秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

大阪支社 高橋です。
7月に「花咲く千畳敷カール・乗鞍・上高地を歩く」へ同行させていただき、その中で2泊3日に渡って上高地に滞在し、自然探勝ハイキングを楽しみました。西遊旅行へ入社前、さらには個人的に何度も訪れた上高地でしたが、改めてその素晴らしさを体感することができました。今回から数回に分けて『日本屈指の景勝地・上高地』についてご紹介します。

 

上高地のシンボル・河童橋と穂高連峰(7月)

 

穂高連峰の裾野に広がる日本屈指の景勝地・上高地
上高地は、長野県の北アルプス南部の梓川上流部に位置し、長野県・岐阜県・富山県・新潟県の4県に跨る中部山岳国立公園の一部(上高地は全域が長野県松本市)であり、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されています。

 

①176万年前、火山活動によって現在の上高地の地にはカルデラが形成されたとされ、そのカルデラ内に火山灰がたまり、圧縮されて岩(地層)が形成されました。
②およそ6万年~2万年前、氷河時代だった頃には、山を覆っていた氷河の浸食作用によって紅葉の名所・涸沢カール(圏谷)などに代表される氷河地形を形成しました。
③1万2千年前、焼岳火山群の活動が梓川を堰き止め『古上高地湖』と呼ばれる湖ができ、湖底に堆積した土砂などが現在の上高地の地形の基盤となっています。

 

火山活動、氷河時代やその後の浸食作用など、途方もない時を経て形成され私たちを魅了し続ける上高地。
これから散策した経路に沿って、見どころをご紹介したいと思います。

 

活火山・焼岳と大正池
上高地へ通じる唯一の車道(県道)である釜トンネルを抜け、すぐ左手に見えるのが大正池、その畔に聳えるのが標高2,455mの活火山・焼岳。梓川右岸に聳え、現在も山頂から噴煙を上げ、活動を続けるトロイデ型(釣鐘を伏せたような形)の活火山です。
大正4年の大噴火で生じた泥流により梓川が堰き止められ、大正池が形成されました。
バスを降り、大正池の畔に出ると、大正池の水の美しさ、トロイデ型火山の焼岳が間近に迫る迫力など、到着直後から心奪われる上高地らしい景観が広がります。

 

上高地・大正池と焼岳(7月)

大正池から望む穂高連峰(10月)

 

上高地に点在する枯れ木
大正池をはじめ、上高地では水没した枯れ木に目が留まります。
これらはカラマツなどの針葉樹が水没して枯れ木となったものです。上高地の針葉樹は土砂崩れの起きにくい場所に増えることが多く、大正池周辺はある時から洪水・川の氾濫が発生しやすい土地となったため、周囲には湿った土地を好む広葉樹のハンノキの仲間などが生い茂るようになったそうです。大正池の枯れ木は幻想的な風景を演出する要因の1つですが、同時に「環境の変化を示す重要な痕跡」でもあります。

 

針葉樹の枯れ木は環境の変化を示す痕跡

 

伏流水によって養われる田代池
大正池より梓川左岸(下流の方を向き、左側の岸)に整備された遊歩道をしばらく歩くと、分岐点である田代湿原エリアに差し掛かります。
ここでは先を急がず、その先にある小さな田代池へ是非立ち寄ってみてください。

 

田代池は、大正池と共に大正時代の焼岳大噴火による影響で梓川左岸の支流の1つ千丈沢を堰き止めたことでできた池であり、正面に聳える霞沢岳などの砂礫層を経由した伏流水によって養われた池でもあります。大正4年の焼岳大噴火の際には最深5m余りあったとされていますが、枯れた水草や周囲から流れ込む土砂などが堆積し、徐々に小さくなり、長い年月をかけて湿原化してきており、それが田代湿原と呼ばれています。
田代湿原は穂高連峰の好展望地でもあり、秋になると湿原エリアが黄金色に染まり、撮影好きの方にとってはオススメのポイントでもあります。
田代湿原、田代池は、今後乾燥化が進行していくと樹木が進入し、やがては森へと移り変わっていくと言われています。

 

伏流水によって養われる田代池(7月)

田代湿原から望む穂高連峰(10月)

 

その後、梓川左岸の林間ルートをしばらく歩くと、梓川に架かる田代橋・穂高橋に差し掛かります。ここからは、橋を渡り梓川右岸ルートの散策を楽しみます。
ただ、田代橋からも美しい梓川の風景をご覧いただくことをお忘れなく。

 

梓川に架かる田代橋からの風景(7月)

梓川に架かる田代橋からの風景(10月)

 

日本近代登山の父 ウォルター・ウェストン
1888~94年、日本に3度長期滞在をしたイギリス人宣教師のウォルター・ウェストン
彼は滞在中、日本各地の山を登り、1896(明治29)年に著した『日本アルプス登山と探検』で、自らが訪れた上高地や穂高連峰などを広く世界へ紹介・賞賛しました。それまで日本では「山は信仰の対象、修行としての山登り」や「狩猟のための山行」でしたが、レジャーとしての登山を、また上高地を広く紹介した彼の功績は「日本近代登山の父」として今でも称えられています。
そのウォルター・ウェストンの登山案内を務めたのが、当時上高地に住み、地形などを熟知していた上條嘉門次氏でした。

日本近代登山の父 ウォルター・ウェストンのレリーフ

 

上高地のシンボル・河童橋
梓川の風景などを楽しみながら右岸ルートをしばらく歩くと、いくつかのホテルが並ぶエリアに差し掛かります。その先に待っているのが、上高地のシンボル・河童橋です。
1891年に初めて橋が架けられ、現在は5代目の吊橋です。
現在河童橋が架かるエリアは、古くは河童淵と呼ばれており、諸説ありますが、橋が架かっていなかった時代に衣類を頭にのせて川を渡る人々の姿が河童に似ていることがその名の由来と言われています。また1927年に芥川龍之介が小説『河童』で河童橋を搭乗させたことで広く知られるようになりました。
河童橋ではゆっくりとした時間を過ごし、梓川の美しさと共に、河童橋から望む穂高連峰の風景を是非堪能してください。また、橋上で梓川の下流方向を振り返ると、大正池の畔に聳える焼岳の姿もご覧いただけます。

 

上高地のシンボル・河童橋と穂高連峰(7月)

⑩梓川の下流方向には焼岳も展望

 

大正池から河童橋までゆっくりと時間をかけて散策する日帰り旅行でも十分に上高地の素晴らしさを体感していただけますが、西遊旅行がそのままで終わるはずがありません。河童橋付近のホテルに宿泊し、夜の上高地、早朝の上高地の風景を楽しんだり、さらに奥へ進む自然探勝ハイキングも楽しむ日程をご用意しております。

 

河童橋から先の見どころについては、次回にご紹介。 つづく。

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屋久島とともに日本で初めての世界自然遺産に登録された「白神山地」。東北の秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万haに及ぶ広大な山地帯に、ブナ林の原生林が残されています。
岳岱自然観察教育林のブナの森(秋田・藤里町)

世界遺産・白神山地

日本が世界遺産条約を批准したのは1992年で、翌年の1993年に調査委員が白神山地を訪れ、ペルーでの最終会議を経て、白神山地が世界遺産に登録されました。

苔や地衣類などに覆われたブナの森

白神のシンボル「400年ブナ」

この白神山地のブナの森が世界遺産に登録されたのは、手つかずの8,000年前の原生林が残されていることが大きな理由のひとつです。かつては、この森に青秋林道の建設計画がもちあがったそうですが、市民グループの反対によって道路建設はくい止められました。もし道路が作られていれば白神山地の世界遺産の登録はなく、同じように広大なブナの森が広がる十和田湖・奥入瀬渓流の周辺は、森林を切り開いて道路が作られたため、残念ながら世界遺産としての価値はなくなってしまったそうです。

ブナ林の木道沿いにあるモリアオガエルの池

7月はブナの芽吹きがみられるシーズン

秋田白神山地

秋田県の白神山地は、緩衝地域に位置する二ツ森やその周辺の岳岱自然観察教育林、藤里駒ヶ岳、留山などのブナやミズナラの天然林のほか、峨瓏大滝、銚子の滝など滝や天然の秋田杉が立ち並ぶ太良峡、ミズバショウやニッコウキスゲなどが一面に咲く田苗代湿原など見どころが満載です。

ブナ林で菌類に寄生して栄養を得るショウキラン(鍾馗蘭)

ブナの森のハイキング時のお弁当の一例

 

岳岱自然観察教育林
標高620m、面積約12ha。コースを一周すると1.8km。岳岱自然観察教育林は、ブナを主とする冷温帯落葉広葉樹林の極林に近い林相で、昭和48年度レクレーションの森「岳岱風景林」に指定された後、平成4年4月現在の名前「自然観察教育林」に変更さました。ブナの寿命は300年前後と言われる中、それを遥かに超える老木・白神のシンボル「400年ブナ」と呼ばれる幹周り485cm、樹高26mの巨木は「森の巨人たち百選」にも選定されています。

白神のシンボル「400年ブナ」

森の巨人たち100選認定看板

 

田苗代湿原
面積約19ha。大昔は湖沼だったと言われる湿原。ここでは時期を変えてミズバショウやショウョウバカマ、ニッコウキスゲなど湿原に咲く高山植物を見ることができます。田苗代湿原は藤里駒ヶ岳登山の入口で、ここから頂上まで片道約70分~90分の行程です。湿原内は植物が踏み荒らされないよう木道が整備され歩きやすい散策ルートになっています。昨年はニッコウキスゲの花が例年より開花せず裏年と言われていたので、今年のニッコウキスゲの花シーズンは期待ができます。

ニッコウキスゲの花咲く湿原をハイキング

ニッコウキスゲの花

 

アクセスが便利な青森県側のブナの森が有名ですが、知られざる秋田県側の白神山地周辺の森のハイキングもおすすめです。
白神山地シリーズ②へ続きます!

 

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今回は「大山ブナの森ウォークと断崖の国宝・三徳山投入堂」のコースをご紹介します。

このコースでは伯耆富士と言われる大山を見ながら、鳥取の自然や歴史のある町を巡るコースです。

1日目

まず初日にご案内するのは奥大山にある「木谷沢渓流」。鳥取県内でも水が綺麗なことで有名な奥大山では、約1時間でまわることができる散策道をガイドとともに歩きます。目に映る自然をゆっくりとお楽しみください。

木谷沢渓流

2日目

大山は「神の居ます山」といわれ山岳信仰の霊場として入山が厳しく制限されてきたためブナの森が守られ西日本最大級とも言われています。2日目は朝からブナの森ウォークへご案内します。ガイドの方の話を聞きながらゆっくりと歩いていきます。道中ではブナの巨木を見たり、千年以上の歴史を誇る大山寺を参拝します。自然と大山の歴史に触れることができるでしょう。

 

午後からは大山をぐるっと車で眺めます。大山の絶景ポイントとして大山の山並みが見ることができる桝水高原や大山南壁を眺める一番のポイント鍵掛峠などを巡ります。


 

3日目

午前中に向かうのは琴浦町。荒神さんと地元の人から親しまれています神崎神社では本殿の大黒様や葡萄とリスや拝殿向拝の天井に彫られてい龍などその彫刻は必見です。

神崎神社 天井の龍

光町では左官職人が使う鏝で漆喰に様々な模様を描いた鏝絵を見学します。蔵にもよく見られるので、蔵飾りとも呼ばれていますが、光町のように密集しているのは全国的に珍しいことです。

光町鏝絵

午後は倉吉の白壁土蔵群を散策します。江戸時代から大正時代にかけて建築された古い所商家の町並みや南総里見八犬伝のモデルとなった忠義公と8人の家臣が葬られている大岳院などを巡ります。

倉吉 白壁土蔵群

4日目

国宝に指定されている三徳山投入堂登山へ向かいます。登山口では、靴チェックがあり、靴底に不備がある場合はぞうりの購入が必要になります。「さんげさんげ六根清浄」と唱えながら登っていきます。

三徳山文殊堂からの眺め

午後は三朝温泉を訪れます。約850年前に発見された古湯・三朝温泉。ラジウム温泉が湧出する手水舎がある三朝神社や株湯を訪れます。足湯もできますので、午前の三徳山投入堂の疲れを取るにもいいでしょう。

三朝温泉 (河原風呂)

5日目

最終日は羽衣伝説が残る湯梨浜町へ向かいます。天女が羽衣を掛けたという伝説が残る羽衣石や、羽衣山上にある羽衣石城跡、一之宮の倭文(しとり)神社を訪れます。

羽衣石城跡

国宝の三徳山投入堂、鳥取の自然や歴史を訪ねてみませんか。

 

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「飛鳥の里から奈良最深部へ」のツアーでは奈良南部を中心にめぐり、三重県の熊野市へと縦断する旅です。今回は4月に訪問した様子をご紹介いたします。

■1日目 飛鳥の里
旅は大和八木駅からスタートし、1日目は明日香村を回りました。
日本最古の仏像・飛鳥大仏を祀る「飛鳥寺」は推古4年(596年)に創建された我が国最初の仏教寺院です。

創立者は蘇我馬子です。蘇我氏と結びつきの強かった朝鮮半島の百済国などから6人の僧、寺大工などの派遣を受け、建立されたとされたとされています。
飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は609年に銅15t、金30㎏を用いて造られました。日本最古の仏像ですが、鎌倉期の火災により大きく破損し、一部のみが創建当時のままで、修復されたことから国宝には指定されていないそうです。お寺の傍には中大兄皇子と中臣鎌足によって殺害された蘇我入鹿の首塚もありました。

最初の仏教寺院 飛鳥寺 飛鳥大仏

続いて、聖徳太子誕生の地とされる「橘寺」へ向かいました。
本堂にはご本尊の聖徳太子坐像が祀られています。
創建当時には一辺7mの五重塔があったそうですが、現在は塔礎石が残るのみです。
往生院の堂内にある天井画を寝そべって眺めることもお忘れなく。

         季節の花々が描かれた天井画

明日香地方にはたくさんの古墳があることでも知られています。その中の一つ、キトラ古墳も訪ねました。
キトラ古墳は7世紀末から8世紀初頭頃に造られたと考えられています。
石室内部の天井、側壁、床面の全面に漆喰が塗られ、その漆喰面には四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれていました。古墳横にある「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」でその壁画のレプリカを見ました。
実物の壁画は四半期毎に期間限定で公開されます。

■2日目 名勝・吉野山から天川村・洞川温泉へ
旅の2日目は名勝・吉野山へ。
桜の名所としても名高い吉野山ですが、今年の桜前線は早く通過したため桜はほとんどありませんでしたが、シャクナゲやアセビの花が綺麗でした。吉野山は大峰山脈の北側に位置し、金峯山寺の門前町として栄えました。
約1300年前、修験道の開祖、役行者は難行苦行の果てに蔵王権現を感得し、その尊像こそが民衆を救うものだとして、桜の木に刻み、吉野山に祀りました。それ以降、桜の木は吉野山において御神木とされています。
ちょうど訪問した時期には金峯山寺の本堂である国宝・蔵王堂の御本尊、金剛蔵王大権現が御開帳されていました。

金峯山寺の本堂 蔵王堂 見頃のシャクナゲの花

洞川温泉がある天川村では関西最大級の鍾乳洞、面不動鍾乳洞へ。
鍾乳洞の入り口までは林業が盛んな地域ならではの丸太の木をモチーフにしたモノレールで向かいます。
夏でも平均気温8度の洞内ではストロー状の鍾乳石や石筍が見られました。

丸太のトロッコに乗り鍾乳洞へ向かいます 面不動洞窟の内部

次に訪問した「龍泉寺」は洞川から大峰山へ登る修験者が水行をして八大龍王尊に道中安全の祈願をすることが慣例となっています。八大龍王堂には見事な龍天井もありました。
この日の宿泊は大峯山から発し熊野川の源流ともなっている山上川のほとり、標高約820m余りの高地に位置する洞川温泉です。純和風木造建築の旅館や民宿がならぶ、どこか懐かしい風景です。

■3日目 天川村から奈良最深部・十津川村へ
朝から天川村を代表する雄大な渓谷美を誇る「みたらい渓谷」へ。
みたらい渓谷は大峯山を源流とする山上川の下流部で川迫川が合流する場所付近で渓谷を形成しています。高低差の大きな渓谷では大小の滝が流れ落ちます。自然林に沿って7㎞の渓谷が整備されています。その一部のハイキングを楽しみました。新緑や歩道に咲く花を見ながらの散策でした。

渓谷ではいくつもの滝が見られます 新緑が美しい巨木

江戸時代の僧、円空が大峯の地で修行した際に彫られた円空仏が(聖観音菩薩立像、大日如来坐像、大弁財天天女立像、金剛童子像、御法神像)が祀られている「栃尾観音堂」も訪問しました。
円空は全国各地を行脚し、行く先々で一般に円空仏と呼ばれる木像や神像を造り、その生涯において彫った数は12万体にも及ぶとされ、現存するだけでも5000体以上とされます。柔和なお顔が印象的でした。

           栃尾観音堂に祀られている円空仏

その後、十津川村では生活用鉄橋としては日本最長の「谷瀬のつり橋」を訪ねました。高さ54m、全長297.7mです。
眼下には熊野川を見ながらのドキドキ体験が楽しめます。
また、落差15mの「清納の滝」でマイナスイオンを感じてから十津川温泉での宿泊でした。

■4日目 十津川村から日本唯一の飛び地・北山村へ。

十津川村に位置する果無集落は熊野参詣道の一つ、小辺路が通ります。急斜面の田畑、昔ながらの古き良き日本の生活風景が残り、果無山脈を見渡す美しさから「天空の郷」と呼ばれています。

果無集落は懐かしい風景が広がります。

その後、玉置神社を参拝しました。
2004年に登録されたユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。日本最初の神様とされる国之常立神(くにのとこたちのかみ)をお祀りする神社で、また、伊弉諾尊と伊弉冉尊もお祀りされている神社です。

その後、日本で唯一の飛び地、北山村へ向かいました。
奈良県と三重県と和歌山県の県境をいくつか越え、和歌山県の飛び地、北山村では筏師の道を歩きました。
林業が盛んに行われるようになった江戸時代以降、大台ケ原方面から木材集積場がある新宮市まで北山川に筏を流し、木材を運搬していました。良質な木材は江戸城の本丸にも使われ、明治・大正の産業革命期や戦後の復興期には東京や大阪などの大都市に建築資材を供給し、明治の最盛期には500人の筏師が活躍しました。
筏を無事に目的地に運んだ、筏師が山道を歩いて家路についた道が「筏師の道」です。
ツアーではその一部を歩き、当時に思いを馳せました。

                立合川に架かる吊り橋

■5日目 山の北山村から海の熊野へ
奈良県の山岳部を縦断してきた旅は、海の熊野へと向かいます。
国の史跡に指定される「赤木城跡」と「丸山千枚田」を見学後、「花の窟神社」は高さ45mの巨石がご神体で、伊弉冉尊が祀られています。

               花の窟神社

海岸線の鬼ケ城は熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段状に並び、約1.2㎞続いています。志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、これより南はなだらかな砂浜の海岸へと変わります。
鬼ケ城もユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成しています。

                鬼ケ城

* * *

四季折々の自然美を見せてくれる奈良最深部ですが、11月頃には山が紅葉し、秋の風景を楽しめます。
是非、秋の大和路にでかけませんか。

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西表島には「横断道」と呼ばれる道があります。昔、車がない時代に使われていた道で、西部地区・浦内川から東部地区・仲間川へ島の中央部を貫く約18kmの道です。日帰りとはいえ、亜熱帯特有の気候と川沿いの悪路が続くため、踏破困難な道として知る人ぞ知るルートです。2021年3月にこの「横断道」の踏破とあわせて、西表島最高峰・古見岳と沖縄最高峰・於茂登岳に登った時の様子をご紹介いたします。

西表島の横断道を行く

■西表島大縦走(横断道)

今日は、雲は多いものの晴れ、気温は21℃。歩くにはとても良い条件です。ガイドの森本さんと清水さんの運転する車に分乗して、ホテルを出発しました。

上原地区にあるホテル、イルマーレ・ウナリザキを出発

10分ほどで浦内川橋に到着。早速、船乗り場に向かいます。朝一番のチャーター船に乗り、浦内川クルーズの開始です。

浦内川の船乗り場

浦内川は全長39km、主流長18.8kmで沖縄県最大(流域面積)の河川です。汽水域は470種に及ぶ魚類が生息しています。水深は最大15m。日本のマングローブの7割が西表島にあり、西表島のマングローブの9割がこの浦内川にあります。船員さんが見える山やマングローブの3種(オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ)をはじめとした植物を丁寧に案内してくれました。

周囲の山々が水面に鏡のように映ります

タコの足のような支柱根を伸ばすヤエヤマヒルギ

セイシカ(聖紫花)

タイワンヤマツツジ

シダの群落(タカワラビ)

軍艦岩で下船。ヒル除け&ダニ除けスプレーをたっぷりかけて、08:10に縦走開始です。ガイドの森本さんが滑りやすい粘土質の赤土を示しながら、西表島と沖縄本島との地質の違いを説明してくれました。西表島や石垣島の地質は、主に砂岩や礫岩、泥岩でできており、酸度が高いため、パイナップル栽培に適している事。一方、沖縄本島(の中西部)は、珊瑚礁を起源とする琉球石灰岩からなるため、サトウキビ栽培に適しているそうです。一ノ沢、二ノ沢と次々現れる小さな沢を越えて、七ノ沢を越えたあたりで、「マリユドゥの滝」を見下ろす展望台に到着しました。

名の由来になった楕円形の滝壺をもつマリユドゥの滝

ギランイヌビワ

電話線の碍子(がいし)、横断道に電話線が引かれていた名残

再び縦走を続け、十一ノ沢を越えたあたりで「カンビレーの滝」に到着しました。ここで歩き易い道は終わり、岩盤が剝き出しになった滑りやすい川床を歩きます。

カンビレーの滝

川床には、沢山の穴が開いています。見事な丸型の穴は、ポットホールと呼ばれるもので、柔らかい砂岩質の岩盤に、川の流れの力で小石が長い年月をかけて少しずつ岩盤を削ってできた穴です。もう1種類は、マグマが冷え固まる時に、丸い気泡の形のまま固まったため、穴になったものもあるとの事でした。

滑りやすい川床を行く

ハート型のポットホールでは、カンピレーの滝に伝わる話を聞きました。西表島の神々がここに集って、宇奈利崎に新たに神を招くことになり、ヤマトゥから女神を招いたそうです。このポットホールがその女神に贈る宝石箱だったとの事でした。

ハート型のポットホール

カンピレー口(ぐち)と呼ばれる横断道入口からいよいよ横断道が始まります。いきなり急登からはじまりました。急登を越えるとロープの張られた場所、イノシシのヌタ場になっているぬかるみ、浦内川右岸の川沿いの崖路、そして、オキナワウラジロカシやイタジイ、ヒカゲヘゴ、沢山のシダの生えたジャングルの中を進みます。

横断道入口

ヒカゲヘゴ

ぬかるみ道

登山と異なり、アップダウンがあまりなく、ほぼ平坦な道なので、早いペースでガシガシと縦走を続けます。休憩は30分毎と頻繁に取ってくれるのですが、ザックを下ろして、呼吸を整え(深呼吸して)、水分や行動食をとったら、すぐに出発となります。時間にすると3分から5分程度です。頻繁に前を歩く人の足についたヒルを取りながら歩きました。途中、オオハナサキガエルの白い卵やサキシマスジオというヘビ、サキシマキノボリトカゲ、アマビコヤスデを見ました。

オオハナサキガエルの白い卵

ヤエヤマオオタニワタリ

イタジキ川出合には11:05に到着しました。イタジキ川出合から、ロープの垂れたかなりの急斜面2段を登ります。ここからまた川沿いの崖路が続きました。

イタジキ川出合

イタジキ川上流、ツアーでは訪れませんが、この先にマヤグスクの滝があります

急斜面の登り

横断道の中間点を過ぎ中間広場へ。14:30に中間広場を出発し、第一山小屋跡には15:05、大富・古見への分岐には15:15に到着しました。

中間広場

ヤエヤママルヤスデ、毒があるので注意

エゴノキの花、毒があり潰して川にいれると魚が浮くそうです

その後、尾根にあがると、ずっと右手に見えていた浦内川が見えなくなり、今度は左手に仲間川が見えてきました。

尾根への登り

左手に仲間川

セマルハコガメ

さらに登ると分水嶺に到着。さらに10分ほど下るとようやく大富口に到着しました。時間は17:00ちょうどです。この調子なら日没前に大富林道入口まで踏破できそうです。頑張りました!

大富口の看板

大富口からはゆるい登りの林道が続きました。途中、樹上にあるスズメバチの巣のようなタカサゴシロアリの巣がありました。

林道歩き

タカサゴシロアリの巣

ヤエヤマヤシの展望地から舗装道路に変わり、仲間川展望台には17:40に到着しました。仲間川の蛇行した様子と海、そして、新城島(パナリ島)も薄っすらと見えています。ガイドの清水さんによると3月下旬から4月にかけて東南アジアからアカショウビンが渡ってくるそうで、アカショウビンが島に現れると夏が始まると教えてくれました。

蛇行する仲間川

仲間川展望台から、ゴールに向かって、ひたすら歩みを進めます。最後の20分はまた登りとなり、舗装の禿げた砂利道を頑張って進み、大富林道入口には18:20に到着しました。お疲れさまでした~!

大富林道入口のゲート

大富林道入口からは、迎えの車に乗ってホテルに戻りました。シャワーと着替えを大急ぎで済ませて、オリオンビールで乾杯しました。全員で完歩できた事がなりよりも嬉しかった瞬間でした。

 

■西表島最高峰・古見岳

今日は、西表島最高峰・古見岳の頂を目指します。朝食をゆっくりいただき、8:00にホテルを出発しました。ガイドの森本さんの車で登山口へ向かいます。車中、エコロードと呼ばれる道路の説明をしてくれました。この道路は、イリオモテヤマネコ(以下ヤマネコ)やセマルハコガメなどの動物が渡れるように道路の両側の側溝は「U字」ではなく「V字」になっている事、ヤマネコは音が嫌いなのでゼブラゾーンと呼ばれる音が鳴る道路をヤマネコの目撃情報の多い場所に設置している事、道路の下にヤマネコ用のトンネル=アンダーパスを設置している事。道のわきにある黒いネットは、動物が道に出てこないようにするためとの事でした。動物が轢かれるとその礫死体をヤマネコが狙うため、ヤマネコ以外の動物も轢かれるのを防止する必要があるのです。そんなお話を聞きながら、古見岳の登山口に到着しました。早速、たっぷりヒル除けをスプレーしたものの「川の渡渉の際に流れてしまうよ」と言われ納得です。9:05に出発しました。

古見岳の登山口

ヤマネコのアンダーパス

相良川に下り、早速、沢靴で川をじゃぶじゃぶと進みます。水道管を過ぎ、砂防ダムにはテナガエビがいました。夏にはボラもいるそうです。

水道管を過ぎ砂防ダムへ

イジュの実、おじい・おばあの顔に見えます

10数回渡渉を繰り返し、最後の渡渉地点には10:25に到着。皆さま、沢靴を脱いでデポし、運動靴やトレッキングシューズに履き替えます。履き替える際にヒルを落とします。横断道でヒルの洗礼をうけたので、皆さま、落ち着いた手さばきです。

10数回渡渉を繰り返す

下から這い上がるヒル

最後の渡渉地点からは、いきなり急登です。古見岳の行程で一番の急登が標高差200mほど続きます。ジャングルの中で風が通らないので汗が吹き出します。小浜島と竹富島の見えるビューポイントを通過し、尾根に出ると古見岳のビューポイントに到着しました。

いきなりの急登

小浜島と竹富島の見えるビューポイント

尾根から相良川の源流部分に下り、源流の小川を詰めていきます。12:05にはロープが張ってある相良川源頭の鞍部に到着しました。標高は375mでした。

源流の小川を進む

レンギョウエビネ

鞍部からさらに進むとヒカゲヘゴの奥にこんもりした古見岳の山頂が見えてきました。最後にリュウキュウチクの生い茂る急登を登り終えると古見岳(470m)に到着しました。12:25でした。

ヒカゲヘゴ

リュウキュウチクの生い茂る急登

山頂の南東方向には小浜島や竹富島が見えます。北西方向にはテドウ山とその左に鳩間森、波照間森の山並みが見えました。ガイドの森本さんによると船浦中学校はテドウ山を、大原中学校は古見岳をそれぞれ中学校の行事で登るそうです。山頂でお弁当を食べて、12:50に下山を開始します。

古見岳の山頂

山頂に置かれたイリオモテヤマネコの石碑

北西方面の展望、左から八重岳、波照間森、鳩間森、テドウ山

下りは、特に不意につかんだ木や枝にヤマンギ(イワサキカレハという毒蛾の幼虫)がいないか注意しながら進みます。ヤマンギの毒針に刺される痛さは、ハブに噛まれたのと同じと言われています。

ヤマンギ、枝に擬態しているので見分けるのが困難です

慎重に急斜面を下り渡渉地点に到着。ここで再び沢靴に履き替え、渡渉を繰り返して登山口には、15:35に到着しました。皆さま、お疲れ様でした!

 

■沖縄最高峰・於茂登岳

今日は、ツアー最終日。石垣島に戻り、沖縄県最高峰・於茂登岳の頂を目指します。ホテルを出発し、10分ほどで上原港に到着。8:00ちょうどにフェリーが到着し、すぐ乗船が始まります。たった5分で準備が完了し、上原港を出航しました。波も穏やかで揺れる事もなく、順調に進み、石垣港離島ターミナルには8:55に到着しました。

朝の上原港

石垣港離島ターミナルでガイド白鳥さんと合流し、於茂登岳の登山口へ向かいます。西表島に4泊していたので、車窓から眺める石垣市内の街並みが都会に見えました。20分ほどで到着し、ガイドの白鳥さんからヤマンギとサシキマハブに注意するように案内がありました。ヒルやダニはあまりいないそうで、その点は一安心でした。なお、ハブは夜行性なのですが、昼間に出くわすこともあります。でも、出会ってしまってもハブは臆病なのでじっとしていればハブの方が逃げていくそうです。9:40に登山口を出発しました。

於茂登岳の登山口

この山の山頂にはNHKの受信施設があり、作業員が登るため、所々コンクリートで舗装されていますが、壊れている部分もあり、かえって歩きづらかったりします。また、岩には苔が生え、滑らないように注意しながら登って行きます。台風で倒れてしまったイタジイの大木やカゴメラン、エゴノキの花などを眺めながら、登り続けます。

樹林帯を行く

15分ほどで水神を祀った石碑に到着

新芽の赤いヒリュウシダ

急登スリップ注意の看板からリュウキュウチクの長いトンネルの急登が始まりました。石垣島では、唯一山頂付近にしかリュウキュウチクは自生していません。10分ほどで気象台の丸いドームが見え、急登が終わりました。さらに進むと鉄塔があり、その奥に於茂登岳の山頂(526m)がありました。11:10に到着しました。

リュウキュウチクの長いトンネル

気象台の丸いドーム

山頂の看板が立てかけてある岩が神聖な岩で、その岩の上には立たないでくださいとガイドの白鳥さんから言われました。リュウキュウチクで視界は遮られ、足元と笹原しか見えない山頂ですが。いくつかある岩の上に立つと辛うじて視界が広がります。岩の上から、川平湾(かびらわん)、石垣島で2番目に高い桴海於茂登岳(ふかいおもとだけ)、三角形の尖った山頂が目印の野底岳(のそこだけ)または野底(ヌスク)マーペーを見ることができました。リュウキュウチクを刈り取ってしまえばいいと誰もが思いますが、この山は古くから信仰のために石垣島の人々が登る山だったので、伐採が認められていないそうです。

於茂登岳の山頂

川平湾

桴海於茂登岳(左)と野底岳(中央奥)

下山は往路を戻ります。途中、名無しの滝に立ち寄りました。白鳥さんによると石垣島では滝は珍しく、きっと石垣島の中では1位2位の大きさなのだとか。ただし、名前がない事が幸いして、人の手が入らずに自然のまま残ったそうです。また、涸れることなく、一定の水量を保っているそうです。

名無しの滝

その後、1930年代まで使われていた石垣やコミノクロツグやギランイヌビワなどの説明を聞きながら、12:45に登山口に戻りました。幸い、ヤマンギに刺されることもなく、ハブにも出会わず、下山することができました。皆さま、お疲れ様でした!

コミノクロツグ、繊維を使ってロープにしたそうです

ギランイヌビワ、幹に乾生果をつけるのが特徴

下山後、石垣空港へ向かう途中に於茂登岳がよく見え、山旅の最後を飾るに相応しい景色を見ることができました。

鉄塔が目印の於茂登岳(左)と桴海於茂登岳(右)

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