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サウジアラビア<後編>
ジュッバの岩絵とマダイン・サーレ

  • サウジアラビア

2022.06.17 update

後編では、ツアーで訪れるあと2つの世界遺産ジュッバの岩絵マダイン・サーレをご紹介いたします。そして、最後にサウジアラビアの食についても少しまとめていますのでご覧ください。

ジュッバの岩絵【世界遺産】

 

ジュッバの岩絵観光の拠点となるのは、首都リヤドから約700km北西に位置する地方都市ハイル。サウジアラビア北部に広がるナフード砂漠を横目に、ハイルから約1時間半国道を北上するとジュッバの岩絵にたどりつきます。2015年に「ハイル地方の岩絵」として世界遺産に登録されました。ハイル地方の岩絵は、2つの地域から構成されており、ジュッバの他、ハイルの南方約250kmに位置するシュウェイミス近郊にも岩絵が残っています。

ジュッバの岩絵地域は、ジャバル・ウンム・シンマンと呼ばれ、ジャバルは「山」、ウンムは「母」、シンマンは「(ラクダの)こぶ」という意味があります。確かにラクダのこぶのような岩山が林立していました。岩山の麓には、かつては人々の水源となっていた湖があったと推測されていて、現在の砂漠地域では見られない動物も生息していたと考えられています。1万2000年前~3000年前に描かれたラクダ、レイヨウ類、その他の動物、人、文字など数千もの岩絵が残っているといわれています。

見上げて岩絵を撮影(もっと近くで見れる岩絵も多いです。)

ガイドさん曰く、これはライオンだそうです。(当時はこの辺りでも生息していたのでしょう。)

ラクダは一番多く描かれている動物

縦書きが特徴の古代タムード文字

写真のように足場が整えられています。

 

マダイン・サーレ【世界遺産】

サウジアラビアの観光の目玉となるのが、ハイルから約430km西に位置するアル・ウラ周辺の観光です。

 

その中でもマダイン・サーレは、遊牧民のナバティア人によって建設され、ヨルダンのペトラ以南では、現存するナバティア文明最大の遺跡。紀元前2 世紀から紀元後2 世紀にかけて繁栄し、かつてこの地にいた預言者サーレにちなみ「サーレの町(マダイン・サーレ)」と呼ばれています。古代ローマに征服され、交易の要地としての役割を失い、廃墟になったと考えられています。岩盤を掘りこんで作られ、アッシリアやギリシャの影響を受けた装飾が施された霊廟群の他、ナバティア文明以前の碑文や洞窟絵画などが残っています。2008 年に「アル・ヒジュルの古代遺跡(マダイン・サーレ)」の名称で世界文化遺産に登録されました。

現在の調査では、大きな墳墓が4 つあり、装飾が施された132 もの墓石群(ガイドの説明によると紀元前168 年~紀元後106 年にかけて建造)のほか、神殿、用水路や貯水槽などの遺跡が良好な状態で保存されています。いずれもナバティア人の建築技術と水利技術の高さを顕著に示すものです。さらに一帯では、ナバティア文明以前の碑文や岩絵も多数発見されています。遺跡内はとても広大な為、ヨルダンのペトラ遺跡のように徒歩で見学するのではなく、専用バスで巡ります。入場券は、首から下げるQRコード付きのカードタイプでした。下記は、専用バスで巡ったマダイン・サーレ内の4か所です。

 

■Jabal Ithilib(イスリブ山 / Diwan & Siq)

ヨルダンのペトラ遺跡のスークを彷彿とさせる空間。岩山には、大きな空間(「ディワン」という集会室も彫られています。

ナバティア人の主神ドゥシャラー(鷲)や男女のマナト神(左右の壺)を祀る祠が岩面に彫られています。

■Qsar al Bint(乙女の墓)

マダイン・サーレ遺跡の目玉の一つで、「乙女の山」とも呼ばれています。1 つの大きな岩山に38 もの墓が掘られていて、そのうちの36 の墓が女性の墓のため、乙女の墓と名がついています。

 

■Jabal al Ahmar

今年安倍首相がサウジアラビアを訪問された際に、このピーナッツ型のような墳墓の前で写真を撮られていました。裏側も含め、約20の墓がこの岩には彫られています。

上の綺麗なピーナッツ型の裏側には、墳墓が多数並んでいますが、その中でも墳墓117は、2011年まで未盗掘だった唯一の墓だそうです。フランスの調査隊により、埋葬されていた30歳位の女性の遺体や副葬品が発見され、当時の埋葬方法が明らかになりました。

 

 

■Qsar al Farid(1 つの大きな墓)

 

通称「唯一の(ユニークな)お墓」と呼ばれていて、大きな岩山に一つだけの未完の巨大なお墓が穿たれています。マダイン・サーレを代表する墳墓の一つです。ナバティア王国の有名な将軍の墓と考えられており、将軍は2 世紀初頭の古代ローマ帝国との戦いで戦死した故に未完です(マダイン・サーレに残る墓の中では年代が新しい墓です)。しかし未完に終わったお蔭で、ナバティア人がどのようにしてこれらのお墓を彫っていったのか研究者たちによって解明されました。まずは岩にひびを入れ、そこに木の棒を差し込み、お湯をかけて木を膨張させ岩山を大まかに割り、後は大小のノミで地道に彫っていき、最後は硬い火山岩で軟らかい砂岩の岩山を磨き上げたと考えられています。

 

ヒジャーズ鉄道

そして、この辺りに一部残る建造物と言ったら、なんといってもアラビアのロレンスで有名なヒジャーズ鉄道です。ツアーでは、数か所でヒジャーズ鉄道跡をご覧いただけます。

マダイン・サーレの駅舎跡。ここはまるで映画撮影のセットのようにきれいに修復されています。

 

ヒジャーズ鉄道は、オスマン帝国によって20世紀初頭に建設された、シリアのダマスカスからシリア、ヨルダン、およびアラビア半島西部のヒジャーズ地方を縦断した総長1308kmの鉄道。終点は現在のサウジアラビアのメディナです。敷設目的は、、イスラム教徒の聖地であるメッカやメディナへ向かうハッジ(大巡礼)の巡礼者たちの交通のためであるとされましたが、真の目的は、オスマン帝国の宗教に対する支配やヒジャーズ地方に対する軍事支配を強め、またダマスカスとヒジャーズ地方との交易を強化するためであったとも考えられています。第一次世界大戦時にイギリスの支援を受けたアラブ勢力に破壊され、路線のほとんどは以後再建されることはありませんでした。

アル・ウラ駅は、修復されずに廃墟のように

アル・ブエイル駅は修復済

 

 

サウジアラビアの食

サウジアラビアの食事は、近郊諸国でも食されているアラブ料理が基本となります。ここで少しサウジアラビアの食文化をご紹介いたします。

■サウジアラビアのコーヒー

コーヒーは、サウジアラビアのおもてなしには欠かせません。カルダモンが加えられていて、少しスパイシーな味わいで、甘いデーツとの相性は抜群です。ちなみにカップ5,6分目まで注ぐと歓迎の印で、カップ満杯に注ぐと客人に対して「もうお帰りいただきたい」ということを示唆しているそうです。

色は薄めです

 

■サウジアラビア産のデーツ(ナツメヤシ)

デーツにも様々な種類がありますが、ドバイの空港でも見かける高級デーツの店「バティール(Bateel)」でも、価格が飛びぬけて高いのはメディナ産の「アジュワ(Ajwah)」という種類。メディナで古来より育っていたアジュワ種を、預言者ムハンマドは聖遷の際に好んで食べたそうです。そして、現在はサウジアラビア王家ご用達。そう聞くと何だか価値のあるデーツに感じて食べたくなりませんか。お土産にも最適です。甘さは控えめながらしっかりと深みのある味わいです。

他にも砂糖がコーティングされたような甘味の「スッカリー(Sukkari)」種など、デーツの種類も沢山ありますので、食べ比べて好みを探すのも楽しいかもしれません。

アジュワ種:量り売りで1kg=1600円くらいでした。空港などにはおしゃれなパッケージのデーツも売られています。

デーツのペーストが中に入っているクッキーもお土産に丁度良いかもしれません。

マダイン・サーレで頂いたデーツ

バター付きで出てきたことも

 

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サウジアラビア<前編>
二大都市リヤドとジェッダ

  • サウジアラビア

2022.06.01 update

イスラム教の国へ添乗すると、空港の到着ターミナルで、巡礼着を身にまとった人々や巡礼土産のザムザムの水を荷物カート一杯に積んだ人々に出会うことが多々あります。聖地メッカへの巡礼から帰国した方々なのだと一目で分かりますが、非イスラム教徒である私たちにとって、サウジアラビアは観光しづらい未知なる国のひとつでした。しかし、2019年秋より観光査証の発給が解禁され、弊社でもサウジアラビアにツアーを送っています。今回は、サウジアラビアの魅力を2回にわたってご紹介させていただきます。

前編は二大都市である首都リヤドと紅海に面した商業都市で聖地メッカへの玄関口でもあるジェッダについてです。

リヤドの中心キングファハド通り

サウジアラビアの観光

2019年9月末、サウジアラビアは日本を含む約50ヶ国に対して、観光査証を解禁。これにより自由に訪問できるようになりました。(近年は、スポーツや文化交流イベント[サッカー観戦ツアーが良い例]に参加することが、ビジネス以外でサウジアラビアを訪問する方法といっても過言ではありませんでしたが、観光査証の発給解禁により、状況が一変しました。)

外国人に門戸を開いたばかりということは、受け入れ態勢が整っていないのではと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、毎年何百万人もの巡礼者が訪れ、世界有数の産油国でもあり、観光インフラは整っています。また、以前は、外国人女性は、体全体を覆うアバヤや髪の毛を隠すヒジャブの着用が義務付けられていましたが、現在は不要です。ただ、現地の慣習に配慮して過度な露出は控えましょう。

変わりゆくサウジアラビア

石油資源だけに依存しない経済・社会を構築するために、サウジアラビアは変わり始めています。その一環が観光産業の確立です。女性の社会的地位の向上も変化の一つです。2018年6月の女性の運転解禁では女性の自動車の運転も解禁されました。以前ツアーに同行してもらった女性のガイドさんが「解禁直後に免許を取得した。運転大好き!」と言っていたのが非常に印象的でした。

近代的な巨大都市:首都リヤド

リヤドは、アラビア半島のほぼ真ん中に位置する内陸都市で、アラビア語で「庭園」を意味します。地下鉄も現在建設中で、完成したら空港まで地下鉄でアクセスすることも可能になります。

■キングダムセンター

市内随一の大通りであるキングファハド通りに位置する高さ302mのリヤドのランドマーク。高層ビルが建ち並ぶ大通りの中でも、このユニークな外観は一際目を引きます。2002年の完成時は、国内で最も高い建物でした。ビルのオーナーは王族であり、巨大な富を築いている投資家でもあるワリード王子。99階建ての建物には、フォーシーズンズホテルも入っています。

栓抜きのような形がユニークなキングダムセンター

最上階の99階は、「スカイブリッジ」呼ばれる展望台になっており、リヤドの街が一望できます。(栓抜き型の建物の支点部分を歩くので怖さは伴いますが、重さ300トンのスチールで支えられているのでどうぞご安心ください。)

スカイブリッジから見た夜景

地上183mの77階のキングアブドゥッラーモスクは、世界最高所のモスク。一度に85名が礼拝可能な広さです。

キングダムセンターに隣接するショッピングセンターでは、女性も買い物を楽しんでいます。

■国立博物館

1902 年のアブドゥルアジーズ(後のサウジアラビア初代国王)によるリヤド奪回100 周年を記念して1999 年に開館した博物館。1902年⇒1999年ですと100年後にはなりませんが、イスラム暦で計算すると丁度100年後に当たります。2階建ての建物は、サウジアラビアの歴史や宗教を中心に8つの展示室で構成されています。異教徒の私たちは立ち入ることの出来ないイスラム教の二大聖地の精密な模型はこの博物館の見どころのひとつとなっています。

国立博物館の外観。東京のカナダ大使館の設計にも携わった日系カナダ人のレイモンド・モリヤマの設計。リヤド郊外の赤い砂漠にインスパイアされたデザインです。

メッカのカアバ神殿のキスワ(神殿を覆う黒い布)。金糸や銀糸で細かい刺繍が施されています。キスワは毎年新調され、展示されているのは過去実際に使われていた現物です。

メディナの預言者のモスクの模型

メッカの聖なるモスクの模型

■マスマク城とスーク

19世紀半ばに建てられたマスマク城は、リヤドの旧市街に位置する城塞で、アラビア語で「厚い壁」という意味があります。サウジアラビアの王家であるサウード家は、宿敵のラシード家の攻撃を受けてマスマク城を追われ、10年程クエートに亡命した後、1902年にアブドゥルアジーズがマスマク城の奪回に成功。そして、ここからアラビア半島統一に向け動き出し、1932年に「サウード家によるアラビアの王国」を意味するサウジアラビア王国が誕生します。マスマク城は、1938年まで王宮として使われていました。現在は、博物館として公開されています。

マスマク城

旧市街では、オークション形式の骨董市が開かれていました。

商業都市ジェッダ

紅海に面する港湾都市ジェッダは、首都リヤドに次ぐ大都市です。7世紀半ばには、メッカへの巡礼者用に港が整備され、長年東西交通路の重要な港湾として栄えてきました。空港には、巡礼者専用ターミナルもあります。

■歴史地区【世界遺産】

ジェッダの歴史地区は、2014年に世界遺産に登録されています。真っすぐ続く国道や整然と区画された街並みを大型バスで走行する行程の中で、ジェッダの旧市街の徒歩散策は、一番アラブらしさを感じられるひと時かもしれません。私たちが散策した時はお昼時にあたり、店主が皆一斉に礼拝のために店を閉め、20分後位に再度店開きをしていました。

特徴的な木製の装飾窓の建物が並ぶ旧市街。建材には紅海のサンゴも使われています。

アラビア半島は乳香(フランキンセンス)の産地。オマーン産が有名ですが、サウジ産もあります。

サウジ産の蜂蜜やオリーブオイル

「ミスワーク」という木の枝の歯ブラシを売る露店

■海岸沿いのフローティングモスク

1985年に現地の富豪が立てたモスクは「思いやりのモスク」とも呼ばれ、紅海に浮かぶ造りになっています。地元民が集うだけでなく、巡礼者や観光客が立ち寄る人気のスポットです。

フローティングモスク(夕暮れに訪れたらきっと綺麗な光景でしょうね)

■世界一が沢山

ジェッダには、世界一の建造物がいくつかありますので、皆さんが訪れた他の国とも見比べてみると面白いかもしれません。

キングファハドの噴水は高さ260m。紅海の海水をボーイング機のジェットエンジンを使って噴き上げています。

高さ171mのフラッグポール。国旗は、49.5mX33mの大きさで、重さは570kg。

建設中のジェッダタワー。見事完成したら1008mの世界初1000m越えの高さになる予定です。

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「エベレスト街道パノラマビュートレッキング 名峰ひしめく好展望地を訪ねて」は本当にパノラマビューなのか【その2】

  • ネパール

2022.05.20 update

日本では雪山の展望というと冬という感覚がある方が多いでしょう。ネパールにも四季はありますが、ヒマラヤ山脈の高峰は常に雪を抱いています。雪山が独特の形や圧倒的な迫力で次々に姿を現し、角度が変わるごとに表情を変え、ビューポイントとなる尾根上ではパノラマ風景を楽しんでいただけるのです。

 

自身が初めてエベレスト街道を歩いた時の感動を回想しながら、2019年ゴールデンウィークの写真を添え、パノラマビューの主人公達をご紹介します。※少々主観(下記「」部)が入っていますがご了承ください。

 

△タムセルク(6,623m)
トレッキング2日目(パグディン→ナムチェバザール)行程の序盤から展望が始まり、その後、主なポイントでは継続して見ることができます。カンテガ(6,779m)とセットで見られることが多いです。主観ですが「中世の盾みたいで格好良い!」と強烈に感じた記憶が残っています。

タムセルク(右:6,623m)とカンテガ(左:6,779m)

△コンデリ(6,187m)
トレッキング2日目ナムチェバザールに到着後、背後を振り返ると大きく立ちはだかっています。以降、南方面のパノラマビューを構成しつづけます。「ナムチェバザールを守る堅固な城壁だ…」と圧倒されました。3日目(ナムチェバザール→シャンボチェ)の急登のなか、コンデリの右(西)側には、隣のロールワリン山群にあたるパルチャモ(6,187m)やテンギ・ラギ・タウ(6,943m)が連なりを見せます。クンデピーク(4,239m)からの迫力の展望は、目を見張るものがあります。

すり鉢状の村ナムチェ・バザール(3,450m)に到着

コンデリ(6,187m)とナムチェバザールの村(3,450m)

△アマダブラム(6,812m)
実は、このルートではエベレストを凌ぐ勢いの人気を誇る山です。トレッキング3日目のシャンボチェの丘(3,800m)到着後に突如として現れます。形が個性的で目を奪われ、パノラマビューの準主役(時に主役!)を担っています。「掴みたくなる取っ手の様な、座りたくなる椅子の様な、触れたい!」とどこか温かさ、優しさ、親しみを感じたのを覚えています。

アマダブラム(6,812m)

△エベレスト(8,848m)
最初のビューポイントは、トレッキング2日目のナムチェバザールに至る急坂途中の休憩地トップダンダ(3,140m)です。しかし核心部は、シャンボチェの丘(3,800m)とタンボチェ(3,867m)です。「ただただ無心で見とれてしまった…」という不思議な感覚でした。
ヌプツェ(7,855m)に多少視界は遮られていますが、やはり最高峰、神々しいものを感じさせられます。

エベレスト(8,848m)

△ローツェ(8,516m)
世界第3位の高峰。同様にシャンボチェの丘(3,800m)到着後に巨大な南壁とともに姿を現します。ローとは南という意味があり、エベレストの南峰という意味です。「あんな大きな壁を登るクライマーもいるんだなぁ」と畏怖の念を感じました。実際、ローツェ南壁は今でもなお難解な課題として世界中のトップクライマーを魅了しつづけています。

ローツェ(8,516m)

これらの他にも名だたる山々が聳え、パノラマビューを形成しているのです。山岳展望は毎日移り変わり、休憩や食事の間はゆったりと山と共存したひと時をお過ごしいただけます。お勧めする四天王パノラマビューポイントは下記のとおりです。

  

【1】 シャンボチェの丘(3,800m)とその先のトラバースルート

シャンボチェの丘(3,800m)よりパノラマビュー南側(エベレストシェルパリゾートの宿とコンデリ6,187m)

シャンボチェの丘(3,800m)よりパノラマビュー北東側(左にはエベレスト山群、真ん中に逆光でタムセルク6,623mとクスム・カングル6.367m連峰)

シャンボチェの丘(3,800m)でのトラバールルート。前にはエベレスト(8,848m)、ローツェ(8,516m)の南壁、アマダブラム(6,812m)がそびえる。

シャンボチェの丘(3,800m)でのトラバールルート。背後(南)にはコンデリ(6,187m)が立ちはだかっている。

シャンボチェの丘(3,800m)でのトラバールルート。前にはアマダブラム(6,812m)がそびえる。

エベレストビューホテルのテラスよりのんびりと望むエベレスト山群(エベレスト8,848m、ローツエ8,516m、アマダブラム6,812m)

【2】 クンデピーク(4,239m) ※曇天でしたが幻想的でした。

クンデピーク手前の尾根の登り

雲間に見えたコンデリ山塊の氷河

クンデピーク(4,239m)に登頂

クンデピーク(4,239m)からクンデ村(3,840m)とクムジュン村(3,790m)を見下ろす

【3】 タンボチェ・リ(4,198m)

タンボチェ村(3,867m)より望むエベレスト山群(エベレスト8,8848m、ローツェ8,516m、アマダブラム6,812m)

タンボチェ・リ(4,198m)登頂間近

タンボチェ・リ(4,198m)より望むエベレスト山群(エベレスト8,848m、ローツエ8,516m、アマダブラム6,812m)

タンボチェ・リ(4,198m)よりパノラマビュー南西側(左にコンデリ6,187m山塊)

タンボチェ・リ(4,198m)よりパノラマビュー南側(左端にカンテガ6,779mとタムセルク6,623mおよびコンデリ6,187m山塊)

【4】 キャンジュマからナムチェバザールのトラバースルート

復路も飽きさせないエベレスト街道。コンデリ(6,187m)山塊が見えてくる。

振り返ると逆光のアマダブラム(右:6,812m)とローツェ(左:8,516m)

行程の随所にパノラマビューが散りばめられているので、飽きさせません。心のシャッターを何度もきってしまうでしょう。

 

決してハードルを高く考え過ぎることなく、ワクワクやドキドキを携えてご参加いただきたいこのコース。
初めての世界の屋根ヒマラヤの展望コースには、自信をもってお勧めします。

エベレスト街道のゴールデンウィークはネパールの国花シャクナゲが満開

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「エベレスト街道パノラマビュートレッキング 名峰ひしめく好展望地を訪ねて」は本当にパノラマビューなのか【その1】

  • ネパール

2022.05.13 update

タンボチェ・リ手前より望むエベレスト山群(エベレスト8,848m、ローツエ8,516m、アマダブラム6,812m)

言わずと知れた世界最高峰エベレスト(8,848m)。誰もが人生で一度は、ご自身の眼で見てみたい山でしょう。
眺めるもよし、撮るもよし、描くもよし。登頂ルート同様に、展望ルートもアクセスはネパール側かチベット側です。大きな違いは、歩いて近付くか(ネパール)、歩かずに近付くか(チベット)。歩ける方は、歩いた方が(苦労をした方が)感動もひとしおです。今回は、モンスーン期を除く10月~5月がシーズンにあたるネパール側の展望トレッキング(初級者レベル)に焦点を当てます。

 

「エベレスト街道パノラマビュートレッキング」のコースは、6泊7日(トレッキング期間)、最高宿泊高度は3,867m、最高到達地点は4,239mです。「富士山(3,776m)にさえ登ったこともなく、長期海外トレッキングも初めてなので、怖くて行けない…」といった声が聞こえてきそうです。回答は、「ハードルを高く考え過ぎないでほしい!」です。

 

第1の理由は、標高です。
登山難易度=標高と考えられがちですが、必ずしも比例するとは限りません。実際、日本では最高峰の富士山より難しい山は多くあります。そして、1日における体力消耗度は富士山(1泊2日)よりも小さく歩くことが可能です。
第2に、ルートです。エベレスト街道のルートはそこに暮らす山麓民族の生活道にもなっています。整備されていることに加え、村から村へと風景は常に移り変わります。露店やレストラン、畑や家畜に囲まれて、登っているという感覚すら時に忘れさせてくれる気分転換を含めた新しい発見の連続です。

トレッキングの起点ルクラ(2,827m)の空港

出発前は準備運動

川沿いのルートを進む

色鮮やかな雑貨が並ぶ露店

吊り橋を何度も渡る

学校へ通う子供ともすれ違う

マウンテンバイカーにもすれ違う

第3は、サービスです。ネパールでは運搬サービスが充実していて、かつ雇用も産み出しているためにWin/Winの関係が築かれています。運搬方法は、動物であったり、屈強な人々(時に女性も!)であったり。その日を歩き通すのに必要な荷物のみお持ちいただき、
歩くことが可能です(寝袋等は預けましょう)。

ウシ科のヤクやゾッキョはとても力強い

馬やロバも運搬を担う

凄まじい歩荷根性

何でも運び屋

独特の休憩スタイル

更に、山岳観光産業国でもあるため、ロッジや専属コックが提供する食事の質も各国のトレッカーに合わせて向上しており、体調管理しやすい環境も整っています。真面目で懇切丁寧な現地スタッフの姿勢には驚かれる方が多く、励まされたり交流を楽しみながら歩けることも魅力です。

ネパールの名物モモ(餃子)

ヤクのチーズは量り売り

とはいえ、現実として酸素は薄くなり気圧は低くなるので、高所順応が必要となります。しかし、水分を失わない様な汗をかかない歩き方、酸素を効率よく取り入れる呼吸法、宿泊地での過ごし方、ストレスを感じさせない雰囲気づくり等、添乗員や現地スタッフがひとつひとつ丁寧にご案内させていただきます。ご自身が高度障害(頭痛や吐き気等)で後々苦しまないためにも、序盤からきっちり順守いただければ大丈夫です。

ロッジで充電も可能

様々なネパール産ビールがあるが高所では厳禁!

さて、前置きが長くなりましたが、

次回、【その2】では本題、山の展望について触れて参ります。

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夏の八ヶ岳山麓ハイキング 6つの湖沼と雲海の絶景」のツアーでは、美しい信州の花々を鑑賞しながらハイキングをお楽しみいただきます。今回は、ツアーで訪れる6つのハイキングスポットをご紹介いたします。

 

1. 八千穂高原

 

八ヶ岳北麓に位置する日本一の白樺林が広がる自然園で、約200ヘクタールに及ぶ白樺林があり「東洋一」と言われています。白樺、新緑、ピンクのミツバツツジ(6月)の対比や、山野草の花を楽しみながら歩きます。途中、青く透き通る湖「遊亀湖」(ゆうきこ)があります。

 

2. 白駒池

 

標高2,100m以上の湖としては日本最大の天然湖である白駒池には、485種類の苔が生息しています。樹齢数百年の時を刻んだコメツガ、トウヒ、シラビソの原生林の散策を楽しみながら、高見石までの往復ハイキング。上空から、原生林に囲まれた神秘的な湖を一望できます。

 

3. 坪庭自然園

 

国定公園第一種特別保護地域に指定されている自然園で、北八ヶ岳ロープウェイ山頂駅から散策します。横岳の噴火で噴出した溶岩が固まってできた溶岩台地に自然にできた庭園にて、6月下旬~7月上旬は特に多くの高山植物が観察できます。

 

4. 横谷渓谷

 

横谷渓谷は八ヶ岳の西側に位置し、渓流沿いに続く全長約6キロメートルの散策路があります。乙女滝、王滝、霜降の滝、おしどり隠しの滝といった数々の渓流を鑑賞しながらのハイキングをお楽しみください。

 

5. 車山高原

 

霧ヶ峰の最高峰で標高は1925mの車山は、長野県茅野市と諏訪市の境目に位置する山で、車山高原と呼ばれており、様々な小動物や草花などを見る事ができます。リフトにて上り、山頂より車山湿原や中腹に咲く花々を鑑賞しながらのハイキングをお楽しみください。

 

6. 八島湿原

 

標高1,630m、長野県のほぼ中央に位置する八島湿原には、3000ヘクタールの大草原が広がっており、国の天然記念物の指定、および国の文化財としても登録されました。中でもミズゴケの種類は18種にのぼり、約490倍もある日本最大級の釧路湿原とほぼ肩を並べています。自然豊かな湿原を一周し、高山植物や夏の花々を鑑賞しながら「天空の箱庭」とも称される美しい風景をお楽しみください。

 

 

これからベストシーズンを迎える八ヶ岳山麓。各所でハイキングを楽しみながら、ぜひ信州の大自然をご体感ください。

 

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