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スリランカ5つの世界遺産と高原列車で行く中央高地<後編>

  • スリランカ

2020.07.02 update

前編に続き、後編では、ツアーで訪れる4つの世界文化遺産をご紹介します。

 

■シギリヤロック
 
スリランカで最も有名な観光スポット、世界遺産シギリヤロック。ジャングルのなかに忽然と姿を現すシギリヤロックは、地上200メートルの高さを誇る巨大な一枚岩です。この岩山の上にあるのがかつての王宮跡で、築いたのはシンハラ王国の王子であったカッサパ。カッサパは477年にクーデターを起こし、王だった実父を殺害し王権を奪取しました。しかし、平民出身の母親を持つカッサパ王は、王族出身の母を持つ弟モッガラーナに王位を奪還されることを恐れ、首都であったアヌラーダプラを離れ、より安全なシギリヤへと遷都しました。弟による報復を恐れた彼は、逃げるようにして巨岩の上に宮殿を築いたのです。シギリヤロックの頂上には、現在も貯水池などの宮殿の遺構が残っています。360度を見渡せる巨岩の上から眺める密林の風景は壮観。天空の城にいるような気分が味わえます。途中の岩壁に残る神秘的な美女のフレスコ画、「シギリヤレディ」も見逃せません。

古代都市シギリヤ。頂上までは約40分です

謎の多い美人壁画


 

シギリヤロックに描かれた女性たちは天女アプサラではないかと言われていますが、未だ正体はわかっていません。現在残っているのは18名だけですが、かつては500人もの女性が描かれていたといわれています。
※写真は博物館で 撮影したレプリカです。 現在 シギリヤレディは写真撮影が禁止されています。
 
 

■ダンブラ石窟寺院
 
スリランカの仏教遺跡の中には、屋外ではなく洞窟を利用して造られたものがあります。その一つが世界遺産・ダンブラの石窟寺院。スリランカで最も大きい石窟寺院で、全部で80以上の石窟があるのですが、解放されているのは第1~5窟のみ。5つの窟では、大小の仏像と無数の壁画が見られます。紀元前3世紀ころより僧院として機能していましたが、紀元前1世紀、タミル人の侵攻によりアヌラーダプラから逃れてきた王がここに隠れていました。15年後に首都奪還したのちに、王はその感謝を忘れず寺院を保護するようになり、多くの寺院が建設されました。第1窟から順番に見学します。

 

第1窟:デーワ・ラージャ・ヴィハーラ

 
紀元前1 世紀に最初に造られたのがこの石窟 。「神々の王の寺院」といわれる デーワ・ラージャ・ヴィハーラには寺院最大の仏像があります。その大きさは全長15mの涅槃像です。全身を黄金色に染められているのに足の裏だけが真っ赤なのが特徴です。

 

第2窟:マハー・ラージャ・ヴィハーラ

 
こちらは石窟寺院のメイン、 マハー・ラージャ・ヴィハーラです。 「偉大な王の寺」を意味し、 ここでいう偉大な王とはワラガム・バーフ王のことを指します。洞内には彼の像の他、56 体もの仏像が安置されています。その他、壁や天井一面に描かれた壁画も見ものです。洞内奥の中央部には壺が置かれており、天井から湧き出る水が滴り落ちています。この聖水は高僧によって宗教行事に使われます。

 

第3窟:マハー・アルト・ヴィハーラ

 
マハー・アルト・ヴィハーラ「大きな新しい寺院」と言われており、18 世紀にキャンディ朝の キルティ・スリ・ラジャシンハラ王によって造られ、 全長9mの寝仏をはじめとする合計57m体の仏像で埋め尽くされています。

 

第4窟:パッツィーマ・ヴィハーラ
 
パッツィーマ・ヴィハーラは「西の寺院」と言われ、 規模は小さいですが入ると目の前に座禅を組んだ仏像が鎮座し、天井は色鮮やかな仏画で埋め尽くされています。

 
 

第5窟:デワナ・アルト・ヴィハーラ

 
こちらは、いったい誰が作ったのか今もはっきりしていません。 1915年に修復されており壁画はかなりきれいです。

 
 

■仏歯寺
 
キャンディ中心地に位置する、スリランカを代表する仏教寺院です。4世紀にスリランカに入ってきた仏歯が、当時の王都アヌラーダプラの礼拝堂に祀られていました。その後、12世紀に王都がポロンナルワに移り、それとあわせて仏歯も移されます。この頃には、仏歯の神秘的な力によって恵みの雨がもたらされ発展する、という信仰と、仏歯を持つ者がシンハラ王国の王位継承者であるという考えが広まります。そのため仏歯は王都が動くたびに移動し、159年、最後にキャンディの仏歯寺へとわたっていきました。

八角形のシンハラ建築「八角堂」

入り口でセキュリティチェックを受けて敷地内へ入ると、仏歯寺の紹介としてよくガイドブックなどで見かける「八角堂」が見えます。真っ白な八角形をしたシンハラ建築の建物で、もともとは王の休憩所として建てられました。イギリスに支配されていた時期には留置所にされてしまいましたが、今では図書室となっています。

本堂の脇で靴と帽子を脱ぎ中へ入ると、アーチ型をした天井に壁画が描かれた通路に出ます。天井には「ペラヘラ祭」の様子が描かれていました。ペラヘラ祭とは、仏舎利を乗せた象が街の中を練り歩く祭事で、よく「象の祭り」と紹介されることがありますが、本来は「行列の祭り」という意味です。

 
壁画の通路から先へ行くと、象が通り抜けられるだけの高さがある色鮮やかな回廊があり、その向こうに、仏歯寺の中で一番古いお堂があります。お堂は二階建てになっていて、一階に象牙が飾られた祭壇があり、二階に仏歯が祀られています。お堂の壁や梁には素晴らしい彫刻や絵があります。仏歯が祀られている二階への階段を上がっていくと、途中の踊り場に、仏塔や仏舎利を入れる入れ物、インドから仏歯が持ってこられたときの様子を描いた彫刻などが展示されていました。二階へ上がると一際立派な祭壇があり、たくさんの人が参拝をしています。ここに仏歯がおさめられていて、一日3回のプージャ(お祈り)の時に扉が開かれ、仏歯が入った金色の入れ物を見ることができます。

献花台の向こうに聖なる仏歯が祀られています

仏歯安置のお堂の奥の部屋には、仏歯がスリランカにもたらされた歴史を描いた絵画や各国から寄贈された仏像が安置されていました。

 

■ゴール旧市街
 
古くから港町として栄え、ペルシア、アラブ、ギリシア、ローマやマレー、中国など多くの地域から商人が訪れていました。1505 年にポルトガル人が築いた最初の砦を、後に支配したオランダ人が拡張して街を形成。1796年、イギリス植民地となり支配拠点として城塞都市へと発展していきました。周囲を取り囲む城塞はアジア最長で、時計台、白いモスク、石畳の小道、コロニアル調の邸宅など、旧市街地に今も植民地時代の異国情緒が残り、450 年間の植民地統治時代を今に伝える貴重な街として、世界遺産に登録されています。ツアーの最後にスリランカの植民地の歴史を今に語り継ぐ城砦都市ゴールを訪れました。

美しいインド洋に臨む白亜の灯台

美しいインド洋に臨む白亜の灯台

新旧の街を結ぶ門は二つしかなく、交通量も多く行き交う人々を眺めると、かつての城砦都市が今もなお生き続けていることを実感します。

城砦の旧門にはオランダ東インド会社の紋章「VOC」がきれいに残っています。

ダッカ教会。もともとは墓場でしたが1775年に教会となりました。

インド洋からの風が気持ちいい遊歩道

手つかずの美しい自然が残されているスリランカ、そこには自然と人々がありのままに共存しています。人も穏やかで、気候も人を優しくさせるような湿度と気温。本当に人の気持ちを癒す島だと思います。他にもサファリやホエールウォッチング、アーユルヴェーダや天然石などスリランカが誇る魅力はいっぱいです。

ぜひ一度スリランカへご旅行ください。

 

 

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スリランカ5つの世界遺産と高原列車で行く中央高地<前編>

  • スリランカ

2020.06.25 update

「光り輝く島」という意味を持つスリランカ。インド洋に浮かぶ自然豊かな島国です。国土は北海道の約8割程度と小さな国ではありますが、熱帯雨林から乾燥した平原地帯、セイロン紅茶で名高い広大な茶畑が広がる高地、砂浜のビーチに至るまで多種多様な自然と、8つの世界遺産を有する“光り輝く島”として多くの観光客を魅了しています。2009年に26年に亘った内戦が終結、その後経済が急成長し、観光のニーズが増えているスリランカ。世界的に有名なガイドブック「ロンリープラネット」が選ぶ「2019年行くべき国」の第1位にも輝いた世界も注目する観光国です。
スリランカは、二つのモンスーン(季節風)の影響によりエリアによって雨季の時期は異なりますが、年間を通して低地は暑く、高地は涼しく比較的どの時期でも旅行がしやすい国と言えます。今回は、西遊旅行が年間通して設定している「スリランカ5つの世界遺産と高原列車で行く中央高地」のコースの見どころをお届けします。

 

まずはツアーのタイトルにも入っている人気の高原列車からご紹介します。

 

■「紅茶列車」に乗って緑あふれるスリランカの中央高原を走る

スリランカの鉄道は、イギリス人により植民地時代の1858年に導入されました。セイロン紅茶の栽培を始めた際に、その集荷用に路線を引いたのがはじまりです。当時は紅茶・農産物を輸送するためにレールが敷かれましたが、現在では人々の移動手段として利用されています。

 

キャンディ近くのランブッカナ(Rambukkana)駅からヌワラエリヤのナヌオヤ(Nanu Oya)駅の区間は茶畑の中を進み、車では味わうことのできないスリランカ独特の茶畑の風景を満喫できる人気の路線です。この路線は、近年「紅茶列車」とも呼ばれ、スリランカの人々からも人気です。右に左に揺られながら高原を駆け上がっていく列車では、アジア随一とも言われる絶景を楽しむことができます。ランブッカナ駅からヌワラエリヤのナヌオヤ駅までは約4時間の列車旅です。


 
ランブッカナ駅から乗車。列車は定刻通りに到着しました。いざ、出発です!

 

スタート地点のランブッカナらナヌオヤまでは標高差があるため、列車はゆっくり進みます。出発して1時間程は田舎町の景色が中心です。列車内はエアコンはありませんが、窓から入ってくる風が心地よく、むしろ開放的です。特急列車ではないため、途中いくつもの駅で停まります。停車駅では売り子のおじさんたちがドリンクや軽食を販売。標高が少しずつあがり、いよいよ紅茶畑が見えてきました。

高原列車の車窓に広がる美しい茶畑

 

紅茶畑の中を列車が走る風景はとてもフォトジェニックでぜひ一度体感していただきたいです。

 

■スリランカの動植物、世界自然遺産も満喫

ツアーでは遺跡を訪問するだけでなく、スリランカが誇る自然も体感していただきます。ヌワラエリアでは世界自然遺産「ホートンプレインズ国立公園」、ピンナウェラでは「像の孤児園」を訪問します。

 

ホートンプレインズ国立公園

2010年に世界遺産に登録されたスリランカ中央高地の一部をなす国立公園です。3,159ヘクタールの敷地を有し、1969年に自然保護区に指定され、1988年には固有種や自然の美しさを保持する目的のため、動植物保護法のもと国立公園に指定されました。標高2,000ⅿの草地が広がる高原地帯で、手つかずの大自然が残されています。公園の西側の丘にはスリランカ最大の雲霧林が広がります。

公園入口に現れたサンバー

固有種ススイロヒタキ

公園内のルート。整備されており難しいハイキングではありません。

高さ約1,000ⅿの絶壁「ワールズエンド」からの眺め

標高差約150ⅿ、片道4㎞、約3時間のハイキングとなりました。

 

ピンナウェラ像の孤児園

ピンナウェラ象の孤児園は、もとは母親とはぐれたり死別した子ゾウを保護する目的でスリランカ政府によって1975年に設立された施設です。現在は約100キロ平方メートルの敷地内に80頭前後の象が暮らしています。親象とはぐれてしまった子ども象や、怪我をしてしまった象が保護されています。孤児園でのイベントは2つ。9:15からのミルクやりと、10:00からの水浴びです。ミルクやりを見学した後は、水浴び場へ向かう象さんを待ち伏せします。園内で飼われている象のほとんどがこの時間に大移動します。その光景は圧巻でした。また、嬉しそうに川で水浴びをする象さんはとても可愛かったです。

像のミルクやり、一瞬で乳ビンを飲み干します

水浴び場へ向かうため、道路を横断する像

園近くのマハオヤ川で水浴びする象さん。1日2回(10:00 と14:00)水浴びをします。

この孤児園の運営にはとてもお金がかかるので、私たちが見学することで少しでも象さんのためになっていたらと思いました。
 

スリランカゾウ

植民地支配が始まる前には4万頭以上の野生のゾウが生息していました。植民地下で激減し1970 年当時には2,000 頭にまで減ってしまいました。特にイギリス時代のハンティングはひどいもので、あるイギリス人将校は一人で1500 頭のゾウを撃ったことで知られています。記録によると1829年から1855 年のわずか26 年の間に6000 頭のゾウが射殺されました。1986 年、スリランカゾウは絶滅危惧種に指定され保護されるようになりました。人とゾウとの住み分けのために電子柵が設けられたり、孤児を救い自然に戻す試みも行なわれています。現在では6,000 頭ほどにまで回復しましたが、いまだに密猟などにより年間100 頭が犠牲になっているといわれています。

 

 

後編では、ツアーで訪れる4つの世界文化遺産をご紹介します。

 

 

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文明の十字路 ウズベキスタン

  • ウズベキスタン

2020.06.18 update

シルクロードの面影が残り、美しいイスラム建築の建造物が魅力的な中央アジアのウズベキスタン。今回はウズベキスタンの代表的な3都市(サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ)をご紹介いたします。

 

サマルカンド – 青の都

中央アジアで最も古くから繁栄した都市で、「青の都」とも呼ばれています。かつて13世紀にはチンギス・ハン率いるモンゴル軍により徹底的に破壊されましたが、その後14~15世紀ティムール朝の首都となった際に、多くの青い建造物が建てられました。ティムールやその孫・ウルグベクの人物像や、彼らの建てたブルーの建造物が織り成す世界に魅了されながら、文化・文明・歴史の交差路であったことを肌で実感できる町です。

英雄ティムールとその息子たちが眠る「グル・エミル廟」

 

ティムールが愛妃のために建造した「ビビ・ハニムモスク」

 

かつてサマルカンドの都が築かれ、その後モンゴル軍に破壊された「アフラシアブの丘」

 

何本ものシルクロードが交わり、様々な文明の交差路となっていたサマルカンド。その中心地となっていたレギスタン広場には3つのメドレッセ(神学校)が配置されています。

3つの神学校があるレギスタン広場

 

メドレッセの1つ「シェルドル・メドレッセ」の入り口に動物と人間が描かれた面白い絵柄があります。これは偶像崇拝が禁止されているイスラム教で、建築家が自分の権力を誇示しようとしたためだといわれています。しかし信者たちから強い批判があり、建築家は責任をとって自殺したという伝説が残されています。

200スム札にも描かれているシェルドル・メドレッセ入口アーチの絵

 

ツアーでは、ティムールの孫で天文学者であるウルグベクが建造した「ウルグベク天文台」にも訪れます。ウルグベクは聡明な学者肌の人物で、詩や音楽の鑑賞も好んだといわれています。

ウルグベク天文台

 

ウルグベクは恒星時1年間を365日6時間10分8秒と計算しましたが、これは現在の精密機器で計算した時間とわずか1分の誤差で、当時の技術でどう割り出したのか詳細には判明していません。

ウルグベク像

 

 

ブハラ – 中世隊商都市

紀元前5世紀には都市が造られたとされるブハラは、9世紀のサマン朝の時代に黄金期を迎え手工業、商業が盛んになり、交易の十字路となりました。サマルカンドの全盛期以前に賑わっていた町で、中世隊商都市の趣きを感じることができます。サマン朝最後の王がイスマイル・サマニが父親のために建てた、中央アジア最古のイスラム建築「イスマイル・サマニ廟」は、レンガだけで様々な組み方がされ、陰影があるため日差しの強弱などで凹凸の見え方が変わるといわれています。

イスマイル・サマニ廟

 

大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザール「タキ」は、かつて専門店的要素が強く何でも見つけることができるといわれ、多くの民族が集まりました。丸屋根は高く大きく、外の光が入りやすいようたくさんの窓があります。現在のタキはスパイス、スザニ(布製品)、その他お土産物などの多くの店があります。

丸屋根市場「タキ」の外観

 

「タキ」の内部

 

スパイス屋

 

ブハラは13世紀にはモンゴル軍に破壊されましたが、16世紀、ウズべク人のシャイバニ朝時代に再びよみがえり、多くのモスク、メドレセが建築され宗教的に充実した都市となりました。

ブハラ・ハンの居城「アルク城」

 

ブハラ・ハン専用のモスク「ボロハウズ・モスク」

 

ツアーでは、民族舞踊のディナーショーにもご案内いたします。

民族舞踊ディナーショーの様子

 

 

ヒヴァ – 城壁の町

砂漠気候で年間300日は快晴であるヒヴァは、二重の城壁に囲まれており、内城のイチャン・カラは450メートル×600メートルの小さな城壁内全体が1990年に世界文化遺産に登録されています。17世紀、ヒヴァ・ハン国の首都となり、政治・経済・宗教の中心としてモスクやミナレット、メドレセが続々と建設されました。サマルカンドやブハラと比較すると小規模ではありますが、こじんまりとした良さがあり歩いていて非常に落ち着く街並みとなっています。西門を抜けるとまず目に飛び込んでくるカリタ・ミナルは高さは26m、直径は14.2mの巨大なミナレットで、1852年に建設が着工されました。その後ムハンマド・アミン・ハンがペルシャとの戦いで死亡したため工事は中断され、未完のまま残っています。

未完の塔カリタ・ミナル

 

ジュマ・モスクは213本の木の柱が建てられた多柱式建築で、中央アジアで最も古いモスクといわれています。

ジュマ・モスク内部

 

ヒヴァで一番高く新しいイスラム・ホジャ・ミナレットは1910年に建てられました。118段の階段があり、ご希望の方はフリータイムに登って頂くことができます。階段はとても急で、翌日筋肉痛になるほどですが、頂上からの景色は格別です。

イスラム・ホジャ・ミナレット外観

 

イスラム・ホジャ・ミナレット頂上からイチャン・カラを一望

 

 

今回はウズベキスタンの代表的な3都市をご紹介いたしました。ツアーでは各都市に2連泊し、じっくりと魅力をお楽しみいただけます。皆さんも、ブルーの建造物が織り成す世界に足を踏み入れ、文明交差路の歴史を感じてみませんか。

 

 

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アドベンチャートレック in ヨルダン <後編 ワディ・ムジブでのキャニオニング>

  • ヨルダン

2020.06.11 update

 

後編では、死海に注ぎ込む渓谷、「ワディ・ムジブ」でのキャニオニングをご紹介します。

 

前編でのヨルダン最高峰「ウンム・アーダミ山」でのトレッキングを終えたあとは、ヨルダンの代表とも言えるペトラに2泊して丸一日ペトラ遺跡観光を楽しみ、その後、ヨルダンの西側、イスラエルとパレスチナ自治区との国境にもなっている死海沿岸まで移動してきました。死海は実際は海ではなく湖ですが、注ぎ込む河川の水量よりも湖水の蒸発量の方が多いために水位が下がり続け、湖岸の標高は地球上の陸地最低点である、海面下430mとなっています。水分だけが蒸発していくので塩分濃度が海水の10倍と非常に高くなっており、湖水が重いため、入浴すると通常経験できないような浮遊体験を楽しめる場所として人気で、湖岸にはリゾートホテルが立ち並んでいます。このツアーでもそういったホテルに連泊し、そこを拠点としてワディ・ムジブまで足を伸ばします。

モーベンピック リゾート & スパ デッド シー

 

ワディ・ムジブは、死海に流れ込む川です。ヨルダン・イスラエル両国の国境となる死海周辺は、キリスト教とユダヤ教の正典である旧約聖書の中の多くの話が舞台とする地ですが、このワディ・ムジブも旧約聖書に登場する「アルノンの奔流の谷」として比定されていて、紀元前、この周辺の民族の境界となっていました。歴史的に知られている川なのですが、それだけでなく、この渓谷の周辺はヨルダンに7つある自然保護区の一つとして指定されており、アイベックスをはじめとする野生動物の宝庫として知られています。「ワディ」とは本来アラビア語で「涸れ川」、雨季の一時的な豪雨の時のみに水が流れる川のことを指しますが、このワディ・ムジブは一年を通して水が流れていることもあり、豊かな生態系が築かれています。

ラッシュガードやウォーターシューズなどキャニオニングの服装をしてバスでホテルを出発。帰りの着替えやタオルも持っていきます。キャニオニングの出発点となる、ワディ・ムジブが死海に流れ込む河口にあるビジターセンターに到着し、キャニオニングの説明を受け、ここからガイドさんに付いてきてもらいます。ライフベストを装着して出発です。

ビジターセンター

 

まずはビジターセンターからはしごを下って川に着地。そこから上流へ向かってざぶざぶと歩いていきました。ただの川ではなく長年侵食された渓谷のため、両側は数十メートルはあろうかという高くそびえ立つ砂岩の崖。標高の低い死海周辺は気温も高く、夏は日中35度を超えることが多いため、川の水温もちょうどよく気持ち良いです。

河口付近は流れは穏やかです

 

歩き始めてから少し経つと、白波が立つような急流、足のつかない深い場所などがあり、これほどカラカラに乾いた夏のヨルダンのどこから来たのかと思わせるほど豊かな水量でした。そういった場所にはロープが張られており、ロープに掴まりながら泳いで難なくクリアしていきました。

 

水の中を歩いていくだけでなく、岩を這いつくばるような所も多くて変化に富んでいます。滝になっている箇所の横の岩をよじ登っていったりしますが、なかなかアドベンチャーです。そういったところではガイドさんが手を貸して助けてくれました。流れが急な場所はロープでガードされて立入禁止となっており、そういったところは避けながら安全に進んでいきます。

 

出発から一時間半弱で、大滝に到着し、ここが折り返し地点になります。滝の裏側に回ることもでき、水をたっぷりと浴びて気持ちよかったです。

ゴールの大滝

どのようにしてこうなったのでしょうか…

 

ここから、同じルートを河口まで戻っていきます。ルートは同じですが、また違った楽しみ方ができます。今度は、往路滝のようになっていた行きの難所を、ウォータースライダーのようにして滑りながら下れる場所などもありました。河口付近は流れも緩やかになっているので、仰向けになるとぷかぷか浮きながら流れに身を任せて進んでいくことができます。出発から3時間でビジターセンターに戻ってきました。楽しい時間はあっという間に終わってしまい、あともう1往復したいと思わせるキャニオニングでした。

 

 

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アドベンチャートレック in ヨルダン <前編 ヨルダン最高峰ウンム・アーダミ山登頂>

  • ヨルダン

2020.06.04 update

 

古くより文明の栄えた中東に位置するヨルダン。周辺の国々と同様、紀元前に遡る時代から国々が興亡を繰り広げた地域で、社会情勢が比較的安定していることもあって、ペトラやジェラシュといった見ごたえのある遺跡が人気となっています。
遺跡だけではない自然の魅力もヨルダンにはあり、地球の陸地上で最低所であり塩分濃度が海水の約10倍である死海や、南部の砂漠を訪れるのも、ヨルダンツアーでは定番です。が、そんな定番を取り入れつつ、さらに1歩踏み込んだヨルダンを体験できる「アドベンチャートレック in ヨルダン 」のツアーを、今回は前後2回に渡ってご紹介したいと思います。

 

前編でご紹介するのは、ヨルダンの最高峰「ウンム・アーダミ山」のトレッキングです。
ウンム・アーダミ山はヨルダンの最南端、隣国サウジアラビアとの国境のすぐ手前に位置しています。ヨルダンの玄関口、首都のアンマンの国際空港に降り立ってから、一路南へ。古くからメソポタミアとエジプトを結んできた「王の道」と呼ばれる交易路をなぞるハイウェイを南下していきます。南部は年間降水量が100mm以下となる砂漠気候で、道沿いにも乾いた大地が広がってきました。空港を出発して5時間半ほどで、ウンム・アーダミ山のある砂漠地帯、ワディラムに到着。1日目は砂漠キャンプに宿泊です。キャンプと言ってもテントではなく、ベドウィン風のロッジが並んでいる砂漠のリゾート。

ハサン・ザワイデ・キャンプ

 

ヨルダンの民族はほぼアラブ人ですが、ベドゥインは砂漠で遊牧生活を営むアラブ人の一派です (現在のヨルダンでは純粋な遊牧生活を送っている人は非常に少ないです)。キャンプでの夕食は、ベドゥイン料理のザルブが出て来ました。チキン、ラム、野菜を地中で蒸し焼きにする料理です。地中から取り出すところを見ることが出来ました。それらを、ご飯の上に豪勢に盛り付けてくれました。

ザルブ

 

早朝、キャンプを出発。四輪駆動車に分乗して、ウンム・アーダミ山の麓へ向かいました。車内ではなくトラックの荷台のような四輪駆動車の後方部に乗り込みます。

 

このワディラムの砂漠には、砂岩でできた無数の赤茶色の岩山が点在しており、ここも舞台にしている映画『アラビアのロレンス』の世界。100年前の第一次世界大戦時、オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援したイギリスの軍人、ロレンスが活躍した場所になります。柔らかい砂岩のため、風化によりチョコレートが溶けたような岩肌をした山々や、ぽっかりと穴が空いている崖などもあり、飽きない景色が続いていきます。朝の砂漠の気持ち良い空気に当たりながら、アドベンチャーなドライブとなりました。

 

 

キャンプを出発してから2時間ちょっとでアーダミ山の麓に到着しました。眼前にそびえるのがウンム・アーダミ山です。登山口の標高は1427m。ここから、1854mの山頂まで、標高差約450mを登って行きます。

登山口より

 

登山口付近の大きな岩が転がる箇所を抜けたあと、まずは、崖のようにそびえる岩場に向かっていきました。岩場に対して左右にジグザグになりながら登りますが、それでも傾斜はきつく、ストックはしまい手をついてよじ登るようにして上っていきます。この最初の30分間の一番急なところを終えると、平らな箇所に出ました。緩やかに傾斜のついた広場のような景色になり、そのまま正面に向けて進んでいくと、コルとなっている場所まで出ます。

岩場を抜けたあと、崖に取り付きます

正面のコルへ

 

そこからは、登山口から見て尾根の裏側の岩場を進みます。傾斜はまたきつくなってきました。石がごろごろとしており、滑りやすいので、気をつけて登って行きました。奥まで進むと、頂上に続く尾根に出ます。振り返ると遥か下の登山口にとまっている四輪駆動車が見えました。ここまで来ればあと一息。目の前の頂上を目指して、大岩を縫うように歩を進めます。あと15分ほどです。

尾根の裏側

あと一息!

 

ヨルダン最高地点となる頂上に到着しました。頂上は岩がごろごろとしており、ヨルダン国旗が立てられていました。 黒・白・緑・赤の、周辺国家でも見られる汎アラブ色を採用しています。赤は、ヨルダンの王家であるハシェミット家も表しています。登山開始から2時間、汗をかいて登ってきた後の360度の絶景は最高でした。1854mとはいえ最高峰。周りの山々を下に見下ろす素晴らしい景色が広がっていました。

頂上からの360度の眺め

ヨルダン国旗

 
南を向けばサウジアラビアがすぐそこに見えます。頂上の南約2.5kmに直線の国境が走っているので、目と鼻の先です。サウジアラビア側の建造物も望めます。

サウジアラビア側

 

急な傾斜と滑りやすい地面に気をつけながら下っていきます。登って降りて約4時間の気持ち良いトレッキングでした。

 

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