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チュニジア周遊 後編:ローマ遺跡とバルドー美術館

2020.05.14 update

北アフリカというと、イスラームの生活や砂漠を一番にイメージされることが多い地域。意外かもしれませんが、チュニジアには多くのローマ遺跡が残されています。ヨーロッパと比べ湿度が低い乾燥した気候の為に保存状態が極めてよく、ヨーロッパの遺跡に比べると観光客も少ないのでゆっくりと観光できることも大きな魅力の一つです。

 

スフェチュラ遺跡

もともとはベルベル人によって始まった都市です。1世紀にローマ風の街として整備されました。5世紀にバンダル人に侵略されましたが、7世紀にはビザンツ帝国が支配しました。そのためチュニジアで最も新しいローマ遺跡と呼ばれているこのスフェチュラ遺跡。通常は一つしかない神殿が3つ横並びに建設されていることがこの遺跡の特徴です。極めて質の良いオリーブの産地であり、また東西南北の交易路の交差点にあったために非常に繁栄したのだそうです。

中心にゼウス、右にヘラ、左にミネルウァを祀る神殿

他にもオリーブ圧搾機やモザイクが各所に残ります。

スフェチュラの繁栄を支えたオリーブオイルの圧搾機

ローマ遺跡のモザイクでよく見かけるこのマークは「永遠」を意味し、英語圏で幸福を示すジェスチャー「クロスフィンガー」の起源だとか。

 

エル・ジェムの円形闘技場

世界で四番目に大きく、最も完全な形で残っているローマ帝国の円形闘技場です。約150m×120mの楕円形をし、高さは40mにもなります。

エル・ジェムの円形闘技場の外観。建設当初は大理石で覆われ、真っ白に光り輝いていたそうです。

チュニジアは大型の野生動物の生息地に近かった為、ここエル・ジェムではライオンや象、ヒョウ等と奴隷や剣闘士を戦わせるショーが多く開催されました。今はもう絶滅してしまいましたが、当時生息していたアトラスクマやアトラスオオカミも捕らえられ、連れてこられたそうです。

アリーナの地下には猛獣を閉じ込めておく檻が残ります。

一説には、「エル・ジェム」とはアラビア語で「なんて大きな!」という意味だとか。その名の通り見ごたえのある円形闘技場でした。

アリーナの近くからVIP席、一般市民席、女性と奴隷の席に分かれていました。

 

ドウッガ遺跡とブッラレージア遺跡

チュニジア北部の丘陵地帯に残る2つの遺跡の1つ、ブッラレージア遺跡の見どころは半地下式となった住居跡。ベルベル人の建築様式をローマの人々が取り入れた珍しい例となっています。ローマの様式を地下でもそのまま再現しようとしたのが良くわかります。

ローマのパティオ式住居を地下で再現しています。

当時のエアコン。壁にめぐらされたパイプには水が通り、気化熱で空気の温度を下げたそうです。

また、「アンフィトリテの家」に残された色鮮やかで生き生きとしたモザイクも見逃せません。ポセイドンがイルカを贈りアンフィトリテと結婚したという神話に基づき、イルカをはじめとする海の生物たちと神々が華やかに描かれます。

海の生物とアンフィトリテ、ポセイドンとトリトン

その横にあるモザイクはアンフィトリテとも、屋敷の女主人の顔とも言われています。当時は施工主がモザイクの登場人物を自分に似せることはよく行われたそうです。

アンフィトリテの家の女主人

 

ドウッガ遺跡には丘の上に建設された都市がまるまる残ります。特徴はベルベル人の王国ヌミディアの時代からローマ、イスラームと3つの様式が共存していること。まるでチュニジアに栄えた文化を象徴するような遺跡です。

上からエジプト、ギリシャ、フェニキアの様式を融合した霊廟。

 

額縁のように見える「無名の寺院」の門と、アントニウス・ピウスに捧げられたキャピトル

 

美術館

これらの遺跡から出土したモザイクやイスラーム建築の華麗なタイル、カルタゴの時代の石像などが一堂に会するのがチュニスで訪れるバルドー美術館です。

 

バルドー美術館のエントランス。

 

世界一とも言われるモザイクのコレクションはまさに圧巻。その大きさ、完成度、バラエティともに見ごたえたっぷりで全く飽きさせません。

 

「オデュッセイア」より、セイレーンの島を通過するシーン。オデュッセウスはマストに自身を縛り付け、水夫たちには耳栓をさせてセイレーンの歌が聞こえないようにしています。

 

ポセイドンと四季の女神たち。右下から、春、夏、秋、冬を擬人化しています。春が一番若く、徐々に年老いていきます。また、服装それぞれの季節に適したものになっています。

 

1週間の曜日(惑星)の擬人化と黄土12星座を描いたモザイク。中心が土曜日を意味するネプチューンなのは、土曜日が安息日であるユダヤ人の富豪の家に作られたからだとか。

 

奉納品を示す石像。上部に神、中部に供物、下部には奉納をした人物が描かれています。

カルタゴ時代のものは、ローマ軍がほとんど破壊してしまった為に現存するものは大変貴重。

 

また、バルドー美術館は建物自体も見事。オスマン帝国時代のベイ(総督)の宮殿の跡を改装しているためです。展示物以外にも各所に目を奪われます。

ヴェネツィア風の天井の装飾。地中海を中心に、チュニジアとイタリアは近しい関係にありました。

壁の美しいモザイク。イスラームで豊かさを表す緑色が多用されています。

 

それまでモザイクに興味が無くともその魅力に開眼してしまうような、素晴らしいコレクションの数々。ツアーの中で訪れる遺跡に鮮やかに色付けされてゆくようです。

 

街歩きに砂漠、遺跡に美術館と多様な魅力のあふれるチュニジア。

アフリカでもヨーロッパでも、イスラームでも無いようで全てを含むチュニジア。色々な文化を一度に味わえるこの国をぜひ1度訪れてみて下さい。

 

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チュニジア周遊 前編:海辺の街シディ・ブ・サイドと砂漠の暮らし 

  • チュニジア

2020.05.07 update

北アフリカに位置する小国チュニジア。「日の沈むところ」を意味するマグレブ地域の国々の一つです。北海道の約二倍の面積を持つこの国は、アルジェリアやリビアなどの大きな国々に囲まれて地図上ではあまり目立ちませんが、実はバラエティ豊かな見どころがあります。

 

シディ・ブ・サイド
チュニジアのガイドブックを開けば必ずと言っていいほど紹介されているのがこのシディ・ブ・サイドの街並み。白い壁に青い装飾が良く映え、多くの観光客でにぎわいます。

ここを訪れたらまずはカフェ・ド・ナットでミントティーを飲んで一息。ナットとは「ござ」という意味で、その名の通りカフェの中にはござが敷かれ、人々がおしゃべりに興じつつくつろぐ姿が。横に伸びる路地にはスイーツの出店が並びます。

世界で最も古いカフェの一つ、カフェ・ド・ナットの入り口

揚げドーナツ「バンベローニ」は家でも作れるよ!とガイドさんが教えて下さいました。

この町を19世紀末に整備したのは、チュニジア文化を愛したフランス人オルランジェ男爵。彼のはたらきかけで世界で初めて景観保護の条例が作られ、街は整えられてゆきました。扉に鋲で描かれている模様は装飾の他、魔除けや伝統的なベルベル人のマークだったりもするそうです。

伝統的な模様の描かれた扉

高い空、地中海と美しい街並みのコントラストが非常に印象的。街中にはリゾートらしいのびのびとした雰囲気が溢れています。

シディ・ブ・サイド

 

サハラ砂漠での宿泊

チュニジア旅行で特に楽しみにされる方も多いのが、砂漠の中のオアシスに作られたテント型ホテルでの滞在です。砂漠観光の拠点、ドウーズを出るとまずはチュニジア最大の塩湖、ショット・エル・ジェリド(ジェリド湖)に到着します。路肩の土産物屋さんに立ち寄り、おいしいデーツや塩をお土産に。

チュニジア最大の塩湖、ジェリド湖

途中、四輪駆動車に乗り換えてさらに南へ向かいます。周りの景色から徐々に緑が無くなってゆき、ごろごろとした石が転がる礫砂漠になってゆきます。少しおしりが痛くなってきたころ、クサールギレンのPansy Campに到着しました。

宿泊地自体はオアシスの中に位置し、ナツメヤシに守るように囲われていますが、小道をたどってオアシスの淵まで歩けば目の前にはまるで海のように波打つサハラ砂漠が広がります。日が沈む時間に合わせてラクダに乗って夕焼けに桃色に染まる砂丘を楽しみに行きました。ラクダは案外背が高く、立ち上がるとき、降りるときにコツが必要です。

人間が夕日が落ちるのを待つ間、ラクダ達はひと休憩

砂に映る影

翌朝も早起きして朝日を望みました。

サハラ砂漠から見る初日の出

 

ベルベル人の洞窟住居

今も伝統的な生活様式を続けるベルベル人の人々の自宅訪問もユニークな体験のひとつです。現存する数少ない洞窟住居の一つにお邪魔しました。

入口の部分には色鮮やかな絨毯がひかれ、来客スペースとなっています。伝統的には、お客様が入れるのはここまでで、家の中は家族のスペースなので決して入れなかったとか。

お客様用の絨毯を織る機械

家は中心に大きな穴があり、そこから部屋として使われる小さな穴へと入るつくりになっています。台所や寝室、食糧庫をのぞかせてもらいました。1階部分が居住スペースで、2階部分は物置や倉庫として使われています。

家の中には様々な魔除けのモチーフが見られました。

魔除けのファティマの手と魚のマーク

魚の尾びれも邪気を追い払ってくれると信じられているそうです。

 

また、伝統衣装に身を包んだお母さんが、焼きたての伝統的なパンやはちみつ、オリーブオイルでもてなして下さいます。シンプルながらもじんわりとおいしい味わいで、いつもお土産に大人気です。はちみつはユーカリとローズマリー、2種類がありました。ここでしか買えないということで、お土産に買われる方も多くいらっしゃいました。

伝統衣装に身を包んだベルベル人の女性

手作りのはちみつとオリーブオイル

最後に丘を登り、家を上から覗かせてもらいました。

洞窟住居を上から眺める

 

海辺の街並も、南部の乾燥地帯での伝統的な生活の姿も知ることができるチュニジア周遊のツアー。後編ではチュニジアが誇るローマ遺跡やモザイクについてご紹介致します。

 

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エクアドルの名峰展望とアンデス山岳鉄道 その2

  • エクアドル

2020.04.30 update

エクアドルの中部に位置するキロトア湖(Quilotoa Lake)は火山活動によってできたカルデラ湖で、エクアドルアンデス山脈で最も西の火山です。 カルデラの幅は約3キロメートル。深さは最も深い所で90mにもなります。火山活動の影響により湖水には硫黄成分が多く含まれており、魚は生息していません。外周のクレーターは1周が約12km。歩くと4時間~6時間位かかります。天気が良いとここからコトパクシ火山も展望できます。近年はエクアドル人の旅行者も多く、キトから日帰りでやってくるそうです。ここでは午前中、クレーターの外輪を巡るハイキングをお楽しみいただきました。体力に自身のある方は湖畔までの往復にトライされました。往路が下り、復路が登りになるので意外と体力が必要です。

美しいエメラルドグリーンの水を湛えるキロトア湖

クレーター外輪のハイキングでは美しいキロトア湖の風景と共に、たくさんの野花を観察することができました。風景だけではなく、お花好きの方にもキロトア湖はお勧めです。

キロトア湖畔に咲くルピナス

小さな靴の様な形をしている所から名付けられたリトルシューズ Calceolaria perfoliata

Bomarea multiflor

ハイキングの後はバスにてキロトア湖を出発し、コトパクシ火山山麓へと移動しました。コトパクシ国立公園のゲートを越えて、公園内へと入り、リンピオプンゴ湖の湖畔をハイキング。天気が良いとコトパクシが綺麗に展望できるのですが、この日はあいにくの曇り空。ハイキングスタート時にはコトパクシはすっぽりと雲に覆われていましたが、最後の最後にその頂を少しだけ見せてくれました。また、湖岸のトレイル脇には野花が見られ、エクアドル固有のランを観察することができました。

リンピオプンゴ湖の湖畔をハイキング

エクアドル固有のラン

コトパクシとは、ケチュア語で「光る巨大なもの」を意味します。別名コトパヒ山。富士山に似ていることから、「エクアドルの富士山」と日本人の間では呼ぶれることもしばしば。チンボラッソに次ぐエクアドル第二の高峰で標高は5,897 m。火口は東西500m以上、南北700mと推定されています。標高5000m以上の部分は氷河となっており、1872年に初登頂されています。

本日の宿はタンボパクシロッジ。コトパクシ国立公園内唯一の宿泊施設で、ロッジからコトパクシ火山の全容を眺める事ができる好ロケーションに位置しています。

タンボパクシロッジから眺めるコトパクシ火山

翌日はキトへと向かう一日。ロッジを出発してから間もなく、念願のコトパクシの全容が目の前に広がりました。まさにエクアドル富士というにふさわしい姿。何度も写真ストップをとり、しっかりとコトパクシの姿を刻み込んでいただきました。

エクアドル富士とも呼ばれるコトパクシ

コトパクシ山頂の様子

コトパクシ国立公園からキトまでのルートはパンアメリンカンハイウェイの一部で、別名火山アベニューと呼ばれています。東西両側に数多くの火山が聳え、道中にもイリニサ(5,267m)、エルゴラッソ(4,790m)、ウミニュイ(4,350m)などの山々を眺めながらのドライブ。天気が良いと非常に気持ちの良いルートです。キトに近づくとパソチョア(4,200m)もご覧いただけます。

キト到着後は市内観光。キトの旧市街も世界遺産に登録されている歴史ある町です。最初の見学はバジリカ教会。この教会は1883年に当時の大統領ガブリエル・ガルシア・モレノが建設を指示したカトリック教会で、フリオ・マトベージェという建築家が建てたものです。この建築家はパリのノートルダム教会やニューヨークの聖パトリシオ教会も建設された方で、ここではエクアドルの自然にちなんでカメやイルカ、リャマ、コンドルなどの彫刻が施されています。

キトのバジリカ教会

教会内部

その後、徒歩でキト旧市街の散策しました。キトは1534年12月6日に設立。聖フランシスコ教会から派遣されたセバスチャン・デ・ベルナール・カサがその中心人物です。彼の名前が付いたベルナール・カサ広場近くでバスを下車し、徒歩観光をスタートし、歩いて独立広場へ。独立広場の真ん中には自由の女神の様なモニュメント。また、コンドルとライオンの像が見られます。コンドルはエクアドル、ライオンはスペインを表わし、コンドルがライオンを追いやっている様に描かれているそうです。広場周囲にはカテドラル、旧大統領官邸、ホテル、市役所、市長の家、司祭の家などの歴史ある建造物が並んでいます。

独立広場にあるコンドルとライオンの像

キト市内で最後の見学は聖フランシスコ教会。インカ帝国からスペインが奪った黄金の装飾が素晴らしい教会でした。この教会はキトで最も威風を放つ教会で、別名「エル・エスコリアル宮殿」と呼ばれています。1535年に建立され、南米でも最も古い部類の教会です。

荘厳な聖フランシスコ教会

エクアドルの見どころはガラパゴス諸島だけではありません。アンデス山脈が作り出した荒々しい火山の数々、火山活動によって生み出されたクレーター湖、スペイン人の入植によって造られたコロニアルな街並みなど人間が歩んだ歴史と豊かな自然を同時に楽しむことができるのです。

 

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「エクアドル三大名峰展望とアンデス山岳鉄道」
各地の好展望地からエクアドルに聳える3つの名峰の展望を楽しむ旅

南米7ヶ国に跨り7,500㎞にも及ぶアンデス山脈。エクアドルではアンデス地域はシエラ(山地)と呼ばれ、数々の名峰が聳えます。エクアドル最高峰チンボラソ(6,310m)、「エクアドルの富士山」と称されるコトパクシ(5,897m)、赤道上の世界最高地点が通過することで有名なカヤンベ(5,790m)の山麓ロッジに宿泊し、エクアドル・アンデスの名峰を心ゆくまでご堪能いただきます。

 

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エクアドルの名峰展望とアンデス山岳鉄道 その1 

  • エクアドル

2020.04.23 update

エクアドルというと、多くの方がガラパゴス諸島を想像しますが、エクアドルも近隣のペルーやボリビアと同じくアンデス山脈が連なる国の一つで、素晴らしい山容を楽しむ事ができます。今日は昨年2019年9月に同行させていただきましたエクアドルアンデスの名峰群を訪れた際のレポートをさせていただきます。

アウラシからのアンデス山岳鉄道

アウラシからのアンデス山岳鉄道

エクアドル国内にはいくつもの観光列車が走っており、そのひとつが“悪魔の鼻 ナリス・デル・ディアブロ”です。ホテルから、列車観光に必要なものだけもって徒歩で駅へと向かい、エクアドルアンデスの山岳鉄道の乗車をお楽しみいただきました。もともとはスペイン植民地時代にエクアドル各地に建設された鉄道のひとつで、当時、ここではジャマイカから多くの労働者がやってきたそうです。険しい山の中での鉄道の建設は非常に困難を極め、多くの労働者達が建設中に命を亡くしました。途中にある山は遠くからみると人間の鼻の様な形に見える事から、いつしか“悪魔の鼻 ナリス・デル・ディアブロ”と呼ばれる様になったそうです。

悪魔の鼻 ナリス・デル・ディアブロ

列車はアラウシから出発し、道中は美しい渓谷の風景が続きます。悪魔の鼻に入ると2回のスイッチバックでジグザグに谷へと降りていきます。そして、シバンベ駅を通過しすぐの所で下車して悪魔の鼻の写真ストップしてくれます。その後、シバンベ駅では1時間程下車し、先住民の人たちの歓迎の踊りや、小さな博物館、サトウキビジュースの搾り作業、焼きたてのパンの販売、コンドルのモニュメントなどを見学しました。その後、再び鉄道に乗り、アラウシ駅へと戻ります。

インディヘナの人たちの歓迎の踊り

山岳鉄道のガイド達

鉄道の旅を楽しんだ後はエクアドルの最高峰チンボラッソの麓へと移動していきます。アラウシから約1時間程でコルタの町に到着。ここは1532年にスペイン人とエクアドルのアンデス高地に住む先住民が初めて会った場所です。バルバネーラ教会は1534年にエクアドルで最初に建てられた教会として知られています。自然を崇拝していた先住民をキリスト教に改宗させるために、スペイン人は要所に自然の要素を取り入れました。この教会の壁のレリーフにもチンボラッソ火山と山の神様の様なレリーフが描かれているのが興味深い点です。

コルタのバルバネーラ教会 

コルタのバルバネーラ教会

真ん中に描かれているのがチンボラッソ火山

真ん中に描かれているのがチンボラッソ火山

このあたりからチンボラッソが見えてきます。この日は天気も良く、チンボラッソが良く見えまた。最初は山頂に雲がかかっていましたが、すぐにとれ、全容を眺める事ができました。展望がとても良いので、写真ストップを何度も繰り返しながらチンボラッソロッジへと向かいました。

エクアドル最高峰のチンボラッソ

この日宿泊するのはチンボラッソロッジ。エクアドル最高峰6,310mのチンボラッソの展望が目の前に広がる好展望地に位置する唯一無二のロッジです。ロッジのレストランからもチンボラッソの山容が大変素晴らしかったです。

チンボラッソロッジからの展望

ロッジの窓ガラスに映るチンボラッソ

昼食後、チンボラッソを展望するハイキングへご案内しました。ロッジからチンボラッソに向かって歩いていくとどんどんとチンボラッソが近づいてきます。チンボラッソに近づいて行く感じで迫力も一層増していきました。ハイキング中にはアンデスの野花や野鳥もいろいろと観察する事ができ、山だけではないエクアドルアンデスが楽しめます。

リンドウの一種

エクアドルの固有種キチュラワ

夕方には夕映えのチンボラッソをロッジから鑑賞。18時頃には山も赤くそまりとても美しい景色をお楽しみいただく事ができました。

夕映えに染まるチンボラッソ

翌朝、5時、モーニングコールの前に天気を確認した所、星空が広がっていました。地平線は明るみはじめ、うっすらと姿を見せるチンボラッソと星空の一枚。

星空とシルエットに浮かび上がるチンボラッソ

朝焼けに照らされるチンボラッソ

朝食後、バスで標高4,800mに位置するチンボラッソ登山のベースキャンプ・カレル小屋へ。チンボラッソがより迫力ある姿で我々の目の前に迫ってきました。山上付近は分厚い氷河で覆われているのも良く分かます。標高が高いのであまり無理をせず、ゆっくりとカレル小屋周辺を散策。この日も登頂を目指している方、山上から降りてくる登山客も多く見られました。この山小屋からは1泊2日の行程で、登頂することができるそうです。

標高4,800mのカレル小屋の看板

カレル小屋から望むチンボラッソ山頂

チンボラッソの山頂は地球の表面で、地球の中心から最も離れた場所にある山とされています。海抜からの標高では世界で最も高い山は誰もが知るエベレスト。しかし、赤道周辺はヒマラヤ山脈と比べて地球の半径が大きく、水面も高くなっています。そのためエベレストより2,500mほど低いチンボラッソですが、地球の中心からの距離で考えると、チンボラソの方が約2.1km離れている事になります。そのため、19世紀初めまでは、世界で一番高い山だと考えられ、多くの登山家がこの山の登山に挑戦しているのです。
 
本日の宿:チンボラッソロッジ
エクアドル最高峰チンボラッソの大展望が広がるお洒落な山小屋風ロッジでした。

レストランから望むチンボラッソ

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グアテマラ・ホンジュラス マヤ三大遺跡探訪【その2】

  • グアテマラ
  • ホンジュラス

2020.04.16 update

ユカタン半島を中心とする中米地域、密林の奥深くに壮麗な都市遺跡が残る古代マヤ文明。前回に引き続き、マヤ遺跡のなかでも必見の三大遺跡を「グアテマラ・ホンジュラス マヤ三大遺跡探訪」のツアーに沿ってご紹介します!

その3 | ティカル遺跡 -Tikal-

ティカル遺跡

    • ティカル遺跡の中心「グラン・プラサ」

 
574㎢の広大な敷地に大小3,000以上の遺跡が眠る、マヤ文明最大の都市遺跡。全盛期の8世紀には、およそ6万人の人口を擁する大都市だったと考えられています。みどころは、なんといっても「グラン・プラサ」とよばれる中央広場。ジャングルの中の絶景を望むことができる、グアテマラ最大のみどころでもあります。遺跡のあるティカル国立公園は、熱帯雨林の生態系も含めて1979年に世界複合遺産として登録され、遺跡だけでなくそこに生息する動植物も保護の対象になっています。

ジャングルを進み5号神殿へ

朝ホテルを出発し、いよいよマヤ文化圏のなかでも最大級かつ最も重要な遺跡のひとつ、ティカル遺跡の見学へ。入口からしばらく歩くと樹齢100年以上の大きなセイバの木があります。セイバの木はマヤの人々が神聖視した木で、枝は神の住む天上界へ、根は地下界へと続いていると信じられていたのだそう。グアテマラの国木です。
ジャングルの中をどんどん進むと、ティカル遺跡の中で二番目に高い5号神殿(57m)が見えてきます。北向きに建てられ、7層が連なる外観の角の丸みはサポテカ文明の影響、階段はティオティワカン文明、上部の神殿はマヤ様式です。神殿部分は約50cm四方ととても小さく、中には戦争の女神が祀られています。


  • セイバの木

  • ジャングルに佇む5号神殿

ティカル遺跡で一番高い4号神殿に登る

豊穣祈願の祭儀が行われた「7つの神殿の広場」、先古典期の儀礼用の区画「失われた世界」を見学し、4号神殿(74m)へ。22階建ての建物に相当する神殿に登って辺りを見渡すと、ティカルが密林に眠る遺跡だということが改めて感じられます。眼下には、ティカル遺跡の中心「グラン・プラサ」方面を一望できます。


  • 密林から上部をのぞかせる1、2、3号神殿

  • 4号神殿の上部

かつては都市全体が漆喰で塗り固められ、朱色に塗られていたというから驚きです。しかし、そのために途方もない量の漆喰を使っていたことが仇となり、滅亡の道を辿ることになります。漆喰を作るには砕いた石灰岩に熱を通す必要があり、そのために膨大な量の木材が燃やされたそうです。それによって森が破壊され、土壌が流れ出し、大規模な干ばつと重なって、ティカル遺跡が衰退していったといわれています。同時期の近隣の遺跡も、同じような時期に衰退した遺跡が多いこともうなずけます。

「これぞティカル!」ティカル遺跡の中心グラン・プラサ

ティカル遺跡

    • ティカル遺跡の中心「グラン・プラサ」

 
いよいよ、ティカル遺跡のメインともいえる「グラン・プラサ」へ。広場を囲むように建つ遺跡群を自由に見て回ります。広場の東に聳える1号神殿(51m)をはじめ、上に登ることができる2号神殿(38m)や、100以上の建造物が複雑に重なり合う「ノース・アクロポリス」、王族や支配者層の宮殿遺跡群が残る「セントラル・アクロポリス」など、巨大な神殿群が聳える景色は圧巻の一言。なかでも1号神殿は、734年に建造された古典期マヤを代表する神殿遺跡で、神殿にはティカルの王ハサン・チャン・カウィルが埋葬されていたそうです。また、最上部の神殿入口でジャガーの彫刻が発見されたことから「ジャガーの神殿」ともよばれています。


  • 9層の基壇と大きな飾り屋根をもつ1号神殿

  • 1号神殿の屋根飾りには王の姿が

最後に、「コンプレッホ」とよばれるピラミッド建築物の複合体「Q」と「R」を見学。他のマヤの都市では、曆の節目のたびに石碑を建て祝い事をしたと考えられていますが、ティカルでは石碑のみならず、コンプレッホも曆の節目ごとに作っていたと考えられています。ティカルでは、複数のコンプレッホが発見されています。

 

コパン、キリグア、ティカルの三大マヤ遺跡を訪ね、マヤ文明の歴史を辿る旅。ツアーでは遺跡見学とは少し角度を変えて、マヤの先住民キチェ族が暮らすチチカステナンゴの街や、マヤ神話の書「ポポル・ブフ」が発見されたサント・トマス教会、マヤ遺跡の出土品を数多く展示する国立考古学民族博物館に足を延ばし、現代まで受け継がれるマヤの伝統文化も体感します。マヤの伝統文化が息づくグアテマラとホンジュラス、ぜひ一度足を運んでみてください。

 

関連ツアーのご紹介

グアテマラ・ホンジュラス マヤ三大遺跡探訪

土曜出発・日曜帰着の9日間で密林に眠る古代マヤ遺跡とインディヘナの伝統文化を訪ねる。必見のティカル、コパン、キリグアの3大マヤ遺跡、古都アンティグアを訪問。

 

中米7ヶ国 パン・アメリカン・ハイウェイ縦断の旅

最大11名様までの少人数限定で巡る中米7ヶ国縦断の旅 バスはお一人様2席確約!移りゆく景色を眺めながら中米7ヶ国に残る9つの世界遺産を見学。

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