秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

今回は京都大学の研究林である芦生の森に訪れるコースへ添乗に行った際の様子をご紹介します。訪れた11月は丁度、紅葉の時期で大変すばらしい景色をご覧いただくことができました。

1日目:京都駅~神護寺~かやぶきの里

初日は京都駅、八条西口駅へ10時にご集合いただき、専用車に乗り込んですぐに京都駅を出発しました。五条通、四条通を通過し鴬張りで有名な二条城を横目に周山街道162号線を通り、まずは神護寺へ到着しました。雨がしとしと降る中、高雄橋を渡り神護寺の参道の約400段の階段を上り境内へ向かいます。

神護寺

高野山真言宗遺迹本山の寺院。神護寺は、神願寺と高雄山寺が824年に合併してできた寺といわれています。この二つの寺は、豪族和気氏ゆかりの寺です。
和気 清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族です。和気清麻呂の墓が今の神護寺境内にありました。空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時、住んでいた寺でもあり、最澄もここで法華経の講義をしたことがある等、日本仏教史上重要な寺院です。また、かわらけ投げは、この寺が発祥とされています。

 

近くには、空海の甥である智泉が神護寺の別院として建立したと伝えられる西明寺、「鳥獣人物戯画」をはじめ多くの文化財を伝える寺院として知られ高山寺があります。自由時間には歩いてほかの寺院にも訪れることができますよ。神護寺を後に、美山のかやぶきの里へと向かいます。

神護寺の大師堂

美山、かやぶきの里・北村

京都府南丹市美山町北にある山村集落で、今では珍しくなった茅葺き屋根の家屋がここには数多く残っています。林業を主産業とする山村集落だったそうで、集落の中を通る街道は、いわゆる鯖街道の一つとされ、京都と若狭の中間地であり、多くの旅人が行き来していたそうです。1993年、周囲の水田と山林を含む集落全体127.5ヘクタールが、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。現存している茅葺き屋根の家屋の多くが江戸時代中頃から末期にかけて建てられたものであり、「北山型民家」に分類されています。

美山かやぶきの里

 

あいにくの雨。ではなく、雨降るかやぶきの里はより趣を感じさせる景色でした。その後、芦生の山のトレッキングの拠点となる宿。山の家に到着。

この日は到着し、ゆっくりしてから夕食を頂きます。なんといっても山の家は料理がおいしい!この日は地鶏と椎茸、京野菜などの鉄板焼きを頂きました。山の家では椎茸やなめこを育てており見たこともないような肉厚の椎茸をいただきました。時期によって旬のおいしい食事をお楽しみいただけます。

夕食に出てきた新鮮な地鶏

 

 

2日目:芦生の森 上谷下谷トレッキング

2日目はガイドと合流し8時に山の家を出発。ガイドしか持っていない鍵でゲートを開け芦生の森へ入ります。道中も素晴らしい紅葉を見ることができます。造られた赤一色の派手な紅葉ではなく、自然の紅葉は、赤、黄、緑、茶色などたくさんの色が溢れています。

芦生の森の紅葉

芦生の森の紅葉

芦生の森

芦生の森は、美山町の東に位置し約4,200haの広大な面積を有します。その約半分に当たる2,150haは少なくとも開設後は手の入っていない天然林で、この中には森林の成立以降人為的な力の加わっていないと考えられる原生林があります。斜面に対応して樹木が分布しており、斜面上部ではアシウスギの分布密度が高く、中腹ではブナを主としてミズナラなどが優先し、沢筋ではトチノキやサワグルミなどが多く分布しています。このような植生の多様性から、植物学者で東京大学教授の中井猛之進が『植物ヲ学ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ』と研究誌に書いたことでも知られています。また、冷温帯株に属する天然林は西日本屈指の広さを誇り、芦生の森を含む一帯が平成28年に京都丹波高原国定公園に指定されました。

 

現在は京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林として管理されています。日本海側気候と太平洋側気候の移行帯に位置していることから、植生区分の上でも暖温帯林と冷温帯林の移行帯に属し、植物の種類が多く、研究林内で確認されている種数は、木本植物が243種、草本植物が532種、シダ植物が85種を数えます。その中には下枝が雪の重みで接地することで発根し、やがて一個体として独立して増殖する、多雪地帯に特有の伏条更新を行うことで知られるアシウスギやアシウテンナンショウのように「芦生」の地名を冠した学術上貴重な植物が含まれています。

 

トレッキングを開始前に下谷の大カツラを観察。このカツラの高さは38.5m。芦生の森の偉大さをその大きさで語るような迫力でした。このカツラには15種類の木が着生しているとのことでした。(アオハダ、アズキナシ、ウリノキ、ウリハダカエデ、コシアブラ、ツノハシバミ、ナナカマド、ノリウツギ、ハイイヌガヤ、ハソギソ、ヒメコマユミ、ムラサキシキブ、ヤマウルシ、ヤマグルマ、ヤマザクラ)昔は京都で3番目の大きさだったそうですが現在は京都で9番目の大きさだそうです。

カツラ

カツラの保存木

いよいよ、芦生の森のトレッキングを開始。道中では雪などのために垂れ下がった枝が直接地面に触れそこから新たに根が生え、親木から独立する伏条更新をする杉も見ることができました。

伏状更新する杉

伏状更新する杉

紅葉を楽しみながらトレッキング

この日は何度も川を渡るので長靴を履いてのトレッキングです。川には、たかはやが泳いでおり、手をひたすと魚たちが近寄ってきました。水も透明度が高くきれいです。昼食は由良川のほとりで頂きました。山の家のお母さんが作ったというお弁当。かやくごはんとしし唐のじゃこ煮などとっても美味しい。

昼食後は引き続き、散策を開始します。お昼過ぎからは午前中の道のりとは打って変わり、傾斜や幅の狭い道が多くなります。最終地点は日本海の見える展望地。日本海に浮かぶ島々を見ることができました。

日本海に浮かぶ島々

日本海に浮かぶ島々

3日目:芦生の森トロッコ道トレッキング~京都市内

3日目もガイドと合流しトロッコ道を散策します。山の家からトロッコ道までは歩いて10分ほどの場所にあり、入り口付近には研究林事務所があります。赤い屋根にかわいらしい印象の建物でした。その横にはすぐトロッコ道が。枕木を踏まないように一歩ずつ進んでいきます。横には透明度の高い由良川が流れており、由良川に写る紅葉も情緒があります。

トロッコ道

トロッコ道

由良川

由良川に写る紅葉

由良川と芦生の森

由良川と芦生の森

ガイドさんも仰っていましたが森林にはヒーリング効果があるそうです。それを身をもって体感することができました。トロッコ道の散策を終え、心温まるおもてなしをしてくれた山の家を後に京都市内のホテルへと移動します。

4日目:京都市内~鞍馬寺~貴船神社~京都駅

4日目は公共交通機関を利用し鞍馬へと向かいます。現在は以前、起きた土砂崩れの影響により、市原~鞍馬間の列車が運休している為、途中からバスを使い鞍馬寺に到着。

鞍馬寺

1949年までは天台宗に属していましたが、以降、独立して鞍馬弘教総本山となっています。本尊は、寺では「尊天」と称されており、「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊です。京都盆地の北に位置し、鞍馬山の南斜面に位置し鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地としても有名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られています。 また、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営していて、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっています。

鞍馬寺の仁王門

鞍馬寺の仁王門

平安時代、清少納言が「遠きて近きもの、くらまのつづらをりといふ道」と綴ったことで有名な九十九折の参道、放生池、吉鞍稲荷社、魔王の滝、鬼一法眼社を横目に歩いていき由岐神社へ到着。由岐神社の鳥居をくぐると大杉さんの愛称で知られる京都市天然記念物の杉の木が生えていました。樹齢は800年、高さ約53mだそうです。

その後、ご本尊に参拝。休憩をとり帰りはケーブルカーで降ります。鞍馬から貴船口へ、さらにバスで移動し貴船神社近くまで移動します。

貴船神社

全国に約500社を数える貴船神社の総本宮。天武天皇の御代・677年にはすでに御社殿が造られていたという、京都でも屈指の歴史を誇る神社です。清流・貴船川は鴨川の源流にあたり、また御所の真北に鎮座することから、“京都の水源を守る神”として歴代朝廷からも大切にされてきました。貴船は地名としては「きぶね」と読みますが、神社名は「きふね」と濁らずに読みます。清らかな水が濁らないように、との願いがあるとのことです。また、「きふね」は「氣生根」、氣が生ずる根源の地であり、“神様の氣に触れるだけで元気がよみがえる”といわれています。

貴船神社

貴船神社

まずは、貴船神社(本宮)からの参拝。貴船神社は貴船川に沿って社殿を構え、下流から上流に向けて、本宮・結社・奥宮の三社が鎮座しています。「本宮→奥宮→結社」と回る三社巡りが古い習わしで残っているそうです。

 

本宮の敷地内には2頭の馬の像がありました。実は、貴船神社は“絵馬発祥の地”。かつて日照りや長雨が続くと、朝廷は、水を司る神様を祀る貴船神社に勅使を派遣していました。降雨を祈願するときには「黒馬」を、止雨を祈願するときには「白馬」を奉納し、実際に生きた馬を献上していたそうです。平安時代には儀式が簡素化され、板に馬の絵を描いた「板立馬」が奉納されるようになり、これが現在の「絵馬」の原型になったのだそうです。本宮の前には授与所があり、こちらで大人気なのが「水占みくじ」です。石垣からわき出る御神水に占いの用紙を浮かべると、おみくじの内容が浮かび上がってくるというもので、水の神様を祀る神社らしいおみくじです。

絵馬

本宮にある馬の像

奥宮の祭神は闇龗神を祭神としますが、本宮の高龗神と同じ神であるとされています。この奥宮は本宮の上流約700m の所にあり、以前はここが本宮でした。タマヨリヒメノミコトが黄色の船に乗り大阪湾から川を遡り、たどり着いた地だとされています。かつてはこの奥宮こそが本宮であり、その手前を流れる「思ひ川」で身を清めてお参りをしていたそうです。奥宮本殿の真下には、巨大な「龍穴」があるとされています。この龍穴は、「奈良室生」、「岡山備前」と並ぶ“日本三大龍穴”のひとつ。特に神聖で強大な力を噴出するパワースポットとされています。

奥宮の祭神

貴船神社の奥宮

その後、縁結びの神「結社御祭神・磐長姫命」が祀られた中宮へ。
和泉式部の故事を生んだのはこの結社で、奥には和泉式部の歌碑があります。神武天皇の曾祖父にあたるニニギノミコトがコノハナサクヤヒメを娶る際、コノハナサクヤヒメと磐長姫命の父親は、姉妹ともに嫁ぐことを申し出ましたが、ニニギノミコトは醜い容姿の磐長姫命を送り返してしまい、磐長姫命はそれを恥じて、「このような悲しみは私だけにし、人々に良縁を授けよう」とこの地に鎮座されたそうです。

 

参拝を終え、宿泊したホテルへ一度向かい荷物を取り京都駅で解散とさせて頂きました。添乗で様々な場所へ訪れる機会がありますが、その中でも芦生の森は想像以上の素晴らしい場所でした。11月初旬は丁度、紅葉の時期で素晴らしいシーズンでしたが、春、夏と様々な顔を見せてくれるであろう芦生の森。

 

新コースではシャクナゲの咲く時期に芦生の森へ訪れます。ぜひ、何度も訪れたいと思わせる魅力がある芦生の森へ足を運んではいかがでしょうか。

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10月、神々の里高千穂 天孫降臨の地を訪ねてのツアーに同行させていただきました。今回はツアー中のハイライトである高千穂に登頂した際の様子をご紹介いたします。

 

【天孫降臨の地 高千穂峰】

霧島山脈の高千穂峰の山頂は古事記、日本書紀に記された天孫降臨の有力候補地の一つと言われ古くから信仰の地とされてきました。天孫降臨とはアマテラスオオミカミの命を受け、孫にあたるニニギノミコトが神々が暮らす高天原から地上に降臨するエピソードのことで日本神話の中でも非常に重要な場面の一つと言われています。高千穂峰は標高1,574メートル、霧島山脈の第2峰、日本200名山の一つです。頂上にはニニギノミコトが降臨の際に突き立てたといわれる天の逆鉾が現在もあり、現在も尚参拝客が訪れます。また、山頂からは眼下に広がる霧島山脈を堪能できる素晴らし眺望のため、春から秋にかけて全国から沢山の登山客で賑わいます。

   天高く聳える高千穂峰

ニニギノミコトが降臨の際に突き立てたといわれる天の逆鉾(あまのさかほこ)

山頂付近からの眺め。眼前には御鉢(おはち)山がそびえる

 

高千穂峰は麓の高千穂河原の登山口から往復で4時間で登頂が可能です。朝8時半、登山口を出発斜面を登っていきます。森林限界を超え、急斜面を暫く行くと。御鉢山が見えてきます。御鉢山は高千穂峰の西側斜面に寄り掛かるように重なる円錐形の火山であり、直径約600メートル、深さ約200メートルの円形火口です。火口からは噴気が立ちのぼっており、火口壁の頂上付近は絶壁をなしており、この上を通る登山道は「馬の背」と呼ばれています。

 

森林限界を越え、ひたすらガレ場を登っていきます

現在も火山ガスが出続ける御鉢山の火口

スリリングな「馬の背」を歩き眼前に聳える高千穂峰へ

「馬の背」からは遥か霧島連山が見渡せる(下山時)

 

馬の背を暫く進むと欽明天皇(540-571)の時代に高千穂峰と火常峰(御鉢)の間の背門丘(せとお)に社殿が建立された旧霧島神宮の社殿跡が見えてきます。社殿は御鉢山の度重なる噴火によって消失し、10世紀に麓(現在登山口のある高千穂河原)に移されました。ここまできたらあともう一息。一気に山頂までの急斜面を登っていきます。

 

眼前についに姿を現した高千穂峰

 

旧霧島神宮の社殿跡

 

山頂までは急斜面を一気に登っていきます

 

ついに山頂に到着しまいた。山頂にはニニギノミコトが降臨の際に突き立てたと言われる天の逆鉾があり、眼下には霧島の大自然が広がります。参拝を済ませ、各々お気に入りの場所をみつけて小休憩をとります。この日は天気にも恵まれ、素晴らしい眺めはここまで苦労をして急斜面を登ってきた我々への最高のご褒美となりました。

 

山頂に突き立てられた天の逆鉾

 

山頂から御鉢山、そして霧島山脈の絶景①

 

山頂から御鉢山、そして霧島山脈の絶景➁

 

高千穂峰の登頂は神話の世界と霧島の大自然を一度に体感することのできる、まさにこのコースのハイライトと言えます。登頂ができるシーズンは春から秋にかけてとなりますが、特に注目すべきは霧島山脈周辺でミヤマキリシマが咲く5月~6月です。高千穂峰では5月下旬から6月上旬にかけて、山頂付近が紫紅色に彩られます。ミヤマキリシマの開花する季節に合わせた日程でコースを設定させていただきましたので、是非ご検討ください。

 

どこまで続く雄大な霧島の大自然(馬の背)

 

 

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日本のロングトレイルのパイオニア・先駆けとして有名な「信越トレイル」を7月と10月に歩きました。長野県と新潟県の県境に連なる関田(せきだ)山脈の尾根沿いにつくられたこのトレイルは、かつては信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や米などが、信濃からは内山紙や菜種油などが運ばれました。古くは親鸞聖人の布教の道、戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に兵を連れて峠越えをしたとも言われています。また、標高1,000m級のこの山脈は、積雪が8mを超える豪雪地帯で、貴重な原生林に近い状態のブナの森が残されています。この全長80km、6つのセクションに渡る「信越トレイル」を6日間かけて踏破した時の様子をご紹介いたします。

セクション4・戸狩のブナ美林を行く(7月)

■1日目(セクション1の前半):斑尾高原登山口→斑尾山→万坂峠
飯山駅より、冬はスキー客で賑わう斑尾高原を通り、斑尾高原の登山口へ向かいました。登山口は、キャンプ場になっておりキャンパーの姿も見えました。トイレを済ませ、早速トレッキングを開始です。スキー場の斜面なので、見通しがよく気持ちよいですが、いきなり急登に汗が吹き出します。

見通しの良い斑尾高原登山口

7月下旬にはニガナ、ノリウツギ、ウツボグサ、ネジバナ、ヤナギラン、タムラソウ、ヒヨドリバナ、ゴゼンタチバナなどが咲いていました。

ヤナギラン(柳蘭)葉が柳に似ていて、花をランにたとえたのが名の由来。

ゴゼンタチバナ(御前橘)花の咲く株は葉が6枚にまで成長したもので、4葉の株にはつかない。

いきなりの急登に汗が吹き出します(7月)

1時間弱で「県境ベンチ」という見晴らしの良い展望ポイントに到着。ベンチの色が新潟側が青色、長野側が緑色になっていました。カエデの大木が1本あり、目印になっています。天気が良いときは、信越トレイルのゴール・天水山まで見えるそうですが、生憎の曇り空。それでも眼下に斑尾高原と飯山盆地が広がっており、時折吹く風と相まって、気持ちがよいところでした。

見通しの良い県境ベンチ(7月)

ここから樹林帯の山道に変わり、リフト終点、北山頂を経て、斑尾山の山頂へ。ここが信越トレイルのスタート地点になりますが、トレイルに進む前に、大明神岳を往復しました。大明神岳は、晴れていれば北信五岳の飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山を一望できる展望ピークなのですが、残念ながら山の展望はなく、眼下の野尻湖を見て引き返しました。

大明神岳より野尻湖を眼下に(7月)

再び斑尾山を経て、北山頂から急な斜面を下りました。タングラム・スキー場と斑尾高原スキー場の境になっています。このあたりは、ウダイカンバの木が多く、ダケカンバやシラカバと混生していました。ダケカンバは、通常は亜高山帯(1,700m~2,500m)に生育しますが、この辺りでは、1,000m程度なのに生育しています。これは厳しい気候条件であることを物語っています。万坂峠に到着しこの日の行程を終了しました。

ウダイカンバの混生する斜面を万坂峠へ(7月)

■2日目(セクション1の後半~2):万坂峠→赤池→涌井
万坂峠より30分弱で袴湿原に到着。7月にはサンカヨウの実やウバユリのつぼみ、マルバフユイチゴ(コバノフユイチゴ)の葉、マタタビの葉、ギボウシの花などが咲いていました。

袴湿原(7月)

ギボウシ(擬宝珠)つぼみ又は包葉に包まれた若い花序が擬宝珠に似ることに由来。

袴岳を越え、急な下りで柏ヶ峠へ。そこからはほぼ平坦で、途中から未舗装の林道になり、セクション1の終点である赤池に到着。

赤池(7月)

ブナの木にツキノワグマの爪痕

アガリコと呼ばれるコブ状になったブナ(7月)

さらに林道を進み沼の原湿原へ。湿原は、南に広がっていますが、トレイルは北側をかすめるように進みます。7月にはオタカラコウ、クルマユリ、オカトラノオなどが咲いていました。

沼の原湿原(7月)

クルマユリ(車百合)茎に輪生する葉を車輪の輻にたとえたことに由来。

オタカラコウ(雄宝香)

ブナとサクラが植樹された命(いのち)の森は、ヒヨドリバナのお花畑になっていて、風があり気持ちのよいところでした。その後、希望湖(のぞみこ)へ。東山魁夷の「静映(せいえい)」のモデルになった美しい湖でボート乗り場がありました。

ヒヨドリバナにとまる“海を渡る蝶”アサギマダラ(7月)

希望湖(7月)

飯山盆地が眼下に広がる毛無山(大平山)を経て、涌井新池へ下りました。10月にはアケビや山ブドウがたわわに実っていて、秋に味覚を楽しみながらのんびり進みました。未舗装の林道をゆるやかに下って、涌井の集落に到着しました。

畑の間を緩やかに下り涌井へ

マツヨイグサ(待宵草)

アケビの実(10月)

■3日目(セクション3):涌井→黒岩山→仏ヶ峰登山口→とん平(戸狩温泉スキー場)
涌井からいきなりドロドロの登山道を30分ほど苦労して進むと、未舗装の林道になりました。ほぼ平坦で道幅も広い道で、富倉峠、大将陣跡、北峠・ソブの池、黒岩山へと進みました。

林道脇のオオイワカガミの群生(7月)

歩きやすい未舗装の林道歩き(7月)

富倉峠に残されている石垣(7月)

未舗装の林道をなおも進み、テントサイトになっている桂池・平丸峠へ進みました。桂池から仏ヶ峰登山口までの区間が、この日の核心です。歩きやすい林道から悪路の登山道に変わり、かつ2つの沢を越えるため、アップダウンもあり、2時間が長く感じました。

悪路の沢越え(10月)

ようやく視界が開け、スキー場のリフト終点になっている仏ヶ峰登山口へ。その後、戸狩温泉スキー場を下って、とん平に到着しました。

仏ヶ峰登山口より戸狩温泉スキー場を望む

■4日目(セクション4~5の前半):とん平→仏ヶ峰登山口→鍋倉山→関田峠→牧峠
今日の行程は、6日間の中で一番長く、コースタイムで8時間30分。かつ、登山口のとん平からずっと登りが続き、鍋倉山までの標高差は600m強。頑張りどころです。

まずは仏ヶ峰登山口へ登り返し(10月)

仏ヶ峰登山口から急登を30分ほど登ると、今は使っていないリフト終点に到着。ここから先は、稜線上のアップダウンを仏ヶ峰へ。小沢峠(こざわとうげ)の先には、「戸狩のブナ美林」と呼ばれている若いブナ林がありました。

戸狩のブナ美林(7月)

その先は、鍋倉山までやせ尾根のアップダウンが続きます。やせ尾根といっても樹林帯なのでさほど恐怖感は感じませんが、慎重にすすみます。10月には、西側に日本海、東側に千曲川と栄村、野沢温泉の景色が広がり気持ちの良い稜線でした。

鍋倉山を正面に痩せ尾根を進む(10月)

久々野峠(くぐのとうげ)に下り、黒倉山に登り返しました。眺めがよく、米山(よねやま)と日本海、直江津の火力発電所まで見ることができました。

西側に広がる日本海の景色(10月)

目を凝らすと直江津の火力発電所が(10月)

高田藩の鉄砲隊の詰め所に通じる峠から名づけられた筒方峠(どうがたとうげ)を経て、セクション4の終了点・関田峠へ。関田峠は、16ある峠の中で最も標高が高く、かつ新しくできた峠道です。この辺りは積雪のため横に曲がって伸びたブナが多く、またいだり、くぐったり、時には頭をぶつけながら進むことになりました。梨平峠を経て、牧の小池へ。ここから急斜面を30分ほど下り、ようやく牧峠に到着しました。

ようやく牧峠に到着(10月)

牧峠は鷹柱と鳥の渡りでバードウォッチャーには有名な場所で、10月には数名の方が大きな望遠鏡とカメラを設置しており、親切にも望遠鏡をのぞかせてくれました。

鷹柱と鳥の渡りで有名な牧峠(10月)

■5日目(セクション5の後半~6の前半):牧峠→花立山→伏野峠→野々海峠
牧峠からいきなり急登から始まりました。また、昨日同様に横に曲がって伸びたブナが多く、またいだり、くぐったり、時には頭をぶつけながら進むこととなりました。このあたりには、7月にはツクバネソウの花が咲いていました。

ツクバネソウ(衝羽根草)

花立山から伏野峠(ぶすのとうげ)までは、多少のアップダウンはあるものの、おおむね平坦な道が続きました。

宇津ノ俣峠から伏野峠へ(7月)

伏野峠はセクション6の起点となります。地面にめり込んだ信越トレイルの看板を見ると雪の重さを実感します。

雪の重みで地面にめり込んだ看板(7月)

伏野峠からは須川峠、菱ヶ岳分岐を経て、アップダウンを繰り返しながら進むと、野々海峠(ののみとうげ)に到着しました。

アップダウンを繰り返しながら野々海峠へ(7月)

■6日目(6の後半):野々海峠→ 天水山→松之山口
野々海峠から20分ほどで長野県最北端の展望ポイントに到着です。越後三山の越後駒ケ岳と八海山、中ノ岳に加え、巻機山などが見える好展望地でした。

野々海峠(10月)

長野県最北端の展望地(10月)

さらに45分アップダウンを繰り返し深坂峠(みさかとうげ)に到着しました。深坂峠は、日本海と刈羽黒姫山と弥彦山。守門岳、浅草岳、越後三山、平ヶ岳、巻機山などが見える新潟側の展望が良い峠です。

深坂峠(10月)

三方岳から天水山までは、2時間弱の道のりです。アップダウンを繰り返して天水山を目指します。

新潟側の展望(10月)

「熊太郎」と呼ばれるブナの巨木が出てきたら、天水山への最後の登りとなりました。美しいブナ林の中を一歩一歩かみしめるように登りました。

ブナの巨木「熊太郎」(7月)

天水山への最後の登り(7月)

6日目という長きに渡った信越トレイルの終点・天水山にようやく到着しました。その後は、松之山口へ急斜面を慎重に下りました。ここには真っすぐに伸びた若いブナ林が広がっていました。昔、薬草オウレンを栽培するために下草を刈り取った所、林の中まで光が入るようになり、ブナが元気に育ったそうです。その後、オウレン栽培は採算が取れずに終了したそうですが、結果としてこのようなブナ林となったそうです。最後を飾るに相応しい美しいブナ林でした。

松之山口への下り(10月)

黄葉のはじまったブナ林(10月)

松之山口に到着し、無事に80kmを完全踏破することができました。まさに原生林に近いブナの森の豊かさや美しさをじわりと感じる事のできる素晴らしいトレイルでした。

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日本の手仕事を見て周る「テキスタイル紀行」シリーズ。新しい企画として、近畿圏内を開拓中です。そこで今回は、言わずと知れた染織の一大産地である京都の西陣織の工房見学に行った時の様子をご紹介します。

西陣織

西陣織とは・・・

「多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染(さきぞめ)の紋織物」の総称です。

(西陣織工業組合ホームページより)

その歴史は古墳時代にまで遡ります。大陸からの渡来人である秦氏の一族が山城の国、今の太秦あたりに住みつき、養蚕と絹織物の技術を伝えたと言われています。平安時代の朝廷では絹織物技術を受け継ぐ工人(たくみ)たちを織部司(おりべのつかさ)という役所のもとに組織して、綾・錦などの高級織物を生産させ、国営の織物業が営まれました。

西陣とは「1200有余年の歴史を刻む織物の街」で、日本を二分する戦いとなった応仁の乱(1467-1477)にて、西軍の陣地が置かれていたあたりのことを指します。そして、西陣の織屋(織物業者)が製造する織物を西陣織と言い、法律によって現在では12種類の品種が西陣織に指定されています。

今回見学させていただいたのは、「織匠平居」さん。西陣織と聞くと「帯」をイメージする方も多いかも知れませんが、平居さんはお坊さんが身に纏う法衣金襴の織元さんです。昔ながらの土間の工房には、大きな高機が4台置かれていました。機は埋め機。土間を少し掘り下げて据えることで、一定の温度と湿度を保つことができるそうです。それにしても大きな織機で、これまで何ヶ所かの工房を見せていただきましたが、これ程奥行きも高さもあるものは初めて見ました。

 

「西陣織の特徴は、全てが分業制であること、また、ジャカードを使っていること」と平居さん。不具合が少なく、安定しているのはフロッピーディスクなのだそうで、フロッピーディスクに入れられた織物の情報(デザインや組織)は、ジャカードによって取り出されて、綜絖を通して織機に伝えられます。

 

経糸は、4,880本×2が基本(デザインによります)。「×2」というのは、糸が非常に細いので2本を1本として織るためです。

 

細かく美しい紋織。「多少の誤差はご愛嬌」だそうですが、それでも3mm以上のズレは許されません。その技術を身に付け、一人前と言えるようになるまでには、3~5年はかかるそうです。糸は絹を使いますが、緯糸として「箔」と呼ばれる和紙に金箔等を貼り付けたものを糸のように細く裁断したものも使います。箔を入れることで更に輝きを増します。金箔は、純金ではなく22~23金。純金だと輝きが少ないのだそうです。

 

織機にかかっている織り上がった部分は、裏面が上になっており表面は下となります。そのため、下には鏡が置いてあります。これは、緯糸を通すために経糸を持ち上げる際、裏が上になるように織っておけば、持ち上げる経糸の量が少なくて済む、つまり、労力を節約できることになるそうです。

 

昔は機の上に人が乗り、上から経糸を持ち上げていたそうです。

 

織匠平居さんでは、この素晴らしい西陣織の技術を少しでも多くの人に知ってもらいたいとのことで、できる範囲内での情報発信などをされています。



 

近くには西陣織ミュージアム「織成館」、また西陣織会館もあります。この日はこの今出川の周辺をぶらぶらと歩いて散策していましたが、織屋さんや関連する工房の看板や表札をあちこちで見かけました。さすが西陣の町。京都御所や北野天満宮へ行く人は多くても、工房へは足を運ぶ方は少ないそうです。

近々、京都(もちろん西陣織も)を含むツアーを発表予定です。是非、ご検討ください!

日本国内のツアーを造成・添乗していく中で、まだまだ知らないところが多く、こんなところがあったのかと日本の魅力を再発見する日々です。

 

今回は「史跡と伝説・絶景の隠岐4諸島巡り」のコースをご紹介します。

 

隠岐諸島

隠岐諸島は島根半島の北約40~80kmに位置し、大小180を超える島で構成される群島です。道後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられ、知夫里島・中ノ島・西ノ島の3島を島前、隠岐の島町1島を島後と呼びます。この4島の陸域と海岸から1kmの海域を合わせた部分が隠岐ユネスコ世界ジオパークとして認定されており、何億年も続いている台地の成り立ちやその大地に育まれた独自の生態系、人の営みなど知ることができます。

 

知夫里島

島根の七塁港を出発しまず向かったのは本州から最も近く隠岐の玄関口、知夫里島。

赤ハゲ山展望台からはカルデラ湾に浮かぶ島前の島々を見渡すことができます。島前の島々の成り立ちがよくわかり、島内を見れば放牧された牛たちや以前利用されていた牧畑農業の石垣を見ることができます。

赤ハゲ山展望からの眺め

 

 

赤壁では、荒々しく削り取られた断崖のざっくりとえぐられた赤褐色の岩肌と海の青と空の青のコントラストが非常にきれいでした。

赤壁

中ノ島

知夫里島から内島船にのり、中ノ島へ。中ノ島は承久の乱で島流しになった後鳥羽上皇がいらっしゃったところです。後鳥羽上皇は隠岐に流され、都に帰還することなく19年を隠岐で過ごしました。ツアーでは後鳥羽上皇をお祀りする隠岐神社や後鳥羽上皇御火葬塚を訪れました。隠岐神社には後鳥羽上皇がお好きだった蹴鞠を行う鞠庭(鞠場)があります。

隠岐神社

後鳥羽上皇御火葬塚

明屋海岸では遊歩道を歩いていくと、岩がハート型に見えるポイントがあります。

明屋海岸

西ノ島

西ノ島には後醍醐天皇が1年ほどすごしたとされる黒木御所跡がありますが、非常に狭いスペースです。

※後醍醐天皇の行在所については、島後の国分寺と西ノ島の黒木御在所跡の2つの説があります。

黒木御在所跡

 
イカ寄せの浜では昔イカが拾えるほどたくさんこの浜に押し寄せたそうです。浜には実際にイカを拾う様子が看板になっています。

イカ寄せ浜

昔、由良比女の命が海に手を差し出したところ、イカに噛みつかれたことがこの浜にイカが集まりだした始まりだそうです。

その由良比女を祀る由良比女神社は灯籠や本殿にもイカが彫られている珍しい神社です。

由良比女神社

由良比女神社の灯籠

国賀海岸の遊覧船ではその時の天気や波の状況でルートは変更になりますが、迫力たっぷりの摩天崖や通天橋を船から眺めることができます。

波が高くなければ明暗の岩屋へも入れます。船の幅ギリギリの入り口を進んでいきます。

遊覧船から見た通天橋

明暗の岩屋 入り口

もちろん海からだけではなく、陸からも摩天崖を楽しんでいただけます。摩天崖の入り口から通天橋まで牛や馬、絶景を見ながらゆっくりとハイキングをしました。

牛や馬が様々なところに

摩天崖ハイキングの風景

隠岐の島町

そして最後の島後では樹齢が数百年以上という三大杉(八百杉、かぶら杉、乳房杉)を見ることができます(乳房杉は台風の影響で道が封鎖されており見ることができませんでした)。

玉若酢神社と八百杉

かぶら杉

また、水木茂ロードが米子から続いており、各観光地の前にモニュメントが置かれています。このコロナ禍に新型コロナウイルスの鎮静化で注目されたアマビエ様もありました。

アマビエ

昨年はあいにくのお天気でローソク島に夕日がともる様子を見ることができませんでしたが、タイミングとお天気次第ではこのような景色を見ることができます。次回添乗に行く際はぜひリベンジしたいです!

夕日がかかるろうそく岩

各地の景色や歴史だけでなく、おいしい料理もたくさんいただきました(時期や宿によって料理は変更になります)。

 

ある日の夕食

 

隠岐諸島だけ訪れるツアーや三徳山投入堂や石見銀山を合わせて訪問するコースもありますのでご興味に合わせてお選びいただけます。

 

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