秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

聖地カイラス山巡礼

  • 中国

2020.05.28 update

乾燥した茶褐色の大地、空気の薄い高原地帯、雪を頂く高峰群・・・「天空の世界」チベットの中でも最も奥地に位置するカイラス、チベット仏教徒、ボン教徒、ヒンドゥー教徒が一生に一度は巡礼することを祈願する聖地です。標高6,656mのこの聖山を、チベット人は畏敬の念を込めて「カン・リンポチェ(尊い雪山)」と呼び、 祈りが捧げられています。巡礼路は一周約52㎞。4日間の巡礼路の見どころをご紹介いたします。

朝日に輝くカイラス山朝日に輝くカイラス山
道中、五体投地で祈りを捧げながら進む巡礼者とともに巡礼路を歩きます。
道中、五体投地で祈りを捧げながら進む巡礼者とともに巡礼路を歩きます。
道中で出会うチベット族の女性たち。彼女たちは巡礼路より手前のサガで放牧を行っています。
道中で出会うチベット族の女性たち。彼女たちは巡礼路より手前のサガで放牧を行っています。

巡礼1日目タルチェン(4,675m)からタルボチェへ(4,630m)

カイラス山巡礼の拠点となるタルボチェまで約6㎞の道のりです。約1時間半でタルチョのあるチャツァルガンに到着します。ここは巡礼路に4ヶ所ある五体投地場の1つ目の場所。ここで初めてカイラス山の南西面を望むことができます。さらに約1時間ほど進むとタルボチェに到着。毎年チベット暦4月の満月の日に、ここタルボチェで、釈尊の生誕・悟り・入滅を祝うサカダワ祭が行われます。タルボチェに立つ柱のタルチョが新しいものに付け替えられ、賑わいをみせます。少し先にある二股のチョルテンはチョルテン・カンギと呼ばれ、カイラスを一つの寺院と見立てたときの入口にあたるポイントです。1日目は足慣らしをかねた1日。復路は混乗バスにてタルチェンへ戻ります。

 

巡礼2日目 タルチェンから(4,675m)からディラ・プク・ゴンパ(5,210m)へ

15㎞の道のりをトレッキングし、ディラ・プク・ゴンパ(5,210m)を目指します。まずは、1日目に訪れたタルボチェまで混乗バスにて向かいます。カイラスの南西面が姿を表します。その後、河口慧海が「黄金渓」と呼んだ美しい川沿いの道を休憩をとりながらゆっくりと進みます。チベット人はこの52㎞を1日でまわる人もいるそうです。
途中、左右に滝を見物。丁度、昼食時にカイラス西面が見えてきます。夕方前にディラ・プク・ゴンパに到着。ここディラ・プク・ゴンパは、かつてはドゥク・カギュ派でしたが、現在はカルマ・カギュ派の寺院です。文革で破壊され、1980年代後半に再建されました。創始者は、カイラス巡礼のルートを開拓したドゥク・カギュ派の高僧デワ・ゴンツォンパ。ティーローパ、ナーローパ、マルパ、ミラレパの像があります。ディラ・プクとは、雌のヤクの角という意味です。
ここからは巡礼路中で最も美しい山容と言われるカイラス北面を間近に展望することができます。翌日、天気が良ければ朝日に照らされるカイラス山もご覧いただけます。


ディラ・プク・ゴンパ手前よりカイラス山が顔を出す。荷物を運ぶヤクと共に進みます。

カイラス山が最も間近に迫るディラ・プク・ゴンパよりカイラス山北面を展望。

 

巡礼3日目ディラ・プク・ゴンパ(5,210m)からズトゥル・プク・ゴンパ(4,810m)へ

巡礼路、一番の山場をむかえる1日です。ドルマ・ラ(峠:5,668m)を越えて、ズトゥル・プク・ゴンパを目指す23㎞の道のりです。ひたすら登りが約4時間。カイラス北面やその前に立ちはだかる三部主尊(リクスム・ゴンボ:金剛手山、観音山、文殊山)の山々を見ながらゆっくりかつ確実に頂上に近づいていきます。鳥葬場(シヴァツァル・ドゥトゥ)を通過し、河口慧海が三途の脱れ坂と呼んだドルマ・ラの直前の急な坂が続きます。そして、ついに多くのタルチョに埋め尽くされたドルマ・ラ(峠)に到着。ドルマ・ラを越えると、下りが続きます。しばらく行くと右手にガウリ―クンドという湖があります。ガウリ―とはヒンドゥー教シヴァ神の妃パールバティの別名です。チベット人は神々の沐浴場(テューキ・ズィンブ)と呼びます。急な下り坂をボン教の人々は黙々と上がってきます。途中、ピクニックランチの後、ズトゥル・プク・ゴンパまでゾン・チュという川沿いにひたすら平坦な道が続きます。

 

巡礼4日目ズトゥル・プク・ゴンパ(4,810m)からタルチェン(4,675m)へ

巡礼4日目。巡礼最終日は約8㎞の道のりです。タルチェン手前3㎞のソンゴからは混乗バスに乗ってタルチェンに戻ることもできます。朝、ズトゥル・プク・ゴンパを見学します。神通力という意味のズトゥル・プク・ゴンパ。ミラレパとボン教の魔術師ナロープンチュンが神通力を競い合ってできた洞窟がこの名前の由来だそうです。ドゥク・カギュ派の小さな寺です。ここからひたすら草原の中をタルチェンの町を目指します。

ズトゥル・プク・ゴンパを見学。洞窟と一体化した小さな僧院に巡礼者が集まって祈りを捧げます。
ズトゥル・プク・ゴンパを見学。洞窟と一体化した小さな僧院に巡礼者が集まって祈りを捧げます。
標高5,668mのドルマ・ラを徒歩で越えます。峠にはたくさんのタルチョがはためきます。
標高5,668mのドルマ・ラを徒歩で越えます。峠にはたくさんのタルチョがはためきます。

カイラス巡礼中のQ&A

 Q. 旅の季節は?
5月中旬以前と9月下旬以降はカイラス山の巡礼路に雪が残り、7、8月は雨が降るため巡礼ができない可能性が高くなります。1年の中で最も巡礼に適した6月、9月にのみツアーを設定しています。
 Q. 荷物は?
着替えなどの荷物はボストンバックのような荷物に入れてヤクが運びます。上着や水筒などはご自身でお持ちください。カメラポーターは別途、有料にて手配ができます。
 Q. 宿泊する場所は?
巡礼中は簡易宿泊所を利用予定です。室内には多くのベットがあるのみでトイレは屋外に設置されています。シャワーの設備はありません。寝袋は弊社にて準備いたします。

 

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究極のK2展望トレッキング バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ【その2】

  • パキスタン

2020.05.21 update

K2B.C.(5,100m)までは大きく分けると①~➂の3段階となります。

 

①アスコーレ(3,000m)からバルトロ氷河の末端部のパイユ(3,450m)まで<3日間>
酷暑からくる疲労と体調不良に注意しながら歩きます。パイユでは夕食後にポーター達が集まり恒例の宴(歌&踊)が始まります。参加型なので、手拍子を交えて全員で楽しみます。また、連れてきたヤギの解体が行われるのもパイユです。目を背けたくなる様な場面もあるでしょうが(希望者のみ見学可)、レバーの煮込みやお肉の炒めものは絶品です。感謝の念を込めながら頂き、エネルギーを蓄えます。

前方にバルトロ氷河付近に聳える高峰群が顔を出し始める

酷暑の日中はポーターも岩陰で休みます

パイユ(3,450m)のキャンプ地は緑も豊かでとてもリラックスできる

パイユ以降、ポーターは食料を各自で運ぶ、その為に配給がある

ポーター代わりの馬やロバもエネルギーを補充

パイユ(3,450m)にて、現地スタッフ達のパーティーナイト
注)お酒は入っておりません

長い腸の中を洗浄中

栄養たっぷりのヤギのレバー

チキンは今夜のご馳走へ様変わり

②パイユからコンコルディア(4,650m)まで<4日間>
バルトロ氷河の脇や上を歩いて、その四方に聳える名峰群に心が奪われます。K2はコンコルディア到着の約15分前からしか見えません。そのじれったさが溜まらず、期待に胸が高鳴ります。コンコルディアでは、北側にK2とブロードピーク(8,051m)、
東側にガッシャーブルム山群、南側にはバルトロカンリ(7,274m)、スノードーム(7,150m)、チョゴリザ(7,668m)、ミトレ(6,025m)等、360度のパノラマが広がっています。朝に夕に、たっぷりとのんびりと山岳展望をご満喫いただけます。

氷河上から振り返りパイユピーク(6,610m)を望む
※パイユから見上げた写真は下

トランゴ山群を眼前にバルトロ氷河を進む(白い氷河には氷河が削り取った黒い土砂が被っています)
※アップ写真は下

ウルドゥカス(4,050m)のすぐ先からガッシャーブルム山群が顔を出す。左端の山はブロードピーク主峰(8,051m)
※G山群のアップ写真は下

氷河上のキャンプ地(ゴレ)
氷河の上に土砂が被さっているだけでこの下は氷、気温はグッと下がる

ツアーを盛り上げてくれる愉快なポーター達

ポーター達は極寒の地でも工夫を凝らしてシェルターを作る

コンコルディア(4,650m)から望むK2(8,611m)とエンジェルピーク(左 6,805m)

コンコルディア到着日

コンコルディア到着日の翌日、一気に白銀の世界へ

➂コンコルディア~K2B.C.(5,100m)まで<2日間>
ゴッドウィン・オースティン氷河を遡って一気にK2の懐へ近付きます。ブロードピークは真下から見上げる様な角度になり、K2も眼前間近に迫ります。時期によっては登頂隊に出くわすこともあるでしょう。

ゴッドウィン・オースティン氷河の左岸モレーンを進みブロードピークB.C.(4,850m)へ

ブロードピークB.C.(4,850m)から望むK2(8,611m)とエンジェルピーク(左 6,805m)

チョゴリザ(左 7,668m)やミトレ(中奥 6,025m)を背後に望むゴッドウィン・オースティン氷河沿いの好展望地ブロードピークB.C.(4,850m)の南側展望

K2(8,611m)の懐にあたるベースキャンプへ

トレッキング中、特に有名な名峰達を一部ご紹介しましょう。

 

▲パイユピーク(6,610m)
巨大なパイプオルガンの管のような垂直の岸壁を周囲に張り巡らす岩峰です。パイユは現地バルティ語で“塩、岩塩”という意味があります。1976年、パキスタン隊により初登頂。

パイユ(3,450m)から望むパイユピーク(6,610m)

▲トランゴタワー群
圧倒なる花崗岩で造られたトランゴタワー群はロッククライマー達にとって憧れの地。トランゴとは、“羊の囲い場”という意味があります。ファスト・トランゴ(5,753m)、グレート・トランゴ(6,286m)、ネームレス・タワー(6,239m)。1977年、アメリカ隊によりグレート・トランゴが初登頂されて以来、多数のクライミングルートが敷かれています。

グレート・トランゴ(右 6,286m)とネームレス・タワー(左 6,239m)

▲ガッシャーブルム山群
ガッシャーブルムとは現地バルティ語で“輝く峰”という意味があります。GⅠ(8,068m)はバルトロ氷河最奥に位置し前衛峰に隠されているため、ヒドゥンピークと呼ばれています。1958年、アメリカ隊により初登頂が成されました。
GⅡ(8,035m)は1956年、オーストリア隊により初登頂が果たされました。B.C.はGⅠと同じところに設けられ、ブロードピーク(8,051m)と並んで、登りやすい8,000m峰として人気を集めています。しかしコンコルディアでは一番美しく輝くのは何といってもGⅣ峰(7,925m)。夕日には紅く染め上がります。

GⅣ峰(7,925m)の西壁の両脇にはひっそりとGⅢ(左 7,952m)とGⅡ(右 8,035m)

右奥にはヒドゥンピークといわれるGⅠ(8,068m)も見える
ウルドゥカス(4,050m)の先が唯一見えるポイント

▲マッシャーブルム(7,821m)
通称K1。パキスタンでは11位、世界では22位の標高を誇ります。1960年、アメリカとパキスタンの合同隊により初登頂。コンコルディア手前のゴレから鋭鋒の北面が綺麗に見えます。

ゴレⅡ(4,380m)から望む朝晴れのマッシャーブルム(7,821m)

▲K2(8,611m)
インドの測量局の測量番号がそのまま山の名前として残った山。中国名はチョゴリ(バルティ語で“大きい山”)です。コンコルディアからは西側に聳えるエンジェル・ピーク(6,805m)とセットで見るとより美しさが際立ちます。
1861年イギリスの陸軍大佐ゴッドウィン・オースティンが西部カラコルムを調査
(ゴッドウィン・オースティン氷河の命名由来)され、その後、1900年頃から登攀の可能性が探られる様になりました。初登頂は、1954年7月31日、イタリア隊。
以来66年を経てもなお、死亡率4分の1を越える難峰です。また8,000m峰で唯一、未だ冬季登攀は達成されていません。

Karakorum No.2。右の稜線(南東稜)が初登ルート兼ノーマルルート

▲ブロードピーク(8,051m)
現地語でファルチェン・カンリ。山頂の幅が広いことから、その名がつけられました。北峰(7,490m)、中央峰(8,011m)、前峰(8,035 m)の先に主峰が続きます。
初登頂は、1957年6月9日、オーストリア隊。パキスタンに鎮座する8,000m峰五座の内、GⅡ(8,035m)同様に、比較的登りやすい山とされています。

ブロードピークB.C.(4,850m)より登頂隊の様子を双眼鏡で望む
左から北峰(7,490m)、中央峰(8,011m)、主峰(8,051m)

上から見ると、氷河(バルトロとゴッドウィン・オースティン)の合流点(コンコルディアのキャンプ4,650m)がよく分かる
注)ツアーでは訪れません

(参考)ブロードピーク主峰と中央峰のコル(鞍部 7,878m)から望む主峰(8,051m)
注)ツアーでは訪れません

世界各地のトレッキングを経てきましたが、これだけの展望が揃うルートはなかなか珍しいです。長期間の高所トレッキングと厳しい条件もありますが、じっくりと計画的にトレーニングをすれば、決して夢ではありません。世界一といっても過言ではない黄金ルート。夢ではない現実の素晴らしい世界へご案内いたします。

 

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究極のK2展望トレッキング バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ

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究極のK2展望トレッキング バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ【その1】

  • パキスタン

2020.05.15 update

アッサラーム・アレイクム(ウルドゥー語でこんにちは)。
今回は、世界第2位の高峰K2(8,611m)の懐、即ちベースキャンプ(以下B.C.)を目指すパキスタンの究極の展望トレッキングをご紹介いたします。

K2(8,611m)の懐にあたるベースキャンプへ

山岳天気というのは移り変わりが早い&大きいと言われるなかで、当コースでは、5泊6日のコンコルディア(4,650m)から先の行程において、山の様々な表情を見ていただくために、山までの直線距離を伸縮させながら、西遊旅行史上最長のK2展望時間を誇っています。

 

さて、そのK2が属すカラコルム山脈は「黒い砂利」という意味があり、パキスタン・インド・中国に500kmにかけて盛り上がっています。確かに歩いて目にする岩や氷河に被さった砂利には黒いものが多い気がします。

 

1856年カラコルム山系の測量が開始され、高峰群に頭文字の「K」をとった番号がつけられました。例えばK1がマッシャーブルム(7,821m)、K3がブロードピーク(8,051m)、K4がガッシャーブルムⅡ峰(8,035m、以下GⅡ)、K5がガッシャーブルムⅠ峰(8,068m、以下GⅠ)。全て、このトレッキングで目にすることが可能です。カラコルム山脈には4座の8,000m峰を含め60座以上の7,000mを超える高峰が聳えていて、極地を除けば世界最大の氷河地帯でもあります。

 

トレッキングの舞台はバルトロ氷河とゴッドウィン・オースティン氷河。数々の名峰が聳えるなか、テント泊を繰り返しながら前進します。

カラコルム山脈の重量級が揃うバルトロ氷河の山群

まずは首都イスラマバードから国内線又は陸路でスカルドゥ(2,500m)へ。天気がよければ、機内又は道路沿いから世界第9位峰ナンガパルバット(8,126m)をご覧いただくことができます(往復ともにチャンスが有ります)。

幹線道路よりナンガパルバット(8,126m)北面を望むことが可能

スカルドゥはかつて、チベットの一部としてカシミール地方への交易の中心だった街。その後イスラム化が進み、近代では1947年のインド・パキスタンの分離独立時にどちらに帰属するかが問題となり、3回の戦争を経てパキスタン領となっています。
カラコルム遠征の拠点地で、登山用品店(ただし正規店ではありません)も幾つかあり、専属の山岳コックは食材や調理器具を揃えて準備をします。

食料を選別する

調理に不可欠な灯油を入れるストーブ

何でも揃うスカルドゥのバザール

四輪駆動車に分乗して、147kmの移動を経て起点となるアスコーレ(3,000m)へ。

4WDでトレッキングの起点アスコーレ(3,000m)へ向かう

15泊のテント開始です。気になるテントですが、十分な広さがあるので、ご安心ください。別途マットレスをお持ちいただけると睡眠の質を高めて、長期間のトレッキングをさらに快適にお過ごしいただけるでしょう。

 

標高が上がると気温が下がるので、寝袋の内部に備えるインナーシュラフや、足元を温める湯たんぽもサービスとしてお配りしています。トイレは常設のものか建てたトイレテントをご利用いただきます。

ポーター達は入念に重量を確認

大切なタンパク質源①
チキンのみならず卵も別途荷上げしています

大切なタンパク質源②
概ねパイユ(3,450m)で捌かれます

宿泊高度4,000m以上のコースでは夜湯たんぽをお配りして快眠

常設が無いところではトイレテントを設置

 

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チュニジア周遊 後編:ローマ遺跡とバルドー美術館

2020.05.14 update

北アフリカというと、イスラームの生活や砂漠を一番にイメージされることが多い地域。意外かもしれませんが、チュニジアには多くのローマ遺跡が残されています。ヨーロッパと比べ湿度が低い乾燥した気候の為に保存状態が極めてよく、ヨーロッパの遺跡に比べると観光客も少ないのでゆっくりと観光できることも大きな魅力の一つです。

 

スフェチュラ遺跡

もともとはベルベル人によって始まった都市です。1世紀にローマ風の街として整備されました。5世紀にバンダル人に侵略されましたが、7世紀にはビザンツ帝国が支配しました。そのためチュニジアで最も新しいローマ遺跡と呼ばれているこのスフェチュラ遺跡。通常は一つしかない神殿が3つ横並びに建設されていることがこの遺跡の特徴です。極めて質の良いオリーブの産地であり、また東西南北の交易路の交差点にあったために非常に繁栄したのだそうです。

中心にゼウス、右にヘラ、左にミネルウァを祀る神殿

他にもオリーブ圧搾機やモザイクが各所に残ります。

スフェチュラの繁栄を支えたオリーブオイルの圧搾機

ローマ遺跡のモザイクでよく見かけるこのマークは「永遠」を意味し、英語圏で幸福を示すジェスチャー「クロスフィンガー」の起源だとか。

 

エル・ジェムの円形闘技場

世界で四番目に大きく、最も完全な形で残っているローマ帝国の円形闘技場です。約150m×120mの楕円形をし、高さは40mにもなります。

エル・ジェムの円形闘技場の外観。建設当初は大理石で覆われ、真っ白に光り輝いていたそうです。

チュニジアは大型の野生動物の生息地に近かった為、ここエル・ジェムではライオンや象、ヒョウ等と奴隷や剣闘士を戦わせるショーが多く開催されました。今はもう絶滅してしまいましたが、当時生息していたアトラスクマやアトラスオオカミも捕らえられ、連れてこられたそうです。

アリーナの地下には猛獣を閉じ込めておく檻が残ります。

一説には、「エル・ジェム」とはアラビア語で「なんて大きな!」という意味だとか。その名の通り見ごたえのある円形闘技場でした。

アリーナの近くからVIP席、一般市民席、女性と奴隷の席に分かれていました。

 

ドウッガ遺跡とブッラレージア遺跡

チュニジア北部の丘陵地帯に残る2つの遺跡の1つ、ブッラレージア遺跡の見どころは半地下式となった住居跡。ベルベル人の建築様式をローマの人々が取り入れた珍しい例となっています。ローマの様式を地下でもそのまま再現しようとしたのが良くわかります。

ローマのパティオ式住居を地下で再現しています。

当時のエアコン。壁にめぐらされたパイプには水が通り、気化熱で空気の温度を下げたそうです。

また、「アンフィトリテの家」に残された色鮮やかで生き生きとしたモザイクも見逃せません。ポセイドンがイルカを贈りアンフィトリテと結婚したという神話に基づき、イルカをはじめとする海の生物たちと神々が華やかに描かれます。

海の生物とアンフィトリテ、ポセイドンとトリトン

その横にあるモザイクはアンフィトリテとも、屋敷の女主人の顔とも言われています。当時は施工主がモザイクの登場人物を自分に似せることはよく行われたそうです。

アンフィトリテの家の女主人

 

ドウッガ遺跡には丘の上に建設された都市がまるまる残ります。特徴はベルベル人の王国ヌミディアの時代からローマ、イスラームと3つの様式が共存していること。まるでチュニジアに栄えた文化を象徴するような遺跡です。

上からエジプト、ギリシャ、フェニキアの様式を融合した霊廟。

 

額縁のように見える「無名の寺院」の門と、アントニウス・ピウスに捧げられたキャピトル

 

美術館

これらの遺跡から出土したモザイクやイスラーム建築の華麗なタイル、カルタゴの時代の石像などが一堂に会するのがチュニスで訪れるバルドー美術館です。

 

バルドー美術館のエントランス。

 

世界一とも言われるモザイクのコレクションはまさに圧巻。その大きさ、完成度、バラエティともに見ごたえたっぷりで全く飽きさせません。

 

「オデュッセイア」より、セイレーンの島を通過するシーン。オデュッセウスはマストに自身を縛り付け、水夫たちには耳栓をさせてセイレーンの歌が聞こえないようにしています。

 

ポセイドンと四季の女神たち。右下から、春、夏、秋、冬を擬人化しています。春が一番若く、徐々に年老いていきます。また、服装それぞれの季節に適したものになっています。

 

1週間の曜日(惑星)の擬人化と黄土12星座を描いたモザイク。中心が土曜日を意味するネプチューンなのは、土曜日が安息日であるユダヤ人の富豪の家に作られたからだとか。

 

奉納品を示す石像。上部に神、中部に供物、下部には奉納をした人物が描かれています。

カルタゴ時代のものは、ローマ軍がほとんど破壊してしまった為に現存するものは大変貴重。

 

また、バルドー美術館は建物自体も見事。オスマン帝国時代のベイ(総督)の宮殿の跡を改装しているためです。展示物以外にも各所に目を奪われます。

ヴェネツィア風の天井の装飾。地中海を中心に、チュニジアとイタリアは近しい関係にありました。

壁の美しいモザイク。イスラームで豊かさを表す緑色が多用されています。

 

それまでモザイクに興味が無くともその魅力に開眼してしまうような、素晴らしいコレクションの数々。ツアーの中で訪れる遺跡に鮮やかに色付けされてゆくようです。

 

街歩きに砂漠、遺跡に美術館と多様な魅力のあふれるチュニジア。

アフリカでもヨーロッパでも、イスラームでも無いようで全てを含むチュニジア。色々な文化を一度に味わえるこの国をぜひ1度訪れてみて下さい。

 

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チュニジア周遊 前編:海辺の街シディ・ブ・サイドと砂漠の暮らし 

  • チュニジア

2020.05.07 update

北アフリカに位置する小国チュニジア。「日の沈むところ」を意味するマグレブ地域の国々の一つです。北海道の約二倍の面積を持つこの国は、アルジェリアやリビアなどの大きな国々に囲まれて地図上ではあまり目立ちませんが、実はバラエティ豊かな見どころがあります。

 

シディ・ブ・サイド
チュニジアのガイドブックを開けば必ずと言っていいほど紹介されているのがこのシディ・ブ・サイドの街並み。白い壁に青い装飾が良く映え、多くの観光客でにぎわいます。

ここを訪れたらまずはカフェ・ド・ナットでミントティーを飲んで一息。ナットとは「ござ」という意味で、その名の通りカフェの中にはござが敷かれ、人々がおしゃべりに興じつつくつろぐ姿が。横に伸びる路地にはスイーツの出店が並びます。

世界で最も古いカフェの一つ、カフェ・ド・ナットの入り口

揚げドーナツ「バンベローニ」は家でも作れるよ!とガイドさんが教えて下さいました。

この町を19世紀末に整備したのは、チュニジア文化を愛したフランス人オルランジェ男爵。彼のはたらきかけで世界で初めて景観保護の条例が作られ、街は整えられてゆきました。扉に鋲で描かれている模様は装飾の他、魔除けや伝統的なベルベル人のマークだったりもするそうです。

伝統的な模様の描かれた扉

高い空、地中海と美しい街並みのコントラストが非常に印象的。街中にはリゾートらしいのびのびとした雰囲気が溢れています。

シディ・ブ・サイド

 

サハラ砂漠での宿泊

チュニジア旅行で特に楽しみにされる方も多いのが、砂漠の中のオアシスに作られたテント型ホテルでの滞在です。砂漠観光の拠点、ドウーズを出るとまずはチュニジア最大の塩湖、ショット・エル・ジェリド(ジェリド湖)に到着します。路肩の土産物屋さんに立ち寄り、おいしいデーツや塩をお土産に。

チュニジア最大の塩湖、ジェリド湖

途中、四輪駆動車に乗り換えてさらに南へ向かいます。周りの景色から徐々に緑が無くなってゆき、ごろごろとした石が転がる礫砂漠になってゆきます。少しおしりが痛くなってきたころ、クサールギレンのPansy Campに到着しました。

宿泊地自体はオアシスの中に位置し、ナツメヤシに守るように囲われていますが、小道をたどってオアシスの淵まで歩けば目の前にはまるで海のように波打つサハラ砂漠が広がります。日が沈む時間に合わせてラクダに乗って夕焼けに桃色に染まる砂丘を楽しみに行きました。ラクダは案外背が高く、立ち上がるとき、降りるときにコツが必要です。

人間が夕日が落ちるのを待つ間、ラクダ達はひと休憩

砂に映る影

翌朝も早起きして朝日を望みました。

サハラ砂漠から見る初日の出

 

ベルベル人の洞窟住居

今も伝統的な生活様式を続けるベルベル人の人々の自宅訪問もユニークな体験のひとつです。現存する数少ない洞窟住居の一つにお邪魔しました。

入口の部分には色鮮やかな絨毯がひかれ、来客スペースとなっています。伝統的には、お客様が入れるのはここまでで、家の中は家族のスペースなので決して入れなかったとか。

お客様用の絨毯を織る機械

家は中心に大きな穴があり、そこから部屋として使われる小さな穴へと入るつくりになっています。台所や寝室、食糧庫をのぞかせてもらいました。1階部分が居住スペースで、2階部分は物置や倉庫として使われています。

家の中には様々な魔除けのモチーフが見られました。

魔除けのファティマの手と魚のマーク

魚の尾びれも邪気を追い払ってくれると信じられているそうです。

 

また、伝統衣装に身を包んだお母さんが、焼きたての伝統的なパンやはちみつ、オリーブオイルでもてなして下さいます。シンプルながらもじんわりとおいしい味わいで、いつもお土産に大人気です。はちみつはユーカリとローズマリー、2種類がありました。ここでしか買えないということで、お土産に買われる方も多くいらっしゃいました。

伝統衣装に身を包んだベルベル人の女性

手作りのはちみつとオリーブオイル

最後に丘を登り、家を上から覗かせてもらいました。

洞窟住居を上から眺める

 

海辺の街並も、南部の乾燥地帯での伝統的な生活の姿も知ることができるチュニジア周遊のツアー。後編ではチュニジアが誇るローマ遺跡やモザイクについてご紹介致します。

 

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