秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

精霊の土地 マナスル 日本登頂隊の軌跡を辿る

  • ネパール

2013.08.01 update

シムシャール・パミール SIMSHAL PAMIR ~カラコルム“地図の空白地帯” にヤクとともに生きる~
サマ上部より望むマナスルとエメラルドグリーンの湖水を湛える氷河湖

マナスル

「精霊の土地」を意味する世界第8位峰マナスル(8,163m)。南に延びる稜線上にはピーク29 (7,871m)、ヒマール・チュリ(7,893m)の巨峰が並び、合わせてマナスル三山と呼ばれています。1956年の日本隊による初登頂の快挙のニュースや映画「マナスルに立つ」は、国民を熱狂させ、子供たちに大きな夢を与えました。この頃から日本での登山ブームが始まったと言えるでしょう。あれから57年、今回は当時の夢と希望を間近で感じていただく、初登頂隊の軌跡を辿るルートをご紹介いたします。

 

軌跡を歩き始める

 トレッキングの拠点は、かつては旧王朝の発祥の地ゴロカからでしたが、現在は車道が伸びておりオフロードの山道を通り、アルガート・バザールまで乗り入れることができます。標高は約500mと低く、バナナの木が生い茂る亜熱帯の景観の中、汗だくになりながらの歩き始めです。前方にはガネッシュ・ヒマールの展望。ガネッシュ・ヒマールB.C.へも同じルートとなります。約2週間の行程の内、序盤の5・6日はブリ・ガンダキ(川)の深いV字谷の中、河原と高巻きの道の繰り返しで、その間ヒマラヤの展望はほとんど無い我慢のルート。しかし、宿泊地となる道中の素朴な村と生活、子供たちの笑顔に癒されます。そして、ありがたいのはビールが買えること。高山病の心配が無い序盤の行程はキャンプ地到着後に飲む、川で冷やしたビールが暑さで疲れた体に浸み渡ります。これらの村にはロッジもありますが、エベレスト街道などと比べると簡素なものが多く、まだまだテント泊のトレッキングの方が快適です。

グルン族とチベット

先に進むにつれ徐々にカンニ(仏塔門)やチョルテン(仏塔)が増えてきてチベット仏教色が強くなってきます。道中出会うほとんどの人がネパールの山間部に住むグルン族を名乗りますが、チベット国境に近くなるにつれ明らかに彼らの顔や服装はチベット人のものに変わってきます。それは、彼らがかつてヒマラヤを越えてチベットからやってきたルーツがあり、ネパール人として生活するためにグルン族を名乗っているのだそうです。

マナスルの麓ローで出会った子どもたち。チベットとの繋がり
マナスルの麓ローで出会った子どもたち。
チベットとの繋がりを感じずにはいられない。
ローより望むマナスル。手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。
ローより望むマナスル。
手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。
氷河上を進みラルキャ・ラ(5,160m)を目指す。峠を越えるとマナスル西壁の展望地ビムタンに辿り着く。峠からはネムジュンなど7,000m峰が顔を出す。
氷河上を進みラルキャ・ラ(5,160m)を目指す。峠を越えるとマナスル西壁の展望地ビムタンに辿り着く。峠を越えるとネムジュンなどアンナプルナ山群の7,000m峰が顔を出す。
サマ上部より望むマナスルと氷河。
サマ上部より望むマナスルと氷河。
マナスル西壁から南西壁を眺めがら徐々に下っていく。ビムタンよりマナスル山群のパノラマ展望を背に、ティリジェ(2,300m)へと向かう。
マナスル西壁から南西壁を眺めがら徐々に下っていく。ビムタンよりマナスル山群のパノラマ展望を背に、ティリジェ(2,300m)へと向かう。
ローより望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃 え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。
ローより望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。

マナスルの展望地へ

いよいよヒマラヤの展望が開けるのはロー(3,180m)へと向かう日。ローに近づくにつれナイケ・ピーク、マナスル北峰(7,157m)、そして待望のマナスル(8,163m)が顔を出します。キャンプ地はローの集落を抜けた先のゴンパ近くがマナスル展望の抜群のロケーションです。朝日に焼けるマナスルは息を呑む美しさ・・・。

さらに先を進む

ローからサマ(3,520m)へは展望の良いホンサンホ・ゴンパに寄り道するルートが正解。サマからはマナスルのピーク部分しか見えないので、さらに上部に進むか、ゴンパに登りグルン族とチベットマナスルの展望地へさらに先を進むローより望むマナスル。手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。ローよりに望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。ローで出会った子どもたち。チベットとの繋がりを感じずにはいられない。氷河湖に行くのがベストビューポイントとなります。
サマを過ぎると一旦マナスルは見えなくなり、流域最奥の集落ソムドゥ(3,876m)で一泊し、ラルキャ・ラ越えのベースキャンプとなるダラムサラ(4,460m)へと向かいます。この道中では日本隊が初登頂したマナスル北東面を展望することができます。

ラルキャ・ラ越え

極寒のキャンプ地を早朝の暗い内に出発。ラルキャ氷河上の長い緩やかな登りを行き、このルート上の最高地点ラルキャ・ラ(5.135m)を越えてビムタン(3,590m)へ。ビムタンからの下りもマナスル西壁~南西壁を眺めながらの絶景ルートです。日本隊もこのルートを下山しました。
ルートはダラパニ(1,860m)にてアンナプルナ外周、トロンパス越えのルートに合流。マルシャンディ川沿いにジャガット(1,300m)まで下り、トレッキングは終了。ここから陸路でカトマンズへと戻ります。

マナスルの誘い

57年前、日本中を歓喜の渦に巻き込んだマナスル登頂の快挙。日本隊の軌跡を辿り、彼らも眺めた、姿を変えてゆく美しいマナスルの全容を、見に行きませんか。

Column – 登山史

日本山岳会52年の偵察の後、53年春の第1次隊は7,750m地点で敗退。54年の第2次隊は山麓住民の阻止に会い撤退。満を持した56年春の第3次隊、5月9日に遂に今西寿雄隊員とシェルパのギャルツェン・ノルブによって初登頂に成功。マナスルは日本人によって登られた最初の8,000m峰となりました。71年春には日本のマナスル西壁登攀隊が、バリエーション・ルートからの第2登に成功。第3登はラインホルト・メスナーによる南西壁からの単独行。74年春には日本女性マナスル登山隊が通常ルートより女性による8,000m峰初登頂に成功しました。

「クッチ」の荷造りの様子。女性が中心であるため、小さな子供も参加します。
日本隊の登頂ルートが分かるマナスル北東面

関連ツアーのご紹介

マナスル山群完全一周トレッキング

マナスルの好展望地サマからラルキャ・ラ越え。テント泊でマナスル山群を完全一周。日本登山隊初登頂の軌跡を辿る、浪漫あふれる山旅

遺跡を読む クメール遺跡が紡ぐ、悠久の物語

  • カンボジア

2013.08.01 update

802年、ジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世が聖なるクーレン山で転輪聖王として即位しました。現在のカンボジア・シェムリアップを中心に、タイ、ラオス、ベトナムにかけて強大な勢力を誇った、クメール王朝誕生の瞬間でした。やがて1431年にタイのアユタヤ朝によって王都・アンコールが陥落しクメール王朝は滅亡、インドシナは激動の歴史の流れに飲み込まれていきます。かつて600年以上に渡り繁栄を極めたクメール王朝の遺した壮麗な建築群も、次第に密林の中に埋もれて行きました。アンコールワットをはじめとするクメール遺跡群が、フランス人学者のアンリ・ムオの手によって広くヨーロッパ世界に知られるようになったのはわずか150年前のことです。一旦は歴史の流れに埋没しながらも、再び光を取り戻したクメールの遺跡達。長い時を経て、遺跡は私達に往時の栄華を語りかけます。密な彫刻の細部に迫り、大規模な石造建築に感嘆する。遺跡が紡ぐ物語を紐解きに旅へ出かけませんか。

密林に眠るクメール遺跡・ベンメリア(カンボジア)密林に眠るクメール遺跡・ベンメリア(カンボジア)

宗教と神々

  クメール王朝下では、ヒンドゥー教の神々と国家の構造は密接な関係にありました。「転輪聖王」の即位から始まったクメール王朝ではヒンドゥー教が国教とされ、ヒンドゥー教の思想の下に政治と宗教が密接に結びつき、神官としてバラモンが大きな権力を握っていました。その後、時代の変遷とともにヒンドゥー教と仏教の両方を受容する素地ができていったことは、「クメールの覇者」として王国最大の版図を誇った熱心な仏教徒・ジャヤヴァルマン7世などの仏教を篤く信仰していた諸王の存在、イサーン地方のピマーイ、アンコールトムのバイヨン寺院といった仏教とヒンドゥー教の混合寺院の存在からも明らかです。しかし、後の第23代目の王・ジャヤヴァルマン8世の治世に激しい廃仏運動が行われたこと、ジャヤヴァルマン7世の治世も依然として王宮内ではバラモンが勢力を誇っていたことからも、クメール王朝の宗教の主流はあくまでヒンドゥー教であったと考えられるでしょう。
また、クメール王朝以前より存在した「王の神格化」思想はヒンドゥー教の枠組みの中で王をシヴァ神、ヴィシュヌ神と同一視するという主潮をもたらすと同時に、王権の絶対的な集中を支えることとなりました。そのため、クメール王朝期にはシヴァ神、

ヴィシュヌ神を祀る寺院が数多く建立され、先述の二神のほかにもヒンドゥーの神々が寺院に彩りをそえるかのごとく、建築を飾っています。

アナンタの背で寝そべるヴィシュヌ(パノム・ルン)
混沌の海にたゆたう龍王アナンタの背の上で、ヴィシュヌが横たわっています。ヴィシュヌのへそから蓮華の花が生え、その中から創造神のブラフマーが、ブラフマーの額から破壊神であるシヴァが誕生したと言われる天地創造の神話です。このモチーフは広く好まれて用いられており、各所のまぐさ石や破風で、アナンタの背で眠るヴィシュヌの姿と出会うことができます。アナンタの背で寝そべるヴィシュヌ(パノム・ルン)

神話

クメール遺跡を読み解く上で、ヒンドゥー神話は先述の神々の個性を際立たせる非常に重要なファクターです。ヒンドゥー神話はその名の通りヒンドゥー教の神々の神話であり、その数は神々の数以上に膨大で多く、内容も複雑です。クメール遺跡では、ヒンドゥーの神々はただその姿としてだけではなく、神話の一幕の登場人物として描かれることが多くあります。数ある神話の中でも、ヒンドゥー教の天地創世神話で不老不死の薬「アムリタ」を作るために神々が大海をかき回す「乳海撹拌」や、コーサラ国のラーマ王子の活躍を描いた「ラーマーヤナ」を引用したレリーフは多くの遺跡で目にすることができます。クメール遺跡のまぐさ石や破風、寺院の回廊には、華やかな神話の世界が広がります。

シータを誘拐するラーヴァナ(バンテアイ・スレイ)
大叙事詩・ラーマーヤナの一説で、ラーマ王子の妃であるシータが、その美しさに魅せられた魔王ラーヴァナによって今まさにランカー島に連れ去られようという瞬間を描いています。この後、ラーマ王子軍とラーヴァナ率いる魔王軍の間で繰り広げられる戦闘へと続くこととなる非常に重要な場面です。シータを誘拐するラーヴァナ(バンテアイ・スレイ)
乳海撹拌(アンコールワット)
不老不死の薬「アムリタ」を生み出すべく、大亀・クールマの上ではヴィシュヌがマンダラ山の上で乳海撹拌の指揮を執っています。水中の魚が攪拌に巻き込まれ、粉々になってしまった様子まで細かく描かれています。乳海撹拌(アンコールワット)

歴史

  遺跡を彩るのは、神々の姿だけではありません。王都・アンコールトムの中心部に、クメール王朝の護国寺として、ジャヤヴァルマン7世によって建立された仏教寺院・バイヨンがあります。中央祠堂を囲むように配置された観世音菩薩の微笑みをたたえた四面仏塔が印象的ですが、注目すべきは第一回廊に広がる圧巻のレリーフ群です。この第一回廊には、クメール王朝と敵対関係にあったチャンパとの戦いの様子や、食事や商売の取引、ゲームに興じる人々など市井の暮らしを描いた親近感のあるレリーフが寺院の外周を彩ります。バイヨンのレリーフは往時の風土、文化を知る上での資料としても非常に重要な意味を持っています。

生贄の水牛(バイヨン)
ヒンドゥー教では牛は神聖な動物ですが、水牛は全く異なる「悪魔の化身」であると考えられています。そのために選ばれたのか、生贄として水牛が木に縛りつけられている様子が描かれています。また、水牛の血を飲むと力が漲るという呪術的な考え方もあったようです。生贄の水牛(バイヨン)
闘犬(バイヨン)
闘犬に興じる男たちの様子が描かれています。現在もカンボジアで見られる闘鶏と並び、闘犬も娯楽として広く親しまれていましたが、現代では消滅した文化です。闘犬(バイヨン)

にらみ合う両軍の兵士(バイヨン)
厳しい表情をしたクメール軍、チャンパ軍の兵士が睨み合っています。クメール兵が、チャンパ兵の背中に槍を突き立てていることから、戦況はクメール軍に有利な状況であることが推測できます。にらみ合う両軍の兵士(バイヨン)

チャンパとの戦いに向かうクメール軍(バイヨン)
チャンパとの戦いに向かうクメール軍の様子です。坊主で頭が大きく、がっちりとした体形の歩兵はクメール軍の兵士達。中心には立派な牙を持つ象の姿も描かれています。象は古くから物資の運搬や戦闘そのものに適していると戦いの場面で重宝されており、クメール軍においても例外ではありませんでした。
チャンパとの戦いに向かうクメール軍(バイヨン)

未だ残る謎に迫る

白象の伝説が残るタイ東北部の町・スリンから、カンボジア国境へ向けて南下すると密林に佇むタームアン遺跡群に到着します。施療院、宿駅の遺跡とあわせて残るタームアン・トムは、カンボジアとの国境上に残る、シヴァ神を祀る寺院です。遺跡内にはタイ、カンボジア両軍の兵士が対峙していますが、さほど国境最前線といった緊張感はなく、のどかな雰囲気が漂います。特筆すべきは、祠堂内に残されたまぐさ石。時の神・カーラとおぼしき彫刻が、彫刻途中の中途半端な状態で残されています。神殿の外部ではなく、内部の祠堂入口という神殿建築において大変重要な位置を占めるまぐさ石の彫刻が、途中の段階で残されているレリーフは大変珍しく、神殿建築を担っていた人々に一体何が起こったのか、見る者の想像を掻き立てます。
彫りかけのカーラ
彫りかけのカーラ

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ヨガの聖地 リシケシ ヨガ体験

  • インド

2013.08.01 update

ガンジス河のほとりにてガンジス河のほとりにて

混沌と静謐が混在する街 リシケシ

 リシケシは、1960年代にビートルズがこの地を訪れヨガの修行をしたことでも知られています。彼らは、ガンジス川のほとりにある小高い森の中にあるアシュラムに滞在し、1日5時間以上の瞑想をしながら多くの曲を生みました。食事が合わなかったリンゴ夫妻は2週間で、ポールは3週間で、ジョンとジョージは1ヶ月半でこの地を後にしたと言われています(諸説有)。
この町には、ガンジスの川辺に沿って多くのヒンドゥー寺院が点在しており、街中ではインド中からやってきたたくさんの巡礼者やサドゥーの姿が目立ちます。また、アシュラム(ヨガ道場)の数も多く、古くからヨガの修行者が集まる聖地となっています。神々の山・ヒマラヤの麓に位置し、上流にあたるこの地を流れるガンジスは下流と違い青く美しいことが特徴です。人々はこの美しいガンジスの水を求め、インド中から集まり、沐浴を行うのです。
また、清らかなガンジスの流れを中心に周囲を山に囲まれたこの地形は、何か大きな力が働く〝気の集まる所〟とされるのがアシュラムが多い所以とも言われています。確かに、低い標高ながらも、どこか清くすがすがしい空気がリシケシの町には流れています。
巡礼者がインド中から集まる街中の賑わいと朝日に照らされるガンジスのほとりに漂う夜明けの静寂。それは、インドらしい混沌とインドらしい神聖さを同時に持つ不思議な町といえるでしょう。

リシケシの街並み。聖なる動物である牛は街のいたるところで堂々と過ごしている。
リシケシの街並み。聖なる動物である牛は街のいたるところで堂々と過ごしている。
ガンジスのほとりで夕方のプージャに使う花を売る女性。
ガンジスのほとりで夕方のプージャに使う花を売る女性。

密林の学問 ヨガ

 日本では近年、ある種のヨガブームといえるかもしれません。様々な種類のヨガが気軽に始められるようになり、美容法や健康法の一つとして身近に感じられるようになりました。
インドで生まれたヨガの歴史は、紀元前3000年前、インダス文明の時代にまで遡ります。ウパニシャッド聖典の中に初めて「ヨーグ」という言葉が現われますが、それ以前のインダス文明の刻印にあるシヴァ神の座っている姿はヨガのポーズ(アーサナ)の一つである蓮華座と言われています。
ヨガとは、「ヨーグ」=「繋ぐ」という意味からきています。何と何を繋ぐかと言いますと、ブラフマン(宇宙の絶対的な真理)とアトマン(自我)を繋ぐものという意味です。ヨガは、宇宙の絶対的な真理を理解・体現しようとする方法として生まれた「哲学」、つまり「解脱への道」というのがヨガの本来の姿になります。
それが、時の流れのなかで密教的要素がかなり削除され、簡略化され世界に広まっていきました。そして、哲学を失い、形式的なものとなり、体操化したものが現代のヨガと言えるでしょう。しかし、いずれの時代・場所においても、ヨガが「自分を磨くための方法」ということには変わりありません。
難しげなヨガのお話ですが、リシケシという不思議な町で、インド人の生活、思想にふれ、ゆっくりと呼吸をし、その空気を感じていただくこと。これが、どんな難しい哲学の話をするより、一番だと感じています。

 

全室ガンジスビューのYOGA NIKETANのゲストハウスの客室。
全室ガンジスビューのYOGA NIKETANのゲストハウスの客室。
ヨガのプログラムが行われる道場。精神を集中させるレッスン中は撮影が禁止となっている。先生が前方に座り、分かり易い英語と共にお手本を見せながら進められる。ヨガマットがアシュラムで借りられる。
ヨガのプログラムが行われる道場。精神を集中させるレッスン中は撮影が禁止となっている。先生が前方に座り、分かり易い英語と共にお手本を見せながら進められる。ヨガマットがアシュラムで借りられる。

ヨガを知るためのキーワード

ヨガ Yoga
ヨガとは、インド古典六派哲学のひとつ。この世の全て、真理を理解・体現する方法として生まれた古代インド発祥の修行法です。ヨガは、何に重点を置くかによって“知識の追究”や“瞑想”、“真言唱和” など6~7種に分類されます。現在、一般的に知られている“ポーズをとる”ヨガはその中の「ハタヨガ」というものに属します。ハタヨガは訓練のヨガとも呼ばれ、悟りを拓く、瞑想をするために必要な「健全で調和をとれた肉体と精神を作る」ためのヨガです。このハタヨガは、ヨガの中で最も取り組み易いもので、8つのステップ(八階梯)を進むと自然と悟りの境地に辿り着くと考えます。その中の3番目のステップが皆さんご存知のポーズをとる行為“アーサナ”(日本語では座法と訳す)となります。
アーサナ Asana
アーサナ(ポーズ)は基本的に12のメインのポーズで構成されています。これらのヨガのポーズには前後、左右、ねじる方向、伸ばすと縮める、緊張と弛緩、バランスなど人間の全ての身体の筋肉、腱、靭帯、骨、内臓、リンパ、内分泌、ホルモンなどが鍛えられるようにできています。ヨガのポーズとストレッチなどのエクササイズの大きな違いは、ヨガは“動くこと” ではなく“静止すること” であるという点です。1つのポーズの状態で静止し、ゆっくりと自分の体に語りかけることが重要となります。そのために、必要なのは“呼吸”です。呼吸をコントロールするということは、身体のエネルギーをコントロールするということです。アーサナは必ず「吸って、吐いて」という呼吸と連動させることで、初めて意味をなすのです。ツアー中のレッスンでも「インヘール(吸って)、エクセール(吐いて)」という先生の合図に合わせてポーズを行っていきます。
アシュラム Ashram
アシュラムとは「精神的な修行をする場」という意味。ヨガを「人生そのもの」と捉えるインドでは、瞑想やアーサナを練習することだけではなく、朝起きてから眠るまで、寝ている間でさえも学びの場と考えます。アシュラムに滞在することはこのヨガの教えに基づいた生活を送ることです。

ヨガニケタン ヨガニケタン

アシュラムでの1日 YOGA NIKETAN

※全てのプログラムは自由参加です。
AM PM
AM 4:30 モーニングノック
部屋に電話がないアシュラムでは、モーニングノックが目覚ましがわり。まだ暗いうちに1日が始まります。AM 5:30 朝の瞑想(1時間)
ゲストハウスから道場エリアにある瞑想ホールへ。真っ暗な部屋で蓮華座を組み、ただただ精神を研ぎ澄ませます。誰にも邪魔されない静寂の時間です。AM 6:30 ヨガレッスン(1時間)
瞑想後のすがすがしい気持 ちで朝のレッスンが始まり ます。静かで気持ちのいい道場で、呼吸を意識しながら全身を少しづつ動かしていきます。
※レッスンは、前に座る先生の動 きに合せて一緒にポーズを取り ます。先生は分かり易い英語で話しますが、見よう見まねで問題なし。時折、先生が傍まで来てポーズを直してくれます。

AM8:00 朝食
レッスン後、鐘が鳴るとご飯の合い図。給仕のおじちゃんが順番に食事を盛ってくれます。食後は自分で食器を洗うのも、アシュラムのお約束。

その後自由行動。

 

PM 0:00 昼食

その後、自由行動

PM 3:00 ヨガ講義
(※不定期の開催です。)

PM 4:00 チャイタイム
インドならでは、ミルクたっぷりのチャイでホッと一息。ほかの滞在者の方との交流も楽しみのひとつです。

PM 4:45 ヨガレッスン(1時間)
朝とは違う先生が教えてくれます。

PM 6:15 夕の瞑想(1時間)
こちらも朝とは違う先生がマントラを唱えます。

PM 8:00 夕食
食後は朝と同じように食器を洗って、1日が終了です。守衛さんにおやすみを言ってお部屋に戻ります。
※道場エリアとゲストハウスの入口にはそれぞれ守衛さんによってしっかり管理されており、セキュリティも安心です。

関連ツアーのご紹介

リシケシでのヨガ体験6日間 年末年始特別企画

ANA利用。6日間のコンパクトな日程で計4回の瞑想とヨガを体験。ガンジスのほとりで特別な一年の始まりを過ごす。デリーでは自由行動の時間を設定。オプショナルツアーもご用意しています。

『草原の椅子』最後の桃源郷フンザロケ

  • パキスタン

2013.03.01 update

草原の椅子 最後の桃源郷フンザロケ バルティスタンの砂漠地帯にてバルティスタンの砂漠地帯にて

世界初・北部パキスタンでの長期映画ロケ

 フンザを舞台にした宮本輝氏の小説「草原の椅子」。この小説をきっかけにフンザに行かれた方、いつか行きたいと思っている方も少なくないのではないでしょうか。長らく「映像化は難しい」と言われてきたこの小説が映画化され、2月23日(土)から全国の映画館で放映されています。西遊旅行は2012年夏に行われたパキスタンロケの手配を担当いたしました。今回は、ロケが成功するまでの現地でのエピソードや北部パキスタンの魅力、映画撮影に携わった地元の人々の活躍についてご紹介いたします。

映画の舞台・バルティスタンとフンザ

1997年12月から1年間、毎日新聞朝刊で連載された小説「草原の椅子」。小説の舞台は中国西部のタクラマカン砂漠とフンザでしたが、映画ではタクラマカン砂漠のかわりに北部パキスタンのバルティスタンにある砂漠地帯で撮影が行われました。
バルティスタンはパキスタン北東部に位置し、中国のアクサイチンやインドのカシミールと接する地域で、チベット系のバルティ族やワハーン回廊からやってきたワヒ族などの人々が暮らしています。この地域の年間降水量は約150mm極端に低く、ところどころに高冷地砂漠(colddessert)ができています。周囲を世界第2位の高峰K2(8,611m)を始めとする8,000m峰、7,000m峰に囲まれているため、空気中の水分が山とぶつかり雪として降ってしまい、内側には乾燥した風しか入ってくることができないのです。美しい砂丘の背後に雪を抱いたカラコルムの山々が聳え、独特の不思議な雰囲気を醸し出す砂漠地帯。撮影はスカルドゥの町近くとシガール渓谷への途中の2ヶ所の砂丘で行われました。
もうひとつの映画の舞台であるフンザはかつてはミール(藩王)の治める藩王国で、旅人から「最後の秘境」「桃源郷」と呼ばれ親しまれてきました。フンザに住む人々はブルシャスキー語という独自の言葉を話し、白い肌に高い鼻、中には青い目をした人もいます。その起源は未だはっきりしておらず、アレキサンダー大王の遠征軍の末裔という説もあるほどです。フンザはイスラム教の中でも穏健なイスマイリ派が信仰されており、女性たちが外で働く姿も印象的です。日本人登山家長谷川恒男氏が愛した谷でもあり、氏の遺志を継いだ「ハセガワ・メモリアル・スクール」も建てられています。深い谷間にあるにもかかわらずフンザの識字率はパキスタン国内で最も高く、子どもたちの多くは英語を話すことができます。

最後の桃源郷フンザの谷
最後の桃源郷フンザの谷

フンザの人々の活躍

美しい自然に囲まれたフンザは「長寿の里」としても有名で、昔は100歳をこえるお年寄りもたくさんいました。物語の重要な登場人物のひとりに、人の瞳の中に星を見ることができるフンザの老人がいます。この老人を、実際にフンザに暮らす101歳のダドゥおじいさんが演じることになりました。おじいさんが出演するシーンは、フンザから川を隔てた谷にあるナガールで行われました。ナガールはフンザから四輪駆動車で30分の距離ですが、19世紀までフンザとは敵対する別の藩王国でした。フンザのお年寄りの中にはブルシャスキー語しかわからない方や、自分の生まれ育った村から一度も出たことがない方もたくさんいます。ダドゥおじいさんもその一人で、はじめナガールでの撮影になかなか協力してくれませんでした。しかし、子どもの頃からおじいさんを知るフンザ出身の日本語通訳ガイド・サリームの熱心な説得により、最終的に映画出演に了承してくれたのです。撮影中は、監督が日本語で演技を説明し、それをサリームがブルシャスキー語に訳しておじいさんに伝えました。
もうひとつの重要な登場人物(動物)が、おじいさんとともに登場するヤギの群れです。ヤギは、草を求めて冬は低地、夏は高地の牧草地に移動します。撮影の行われた8月、ヤギたちはフンザよりも標高の高い放牧地で過ごしていました。そのため、ヤギの持ち主に事情を話し、撮影のために3日かけて山から下りてきてもらいました。本番では、ヤギたちもおじいさんとともに上手に演技をしてくれました。
撮影時間に間に合うようにおじいさんやヤギに撮影場所へ来てもらうことや、台本通りの動きをしてもらうことは想像以上に困難なことでした。しかし、サリームなどフンザ出身の日本語通訳ガイドの頑張りや地元の人々の協力のおかげで、なんとか撮影を終えることができました。高峰に囲まれたナガールで、ヤギの群れを連れたダドゥおじいさんと主人公の遠間が話をするシーンは、映画の中で最も美しく印象的なシーンとして描かれています。サリーム自身も「日本語ガイド役」として映画に出演しました。

ダドゥおじいさんとヤギたち
ダドゥおじいさんとヤギたち
サリーム(右)と貴志子役の吉瀬美智子さん
サリーム(右)と貴志子役の吉瀬美智子さん
バルチット城下での撮影風景
バルチット城下での撮影風景

困難を乗り越えて

 パキスタンでの撮影は順調に行く事ばかりではありませんでしたが、中でも「移動」と「天候」に関しては予定通りにいかないことが多々ありました。最初に撮影が行われたスカルドゥへは国内線で約1時間半の距離ですが、出発当日、雨によりフライトがキャンセルになりました。そのため、数十人のスタッフ、何百キロもの機材とともに計800km陸路移動することになりました。カラコルム・ハイウェイと標高4,100mのバブサル峠を越え、インダス川沿いの絶壁の道を進みます。崖崩れにより車を停めて道路が整備されるのを待つ場面がありましたが、2日間約30時間かけてなんとかスカルドゥに到着することができました。
イスラマバードでは道路が水に浸かるほどの雨でしたがスカルドゥでは晴れ、砂漠での撮影日は気温が40度を超えました。砂漠の中心まで四輪駆動車に分乗し、砂漠に足跡がつくたびにさらに奥へと移動します。炎天下の中、皆ふらふらになりながら撮影しました。
フンザの北部にあるカラコルム山脈の好展望地、ドゥイカルの丘の撮影では、厚い雲が山々を覆い、天候が回復するのを何時間も待つこともありました。電力の確保も大きな問題でした。北部パキスタンでは電力の供給が不安定なため、各地から発電機を運び、撮影に臨みました。

パキスタンの人々の願い

2001年のアメリカ同時多発テロによる治安悪化、2005年に起こったマグニチュード7・6の大地震、2010年に起こった水害など、ここ10年以上の人災、天災によりパキスタンの旅行業は大きなダメージを受けてきました。しかし、かつて「最後の秘境」「桃源郷」と謳われ、多くの旅行者で賑わった村や谷、美しい山々は今も昔のままの姿でそこにあります。
パキスタンの人々は、映画がきっかけとなり「フンザ」や「バルティスタン」に興味を持った日本からの旅人で、北部パキスタンが再び賑わう日を願っています。

関連ツアーのご紹介

最後の桃源郷フンザとバルティスタン

緑溢れる季節に訪れる北部パキスタン。万年雪を抱き白く輝く山と緑眩しいフンザの谷。この季節ならではの美しい景観を楽しむ11日間の特別企画。

クンジュラブ峠越え パミール大横断 11日間

パキスタンから中国へ。「もうひとつのシルクロード」を行く。ガンダーラ都市遺跡タキシラ、インダス川沿いのカラコルム・ハイウェイを走り、パミール高原を越え、かつての交易都市カシュガルを目指す。

クンジュラブ峠越え パミール大横断 9日間

憧れのカラコルム・ハイウェイ、パミール高原を9日間で走破!桃源郷フンザ、パミール高原、カラクリ湖、そしてカシュガルへ。 ガンダーラを代表するタキシラ遺跡も訪問。

ナンガパルバット展望ハイキングと桃源郷フンザ滞在

ナンガパルバットの展望地フェアリー・メドウに2連泊、桃源郷フンザに3連泊しパキスタンが誇るヒマラヤとカラコルムの絶景を満喫。長寿の里として知られるフンザの食もお楽しみいただきます。

パトゥンダストレッキングと桃源郷フンザ

知られざる2つの絶景地・パトゥンダスとウルタル・メドゥへ。桃源郷フンザを取り巻く名峰群を望む。360度フンザの名峰群に囲まれる・パトゥンダスとウルタル・メドゥを訪問。

地獄の門と奇跡の大地
~カラ・クム砂漠が生んだ2つの絶景を訪ねて~

  • トルクメニスタン

2013.03.01 update

今シーズン新たに発表した「地獄の門と奇跡の大地」。トルクメニスタンのカラ・クム砂漠の絶景を訪ねる新コースの視察へ、昨年12月に行って参りました。 今回は、その時の写真を交えツアーのご紹介をさせていただきます。

カラ・クム砂漠の荒野に突如としして空く穴。昼夜を問わず40年以上も炎を上げ続けるこのクレーターは、その異様な光景から「地獄の門」と呼ばれる。カラ・クム砂漠の荒野に突如としして空く穴。
昼夜を問わず40年以上も炎を上げ続けるこのクレーターは、その異様な光景から「地獄の門」と呼ばれる。

かつての海の底 ヤンギ・カラの大地へ

首都アシュハバード到着時の気温は5度。しかも飛行機の到着が5時間も遅れる程の濃霧でした。大陸性気候のため、冬はマイナスにもなる過酷な地、今回の視察はこの時期にあたりましたが、ツアーの設定は春から秋にしています。アシュハバードから四輪駆動車で走ること5時間、トルクメニスタン西部の町・バルカナバードに到着しました。まずはこのツアーのハイライトの

ひとつ、ヤンギ・カラへ向かうためにこの町で一泊しました。
翌朝、幹線道路からオフロードに入り、ヤンギ・カラの絶景地帯へ。カスピ海東岸に広がるこの地のことは日本で調べていましたが、トルクメニスタンの北に位置しカザフスタンに広がるウスチュルト台地と同じような風景と思っていました。ヤンギ・カラもウスチュルト台地もかつては海の底だった所で、大地の隆起の後に、風雨の浸食によって奇岩広がる絶景地帯へと変わったのです。石灰質の大地なので白を基調としたテーブルマウンテンが広がる風景は同じなのですが、ヤンギ・カラは地層にヨウ素を大量に含んでいます。そのため、このヨウ素が生み出すピンク色と石灰質の白色が不思議な模様を織りなした絶景が広がっていたのです。
ヤンギ・カラに近づくにつれ、遠くにだんだんと大きなテーブルマウンテンが見えてきました。幹線道路からはこのテーブルマウンテンを下から見上げるように走り、その後標高を少し上げた所からオフロードへ、台地の上に上がっていきました。台地の上からは、果てしなく奇岩が連なる広大な景色を見ることができます。ツアーではこの台地の上に滞在する時間を多く取り、絶景の中でテント泊をすることができるよう考えました。その後、カスピ海沿岸の町・トルクメナバードへ。近年、トルクメニスタンのリゾート地となり、郊外には大きなホテルがたくさん建設されていましたが、庶民が集うバザールでは、カスピ海で採れたチョウザメがたくさん並んでいました。
大地が隆起したあと、風と雨による浸食によって削られた大地が
大地が隆起したあと、風と雨による浸食によって削られた大地が不思議な模様を生み出す(ヤンギ・カラ)
石灰質の白とヨウ素を含むピンクの地層
石灰質の白とヨウ素を含むピンクの地層
チョウザメが並ぶトルクメナバードの市場
チョウザメが並ぶトルクメナバードの市場
台地の上から果てしない光景を望む
台地の上から果てしない光景を望む

驚愕のクレーター群

視察はその後、ウズベキスタンとの国境に近いタシャウズへと向かい、いよいよ「地獄の門」へと向かいます。タシャウズは、なんと気温マイナス20度。あまりの寒さで4WDのエンジンがかからず出発が遅れましたが、幹線道路を走ること4時間、いよいよクレーター群に到着です。ダルワザという地名は、その名も「門」。ここには、40年程前に天然ガスの採掘作業中に空いた大きなクレーターが3つ残っています。最初に、底に地下水が湧き出た「水のクレーター」、泥がたまった「泥のクレーター」を見学。どちらも地下から吹き出すガスによって、泡がブクと湧きあがっています。その後、メインの「火のクレーター」へ。オフロードを走ること30分あまり、とうとう念願の「地獄の門」に到着。車を降りて近づくと、まずは火の燃える轟音に驚きました。横60メートル、縦50メートルのだ円系のクレーターの内部ではものすごい勢いで火が燃えており、熱によって生まれた陽炎に覆われていました。夢中でクレーターの回りを何周も歩いて写真を撮っているうち、だんだんと陽が落ちてあたりが暗くなってきました。真っ暗な闇が辺りを覆う頃、漆黒の中に燃え続けるクレーターの迫力は、言葉では表現できない程です。まずは、皆様も現地へ行って実際に体感していただきたいです。

日中も燃え盛る「地獄の門」
日中も燃え盛る「地獄の門」
荒野に突如として空くクレーター
荒野に突如として空くクレーター
水のクレーター
水のクレーター

伝統を守る遊牧民

翌日は、アシュハバードへ向かう途中で砂漠の中に佇む小さな村・ダムラ村に向かいました。なんと、朝から雪が降り出し、「黒い砂漠」を意味するカラ・クム砂漠が真っ白な雪化粧に包まれていきました。村では、雪の中を歩くラクダの群れに出迎えられ、一件の民家を訪問。この村は、ソビエト時代に建てられた住宅のほか伝統的なユルタも常設しており、村の人々は両方の建物を使って暮らしていました。村の広場にはナンを焼く釜戸「タンドール」があり、村の人が共同で使ってナンを焼く風景を見ることができました。ここではバザールで買った米を持参し、民家でプロフを作っていただきました。豊富な天然ガスにより近年どんどんと近代化が進むトルクメニスタンですが、羊の毛で作った帽子・カルパックを被り、伝統的な暮らしを続ける人々の生活にふれることができました。今回の視察は冬場になったので、村も一面の雪景色でしたが、皆様がツアーで訪れる頃は、放牧の動物もたくさん見られることと思います。  極寒と強風の中の視察でしたが、古代遺跡だけではないトルクメニスタンの別の魅力を知ることができました。トルクメニスタンのヤンギ・カラの絶景、燃 え続ける「地獄の門」、そして伝統的な暮らしを守る砂漠の民が、皆様をお待ちしています。

砂漠が雪景色に、ダムラ村で出会ったラクダの群れ
砂漠が雪景色に、ダムラ村で出会ったラクダの群れ
村に常設されているユルタ
村に常設されているユルタ
山頂を目指す
伝統的なユルタの暮らしを続ける村の家族
タンドール窯でナンを焼く様子
タンドール窯でナンを焼く様子

関連ツアーのご紹介

地獄の門と奇跡の大地 12日間

カラ・クム砂漠に燃えるガス・クレーター地獄の門と、奇岩広がるヤンギ・カラの大地を巡る。トルクメニスタンの2つの絶景と、遊牧民の暮らしを訪ねる旅。地獄の門のガス・クレーターと絶景のヤンギ・カラにてキャンプ。

地獄の門と奇跡の大地 9日間

トルクメニスタンの2つの絶景と、遊牧民の暮らしを訪ねる9日間。カラ・クム砂漠に燃えるガス・クレーター地獄の門と、奇岩広がるヤンギ・カラの大地を巡る。地獄の門のガス・クレーターと絶景のヤンギ・カラにてキャンプ。

カラカルパクスタンとトルクメニスタン

歴史遺産の宝庫・トルクメニスタンと知られざるホラズム王国の都。トルクメニスタンのすべての世界遺産を巡り、中央アジアの歴史を紐解く古代遺跡探訪の旅。

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