秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

切り立つ岩峰ミティカス・ピークへ挑戦!
「ギリシャ最高峰オリンポス山登頂と世界遺産メテオラ」

  • ギリシャ

2012.06.01 update

このギリシャの旅で特に印象に残ったのはヘルメットを装着してのスリリングな「岩峰ミティカス・ピーク登頂」、食べきれないほどの「地中海料理」、そして「世界遺産メテオラのもう一つの楽しみ方」です。

最高峰ミティカス・ピークへ
最高峰ミティカス・ピークへ

各国トレッカーを惹きつけるオリンポス山

ギリシャ最高峰オリンポス山はアテネの北、エーゲ海からほど近いリトホロの町を見下ろすように聳え立つ岩峰群です。その昔、古代ギリシャではオリンポスの神々が住まう場所として崇められていました。山の麓は色とりどりの花々が咲き誇り、その頂きには急峻な複数の岩峰がひしめき合っています。地元のギリシャ人にも人気のあるトレッキングルートですが、休日は近隣諸国からもトレッカーが訪れます。人々を惹きつけるオリンポス山の魅力は、豊かな植生と、岩場登り、そして山からエーゲ海を眺めることができる点でしょう!

登山口から山小屋へ

トレッキング一日目の登山口手前には色とりどりのベロニカ、そして山麓では、スミレ、アネモネ、ゲンチアナなどの花々が終始ルートを賑わせます。特に樹林帯を抜け、山小屋の屋根が見え始める九十九折りの坂の手前からは、まるで人工的に植えられたように道の両脇に花々が咲いていました。岩峰のオリンポス山の麓では初夏の時季であればたっぷりと植物の観察を楽しむことができます。山小屋は女主人によって切り盛りされており、トイレやお部屋も綺麗に維持されています。山小屋の外にはテーブルとイスがあり、オリンポスの山を見ながら、またエーゲ海を望みながらゆっくりと過ごすこともできます。夜になればダイニングの暖炉に火が入り、宿泊客のみんなで山小屋の素朴な食事を頂きます。平日はそれほど人は多くありませんが、休日ともなると予約で一杯になり、ダイニングにも所狭しとトレッカーが集うそうです。

オ沢山の花々を愛でながら歩く
沢山の花々を愛でながら歩く
山麓よりオリンポス山を望む
山麓よりオリンポス山を望む
山小屋前の広場にて団欒
山小屋前の広場にて団欒
沢山の花々を愛でながら歩く
沢山の花々を愛でながら歩く

エーゲ海に昇る朝日

次の日はオリンポス山登頂です。山小屋の中は出発準備を整える人々で慌ただしくなります。部屋を出ると朝日のオレンジ色の光が山小屋を照らしていました。そしてエーゲ海を望む外の広場へ行くと・・・・そこには真っ赤な朝日がエーゲ海から昇っていました。準備を整えていたトレッカーも足を止めその美しい光景に見入っていました。これから挑む登山を応援されているような嬉しい気持ちになります。オリンポス山も朝日に照らされ、ますます神々しく見えました。一瞬の出来事でしたがオリンポス山登頂に向けて力が湧いてきました。朝食後、準備体操をしていざ出発です!この時期のギリシャは毎日雲一つない青空が毎日続きます!山頂付近も風は強くなりますが、日差しの強い太陽が照りつけます。そのお陰で道中も光を反射してきらきらと輝くエーゲ海を望むことができるのです。

  • エーゲ海から昇る朝日
    エーゲ海から昇る朝日
  • トレッキング道中もエーゲ海を眺めることが出来ます
    トレッキング道中もエーゲ海を眺めることが出来ます

オリンポス山の2つのピークを登頂

まず向かったのはオリンポス山の第二の高峰スコーリオ・ピーク。標高はミティカス・ピークより5m低いだけですが、ルートは山頂まで整備され歩きやすく、体力があれば問題なく到達できるピークです。その後途中まで来た道を戻り、最高峰のミティカス・ピークへ向かいます。このピークは十分な注意が必要です。ルートのほとんどが岩場になりますのでガイドと同じステップを踏みながら登らなければなりません。足場の狭い場所もありますのでバランスを取りながら、時には手を使ってよじ登ります。簡単にはたどり着けない、まさに神々が住まう場所と称されるに値するピークです。そしてついに登頂!そこからはエーゲ海はもちろんのこと、今まで見えなかった反対側に広大な大地が広がっていました。もちろん遠くに点在する小さな町も見えますが、まだまだ自然が多く残されている国なんだと感じる光景です。山頂には大きな岩がごろごろしており、ギリシャの国旗も立っています。 その後、山小屋での一泊ののちリトホロへと下山します。

最高峰ミティカス・ピークへ
最高峰ミティカス・ピークへ
山頂を目指す
山頂を目指す
最高峰ミティカス・ピークへ
最高峰ミティカス・ピークへ
最高峰ミティカス・ピークへ
最高峰ミティカス・ピークへ
山頂から見渡すオリンポスの山々
山頂から見渡すオリンポスの山々

ギリシャ料理

下山日は半日行程ですので、昼食はリトホロの町でとりました。下山後の昼食はギリシャの海鮮料理!カリっと揚げた魚のフリッターや、カラマリ(イカ)、白身魚の塩焼きにオリーブとトマトをたっぷり使ったドマトサラダなど、次から次へと運ばれてくるお料理に夢中になってしまいました。また、カランバカでは、茄子とジャガイモを交互に重ねて焼いた「ムサカ」や、チーズを焼いた「サガナキ」など、ギリシャ料理を各所で楽しむことができました。

エーゲ海を眺めながらの食事は最高
エーゲ海を眺めながらの食事は最高
ギリシャ料理「ムサカ」
ギリシャ料理「ムサカ」

ギリシャの2つの世界遺産

世界遺産パルテノン神殿
世界遺産パルテノン神殿

 山・食、共に素晴らしいギリシャですが、まだまだ見どころがあります!もう一つの見どころは世界遺産です。
まずギリシャ神話にまつわる世界遺産が、古代の芸術や学問、そして哲学の発祥の地といわれるアテネのアクロポリスです。ここではギリシャ神話に思いを馳せ、ゆっくりパルテノン神殿などの偉大な建造物を見学できます。
また、一段と素晴らしいのが文化と自然の複合遺産メテオラです。異様でありながら素晴らしい景観を誇っており、一目見たら忘れない世界遺産です。ここでは宗教の力を実感できるとともに、もう一つの姿がありました。実はこのメテオラ、クライミングのメッカなのです。私たちのガイドさんも週に一回はアテネからカランバカに通いつめ、クライミングの練習に没頭したそうです。実際ゆっくりと岩の周りを歩いてみると、岩のあちらこちらにへばり付く人の姿が!昔の聖人たちはこんな使い方をされるとは思いもよらなかったと思いますが、レジャースポットとなっている意外な一面を見ることができました。また、地上にも散策ルートがあり、教会の見学の後は修道士たちの実際の生活に思いを馳せながら歩いてみるのもいいかもしれません。

  • 岩峰の頂に築かれた教会群メテオラ
    岩峰の頂に築かれた教会群メテオラ
  • カランバカの町
    カランバカの町
  • どこにクライマーがいるか分かりますか?
    どこにクライマーがいるか分かりますか?
  • クライミング練習中の人々
    クライミング練習中の人々

関連ツアーのご紹介

ギリシャ最高峰オリンポス山登頂と世界遺産メテオラ

ギリシャ最高峰の神々の座、オリンポスの二大ピークミティカス・ピーク(2,917m)、スコーリオ・ピーク(2,912m)を登頂。ユネスコ世界遺産に登録されているパルテノン神殿や メテオラ修道院群を見学。

憧れの西アジア最高峰ダマバンド山5671m登頂

  • イラン

2012.06.01 update

ベストシーズンに登るイラン・西アジアの最高峰ダマバンド山登頂と、
遥かなる古代より数千年にわたり繁栄した歴史遺産の数々を巡りに出発しました。

西アジア最高峰 ダマバンド山西アジア最高峰 ダマバンド山

ダマバンド山へ

イランの首都テヘランに到着後、トレッキングの拠点となるレイネへ移動。レイネでは民家風のロッジに宿泊し、美味しいイラン料理を召し上がっていただき、明日からのダマバンド山トレッキングの話で盛り上がりました。
翌日、レイネより四輪駆動車でスタート地のゴスファンドサーラに出発します。6月下旬から7月中旬は初夏になり、道中ダマバンド山麓には赤いケシの花が咲き乱れていました。 また、山麓から望むダマバンド山は、その美しい山容から「イラン富士」と呼ばれています。

山麓から望むダマバンド山
山麓から望むダマバンド山

トレッキングスタート

トレッキング出発地のゴスファンドサーラから1日目の宿泊地のアタックキャンプ(4,020m)までの道はダマバンド山麓を彩る花々を眺めながら登って行きます。所々、放牧の風景なども見ることもでき、気持ちの良いトレッキング道です。ダマバンド山は年間通して雪の多い山ですが、6月下旬から9月上旬が夏の乾季のベストシーズンにあたり、イラン人の登山家・トレッカーの方々も多くすれ違い、人懐っこい地元の方々との触れあいもダマバンドトレッキングの楽しみの1つです。
アタックキャンプ到着後、スタッフによりテントは設営され、皆さんは美味しいお食事を召し上がっていただきました。アタックキャンプは西遊グループの他にも沢山の地元の方々のテントで賑わっていました。予想通り、山小屋は地元の人たちで混みあっていたので、皆様には一人に一張ずつテントを用意し、快適に過ごしていただきました。夜、寝静まった頃には雪が降ってきましたが、寝袋の他にも温かい毛布も用意していたため温かくお休みいただく事ができました。

  • 道中での羊の放牧風景
    道中での羊の放牧風景
  • 初夏のダマバンド山麓を彩る花々
    初夏のダマバンド山麓を彩る花々
  • アタックキャンプではたくさんの登山者で賑わいます
    アタックキャンプではたくさんの登山者で賑わいます

ベースキャンプにて高度順応

アタックキャンプには、高度順応と天候予備日も兼ねて、2連泊しました。高度順応では明日の登頂の順路を途中まで確認しながら小高い丘まで登って行きました。昨晩の雪の影響も心配されましたが、本日は晴天。そして明日もこのままお天気がもつことを祈りながら明日の登頂に備えてゆっくり休養しました。

山頂アタック

本日はいよいよ山頂アタックです。頂上までは、砂利と岩場のトレイルをゆっくりと進んでいきます。先日降った雪が岩場に残っていましたが、安全第一でゆっくり両手を使いながら登って行きます。そして急な岩場をクリアして頂上付近の積雪のある道を登って無事に登頂!西アジア最高峰(5,671m)からは、真下に湖や山々が広がり言葉では表せられない美しさが目の前に広がっていました。頂上では他のイラン人グループの方々と登頂の喜びを分かち合いました。そして、往路と同じ道を一歩一歩確実にアタックキャンプへ下山していきます。アタックキャンプに到着後は、皆さんお疲れの様子でしたが、夕食時はささやかですが、ごちそうを作り登頂のお祝いをしました。

  • 岩場を登って行きます
    岩場を登って行きます
  • 頂上を目指す
    頂上を目指す
  • 頂上付近からの風景
    頂上付近からの風景

世界遺産訪問

ダマバンド山を下山後は、悠久の大ペルシャの歴史をたどる旅へ。遥かなる古代より数千年にわたり繁栄した歴史遺産の数々、王朝の栄枯盛衰を物語る都の跡。歴史・民族・宗教に触れにイスファハン、ペルセポリスやシラーズを訪れます。

イスファハン

16世紀末、1597年にサファヴィー朝のアッバース1世によって都に定められました。 「イスファハンは世界の半分」という言葉の通り、 かつての栄華を偲ばせる建造物が残ります。中でも世界遺産に登録された「イマーム広場」は、別名「全世界の図」広場とも呼ばれており、イマームモスク、シェイクルトフォラーモスク、アリカプ宮殿、バザールなどの見所が密集しています。ツアーではライトアップされた夜の広場も訪れ、昼間とは違った幻想的な光景もご覧いただきます。その他にもイマーム広場では、金曜モスク、40柱宮殿、アルメニア教会、そしてザーヤンデ川に架かる33アーチ橋なども訪問しました。

  • イスファハン・金曜モスク
    イスファハン・金曜モスク
  • シェイクルトフォラーモスク
    シェイクルトフォラーモスク

ペルセポリス

現在のパキスタンからエチオピアまで、36の州を治めた大帝国・アケメネス朝の都。 ダリウス1世(紀元前522-486)によって建設された政治的儀式のための都市でした。当時の広さは12万5000㎡にも及ぶ大都市でしたが、紀元前331年マケドニアのアレクサンダー大王によって陥落し、廃墟となりました。今もなおアケメネス朝の強大さをうかがうことができるレリーフが残っていました。

  • クセルクセス門
    クセルクセス門
  • 当時の様子を表すレリーフ
    当時の様子を表すレリーフ

シラーズ

イランの南部、ファールス州の州都。バラで有名な町です。 またイランの4大詩人のうち、ハーフェズとサアディーを輩出した町としても知られており、彼らの廟にはきれいに整備された庭園があり連日多くの人が訪れていました。

  • シラーズのバザール
    シラーズのバザール
  • イラン国民に愛され続ける詩人の廟
    イラン国民に愛され続ける詩人の廟

日本の富士山に登られた方々、次は是非、「イラン富士」に登られてみてはいかがでしょうか。
西アジア最高峰登頂と一度は訪れたいイラン世界遺産を同時に巡れる、贅沢なツアーにご満足していただけること間違いなしです!

関連ツアーのご紹介

イラン最高峰ダマバンド山(5,671m)登頂とペルシャ世界遺産

ベストシーズンに登るイラン・西アジアの最高峰と世界遺産の旅。花に埋め尽くされるダマバンド山麓。イランの最高峰登頂と一度は訪れたいイラン世界遺産を巡る。

究極のK2展望トレッキング
バルトロ氷河からゴンドゴロ・ラ越え

  • パキスタン

2012.06.01 update

2012年6月に同行させていただいた、ゴンドゴロ・ラ(峠5,680m)越えの記録をご紹介します。


ゴンドゴロ・ラの頂上にて

ゴンドゴロ・ラ(峠5,680m)越えのルート

世界第2位峰K2。その堂々たる雄姿はバルトロ氷河を歩き切った者だけが辿りつけるカラコルムの核心部コンコルディアより仰ぎ見る事が出来ます。しかし、実は世界中のトレッカーを魅了するこのカラコルムの王道ルートはコンコルディアまででは無く、更に奥へと続きます。それが雪壁登りの技術(クライミング技術4級)を要するゴンドゴロ・ラ(峠5,680m)越えのルートです。このルートは1986年に、コンコルディアとフーシェ谷を繋ぐルートとして開設されました。ゴンドゴロ・ラ越えのベースキャンプは、最初に峠越えをしたアリ・ムハマンド氏の名前を取り、アリ・キャンプと名付けられています。ルートがオープンしているのは毎年6月下旬から8月中旬にかけてで、その間アリ・キャンプとフーシェ側のベースキャンプのフスパンには、レスキューチームが常駐します。毎年ルートがオープンすると彼らがロープをフィックスし安全の為、峠越えのグループに同行してくれます。今回、我々は雪解けが進むとフーシェ側への下りで落石の危険があるので、雪が多く残っている6月下旬に照準を絞りました。


K2を間近に望むコンコルディアのテント場

ロープワークの練習

バルトロ氷河をゆく

まずバルトロ氷河を進んでいきます。コンコルディア(4,650m)まで、徐々に標高を上げる行程です。K2展望とポーターやスタッフの休養の為に、コンコルディアでは連泊し、高度順応は万全。コンコルディアでは大きなセラック(氷柱)にアイススクリューにてロープをフィックスし、実際にアッセンダー・ディッセンダーを使用したクライミングを反復練習しました。

コンコルディアからアリ・キャンプへ

コンコルディアを出発すると、起伏の激しいアッパーバルトロ氷河を上流へ。時々振り返って遠ざかるK2とブロードピークを見ながら、チョゴリザ方面へと進みます。しばらく行くと、チョゴリザ手前で左岸に流れ込むヴィーネ氷河へとルートを取ります。ヴィーネ氷河はモレーンの堆積の無い平らな氷河。太陽の照り返しも強く、道中の通過したキャンプ地がミクサス(目の痛みを意味するそう)と呼ばれているのも納得できます。徐々にルートは一面の雪原に変わり、アリ・キャンプ(5,010m)に到着。寒々しい景観ですが、キャンプ地はサイドモレーン上となる為、氷河上のコンコルディアよりも暖かく感じます。最大4日間の予備日を設けてあるので、衛星電話で下界とも通信し、天気をチェック。幸いにも今晩晴れとの事で、迷わず今晩未明のアタックとしました。


  • K2・ブロードピークを背に歩く

  • ヴィーネ氷河をアリ・キャンプへ

深夜1時、アタック開始

23時30分に起床。簡単な食事を胃に流し込み、1時に出発。暗い中の行動となるので出発時にハーネス等を装着。
月明かりとヘッドランプを頼りにゴンドゴロ峠の取り付きを目指します。取り付きに到着するとアイゼンを装着。フィックスロープにセルフビレイ。アッセンダーを引っ掛け、平均傾斜50度の雪壁登攀が始まります。ポーターは既に我々を抜き去り、丸腰でどんどん登って行きます(彼らはアイゼンも装着しない。靴に靴下を被せて滑り止めとしている。)。アッセンダーの引っ掛りが悪いので、あまり頼らずに縦走用ピッケルを片手にバランスよく登って行きます。傾斜はずっと続くのでは無く、数カ所に分かれていますが、毎年ルートやコンディションは変わります。今回は登り始めが最も傾斜が急だった様子。空が白み始めてきた頃、振り返ると尾根の上にK2、ガッシャーブルムⅠ峰・Ⅱ峰が顔を出し始め、そして5時20分ゴンドゴロ・ラの頂に到着。
カラコルムを制覇したような満足感と絶景に包まれました。


  • ゴンドゴロ・ラへの雪壁登攀

  • ゴンドゴロ・ラの頂上から望むK2

フーシェ谷への下山

フーシェ谷への下山は登りよりもタフなアルバイト。落石の心配があるのでヘルメットを装着し、フィックスロープにディッセンダーを装着。しかし、滑りが悪いのでディッセンダーは外し、カラビナの簡易ビレイのみで平均傾斜50度の雪壁を慎重に下って行きます。一息付くポイントは無く、雪と岩のミックスの箇所もずっとアイゼンを装着したまま一気に下りきりました。
キャンプ地のフスパンはこれまでとは別世界。高山植物咲き乱れる光景にこれまでの緊張もほぐれ泥のように眠りこみました。この後、我々は4日間の予備日を消化するためにK1(マッシャーブルム)B.C.へトレッキング。手厚くサポートしてくれたスタッフやポーター達の為に山羊を一頭購入し振舞い、改めて全員でお互いの検討を讃え合いました。


  • フーシェ側の壁を下る

  • 緑豊かなフスパンへ

関連ツアーのご紹介

究極のK2展望トレッキング
バルトロ氷河からゴンドゴロ・ラ(5,680m)越え

K2、GⅠ、ブロードピーク、GⅡ、カラコルム8,000m峰四座展望の高みへ。バルトロ氷河を歩きゴンドゴロ・ラの氷壁へ。カラコルム究極の展望地、コンコルディアとゴンドゴロ・ラを目指す。

グジャラート・カッチ地方の手仕事をたずねて

  • インド

2012.05.01 update

染め・織り・刺繍 伝統の技が息づくテキスタイルファン憧れの地へ

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。
左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。

インド最西端・手工芸の里カッチ地方へ

ギラギラと照りつける太陽の下、ターバンを巻いた男性がヤギの群れを追い、民族衣装に身を包んだ女性たちが家財道具一式を積んだラクダとともに後をついていきます。太陽に反射してキラキラと輝く女性たちの衣装には小さな鏡が縫いつけられ、細かな刺繍が施されていることがわかります。

一見のどかな田舎町に見えるグジャラート州のカッチ地方。実はこの地方の刺繍や染めなどの手工芸技術は海外でもトップクラスに入り、世界中のテキスタイルファンを魅了しています。インダス文明の時代から続くと言われるカッチ地方の手工芸の歴史と魅力をご紹介します。

民族衣装体験
ラクダに家財道具を積み、遊牧生活をするラバリ 族。衣服だけでなく、ラクダの背飾りや布団など も刺繍やパッチワークで飾っています。

富の象徴として発展した手工芸

グジャラート州は南をアラビア海に接し、いにしえから西アジアとの交易の重要な拠点となってきました。藩王や貴族、そして貿易で富を蓄えた商人たちは、自分の権力を誇示するために多くの職人を雇い、金に糸目をつけずに豪華な手工芸品を作らせました。このようなパトロンたちの金銭的支援のもとで発達した手工芸のひとつが「モチ刺繍」です。 モチ刺繍とはシルクやサテンの生地にアリと呼ばれる鈎針と絹糸で細かなチェーンステッチを施すもので、イスラム美術から影響をうけた幾何学模様や花、果物などがデザインさ れています。
「ローガンペイント」と呼ばれるオイルペインティングもまた、パトロンの支援の元、発展した手書き更紗の一種です。赤、青、緑などに染めたヒマ油を手のひらの上で混ぜ、ガム状になったものを針の先端につけて、布の上に下書きなしで描いていきます。モチーフは「生命の木」や「花」「ペイズリー」など。半分描いたあとで布を二つに折ることでイン クが移り、シンメトリーのデザインが完成します。この技術はシリアを起源とし、イラン、アフガニスタン、パキスタンをへてインドに伝わったと言われています。
1947年にインドが英国から独立し、藩王制が解体されると、パトロンたちは財力を失い、多くのモチ刺繍やローガンペイントの職人たちも職を失いました。現在、数家族の みがこの技術を後世に伝えています。

パトロンの庇護のもと発展したモチ刺繍。1ミリ程度のチェーンステッチを刺すもので、現在は数家族のみがその伝統を受け継いでいます。
パトロンの庇護のもと発展したモチ刺繍。1ミリ程度のチェーンステッチを刺すもので、現在は数家族のみがその伝統を受け継いでいます。
 ローガンペイントで綿布に描かれた「生命の樹」。シンメトリーのデザインが特徴です。
ローガンペイントで綿布に描かれた「生命の樹」。シンメトリーのデザインが特徴です。

人々が祈りを託したミラー刺繍

高価な一部富裕層のための手工芸に対して、一般的な家庭で作られていた手工芸もあります。その代表が、細かく割った鏡を布に縫いつけていく「ミラー刺繍」や木製の判子 を布に押して染める型染め更紗「アジュラク」などです。
このような家庭で発展した刺繍には、人々の生活の知恵や祈りの気持ちが詰まっています。たとえば、ラバリ族のミラー刺繍を裏返してみると、裏にはほとんど糸が通っていないことがわかります。これは、貴重な糸を無駄にしないための生活の知恵です。また、女性たちは糸や布の端切れも決して捨てず、大切に保管しています。それらの端切れを利用して房飾りを使ったり、パッチワークにして布団を作ったりするのです。いくつもの小さな鏡がキラキラと光るミラー刺繍は、他人からの妬みや嫉みの視線を退ける「邪視避け」の役割があると言われ、婚礼衣装や子どもの衣服にも使われています。

裏の始末も美しいミラー刺繍。貴重な糸を無駄にしないため、豪華な表の刺繍とはうらはらに裏には糸がほとんど通っていません。
裏の始末も美しいミラー刺繍。貴重な糸を無駄にしないため、豪華な表の刺繍とはうらはらに裏には糸がほとんど通っていません。
イスラムの幾何学模様をもとに発展したブロックプリント・アジュラク。藍や茜など天然染料による染色技術は近年復活・発展しました。
イスラムの幾何学模様をもとに発展したブロックプリント・アジュラク。藍や茜など天然染料による染色技術は近年復活・発展しました。
職人宅で使われていたベッドカバー。シルクの絣の端切れで作られたものです。糸くずや端切れも捨てずに再利用する生活の知恵です。
職人宅で使われていたベッドカバー。シルクの絣の端切れで作られたものです。糸くずや端切れも捨てずに再利用する生活の知恵です。

伝統技術の復興〜アジュラクの復活〜

これらの美しい手工芸は、今までに何度か絶滅の危機に瀕したことがあります。グジャラート州は年間降水量が極端に少なく、今まで地震や飢饉など多くの自然災害に見舞われてきました。生活に困った人々は刺繍や染め物などの作品を二束三文で売って生活の足しにするようになり、多くの貴重な作品が失われてしまいました。18世紀に英国でおこった産業革命後、安易な機会織りの製品が入ってくるようになり、手間暇のかかる手織り、手染めをやめる人もでてきました。グジャラートの手工芸品は質・量ともに衰退の一途を辿っていったのです。

アジュラクはグジャラート州からパキスタンのシンド州にかけて制作されている型染め更紗です。アジュラク製作で有名な村のひとつ・ダマルカ村は、今も昔ながらの天然染料を使っています。しかし、実はこの天然染料による染色の技術は1970年代に一度完全に廃れてしまいました。このアジュラク復活のきっかけになったのが、グジャラート州手工芸開発公社のバシン氏と更紗職人モハマド氏の出会いでした。偶然モハマド氏の作品を見たバシン氏は、貴重な技術が失われていくことに危機を感じ、デザインの描き方や都市向けの商品開発を教えました。一方、ムハマド氏はすでに行われなくなっていた天然染料による染色方法を再開しました。藍、茜、ターメリックなどで染めた素朴な色合いのアジュラクは海外の消費者に歓迎され、現在では世界中から染色関係の研究者が訪れるまでになっています。

世界中で愛されるグジャラートの手仕事

インド政府やNGO、製作者たちの努力により、高度な伝統技術を現代風の用途やデザインに活かした製品を作ることで、グジャラート州の手工芸品は世界中で爆発的な人気を誇るようになりました。

日本にもグジャラートテキスタイルのファンは多く、アンティークの更紗を着物の帯や袱紗に仕立てるなど和のファッションにも取り入れられています。

グジャラート伝統の技に現代風のデザインを取り入れたバッグや小物入れは、日本でも普段使いできるものばかりです。(アジアンギャラリー季節風)
グジャラート伝統の技に現代風のデザインを取り入れたバッグや小物入れは、日本でも普段使いできるものばかりです。(アジアンギャラリー季節風)
参考図書
小笠原小枝監修(2005)
『別冊太陽 更紗』平凡社 金谷美和(2007)
『布がつくる社会関係 − インド絞り染め布と ムスリム職人の民族誌 − 』思文閣出版  三尾稔、金谷美和、中谷純江編(2008)
『インド 刺繍布のきらめき』昭和堂

関連ツアー

ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

グジャラート テキスタイル紀行

織物・染物・刺繍に徹底的にこだわった特別企画。染織文化の中心地ブジを拠点に村や工房を巡り、村訪問やワークショップで職人と直にふれあい、NGOを訪問し伝統技術の保護活動について学ぶ。

黄金の棚田と少数民族の旅

  • ベトナム

2012.05.01 update

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
左:ドンバンの日曜市 右:手に鎌を持ち稲の収穫をするザオ カウ族の女性。背に子を背負った まま作業をする。

織りもの・刺繍

北部ベトナムでは特徴のある様々な民族衣装が受け継がれ、女性を中心に普段着として着用されています。この地域を旅すると道中、まず目にするのは「庭に干された洗濯物」と「軒下で刺繍をする女性」。刺繍がたくさん施されたプリーツ・スカートや藍染の衣類がざっくりと洗われて干されています。白いスカートが干されていれば、白モン族のお宅。色鮮やかな刺繍の衣装なら、花モン族のお宅と遠くから見ても一目瞭然です。そして、農作業や家事の合間に日の当たる明るい場所で衣装をつくるため刺繍をする姿はよく見られる光景です。その手作業は母から子へと脈々と受け継がれ、民族の伝統として守られています。

家の軒下で糸車を使い、慣れた手つきで糸を紡ぐルー族の女性
家の軒下で糸車を使い、慣れた手つきで糸を紡ぐルー族の女性
細かな刺繍が施された花モン族の脚絆
細かな刺繍が施された花モン族の脚絆
スカートのプリーツ加工のためしつけ糸を縫う白モン族の女性。
スカートのプリーツ加工のためしつけ糸を縫う白モン族の女性

収穫の季節

この地方は、一年に一回の収穫を 行う一毛作。山間の狭い土地を有効活用するために、棚田や畑は山 の上まで作りあげられています。一部、中国製の農機具が入ってきている村もありますが、ほとんどの村での作業は機械に頼らず、水牛と手作業の昔ながらの方法。10月にもなると広大な棚田は一面黄金色に染まり、民族衣装を着て作業をする少数民族のあでやかな姿を目にすることができます。棚田が黄金色に染まる10月のハジャン。この時期は、市場の賑やかさとともに収穫期の特別な活気に満ち溢れています。

ランテン・ザオ族の刈り入れの様子。日頃から民族衣装を着ているため、稲穂が黄金に輝くこの季節は金に赤のコントラストが美しい。
ランテン・ザオ族の刈り入れの様子。日頃から民族衣装を着ているため、稲穂が黄金に輝くこの季節は金に赤のコントラストが美しい。
 稲刈り、脱穀をするランテン・ザオ族の女性。水牛がいる光景もよく見ることができる。
稲刈り、脱穀をするランテン・ザオ族の女性。水牛がいる光景もよく見ることができる。

関連ツアー

韓国二大名峰登頂 漢拏山・智異山と済州島満喫オルレハイキング

ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

乾季のベストシーズン限定、知られざる山岳少数民族の旅。色鮮やかなドンバンの日曜市や、赤モン族やザオカウ族、ルー族など個性的な民族衣装を身にまとった人々が訪れるシンホーの日曜市など、5ヶ所で趣の違う定期市・素朴な村々を訪問。

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