさんとともに登場するヤギの群れです。ヤギは、草を求めて冬は低地、夏は高地の牧草地に移動します。撮影の行われた8月、ヤギたちはフンザよりも標高の高い放牧地で過ごしていました。そのため、ヤギの持ち主に事情を話し、撮影のために3日かけて山から下りてきてもらいました。本番では、ヤギたちもおじいさんとともに上手に演技をしてくれました。
撮影時間に間に合うようにおじいさんやヤギに撮影場所へ来てもらうことや、台本通りの動きをしてもらうことは想像以上に困難なことでした。しかし、サリームなどフンザ出身の日本語通訳ガイドの頑張りや地元の人々の協力のおかげで、なんとか撮影を終えることができました。高峰に囲まれたナガールで、ヤギの群れを連れたダドゥおじいさんと主人公の遠間が話をするシーンは、映画の中で最も美しく印象的なシーンとして描かれています。サリーム自身も「日本語ガイド役」として映画に出演しました。

ダドゥおじいさんとヤギたち
ダドゥおじいさんとヤギたち
サリーム(右)と貴志子役の吉瀬美智子さん
サリーム(右)と貴志子役の吉瀬美智子さん
バルチット城下での撮影風景
バルチット城下での撮影風景

困難を乗り越えて

 パキスタンでの撮影は順調に行く事ばかりではありませんでしたが、中でも「移動」と「天候」に関しては予定通りにいかないことが多々ありました。最初に撮影が行われたスカルドゥへは国内線で約1時間半の距離ですが、出発当日、雨によりフライトがキャンセルになりました。そのため、数十人のスタッフ、何百キロもの機材とともに計800km陸路移動することになりました。カラコルム・ハイウェイと標高4,100mのバブサル峠を越え、インダス川沿いの絶壁の道を進みます。崖崩れにより車を停めて道路が整備されるのを待つ場面がありましたが、2日間約30時間かけてなんとかスカルドゥに到着することができました。
イスラマバードでは道路が水に浸かるほどの雨でしたがスカルドゥでは晴れ、砂漠での撮影日は気温が40度を超えました。砂漠の中心まで四輪駆動車に分乗し、砂漠に足跡がつくたびにさらに奥へと移動します。炎天下の中、皆ふらふらになりながら撮影しました。
フンザの北部にあるカラコルム山脈の好展望地、ドゥイカルの丘の撮影では、厚い雲が山々を覆い、天候が回復するのを何時間も待つこともありました。電力の確保も大きな問題でした。北部パキスタンでは電力の供給が不安定なため、各地から発電機を運び、撮影に臨みました。

パキスタンの人々の願い

2001年のアメリカ同時多発テロによる治安悪化、2005年に起こったマグニチュード7・6の大地震、2010年に起こった水害など、ここ10年以上の人災、天災によりパキスタンの旅行業は大きなダメージを受けてきました。しかし、かつて「最後の秘境」「桃源郷」と謳われ、多くの旅行者で賑わった村や谷、美しい山々は今も昔のままの姿でそこにあります。
パキスタンの人々は、映画がきっかけとなり「フンザ」や「バルティスタン」に興味を持った日本からの旅人で、北部パキスタンが再び賑わう日を願っています。

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