秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

モンゴル最果ての花園を求めて
アルタイ山脈トレッキングと大氷河展望

  • モンゴル

2014.04.01 update

モンゴル最西端に位置するアルタイ山脈は全長約600kmで、ロシアの西シベリア、モンゴル、中国にまたがっています。アルタイ山脈のタバンボグド山群最高峰・フィティン峰(4,374m)は全長約20kmのポターニン氷河を抱くモンゴルの最高峰でもあります。 ここでは、ウランバートルから6泊7日での周遊トレッキングの様子をルートに沿ってご紹介いたします。

リンジャニ山の全景を望みつつ草原帯から登山開始タバン・ボグド山群とポターニン氷河

トレッキング1日目
ウランバートル(1,351m) → ウルギー(2,000m) → ソゴ川沿いのキャンプ(2,300m)

1日目は首都ウランバートルからウルギーへ向かいます。ウルギーの空港は未舗装の滑走路と小さな空港施設のみで、辺りは草原。西の最果てに来たことを実感させてくれます。 カザフ族が多く住むバヤンウルギー県の中心地ウルギーからロシア製のヴァンに乗り、大草原を車で走りソゴ川沿いのキャンプ地へ向かいました。


  • 車で川を渡ります

  • 大草原の中を走ります

トレッキング2日目ソゴ川沿いのキャンプ(2,300m) → ホー・エレグ(2,600m)

トレッキングの拠点となるホー・エレグへヴァンで向かいます。 道中、鷹を使った伝統的狩猟方法を継ぐカザフ族の鷹匠のゲルを訪問しました。 鷹匠は冬になると鷹を使い、うさぎや鳥類など、小動物を狩りします。狩りをするのはアグレッシブな雌のみで6歳になると自然界へ返されるといいます。伝統的文化の一旦を垣間見て、先を進みます。 ホー・エレグはタバンボグド国立公園内にあり整備されたキャンプ地です。近くに小川が流れ、草原の上にテントを張るため快適に休むことができます。


  • カザフ族の鷹匠

  • ホー・エレグのキャンプ地

トレッキング3日目ホー・エレグ(2,600m) →フィティン峰・ベースキャンプ(3,300m)

いよいよトレッキング開始です。本日の標高差は約700mです。ホー・エレグを出発して、しばらく歩くと広大な渓谷が広がります。そこから小川を渡り、尾根をゆるやかに登りますが、歩きやすく花々を観察しながらのんびりと歩きました。湖のほとりで昼食後、いよいよ最終目的地のフィティン峰・ベースキャンプへ到着です。 目の前にはポターニン氷河が流れこみ、モンゴル最高峰フィティン峰(4,374m)、イーグルピーク、マルティン峰(4,015m)など、タバンボグド山群の迫力ある山容が広がります。


  • オロスサラニー渓谷

  • 荷物を運ぶラクダ

  • 花を観察しながら歩きます

  • タバンボクド山群

  • シオガマ

  • 色とりどりのポピー

  • 満開のキンポウゲ

  • ゴマノハグサ

  • サクラソウ

トレッキング4日目 フィティン峰・ベースキャンプ(3,300m)滞在

終日、ベースキャンプを拠点に周辺を散策します。午前中はロシア国境までのハイキング。マルティン峰の麓からロシア方面へ3時間程歩くと、なにもない尾根上にポツンと1つの記念碑が現れます。そう、ここがモンゴルとロシアの国境です。ここから一番近いロシアの村までは30km離れているそうです。 午後からはサイドモレーンを横断し、ポターニン氷河へ。『5つの聖山』意味するタバンボグド山群を仰ぎ見ながら真っ白な氷上を歩きました。約20kmある白銀の氷河は、毎年約5mも縮小を続けているそうです。


  • ポターニン氷河とイーグルピーク

  • モンゴル最高峰フィティン峰

  • ロシア国境

  • ベースキャンプ周辺を散策

  • サイドモレーンを下る

  • 氷河を散策

  • ポターニン氷河

トレッキング5日目
フィティン峰・ベースキャンプ → ツァガーン渓谷(2,400m) → シベート・ハイルハン峰(2,500m)

ホワイトリバー川沿いにツァガーン渓谷へ向かいます。湿地帯を抜け、満開に咲いた花畑を通りながら、白濁したツァガーン・ゴル(ツァガーンは「白い」、ゴルは「川」を意味)沿いのキャンプ地を目指しました。 翌日は遊牧民のゲルを訪問し、スーティ・ツァイ(モンゴリアンティー)やアルヒ(モンゴルウォッカ)などを御馳走になりました。その後、トゥバ族の聖なる山、シベート・ハイルハンへ。この周辺には2,000年前に描かれたと言われる岩絵が点在します。狩りの様子や動物など沢山の岩絵を見る事ができました。 シベート・ハイルハン山麓で1泊し、ここからは一気にウルギーまで戻り6泊7日の山旅は終了です。


  • ツァガーン渓谷

  • ゲルを訪問

  • ウルップ草科の花

  • 満開のアズマキク

  • 色とりどりの花々

  • 2000年前の岩絵

  • 道中で出会った遊牧民の子供達

雄大なモンゴルの大自然の中を歩けば、この期間だけに咲く野生の花々の観察や、ポターニン氷河、フィティン峰をはじめとするタバンボグド山群の大展望をお楽しみいただけ、またカザフ族の鷹匠や遊牧民のゲル訪問など、モンゴルならではの伝統文化にふれことができます。 モンゴルの夏は短く、この地域に訪れることができるのは約1ヶ月間のみです。

アルタイ山脈、氷河と花園を求めて大自然紀行へ一緒にでかけませんか?

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失われた空中都市を目指す 古代インカ道トレッキングの旅

  • ペルー

2014.04.01 update

インカ帝国時代に築き上げられた道路網・インカ道。全長は約4万キロ、北はコロンビア共和国第3の都市カリから南はチリ共和国の首都サンティアゴ周辺まで帝国のほぼ全域に通じています。その中でも、かつてのインカ帝国の首都クスコ郊外から謎の空中都市マチュピチュ遺跡へと続く3泊4日のルートは、自然だけでなく歴史も体感できるトレッキングルートとして最も人気があります。 2014年4月、このインカ道トレッキングに同行させていただきました。

500年前と同じ方法でインカ時代の古道、約46kmを歩く
500年前と同じ方法でインカ時代の古道、約42kmを歩く

リマ~クスコ~ウルバンバ渓谷

航空機にてかつてのインカ帝国の都クスコへ向かいます。天気が良ければ、アンデスの山々やインカの聖山のひとつ、アウサンガテ峰(6,384m)が望めます。

クスコ(3,350m)到着後、まずはコリカンチャ(太陽の神殿)に向かいます。現在サント・ドミンゴ教会と修道院になっているこの場所はインカ時代には神殿がありました。コリとは黄金、カンチャとは部屋、あるいは囲まれた所を意味しており、黄金の太陽の神を祀ったインカ帝国最高峰の神殿でした。しかし16世紀、この地を征服したスペイン人達によって神殿は破壊され、神殿にあった黄金は全てスペインに持ち去らました。この時ヨーロッパではあまりにも大量の金が流れ込み、インフレーションが起こったと記録されています。いったいどれくらいの黄金があったのでしょうか。

その後、頑丈な土台だけ残して上部にチュリゲレス様式の教会が建設されます。クスコに大地震があった際、教会の建物は崩れ落ちましたが、土台の石組はひずみひとつ起こさなかったといわれています。

その後、歩いてアルマス広場に向かい、インカ王の12人の一族を象徴していると言われる12角の石を見学しウルバンバ渓谷(2,800m)のホテルへ向かいます。到着後、インカ道トレッキングの説明会です。トレッキングガイドが、行程や装備などを詳しく説明してくれました。この日からウルバンバ渓谷のホテルに2連泊です。トレッキング前にしっかり高度順応を行います。

  • 台形の窓がぴったりと並ぶコリカンチャの精緻な石組み台形の窓がぴったりと並ぶコリカンチャの精緻な石組み
  • サント・ドミンゴ教会サント・ドミンゴ教会
  • 壁は耐震構造で10度傾斜壁は耐震構造で10度傾斜
  • 太陽の神殿の土台が残る太陽の神殿の土台が残る
  • 12角の石12角の石

ウルバンバ渓谷滞在

終日ウルバンバ渓谷に滞在します。モライ遺跡はケチュア語で『へこんだ円形』という意味です。大小合わせて4つの遺跡があり、最大なものは直径約100m、深さは120mあり、最下層の土壌温度が最も低く、上に向かう程上昇し、最上層との温度差は10℃程あります。インカの人々は微小気候を利用し、自然のくぼ地に段々畑をつくり農業試験を行っていたと考えられています。

  • 円形闘技場に似たモライ円形闘技場に似たモライ
  • 大小4つの遺跡が残る大小4つの遺跡が残る
  • 12角の石水路

その後、マラスの塩田に向かいます。プレ・インカ時代から続くマラスの塩田には、渓谷の斜面に約4,000の棚田が存在します。渓谷から湧く温水には塩分が含まれており、天日干しにすることにより塩を収穫していました。インカ時代には代々インカ皇帝へ塩が献上されていたといわれています。

  • 約四千の塩田約四千の塩田
  • 天日干しにより塩を収穫天日干しにより塩を収穫
  • 塩を採取する様子塩を採取する様子

ウルバンバに戻り昼食をすませ、オジャンタイタンボへ向かいます。「オジャンタイタンボ」は、要塞跡ともインカ時代の旅籠(休憩所)ともいわれており、これを建築した第9代皇帝パチャクティに仕えていたオジャンタイ将軍の名に由来します。タンボとはインカ道にあった休憩所を意味し、かつてクスコとマチュピチュを行き来する人々が利用しました。

正面の山には斜面に張り付いたように建てられた食料庫があり、冠を被った神の姿を表すと言われる岩があります。この岩の顔の位置に太陽の光が差し込むと冬至になります。インカの人々は歴を決めるのに太陽を利用していましたが、オジャンタイタンボの村は、なんとこの山を中心に日時計になっているのです。

また、オジャンタイタンボには6枚の巨石を並べた建物があります。6枚つないだ石の重さは180~240トンあるといわれ、太陽の神殿の造りかけといわれていますが、はっきりとしたことは解っていません。遺跡は未完成のままなのです。

  • オジャンタイタンボオジャンタイタンボ
  • 顔の上に太陽が来ると冬至岩顔の上に太陽が来ると冬至
  • 斜面には段々畑がつづく斜面には段々畑がつづく
  • 山の斜面に造られた遺跡山の斜面に造られた遺跡
  • 未完成のオジャンタイタンボ遺跡
    未完成のオジャンタイタンボ遺跡

オジャンタイタンボを後にし、ピサックに向かいます。山の斜面に沿ってカーブを描く美しい段々畑の遺跡です。
ピサック遺跡はマチュピチュと同じく第9代皇帝パチャクティの時代に別荘として建設されたといわれています。ここには水、大地、太陽の神殿、神官の館、インティワタナ(日時計)、王の居住区などがあり、マチュピチュによく似ています。月の神殿の前にはマチュピチュの3つの窓の神殿の前の石とそっくりな石があります。 十字架を半分にしたような石で、夏至になると同じ大きさの影ができ、インカの世界観である『チャカナ(南十字星)』が現れます。マチュピチュに優るとも劣らないすばらしい遺跡です。

  • 美しい段々畑が広がるピサック遺跡美しい段々畑が広がるピサック遺跡
  • 居住区居住区
  • 美しい石組の門美しい石組の門
  • 神殿エリア(太陽の神殿など)神殿エリア(太陽の神殿など)
  • 王の居住区王の居住区
  • 遺跡には水路が残る遺跡には水路が残る

インカ道トレッキング1日目
ピスカクーチョ(2,600m) → ワィジャバンバ(3,100m) 12km 約5.5時間

トレッキングのスタートはピスカクーチョ村の82km駅。82kmとはクスコからの距離を示します。ここから約42kmを歩いてマチュピチュを目指します。まずは乾燥した半砂漠地帯を進んでいくと、サボテンや身の丈程の竜舌蘭(万年蘭)が見られます。半砂漠地帯で乾燥していても、周りを見渡せば雪を頂く5,000m~6,000m級のアンデスの山々や霊峰の一つベロニカ峰(5,682m)が展望でき、ウルバンバ川の対岸にはベロニカ峰の雪溶け水を水源とするインカカナート(水路)が35km先まで伸びています。

 

出発して2時間程進むと、ウルバンバ川の対岸にカァナバンバというインカの遺跡が見えます。この遺跡は関所であり旅籠(休憩所)でもありました。対岸にもインカトレイルがあり遺跡が点在します。しばらく進むと、崖下のウルバンバ川沿いに、ヤクタパタ遺跡が見えてきます。ケチュア語で『高い町』を意味するこの遺跡は城塞都市でした。段々畑が広がり、最上部が住居、下段部に食物用倉庫や神殿があり、インカの世界観を表す地下世界を結ぶ神の「ヘビ」をデザインした曲線が目を引きます。インカの9代目の王であるパチャクティはここで亡くなったといわれています。

谷沿いを歩き、ワイジャバンバの村に向かいました。このキャンプ地はインカ道トレッキング上の唯一の村で、人口は200人程で、小さなお店もあります。快適なキャンプ地で初日のトレッキングの疲れを癒していただきました。

  • インカ道スタート地点・82km駅インカ道スタート地点・82km駅
  • ベロニカ峰(5,682m)ベロニカ峰(5,682m)
  • ウルバンバ川を渡りトレッキング開始ウルバンバ川を渡りトレッキング開始
  • 対岸に見えるサラプンク遺跡対岸に見えるサラプンク遺跡
  • カァナバンバ遺跡カァナバンバ遺跡
  • ヤクタパタ遺跡ヤクタパタ遺跡

インカ道トレッキング2日目
ワィジャバンバ(3,100m)→ パカイマヨ(3,600m)11km 約8.5時間

この日はルート上最大の難所、標高4,234mのワルミワニュスカ峠を越えて進みます。峠の途中から登ってきた道を振りかえると、谷底深くに川が見え、あそこから歩いてきたのかと、少し驚きます。峠を登りきると、湿気を含んだ風が吹きあげ、霧になりこの辺りを包みます。ワルミワニュスカは峠が横たわった女性に見える為、ケチュア語で『死んだ女性』と呼ばれ、峠の反対側からその姿を確認できます。またここから、オリジナルのインカの石畳みが始まります。急な石段を慎重に下り、インカ時代の段々畑の連なるパカイマヨまで下りました。

  • ワルミワニュスカ峠を目指すワルミワニュスカ峠を目指す
  • オリジナルの石畳が始まるオリジナルの石畳が始まる
  • 古代インカの石畳古代インカの石畳
  • 横たわる女性横たわる女性
  • パカイマヨに到着パカイマヨに到着

インカ道トレッキング3日目
パカイマヨ(3,600m)→ プユパタマルカ(3,770m)8km 約7時間

パカイマヨを出発し、急登を登っていくと、再びベロニカ峰が姿を現します。斜面の中腹に半月の姿が美しいインカ時代の遺跡「ルンクラカイ」遺跡が姿を現します。この遺跡は、ケチュア語でルントゥ(卵)ラカイ(建物)と呼ばれていたことからこの名前がつきました。遺跡は関所であり、旅籠だった場所です。ここへ向かう旅人や『チャスキ』の宿場や食料や物資の貯蔵庫としての役割も果たしました。

インカ道は情報伝達網としてインカ帝国の統治システムに於いて重要な役割を持っていました。その情報を運んでいたのが、『チャスキ』と呼ばれる飛脚です。インカ道を走り、3kmごとのリレー形式で、皇帝の伝令を各地に伝えていました。ルンクラカイ遺跡は、その交通を監視、管理する役目も果たしたといいます。このような旅籠は各地にありましたが、どこも食料を蓄えていたため、食料を持ち歩かず旅が続けられたといわれています。 ここからしばらく登ると二つ目の難所ルンクラカイ峠(3,975m)です。天気が良ければここからアンデスの山々が望めます。

  • 再び現れたベロニカ峰(5,682m)再び現れたベロニカ峰(5,682m)
  • ルンクラカイ遺跡ルンクラカイ遺跡
  • 貯蔵庫貯蔵庫

峠を下っていくと、稜線上に遺跡が現れます。サヤクマルカというこの遺跡はケチュア語で『入場困難な村』を意味します。 サヤクマルカは城塞都市であり、天体観測の聖地ともいわれています。この遺跡の中央の大きな岩には『インカクロス』が彫られています。3つの階段が左右に掘られたもので、夏至になると同じ大きさの影ができ、インカの世界観である『チャカナ(南十字星)』が現れます。しかし、風化しており現在ははっきりと確認することはできません。

遺跡内には30人程の人が住んでいたと言われますが、神官を中心に年齢の高い人々が多く住んでいたと考えられ、廊下、階段には手すりが付けられています。また、この遺跡は3,600mの尾根上に位置しますが、水道があります。約500年前に造られ稜線上にあるにもかかわらず、さらに高いところから延々と水路を引いてきたのです。当時の測量の技術レベルをうかがえる貴重な遺跡です。

  • 稜線上に現れたサヤクマルカ稜線上に現れたサヤクマルカ
  • 遺跡までは急な石段を登る遺跡までは急な石段を登る
  • 500年前の手すりインカクロスが刻まれた岩
  • インカクロスが刻まれた岩500年前の手すり
  • ここに木の樋を掛けていたここに木の樋を掛けていた
  • 高地から引いてきた水路高地から引いてきた水路

サヤクマルカから下ると、コンチャマルカという遺跡があり、インカ時代のチェックポイント(関所)だといわれています。チャキコチャで昼食を食べ、インカトンネルを越えると、最後の峠越えです。プユパス(3,665m)を越えると最後のキャンプ地プユパタマルカに到着です。

  • コンチャマルカ遺跡コンチャマルカ遺跡
  • インカトンネルインカトンネル

プユパタマルカは標高約3,770mの稜線上にあり、眼下にはウルバンバ川とアグアス・カリエンテスの村。正面にはマチュピチュ山(3,051m)、わずかに頭だけ見えているのが、ワイナピチュ峰(2,690m)、プユパタマルカ遺跡とインティパタ遺跡も展望することができます。振り返るとビルカバンバ山群最高峰サルカンタイ(6,271m)、インカの霊峰プーマシージョ(5,950m)、北にはベロニカ(5,862m)が展墓できる素晴らしいキャンプ地です。

  • サルカンタイ(6,271m)サルカンタイ(6,271m)
  • プーマシージョ(5,950m)プーマシージョ(5,950m)

 

インカ道トレッキング4日目
プユパタマルカ(3,770m)→ マチュピチュ(2,390mm)11km 約7時間

本日はインカ道トレッキングの終点、マチュピチュを目指します。 キャンプ地から100m程、急な石段を下ると、昨夜のキャンプ地からも見える、プユパタマルカ遺跡に到着です。ケチュア語で『雲の上の村』を意味する由来はアマゾンの湿った風の影響で雲海がかかりやすい為といわれています。 左右対称のピラミッド状の建築群が美しい、この遺跡は山、水、風などの神を祀る神殿といわれており、最上部に半円形の祭壇があります。更に驚いた事に遺跡内には水道が残っています。サヤクマルカ遺跡と同様に高地から水路を引いてきたのです。昨晩、我々が飲んだ水はここからくみ上げています。約500年前のインカの人々が使った水場が現在でも使用されている事には驚きました。

  • プユパタマルカ遺跡
    プユパタマルカ遺跡
  • インカの泉
    インカの泉

その後、ジャングルの中の石段を下り、インティパタ遺跡へ。ケチュア語で『日のあたる場所』を意味するこの遺跡は約500年間ジャングルの中で眠り続け、2001年に発見されました。段々畑の跡が残り、マチュピチュ農耕の中心だったといわれており、遺跡の一番下には収穫を祝う祭壇が設けられています。

  • インティパタ遺跡 インティパタ遺跡
  • 収穫を祝う祭壇収穫を祝う祭壇

続いて、ウィニャイワイナ遺跡へ。ケチュア語で『永遠の若さ』を意味するこの遺跡は今でも、美しい景観を保ち、インカトレイル上で最も保存状態の良い遺跡といわれています。マチュピチュへ向かう人々はここで体を清めたとされています。

  • ウィニャイワイナ遺跡ウィニャイワイナ遺跡
  • 美しい段々畑美しい段々畑
  • 谷底まで続く遺跡谷底まで続く遺跡

ウィニャイワイナを後にし、マチュピチュ山の斜面をトラバースしながら、アップダウンを繰り返します。到着前に急な登りの階段があり、登りきるマチュピチュの表玄関インティプンク(太陽の門)に到着です。ここからはマチュピチュが一望でき絶景が広がります。インカ道からは遺跡の存在が確認できず、インティプンクに到着して初めて姿を見せるマチュピチュに感動し、『空中都市』とよばれる称される意味を改めて感じることができました。

  • 道中から見えるチュケススイ遺跡道中から見えるチュケススイ遺跡
  • インティプンク(太陽の門) 
    インティプンク(太陽の門)

インカ帝国時代の遺跡の多くは山の中にあり、歩かなければ訪れる事ができません。約500年前のインカの人々と同じ道を3泊4日かけて、このインカ道をご自身の足で歩くことにより、関所や神殿などの各遺跡が実感として理解でき、インカ文明をより身近に感じることができます。自然のみを楽しむトレッキングとはまた異なり、歩いて街道に残された遺跡を訪ね、歴史を体感するトレッキングへ一緒にでかけてみませんか。

インカ道のゴール・マチュピチュに到着!インカ道のゴール・マチュピチュ到着!

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2014.03.01 update

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断崖に張り付くカラヒアの石棺
断崖に張り付くカラヒアの石棺

 

神秘に満ちた断崖絶壁の石棺 カラヒアの石棺遺跡

チャチャポヤスの町から山の谷間を48キロほど走ると、カラヒアの石棺を訪問する拠点となる村クルスパタに到着します。村には、「事務所」と呼ばれるチケット売り場があり、ここで入場券を購入。のどかな畑の合間の山道、最後は急な谷間への下りを歩くこと45分、カラヒアの石棺を見上げるポイントへ到着しました。石棺は、私たちの立っている道から25m真上の崖の中腹にあり、どうやって設置したのか、とても不思議な場所にあります。

現在、石棺は6体。そのうちの2体には頭部に頭蓋骨が置かれています。以前は7~8体あったといわれていますが、崩れて無くなっています。これらの石棺は紀元後800~1470年頃まで続いたチャチャポヤス文化の中の1000~1300年頃に作られたとされ、一部の研究でデータでは1150年という具体的な年代もでているようです。

カラヒアの石棺遺跡
装飾の細部を見るには望遠レンズか双眼鏡が便利。頭の上には頭蓋骨が載っているものもあります。チャチャポヤスの石棺にはいくつかの種類がありますが、カラヒアのものは軽くて丈夫なマゲイ(リュウゼツラン)の花茎で骨組みを作り、草と粘土を混ぜ合わせた土で表面を塗り固めたもの。高さは2〜2.5mで、表面には彩色が施されています。石棺は死者を模したものと言われていますが、その身体の模様は鳥の羽をイメージしているのではないかとも言われています。
カラヒアの石棺遺跡
初期の調査時には保存状態は今より良かったそうです。現在は風化・崩落の危機に。
頭部と空洞の胴部からなる石棺も作られましたす。死後、一度遺体を土に埋めて骨化した後に集め、布や動物の皮などで包み、これを石棺の胴部において、副葬品とともに泥土で固め埋葬されていたそうです。

雲上の人々が暮らしたチャチャポヤス都 ケラップ遺跡(Kuelap)

標高3,000mの山奥、稜線の上に築かれたチャチャポヤス最大の遺跡がケラップ。スペイン語の表現からすると「ケラップ要塞」と訳されますが、実際にはこの建物は戦いで使われたわけではなく、多くの住居群、神殿が見つかっている都市遺跡です。チャチャポヤス文化はプレ・インカ文明の一つであり、まだ謎に包まれた部分が多く存在しますが、チャチャポヤスとはケチュア語で「雲霧の森に住む人々」という意味だと言われています。9世紀頃から栄え、1470年頃にはインカ帝国の支配と文化的な影響を受け、その後すぐにスペインの支配下に入り消滅しました。

遺跡は南北585m、東西110m、城壁の高さ17m。入り口は東側に2カ所、西側に1カ所あり、非常に狭い通路を通って中に入ります。城壁内にはチャチャポヤスの特徴となる円形の住居跡が420ケ所も確認されています。中には。ひし形などのデザインがある住居も6カ所ほど残っています。

遺跡内部は一年中雲に覆われることから、プロメリアやシダ、ランが木に着生し独特の植物相に覆われた遺跡の姿を見ることができます。チャチャポヤス文化の中で、政治、宗教の中心であったと考えられるケラップ遺跡。遺跡と雲霧林の自然美しい魅力的な都市遺跡です。

北門の入口
北門の入口
長い山道を走り、ケラップ遺跡を目指します。遺跡は精巧な石積みがされた城壁に囲まれており、内部に入るのにまずこのような門をくぐります。
テンプロ・マヨール
テンプロ・マヨール
南端にあるテンプロ・マヨール(主神殿)は高さ5m、直径13.5mの円錐形建物で、その中心には深い穴があり人や動物の骨、植物の種子、祭礼用の陶器などが。発見されています。
美しい石積みが残るケラップ遺跡の城壁
美しい石積みが残るケラップ遺跡の城壁
各所に残る円形の住居跡
各所に残る円形の住居跡
美しいひし形のデザインが 施された住居
美しいひし形のデザインが施された住居
蹄の跡
蹄の跡
ケラップ遺跡の往時にはリャマを運搬用に使っており、遺跡の通路となる階段にはリャマの蹄ですりへった石の跡も残されています。ケラップの城塞内には水場が無く、リャマが水や食料など運んでいたそうです

すり鉢とクイの囲い
すり鉢とクイの囲い
住居の中には生活を感じさせるすり鉢や石が残されていました。

そして、この石の通路なんと「クイ」(テンジクネズミ)を飼っていたというのです。チャチャポヤスの人もクイが好物だったようです。

北部ペルーに残るチャチャポヤス文明の遺産たち
レバッシュの空中墳墓(Revash)&コンドル湖のミイラが眠る(Leymebamba)

チャチャポヤス文化の遺 跡の中でもアクセスが難しいことから訪れる人も少な いレバッシュの墳墓。レバ ッシュは石灰岩の断崖に作 られた埋葬用の建物です。 この遺跡自体は19世紀にはその存在が知られていましたが、1940年代に入って正式に調査 され、カーボン分析の結果、紀元後1250年ごろのものとされています。また、レイメバンバの博物館には、近郊のコンドル湖の湖畔から見つかった200体以上ものミイラが収めらています。どのミイラも一様に、膝を抱え、肘を曲げており、手首や肘のあたりを縄で縛られた形で発見されました。これらの多くはチャチャポヤスより以降、インカ時代のものであり、その文化の融合が興味深い珍しい遺跡と言えます。チャチャポヤス期のミイラも発見されており、独自の特殊な処理が施された姿もこの博物館で見学することができます。

レイメバンバ博物館のミイラ
レイメバンバ博物館のミイラ

断崖に作られたレバッシュの空中墳墓
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2014.03.01 update

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東アフリカ島嶼部・外来文化と土着文化の融合「スワヒリ文化」


ザンジバル島の市場にて

スワヒリとはアラビア語で「海岸」を意味するサーヒルに由来します。ソマリア南部からモザンビーク北部に 至るベルト状の海岸地域で、約2000kmの範囲を指します。ここでは古くからインド洋を舞台にアラビアや ペルシャ、インドとの交易が、行われてきました。規則的に風向きを変えるモンスーンと海流を利用し、冬季 の11月から2月には北東モンスーンに合わせて西アジア地域から香辛料や乳香が、夏季の4月から9月には 南西モンスーンに合わせてスワヒリ地域から象牙や奴隷、金が帆船(ダウ船)によって運ばれてきました。 人種的にはコイサン系狩猟民とエチオピアから南下したクシ系牧畜民が生活していたところへ、5世紀頃大陸 内部からバントゥー系農耕民が入り、さらに彼らとアラブ人、ペルシャ人商人との通婚で混血化が進み、現在 のスワヒリ人が生まれたと考えられています。このような現地社会と外来の商人との関わりの中でスワヒリ語 に代表される独自の文化が育まれ、12世紀以降スワヒリ文化として開花しました。その後、西欧や東イスラ ム圏、中国における象牙や金の需要の高騰によってスワヒリ地域の交易も刺激を受け、スワヒリ人自身も商業 のために海へ乗り出すようになりました。

黄金の港湾都市・盛衰の歴史「キルワ・キシワニ」

タンザニアの最大都市ダルエスサラームから南へ300kmの洋上にキルワ・キシワニ島はあります。伝説では750年に現在のイラン・シラーズ出身のハッサンという王が兄弟7人でアフリカ東海岸へ七艘のダウ船でやってきて、それぞれキスマユ(ソマリア南部)、モンバサ、ラム(ともにケニア)、マフィア、ザンジバル、キルワ(いずれもタンザニア)、ソファラ(モザンビーク)の海岸に流れ着き、このスワヒリの各都市で強大な王国を築きました。キルワは6番目の王子によってその基礎が築かれたと言われています。12世紀末に現在のジンバブエに繁栄していたモノモタパ王国の産金地帯とソファラを結ぶ交易路を支配し重要な交易都市として発展しました。14世紀には東アフリカ最大の都市として全盛期を迎え、アラブ人の大旅行家イブンバットゥータも1331年に訪れ、「世界で一番美しい整然とした町の一つ。町全体のつくりが上品である」とその旅行記の中で伝えています。 しかし、1500年に来航したポルトガルによってキルワの状況は一変します。ポルトガルの朝貢国となることを拒否したため、ソファラとの金交易の道を遮断されたあと略奪、破壊を受け、徐々に衰退して行きました。1569年に訪れたイエズス会の神父によると「かつては町に人々があふれ繁栄していたが今は貧しく権力も失われてしまった。王というよりは族長と呼ぶ方が似合っている」とその変わり様を伝えています。その後、住民も本土へと移り住み、キルワ・キシワニは荒廃していきました。現在は、木々に埋もれるようにして当時の栄華を伝える遺跡が島に残っています。

  • キルワ・キシワニの金曜モスク跡
  • ソンゴ・ムナラに残る遺跡
  • ポルトガル要塞

アラブの伝統を色濃く残す旧市街ストーンタウンが残る
ザンジバルとマスカットオマーン

ポルトガルの後にスワヒリ地域にやってきたのはマスカットオマーンです。インド洋仏領諸島でサトウキビプランテーション経営が始まり、また西アフリカで奴隷交易の取り締まりが厳しくなるなかで、喜望峰を越えて東アフリカまで来るようになった奴隷交易の拡大・需要を受け、18世紀のスルタン、サイイド・ザイードは1840年にその拠点を本国からザンジバル島に移します。奴隷交易が廃止された後もオマーン人商人によってクローブ(丁子)が導入され、現在まで続く重要な外貨獲得源となりました。ザイードが珊瑚石の壁で建設したストーンタウンの街並みは現在ユネスコの世界遺産として登録され、オマーン人による支配時代の宮殿跡やイギリス統治時代の教会などが残ります。


  • オマーンの影響が残る扉

  • ザンジバルの旧市街

【キルワでの滞在】マングローブ林に眠る宮殿跡

キルワの滞在中は、キルワ・キシワニ島とソンゴ・ムナラ島の二つをボートで巡ります。なかでも、キルワ・キシワニ島には、ポルトガル要塞からさらにマングローブ林の狭い水路を進むと、外洋まで見渡せる位置に宮殿跡が残っています。フスニクブワ(大きな城の意)宮殿跡は14世紀のスルタン・スレイマンによって建てられたもので、当時訪れたイブン・バットゥータもここでスルタンに謁見したといわれます。宮殿中庭のプールはマムルーク朝エジプトで流行していたもの、円錐形のドームはイランやアナトリア地方、テント型のドームはセルジューク朝時代の北イラクやトルコ、ペルシャの影響がみられるもので、インド洋交易がもたらしたキルワの栄華を見てとることができます。 ソンゴ・ムナラ島の遺跡にはスルタンの暮らした宮殿とモスク跡が残っています。現在は押し寄せる波やマングローブの気根、バオバブの密林に侵食されほとんどが廃墟と化してしまっていますが、モスクにはメッカの方角を示す精緻なミフラブ(聖龕)があり、スワヒリに定着したイスラム教徒の敬虔な信仰を今に伝えています。修復活動、研究が続けられていますが未だに多くに謎に包まれています。

  • マングローブ林をボートで進む
  • ソンゴ・ムナラのモスク跡
  • キルワ・キシワニの宮殿跡

【ザンジバルでの滞在】旧市街の散策や美しい海辺の魅力

滞在中は旧市街のストーンタウンに連泊。史跡以外にもこの地に生まれたイギリスのロックヴォーカリスト・フレディマーキュリーの家や、元奴隷市場があった広場に建つカテドラル、奴隷が幽閉されていた場所、またザンビアのタンガニーカ湖畔で息を引き取った著名な探検家リビングストンゆかりの十字架など、ザンジバルの歴史を彩る数々の名所をじっくりと見学します。このほか、ザンジバル名産のスパイスや新鮮な魚介類を売る活気ある市場の散策をお楽しみいただきます。ザンジバル島東海岸のパジェのビーチにも連泊し、新鮮なシーフード料理やインド洋を望む快適なホテルでのゆったりとした時間をお楽しみください。ご希望の方はスパイス農園やドルフィンスイムにもオプションでご案内することができます。


  • 美しいインド洋

  • ザンジバルの旧市街

関連ツアーのご紹介

キルワの史跡群とザンジバルの休日

東アフリカ地域で名を馳せた黄金の港湾都市・キルワ島、石造りの街並みのストーンタウンと美しいビーチを誇るザンジバル島。3都市で連泊、ザンジバルでは世界遺産ストーンタウン内のホテルに宿泊。

花の桃源郷フンザを歩く

  • パキスタン

2014.03.01 update

カラコルムの懐深くにある「最後の秘境」、「桃源郷」と謳われるフンザ。
雪山に抱かれた早春の桃源郷には、杏やアーモンドや桃の花が咲きほこり長い冬が終わると、春には畑仕事が始まり人々の喜びに満ちた季節が始まります。そんな年に一度、桃色に染まるフンザの里山を毎日歩き、カラコルムの峰々の展望とフンザの人々とのふれあい、他にも、フンザの郷土料理やフンザの伝統舞踊などを通じてフンザの奥深さを感じていただきました。

桃色に染まるフンザの里山桃色に染まるフンザの里山

春のフンザ

フンザは「桃源郷」と謳われ、「長寿の里」として知られています。いつ訪れても素晴らしいフンザですが、春の杏、アーモンドの花や秋の紅・黄葉は有名で、四季折々の美しさがあります。その中でも春のフンザはまさに花の桃源郷という言葉がぴったりのシーズンです。

花咲く桃源郷フンザを歩く

フンザの名峰群と杏の花々
フンザの名峰群と杏の花々

カラコルムハイウェイを北上し、フンザに近づいてくると、白とピンクの世界が広がってきます。今回は、贅沢にも中心地カリマバードに4泊、山の展望が美しいドゥイカル村で1泊しカリマバードや近くの村々をのんびり散策します。カリマバードからは、お花だけではなく、ラカポシ(7,788m)をはじめ、ウルタルⅠ、Ⅱ(7,388m)、ディラン(7,257m)、シスパーレ(7,611m)、フンザピーク、レディーフィンガーなどといった高峰群が聳え、ピンクの花と白い山のコントラストがとても美しいです。
カリマバードの村や郊外をハイキングし、花や山のベストポイントで写真撮影を楽しんだりしているとフンザの人々と自然に会話が始まり、気づいたらいつも素敵な笑顔に囲まれていました。他にも、カリマバードから約2時間行ったところにあるホーパル氷河で、皆さん初めての氷河ハイキングに挑戦されていました。日中歩くため、アイゼンやピッケルも必要なく、氷河の冷たい風から身を守るため、しっかりとした防寒と、トレッキングシューズのみで楽しめます。また、好展望地のドゥイカルへのハイキングでは、違った角度からフンザの村や、山の展望を望みます。もちろん、ドゥイカルでは山の展望が自慢のホテルに宿泊し、そこからは、夕日、朝日に輝く高峰群を心ゆくまでご堪能できる贅沢なロケーションでした。

  • ホーパル氷河ハイキング
    ホーパル氷河ハイキング
  • ドゥイカルへの道から眺めるバルチット城
    ドゥイカルへの道から眺めるバルチット城

長寿の里フンザ

今回の滞在では、お花見、観光、ハイキングのみでなく、お食事も大変充実していました。実は、フンザは、エクアドルのビルカバンバ、ロシアのコーカサス地方と並び、「世界三大長寿の里」と言われていて地元で取れる、果実、小麦、乳製品を使った素朴なフンザの郷土料理は私たち日本人でも美味しく安心して食べられる味でした。また、天気の良い日のお昼には、アンズの木の下で絨毯を敷き、ピクニックランチを楽しみ至福のひと時を過ごしました。

  • フンザ風ミートパイ・チャプシュロ
    フンザ風ミートパイ・チャプシュロ
  • 手打ちうどん・ダウド
    手打ちうどん・ダウド

何度も訪れているフンザですが、5日間滞在することで普段の旅行とは違った一面が見えてきます。毎年3月下旬から4月中旬にアンズやアーモンドや桃の花が咲き、最も美しい季節を迎えます。次のお花見は少し気分を変えて、花の桃源郷フンザで楽んでみてはいかがでしょうか。

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花の桃源郷フンザを歩く

〈ハイキングコース〉杏の里に5泊滞在、雪山に抱かれた桃源郷を「歩いて」体感!!年に一度桃色に染まるフンザの谷のお花見とハイキングを楽しむ滞在型プラン。

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