秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

今回は「大山ブナの森ウォークと断崖の国宝・三徳山投入堂」のコースをご紹介します。

このコースでは伯耆富士と言われる大山を見ながら、鳥取の自然や歴史のある町を巡るコースです。

1日目

まず初日にご案内するのは奥大山にある「木谷沢渓流」。鳥取県内でも水が綺麗なことで有名な奥大山では、約1時間でまわることができる散策道をガイドとともに歩きます。目に映る自然をゆっくりとお楽しみください。

木谷沢渓流

2日目

大山は「神の居ます山」といわれ山岳信仰の霊場として入山が厳しく制限されてきたためブナの森が守られ西日本最大級とも言われています。2日目は朝からブナの森ウォークへご案内します。ガイドの方の話を聞きながらゆっくりと歩いていきます。道中ではブナの巨木を見たり、千年以上の歴史を誇る大山寺を参拝します。自然と大山の歴史に触れることができるでしょう。

 

午後からは大山をぐるっと車で眺めます。大山の絶景ポイントとして大山の山並みが見ることができる桝水高原や大山南壁を眺める一番のポイント鍵掛峠などを巡ります。


 

3日目

午前中に向かうのは琴浦町。荒神さんと地元の人から親しまれています神崎神社では本殿の大黒様や葡萄とリスや拝殿向拝の天井に彫られてい龍などその彫刻は必見です。

神崎神社 天井の龍

光町では左官職人が使う鏝で漆喰に様々な模様を描いた鏝絵を見学します。蔵にもよく見られるので、蔵飾りとも呼ばれていますが、光町のように密集しているのは全国的に珍しいことです。

光町鏝絵

午後は倉吉の白壁土蔵群を散策します。江戸時代から大正時代にかけて建築された古い所商家の町並みや南総里見八犬伝のモデルとなった忠義公と8人の家臣が葬られている大岳院などを巡ります。

倉吉 白壁土蔵群

4日目

国宝に指定されている三徳山投入堂登山へ向かいます。登山口では、靴チェックがあり、靴底に不備がある場合はぞうりの購入が必要になります。「さんげさんげ六根清浄」と唱えながら登っていきます。

三徳山文殊堂からの眺め

午後は三朝温泉を訪れます。約850年前に発見された古湯・三朝温泉。ラジウム温泉が湧出する手水舎がある三朝神社や株湯を訪れます。足湯もできますので、午前の三徳山投入堂の疲れを取るにもいいでしょう。

三朝温泉 (河原風呂)

5日目

最終日は羽衣伝説が残る湯梨浜町へ向かいます。天女が羽衣を掛けたという伝説が残る羽衣石や、羽衣山上にある羽衣石城跡、一之宮の倭文(しとり)神社を訪れます。

羽衣石城跡

国宝の三徳山投入堂、鳥取の自然や歴史を訪ねてみませんか。

 

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「飛鳥の里から奈良最深部へ」のツアーでは奈良南部を中心にめぐり、三重県の熊野市へと縦断する旅です。今回は4月に訪問した様子をご紹介いたします。

■1日目 飛鳥の里
旅は大和八木駅からスタートし、1日目は明日香村を回りました。
日本最古の仏像・飛鳥大仏を祀る「飛鳥寺」は推古4年(596年)に創建された我が国最初の仏教寺院です。

創立者は蘇我馬子です。蘇我氏と結びつきの強かった朝鮮半島の百済国などから6人の僧、寺大工などの派遣を受け、建立されたとされたとされています。
飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は609年に銅15t、金30㎏を用いて造られました。日本最古の仏像ですが、鎌倉期の火災により大きく破損し、一部のみが創建当時のままで、修復されたことから国宝には指定されていないそうです。お寺の傍には中大兄皇子と中臣鎌足によって殺害された蘇我入鹿の首塚もありました。

最初の仏教寺院 飛鳥寺 飛鳥大仏

続いて、聖徳太子誕生の地とされる「橘寺」へ向かいました。
本堂にはご本尊の聖徳太子坐像が祀られています。
創建当時には一辺7mの五重塔があったそうですが、現在は塔礎石が残るのみです。
往生院の堂内にある天井画を寝そべって眺めることもお忘れなく。

         季節の花々が描かれた天井画

明日香地方にはたくさんの古墳があることでも知られています。その中の一つ、キトラ古墳も訪ねました。
キトラ古墳は7世紀末から8世紀初頭頃に造られたと考えられています。
石室内部の天井、側壁、床面の全面に漆喰が塗られ、その漆喰面には四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれていました。古墳横にある「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」でその壁画のレプリカを見ました。
実物の壁画は四半期毎に期間限定で公開されます。

■2日目 名勝・吉野山から天川村・洞川温泉へ
旅の2日目は名勝・吉野山へ。
桜の名所としても名高い吉野山ですが、今年の桜前線は早く通過したため桜はほとんどありませんでしたが、シャクナゲやアセビの花が綺麗でした。吉野山は大峰山脈の北側に位置し、金峯山寺の門前町として栄えました。
約1300年前、修験道の開祖、役行者は難行苦行の果てに蔵王権現を感得し、その尊像こそが民衆を救うものだとして、桜の木に刻み、吉野山に祀りました。それ以降、桜の木は吉野山において御神木とされています。
ちょうど訪問した時期には金峯山寺の本堂である国宝・蔵王堂の御本尊、金剛蔵王大権現が御開帳されていました。

金峯山寺の本堂 蔵王堂 見頃のシャクナゲの花

洞川温泉がある天川村では関西最大級の鍾乳洞、面不動鍾乳洞へ。
鍾乳洞の入り口までは林業が盛んな地域ならではの丸太の木をモチーフにしたモノレールで向かいます。
夏でも平均気温8度の洞内ではストロー状の鍾乳石や石筍が見られました。

丸太のトロッコに乗り鍾乳洞へ向かいます 面不動洞窟の内部

次に訪問した「龍泉寺」は洞川から大峰山へ登る修験者が水行をして八大龍王尊に道中安全の祈願をすることが慣例となっています。八大龍王堂には見事な龍天井もありました。
この日の宿泊は大峯山から発し熊野川の源流ともなっている山上川のほとり、標高約820m余りの高地に位置する洞川温泉です。純和風木造建築の旅館や民宿がならぶ、どこか懐かしい風景です。

■3日目 天川村から奈良最深部・十津川村へ
朝から天川村を代表する雄大な渓谷美を誇る「みたらい渓谷」へ。
みたらい渓谷は大峯山を源流とする山上川の下流部で川迫川が合流する場所付近で渓谷を形成しています。高低差の大きな渓谷では大小の滝が流れ落ちます。自然林に沿って7㎞の渓谷が整備されています。その一部のハイキングを楽しみました。新緑や歩道に咲く花を見ながらの散策でした。

渓谷ではいくつもの滝が見られます 新緑が美しい巨木

江戸時代の僧、円空が大峯の地で修行した際に彫られた円空仏が(聖観音菩薩立像、大日如来坐像、大弁財天天女立像、金剛童子像、御法神像)が祀られている「栃尾観音堂」も訪問しました。
円空は全国各地を行脚し、行く先々で一般に円空仏と呼ばれる木像や神像を造り、その生涯において彫った数は12万体にも及ぶとされ、現存するだけでも5000体以上とされます。柔和なお顔が印象的でした。

           栃尾観音堂に祀られている円空仏

その後、十津川村では生活用鉄橋としては日本最長の「谷瀬のつり橋」を訪ねました。高さ54m、全長297.7mです。
眼下には熊野川を見ながらのドキドキ体験が楽しめます。
また、落差15mの「清納の滝」でマイナスイオンを感じてから十津川温泉での宿泊でした。

■4日目 十津川村から日本唯一の飛び地・北山村へ。

十津川村に位置する果無集落は熊野参詣道の一つ、小辺路が通ります。急斜面の田畑、昔ながらの古き良き日本の生活風景が残り、果無山脈を見渡す美しさから「天空の郷」と呼ばれています。

果無集落は懐かしい風景が広がります。

その後、玉置神社を参拝しました。
2004年に登録されたユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。日本最初の神様とされる国之常立神(くにのとこたちのかみ)をお祀りする神社で、また、伊弉諾尊と伊弉冉尊もお祀りされている神社です。

その後、日本で唯一の飛び地、北山村へ向かいました。
奈良県と三重県と和歌山県の県境をいくつか越え、和歌山県の飛び地、北山村では筏師の道を歩きました。
林業が盛んに行われるようになった江戸時代以降、大台ケ原方面から木材集積場がある新宮市まで北山川に筏を流し、木材を運搬していました。良質な木材は江戸城の本丸にも使われ、明治・大正の産業革命期や戦後の復興期には東京や大阪などの大都市に建築資材を供給し、明治の最盛期には500人の筏師が活躍しました。
筏を無事に目的地に運んだ、筏師が山道を歩いて家路についた道が「筏師の道」です。
ツアーではその一部を歩き、当時に思いを馳せました。

                立合川に架かる吊り橋

■5日目 山の北山村から海の熊野へ
奈良県の山岳部を縦断してきた旅は、海の熊野へと向かいます。
国の史跡に指定される「赤木城跡」と「丸山千枚田」を見学後、「花の窟神社」は高さ45mの巨石がご神体で、伊弉冉尊が祀られています。

               花の窟神社

海岸線の鬼ケ城は熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段状に並び、約1.2㎞続いています。志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、これより南はなだらかな砂浜の海岸へと変わります。
鬼ケ城もユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成しています。

                鬼ケ城

* * *

四季折々の自然美を見せてくれる奈良最深部ですが、11月頃には山が紅葉し、秋の風景を楽しめます。
是非、秋の大和路にでかけませんか。

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西表島には「横断道」と呼ばれる道があります。昔、車がない時代に使われていた道で、西部地区・浦内川から東部地区・仲間川へ島の中央部を貫く約18kmの道です。日帰りとはいえ、亜熱帯特有の気候と川沿いの悪路が続くため、踏破困難な道として知る人ぞ知るルートです。2021年3月にこの「横断道」の踏破とあわせて、西表島最高峰・古見岳と沖縄最高峰・於茂登岳に登った時の様子をご紹介いたします。

西表島の横断道を行く

■西表島大縦走(横断道)

今日は、雲は多いものの晴れ、気温は21℃。歩くにはとても良い条件です。ガイドの森本さんと清水さんの運転する車に分乗して、ホテルを出発しました。

上原地区にあるホテル、イルマーレ・ウナリザキを出発

10分ほどで浦内川橋に到着。早速、船乗り場に向かいます。朝一番のチャーター船に乗り、浦内川クルーズの開始です。

浦内川の船乗り場

浦内川は全長39km、主流長18.8kmで沖縄県最大(流域面積)の河川です。汽水域は470種に及ぶ魚類が生息しています。水深は最大15m。日本のマングローブの7割が西表島にあり、西表島のマングローブの9割がこの浦内川にあります。船員さんが見える山やマングローブの3種(オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ)をはじめとした植物を丁寧に案内してくれました。

周囲の山々が水面に鏡のように映ります

タコの足のような支柱根を伸ばすヤエヤマヒルギ

セイシカ(聖紫花)

タイワンヤマツツジ

シダの群落(タカワラビ)

軍艦岩で下船。ヒル除け&ダニ除けスプレーをたっぷりかけて、08:10に縦走開始です。ガイドの森本さんが滑りやすい粘土質の赤土を示しながら、西表島と沖縄本島との地質の違いを説明してくれました。西表島や石垣島の地質は、主に砂岩や礫岩、泥岩でできており、酸度が高いため、パイナップル栽培に適している事。一方、沖縄本島(の中西部)は、珊瑚礁を起源とする琉球石灰岩からなるため、サトウキビ栽培に適しているそうです。一ノ沢、二ノ沢と次々現れる小さな沢を越えて、七ノ沢を越えたあたりで、「マリユドゥの滝」を見下ろす展望台に到着しました。

名の由来になった楕円形の滝壺をもつマリユドゥの滝

ギランイヌビワ

電話線の碍子(がいし)、横断道に電話線が引かれていた名残

再び縦走を続け、十一ノ沢を越えたあたりで「カンビレーの滝」に到着しました。ここで歩き易い道は終わり、岩盤が剝き出しになった滑りやすい川床を歩きます。

カンビレーの滝

川床には、沢山の穴が開いています。見事な丸型の穴は、ポットホールと呼ばれるもので、柔らかい砂岩質の岩盤に、川の流れの力で小石が長い年月をかけて少しずつ岩盤を削ってできた穴です。もう1種類は、マグマが冷え固まる時に、丸い気泡の形のまま固まったため、穴になったものもあるとの事でした。

滑りやすい川床を行く

ハート型のポットホールでは、カンピレーの滝に伝わる話を聞きました。西表島の神々がここに集って、宇奈利崎に新たに神を招くことになり、ヤマトゥから女神を招いたそうです。このポットホールがその女神に贈る宝石箱だったとの事でした。

ハート型のポットホール

カンピレー口(ぐち)と呼ばれる横断道入口からいよいよ横断道が始まります。いきなり急登からはじまりました。急登を越えるとロープの張られた場所、イノシシのヌタ場になっているぬかるみ、浦内川右岸の川沿いの崖路、そして、オキナワウラジロカシやイタジイ、ヒカゲヘゴ、沢山のシダの生えたジャングルの中を進みます。

横断道入口

ヒカゲヘゴ

ぬかるみ道

登山と異なり、アップダウンがあまりなく、ほぼ平坦な道なので、早いペースでガシガシと縦走を続けます。休憩は30分毎と頻繁に取ってくれるのですが、ザックを下ろして、呼吸を整え(深呼吸して)、水分や行動食をとったら、すぐに出発となります。時間にすると3分から5分程度です。頻繁に前を歩く人の足についたヒルを取りながら歩きました。途中、オオハナサキガエルの白い卵やサキシマスジオというヘビ、サキシマキノボリトカゲ、アマビコヤスデを見ました。

オオハナサキガエルの白い卵

ヤエヤマオオタニワタリ

イタジキ川出合には11:05に到着しました。イタジキ川出合から、ロープの垂れたかなりの急斜面2段を登ります。ここからまた川沿いの崖路が続きました。

イタジキ川出合

イタジキ川上流、ツアーでは訪れませんが、この先にマヤグスクの滝があります

急斜面の登り

横断道の中間点を過ぎ中間広場へ。14:30に中間広場を出発し、第一山小屋跡には15:05、大富・古見への分岐には15:15に到着しました。

中間広場

ヤエヤママルヤスデ、毒があるので注意

エゴノキの花、毒があり潰して川にいれると魚が浮くそうです

その後、尾根にあがると、ずっと右手に見えていた浦内川が見えなくなり、今度は左手に仲間川が見えてきました。

尾根への登り

左手に仲間川

セマルハコガメ

さらに登ると分水嶺に到着。さらに10分ほど下るとようやく大富口に到着しました。時間は17:00ちょうどです。この調子なら日没前に大富林道入口まで踏破できそうです。頑張りました!

大富口の看板

大富口からはゆるい登りの林道が続きました。途中、樹上にあるスズメバチの巣のようなタカサゴシロアリの巣がありました。

林道歩き

タカサゴシロアリの巣

ヤエヤマヤシの展望地から舗装道路に変わり、仲間川展望台には17:40に到着しました。仲間川の蛇行した様子と海、そして、新城島(パナリ島)も薄っすらと見えています。ガイドの清水さんによると3月下旬から4月にかけて東南アジアからアカショウビンが渡ってくるそうで、アカショウビンが島に現れると夏が始まると教えてくれました。

蛇行する仲間川

仲間川展望台から、ゴールに向かって、ひたすら歩みを進めます。最後の20分はまた登りとなり、舗装の禿げた砂利道を頑張って進み、大富林道入口には18:20に到着しました。お疲れさまでした~!

大富林道入口のゲート

大富林道入口からは、迎えの車に乗ってホテルに戻りました。シャワーと着替えを大急ぎで済ませて、オリオンビールで乾杯しました。全員で完歩できた事がなりよりも嬉しかった瞬間でした。

 

■西表島最高峰・古見岳

今日は、西表島最高峰・古見岳の頂を目指します。朝食をゆっくりいただき、8:00にホテルを出発しました。ガイドの森本さんの車で登山口へ向かいます。車中、エコロードと呼ばれる道路の説明をしてくれました。この道路は、イリオモテヤマネコ(以下ヤマネコ)やセマルハコガメなどの動物が渡れるように道路の両側の側溝は「U字」ではなく「V字」になっている事、ヤマネコは音が嫌いなのでゼブラゾーンと呼ばれる音が鳴る道路をヤマネコの目撃情報の多い場所に設置している事、道路の下にヤマネコ用のトンネル=アンダーパスを設置している事。道のわきにある黒いネットは、動物が道に出てこないようにするためとの事でした。動物が轢かれるとその礫死体をヤマネコが狙うため、ヤマネコ以外の動物も轢かれるのを防止する必要があるのです。そんなお話を聞きながら、古見岳の登山口に到着しました。早速、たっぷりヒル除けをスプレーしたものの「川の渡渉の際に流れてしまうよ」と言われ納得です。9:05に出発しました。

古見岳の登山口

ヤマネコのアンダーパス

相良川に下り、早速、沢靴で川をじゃぶじゃぶと進みます。水道管を過ぎ、砂防ダムにはテナガエビがいました。夏にはボラもいるそうです。

水道管を過ぎ砂防ダムへ

イジュの実、おじい・おばあの顔に見えます

10数回渡渉を繰り返し、最後の渡渉地点には10:25に到着。皆さま、沢靴を脱いでデポし、運動靴やトレッキングシューズに履き替えます。履き替える際にヒルを落とします。横断道でヒルの洗礼をうけたので、皆さま、落ち着いた手さばきです。

10数回渡渉を繰り返す

下から這い上がるヒル

最後の渡渉地点からは、いきなり急登です。古見岳の行程で一番の急登が標高差200mほど続きます。ジャングルの中で風が通らないので汗が吹き出します。小浜島と竹富島の見えるビューポイントを通過し、尾根に出ると古見岳のビューポイントに到着しました。

いきなりの急登

小浜島と竹富島の見えるビューポイント

尾根から相良川の源流部分に下り、源流の小川を詰めていきます。12:05にはロープが張ってある相良川源頭の鞍部に到着しました。標高は375mでした。

源流の小川を進む

レンギョウエビネ

鞍部からさらに進むとヒカゲヘゴの奥にこんもりした古見岳の山頂が見えてきました。最後にリュウキュウチクの生い茂る急登を登り終えると古見岳(470m)に到着しました。12:25でした。

ヒカゲヘゴ

リュウキュウチクの生い茂る急登

山頂の南東方向には小浜島や竹富島が見えます。北西方向にはテドウ山とその左に鳩間森、波照間森の山並みが見えました。ガイドの森本さんによると船浦中学校はテドウ山を、大原中学校は古見岳をそれぞれ中学校の行事で登るそうです。山頂でお弁当を食べて、12:50に下山を開始します。

古見岳の山頂

山頂に置かれたイリオモテヤマネコの石碑

北西方面の展望、左から八重岳、波照間森、鳩間森、テドウ山

下りは、特に不意につかんだ木や枝にヤマンギ(イワサキカレハという毒蛾の幼虫)がいないか注意しながら進みます。ヤマンギの毒針に刺される痛さは、ハブに噛まれたのと同じと言われています。

ヤマンギ、枝に擬態しているので見分けるのが困難です

慎重に急斜面を下り渡渉地点に到着。ここで再び沢靴に履き替え、渡渉を繰り返して登山口には、15:35に到着しました。皆さま、お疲れ様でした!

 

■沖縄最高峰・於茂登岳

今日は、ツアー最終日。石垣島に戻り、沖縄県最高峰・於茂登岳の頂を目指します。ホテルを出発し、10分ほどで上原港に到着。8:00ちょうどにフェリーが到着し、すぐ乗船が始まります。たった5分で準備が完了し、上原港を出航しました。波も穏やかで揺れる事もなく、順調に進み、石垣港離島ターミナルには8:55に到着しました。

朝の上原港

石垣港離島ターミナルでガイド白鳥さんと合流し、於茂登岳の登山口へ向かいます。西表島に4泊していたので、車窓から眺める石垣市内の街並みが都会に見えました。20分ほどで到着し、ガイドの白鳥さんからヤマンギとサシキマハブに注意するように案内がありました。ヒルやダニはあまりいないそうで、その点は一安心でした。なお、ハブは夜行性なのですが、昼間に出くわすこともあります。でも、出会ってしまってもハブは臆病なのでじっとしていればハブの方が逃げていくそうです。9:40に登山口を出発しました。

於茂登岳の登山口

この山の山頂にはNHKの受信施設があり、作業員が登るため、所々コンクリートで舗装されていますが、壊れている部分もあり、かえって歩きづらかったりします。また、岩には苔が生え、滑らないように注意しながら登って行きます。台風で倒れてしまったイタジイの大木やカゴメラン、エゴノキの花などを眺めながら、登り続けます。

樹林帯を行く

15分ほどで水神を祀った石碑に到着

新芽の赤いヒリュウシダ

急登スリップ注意の看板からリュウキュウチクの長いトンネルの急登が始まりました。石垣島では、唯一山頂付近にしかリュウキュウチクは自生していません。10分ほどで気象台の丸いドームが見え、急登が終わりました。さらに進むと鉄塔があり、その奥に於茂登岳の山頂(526m)がありました。11:10に到着しました。

リュウキュウチクの長いトンネル

気象台の丸いドーム

山頂の看板が立てかけてある岩が神聖な岩で、その岩の上には立たないでくださいとガイドの白鳥さんから言われました。リュウキュウチクで視界は遮られ、足元と笹原しか見えない山頂ですが。いくつかある岩の上に立つと辛うじて視界が広がります。岩の上から、川平湾(かびらわん)、石垣島で2番目に高い桴海於茂登岳(ふかいおもとだけ)、三角形の尖った山頂が目印の野底岳(のそこだけ)または野底(ヌスク)マーペーを見ることができました。リュウキュウチクを刈り取ってしまえばいいと誰もが思いますが、この山は古くから信仰のために石垣島の人々が登る山だったので、伐採が認められていないそうです。

於茂登岳の山頂

川平湾

桴海於茂登岳(左)と野底岳(中央奥)

下山は往路を戻ります。途中、名無しの滝に立ち寄りました。白鳥さんによると石垣島では滝は珍しく、きっと石垣島の中では1位2位の大きさなのだとか。ただし、名前がない事が幸いして、人の手が入らずに自然のまま残ったそうです。また、涸れることなく、一定の水量を保っているそうです。

名無しの滝

その後、1930年代まで使われていた石垣やコミノクロツグやギランイヌビワなどの説明を聞きながら、12:45に登山口に戻りました。幸い、ヤマンギに刺されることもなく、ハブにも出会わず、下山することができました。皆さま、お疲れ様でした!

コミノクロツグ、繊維を使ってロープにしたそうです

ギランイヌビワ、幹に乾生果をつけるのが特徴

下山後、石垣空港へ向かう途中に於茂登岳がよく見え、山旅の最後を飾るに相応しい景色を見ることができました。

鉄塔が目印の於茂登岳(左)と桴海於茂登岳(右)

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茨城県ひたちなか市にある虎塚古墳は、7世紀初頭の築造の全長56.5mの前方後円墳です。埴輪は見つかっていませんが、横穴式石室内には見事な装飾が施されています。装飾古墳は、遺体を置いた石室内に装飾がある古墳と、石棺等に施された装飾がある古墳の二種類がありますが、日本全国に16万基以上ある古墳のなかでも、装飾古墳は600基程しかありません。その装飾古墳の多くは、熊本、福岡など九州地方に集中しており、関東以東では茨城、福島、宮城など一部にしか残っていません。

草に覆われた虎塚古墳

虎塚古墳には、ひたちなか市埋蔵文化財センターが隣接しており、石室内を原寸大に再現したレプリカを見ることができます。

玄室のレプリカは長さ3.0m・幅1.5m・高さ1.4m、壁面全面には白色粘土で下塗りがされており、その上に赤い顔料(ベンガラ)を用いて靭(ゆぎ:矢を入れて背に負う器具)や槍,楯,大刀など当時の武器,武具等が描かれ、また円文や三角文、武具とみられる文様などが描かれています。ベンガラは海藻もしくは動物性の脂で溶いて塗料にしたとのことです(ちなみに九州の壁画はエゴマの油を使っていました)。奥壁に描かれた2つの円文は、コンパスのようなものを使用して描かれたとみられ、中央部はベンガラが塗布されていません。

石室内の原寸大のレプリカ

靭は各地の装飾古墳に描かれていますが、武具で被葬者を守る意味合いがあったそうです。また、生前に被葬者が使っていたものを描いたという説もあります。

虎塚古墳の靫

福岡県桂川町の王塚古墳内に描かれた靫

 

福岡県筑紫野市の五郎山古墳内に描かれた靫

埋蔵文化財センターには、虎塚古墳からの出土品の他、上大平古墳出土の乳飲み子を抱く女性の埴輪や、三ツ塚古墳出土の鹿の埴輪など、素晴らしい展示が沢山ありました。

上大平古墳出土の乳飲み子を抱く女性の埴輪

 

三ツ塚古墳出土の鹿の埴輪

石室に描かれたこれらの文様が何を表現し、どのような意味が込められているのかは様々な説があり、結論は出ていませんが、紀元528年に起きた「磐井の乱」で敗れた磐井一族が、ヤマト王権によって九州から蝦夷防衛のために関東に流され、九州の装飾古墳の文化を関東に持ちこんだという説があるそうです。

磐井の乱(いわいのらん)は、527 年(継体 21 年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト 王権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌 528 年(継体 22 年)11 月、物部麁鹿火によって鎮圧された日本で最初の内乱です。527 年(継体 21)6 月 3 日、ヤマト王権の近江毛野 は 6 万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発しましたが、この計画を知った新羅は、筑紫の有力者であった磐井へ贈賄し、ヤマト王権軍の妨害を要請しました。磐井は親交があった新羅の願いに応えて挙兵し、ヤマト王権の進軍をはばんで交戦しましたが、翌528 年 11 月 11 日、ヤマト王権軍に討たれたと言われています。

岩戸山古墳から出土した石人と動物像

岩戸山古墳内の神社

筑紫野君磐井の墓は、福岡県八女市にある岩戸山古墳で、全長170メートルを誇る、九州北部最大の古墳です。筑紫野君磐井を通して、九州の古墳と茨城の古墳が繋がっていたことがわかりました。

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桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間①岩手から秋田編につづき、秋田から青森編として2021年の4月下旬に訪れたコースの旅路をご紹介いたします。

 

3日目:大潟村 桜と菜の花ロード

朝、ホテルを出発し仙北からしばらく国道を通り、八郎潟のある大潟村へ。五城目から橋を渡り、大潟村へ入ると日本海に向かって県道298号線の桜と菜の花ロードが11km続きます。ソメイヨシノが葉桜でしたが、菜の花は満開。菜の花畑の総面積は11.2ヘクタールだそうです。

菜の花ロード

大潟村の菜の花ロード

菜の花が綺麗なのでどんどん菜の花畑の中に入って行ってその後、出てくると足元は黄色い花粉だらけ。そんなことはお構いなし。皆さん満開の菜の花を写真におさめようと夢中になっておられました。その後、白神山地の一角である十二湖へ。日本海側の列車が走る五能線沿いをずっと専用車で走ります。

 

途中、秋田県と青森県の県境にある秋田県八峰町を通ります。八峰町は地層や地質を楽しめるジオサイトが点在するのも特徴です。途中、車を止め観光しながら先へ進みます。

 

鹿の浦展望台
夕日が綺麗に見れる場所として有名な鹿の浦展望台に立ち寄りました。日中ではありましたが日本海の海と展望台から右下を覗くと五角形や六角形の柱がたくさん集まったような溶岩流である柱状節理が見えました。

 

中浜海岸・ブラックサンドビーチ
珍しい黒い砂浜。この黒い砂はかつて近くにあった発盛鉱業所の溶鉱炉から流れ出てきたカラミです。これが水と一緒に海へ流出しそして岸に打ち上げられ出来たなんとも不思議な砂浜です。

ブラックサンド

中浜海岸のブラックサンド

八峰町を過ぎると秋田県を越え、青森県へ。津軽国定公園内にある白神山地・十二湖への入り口、森の物産展キョロロでガイドの方と合流し十二湖周りを散策します。因みにキョロロとはアカショウビンの鳴き声です。

 

十二湖

江戸時代・宝永元年(1704年)この地を襲った大地震によって沢がせき止められ、地盤が陥没して形成されたといわれています。その時できた湖沼は33を数えましたが、崩山の中腹(大崩)から眺めると、小さい池は森の中に隠れ、大きな池だけが12見えたことから「十二湖」といわれるようになりました。また、十二湖は昭和28年より県立自然公園、昭和50年より津軽国定公園に制定され、他にも自然休養林、保健保安林等の指定により、その昔から保護されてきました。

十二湖の青池

十二湖の青池

森の物産展キョロロからスタートして鳥のトサカの意味を持つ鶏頭場の池や「もののけ姫」でシシ神様が佇んでいる湖のモデルとなったという青池、透明度の高い沸壺の池などを散策。ブナ自然林を楽しむことが出来る心地いい散策路です。

その後、専用車にて移動して日本キャニオンへ。

 

日本キャニオン
白い流紋岩質の角礫凝灰岩が露出した地層で、昭和28年10月22日、十二湖が深浦・十二湖県立自然公園に指定された際、国立公園審議委員で冒険家・岸衛が「ベビーキャニオンじゃないか」と語ったことから岩崎村役場が日本キャニオンと命名したのが始まりだそう。あまりみない白い岩肌が連なる景色の日本キャニオンはどこか異国のようでした。

日本キャニオン

日本キャニオン

日本キャニオン付近の駐車場でガイドさんともお別れしこの日の宿泊地、不老ふ死温泉へ。不老ふ死温泉は日本海が広がる絶景露天風呂が有名なお宿です。今回ご参加の皆さんも日本海側に沈む夕日を露天風呂につかりながらお楽しみいただけたようです。

不老ふ死温泉付近から見える夕日

不老ふ死温泉付近から見える夕日

 

4日目:世界一長い桜並木 岩木山オオヤマザクラネックレスロード

翌日の朝、不老ふ死温泉を出発し深浦の名所、洞窟穴がある大岩や薄い緑色の凝灰岩が見られる千畳敷海岸で途中、足を止めながら世界一長い桜並木へ。

 

岩木山の裾野を走る道路沿いにあるオオヤマザクラの桜並木。

岩木町(現在の弘前市)で昭和60年から10年間に植樹したおよそ6500本もの桜の木に続き、鰺ヶ沢でも平成13年から2年間で1300本の桜を植樹。あわせて7800本、35kmも続く桜並木が、岩木山麓を一周する道路。その桜並木が続く道路を、岩木山にかけたネックレスに見立て「岩木山オオヤマザクラネックレスロード」と命名されています。

今年は残念ながら桜の見ごろを終えていましたが道中、まだ咲いている場所を探しながらネックレスロードを進みます。その後、岩木山神社へ。

 

岩木山神社

創建約1,200余年の歴史を持つ岩木山神社は、本州最北端の鎮守様の木材・県産のヒバを使用し、古いものは390年の風雪を耐えた建造物です。岩木山を望む鳥居から本殿までの長い参道は、杉木立に囲まれています。参道のど真ん中には津軽の象徴である岩木山が見えます。「お山」とか「お岩木様」と呼ばれ、津軽の人々の信仰の山です。珍しい狛犬も見る事ができ、逆さになった狛犬は恋愛運アップ、上向きは金運アップのご利益があるそうです。その後、カタクリの見られる穴場スポット志賀坊森林公園へ。

岩木神社

岩木神社

志賀坊森林公園

標高350mにある公園からは津軽の秀峰・岩木山と豊かな穀倉地帯である広大な津軽平野を一望できる展望地があり、森の中に入るとカタクリが咲き誇ります。あいにく岩木山は姿を隠してしまいましたが展望地のシダレザクラが1本、満開でした。散策路には、カタクリ、ニリンソウ、エンレイソウなど。歩いても、歩いてもカタクリの花。まさにカタクリの群生地でした。

志賀坊森林公園のカタクリ

志賀坊森林公園のカタクリ

林檎の花

林檎の花

志賀坊森林公園の周りはりんご畑が広がります。りんごの花には通常早い時期ですが、一本花の咲いている木をみつけました。つぼみはピンクですが花が開くと白い可愛らしい花が咲きます。その後、弘前市内のホテルへ。夜、夕食に出かけたあと弘前城のライトアップへ。

 

5日目:弘前城公園

最終日の5日目は朝から弘前城公園へ。弘前城公園は、1611年、弘前藩二代藩主・津軽信枚によって築かれた「弘前城」の跡地全域を公園とし、1895年に開園しました。日本一の桜の名所ともされ、植物園を含む敷地面積は、49万2000㎡。しだれ桜や緑の珍しいウコンザクラを見る事ができました。現在、弘前城は100年ぶりの石垣大修理の為、天守がお引越し中です。この場所でみた天守の方が今後、珍しい弘前城の景色になるかもしれません。その後、芦野公園へ。

弘前城

弘前城と枝垂桜

芦野公園

日本さくら名所100選に選ばれ、1500本の桜と、老松が湖畔に広がる自然公園。太宰治がよく遊んだ場所として知られており、およそ80ヘクタールの園内には太宰治文学碑や太宰治像があります。公園内には津軽鉄道が走り、昔ながらの小さな駅舎があります。踏切は原始的に人がロープで遮断していました。

 

津軽鉄道
青森県の奥津軽を走る、総距離約20.7kmのローカル線。津軽半島の玄関口・五所川原市から太宰治の出身地・金木駅などを経由して、中泊町までをつなぐ日本最北端の私鉄です。例年12月1日~3月31日の冬期間にはストーブ列車が運行されることで有名です。

芦野公園沿いを走る津軽鉄道

今年は異例というほど早い開花時期だったのでソメイヨシノなどの桜は見ごろを終えていたこともありましたが最後に芦野公園で綺麗な桜を見る事が出来ました。

 

東北には桜の名所が沢山ありますが、夏には青々とした緑が楽しめる白神山地、秋には紅葉の名所が沢山あり、冬には雪景色と津軽鉄道のストーブ列車など四季折々の良さがあります。是非、魅力的な東北の旅へでかけては如何でしょうか。

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