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ベイルート国立博物館を徹底解説!

  • レバノン

2020.03.01 update

内戦後に奇跡の復活!ベイルートの国立博物館の所蔵品の数々をご紹介します。

ベイルート国立博物館は1942年開館のレバノン最大の考古学博物館です。10万点の遺物を所蔵しています。75年から91年までのレバノン内戦ののち、博物館関係者の尽力により、復活を果たしました。
奇跡の宝物の数々を、時代毎に、遺跡毎にご紹介します。

ベイルート国立博物館

大型の展示物が多く見所の多い1階部分

ビデオ上映ではグリーンライン上にあった博物館の所蔵品を、内戦の際にどのように保護したかを見せてくれます

 

ブロンス時代(紀元前3200~1200年)
王家の墓で発見された、紀元前10世紀のアヒラム王の石棺の一部。ここに最古のフェニキア文字が残ります。フェニキア人は当初はヒエログリフを使用しましたが、不便なため、フェニキア文字を発明した。これは、アルファベットの元となり、地中海世界全体に広がりました。文字は右から左に読みます。

ビブロス出土の紀元前10世紀のアヒラム王の石棺の一部

オベリスク神殿から発見されたオベリスク。紀元前19世紀のビブロス王が寄進したもの。「ラー神に愛される王」との記載があります

窓のある手斧で、オベリスク神殿で他の短剣や弓矢とともに出土しました。女神アナトもしくはリシェフ神にささげられました

オベリスク神殿の下から出土のブロンズ製の兵士像。ヘルメットやエジプトの王冠に似た円錐形の髪飾りを身に着けている男性

 


 

鉄器時代(紀元前1200~333年)

〈エシュムーン出土〉神殿の至聖所から発見された祭壇。写真は後側に彫られたアポロ神を中心とするオリンポス12神(上段)と踊り子と音楽演奏家の姿。

〈エシュムーン出土〉フェニキア碑文のある子供の像。子供の治癒に感謝した両親が健やかな子供の像をエシュムン神に奉納しました

〈シドン出土〉豚の頭を象ったテラコッタ製のリュトン。アッティカとして知られたアテネ周辺からのもたらされた黒釉の彩色が特徴的な陶器。当時地中海交易が行われていたことを示す

〈シドン出土〉大理石製の双頭の雄牛の柱頭。鉄器時代の後期、紀元前5世紀。シドンが当時のペルセポリスとスーサから強い影響を受けていたのがわかります

 


 

ヘレニズム期(紀元前333~64年)

エシュムーンの神殿から出土した紀元前350年の祭壇。フェニキアの都市で製作された「トリビューン(護民官)」と名づけられた祭壇はギリシャ彫刻の典型的な例で、レリーフの上段には竪琴をもつアポロとギリシャの神々が並び、下部には踊り子や楽隊が並びます

 


 

ローマ時代(紀元前64~紀元後395年)

〈ビブロス出土〉エウロペ神話のモザイク。紀元後3世紀。雄牛の姿をしたゼウス神にさらわれるビブロスの王女エウロペ(ヨーロッパの語源となる)。エウロペを探しにギリシャに渡った兄カドモスが、古代ギリシャ人にアルファベットを伝えたといいます

〈ティール出土〉大理石製の石棺。レリーフはトロイ戦争のエピソードで、パトロクロスを殺され復讐を遂げたアキレスがヘクトールを引きずっているのがわかります

〈ティール出土〉石棺(紀元後2世紀)。被葬者の夫婦像の下には、酔っぱらったキューピットが描かれます

〈ティール出土〉ラムセス2I世の石碑。軍神ラーハラクティの前で、敵を束ねて打ち砕くラムセス2世

〈バールベック出土〉紀元後2世紀の七賢人のモザイク

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アルジェリア探訪

  • アルジェリア

2020.02.25 update

「アフリカはローマの穀物庫」という言葉の通り、北アフリカ諸国の地中海沿岸にはローマ帝国が残した植民都市の遺跡が数多く残ります。「アルジェリア探訪」のコースでは、これらの遺跡をくまなく見学し、強大なローマ帝国とその建築様式、文化に触れることができます。

ティムガット遺跡 Timgad

ティムガットは、退役したローマ軍人のために作られた植民都市です。ローマではかつて、奴隷の息子でも何年かの兵役についてから退役すると、ローマ市民権をもらえる制度がありました。厳しい兵役を終えた軍人達が余生を過ごしたティムガットには、トラヤヌスの凱旋門やローマ浴場跡などが残り、スケールの多きな町だったことが伺えます。

    • トラヤヌスの凱旋門

ティパサ遺跡 Tipasa

強大なローマ帝国の食料確保のため、北アフリカ沿岸で採れる小麦や葡萄などが、大量にローマへ送られました。アルジェリアの地中海沿岸、フェニキアの遺跡が残ります。


  • 地中海に臨むティパサ遺跡

  • 貴族の邸宅跡のモザイク

ジェミラ遺跡  Djemila

アラビア語で「美しい」という意味のジェミラの遺跡は、ローマ滅亡後にこの地を訪れたアラブ人が、あまりの美しさにジェミラという名を付けたいわれがあります。保存状態がよく、当時のローマ都市がそのままに残っています。


  • 円形劇場

  • 博物館に展示されたローマ時代のモザイク画

 

また、このコースでは、サハラ砂漠に残るオアシス都市・ガルダイアのムザブの谷へ足を伸ばします。

ムザブの谷 ガルダイア M’zab Valley

ガルダイア。ここでは、かつてイスラム教徒同士の争いを避けるために、ムザブの谷へ落人のように逃れ、今なお独特の生活様式を営む人々の様子を見ることができます。迷路のような路地の残るベニ・イスゲン、広場のような市場から丘の上に居住区が広がるガルダイアの町では、スカーフを頭から被り片目だけ出して歩く女性の姿を目にすることができます。

ムザブ族が築いたサハラ砂漠のオアシス都市ガルダイア

アルジェのカスバ Casbah

世界遺産に登録されているアルジェのカスバ。「ここは地の果てアルジェリア」の歌詞で有名な「カスバの女」の歌の舞台にもなり、オスマントルコ海軍総督になった海賊バルバロッサが拠点とした場所でもあります。フランス植民地時代には、独立の抵抗運動の拠点ともなったカスバは、老朽化した家屋は公園などに修復されていますが、今なお人々が住み、古き時代を垣間見ることができます。

  • 白亜の街並み“カスバ”

  • デーツ屋さん

隣国リビアやチュニジアに引けを取らないローマ遺跡、独特の生活様式が今なお残るガルダイア、そしてオスマントルコから近世までの歴史を見つめてきたカスバ。「アルジェリア探訪」のコースには、アルジェリアのみどころがつまっています。

関連ツアーのご紹介

アルジェリア探訪

アルジェに計3泊、アルジェのカスバや地中海沿岸遺跡、「アフリカのポンペイ」ティムガッド遺跡も訪問。ガルダイアに宿泊し、独特の生活様式を守るムザブ族の集落を見学。

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イスラマバードの新しい国際空港をご紹介!

  • パキスタン

2020.02.19 update

2018年5月4日、パキスタンのイスラマバードに新しい空港が誕生しました!その名も

 

イスラマバード国際空港
Islamabad International Airport

 

今までお世話になった、ベナジール・ブットー国際空港とはお別れです。。。
ちなみに前の空港は「CNN世界の空港ランキング」ワースト1に輝いておりました。。。

今回は、パキスタン・フンザ出身の日本語ガイド、サリームさんが、早速新しい空港の写真を撮ってきてくれたのでご紹介します。

びっくりするくらい綺麗になったイスラマバード国際空港

2階建になり、中央には長い階段やトラベレーター(動く歩道)が作られました。パキスタンのみなさんの中には、長い動く歩道を見たことがない人が多く、びっくりした人もいたそうです。

イスラマバードの町からカシミールハイウェイなどを使って車で30~40分程の場所。

空港が新しくなって、一番良かったのは、駐車場が広くなったことだとサリームさん。大型バスも駐車できるようになりました。

空港が実際に使われ始めたのは5月5日。この日は巡礼から帰ってくる人が多く、外の芝生に座ってご飯を食べている人の姿も見られました。

 

 

また、以前皆様にお送りした冊子「きんと雲」のパキスタン特集号でご紹介した、トラックアーティストのハイダル・アリさんが「新しい空港の装飾を担当しているんだ」と仰っていましたが、今回のアートチームのリストの中に、本当にハイダルさんの名前が!
今回の空港装飾プロジェクトの中で、トラックアートだけでも10以上の地域から40人以上のトラックアーティストが集結し、分担して装飾を担当したとのこと。

内部の装飾の様子は、こちら↓

ターンテーブルの奥の壁に描かれているのは。。

デコトラ!デコトラの前面、側面、背面のデザインが、壁一面に展示されています!

時には荷物が出てくるまでものすごく待たなければならない、このターンテーブル空間。新空港では、壁の装飾を楽しみながらお待ちいただくことができます

イスラマバードのシンボル、ファイサルモスクの上下に、ようこそ!イスラマバードと描かれています。ハイダルさんチームが担当したものだそうです!

空港用の絵を準備している時に撮影した写真もお送りくださいました!

 

 

トラックアートのほかにも、現代アート、書道、絨毯、木彫り、タイル装飾まで、パキスタンの様々な「美」を一度に堪能できます。
パキスタンへ到着しましたら、ぜひ新しくなった空港とアートにご注目ください!

 

Photo by Saleemullah Baig , Haider Ali
※この記事は2018年5月のものを修正・加筆して再アップしたものです。

ケルト文化の息づく島 アイルランド

  • アイルランド

2020.02.14 update

北大西洋に浮かぶアイルランド島は、アイルランド共和国と英国領北アイルランドから構成されています。ゲール語という独自の言語を持ち、緑豊かな大地に、ケルトの文化が脈々と流れています。自然と歴史の両方を楽しむことができるアイルランドの見所を紹介します。

 アラン諸島 ドンエンガス遺跡からの絶景

アイルランドの至宝「ケルズの書」

旅の始まりでもある首都ダブリン。この町の最大の見所はトリニティカレッジに残る旧図書館です。この旧図書館には「ケルズの書」と呼ばれる装飾写本が保存されています。ケルズの書は「ダロウの書」「リンディスファーンの福音書」と共にケルトの三大写本とも呼ばれ、アイルランドの国宝のひとつとなっています。 四編の福音がラテン語で書かれており、9世紀初めに作成されたと考えられています。1653年にダブリンに送られ、1661年に現在のトリニティ・カレッジに保管されるようになりました。 また、アイルランドで出版される全ての本がこの図書館に保管され、2階のロングルームと呼ばれる書庫には天井まで続く本棚に所狭しと古書が並べられ、その歴史を感じることができます。

ケルトの聖地アラン諸島

アイルランド西部に浮かぶアラン諸島へは、ゴールウェイから日帰りで訪れることができます。3つの島々で構成され、中でもイニシュモア島にはケルトの聖地とされるドン・エンガス遺跡が残っています。岩盤で出来たこの島では、作物の栽培は簡単ではありませんでした。古来、この地に積みついたケルトの人々は限られた土が風で飛ばされないように畑を石垣で囲み、岩盤を槌で砕き、海藻と粘土を敷き詰めて土をつくることから始めたのです。島の中部に残るドン・エンガス遺跡。緩やかな石段を30分ほど登ると遺跡に到着します。海面から90メートルにも及ぶ断崖絶壁の上に築かれたケルトの聖地とされている場所なのです。考古学者の調査によると紀元前1100年頃に、砦の建設が始まり、政治、経済、宗教の中心となったと考えられています。砦に住むことができたのはエリートの人々だけであり、800年頃まで繁栄を続けました。まだ、謎が多い遺跡ではありますが、19世紀末には国の記念建造物となり、広範囲な修復が行われています。また、天気が良ければ断崖の素晴らしい景色が広がり、5月~6月には野花も咲き、一層華やかになります。

ロングルームに保管される貴重な古書

トリニティカレッジの旧図書館 2階のロングルーム

ドンエンガス遺跡

 

初期キリスト教会の遺跡群

ケルトの人々がアイルランドにやってきたのは紀元前200年頃と言われています。彼らはゲール語という独自の言語を使い、自然崇拝の信仰を持ち、口頭伝承で神話や文化が引き継がれてきました。しかし、キリスト教がヨーロッパで広がり始めると、その波はアイルランドにも波及してゆきました。5世紀頃になると、アイルランドではケルトの宗教や民族性と融合する形でキリスト教が広まってゆくこととなったのです。 中でもアスローンに残るクロンマクノイズ遺跡は保存状態も良く、当時の姿を今に残しています。円筒計の長いラウンドタワーはアイルランド特有の建造物。内部に経典や貴重品の保管のために使われたと考えられています。“ケルトの十字架”はアイルランドのキリスト教最大の象徴です。8世紀から12世紀にアイルランド各地で造られ、経典の教えや祈祷者の喚起のため、地所の目印として使われました。現在、クロンマクノイズで最も美しいとされるオリジナルの十字架は保存のため、ビジターセンター内で見ることができます。

クロンマクノイズ遺跡 オリジナルのケルトの十字架

クロンマクノイズ遺跡のラウンドタワー

クロンマクノイズ遺跡

アラン諸島に残る初期キリスト教遺跡セブンチャーチズ

ジャイアンツ・コーズウェイ

英国領北アイルランドの最大の見所ジャイアンツ・コーズウェイ。柱状節理によって出来た六角形の奇観が広がり、ユネスコ世界自然遺産に指定されています。巨人フィン・マックールが恋人をアイルランドに渡らせるために造ったという古くからの伝説が残っています。

ジャイアンツ・コーズウェイ

今回ご紹介したものは、アイルランドの見所のごく一部にすぎません。緑豊かな大地が広がる美しい島アイルランド。
ケルトの歴史、文化そして、陽気なアイルランドの人々との出会いなど変化に富んだ旅を楽しむことができる国です。
アイリッシュ・パブを訪れ、ギネスビールで乾杯することも是非お忘れなく。

関連ツアーのご紹介

アイルランド周遊

遥かなる緑の大地、妖精が住むと信じられている幻想的な自然 ケルトの伝統が息づく南北アイルランドを周遊。絶海に浮かぶ神秘の島イニシュモア島も訪問。

コーカサス 往古のシルクロードを行く

  • アゼルバイジャン
  • アルメニア
  • ジョージア

2019.12.26 update

コーカサス三国は、その地理的な背景から雄大な大自然に囲まれています。東のカスピ海と西の黒海に挟まれ、二つの大きな海を繋ぐように東西にコーカサス山脈が走っています。シルクロードに位置し、複雑な歴史を歩みながらも、興味深い文化と敬虔な信仰心が残るコーカサス地方。6月、7月には野花が咲き乱れ、美しい山並みとともに訪れる人々を魅了します。

コーカサス山脈の風景(グルジア) コーカサス山脈の風景(ジョージア)

 

5,000m級の峻険な山々が連なるコーカサス山脈。この山脈の周辺には、 旧ソ連を形成した15 の共和国のうち、ソビエト崩壊後に4つの国々が生まれまし た。 コーカサス山脈を境に、北コーカサスはロシア連邦の一部となり、ダゲスタ ン共和国やオセチア共和国など、山岳民族の暮らす連邦管区がモザイクのように 広がっています。南コーカサスには、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア のコーカサス三国が生まれ、独立国家としてそれぞれの道を歩んでいます。

かつてのシルクロードは、世界最大の湖・カスピ海の南岸を東西に貫くルートと、北方から迂回してコーカサスを経由してアナトリア地方に向かうルートがありました。コーカサスは、そのシルクロードを通り古来から人と物資が行き交ったほか、宗教や文化も交差した地です。また、東西から様々な勢力が侵入し、異民族による支配を経験した歴史があります。コーカサスには、古のシルクロードに流れる歴史と、現在まで続く文化と宗教が残っています。

コーカサス三国のうち、アゼルバイジャンはイスラム教国、ジョージアとアルメニアはキリスト教国です。ジョージアとアルメニアは、北側をロシア連邦管区諸国、西をトルコ、南をイラン、東をアゼルバイジャンと、すべてイスラム教国で囲まれているにも関わらず、1,800年近く、頑なにキリスト教を国教としています。さらに、モンゴルの後、ティムール、ペルシャと、イスラム系の帝国の侵入と支配を何度も経験したにも関わらず、イスラム教を受け入れることはありませんでした。

1386年、首都のサマルカンドから大軍勢を率いてジョージアに侵攻したティムールでさえも、異教徒に対するジョージア側の抵抗に屈し、首都のトビリシを攻略することはできませんでした。 しかし、中央アジアやペルシャから流入した文化は、コーカサス地方に根付き、独自の文化を形成し現在に至っているのです。

 

アルメニア Armenia -Hayastani Hanrapetut’yun-

かつてペルシャとアナトリアを結んだいにしえのシルクロードが走る

指揮者のカラヤンや、ミグ戦闘機の設計者ミコヤンなど、多くの知識人を輩出した民族であるアルメニアは、民族全体がディアスポラで世界各地に離散した歴史を持ちます。世界で一番早くキリスト教を国教とした国で、ツアーでは総本山のエチミアジン大聖堂を訪れるほか、ノアの方舟のアララット山を望むホルヴィラップ修道院も訪問します。

またアルメニア産のコニャックは、ソビエト時代からの特産物として有名です。

  • アルメニア産のコニャック アルメニア産のコニャック
  • エチミアジン大聖堂 エチミアジン大聖堂

ジョージア Georgia -Sakartvelo-

複雑な歴史を持つコーカサス麓の長寿の国

コーカサス三国の中で、一番大きな面積を持つジョージア。コーカサス山脈の麓に位置し、西は黒海に面します。その地理的背景から、古来より数多くの帝国、民族の流入、侵略を受けたため、上スヴァネティ地方では外敵の侵入を見張る「見張り塔」が立ち並ぶ独特の建築様式が発達しました。

イスラム系の勢力の侵略が多かったにも関わらず、ジョージア正教を国教とし、ツアーでは総本山のスヴェティツホヴォリ修道院を訪問します。また、ワイン発祥の地と言われ、どこの農家でも自家製のワインを振る舞ってくれるほか、ヨーグルトも豊富で長寿の国とも言われています。ワイナリーにてジョージア・ワインの試飲もお楽しみください。

  • 独特の建築様式が残る上スヴァネティ地方
    独特の建築様式が残る上スヴァネティ地方
  • 豊かな土壌が産したブドウ
    豊かな土壌が産したブドウ

アゼルバイジャン Azerbaijan -Azərbaycan Respublikası-

イランの影響が強く残るコーカサス唯一のイスラム教国家

カスピ海に面し、豊富な石油資源に恵まれ、近年は世界 各国の石油産業系の会社が集まる国に発展しました。 コーカサスの三ヶ国の中で唯一のイスラム教国で、もともとはゾロアスター教を信奉するペルシャ系の民族の暮す地でしたが、トルコ系民族との混化により、イスラム化が進みました。

「風の町」を意味する首都のバクーは、 カスピ海の対岸のトルクメニスタンとフェリーで結ばれています。ツアーでは、ゾロアスター教の信奉を物語る神殿や、世界最大の湖・カスピ海のクルーズのほか、かつてのイスラム諸王朝の宮殿を訪ねます。


  • 拝火教の神殿アテシュギャーフ
  • シェキ・ハーンの宮殿内の装飾画
    シェキ・ハーンの宮殿内の装飾画

 

関連ツアーのご紹介

コーカサス3ヶ国周遊

10日間で巡るコーカサスの旅。コーカサス三国の主要な見どころを10日間で巡る。ペルシャとアナトリアを結んだかつてのシルクロードを行く。

民族の十字路 大コーカサス紀行

アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア。悠久の歴史と広大な自然、コーカサスを陸路で巡る充実の旅。コーカサス山中で独自の文化を守る上スヴァネティ地方も訪問。 美しきコーカサスの旅。

花のジョージアを歩く
秀峰カズベキの麓からヨーロッパ最後の秘境スヴァネティ地方へ

大コーカサス山脈の麓をフラワーハイキング 静かな世界遺産 上スヴァネティ地方を歩く。花咲くシーズン限定企画。静かな世界遺産・上スヴァネティ地方とウシュグリ村を訪れる。

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