秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

カサブランカからダカールを走る

  • セネガル
  • モーリタニア
  • モロッコ
  • 西サハラ

2012.08.01 update

左:世界遺産の植民都市サンルイの街に暮らす人々(セネガル)右上:迷路のようなスークが続くアラブの古都マラケシュのメディナ(モロッコ)中:国境への道を行く人々(セネガル)右下:ディアウリング国立公園(モーリタニア)
左:世界遺産の植民都市サンルイの街に暮らす人々(セネガル)右上:迷路のようなスークが続くアラブの古都マラケシュのメディナ(モロッコ)
中:国境への道を行く人々(セネガル)右下:ディアウリング国立公園(モーリタニア)
 右手に大西洋を見ながら、モロッコのカサブランカからセネガルのダカールまで、2000㎞以上を駆け抜ける「カサブランカからダカールを走る」のツアー。昨年、新企画として発表し、ご好評をいただきましたこのツアーの魅力をご紹介いたします。

 

ツアーはドバイよりカサブランカのモハメッド5世空港に降り立ちます。ここからダカールまで2つの国境越えを含む道のりが始まります。最初の宿泊地は古都マラケシュ。夕方に到着してから、蛇使いや占い師で賑わう夜のジャマ・エル・フナ広場を見学し、翌日も迷路のようなメディナを見学します。香辛料、薬草の香りが渦巻き、色鮮やかな土産物屋が軒を連ねるだけでなく、神学校やモスクが残る由緒あるメディナです。その後、ツアーは大西洋に面したアガディールに到着します。

 

翌日、アンチアトラス山脈を越えると気温も上がりはじめ砂漠性気候に変わり、午後にはいよいよ西サハラへ入ります。西サハラは、モロッコが領有を主張し、モロッコの商品が溢れ、使われている通貨もモロッコ・ディルハムです。モロッコからの国境越えもありません。しかしモロッコの領有は多くの国々から認められておらず、亡命政権であるサハラ・アラブ共和国も領有権を主張する政治的に複雑な場所です。

 

しかし、それは政治の話で、実際に車窓から眺める風景は、美しい大西洋が果てしなく広がり、ヨーロッパから自分の車でそのまま来てウィンド・サーフィンやパラセイリングを楽しむ人々にたくさん出会います。西サハラではかつての首都だったライユーンとダクラに宿泊しますが、西サハラでの楽しみのひとつはタコ漁を見ること。タコを含め、日本にも輸出されるほど漁獲量が高い理由は、この辺りの沖合が、寒流のベンゲラ海流と、暖流の北大西洋海流がぶつかる「潮目」に当たるためです。そのため、魚を求めて飛来する渡り鳥も多く、ツアーではモーリタニアのディアウリング国立公園で、たくさんの渡り鳥を見ることができます。

 

 

サハラと大西洋が交わるダクラ(西サハラ)
サハラと大西洋が交わるダクラ(西サハラ)
日本向けタコ漁(西サハラ)
日本向けタコ漁(西サハラ)
 そのモーリタニアへは、西サハラからではありますが、モロッコの出国審査を受けます。モーリタニアでは四輪駆動車に分乗し、大西洋岸をさらに南下します。最初の宿泊地ヌアディブ近郊では、ブラン岬に立ち寄ります。岸部に難破船が打ち上げられ、さびれた灯台が残りますが、なかなか趣のあるところで、アザラシものんびりと泳いでいます。首都のヌアクショットを過ぎると、灌木や緑が増えはじめ、ステップ気候に移りサハラからアフリカに移ったことを体感します。
ブラン岬より大西洋を望む(モーリタニア)
ブラン岬より大西洋を望む(モーリタニア)
大西洋岸を走り、ダカールを目指す
大西洋岸を走り、ダカールを目指す
 セネガル川の国境を越えると、最後の訪問国のセネガルです。お世話になるスタッフも、モロッコではアラブ系やベルベル系、モーリタニアではムーア人、そしてセネガルでは黒人系に移り変わってきました。セネガルの最初の宿泊地はサンルイ。フランス植民地時代の面影を残す反面、捕獲した魚の売買で賑わい、アフリカの力強さも垣間見れます。ツアーではサンルイに連泊し、馬車に乗ってゆっくり街を見学します。

 

サンルイから、ツアーはいよいよ最終目的地のダカールへ。ここでは、フェリーで奴隷交易の歴史を物語るゴレ島を訪れるほか、パリ・ダカールラリーの終着点であるラック・ローズにも立ち寄ります。ラック・ローズとは「赤い湖」という意味で、プランクトンの影響で赤くなった湖では、塩の採掘が行われています。ここにあるレストランには、パリ・ダカールラリーを走り抜けた各国のチームの記念の落書きが沢山書かれていました。

13日間で車窓の景色も、出会う民族も文化も毎日移り変わり、アフリカの雄大さを体感します。そして大西洋の青さを最後まで目に焼き付けながら、アフリカ最西端に位置するダカールから飛び立って、帰国の途につきます。皆様も同じ「夢の大西洋岸ルート」を、走り抜けてください。

奴隷交易の歴史を物語るゴレ島(セネガル)
奴隷交易の歴史を物語るゴレ島(セネガル)
セネガルで出会った女性
セネガルで出会った女性

変化する「食」も楽しみのひとつ

訪れる各国では、各地の名物料理も召し上がっていただきます。大西洋岸のため、エビやタコなど豊富なシーフードを使った料理も魅力です。モロッコの「タジン鍋」やセネガルの魚とご飯の煮込み「チャップジェン」、移動中のピクニックなどその地ならではの料理も楽しみ、「食」の変化も、体感していただけます。

野菜豊富なタジン鍋
野菜豊富なタジン鍋
チャップジェン
チャップジェン
新鮮なシーフード
新鮮なシーフード

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夢のアフリカ大西洋岸ルート カサブランカ〜ダカールを走る

カサブランカから大西洋岸を走り抜けダカールまで、移り変わる景色、民族、文化。もうひとつの「サハラとアフリカ」の旅へ。かつてのダカールラリーのコースをも含む、ロマンあふれる縦断ルート。

南インドの旅

  • インド

2012.08.01 update

経済発展、観光開発の進む大国インド。その中で、南インドはドラヴィダ民族文化と建築美、豊かな海と食文化、そしてモンスーン(季節風による雨)とともに再生する自然の美しさを持つ、「多彩な魅力をもつインド」そのものの姿を魅せてくれます。

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
上段:ヤシの茂る浜辺よりアラビア海を望む。
下段(左から):カタカリダンス、南インドの定食「ミールス」、ジャスミンの花、南インドの料理に欠かせないスパイス

西遊旅行ならではの「南インドの旅」

2012年6月、モンスーンが始まったばかりの南インドを訪問しました。

インダス文明の担い手であるともされるドラヴィダ民族。彼らは、サンスクリット文字が発明される以前に独自の文字を持っていたことからもわかるように、インド亜大陸に高度な文化を築きました。イラン高原からアーリア人が移住し、北インド全域に新たな文化がもたらされたあとも、南インドには彼らの豊かな文化が残りました。

一方、大航海時代にはヨーロッパとの交易で栄え、イギリス当地時代には高原避暑地として人々を癒したこの地には、今もコロニアル風の建物や蒸気機関車が残り、インドの他の地域とは異なる異国情緒溢れる一面も持っています。

様々な文化を取り入れながらも、ゆったりと流れる時間の中に連綿と続くドラヴィダ民族文化の真髄を感じた今回の訪問は、おおらかでありながら力強い南インドの魅力を再確認する旅になりました。

今冬のツアーで訪れる西遊旅行ならではのツアーポイントをご紹介いたします。

世界遺産・ニルギリ山岳鉄道

高原避暑地への交通手段としてスイス人技師によって計画され、1899年に開通したニルギリ山岳鉄道。ツアーでは、全長45.88kmの中でラック形式の蒸気機関車が今も現役で走るハイライトのメットゥパラヤム~クーヌール区間に乗車します。

列車の最高時速は13㎞。時折給水のために停車し、スイッチバックを繰り返しながら、高低差1,386mのニルギリの山を2時間50分かけて登ります。運行開始から114年間変わらない、ゆったりとした列車の旅をお楽しみください。
※ニルギリ鉄道の蒸気機関は正面が客車に連結されています。右の写真はクーヌ-ル駅着後、蒸気機関のみスイッチバックして車庫に入るときに撮影したものです。 

ニルギリ鉄道・ラック形式の蒸気機関車
ニルギリ鉄道・ラック形式の蒸気機関車
パトロンの庇護のもと発展したモチ刺繍。1ミリ程度のチェーンステッチを刺すもので、現在は数家族のみがその伝統を受け継いでいます。
“ニルギリティー”お茶畑の中を走る
車内で出会ったインド人の新婚さん
車内で出会ったインド人の新婚さん
ニルギリ丘陵を登る鉄道
ニルギリ丘陵を登る鉄道
クーヌールの駅に到着
クーヌールの駅に到着

ハウスボートでいく
バックウォーター (水郷地帯)の旅

インド洋に沿って南北に伸びるケララ州。南北1,500㎞に張り巡らされたバックウォーター(水郷地帯)をハウスボートで巡ります。

ボートはエアコンやシャワーを完備したまさに「移動するホテル」。運河の左右には豊かな水田がり、運河沿いに暮らす人々が小船に乗って学校に通ったり漁をしたりする姿が垣間見られます。

椰子の木をシルエットに朝日や夕日に染まる南国らしい景色や、船上で専属コックが作る美味しいケララ料理もぜひご堪能ください。

両岸にヤシの生い茂る運河をハウスボートで行く
両岸にヤシの生い茂る運河をハウスボートで行く
 ローガンペイントで綿布に描かれた「生命の樹」。シンメトリーのデザインが特徴です。
夕暮れ時のバックウォーター
ハウスボートのデッキの一例
ハウスボートのデッキの一例
ハウスボートの客室の一例
ハウスボートの客室の一例
コックさんの作るケララ家庭料理
コックさんの作るケララ家庭料理

信仰篤い人々の姿
ミナークシ寺院のクロージングセレモニー

何千もの極彩色の神々の像で埋め尽くされ、後期ドラヴィダ様式の頂点を極めたといわれるミナークシ寺院。ここにはヒンドゥーの神シヴァと土着の女神ミナークシとが夫婦として祀られ、毎夕方にはシヴァ神がミナークシ女神の寝所に入る様子を儀式化したセレモニーが行われます。

楽隊の音楽とともに銀の神輿に乗ったシヴァ神が出てくると、僧侶がその日の行事や寄付の額を神輿に報告します。神輿は2人の息子の祠の前でおやすみの挨拶をしたあと、妻のミナークシの聖所の前で中に入っていいか伺いをたてます。

その後、神輿の下に用意された祭壇が蓮の花 竄ィ香で清められます。これはこの地方の伝統で、主人が仕事から帰ってきたときに妻が家の前でその足を清める儀式からとられたと考えられています。ハスの花、ジャスミンの花、そしてお香がたかれ孔雀の羽でお香が広がり神々しい雰囲気が作られていきます。

ミナークシ寺院の色鮮やかなゴプラム(塔門)
ミナークシ寺院の色鮮やかなゴプラム(塔門)
孔雀の羽の扇でお香が招かれると、神輿は聖所へと入っていきます。神が人間のように親しみを込めて扱われ、毎日繰り返されるその儀式は南国らしいおおらかさと人々の信仰の篤さを物語っているようです。 そして、ミナークシの寝室へと神輿が運ばれていき、この儀式が終了します。神々も人と同じ暮らしをしている・・・そう考える南インドの信仰の姿です。
シヴァの聖所から出てくる神輿。中にはシヴァ神像。
シヴァの聖所から出てくる神輿。中にはシヴァ神像。
ミナークシの聖所の前で祭壇が清められる
ミナークシの聖所の前で祭壇が清められる
シヴァの足跡の祭壇
シヴァの足跡の祭壇
ハスの花とジャスミンの花
ハスの花とジャスミンの花
ミナークシの寝室へと運ばれる神輿
ミナークシの寝室へと運ばれる神輿

食文化豊かな“美味しい南インド”を満喫

南インドの主食はお米。お米といっても北インドの長いインディカ米とはちがい、丸い大きなタイプのお米が主流です。そして一番の特徴はココナッツミルクをふんだんに使ったやさしい甘さが特徴の野菜や魚のカレー。そのほか、豆の粉のクレープ「ドーサ」、かるかんのような舌触りの蒸しパン「イドリ」、お好み焼きのような「ウッターパム」など、野菜や魚中心のヘルシーな料理は日本お客様に大変好評です。

アラビア海やベンガル湾でとれる新鮮なシーフードも楽しみのひとつです。朝食は蒸しパンのイドリに酸味のあるスープのサンバルやラッサムをつけていただきます。クレープのようなドーサも人気です。

蒸しパン「イドリ」
蒸しパン「イドリ」
スパイシーな「サンバル」
スパイシーな「サンバル」
酸味のある「ラッサム」
酸味のある「ラッサム」
お好み焼きのようなウッターパム
お好み焼きのようなウッターパム
南インドの定食「バナナ・リーフのミールス」
南インドの定食「バナナ・リーフのミールス」

そのほか、世界遺産の遺跡群が残るマハーバリプラムやコロニアルな雰囲気の港町コーチン、マハラジャの壮大な宮殿の残るマイソールなど、まだまだご紹介したい場所がたくさんある南インド。一度の旅でこれだけ多様な楽しみが見つけつけられることが、南インドの魅力です。

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チャド エネディ山地の旅

  • チャド

2012.08.01 update

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
写真:アルシェイのゲルタ

首都ンジャメナから北へ

チャド湖にそそぐシャーリ川とロゴネ川の合流地点に位置するのが首都ンジャメナ。川の対岸にカメルーンのクッセリを望む、まさにチャドの中心に位置する町です。チャド北部を構成するエネディ山地、ティベスティ山地付近ははBET(Borkou-Ennedi-Tibesti)と呼ばれ、堆積岩、火山岩による岩山砂漠地帯と砂丘の交じる大地にナツメヤシ茂る小さな村が点在しています。首都ンジャメナを出発して3日走ってようやくたどり着くことができる、「サハラ最深部」ともいえる地域です。

ゲラ山地の市場の様子
ゲラ山地の市場の様子
アカシア・セイヤルの林の中を移動するアラブ遊牧民
アカシア・セイヤルの林の中を移動するアラブ遊牧民

チャド北部のタッシリ、エネディ山地

「タッシリ」とは風と雨により浸食された堆積岩(砂岩)の台地のことをさすアラビア語です。サハラ砂漠にある大きなタッシリにはタッシリ・ナジェール(アルジェリア)、アカクス(アルジェリア)、アルホッガー(アルジェリア)がありますが、このエネディ山地も巨大な「タッシリ」。ちょうどサハラ砂漠の中央に位置する堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されエネディ独得の渓谷、ワディ、ゲルタを造り出しています。その砂岩の壁には岩絵が描かれ、浸食によって造り出されたゲルタには、ナイル・クロコダイルの生き残り「デザート・クロコダイル」と呼ばれるワニが生息しています。

風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
エネディ山地に暮らすトゥブ遊牧民
エネディ山地に暮らすトゥブ遊牧民

アルシェイのゲルタ

「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」。アルシェイのゲルタのみどころはいくつかありますが、ハイライトはたくさんラクダがゲルタに集まっている様子と、「サハラ最後のワニ」、デザート・クロコダイルです。アルシェイのゲルタのビューポイントまで歩けば、その2つを一度に楽しむことができます。もちろん、ラクダの数はその日によって違いますし、ワニは必ずしも見られるとは限りません。すべては「運」。

 

「サハラ最後のワニ」 
エネディ山地のゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。アルシェイのゲルタに暮らすワニは7匹。調査を開始したとき9匹いたワニは、1匹は夏の増水のときにゲルタから流れ出て死んでしまい、もう1匹は行方不明になり現在7匹が暮らしているといいます。1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、モーリタニアのタガント・ヒルのものが1996年に絶滅した後、「サハラに生き残ったワニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました(モーリタニアの“サヘル”にも残っていますが、“サハラ”としてはエネディが最後です)。 限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。 トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。

デザート・クロコダイル
デザート・クロコダイル

エネディ山地の岩絵

一般にサハラの壁画は古いものほど美しく、時代が新しいものは稚拙なものが多いように言われますが、チャドにおいては新しい時代のもの、馬の時代、ラクダの時代の壁画が美しく生き生きと表現されています。色素の材料はオークル(黄土)、岩石、卵、乳を使い、それをアカシアの樹液を用いて保護しています。 芸術性の高い、チャドの岩絵の一部をご紹介します。

テルケイの大きな牛の洞窟
テルケイの大きな牛の洞窟
牛のお腹の白い部分は「乳」を表しています。 家畜、そしてその家畜からとれる「乳」に対する信仰があったことが想像されます。(牛の時代)
テルケイ 抽象化された馬に乗った兵士
テルケイ 抽象化された馬に乗った兵士
戦いと思われるシーンを描いた壁画もたくさんあります。 両足を開いた独特の表現がとられています。
マンダゲリの牛の岩絵(細部)
マンダゲリの牛の岩絵(細部)
テルケイと同様に乳が白く描かれ子牛とペアで描かれているものが多くあります。周囲には家畜小屋の囲い、倉庫を思わせる建物や人々の暮らしが描かれています。
マンダゲリの「ラクダの時代」の岩絵(細部)
マンダゲリの「ラクダの時代」の岩絵(細部)
白く表されたラクダに現在のボロロ族の髪型を想像させる人々が乗った岩絵です。歩くラクダの様子が特徴的です。

そして、一番見事なのが、高さ6mにあるマンダゲリの砂岩のキャンパス。一面に当時の暮らしの様子が描かれています。

風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
マンダゲリの砂岩のキャンパス

エネディの風景

四方を砂に囲まれたエネディ山地はこの厳しいサハラの自然環境の中で動植物に、そして遊牧民・家畜たちの「シェルター」的な役割をなしてきました。砂岩の浸食が生み出した景色とそこにいきる人々の姿はまさに「手つかずのサハラ」。豊かな自然と伝統が残されています。

アルシェイのゲルタへ向かう遊牧民と家畜
アルシェイのゲルタへ向かう遊牧民と家畜

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ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

エネディとティベスティ山地

これまで知られることのなかったエネディ山地とティベスティ山地をめぐる本格的なチャドのサハラ踏査の旅。長年の内戦で閉ざされてきたサハラの大国チャド。今だからこそ見られる砂漠の姿があります。

ラダックの名峰 ストック・カンリ(6,153m)登頂

  • インド

2012.08.01 update

「6,000m峰登頂」海外登頂登山者の多くの方が掲げる一つの目標ラインでもあるでしょう。
インドヒマラヤ、ラダック地方に聳える名峰ストック・カンリは、本格的6,000m峰登山の中にあって比較的登頂が容易で、初の6,000m峰挑戦をお考えの方にも最適なコースです。
ここでは、2012年の夏に同行させていただいたツアーの様子をご紹介したいと思います。


ストック・カンリ(6,153m)の頂へ

ラダックの中心地レーへ

インドの首都デリーから早朝便に乗り込み、インド北部のラダック地方へ向かいます。ラダックはインダス川上流に位置し、ヒマラヤ山脈西端とカラコルム山脈の間にある標高3,000mを超える乾燥地帯です。パキスタン、中国との国境が近く、治安が不安定なため、長期にわたり外国人の入域は不可とされていましたが、最近(1974年入域許可以降)は徐々に観光客を増やしています。チベット文化圏に属し、小(リトル)チベットとも呼ばれています。

日本とインドの時差は3時間30分。時差ボケはあまり感じさせませんが、ツアー2日目にしていきなり標高3,505m(ラダック地方の中心地レーの標高)に降り立つので、ツアー出発前の体調管理も重要です。2連泊するレーでは高所順応を兼ね、旧王宮やゴンパの見学、5,359mの峠(カルドゥン・ラ)へドライブをします。山道具屋も立ち並び、忘れ物や追加で欲しい道具の調達もできるので便利です。残念ながら高所順応の為に昼寝は厳禁です。

西遊旅行のツアーでは、随所で連泊を設け、しっかりと高所順応していただきます。レー(3,505m)⇒モンカルモ(4,480m)⇒ストック・カンリB.C.(4,900m)の3ヶ所で身体を馴染ませ、疲れを癒し、精神を安定させます。

  • レーの街並み
    レーの街並み
  • レーからのストック・カンリの展望
    レーからのストック・カンリの展望

トレッキングスタート ストック村~モンカルモ滞在

登山はレーから24km(車で約40分)離れたストック村(3,650m)から始まります。荷物は馬が運びます。頂上までの標高差を単純計算すると、6,153m-3,650m=2,503mです。

ストック川沿いに登ること6時間(昼食含む)でモンカルモ(4,480m)です。急登はほとんど無く、途中何度か渡渉をしたり、ブルーシープの写真撮影をしたりと和やかに進みます。モンカルモはストック川沿いにあたるので、水場には困りません。ストック・カンリも望むことができ、快適なキャンプ地です。

  • トレッキング開始
    トレッキング開始
  • 渡渉
    渡渉
  • ブルーシープの群れ
    ブルーシープの群れ

モンカルモでの2連泊は決して油断してはいけません。ここでどう高度に順応できるかが、登頂へのサクセスロードとなるのです。翌日行くベースキャンプ(B.C.)までのルートとは異なるマトゥ・ラ方面(南東)へと向かい、4,700m付近まで標高を上げます。弊社では別方面へ足を運ぶことで、少しでも違う景色を楽しんでいただきます。ストック・カンリ、グレップ・カンリ(5,900m)を拝む好展望の一日となるでしょう。

“カンリ”とは、雪や氷河を抱く峰のことだそうです。この日は、往復約4時間の午前中行程ですので、午後は体拭きや洗濯、昼寝防止のティータイムなどをしてのんびりと過ごします。

  • グレップ・カンリ(5,900m)
    グレップ・カンリ(5,900m)
  • ストック・カンリ(6,153m)
    ストック・カンリ(6,153m)

モンカルモ~ストック・カンリB.C.滞在

B.C.までは2時間半の短い行程です。ここも急登は無く、ストック・カンリ東壁の迫力に興奮し、マーモットの愛らしい鳴き声と風貌に笑顔が止まりません。色とりどりの高山植物もお出ましです。

  • ストック・カンリ東壁
    ストック・カンリ東壁
  • 岩陰から現れたマーモット。人を怖がりません。
    岩陰から現れたマーモット。人を怖がりません。
  • 色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く
    色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く
  • 色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く
  • 色とりどりの高山植物を楽しみながら歩く

BCでの2連泊は、軽めの高所順応トレッキングの他、現地山岳ガイドによるアイゼン着用での歩き方、アンザイレン(2人以上が相互安全確保のためにロープを結び合う行為)、滑落停止などの練習と再確認をして登頂への士気を高めていきます。

  • アイゼン着用での歩き方、アンザイレンの練習の様子
    アイゼン着用での歩き方、アンザイレンの練習の様子
  • アイゼン着用での歩き方、アンザイレンの練習の様子

アタック開始

いよいよアタック日です。星が瞬く夜中23時50分、BCを発ち頂(6,153m)を目指します。2012年8月22日出発時の気温は、6.5℃とさほど寒くはありませんでした。

【登頂ルート】 東壁を横目(右側)にグルーッと巻きます。

登頂ルート
登頂ルート

① ストック氷河をオープン・クレバスに注意しながら横断(アイゼン着用)<BCから約3.5時間>

② 南面に取り付きます。(アイゼン着用。ジグザグまたは直登:斜度30~35度)

③ 更に斜度が増す辺りから西側へルートを切り替え、南面をトラバースするように南稜へ。<南面登山②+③=約3時間>

④ 南稜に出て(アイゼンをデポ。朝日が昇り出し、景色が一気に広がります!)、狭くもあるがしっかりとしている雪とガレた岩のミックスした稜線上を通って頂へ。南稜上(西側)はスパッと切れ落ちている箇所もあるので要注意です!<約2時間>

⑤ タルチョはためく東西に細長い頂上へ到着。東側の雪庇は切れ落ちているのでこちらも十分な注意が必要です。

  • 雪面直登中
    雪面直登中
  • 朝日が昇り始める
    朝日が昇り始める
  • 徐々に朝日に照らし出される山脈
    徐々に朝日に照らし出される山脈
  • 頂上へのスカイライン
    頂上へのスカイライン
  • ストック・カンリ登頂!
    ストック・カンリ登頂!

8時02分、登頂です!!気温は0℃。頂上からは360度広がる絶景がお待ちかね。カラコルム山脈、ザンスカール山脈、ラダックの高峰ヌン峰(7,135m)とクン峰(7,087m)、西チベットのカイラ―ス(6,656m)など山群が立ち並びます。そこに朝日が命を吹き込んでいきます。最高の瞬間です!

ザンスカール山脈のパノラマ
ザンスカール山脈のパノラマ

個人差はありますが、この日の行程は登り8時間、下り4~5時間程度となります。下りは特に疲労困憊になるので、早い段階からある程度の体力の温存を意識しておくことが望まれます。 初めての海外登山としては少々厳しいですが、キリマンジャロ(5,895m)や他5,000m峰の登頂者であれば挑戦してみる価値は多いにあります。

 

ストック・カンリ頂上にて
ストック・カンリ頂上にて

ラダックの名峰ストック・カンリ(6,153m)。決して楽ではありませんが、登り甲斐のある山です。かつ6,000m峰としては非常に登りやすい山と云えるでしょう。日本からたった12日間の行程で行けるアプローチの良さも魅力です。

“未知の世界への飽くなき挑戦”。6,000m峰の頂を一緒に極めてみませんか?

 

関連ツアーのご紹介

ラダックの名峰 ストック・カンリ(6,153m)登頂

高度順応に配慮した日程で初めての6,000m峰登頂にチャレンジ!山頂からは360度広がる大パノラマ山岳風景。天候の安定するベストシーズンにインドヒマラヤの名峰を登る。

ガラパゴス諸島でダーウィンの想いを繋ぐ

  • エクアドル

2012.08.01 update

エクアドル本土から西へ約一千キロ。絶海に浮かぶ島で神の天地創造説は背かれました。チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論を疑う者は、もう誰もいないでしょう。1978年にユネスコの世界自然遺産の第一号として登録されたガラパゴス諸島には、進化論執筆のきっかけとなった独自の進化を遂げてきた動物たちが今も多く生息しています。近年観光地化が進み、一度は危機遺産リストにも登録された島とその動物たちをご紹介します。

左:セスビウムの赤い絨毯と黄色いリクイグアナのコントラスト 右:リクイグアナに食べられないように進化して木化したウチワサボテン
左:セスビウムの赤い絨毯と黄色いリクイグアナのコントラスト 右:リクイグアナに食べられないように進化して木化したウチワサボテン

共生のために遂げてきた
独自の進化とすみわけ

ガラパゴス諸島の動物たちは、他の動物たちと共に生きていくために自分たちの居場所を決め、それぞれが暮らしやすいように進化を繰り返してきました。島の名を冠するゾウガメ(ガラパゴ)の甲羅は、エサがある場所によって鞍型とドーム型に分かれています。また、ガラパゴスに生息する2種類のイグアナもその象徴の一つです。ウチワサボテンの木の下で、リクイグアナが、じっとサボテンの実や花が落ちてくるのをひたすら待ち続けている一方で、ダーウィンに〝暗闇の悪魔〟と呼ばれたウミイグアナは、一生懸命に岩場に張りついた海藻を食べています。

リクイグアナと共存していくために海に潜ったウミイグアナ
リクイグアナと共存していくために海に潜ったウミイグアナ

種の保存 ─ 多様な求愛活動

ガラパゴスの動物たちは、それぞれ種の保存をかけて様々な求愛活動を行っています。時折、メスのリクイグアナの群れの中に、オスのウミイグアナが一緒にいることがあります。彼は、魅力的なリクイグアナのメスが目の前を通ると、ちょっかいを出そうとします。しかし、そっけなく拒絶されてしまうことがほとんどです。何万回と繰り返される彼らの恋物語の中でやっと生まれたのが、希少なハイブリット種のイグアナなのです。

海辺の近くにはガラパゴスアシカが、他のオス にメスを横取りされないように、身を粉にして必死でハーレムを守っています。そして、追い払われたオスは、島の端っこの〝独身寮〟で寂しく暮らしています。

真っ赤なノド袋を膨らませて必死の求愛行動をするグンカンドリや、小さな体で一生懸命頭を上下させて人間を威嚇するヨウガントカゲ、ボーっとタヌキ寝入りをしながら岩陰で一生懸命卵を温めるアカメカモメや、きょろきょろとあたりを見回しているアオアシカツオドリなど、それぞれの島で様々な動物たちが独自の進化を遂げつつ営みを繰り広げている  それがガラパゴス諸島の魅力なのです。

アオアシカツオドリ
アオアシカツオドリ
胸の赤い袋をめいっぱい膨らませてメスに求愛するグンカンドリ
胸の赤い袋をめいっぱい膨らませて
メスに求愛するグンカンドリ
アカメカモメ
アカメカモメ

ガラパゴス諸島を未来へ託すために

2012年6月25日、衝撃のニュースが世界中を駆け巡りました。サンタ・クルス島のチャールズ・ダーウィン研究所で保護されていたゾウガメ、ロンサム・ジョージが死んでしまったのです。ガラパゴス諸島には、かつて15種のゾウガメがいましたが、ジョージの死は、それを10種にまで減らしてしまいました。

毎日、世界中で固有種が絶滅していく中、ガラパゴス諸島ではそれを少しでも阻止するべく、上陸を許可している島では1日に入島できる人数を制限するなど、動植物の生態系を維持するために島や海を汚さない努力が日々行われています。また、難関な試験を突破して私たちを案内してくれている現地ガイドは、島の管理人としても一役買ってくれています。

2010年にはこれらの改善の努力が認められ、ようやく危機遺産リストからも除外されました。現在も、人間の起源をも明らかにした〝種〟を一つでも多く守るべく日々努力を続けている、自然と人間との共生の最前線のガラパゴス。ぜひ皆さんも実際に島を訪れて、大自然の偉大さと素晴らしさを肌で感じてみてください。

ありし日のロンサム・ジョージ(2012年1月撮影)
ありし日のロンサム・ジョージ(2012年1月撮影)

FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)

マングローブの森に囲まれて隠れ家的な様相も秘めたフィンチ・ベイ・ホテルは、サンタ・クルス島の南端にあって、プエルト・アヨラ町の桟橋から3分ほどボートに乗り、さらに5分ほど歩いたところにあります。車での乗り入れができない立地のため、ホテルは静けさと時折打ち寄せる波の音に包みこまれています。21部屋限定のため、サービスも行き届き、洗練された食事も私たちの期待を裏切りません。また、ガラパゴスの自然との共生を第一に運営されているので、ホテルの前の浜辺でのんびり日向ぼっこをするウミイグアナや食べこぼしたビュッフェのパンをついばむフィンチなど、多くの動物たちを間近に見ることができます。 ガラパゴス諸島観光で一般的なクルーズ船の滞在とは比較にならない、快適で優雅な滞在を満喫してください

FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)
FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)部屋の一例
FINCHI BAY ECO HOTEL (フィンチ・ベイ・ホテル)フロント
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