秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

チャド エネディ山地の旅

  • チャド

2012.08.01 update

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
写真:アルシェイのゲルタ

首都ンジャメナから北へ

チャド湖にそそぐシャーリ川とロゴネ川の合流地点に位置するのが首都ンジャメナ。川の対岸にカメルーンのクッセリを望む、まさにチャドの中心に位置する町です。チャド北部を構成するエネディ山地、ティベスティ山地付近ははBET(Borkou-Ennedi-Tibesti)と呼ばれ、堆積岩、火山岩による岩山砂漠地帯と砂丘の交じる大地にナツメヤシ茂る小さな村が点在しています。首都ンジャメナを出発して3日走ってようやくたどり着くことができる、「サハラ最深部」ともいえる地域です。

ゲラ山地の市場の様子
ゲラ山地の市場の様子
アカシア・セイヤルの林の中を移動するアラブ遊牧民
アカシア・セイヤルの林の中を移動するアラブ遊牧民

チャド北部のタッシリ、エネディ山地

「タッシリ」とは風と雨により浸食された堆積岩(砂岩)の台地のことをさすアラビア語です。サハラ砂漠にある大きなタッシリにはタッシリ・ナジェール(アルジェリア)、アカクス(アルジェリア)、アルホッガー(アルジェリア)がありますが、このエネディ山地も巨大な「タッシリ」。ちょうどサハラ砂漠の中央に位置する堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されエネディ独得の渓谷、ワディ、ゲルタを造り出しています。その砂岩の壁には岩絵が描かれ、浸食によって造り出されたゲルタには、ナイル・クロコダイルの生き残り「デザート・クロコダイル」と呼ばれるワニが生息しています。

風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
エネディ山地に暮らすトゥブ遊牧民
エネディ山地に暮らすトゥブ遊牧民

アルシェイのゲルタ

「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」。アルシェイのゲルタのみどころはいくつかありますが、ハイライトはたくさんラクダがゲルタに集まっている様子と、「サハラ最後のワニ」、デザート・クロコダイルです。アルシェイのゲルタのビューポイントまで歩けば、その2つを一度に楽しむことができます。もちろん、ラクダの数はその日によって違いますし、ワニは必ずしも見られるとは限りません。すべては「運」。

 

「サハラ最後のワニ」 
エネディ山地のゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。アルシェイのゲルタに暮らすワニは7匹。調査を開始したとき9匹いたワニは、1匹は夏の増水のときにゲルタから流れ出て死んでしまい、もう1匹は行方不明になり現在7匹が暮らしているといいます。1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、モーリタニアのタガント・ヒルのものが1996年に絶滅した後、「サハラに生き残ったワニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました(モーリタニアの“サヘル”にも残っていますが、“サハラ”としてはエネディが最後です)。 限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。 トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。

デザート・クロコダイル
デザート・クロコダイル

エネディ山地の岩絵

一般にサハラの壁画は古いものほど美しく、時代が新しいものは稚拙なものが多いように言われますが、チャドにおいては新しい時代のもの、馬の時代、ラクダの時代の壁画が美しく生き生きと表現されています。色素の材料はオークル(黄土)、岩石、卵、乳を使い、それをアカシアの樹液を用いて保護しています。 芸術性の高い、チャドの岩絵の一部をご紹介します。

テルケイの大きな牛の洞窟
テルケイの大きな牛の洞窟
牛のお腹の白い部分は「乳」を表しています。 家畜、そしてその家畜からとれる「乳」に対する信仰があったことが想像されます。(牛の時代)
テルケイ 抽象化された馬に乗った兵士
テルケイ 抽象化された馬に乗った兵士
戦いと思われるシーンを描いた壁画もたくさんあります。 両足を開いた独特の表現がとられています。
マンダゲリの牛の岩絵(細部)
マンダゲリの牛の岩絵(細部)
テルケイと同様に乳が白く描かれ子牛とペアで描かれているものが多くあります。周囲には家畜小屋の囲い、倉庫を思わせる建物や人々の暮らしが描かれています。
マンダゲリの「ラクダの時代」の岩絵(細部)
マンダゲリの「ラクダの時代」の岩絵(細部)
白く表されたラクダに現在のボロロ族の髪型を想像させる人々が乗った岩絵です。歩くラクダの様子が特徴的です。

そして、一番見事なのが、高さ6mにあるマンダゲリの砂岩のキャンパス。一面に当時の暮らしの様子が描かれています。

風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
マンダゲリの砂岩のキャンパス

エネディの風景

四方を砂に囲まれたエネディ山地はこの厳しいサハラの自然環境の中で動植物に、そして遊牧民・家畜たちの「シェルター」的な役割をなしてきました。砂岩の浸食が生み出した景色とそこにいきる人々の姿はまさに「手つかずのサハラ」。豊かな自然と伝統が残されています。

アルシェイのゲルタへ向かう遊牧民と家畜
アルシェイのゲルタへ向かう遊牧民と家畜

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エネディとティベスティ山地

これまで知られることのなかったエネディ山地とティベスティ山地をめぐる本格的なチャドのサハラ踏査の旅。長年の内戦で閉ざされてきたサハラの大国チャド。今だからこそ見られる砂漠の姿があります。

ラダックの名峰 ストック・カンリ(6,153m)登頂

  • インド

2012.08.01 update

「6,000m峰登頂」海外登頂登山者の多くの方が掲げる一つの目標ラインでもあるでしょう。
インドヒマラヤ、ラダック地方に聳える名峰ストック・カンリは、本格的6,000m峰登山の中にあって比較的登頂が容易で、初の6,000m峰挑戦をお考えの方にも最適なコースです。
ここでは、2012年の夏に同行させていただいたツアーの様子をご紹介したいと思います。


ストック・カンリ(6,153m)の頂へ

ラダックの中心地レーへ

インドの首都デリーから早朝便に乗り込み、インド北部のラダック地方へ向かいます。ラダックはインダス川上流に位置し、ヒマラヤ山脈西端とカラコルム山脈の間にある標高3,000mを超える乾燥地帯です。パキスタン、中国との国境が近く、治安が不安定なため、長期にわたり外国人の入域は不可とされていましたが、最近(1974年入域許可以降)は徐々に観光客を増やしています。チベット文化圏に属し、小(リトル)チベットとも呼ばれています。

日本とインドの時差は3時間30分。時差ボケはあまり感じさせませんが、ツアー2日目にしていきなり標高3,505m(ラダック地方の中心地レーの標高)に降り立つので、ツアー出発前の体調管理も重要です。2連泊するレーでは高所順応を兼ね、旧王宮やゴンパの見学、5,359mの峠(カルドゥン・ラ)へドライブをします。山道具屋も立ち並び、忘れ物や追加で欲しい道具の調達もできるので便利です。残念ながら高所順応の為に昼寝は厳禁です。

西遊旅行のツアーでは、随所で連泊を設け、しっかりと高所順応していただきます。レー(3,505m)⇒モンカルモ(4,480m)⇒ストック・カンリB.C.(4,900m)の3ヶ所で身体を馴染ませ、疲れを癒し、精神を安定させます。

  • レーの街並み
    レーの街並み
  • レーからのストック・カンリの展望
    レーからのストック・カンリの展望

トレッキングスタート ストック村~モンカルモ滞在

登山はレーから24km(車で約40分)離れたストック村(3,650m)から始まります。荷物は馬が運びます。頂上までの標高差を単純計算すると、6,153m-3,650m=2,503mです。

ストック川沿いに登ること6時間(昼食含む)でモンカルモ(4,480m)です。急登はほとんど無く、途中何度か渡渉をしたり、ブルーシープの写真撮影をしたりと和やかに進みます。モンカルモはストック川沿いにあたるので、水場には困りません。ストック・カンリも望むことができ、快適なキャンプ地です。

  • トレッキング開始
    トレッキング開始
  • 渡渉
    渡渉
  • ブルーシープの群れ
    ブルーシープの群れ

モンカルモでの2連泊は決して油断してはいけません。ここでどう高度に順応できるかが、登頂へのサクセスロードとなるのです。翌日行くベースキャンプ(B.C.)までのルートとは異なるマトゥ・ラ方面(南東)へと向かい、4,700m付近まで標高を上げます。弊社では別方面へ足を運ぶことで、少しでも違う景色を楽しんでいただきます。ストック・カンリ、グレップ・カンリ(5,900m)を拝む好展望の一日となるでしょう。

“カンリ”とは、雪や氷河を抱く峰のことだそうです。この日は、往復約4時間の午前中行程ですので、午後は体拭きや洗濯、昼寝防止のティータイムなどをしてのんびりと過ごします。

  • グレップ・カンリ(5,900m)
    グレップ・カンリ(5,900m)
  • ストック・カンリ(6,153m)
    ストック・カンリ(6,153m)

モンカルモ~ストック・カンリB.C.滞在

B.C.までは2時間半の短い行程です。ここも急登は無く、ストック・カンリ東壁の迫力に興奮し、マーモットの愛らしい鳴き声と風貌に笑顔が止まりません。色とりどりの高山植物もお出ましです。

  • ストック・カンリ東壁
    ストック・カンリ東壁
  • 岩陰から現れたマーモット。人を怖がりません。
    岩陰から現れたマーモット。人を怖がりません。
  • 色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く
    色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く
  • 色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く
  • 色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く

BCでの2連泊は、軽めの高所順応トレッキングの他、現地山岳ガイドによるアイゼン着用での歩き方、アンザイレン(2人以上が相互安全確保のためにロープを結び合う行為)、滑落停止などの練習と再確認をして登頂への士気を高めていきます。

  • アイゼン着用での歩き方、アンザイレンの練習の様子
    アイゼン着用での歩き方、アンザイレンの練習の様子
  • アイゼン着用での歩き方、アンザイレンの練習の様子

アタック開始

いよいよアタック日です。星が瞬く夜中23時50分、BCを発ち頂(6,153m)を目指します。2012年8月22日出発時の気温は、6.5℃とさほど寒くはありませんでした。

【登頂ルート】 東壁を横目(右側)にグルーッと巻きます。

登頂ルート
登頂ルート

① ストック氷河をオープン・クレバスに注意しながら横断(アイゼン着用)<BCから約3.5時間>

② 南面に取り付きます。(アイゼン着用。ジグザグまたは直登:斜度30~35度)

③ 更に斜度が増す辺りから西側へルートを切り替え、南面をトラバースするように南稜へ。<南面登山②+③=約3時間>

④ 南稜に出て(アイゼンをデポ。朝日が昇り出し、景色が一気に広がります!)、狭くもあるがしっかりとしている雪とガレた岩のミックスした稜線上を通って頂へ。南稜上(西側)はスパッと切れ落ちている箇所もあるので要注意です!<約2時間>

⑤ タルチョはためく東西に細長い頂上へ到着。東側の雪庇は切れ落ちているのでこちらも十分な注意が必要です。

  • 雪面直登中
    雪面直登中
  • 朝日が昇り始める
    朝日が昇り始める
  • 徐々に朝日に照らし出される山脈
    徐々に朝日に照らし出される山脈
  • 頂上へのスカイライン
    頂上へのスカイライン
  • ストック・カンリ登頂!
    ストック・カンリ登頂!

8時02分、登頂です!!気温は0℃。頂上からは360度広がる絶景がお待ちかね。カラコルム山脈、ザンスカール山脈、ラダックの高峰ヌン峰(7,135m)とクン峰(7,087m)、西チベットのカイラ―ス(6,656m)など山群が立ち並びます。そこに朝日が命を吹き込んでいきます。最高の瞬間です!

ザンスカール山脈のパノラマ
ザンスカール山脈のパノラマ

個人差はありますが、この日の行程は登り8時間、下り4~5時間程度となります。下りは特に疲労困憊になるので、早い段階からある程度の体力の温存を意識しておくことが望まれます。 初めての海外登山としては少々厳しいですが、キリマンジャロ(5,895m)や他5,000m峰の登頂者であれば挑戦してみる価値は多いにあります。

 

ストック・カンリ頂上にて
ストック・カンリ頂上にて

ラダックの名峰ストック・カンリ(6,153m)。決して楽ではありませんが、登り甲斐のある山です。かつ6,000m峰としては非常に登りやすい山と云えるでしょう。日本からたった12日間の行程で行けるアプローチの良さも魅力です。

“未知の世界への飽くなき挑戦”。6,000m峰の頂を一緒に極めてみませんか?

 

関連ツアーのご紹介

ラダックの名峰 ストック・カンリ(6,153m)登頂

高度順応に配慮した日程で初めての6,000m峰登頂にチャレンジ!山頂からは360度広がる大パノラマ山岳風景。天候の安定するベストシーズンにインドヒマラヤの名峰を登る。

ガラパゴス諸島でダーウィンの想いを繋ぐ

  • エクアドル

2012.08.01 update

エクアドル本土から西へ約一千キロ。絶海に浮かぶ島で神の天地創造説は背かれました。チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論を疑う者は、もう誰もいないでしょう。1978年にユネスコの世界自然遺産の第一号として登録されたガラパゴス諸島には、進化論執筆のきっかけとなった独自の進化を遂げてきた動物たちが今も多く生息しています。近年観光地化が進み、一度は危機遺産リストにも登録された島とその動物たちをご紹介します。

左:セスビウムの赤い絨毯と黄色いリクイグアナのコントラスト 右:リクイグアナに食べられないように進化して木化したウチワサボテン
左:セスビウムの赤い絨毯と黄色いリクイグアナのコントラスト 右:リクイグアナに食べられないように進化して木化したウチワサボテン

共生のために遂げてきた
独自の進化とすみわけ

ガラパゴス諸島の動物たちは、他の動物たちと共に生きていくために自分たちの居場所を決め、それぞれが暮らしやすいように進化を繰り返してきました。島の名を冠するゾウガメ(ガラパゴ)の甲羅は、エサがある場所によって鞍型とドーム型に分かれています。また、ガラパゴスに生息する2種類のイグアナもその象徴の一つです。ウチワサボテンの木の下で、リクイグアナが、じっとサボテンの実や花が落ちてくるのをひたすら待ち続けている一方で、ダーウィンに〝暗闇の悪魔〟と呼ばれたウミイグアナは、一生懸命に岩場に張りついた海藻を食べています。

リクイグアナと共存していくために海に潜ったウミイグアナ
リクイグアナと共存していくために海に潜ったウミイグアナ

種の保存 ─ 多様な求愛活動

ガラパゴスの動物たちは、それぞれ種の保存をかけて様々な求愛活動を行っています。時折、メスのリクイグアナの群れの中に、オスのウミイグアナが一緒にいることがあります。彼は、魅力的なリクイグアナのメスが目の前を通ると、ちょっかいを出そうとします。しかし、そっけなく拒絶されてしまうことがほとんどです。何万回と繰り返される彼らの恋物語の中でやっと生まれたのが、希少なハイブリット種のイグアナなのです。

海辺の近くにはガラパゴスアシカが、他のオス にメスを横取りされないように、身を粉にして必死でハーレムを守っています。そして、追い払われたオスは、島の端っこの〝独身寮〟で寂しく暮らしています。

真っ赤なノド袋を膨らませて必死の求愛行動をするグンカンドリや、小さな体で一生懸命頭を上下させて人間を威嚇するヨウガントカゲ、ボーっとタヌキ寝入りをしながら岩陰で一生懸命卵を温めるアカメカモメや、きょろきょろとあたりを見回しているアオアシカツオドリなど、それぞれの島で様々な動物たちが独自の進化を遂げつつ営みを繰り広げている  それがガラパゴス諸島の魅力なのです。

アオアシカツオドリ
アオアシカツオドリ
胸の赤い袋をめいっぱい膨らませてメスに求愛するグンカンドリ
胸の赤い袋をめいっぱい膨らませて
メスに求愛するグンカンドリ
アカメカモメ
アカメカモメ

ガラパゴス諸島を未来へ託すために

2012年6月25日、衝撃のニュースが世界中を駆け巡りました。サンタ・クルス島のチャールズ・ダーウィン研究所で保護されていたゾウガメ、ロンサム・ジョージが死んでしまったのです。ガラパゴス諸島には、かつて15種のゾウガメがいましたが、ジョージの死は、それを10種にまで減らしてしまいました。

毎日、世界中で固有種が絶滅していく中、ガラパゴス諸島ではそれを少しでも阻止するべく、上陸を許可している島では1日に入島できる人数を制限するなど、動植物の生態系を維持するために島や海を汚さない努力が日々行われています。また、難関な試験を突破して私たちを案内してくれている現地ガイドは、島の管理人としても一役買ってくれています。

2010年にはこれらの改善の努力が認められ、ようやく危機遺産リストからも除外されました。現在も、人間の起源をも明らかにした〝種〟を一つでも多く守るべく日々努力を続けている、自然と人間との共生の最前線のガラパゴス。ぜひ皆さんも実際に島を訪れて、大自然の偉大さと素晴らしさを肌で感じてみてください。

ありし日のロンサム・ジョージ(2012年1月撮影)
ありし日のロンサム・ジョージ(2012年1月撮影)

FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)

マングローブの森に囲まれて隠れ家的な様相も秘めたフィンチ・ベイ・ホテルは、サンタ・クルス島の南端にあって、プエルト・アヨラ町の桟橋から3分ほどボートに乗り、さらに5分ほど歩いたところにあります。車での乗り入れができない立地のため、ホテルは静けさと時折打ち寄せる波の音に包みこまれています。21部屋限定のため、サービスも行き届き、洗練された食事も私たちの期待を裏切りません。また、ガラパゴスの自然との共生を第一に運営されているので、ホテルの前の浜辺でのんびり日向ぼっこをするウミイグアナや食べこぼしたビュッフェのパンをついばむフィンチなど、多くの動物たちを間近に見ることができます。 ガラパゴス諸島観光で一般的なクルーズ船の滞在とは比較にならない、快適で優雅な滞在を満喫してください

FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)
FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)部屋の一例
FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)フロント

チャド ティベスティ山地一周

  • チャド

2012.08.01 update

トルゥー・オ・ナトロン
トルゥー・オ・ナトロン
ティベスティ山地はチャド北部にある休火山群の巨大な山塊です。チャドの最高峰エミ・クーシ(3,415m)、リビアの最高峰ビクー・ビティ(2,267m)もティベスティ山地にあります。1998年以降の内戦と治安の悪化により訪問することができませんでしたが、2011年9月に訪問許可が発行されるようになり、2012年1月、内戦後初となるティベスティ山地一周視察ツアーを行いました。厳しい環境の中でたくましく暮らすトゥブ族、休火山群の創りだすパノラマ、奇岩群が迎えてくれました。 北ティベスティの入り口となるゴウロからバルダイ、そしてトゥルー・オ・ナトロン、南ティベスティ、ファヤを経て首都ンジャメナを目指すルートをご紹介します。

ゴウロ Gouro - 北ティベスティの入り口のオアシス

ゴウロはティベスティ北部へのゲートとなる村。岩山が多く家畜に適した牧草地がないことからひとびとはナツメヤシ栽培に従事しています。村自体、パルメリー(ナツメヤシ園)と伝統的なトゥブ族の家屋が大変美しい村です。2012年2月、ゴウロに初めて私設の博物館がオープンしました。その名も Musee de Liberte 「自由博物館」。ゴウロ出身の3人の男性が、ゴウロ・オアシスのトゥブ族の伝統的な暮らしを紹介するために設立。どのようにティベスティに育つ植物を利用して暮らしているのか、キャラバンの飾り、戦闘用具、住居、ゲルバの作り方などを展示しています。トゥブ族は外部者を受け入れることがなく、閉鎖的な社会。その文化が展示されている、貴重なトゥブ族の文化を見ることができる博物館です。

ゴウロの村
ゴウロの村
小さなゴウロの博物館
小さなゴウロの博物館

北ティベスティの厳しい道のり

ゴウロを出発してからバルダイに到着するまではかつての内戦の地雷のあとを避けながら道を取り、厳しい岩山を進んでいきます。途中、奇岩群(トゥブ語でニャラ)のある地域、溶岩流や火山弾の大地を走ります。この道は岩場に登ったりワディに下ったりの繰り返し。これはラクダのキャラバンが水や草を求めて定期的に草地のあるワディに降りるためです。そして内戦後は車用のワディに立ち寄らない新しいルートもでき始めています。

険しいコルドンのパサージュ
険しいコルドンのパサージュ
マンダゲリの砂岩のキャンパス
マンダゲリの砂岩のキャンパス

イェボア氏族、ベルドゥア氏族の暮らす村

北ティベスティはトゥブ族の中でもイェボア氏族、ベルドゥア氏族が分かれて村を作っています。 イェビ・ブーとイェビ・ソウマはトゥブ族のイェボア氏族が暮らす土地。岩山の大地にある村で家畜の食料となる牧草地がないため、人々は家畜をつれてワディ・ミスキまで放牧にでかけます。村の渓谷には大きなパルメリー(ナツメヤシ園)が発達。収穫の季節には村人が全員そろい賑わうそうです。住居は火成岩とナツメヤシからできています。 ベルドゥア氏族はズッムリ地区からバルダイにかけて暮らしています。

イェビ・ブーのパルメリー
イェビ・ブーのパルメリー
イェビ・ソウマのパルメリー
イェビ・ソウマのパルメリー
ズムリ・ウェシの住居
ズムリ・ウェシの住居
ズムリ・ウェシのモスク
ズムリ・ウェシのモスク

 

バルダイ Bardai

北ティベスティの中心地でニャラとパルメリーに囲まれたオアシス。ベルドゥア氏族が暮らし、長年の内戦の舞台にもなった町です。リビアからのトラック輸送ルートがあり、新鮮なフルーツが届いていました。そしてこのバルダイからウディンゲール渓谷を経て、いよいよトルゥー・オ・ナトロンへ近づいていきます。

バルダイ付近のニャラ(奇岩群)
バルダイ付近のニャラ(奇岩群)

トゥルー・オ・ナトロン Trou au Natron

トゥシデ火山(3,265m)の麓にある巨大クレーター。直径8㎞、深さ700mのクレーターで、トゥシデの噴火により空洞化したマグマ室が沈下し発生しました。クレーター内部には小さな火口と炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)の泉があり、クレーターの表面にミネラルを出し続けています。 巨大なクレーターを下ること3時間、そのクレーター内を散策、そして登り4時。クレーターの底には不思議な景色が待っていますが、復路が登り700mありますので十分な体力が必用です。

クレーターを下る
クレーターを下る
ナトロンの上を歩く
ナトロンの上を歩く
炭酸ナトリウムの泉
炭酸ナトリウムの泉
「足湯」で疲れを癒して、帰りの登りに備えます。
「足湯」で疲れを癒して、帰りの登りに備えます。

 

南ティベスティ、ゾワールへ Zouar

トゥブ族の精神的指導者「デルデ」の座があるのがゾワール。ゾワールは1917年からフランスの支配下に入りましたが1960年独立後の内戦とリビアとの干渉において非常に重要な地点となり、リビア軍のベースとなったほか、1998年からの内戦の舞台でもありました。そのため、付近には戦車が散乱するなど未だ内戦の跡が多く残されています。

ゾワール付近に残る内戦の跡
ゾワール付近に残る内戦の跡

ファヤ Faya

70km続くパルメリー(ナツメヤシ園)の広がるティベスティ南部のゲートとなる町。リビアのフェザーン地方の町(クフラ、セブハー)やアベチェ、カライの交易キャラバン、輸送で栄えてきました。空港もあり、北部チャドで一番大きな町です。

ファヤの市場
ファヤの市場
豊富な香辛料
豊富な香辛料
新鮮な野菜も
新鮮な野菜も

ンジャメナへの道

ティベスティからンジャメナへと向かうルートはいくつかありますが、今回はジュラブ砂漠、バハル・エル・ガゼルを通るルートを取りました。このルートは古代チャド湖水系ルート。今ではバルクハン砂丘連なる砂丘地帯になっていますが、かつて湖だったことを示す、ダイアトマイト、貝、魚の化石なども見られるルートです。かつては川だったバハル・エル・ガゼルも家畜に素晴らしい草地を提供しています。

ダイアトマイト(珪藻の遺体が故障の底に沈殿してできた堆積物)
ダイアトマイト(珪藻の遺体が故障の底に沈殿してできた堆積物)
かつての湖底を歩いて魚の化石を発見
かつての湖底を歩いて魚の化石を発見
古代チャド湖の魚の化石
古代チャド湖の魚の化石
バハル・エル・ガゼルの井戸に集う人々
バハル・エル・ガゼルの井戸に集う人々

バハル・エル・ガゼルに入ると「サハラ」は終わり、サヘル地帯となります。家畜の数が増え、砂漠の暮らしから「チャド湖水系」の暮らしの景色へ。そしてその先は、もう首都ンジャメナです。

 

■関連リンク
ツアーレポート:「サハラ最深部チャド北部のサハラ砂漠踏査行 エネディ山地の旅

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エネディとティベスティ山地

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花の四姑娘山トレッキングと大姑娘山登頂

  • 中国

2012.07.01 update

「高山植物の宝庫」として知られる四姑娘山麓を花満開のベストシーズン(6~7月)に訪問。幻の花ブルーポピーを始めとする高山植物の花畑をご堪能ください。また初めての5,000m峰の挑戦、さらに6,000m峰へのステップとしておすすめのコースです。もちろん、登頂せずに山麓のキャンプでのんびりフラワーウォッチングも可能で、5,000m峰登頂も、四姑娘山麓のお花観察も、どちらも満喫することができます。

大姑娘山の山頂より四姑娘山(6,250m)を望む大姑娘山の山頂より四姑娘山(6,250m)を望む

アバチベット族チャン族自治州
日隆(リーロン)へ

飛行機で四川省の省都・成都へ。翌日、四川省北西部にあるアバチベット族チャン族自治州の日隆(リーロン)へ専用車で向かっていきます。途中、標高4,000mの夾金山峠を越えて行くため、ゆっくりと高度を上げていきます。
日隆では、急峻で森林が多くアルプス的な風景が素晴らしい長坪溝や、氷河浸食によってできた渓谷の双橋溝で簡単な散策をして明日からのトレッキングの足慣らしをしました。

 

トレッキングスタート

いよいよ日隆からトレッキングスタートです。歩き始めは木道の道を登って行きます。そしてさらに登り、尾根に出ると目の前に四姑娘山麓のエーデルワイス、サクラソウやシオガマの仲間などのお花畑が広がってきました。まさに百花繚乱、ベストシーズンの四姑娘山麓の美しさに早くも虜になってしまいます。お花のベストシーズンですので、やはり道中雨が降り、四姑娘山群の四峰をご覧いただくことができませんでしたが、晴れるとトレッキングの途中に雄大な四姑娘山群の姿を眺むことができます。そしてさらに進み、大姑娘山のベースキャンプとなる老牛園子(約3,600m)へ到着。草原が広がる広い土地に、テントを張り、夜は美味しい中華料理を召し上がっていただきました。

ベースキャンプにて高度順応

ベースキャンプには、高度順応を兼ねて2連泊します。2日目は、花海子や大海子の周辺をハイキングして、心ゆくまで花々の観察をお楽しみいただきました。まずは、小さなせき止め湖の大海子へ。道中、ガイドさんがガチョウの卵のような大きなキノコを見つけてきました。名前を聞いてみると、鵝蛋菌(がたんきん)というそうです。またラン科のアツモリソウが道端に咲いていました。日本では乱獲、盗堀が繰り返され絶滅のおそれのある大変貴重な植物です。そして大海子より1時間ほど進むと花海子と呼ばれる湿原が広がります。馬やヤクが放牧されていて大変のどかな場所です。そしてここでピクニックランチを楽しみ、ベースキャンプへと戻りました。夕食時には、ガイドさんが見つけた、鵝蛋菌(がたんきん)を炒め物にして美味しく召上っていただきました。

お花畑を眺めながら尾根を登ります
お花畑を眺めながら尾根を登ります
四姑娘山麓を彩る花々
四姑娘山麓を彩る花々
大姑娘山のベースキャンプとなる老牛園子
大姑娘山のベースキャンプとなる老牛園子
ベースキャンプからアタックキャンプ間のお花畑
ベースキャンプからアタックキャンプ間のお花畑

アタックキャンプへ

ベースキャンプの2連泊を経て、高度順応をバッチリしてから、いよいよ頂上前のアタックキャンプへ向かいます。途中、目を疑うようなきれいなお花畑が広がってきます。昨日見たアツモリソウがなんと群生していました。また標高4,000mを越えてくると、幻の花ブルーポピーやイエローポピーの花々を見ることができました。トレッキングして頑張って見るお花は皆さんにとって、とても感動が大きかったようです。そして今晩はアタックキャンプで温かい食事を召し上がっていただき、明日はいよいよアタックです。

  • アツモリソウ
    アツモリソウ
  • 幻の花ブルーポピー
    幻の花ブルーポピー

大姑娘山(5,025m)登頂

早朝、出発し岩場を登って行くため注意をしながら山頂へ向かいます。最高のお天気の中でのトレッキングとはいきませんでしたが、無事に皆さん揃って登頂することができました。
そして、登頂後は往路と同じ道を再び、お花畑を散策しながら日隆へ戻り、四姑娘山麓、最後の夜は美酒と美食でささやかな登頂記念パーティーを楽しみました。
フラワートレッキングにご興味のある方は、「高山植物の宝庫」として知られる四姑娘山麓を、花満開のベストシーズンに訪問してみてはいかがでしょうか。西遊旅行のツアーでは、大姑娘山の登頂も、四姑娘山麓のお花観察もどちらもご満喫いただけます。

山頂へのアタック
山頂へのアタック

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