チベット北西部からラダック南東に広がる広大なチャンタン高原。1962年のインド・中国紛争の後、チャンタン高原の西の一部がインドに属することになりました。平均標高が4,500mの高原には湖が点在し、古くからチャンパと呼ばれるチベット遊牧民が暮らしてきました。現在は中国側から逃れてきた人々も含めておよそ9000人ほどが遊牧の生活を営んでいます。
天空の湖ツォ・モリリ
チャンタン高原の人々の生活の糧は大切な家畜と、その家畜が食む草。家畜はヤク、羊、そしてパシュミナヤギです。冬はマイナス30℃以下になる厳しい環境では草が生える期間も短く、このわずかな草を食い尽くさないよう、チャンパの人々は年に8~10回キャラバンを組んで移動します。
そんなチャンタン高原の西の端、標高4,500mの土地に美しい半塩湖「ツォ・モリリ」が広がります。 湖畔の小さな村「コルゾック村」の中心にはチベット仏教のコルゾック僧院が建ち、周辺の人々の信仰の拠り所となっています。
夏の時期、このコルゾック僧院で2日間にわたって行われる「グストール祭」は村の人々だけでなく、高原を遊牧するチャンパの人達にとっても年一度の楽しみで、この時期には多くの遊牧民がツォ・モリリ近くに集まり、付近にテントを張り、お祭りに参加します。昨年、そんなお祭りの様子をお楽しみいただくツアーに添乗員として同行させていただきました。ここではその模様をお伝えいたします。
レー滞在
ツアーは、ラダック地方唯一の都市と呼べる「レー(標高3,505m)」の街から始まります。 16世紀後半からラダック王国の王都として栄えた人口5万人超のこの街は、インドの首都デリーから国内線が飛んでおり、現在ではラダック地方の玄関口となっています。 まずは、このレーの街に2日ほど滞在し、4,500mの高地に向かうため体の高度順応を済ませます。
初日にはレーの旧市街を散策したり、上ラダックの「ティクセ僧院」を訪れ、2日目には更に奥の「シャクティ谷」まで足を延ばして「タク・トク僧院」や「チュムレ僧院」などの隠れたチベット仏教の古刹を訪問します。
ティクセ僧院
チュムレ僧院
チャンタン高原へ
レーに到着して3日目、いよいよチャンタン高原のツォ・モリリに向けて移動します。 まずはレーからひたすらにインダス川沿いを上流に向かって山間道路を進みますが、この辺りの高度はまだまだ3,000m後半台。カルーの町を超えると、道中に町らしい町はなく、所々に小さな集落や商店、軍の施設を見かけるだけです。
お昼過ぎに温泉が沸くチュマタン村でお昼ご飯を取りつつその先マヘのチェックポストを目指します。 マヘでは橋の手前にチェックポストがあり、そこから先は外国人の入域が禁じられております。数十キロ先はもう中国との国境です。
マヘのチェックポストで進路を西に変え、川沿いから山の中へと入って行きます。 山の中を徐々に高度を上げて行くこと1時間弱、ヌムチャン・ラ(峠)/標高4,840mに到着。 無数のタルチョ(チベット仏教の旗)が巻きつけられた小さな仏塔(チョルテン)があるだけで、他に表示も看板もない峠です。
峠を通り越し、タドサン・カルーと呼ばれる小さな湖を脇目に更に1時間半程進むと、ようやくツォ・モリリ湖畔に出てきました。更に湖畔を少し回り込むように走ると、そこがコルゾック村です。チェックポストで登録を済ませ、コルゾック村へと入って行きます。
村といっても僧院と50戸ほどの小さな住宅の周りを観光宿泊用キャンプが取り囲む小さな集落です。 我々の宿泊もキャンプでの常設テントでした。
コルゾック村キャンプ場
キャンプ場の前に広がるツォモリリ
チャンパ(遊牧民)の生活
ツォ・モリリ湖畔での初日は、周辺の遊牧民=チャンパの人達の暮らしぶりを見学に行きました。
コルゾック村から15分ほど山に入って行くと山間に開けた盆地に出ます。 山すそのあちらこちらに合計20近くのテントが張られており、15~20程のチャンパの家族が生活していました。
チャンパの人達の朝は早く、山の上に日が昇り切るころには放牧のために家畜と山に上るので、その前に朝の仕事を済ませます。乳搾り、毛刈り、家畜の健康チェック…これらの仕事は小さな子供も含めて家族総出です。
家族総出で家畜の健康チェック
小さな子供も手伝います
彼らは家族ごとにそれぞれの「レー」を持っています。 「レー」とは夜間にヤギや羊を集めておく石で造った囲いの事で、この中で朝の仕事を進めます。 仕事が終わると家畜を「レー」から出して群れをまとめながら山の草原地帯に追って上がるのです。
乳搾り風景は圧巻で、50頭近くの山羊の首を互い違いにロープでつなぎ、横一列に動かないように並べた上で、次から次へと手際良く乳を搾っていきます。
パシミナ山羊の毛刈りも、想像以上に豪快な作業です。 外側の硬い毛は売り物としては使えませんので、外の硬い毛を切り去ってから、毛刈りをします。実際には毛を刈るのではなく、丈夫な櫛で毛をすき取って行きます。実際にパシミナ・ウールとして製品になるには、その刈り取った羊毛の中から最も柔らかい内側の毛だけを更に選別して使用します。
ご家族のテントの中にもお邪魔させていただきました。 山羊のミルクで作ったバター茶やヨーグルトは、味や酸味が少し強くて日本人の方には好き嫌いがあるかもしれませんが、本物の味です。人懐っこい子供たちの笑顔も素敵です。
ロープを使って横一列に並べられたヤギ
乳搾り
テントの中にもお邪魔しました
家畜を「レー」から出して草原地帯へ移動します
コルゾック僧院 グストール祭
翌日はいよいよ旅行のハイライト、コルゾック僧院の「グストール祭」です。
コルゾック僧院で2日間にわたって行われるグストール祭。「グ」とは9や19、29の「9」の付く日を表し、「ストール」とは「トルマ=麦粉やツァンパ、バターなどで作った立体的なお供え物」を表します。直訳的な意味では「9の付く日にトルマを壊すお祭り」となり、コルゾックでは毎年チベット暦の7月29日にあたる日に合わせてこのお祭りが開かれます。
このグストール祭で行われる儀式や踊りには、「善(釈迦の教え)」が「悪(悪魔や悪い心)」に打ち勝つという意味が込められていると共に、釈迦の教えを分かりやすく民衆に伝えるという目的も併せ持ちます。 仮面舞踊で僧侶が被る仮面は神や女神、護法神などを表わしていて、人々にとってはこれらの踊りを見るだけで徳を積む事ができるのです。
朝からコルゾック僧院に行き、それぞれ思い思いの場所に陣取って終日かけてお祭りを楽しみます。
コルゾック僧院
着飾って祭りにやってきた遊牧民の人々
■始まりの儀式
家畜たちに色とりどりのペイント(お祈り)を施し、一斉に野に解き放つ儀式。解き放たれた動物達はその後決して殺して食べられることなく、寿命を全う出来ます。家畜たちを自由にする(新しい命を与える)事によって、人間自身の徳を高めるという教えを民衆に広めるための儀式です。
■大タンカご開帳
釈迦(仏陀)を描いた大タンカが僧院の壁に吊るされます。 チベット仏教の寺院では、この大タンカは各僧院の宝とされ、年に1度この日だけご開帳されます。この大タンカを一目見るだけで、人々は徳を積む事が出来、極楽浄土へ行くことができると信じられています。
■リンポチェ(住職/高僧)の入場~ラマ(僧侶)・ダンス
僧院最高位のお坊さん(リンポチェ)が入場・着席し、お祭りの開始を祝うお坊さん達の踊り(ラマ・ダンス)が踊られますと、お祭りはいよいよハイライトへと移っていきます。
始まりの儀式
大タンカご開帳
僧院の壁に掲げられた大タンカ
リンポチェの入場
リンポチェ
十三黒帽の舞
あまり広いとは言えない僧院の中庭では、僧侶達によって様々な「チャム(マスク・ダンス)」が披露されていきます。様々な神や悪魔の仮面をかぶったお坊さんが、時にはダイナミックに、時にはコミカルに、時には粛々と、踊りを踊ります。
リンポチェはこの地方の人々にとっては尊い信仰の対象、一目拝むだけでもありがたいお方です。 退場の際にも一目拝もうと、そして子供の頭をなでてもらおうと、たくさんの村人がリンポチェの周りに集まってきます。リンポチェに頭を触れてもらった年配の女性が、感極まって涙を流している場面などを見ると、人々に深く息づく信仰の心を実感します。
この後、僧院の本殿では法要がとり行われ(見学不可)、最後にはお祭りの期間中飾られていたトルマを外の良い方角の地へ運び出し、水辺でお祈りと踊りの後に破壊してお祭りは終了します。
会場で見かけたペラク(ラダック伝統の晴れ着)を纏った女性
僧侶達によるチャム(マスク・ダンス)
青の湖 ツォ・モリリ
お祭りや遊牧民キャンプの見学の合間には、湖畔を走りながらツォ・モリリの風景もご覧いただきました。 デコボコ道ですが車で湖畔を走りながら、所々景色の良い所で止まって景色を楽しみます。 太陽の光を受けて青緑に光る湖面はとても綺麗でした。
お天気に恵まれれば、風が止んで湖面が鏡のようになり、周囲の山々が湖面に映る素晴らしい景色もご覧いただけます。
お祭りの翌日は、来た道とは別のルートを通り、レーへと帰ります。再び、丸一日かけての移動です。 途中では塩湖「ツォ・カール」、標高5,300m「タグラン・ラ(峠)」、かつて王都があったとされる「ギャー」の集落などの見どころがあります。
長い移動の末に、レーの街にたどり着くと、とても都会に戻って来たような気になります。
崖の上に建つギャー・ゴンパ
ギャーの集落
レーから1週間弱の日程でしたが、天空の湖「ツォ・モリリ」湖畔で厳しい自然と共に生きる遊牧民の暮らしに人間の力強さを垣間見、また、コルゾック僧院のグストール祭では古くから脈々と受け継がれる深い信仰の文化を肌身で感じることができました。
ぜひ皆様に訪れていただきたいとっておきの場所です。
チャンタン高原に暮らす遊牧民
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チャンパの人々が遊牧を営むチャンタン高原、ツォ・モリリ湖畔の村に訪れる、年に一度の祭りの日。レーからツォ・モリリへは往復異なる道を通り、変化に富んだチャンタン高原の景色を満喫。