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インドネシア
世界遺産ボロブドゥールと天空の寺院を巡る

  • インドネシア

2023.04.12 update

インドネシアは言わずと知れた多民族国家で、複数の宗教が入り混じり独特の文化が形成されてきました。歴史、自然、文化とその魅力は多岐に渡りますが、その中でも世界遺産の仏教遺跡と、神秘的なパワースポットを中心とした弊社企画「天国の門ランプヤン寺院と世界遺産ボロブドゥール」の見どころをお届けします。

まずはジャワ島の遺跡群の見どころをご紹介。

 

プランバナン寺院

碑文によると建立は856年。マタラム王国のピカタン王によって造られたと言われ、マタラム王国の王家の先祖を祀る霊廟だったとも考えられています。ヒンドゥー教の寺院ですが、ピカタン王の妻は仏教国シャイレーンドラ王朝の王女だったため、蓮の花のモチーフなど仏教建築の影響も見られます。このことから9世紀当時、ヒンドゥー教と仏教は対立せず共存していたことが分かります。マタラム王国は10世紀頃には消滅してしまい、それ以降、忘れ去られたプランバナン寺院は火山灰に埋もれて風化してしまいました。その後、700年近くが過ぎた1733年(ボロブドゥール遺跡の発見の80年ほど前)にオランダ人の探検家によってこの遺跡群が発見され、敷地では現在も発掘、修復作業が進められています。境内は222㎡、6つの堂と234の小祠堂があり、さらにその外側に390㎡の外苑があります。中央で一番高いのが主堂のシヴァ聖堂で、その両脇にブラフマー聖堂とヴィシュヌ聖堂。三堂の前にはそれぞれ対面に各神々の乗り物となる守護神のお堂が配置されています。この神様と乗り物を対面で置く様式は南インドのマハーバリプラムの石窟寺院などからの伝播とも言われ、ヒンドゥー寺院の根幹となっていく様式となっていきました。

今だ修復作業が進むプランバナン寺院

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥールが建設されたのは8世紀後半~9世紀中ごろの約75年かけて。発見された碑文によればシャイレーンドラ王朝のダルマトゥンガ王(在位775以前~782)、サングラーマナンジャ王(在位782~812)、サマラトゥンガ王(在位812~832)の三代の王の時代です。目的は霊廟という説が有力ですが、単純に霊廟だけではなく、参拝者に精神的な救いを得られるようにも建設されていることがうかがえ、そのような意味合いをもつ建築物は他国でもあまり見られない特徴的なポイントです。ボロブドゥールは自然の丘に盛り土をし、その上に安山岩のブロックを積んで造られています。全体の高さは42m。最下層の一辺が120m。参拝者たちが参拝することで精神的な安らぎを得るには、仏の教えを授けることが最善と考えられる為、ボロブドゥール自体が仏教の宇宙観を示す、曼荼羅的な意味合いを持っていると言われます。(真上からみると、遺跡全体が曼荼羅の様相を成している)

 

ボロブドゥールは大きく「基壇」「方形壇」「円壇」の3段で形成されていますが、それぞれが仏教界である「欲界」「色界」「無色界」に相当しています。例えば最も下層にある欲界の壇には、嫉妬や噂話に翻弄される人々の不穏な表情が描かれており、そのレリーフの表情ひとつひとつが興味深いものになっています。また、お釈迦様の出生~涅槃までの一生や、お釈迦様の前世のお話(ジャータカといいます)を描いた壇もあり、その緻密さには圧倒されます。ボロブドゥール遺跡にお越しの際は、ぜひお釈迦様の一生を学んでからいらしてください。面白さが倍増します。

不穏な表情の欲界のレリーフ

仏伝図が描かれた回廊と仏坐像

世界最高級のコーヒー「コピ・ルアク」

ジャワ島で有名なのがコーヒー。複数の種類がありフレーバーも多様ですが、「世界一高価なコーヒー」といわれるコピ・ルアクの生産も盛んです。コピはインドネシア語でコーヒー、ルアクはマレージャコウネコのことで、コピ・ルアクはなんとコーヒー豆を食べたジャコウネコの排泄物から取るもの!ジャコウネコの腸内で豆が発酵されることにより独特のまろやかな風味が生み出されます。腸内酵素の働きでカフェイン含有量も減り、成分としても飲みやすくなるそうです。もちろんお店では、キレイに精製されたものを販売していますのでご安心を。日本の喫茶店で飲むと一杯2,000円近くかかることもあるコピ・ルアクですが、現地なら日本で買うよりもかなり安くお買い求めいただけます。

コーヒー豆を食べるジャコウネコ

続いて国内線でバリ島へ移動します。リゾート地としても世界中から人気のバリ島ですが、このツアーでは文化の街ウブドを中心とした寺院観光などをお楽しみいただきます。ウブトはガムラン音楽、バリ舞踊、バリ絵画など、芸術の村として有名です。地名の由来は薬草(現地語でウバド:Ubad)が訛ったもので、美しい水、空気とともに心身に栄養をもたらすというような意味合いを表すと言われています。

 

タマン・アユン寺院

17世紀、バリ島にはいくつもの王国があり、その中のムングウィ王国を守る鎮護寺として1637年に建立されました。「美しい庭」という意味を持ち「アユン」というのは歴代のムングウィ王が名乗った名前です。残念ながらムングウィ王国は、隣国との戦いに敗れ、国土は2つに分断、のちに消滅してしまいました。しかし、その後もムングウィ村の人たちはかつて栄えた王国を誇りにし、敗戦で荒廃したこの寺院も1937年に改修され、今も大切な憩いの場、祈りの場となっています。「バリ州の文化的景観」のひとつとして世界遺産にも指定されているこの寺院は、バリ島にある数多くの寺院の中でバリ・ヒンドゥー教の総本山・ブサキ寺院についで2番目に大きな寺院です。

神様が住むといわれる11重の塔(メル)

ランプヤン寺院

ランプは”光”、ヤンは”神様”、バリ・ヒンドゥー教の神「ヒャン・グニ・ジャヤ」を意味し、ランプヤン寺院はこの神の光やエネルギーが満ちている場所と考えられています。またその壮大な眺めから、天空の寺院という別名をもちます。セラヤの丘(ランプヤン山)にあり、建立された年代ははっきりわかりませんが(11世紀にはすでに存在していたとのこと)、バリ・ヒンドゥー教の9大寺院の1つで、実は7つの寺院から構成されています。信仰深い地元の人の中には、長時間かけてランプヤン山を登山して、その全ての寺院を巡礼する人もいます。最も有名なのが、アグン山を正面にして建てられた大きな割れ門。写真映えするので、インスタグラムなどが大好きな若者もこぞって写真を撮りにくるスポットです。割れ門は一般的に「良い考えだけを持って入り、悪いものは門の外へ出す」という意味が含まれていますが、ここでは「山を切り開いて神様の元に行く」という事も表しているそうです。

アグン山を正面にした天空の門

インスタ映えスポットとして人気上昇中

さらに、芸術の街ウブドでぜひ見ていただきたいものが、民族舞踊です。インドネシアには多数の舞踊があり、ウブドでは毎晩そこかしこで様々な演目が披露されています。今回のツアーではその中の「ケチャックダンス」を鑑賞しました。

腰布1枚で踊り歌う男性たち

ケチャックダンス

ケチャックダンスはモンキー・ダンスとも呼ばれる男声合唱劇(現在では女性の団体もあります)。松明の火を囲んで腰巻をつけた大勢の男性たちが輪になり、「チャッチャッ」と猿の鳴き声を元とした特徴的な掛け声を複雑なリズムで合唱します。原型はバリ島で古くから行われていた、神のお告げを聞くための降霊術のような儀式と言われており、トランス状態の人間が躍るための合唱だそうです。徐々に盛り上がり興奮状態になっていく合唱は、聞いている私たちをもその神秘的な世界に引き込みます。

ほとんどの演目では、このケチャックダンスはラーマーヤナの舞踏劇と共に披露され、ラーマーヤナの物語を民衆に広める役割も担いました。

ラーマーヤナ物語の舞踏

ご紹介したポイント以外にも、美味しくバラエティに富んだお食事や、連泊するこだわりのホテルなども当ツアーの魅力です。

ココナッツなどの葉を器にしたインドネシアプレート

パンダンという植物で色づけた緑色のお菓子はインドネシアでポピュラーなものです

リゾートでのんびり来るのももちろんいいのですが、ガイドさんのお話を聞きながら、遺跡や寺院をじっくり見学できるのはツアーならでは。様々な文化が入り混じる、歴史と神秘にあふれたジャワ島とバリ島にぜひお越しください。

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アルジェリア探訪 後編:ムザブの谷の生活

2023.03.22 update

旅といえば遺跡観光ばかりではなく、現地の人々の生活を知ることもその楽しみの一つです。

アルジェリアの中でも特徴的な暮らしが残るのがサハラ砂漠北部に位置するムザブの谷。観光ツアーの中で訪れる場所としてはもっとも南に位置します。北部の緑豊かな地域から、途中でデーツ屋さんや果物屋さんに立ち寄ったりしつつ丸一日かけ南下していきます。やがて緑が少なくなり、乾燥した大地がひろがるようになります。

ムサブの谷に住むのはイバード派の人々で、彼らは迫害から逃れこの地に流れ着き、11世紀頃に最初の村エル・アーティフを築きました。それ以降、今に至るまで伝統的な生活を守り続けています。

丘の上のモスク(中央やや左)を中心に街が作られます。

ムサブの谷の街はどこも丘の上に作られており、頂上のモスクを中心としてその周りに居住区、市場が回りに広がっていきます。平等性を重視する彼らは、どの家からもモスクが見えるように家々を作っているのだそうです。

遠目に見ると、街の家々の壁は素材そのままの茶色の他、薄い水色やグリーン、淡いピンクに塗られています。これらのパステルカラーは蠅や蚊などの虫が嫌う色として信じられているそうです。また、この町の建築様式は近代建築の父、ル・コルビジェにインスピレーションを与えた場所としても名を知られています。

街に入るにはその街の出身のガイドさんと一緒に入らなくてはなりません。入り口には「カメラ禁止」「女性のスカートやショートパンツ禁止」などの看板が。

左から「人物撮影禁止」「常にガイドと一緒に」「女性の肌が大きく見える服禁止」

街に入ると、いたるところに暑さ対策の工夫が見られます。例えば建物の壁はでこぼことして無数の影ができるようになっています。この影により壁の温度が下がり、室内でも快適に過ごせるようになるそうです。

また、路地が極端に狭いのも影を作り、日中でも外を歩けるようにするためです。

狭い路地での運搬にはロバが活躍します。

路地で所々見かけるフックは、昔ここに山羊の革袋に水を入れて下げ、気化熱で周囲の温度が下がるようにしていた残りだそうです。

道の両脇に並ぶ家々の扉は決して向かい合わせにはならず、互い違いになるような位置に設置されています。邪視、といって「他人から向けられた妬み嫉みなどの悪意ある眼差しが災いをもたらす」とする民間信仰があり、その邪視を避けるために容易に家の中が見えないよう、扉の位置が決められているのです。

影ができて日中でも歩きやすいつくりの路地。家の入口は互い違いになっています。

ムサブ族の人々は、地下水源を掘りあて、それを井戸でつなぐことで水資源を確保してきました。そんな大切な水を無駄にしないための工夫が街の中の井戸にも見られます。井戸のすぐそばにはナツメヤシの木が植えられ、こぼれてしまった水しぶきさえその成長に役立つようにされているのです。

住宅地の中にある井戸とヤシの木

栄養源にも、建築材にもなるナツメヤシの木は大切に育てられます。暑い時期には人々はナツメヤシ畑の中で涼むこともあるとか。日陰があり、またナツメヤシの他にも様々な植物がその木陰には育つのでとても快適なのだそうです。

厳しい自然の中で生きるために生み出された知恵は、どれも合理的で思わず納得してしまうものばかりです。何よりムサブの谷で今も伝統的な生活続けている人々の姿が印象的です。写真に撮れないのでその姿をご紹介することはできませんが、ぜひ、実際にその目でご覧になって頂きたいものでした。

アルジェリア探訪 前編:ティムガッド遺跡

  • アルジェリア

2023.02.20 update

北アフリカに位置するアルジェリア。地中海沿岸部には多くのローマ遺跡が、内陸部では伝統的なイスラームの生活を知ることができます。個人ではなかなか行きにくいこの国の魅力をご紹介します。

山々の間に突然現れるジェミラ遺跡

かつて「ローマの穀物庫」と呼ばれたアルジェリアには数多くのローマ遺跡が残ります。地中海とのコントラストが印象的なティパサ遺跡、「美しい」という意味の名を持つジェミラ遺跡、そして圧倒的な規模と保存状態の良さを誇るティムガッド遺跡。今回はこのティムガッド遺跡の魅力をご紹介致します。

 

ティムガッド遺跡

シアターの上からティムガッドを一望する

この遺跡はローマが最も拡大した紀元前1世紀、トラヤヌス帝の時に作られ、リビア出身のセプティミウス・セウェルス帝の頃に繁栄した都市でした。退役軍人の植民都市として拡大しましたが、8世紀ごろに起きた地震が原因で泥に埋もれています。長らく忘れ去られていた後、偶然にイギリス人の探検家がこの場所を見つけ、フランス植民地時代に本格的な発掘・復元が進められました。当初は遺跡のほとんどが4m程の高さまで埋もれていたそうで、それを発掘したとはなんとも気が遠くなる話です。

博物館の前に飾られている柱。この高さまで泥に埋もれていたそうです。

 

広場

ティムガッド市民が集った広場、フォーラムでは普段はそれぞれが思い思いに交流の時間を過ごしていました。世間話をしたり、おはじきのようなボードゲームに興じたり。階段の石畳には当時のラテン語で書かれた「落書き」が残ります。「狩りをし風呂にはいり戯れ遊ぶ。これこそが人生。」なんて羨ましい!なんて思ってしまいます。当時の人々が人生を謳歌している姿が目に浮かぶようです。

 
シアター(劇場)

更に先に進み、シアター(劇場)に到着します。約3500人を収容したという観客席の一番上まで登ると、ティムガッドの全景を一望することが出来ます。遠くに見える楕円形の建物は、今世紀に入ってから作られた劇場。実は以前はまさに遺跡そのものの上で夏に音楽祭が行われていたのですが、徐々に劣化や老朽化が進み、遺跡の保全のために新しく夏のコンサート用の劇場を作ったのだそうです。

シアター。半円の壁の片端で話すと、反対の片端まではっきりと伝わり壁電話ができます。

 

闘技場の後ろは空き地が広がるばかり。まだ発掘が進んでいないエリアです。予算の関係からあまり発掘は進まないそうで非常に残念に思われます。地面によく目を凝らすと、モザイクの欠片が所々に散らばっていました。

 

キャピトル(神殿)

シアター(劇場)の上から見えた、円柱の並ぶエリアはかつてキャピトル(神殿)だったところです。近づいてみると、前の道路には黒い石で「ここからが聖域」であることを示す線が引かれています。

通りから見たキャピトル

 

それをまたぎ奥へと進むと、ゴロンと柱頭が転がります。2m近い巨大なものです。円柱は数本のみ再建されていました。これほどまでに大きな柱頭を高さ約15mの柱の上に乗せたとは、当時の技術力の高さには圧倒されるばかりです。

身長約180センチのガイドさんと同じサイズの柱頭

 

市場
キャピトルを出て入口の方へ進むと市場だった地区に到着します。
小さな広場をぐるりと囲うようにお店のならんでいた市場。各商店のカウンターと看板がそのまま残り、まるでほんの少し前まで人々の往来があったかのようです。看板はそれぞれの商品が描かれた美しいレリーフとなっています。メロン、イチジク、葡萄酒、レモンなどなどが生き生きと掘り出されていました。

特徴的な形の葉はイチジクを表します。

 

葡萄の葉と実が描かれているのがわかります。モザイクでもよく見かけるモチーフです。

 

特徴的な楕円形はレモンです。

 

トラヤヌス帝の凱旋門

ティムガッドに残る多くの建造物の中でも、ひときわ目を引くのが遺跡の東に位置するトラヤヌス帝の凱旋門でしょう。高さは約12m。現在では細かな装飾は失われてしまっていますが、その威厳は色あせません。3つのアーチのうち、真ん中のものは車道。馬車が通りました。両脇の2つは歩道です。当時は門の両面に2神ずつの像が飾られ、また赤い大理石で華やかに飾られていとか。門の一番上には戦いの神アレスの像が飾られていたそうです。ティムガッドの都市全体を見守っていたのでしょう。

トラヤヌス帝の凱旋門

アフリカのポンペイとも呼ばれるティムガッド遺跡。他の場所では見ることのできない圧倒的な広さの遺跡が、当時の姿のまま残されています。

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アンデスの福の神 ”髭のおじさん” エケコ人形

  • ペルー
  • ボリビア

2023.01.05 update

皆さんは今年、初詣に行かれましたでしょうか?
昨年一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願されたことでしょう。
 
世界にもさまざまな祈りの儀式がありますが、その中で南米で信仰されているエケコ人形をご存知でしょうか?エケコ人形はボリビアやペルー、アンデス高地のアイマラ族やケチュア族の間で願い事を叶えてくれる「福の神」として大切にされている人形です。大きさは数センチから数十センチと様々ありますが、頭にはいつも「チューヨ」と呼ばれる毛糸の帽子をかぶっています。そして何よりの特徴がちょび髭のおじさんの姿なのです。

 

願掛けの方法はいたって簡単です。自分の欲しいと思う物のミニュチュアをエケコ人形に飾ります。ミニュチュアの種類はとても豊富で、目移りをしてしまいます。袋に入った穀類(米、麦、キヌアなど)、缶詰の食料品、ビール、現金(現地通貨よりドルやユーロの紙幣束が多く見られました)パソコン、テレビ、パソコン、冷蔵庫、洗濯機、ステレオなどの家電品車、バイク、パスポート、航空券、それに大学の卒業証明書も売られています。



エケコとは関係はないですが儀式に使う為のアルマジロも市場で売られていました。

 

エケコ人形にタバコを吸わせると願いが叶うと信じられています。エケコの起源は諸説有り、ティワナク文化の神事がインカ帝国に受け継がれたものだという説もあります。インカの神ビラコチャと同一のものだとする説もあります。願掛けでタバコを吸わせるのはアンデス地方で予言などの際にタバコの煙が必要とされていた儀式から来ているとされています。日本ではお守りを一年後に神社やお寺に奉納しますが、エケコ人形も同じ習慣があります。毎年1月24日に行われるアラシタ祭の際にエケコ人形を奉納し、市場で新しいエケコとミニュチュアを買い求めるのです。各地でお祭りは開催されますが、最大の市場はボリビアのラパスで開かれる市場です。
 
愛嬌のある顔でお土産物としても人気があるエケコ人形。持ち帰れば、ボリビア・ペルーの旅のよき思い出となることでしょう。

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イエス誕生の地・ベツレヘムの聖誕教会

  • イスラエル
  • パレスチナ

2022.12.23 update

今回はイスラエルのツアーで訪れるイエス誕生の地、ベツレヘムの「聖誕教会」をご紹介いたします。

 

ベツレヘムはエルサレムから南に10km、小高い丘の上にある町で、イエス・キリスト誕生の地とされています。町には聖誕教会をはじめ、キリスト教各派の教会が建ち並んでおり、クリスマスには世界中から巡礼の人々が集まってきます。
現在はパレスチナ自治区にあり、イスラエルとパレスチナの間には検問所が設けられています。

ベツレヘムの街並み

 

「聖誕教会」はコンスタンティヌス1世の時代に、イエス・キリストが生まれたとされていた洞穴の上に聖堂の建設が始められ、339年に完成しました。この聖堂は6世紀の火災で失われ、モザイクの床がわずかに現存するのみです。

ベツレヘムの聖誕教会外観

 

内部へ入ると、薄暗い空間に金属製のランプが数多く吊るされた祭壇があり、その脇から地下へ下ると洞窟があります。ここが、イエス・キリストが生まれた場所であるとされています。

イエスが生まれたとされる場所

 

小さな洞窟の中には、銀で星の形がはめ込まれた祭壇があります。これは東方三博士が新しいユダヤの王をひとめ拝もうと、星に導かれてベツレヘムにやってきたというその星をかたどったもので、「ここにてイエス・キリストは生まれたまえり」とラテン語で刻まれています。

 

聖誕教会に隣接している聖カテリーナ教会では、毎年12月24日クリスマスイブのミサのテレビ中継が行われます。教会前の中庭には聖書学者ヒエロニムスの像が立っています。
ヒエロニムスは生涯をラテン語の翻訳に投じた人物で、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳するためにこの教会の洞窟にこもっていました。彼はローマの婦人パウラの協力で翻訳を成し遂げました。パウラの死後、彼は彼女の骨をそばに置き作業を続けたといいます。中庭のヒエロニムスの像の足元には、パウラのしゃれこうべが置かれています。

ヒエロニムス像とマリア像

 

聖カテリーナ教会内部

 

「聖地エルサレム滞在」のツアーでは3つの宗教の聖地であるエルサレムの旧市街に5連泊し、じっくりとイスラエルの歴史やイエス・キリストゆかりの地を巡っていきます。
ぜひとも、異なる宗教が同時に存在する聖地エルサレムの独特な雰囲気をご体感ください。

 

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