秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

キルギス パミール・アライに暮らすキルギス族

  • キルギス

2015.01.01 update

キルギス族の移動式住居ユルト

キルギス族の移動式住居ユルト

トランス・アライ山脈の麓
「パミール・アライ」の村サリタシュ

キルギスは中央アジア5カ国の中で最も面積がせまい国ですが、私たちにとっては広大な山岳地帯と草原を持つ大自然の豊かな国です。7つの州があり、このサリタシュ村はオシュ県の最南部・タジキスタン国境に位置します。通常のキルギス観光ルートから離れるため訪れる人は少なく観光地としては発達していないため、宿泊も「民家ゲストハウス」。キルギス族の家族が出迎えてくれます。

標高3,000mほどの草原には豊かな放牧地が広がり、そこに住居とユルト(移動式住居、キルギス語でボズ・ウィ)をたて馬やヤク、ウシを飼い暮らしてます。この「パミール・アライ」に暮らす自分たちこそ「キルギスの中のキルギス」と自称するほど、今でも馬などの家畜とともに暮らす生活が保たれています。
本来、キルギス族は一年中ユルトでの生活を行ってきましたが、ソビエト時代に行われたコルホーズ・ソフホーズ主導の牧畜の管理の結果、村に定住するようになり伝統的なユルトは夏の間だけ利用される放牧用の住居になってしまいました。サリタシュ付近では6月半ばから9月初めの短い夏の間、草原に放牧用のユルトが建てられます。

キルギスのユルト(ボズ・ウィ)は「灰色の家」という意味で、この「灰色」はフェルトのことを指します。フェルトは羊毛を毛羽立たせて均等な厚さになるようにおき、お湯をかけながら巻き上げ、固めていく手作業で作られたフェルトは丈夫で、ユルトの表面の覆いとして5~10年は使用されます。 一部ではキャンパスやテント地の導入がはじまっていますが、ここでは手作りのフェルトのユルトが生きています。

フェルトのアップリケのほどこされた入り口から入ると、入り口に近い中央右手にストーブがあり、そのストーブの煙が、天窓をかねる天井の穴から出されるようになっています。伝統的にはユルトの屋根は天と同一視され、その中心にある炉(現在はストーブ)も神聖な場所とされていたそうです。

トランス・アライ山脈
サリタシュの南はタジキスタンとの国境となるトランス・アライ山脈。その最高峰でありキルギス第2の高峰レーニン・ピーク7,134mをサリタシュから望む
パミール・アライ
本来遊牧民であるキルギス族にとって家畜は大切なもの。パミール・アライではヤク(高地)、馬が放牧されています。
サリタシュ
サリタシュにあるキルギス族の墓。葬式の日に殺されたヤクや馬のしっぽが神聖な印としてつけられます。
キルギスの乾燥チーズ
キルギスの乾燥チーズ、クルット。ミルクを発行させて丸めて乾燥させて作るチーズ。日本人のお客様にはあまり好評ではありません…
ユルト
ユルトの中へ招待してくれました
私たち日本人がユルトを見つけて訪問すると、暖かく迎えてくれるキルギスの人々。馬の乳・クミス、乾燥ヨーグルト・クルト、生クリーム・カイマークとナン。次々と手作りの乳製品でもてなしてくれ、さらには外国人の訪問を聞いた「ご近所さん」も自慢の乳製品を持ってやってきてもてなしてくれます。もちろん、こういった乳製品をキルギス人に販売もしているのですが、外国人の訪問は彼らにとってはちょっとしたイベントなのです。 「来年の夏もまたきてくれる?写真持ってきてくれる?私たちは毎年この場所にユルトをはるのよ」この気持ちを裏切らないように、一年後、この場所を訪問する添乗員・ガイドさんにしっかり託さねば・・・という責任感を感じます。
ブズカシ
ブズカシを楽しむ人々 ブズカシは一見ポロのようですが、2組の馬に乗ったグループがボールではなく頭を落としたヤギを奪い合うこの地域のスポーツ(アフガニスタンの国技です)
国民食ベシュバルマク
道中、キルギスの国民食ベシュバルマクを作っていました。ベシュバルマクとはキルギス語で「5つの指」を意味します。作っているところを見ていると馬乳酒(クミス)と揚げパンを持ってきてくれました。
パミール・アライに暮らすキルギス族
来年もまた来てね!

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チリ・アンデスの名峰 エルプロモ峰(5430m)登頂

  • チリ

2014.08.01 update

エルプロモ峰の標高は5,430m。日本でまだあまり知られていませんが、チリ・アンデス山脈に聳える名峰です。
人口550万人が暮らすチリの首都サンチャゴ(520m)から車で走ること1時間半で、登山の拠点となるバジャ・ネバド(2,900m)へ到着。ここから5日間のライトエクスペディションの始まりです。

▲ エルプロモ(5,430m)を望みながらフェデラシオンを目指すエルプロモ峰(5,430m)を望みながらフェデラシオンを目指す

トレッキング1日目 バジャ・ネバドからピエドラ・ヌメラーダ(3,354m)へ

1日目は、キャンプ地となるピエドラ・ヌメラーダ(3,354m)まで標高差約450m。歩き始めとなるバジャ・ネバドは南米屈指のスキー場でラ・パルバ、エル・コロラドとともに『3つの谷』と呼ばれ、南半球最大のスキーリゾートを形成しています。

しばらく歩き、スキー場を抜けると3,400mのコル(鞍部)に到着。ここから下り、再び3,400m地点まで登り返します。エルプロモ峰を正面に望みながら歩き続け、キャンプ地手前でトラバースするとセポ川沿いの緑豊かなキャンプ地、ピエドラ・ヌメラーダに到着です。

  • 荷物は馬で運びます
  • アップダウンを繰り返す
  • ピエドラ・ヌメラーダを目指すピエドラ・ヌメラーダを目指す
  • 緑豊かなキャンプ地緑豊かなキャンプ地
  • ピエドラ・ヌメラーダから望むエルプロモピエドラ・ヌメラーダから望むエルプロモ
  • エルプロモ夕景エルプロモ峰夕景

トレッキング2日目 ピエドラ・ヌメラーダからフェデラシオン(4,100m)へ

2日目はフェデラシオン(4,100m)を目指します。標高差は約750m、この日は高度順応を兼ねてゆっくりと登ります。標高差はありますが、比較的ゆるやかな登りで高度順応には最適です。

ベースキャンプのフェデラシオンに到着し、午後はティータイムなどを楽しみつつのんびりと過ごします。この辺りは地中海性気候に属し温暖な気候で冬でも暖かく、1年のうち300日以上が晴天に恵まれています。

  • ベースキャンプのフェデラシオンを目指すベースキャンプのフェデラシオンを目指す
  • 高度順応を兼ねてゆっくりと登る高度順応を兼ねてゆっくりと登る
  • 川を渡渉川を渡渉

トレッキング3日目 高所順応日(4,100m~4,300m)

3日目は高所順応日です。明日の登頂に備え、今日は少しでも登頂時のイメージを掴んでいただくため、水分補給と呼吸を意識しながら、登頂時の重量でザックを背負ってラ・オジャ(4,300m)まで登っていただきます。

到着後は、現地山岳ガイドによるアイゼン着用での歩き方などの練習で翌日の登頂へ備えました。高度順応を考慮したゆとりあるコース内容の為、連泊してしっかりと体を慣らす事ができるのも、このコースのメリットです。

  • ラ・オジャまで高度順応
  • フェデラシオンのキャンプ地フェデラシオンのキャンプ地

エルプロモ峰登頂(5,430m)

4日目はいよいよ登頂日です。標高差は1,300m。5時にフェデラシオンを出発し登山開始。まずは昨日、高度順応したラ・オジャを通過し4,620mにあるシェルター(RefugioAgostini)まで向かいます。この辺りから急に風が強くなり、気温も下がります。レオネラ峰(4,954m)を眺めながらトラバースを繰り返します。

稜線まで登りきると、いよいよ頭頂部は見えてきますが、到着までにはまだまだ時間がかかります。

  • 登山開始 登山開始
  • 道中から望むレオネラ峰(4,954m)道中から望むレオネラ峰(4,954m)
  • トラバースしながら稜線を目指す

標高5,000mを越えると、インカ時代のミイラが発見されたピルカ・デル・インカ遺跡(5,050m)に到着します。既に風化していますが、約500年前に埋葬され、5,000mを越える高所にミイラを埋葬するインカの人々に感心しながら先へ進むと、目の前に雪渓が現れます。

  • トラバースを繰りかえす
  • 頂上直下の雪渓を目指す
  • 風化してしまったピルカ・デル・インカ遺跡風化してしまったピルカ・デル・インカ遺跡

近年は、気候変動(温暖化、降水量の減少など)にともなって規模が極端に縮小しているとはいえ、アイゼンを装着し雪渓をトラバースしなければなりません。トラバース後は最後の力を振りしぼり、一歩一歩、歩みを進め、ついにエルプロモ峰(5,430m)の頂に到着です!山頂からは南米最高峰アコンカグアをはじめアンデスの迫力ある山容を望めます。

  • 雪渓をトラバース雪渓をトラバース
  • 山頂までもうすぐ山頂までもうすぐ
  • エルプロモ峰(5,430m)登頂エルプロモ峰(5,430m)登頂
  • 山頂から望むアンデス山脈山頂から望むアンデス山脈
山頂から望むアコンカグア(6,962m)山頂から望むアコンカグア(6,962m)

登山後はサンチャゴ郊外のマイポ渓谷にあるワイナリーでワインの製造工程を見学。併設のレストランにて昼食と共にワインをお楽しみいただけます。アイゼン・ピッケルを使用する実践登山で、チリ・アンデスの名峰エルプロモ峰を登頂し、ワイナリーの見学など、充実の10日間の旅に一緒にでかけてみませんか。

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チリ・アンデスの名峰エルプロモ峰(5,430m)登頂

山頂からは南米最高峰アコンカグア(6,992m)をはじめ、アンデス山脈の迫力ある山容を望む。高度順応に配慮した日程で、一部アイゼン・ピッケルを使用する実践的登山へ。

花のカナリア諸島 固有種の宝庫を訪ねて

  • スペイン

2014.06.01 update

大西洋に浮かぶ、常春の楽園、花のカナリア諸島。
スペイン最高峰のテイデ山(3,718m)を擁するテネリフェ島、世界遺産ガラホナイ国立公園に太古の森が残るゴメラ島、巨大なカルデラの絶景が広がるラ・パルマ島、それぞれ異なる特徴を持つ3つの島を訪れます。5月中旬から6月中旬は、固有種の花々のベストシーズン。花を愛でながら3つの国立公園のトレッキングを楽むことができます。トレッキングの他にも、スペイン料理や新鮮な魚介類、そして美しい海に面したリゾートホテルに宿泊と、楽しみ満載のカナリア諸島です。

固有植物エキウム・ウィルドプレッティとスペイン最高峰テイデ山固有植物エキウム・ウィルドプレッティとスペイン最高峰テイデ山

カナリア諸島の植物

カナリア諸島には700種以上もの固有植物が存在しており、5月中旬から6月中旬は花のベストシーズンを迎えます。カナリア諸島を代表する植物エキウムは種類も多種多様。赤、青、紫、白など様々な色のエキウムが生息します。高さ3メートルを超えて育ち、淡紅色の花穂の長さも1メートルを超すことがあります。また、その姿から、宝石の塔とも呼ばれる美しい植物です。他にも、樹齢500年と言われる竜血樹の「ドラセナ・ドラコ」や、多肉植物のアイオニウムやオレンジの綺麗なビカカロなどたくさんの固有植物が皆さんを迎えてくれます。


紫のエキウム

カナリア諸島のシンボル・竜血樹

多肉植物アエオニウム

固有植物ビカカロ

スペイン最高峰テイデ山(3,718m)登頂 / テネリフェ島

テイデ国立公園の登山口から歩き始め、砂礫のなだらかな登りを進んでいきます。真下には大西洋やグランカナリア島などの眺めが広がり、景色を楽しみながらのトレッキングになります。山小屋手前ぐらいからは、火山帯の急登を山小屋まで登り、アルタビスタ小屋に到着します。山小屋は、二段ベッドで寝具も備え付けてあるので快適に眠れ、夕食は、麓のスーパーで購入したイベリコ豚やチーズなどで皆さん一緒に美味しいサンドウィッチなどを作って召し上がりました。翌日、夜明け前に出発し、火山ならではの岩場を登っていきますが、頂上付近の一部を除いては登山道は整備されていてとても歩きやすいです。また、道中からは大西洋から昇る朝日をご覧いただき、その後、スペイン最高峰(3,718m)に登頂です。頂上からは、極彩色の巨大カルデラや、360度大西洋を見渡し登頂の喜びを感じることができました。2日間かけた道のりですが、下山は、ロープウェイで景色を眺めながら下っていきます。

  • 砂礫のなだらかな登りを進みます。
  • 頂上からは巨大カルデラや大西洋が広がります

照葉樹林の森が広がるガラホナイ国立公園

ゴメラ島

ユネスコの世界遺産に登録されている、マカロネシアを代表する照葉樹林が残るガラホナイ国立公園。乾燥した火山島とは違い、島は絶えず霧に覆われ、温暖な気候と霧が、常緑の照葉樹をは育んでいます。車で登山口まで上がり、緑豊かな森を下りながら歩き、神秘的な森の中を楽しみました。

ラ・パルマ島

火山の噴火によって造られた巨大なカルデラを中心とするカルデラ・デ・タブリエンテ国立公園に向かいます。島の最高所ロケ・デ・ロス・ムチャチョス(2,426m)は天体観測所としても世界的にも知られ、世界各国の天文台が設置されています。頂上から、火山活動によってできた雲上の絶景の中を歩いていきます。道中は、いっぱいのスパニッシュブルームが咲き乱れ、辺り一面、黄色の世界が広がっていて真っ青な空と白い雲とのコントラストに目を奪われました。

 

ロケ・デ・ロス・ムチャチョスに咲くスパニッシュブルーム(ラ・パルマ島)

太平洋に浮かぶ、固有種の宝庫、花のカナリア諸島。お花だけではなく、スペインの最高峰にも登頂でき、特異な生態系を残す3つの魅力的な島も訪問します。火山が造り出した特異な自然を歩き、花のカナリア諸島の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。

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花のカナリア諸島 テイデ山登頂と固有種の宝庫を訪ねて

知られざるスペイン最高峰テイデ山(3,718m)を登頂。花咲くベストシーズン。固有植物の森、巨大なカルデラ、火山が造り出した奇観、特異な自然を歩いて楽しむ。

カナリア諸島を歩く

海底火山の噴火によって造られたカナリア諸島。固有植物の森、巨大なカルデラ、火山が造り出した奇観、 特異な自然を歩いて楽しむ旅。

モンゴル最果ての花園を求めて
アルタイ山脈トレッキングと大氷河展望

  • モンゴル

2014.04.01 update

モンゴル最西端に位置するアルタイ山脈は全長約600kmで、ロシアの西シベリア、モンゴル、中国にまたがっています。アルタイ山脈のタバンボグド山群最高峰・フィティン峰(4,374m)は全長約20kmのポターニン氷河を抱くモンゴルの最高峰でもあります。 ここでは、ウランバートルから6泊7日での周遊トレッキングの様子をルートに沿ってご紹介いたします。

リンジャニ山の全景を望みつつ草原帯から登山開始タバン・ボグド山群とポターニン氷河

トレッキング1日目
ウランバートル(1,351m) → ウルギー(2,000m) → ソゴ川沿いのキャンプ(2,300m)

1日目は首都ウランバートルからウルギーへ向かいます。ウルギーの空港は未舗装の滑走路と小さな空港施設のみで、辺りは草原。西の最果てに来たことを実感させてくれます。 カザフ族が多く住むバヤンウルギー県の中心地ウルギーからロシア製のヴァンに乗り、大草原を車で走りソゴ川沿いのキャンプ地へ向かいました。


  • 車で川を渡ります

  • 大草原の中を走ります

トレッキング2日目ソゴ川沿いのキャンプ(2,300m) → ホー・エレグ(2,600m)

トレッキングの拠点となるホー・エレグへヴァンで向かいます。 道中、鷹を使った伝統的狩猟方法を継ぐカザフ族の鷹匠のゲルを訪問しました。 鷹匠は冬になると鷹を使い、うさぎや鳥類など、小動物を狩りします。狩りをするのはアグレッシブな雌のみで6歳になると自然界へ返されるといいます。伝統的文化の一旦を垣間見て、先を進みます。 ホー・エレグはタバンボグド国立公園内にあり整備されたキャンプ地です。近くに小川が流れ、草原の上にテントを張るため快適に休むことができます。


  • カザフ族の鷹匠

  • ホー・エレグのキャンプ地

トレッキング3日目ホー・エレグ(2,600m) →フィティン峰・ベースキャンプ(3,300m)

いよいよトレッキング開始です。本日の標高差は約700mです。ホー・エレグを出発して、しばらく歩くと広大な渓谷が広がります。そこから小川を渡り、尾根をゆるやかに登りますが、歩きやすく花々を観察しながらのんびりと歩きました。湖のほとりで昼食後、いよいよ最終目的地のフィティン峰・ベースキャンプへ到着です。 目の前にはポターニン氷河が流れこみ、モンゴル最高峰フィティン峰(4,374m)、イーグルピーク、マルティン峰(4,015m)など、タバンボグド山群の迫力ある山容が広がります。


  • オロスサラニー渓谷

  • 荷物を運ぶラクダ

  • 花を観察しながら歩きます

  • タバンボクド山群

  • シオガマ

  • 色とりどりのポピー

  • 満開のキンポウゲ

  • ゴマノハグサ

  • サクラソウ

トレッキング4日目 フィティン峰・ベースキャンプ(3,300m)滞在

終日、ベースキャンプを拠点に周辺を散策します。午前中はロシア国境までのハイキング。マルティン峰の麓からロシア方面へ3時間程歩くと、なにもない尾根上にポツンと1つの記念碑が現れます。そう、ここがモンゴルとロシアの国境です。ここから一番近いロシアの村までは30km離れているそうです。 午後からはサイドモレーンを横断し、ポターニン氷河へ。『5つの聖山』意味するタバンボグド山群を仰ぎ見ながら真っ白な氷上を歩きました。約20kmある白銀の氷河は、毎年約5mも縮小を続けているそうです。


  • ポターニン氷河とイーグルピーク

  • モンゴル最高峰フィティン峰

  • ロシア国境

  • ベースキャンプ周辺を散策

  • サイドモレーンを下る

  • 氷河を散策

  • ポターニン氷河

トレッキング5日目
フィティン峰・ベースキャンプ → ツァガーン渓谷(2,400m) → シベート・ハイルハン峰(2,500m)

ホワイトリバー川沿いにツァガーン渓谷へ向かいます。湿地帯を抜け、満開に咲いた花畑を通りながら、白濁したツァガーン・ゴル(ツァガーンは「白い」、ゴルは「川」を意味)沿いのキャンプ地を目指しました。 翌日は遊牧民のゲルを訪問し、スーティ・ツァイ(モンゴリアンティー)やアルヒ(モンゴルウォッカ)などを御馳走になりました。その後、トゥバ族の聖なる山、シベート・ハイルハンへ。この周辺には2,000年前に描かれたと言われる岩絵が点在します。狩りの様子や動物など沢山の岩絵を見る事ができました。 シベート・ハイルハン山麓で1泊し、ここからは一気にウルギーまで戻り6泊7日の山旅は終了です。


  • ツァガーン渓谷

  • ゲルを訪問

  • ウルップ草科の花

  • 満開のアズマキク

  • 色とりどりの花々

  • 2000年前の岩絵

  • 道中で出会った遊牧民の子供達

雄大なモンゴルの大自然の中を歩けば、この期間だけに咲く野生の花々の観察や、ポターニン氷河、フィティン峰をはじめとするタバンボグド山群の大展望をお楽しみいただけ、またカザフ族の鷹匠や遊牧民のゲル訪問など、モンゴルならではの伝統文化にふれことができます。 モンゴルの夏は短く、この地域に訪れることができるのは約1ヶ月間のみです。

アルタイ山脈、氷河と花園を求めて大自然紀行へ一緒にでかけませんか?

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モンゴル最果ての花園を求めて アルタイ山脈トレッキングと大氷河展望

高山植物の花咲く季節限定企画。満開の高山植物を楽しみながらのトレッキング。氷河脇のベースキャンプで2連泊し、間近に迫る氷河の大展望を楽しむ贅沢な山旅

失われた空中都市を目指す 古代インカ道トレッキングの旅

  • ペルー

2014.04.01 update

インカ帝国時代に築き上げられた道路網・インカ道。全長は約4万キロ、北はコロンビア共和国第3の都市カリから南はチリ共和国の首都サンティアゴ周辺まで帝国のほぼ全域に通じています。その中でも、かつてのインカ帝国の首都クスコ郊外から謎の空中都市マチュピチュ遺跡へと続く3泊4日のルートは、自然だけでなく歴史も体感できるトレッキングルートとして最も人気があります。 2014年4月、このインカ道トレッキングに同行させていただきました。

500年前と同じ方法でインカ時代の古道、約46kmを歩く
500年前と同じ方法でインカ時代の古道、約42kmを歩く

リマ~クスコ~ウルバンバ渓谷

航空機にてかつてのインカ帝国の都クスコへ向かいます。天気が良ければ、アンデスの山々やインカの聖山のひとつ、アウサンガテ峰(6,384m)が望めます。

クスコ(3,350m)到着後、まずはコリカンチャ(太陽の神殿)に向かいます。現在サント・ドミンゴ教会と修道院になっているこの場所はインカ時代には神殿がありました。コリとは黄金、カンチャとは部屋、あるいは囲まれた所を意味しており、黄金の太陽の神を祀ったインカ帝国最高峰の神殿でした。しかし16世紀、この地を征服したスペイン人達によって神殿は破壊され、神殿にあった黄金は全てスペインに持ち去らました。この時ヨーロッパではあまりにも大量の金が流れ込み、インフレーションが起こったと記録されています。いったいどれくらいの黄金があったのでしょうか。

その後、頑丈な土台だけ残して上部にチュリゲレス様式の教会が建設されます。クスコに大地震があった際、教会の建物は崩れ落ちましたが、土台の石組はひずみひとつ起こさなかったといわれています。

その後、歩いてアルマス広場に向かい、インカ王の12人の一族を象徴していると言われる12角の石を見学しウルバンバ渓谷(2,800m)のホテルへ向かいます。到着後、インカ道トレッキングの説明会です。トレッキングガイドが、行程や装備などを詳しく説明してくれました。この日からウルバンバ渓谷のホテルに2連泊です。トレッキング前にしっかり高度順応を行います。

  • 台形の窓がぴったりと並ぶコリカンチャの精緻な石組み台形の窓がぴったりと並ぶコリカンチャの精緻な石組み
  • サント・ドミンゴ教会サント・ドミンゴ教会
  • 壁は耐震構造で10度傾斜壁は耐震構造で10度傾斜
  • 太陽の神殿の土台が残る太陽の神殿の土台が残る
  • 12角の石12角の石

ウルバンバ渓谷滞在

終日ウルバンバ渓谷に滞在します。モライ遺跡はケチュア語で『へこんだ円形』という意味です。大小合わせて4つの遺跡があり、最大なものは直径約100m、深さは120mあり、最下層の土壌温度が最も低く、上に向かう程上昇し、最上層との温度差は10℃程あります。インカの人々は微小気候を利用し、自然のくぼ地に段々畑をつくり農業試験を行っていたと考えられています。

  • 円形闘技場に似たモライ円形闘技場に似たモライ
  • 大小4つの遺跡が残る大小4つの遺跡が残る
  • 12角の石水路

その後、マラスの塩田に向かいます。プレ・インカ時代から続くマラスの塩田には、渓谷の斜面に約4,000の棚田が存在します。渓谷から湧く温水には塩分が含まれており、天日干しにすることにより塩を収穫していました。インカ時代には代々インカ皇帝へ塩が献上されていたといわれています。

  • 約四千の塩田約四千の塩田
  • 天日干しにより塩を収穫天日干しにより塩を収穫
  • 塩を採取する様子塩を採取する様子

ウルバンバに戻り昼食をすませ、オジャンタイタンボへ向かいます。「オジャンタイタンボ」は、要塞跡ともインカ時代の旅籠(休憩所)ともいわれており、これを建築した第9代皇帝パチャクティに仕えていたオジャンタイ将軍の名に由来します。タンボとはインカ道にあった休憩所を意味し、かつてクスコとマチュピチュを行き来する人々が利用しました。

正面の山には斜面に張り付いたように建てられた食料庫があり、冠を被った神の姿を表すと言われる岩があります。この岩の顔の位置に太陽の光が差し込むと冬至になります。インカの人々は歴を決めるのに太陽を利用していましたが、オジャンタイタンボの村は、なんとこの山を中心に日時計になっているのです。

また、オジャンタイタンボには6枚の巨石を並べた建物があります。6枚つないだ石の重さは180~240トンあるといわれ、太陽の神殿の造りかけといわれていますが、はっきりとしたことは解っていません。遺跡は未完成のままなのです。

  • オジャンタイタンボオジャンタイタンボ
  • 顔の上に太陽が来ると冬至岩顔の上に太陽が来ると冬至
  • 斜面には段々畑がつづく斜面には段々畑がつづく
  • 山の斜面に造られた遺跡山の斜面に造られた遺跡
  • 未完成のオジャンタイタンボ遺跡
    未完成のオジャンタイタンボ遺跡

オジャンタイタンボを後にし、ピサックに向かいます。山の斜面に沿ってカーブを描く美しい段々畑の遺跡です。
ピサック遺跡はマチュピチュと同じく第9代皇帝パチャクティの時代に別荘として建設されたといわれています。ここには水、大地、太陽の神殿、神官の館、インティワタナ(日時計)、王の居住区などがあり、マチュピチュによく似ています。月の神殿の前にはマチュピチュの3つの窓の神殿の前の石とそっくりな石があります。 十字架を半分にしたような石で、夏至になると同じ大きさの影ができ、インカの世界観である『チャカナ(南十字星)』が現れます。マチュピチュに優るとも劣らないすばらしい遺跡です。

  • 美しい段々畑が広がるピサック遺跡美しい段々畑が広がるピサック遺跡
  • 居住区居住区
  • 美しい石組の門美しい石組の門
  • 神殿エリア(太陽の神殿など)神殿エリア(太陽の神殿など)
  • 王の居住区王の居住区
  • 遺跡には水路が残る遺跡には水路が残る

インカ道トレッキング1日目
ピスカクーチョ(2,600m) → ワィジャバンバ(3,100m) 12km 約5.5時間

トレッキングのスタートはピスカクーチョ村の82km駅。82kmとはクスコからの距離を示します。ここから約42kmを歩いてマチュピチュを目指します。まずは乾燥した半砂漠地帯を進んでいくと、サボテンや身の丈程の竜舌蘭(万年蘭)が見られます。半砂漠地帯で乾燥していても、周りを見渡せば雪を頂く5,000m~6,000m級のアンデスの山々や霊峰の一つベロニカ峰(5,682m)が展望でき、ウルバンバ川の対岸にはベロニカ峰の雪溶け水を水源とするインカカナート(水路)が35km先まで伸びています。

 

出発して2時間程進むと、ウルバンバ川の対岸にカァナバンバというインカの遺跡が見えます。この遺跡は関所であり旅籠(休憩所)でもありました。対岸にもインカトレイルがあり遺跡が点在します。しばらく進むと、崖下のウルバンバ川沿いに、ヤクタパタ遺跡が見えてきます。ケチュア語で『高い町』を意味するこの遺跡は城塞都市でした。段々畑が広がり、最上部が住居、下段部に食物用倉庫や神殿があり、インカの世界観を表す地下世界を結ぶ神の「ヘビ」をデザインした曲線が目を引きます。インカの9代目の王であるパチャクティはここで亡くなったといわれています。

谷沿いを歩き、ワイジャバンバの村に向かいました。このキャンプ地はインカ道トレッキング上の唯一の村で、人口は200人程で、小さなお店もあります。快適なキャンプ地で初日のトレッキングの疲れを癒していただきました。

  • インカ道スタート地点・82km駅インカ道スタート地点・82km駅
  • ベロニカ峰(5,682m)ベロニカ峰(5,682m)
  • ウルバンバ川を渡りトレッキング開始ウルバンバ川を渡りトレッキング開始
  • 対岸に見えるサラプンク遺跡対岸に見えるサラプンク遺跡
  • カァナバンバ遺跡カァナバンバ遺跡
  • ヤクタパタ遺跡ヤクタパタ遺跡

インカ道トレッキング2日目
ワィジャバンバ(3,100m)→ パカイマヨ(3,600m)11km 約8.5時間

この日はルート上最大の難所、標高4,234mのワルミワニュスカ峠を越えて進みます。峠の途中から登ってきた道を振りかえると、谷底深くに川が見え、あそこから歩いてきたのかと、少し驚きます。峠を登りきると、湿気を含んだ風が吹きあげ、霧になりこの辺りを包みます。ワルミワニュスカは峠が横たわった女性に見える為、ケチュア語で『死んだ女性』と呼ばれ、峠の反対側からその姿を確認できます。またここから、オリジナルのインカの石畳みが始まります。急な石段を慎重に下り、インカ時代の段々畑の連なるパカイマヨまで下りました。

  • ワルミワニュスカ峠を目指すワルミワニュスカ峠を目指す
  • オリジナルの石畳が始まるオリジナルの石畳が始まる
  • 古代インカの石畳古代インカの石畳
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  • パカイマヨに到着パカイマヨに到着

インカ道トレッキング3日目
パカイマヨ(3,600m)→ プユパタマルカ(3,770m)8km 約7時間

パカイマヨを出発し、急登を登っていくと、再びベロニカ峰が姿を現します。斜面の中腹に半月の姿が美しいインカ時代の遺跡「ルンクラカイ」遺跡が姿を現します。この遺跡は、ケチュア語でルントゥ(卵)ラカイ(建物)と呼ばれていたことからこの名前がつきました。遺跡は関所であり、旅籠だった場所です。ここへ向かう旅人や『チャスキ』の宿場や食料や物資の貯蔵庫としての役割も果たしました。

インカ道は情報伝達網としてインカ帝国の統治システムに於いて重要な役割を持っていました。その情報を運んでいたのが、『チャスキ』と呼ばれる飛脚です。インカ道を走り、3kmごとのリレー形式で、皇帝の伝令を各地に伝えていました。ルンクラカイ遺跡は、その交通を監視、管理する役目も果たしたといいます。このような旅籠は各地にありましたが、どこも食料を蓄えていたため、食料を持ち歩かず旅が続けられたといわれています。 ここからしばらく登ると二つ目の難所ルンクラカイ峠(3,975m)です。天気が良ければここからアンデスの山々が望めます。

  • 再び現れたベロニカ峰(5,682m)再び現れたベロニカ峰(5,682m)
  • ルンクラカイ遺跡ルンクラカイ遺跡
  • 貯蔵庫貯蔵庫

峠を下っていくと、稜線上に遺跡が現れます。サヤクマルカというこの遺跡はケチュア語で『入場困難な村』を意味します。 サヤクマルカは城塞都市であり、天体観測の聖地ともいわれています。この遺跡の中央の大きな岩には『インカクロス』が彫られています。3つの階段が左右に掘られたもので、夏至になると同じ大きさの影ができ、インカの世界観である『チャカナ(南十字星)』が現れます。しかし、風化しており現在ははっきりと確認することはできません。

遺跡内には30人程の人が住んでいたと言われますが、神官を中心に年齢の高い人々が多く住んでいたと考えられ、廊下、階段には手すりが付けられています。また、この遺跡は3,600mの尾根上に位置しますが、水道があります。約500年前に造られ稜線上にあるにもかかわらず、さらに高いところから延々と水路を引いてきたのです。当時の測量の技術レベルをうかがえる貴重な遺跡です。

  • 稜線上に現れたサヤクマルカ稜線上に現れたサヤクマルカ
  • 遺跡までは急な石段を登る遺跡までは急な石段を登る
  • 500年前の手すりインカクロスが刻まれた岩
  • インカクロスが刻まれた岩500年前の手すり
  • ここに木の樋を掛けていたここに木の樋を掛けていた
  • 高地から引いてきた水路高地から引いてきた水路

サヤクマルカから下ると、コンチャマルカという遺跡があり、インカ時代のチェックポイント(関所)だといわれています。チャキコチャで昼食を食べ、インカトンネルを越えると、最後の峠越えです。プユパス(3,665m)を越えると最後のキャンプ地プユパタマルカに到着です。

  • コンチャマルカ遺跡コンチャマルカ遺跡
  • インカトンネルインカトンネル

プユパタマルカは標高約3,770mの稜線上にあり、眼下にはウルバンバ川とアグアス・カリエンテスの村。正面にはマチュピチュ山(3,051m)、わずかに頭だけ見えているのが、ワイナピチュ峰(2,690m)、プユパタマルカ遺跡とインティパタ遺跡も展望することができます。振り返るとビルカバンバ山群最高峰サルカンタイ(6,271m)、インカの霊峰プーマシージョ(5,950m)、北にはベロニカ(5,862m)が展墓できる素晴らしいキャンプ地です。

  • サルカンタイ(6,271m)サルカンタイ(6,271m)
  • プーマシージョ(5,950m)プーマシージョ(5,950m)

 

インカ道トレッキング4日目
プユパタマルカ(3,770m)→ マチュピチュ(2,390mm)11km 約7時間

本日はインカ道トレッキングの終点、マチュピチュを目指します。 キャンプ地から100m程、急な石段を下ると、昨夜のキャンプ地からも見える、プユパタマルカ遺跡に到着です。ケチュア語で『雲の上の村』を意味する由来はアマゾンの湿った風の影響で雲海がかかりやすい為といわれています。 左右対称のピラミッド状の建築群が美しい、この遺跡は山、水、風などの神を祀る神殿といわれており、最上部に半円形の祭壇があります。更に驚いた事に遺跡内には水道が残っています。サヤクマルカ遺跡と同様に高地から水路を引いてきたのです。昨晩、我々が飲んだ水はここからくみ上げています。約500年前のインカの人々が使った水場が現在でも使用されている事には驚きました。

  • プユパタマルカ遺跡
    プユパタマルカ遺跡
  • インカの泉
    インカの泉

その後、ジャングルの中の石段を下り、インティパタ遺跡へ。ケチュア語で『日のあたる場所』を意味するこの遺跡は約500年間ジャングルの中で眠り続け、2001年に発見されました。段々畑の跡が残り、マチュピチュ農耕の中心だったといわれており、遺跡の一番下には収穫を祝う祭壇が設けられています。

  • インティパタ遺跡 インティパタ遺跡
  • 収穫を祝う祭壇収穫を祝う祭壇

続いて、ウィニャイワイナ遺跡へ。ケチュア語で『永遠の若さ』を意味するこの遺跡は今でも、美しい景観を保ち、インカトレイル上で最も保存状態の良い遺跡といわれています。マチュピチュへ向かう人々はここで体を清めたとされています。

  • ウィニャイワイナ遺跡ウィニャイワイナ遺跡
  • 美しい段々畑美しい段々畑
  • 谷底まで続く遺跡谷底まで続く遺跡

ウィニャイワイナを後にし、マチュピチュ山の斜面をトラバースしながら、アップダウンを繰り返します。到着前に急な登りの階段があり、登りきるマチュピチュの表玄関インティプンク(太陽の門)に到着です。ここからはマチュピチュが一望でき絶景が広がります。インカ道からは遺跡の存在が確認できず、インティプンクに到着して初めて姿を見せるマチュピチュに感動し、『空中都市』とよばれる称される意味を改めて感じることができました。

  • 道中から見えるチュケススイ遺跡道中から見えるチュケススイ遺跡
  • インティプンク(太陽の門) 
    インティプンク(太陽の門)

インカ帝国時代の遺跡の多くは山の中にあり、歩かなければ訪れる事ができません。約500年前のインカの人々と同じ道を3泊4日かけて、このインカ道をご自身の足で歩くことにより、関所や神殿などの各遺跡が実感として理解でき、インカ文明をより身近に感じることができます。自然のみを楽しむトレッキングとはまた異なり、歩いて街道に残された遺跡を訪ね、歴史を体感するトレッキングへ一緒にでかけてみませんか。

インカ道のゴール・マチュピチュに到着!インカ道のゴール・マチュピチュ到着!

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