秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

大阪支社 高橋です。
前回に引き続き「花の尾瀬フラワートレッキングとチャツボミゴケの群生地を歩く」、本日はフラワートレッキング2~3日目の行程をご紹介します。

 

尾瀬のなりたち
2億年以上前~数千年前まで、太古の昔から途方もない年月を積み重ねて尾瀬は形成されました。
■2億3000年前 日本が大陸の一部だった頃、マントルの隆起により至仏山が誕生
■200万年前~ アヤメ平一帯(尾瀬ヶ原の南)が相次ぎ噴火
→今日の尾瀬ヶ原、尾瀬沼を囲む山並みが形作られていく
■35万年前~8千年前 燧ケ岳が噴火を繰り返し、溶岩流や土石流が川を堰き止める
→尾瀬ヶ原と尾瀬沼の原型が出現

寒冷な気候のため、植物は枯れても微生物に分解されずに「泥炭」として積み重なっていき、尾瀬(尾瀬の湿原)は数千年に渡って堆積した泥炭の上に成り立っているのです。ちなみに、泥炭の堆積は1mm/1年と言われています。

早朝の尾瀬ヶ原より燧ケ岳を望む

尾瀬フラワートレッキング2日目(約6~7.5㎞/4時間)
山小屋で宿泊することにより、朝食前の静寂に包まれた尾瀬ヶ原の風景を楽しめる点も、このツアーにおけるオススメのポイントの1つです。

1.見晴(1400m)~白砂峠(1680m)~沼尻平(1660m)
フラワートレッキング2日目は、見晴(標高1400m)から白砂峠(1680m)を目指して歩く登りルートからスタートします。
この日も慌てる日程ではありませんので、ゆっくり・ゆっくりと歩くことを心がけますので、ご安心ください。

見晴からは、燧ケ岳の南西に広がる美しいブナ林に設置される木道を歩き、登りルートへ入ります。
魚(イヨ)がこれ以上上流に遡上できないことから名付けられたイヨドマリ沢やダンゴヤ沢を通過すると、次第に周辺は広葉樹のダケカンバが見え始めます。
その後、自然地形ルートと木道ルートが交互に続く中、沼尻川が流れる谷沿いのルートを登り、尾瀬ヶ原エリアと尾瀬沼エリアの境界線である白砂峠(標高1680m)に到着します。スタートしてから白砂峠まで平均コースタイムは2時間ほどの登り。トレッキング2日目の踏ん張りどころ、注意ポイントはクリアです。

白砂峠を超えると峠の東側に広がる白砂湿原に入ります。
白砂湿原は燧ケ岳の山裾に広がる木々に囲まれており、湿原の中央には大きな地塘もあるため、ここでは深山の雰囲気を感じながら序盤の登りルートの疲れを癒すため、のんびりと花の観察を楽しみたいところです。

ヒメシャクナゲ(6月中旬~7月上旬)

白砂湿原を通過後、清らかな水の流れ、針葉樹林の風景などを楽しみながら歩くと、尾瀬沼の北側に広がる沼尻平(1660m)に差し掛かります。このあたりにも大小の地塘が広がっており、地塘を巡る木道も設置されています。尾瀬ヶ原に点在する地塘と同様、水生植物を見つけるため、のんびりと巡りたいと考えています。

ヒツジグサ(7月上旬~)

2.沼尻平(1660m)~尾瀬沼・尾瀬沼ヒュッテ(1660m)
沼尻平からは、反時計周りで歩く南岸ルートも魅力的ですが、急斜面を横切ったり、アップダウンがあったりとするため、尾瀬沼を時計回りに、湿原エリアの多い北岸ルートを歩くことを考えています。

尾瀬沼を目指して木道を進む

尾瀬沼は、直径2.2km、周囲約9km、尾瀬ヶ原より標高が約260m高い場所に位置しています。
尾瀬で最も新しい火山・燧ケ岳、最初に噴火したのが約35万年。その後、何度も噴火を繰り返し、約8千年前に大規模な山崩れを起こし、土石流で川を堰き止めたことが尾瀬沼の形成の要因とされています。

尾瀬沼の北岸ルートには、大小いくつかの湿原が広がっており、高山植物の観察を楽しみながら歩きます。

大江湿原周辺に咲くニッコウキスゲ(7月)

北岸ルートを歩くと、浅湖湿原を通過します。
浅湖湿原は、沼地が湿原へ移行する過程にあると言われています。また、浅湖湿原あたりに半島状に起伏があり、燧ケ岳の溶岩流が入り込んだことで形成された地形とされています。
尾瀬沼の形成過程と同様、この浅湖湿原周辺も注目すべきポイントです。

沼尻平からのんびりと歩くこと1.5~2時間。この日宿泊の山小屋・尾瀬沼ヒュッテに到着です。
ガイドブックなどでは、ここで昼食を食べた後、そのままゴールの大清水まで歩き続けるプランが多いですが、ツアーでは、フラワートレッキング1日目と同様、到着後に昼食を召し上がっていただいた後は自由時間です。
山小屋の方に開花情報を得てから決める予定ですが、尾瀬随一のニッコウキスゲ群落地として有名な大江湿原へ訪れる予定です。
また、山小屋近くのビジターセンターをゆっくり巡るのも良いかもしれません。

その他、夕食前には夕焼けに染まる尾瀬沼の風景も楽しみの1つです。

尾瀬沼の夕焼け

尾瀬フラワートレッキング3日目(約7㎞/4時間)

朝靄の広がる尾瀬の風景

3.尾瀬沼(1660m)~三平峠(1762m)~大清水(1190m)
フラワートレッキング3日目は、尾瀬沼よりゴール地点に大清水を目指します。
尾瀬沼ヒュッテより尾瀬沼の湖畔を時計回りに歩き、尾瀬沼の南端に位置する三平下を目指します。途中、燧ケ岳のビューポイントもありますので、湖畔沿いから望む最後の燧ケ岳の景色を楽しみます。

尾瀬沼からの風景

三平下より標高差約100mを登り、三平峠(1762m)を目指します。
三平峠は別名「尾瀬峠」と呼び、『会津風土記』には「小瀬峠」と記載されており、「おぜ」という名前が最初に記述された文書であるともされ、沼田街道の要所でもあったと言われています。
平均コースとして、所要20分の登りとありますが、無理せずゆっくりと登り、木々の合間から望む尾瀬沼の風景を見落とさないようにゆっくりと歩きます。

三平峠を通過すると、一ノ瀬(1420m)を経て大清水(1190m)までの下りルートが始まります。
ブナ林を歩きながら、トレッカーの喉を潤してきた岩清水の湧水ポイントを通過し、ゴールが間近に迫ることで逸る気持ちをおさえて、ブナ林に咲く花々の観察、木々の合間から望む燧ケ岳の景色を楽しみながら、慎重に下ります。

三平峠から約1時間で一ノ瀬(1420m)に到着します。
一ノ瀬からはブナやミズナラ、カエデなどの広葉樹が生い茂る約3kmの林道。尾瀬の自然を感じる最後の区間、単調な林道となりますが、これまで歩いてきたルートに思いを馳せながら、花の観察も忘れずに楽しみ、ゴールを目指します。

ゴゼンタチバナ(6月下旬-7月中旬)

一ノ瀬から約1時間、ゴールの大清水(1190m)に到着です。
ツアーでは、ゴールの大清水より専用車に乗り、草津温泉へ向かいます。名湯・草津の湯で2泊3日のフラワートレッキングの疲れを癒していただきます。

尾瀬では6月中頃から山々の雪が溶け、湿原に色とりどりの高山植物が一斉に咲き始め、6月下旬に高山植物の最盛期を迎え、7月中旬頃から夏の尾瀬を代表するニッコウキスゲが咲きそろいます。
初めての山小屋泊トレッキングでも安心してご参加いただける日程となっておりますので、是非ご検討ください。
※7月17日出発コースは、大清水からスタートし、尾瀬沼、尾瀬ヶ原を抜け、鳩待峠を目指す逆回りコースとなります。

キーワード

夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかにうかびくる やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている水のほとり
石楠花色にたそがれる はるかな尾瀬 遠い空
~童謡・唱歌「夏の思い出」より

 

大阪支社の高橋です。

私自身が高山植物に興味を持ち始めたのは、西遊旅行に入社する以前のスイス添乗がきっかけでしたが、その後、日本各地の景勝地へ訪れた際にも素晴らしい花々に出会い、さらに深く知りたいと感じ、今に至ります。
日本各地で高山植物の花々が美しい場所はたくさんありますが、美しい花々との出会いに衝撃を受けた場所の1つが「尾瀬」でした。そんな思い出深い尾瀬の地で再びゆっくりと花の観察を楽しみたいという想いから、今回の「完成:花の尾瀬フラワートレッキングとチャツボミゴケの群生地を歩く」のツアーを造成させていただきました。

 

今回は、童謡・唱歌「夏の思い出」にも歌われる尾瀬の情景に思いを馳せながら、尾瀬の花の観察を楽しみ、尾瀬ヶ原から尾瀬沼を目指す「花の尾瀬フラワートレッキングとチャツボミゴケの群生地を歩く」をご紹介します。
山小屋に泊まりながらのゆったりとしたトレッキングのため、花の観察が大好きな方はもちろん、朝夕の尾瀬の撮影を楽しみたい方にもオススメです。

 

ニッコウキスゲが咲く尾瀬ヶ原(7月)

尾瀬国立公園
尾瀬が植物の宝庫として知れ渡るようになったのは、1898年(明治31年)に植物学者・早田文蔵氏が調査し、植物の宝庫として尾瀬と会津駒ケ岳を紹介したことに始まり、1905年には登山家で植物学者でもある武田久吉氏が尾瀬の紀行を発表して広く世間に知れ渡るようになりました。
尾瀬国立公園は、2007年(平成19年)に日光国立公園から分割、会津駒ケ岳、田代山などを新たに編入し、福島県、栃木県、群馬県、新潟県の4県に跨る、29番目の国立公園として誕生しました。
それ以前には、1960年(昭和35年)に国の特別天然記念物に指定され、自然生態系の価値が評価されて2005年(平成17年)にラムサール条約湿地に登録されました。

 

通常、鳩待峠~尾瀬ヶ原・見晴~尾瀬沼~大清水と縦走するトレッキングは1泊2日プランで紹介されることが多い中、ツアーでは、3つの理由で2泊3日プランとしています。

■  時間に追われず尾瀬の風景や花の観察を楽しむため
■  観光客の少ない朝夕の風景の見学、撮影を楽しむため
■  1日の歩行時間・距離を短くし、体力的な不安を軽減するため

 

少々前置きが長くなりましたが、ツアーのハイライトである「尾瀬フラワートレッキング」を順を追ってご紹介します。

 

尾瀬フラワートレッキング1日目(9㎞/約4時間)
フラワートレッキング1日目は、本州の分水嶺にあたる鳩待峠(標高1591m)よりスタートし、尾瀬の代名詞ともいえる風景が広がる尾瀬ヶ原(標高1400m)を目指します。
ガイドブックなどでは、鳩待峠から尾瀬ヶ原・見晴までは「9km/3時間」と表記されていますが、ツアーでは花の観察を十分に楽しみながらゆっくりと歩くため、4時間とさせていただいています。

 

1.鳩待峠(1591m)~山の鼻(1400m)

群馬県側の主要登山口である鳩待峠(1591m)より、標高差191mの下りルートからスタートします。ここは膝に負担を掛けず、慎重に歩くように心がけますので、ご安心を。
ブナの樹林帯に咲く花の観察や鳥のさえずりなどを聞きながら、ゆっくりと下ります。
天気が良ければ、木々の間から至仏山(標高2228m)も展望できるかもしれません。

 

スタートして30~40分ほど歩くと、ヨセ沢を渡り、そこを過ぎると左手に川上川が見え始めます。川上川の畔まで歩くと、木道は平坦となり、フラワートレッキング1日目における最大の注意ポイントはクリアです。

ミズバショウの花が咲いている尾瀬(5月下旬~6月上旬)

川上川の流れを左側に感じながら、途中でテンマ沢を通過しますが、このあたりがミズバショウの群生地として有名なポイントです。
ツアーは6月末、7月に設定しているため、ミズバショウのシーズンは終わっていますが、通過するだけでなく、時季外れのミズバショウが残っていないか、探してみましょう。

 

その後、カラマツやミズナラの林を抜けて、川上川に架かる橋を渡ると、山の鼻(標高1400m)に到着です。山の鼻には、1周2kmの植物研究見本園があり、開花情報を伺いつつ、是非ともこちらも巡りたいと考えています。

コバイケイソウ(6月末~7月上旬)

2.尾瀬ヶ原(標高1400m:山の鼻~竜宮~見晴)

山の鼻から、いよいよ尾瀬を代表する風景である尾瀬ヶ原へ入ります。
約35万年前、燧ケ岳の火山活動による溶岩流や土石流によって形成された堰止湖が長い年月を経て、湿原化したとされています(形成過程は複雑で一様ではありません)。

 

東西約6km、南北約2.5km、約650haに及ぶ本州最大の湿原は、川の流れや畔に生い茂る拠水林(きょすいりん:湿原を分断する帯状の樹林帯)により、3つに区分されます。
■  山の鼻~牛首のエリア:上田代(かみたしろ)
■  牛首~竜宮のエリア :中田代(なかたしろ)
■  竜宮~見晴のエリア :下田代(しもたしろ)

 

尾瀬ヶ原では、上田代→中田代→下田代と順に歩き、移り変わる景色や尾瀬の花々を楽しみながら、平坦な木道をゆっくりと歩きます。

カキツバタの咲く尾瀬ヶ原(6月)

尾瀬ヶ原の泥炭層には高木が育つほどの栄養分はありませんが、尾瀬ヶ原に流れる川沿いには山から豊富な栄養分を含んだ土砂が流れ、運ばれてくるため、樹木が育つ環境ができ、拠水林を形します。山の鼻より少し歩いた上田代エリアや、中田代エリアから下田代へ差し掛かる竜宮周辺で拠水林が観察できますので、注目です。

 

尾瀬ヶ原には、大小1800もの池塘(ちとう)と呼ばれる池(水たまり)があり、湿原が発達するなかで凹地に水がたまり池となったもので、尾瀬を代表する風景の1つです。天気が良ければ、池塘に周囲の山々を映しだし、上田代エリアでは燧ケ岳を映した「逆さ燧」もご覧いただけるポイントもあります。

池塘に燧ケ岳が映り込む

また、7月ツアーでは、池塘に咲くオゼコウホネやヒツジグサなどの水生植物も観察できるかもしれません。

ヒツジグサ(7月上旬~)

中田代エリアでの見どころの1つが「竜宮現象」です。
竜宮現象とは、湿原を流れる水が地中に吸い込まれ(伏流口)、別のポイントから湧き出す(湧出口)現象をいい、竜宮十字路の手前でご覧いただけます。

 

竜宮十字路を通過し、尾瀬沼から流れる沼尻川を渡ります。
この沼尻川は中田代エリアと下田代エリアの境界線であり、群馬県と福島県の県境でもあります。トレッキング1日目は「県跨ぎトレッキング」でもあります。

 

東北地方の最高峰・燧ケ岳(標高2356m)が間近に迫る下田代エリアでは、花々の観察を楽しみながら、平坦な木道を歩き、フラワートレッキング1日目の宿泊地である見晴「桧枝岐小屋」を目指します。

尾瀬ヶ原から至仏山を望みながら歩く

ツアーでは、お弁当を持参せず、宿泊の山小屋に到着してから昼食を召し上がっていただく予定です。
昼食後は、基本自由にお過ごしいただきます。ご希望の方は、山小屋周辺の花の観察やヨッピ吊橋方面のハイキングへご案内します。
周辺で散策を楽しむも良し、撮影に励むのも良し、のんびりコーヒーでも飲みながら周囲の風景に溶け込むのも良し。天気が良ければ、夕食前に夕焼けに染まる尾瀬ヶ原の風景を楽しむことができ、至福の時間をお過ごしいただけます。

カキラン(7月)

ツルコケモモ(6月中旬~7月上旬)

尾瀬では6月中頃から山々の雪が溶け、湿原に色とりどりの高山植物が一斉に咲き始め、6月下旬に高山植物の最盛期を迎え、7月中旬頃から夏の尾瀬を代表するニッコウキスゲが咲きそろいます。
初めての山小屋泊トレッキングでも安心してご参加いただける日程となっておりますので、是非ご検討ください。
※7月17日出発コースは、大清水からスタートし、尾瀬沼、尾瀬ヶ原を抜け、鳩待峠を目指す逆回りコースとなります。

 

次回は、フラワートレッキング2日目(尾瀬ヶ原~尾瀬沼)をご紹介します。

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五島列島ツアー、最後に訪問する島は福江島です。

 

福江島

列島のなかで南西端に位置しており、一番大きな面積・人口を有する島です。島内には福江空港、長崎、福岡からのフェリー航路もあり、本島からのアクセスも比較的容易です。

福江島での旅のキーワードは様々で、キリシタン、遣唐使、大陸との文化的交流、五島藩、とバラエティに富んでいます。また自然景観も大変美しく見どころ満載となっており、海水浴や登山等のアクティビティも楽しめます。鬼岳のふもとには天然温泉も!

 

福江島1日目。まずは堂崎教会へ。この日は天気も良く、赤レンガの色と青空の組み合わせがとても綺麗でした。

堂崎教会

禁教令が解かれたのち、五島キリシタン復興の任を帯びて五島を訪れ布教にあたったのが、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父です。堂崎教会は、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)として建てられました。その後、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。

建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造ですが色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築の特徴を取り入れたものとなっています。現在は、教会としての機能はなく、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。

 

堂崎教会の内部には様々な展示物が安置されていますが、特に日本二十六聖人の一人で五島出身の聖ヨハネ五島の骨の一部、そして、お掛け絵が印象に残っています。当時は文盲の農民層への布教活動が多かったため、内容が分かりやすい掛け軸を刷り、それを持って布教に回ったそうです。当時、多宗教の共存などはあり得なかった時期ではありますが、家に仏壇があると地獄に行くという内容の掛け軸はかなりおどろおどろしく仕上がっておりました(教会内は写真撮影が禁止ですので、ぜひ現地で実物をご覧ください)。

辞本涯の碑

三井楽町方面へ。ここには、「辞本涯の碑」が立ちます。辞本涯の碑は、遣唐使にゆかりのある五島市三井楽町と、第16次遣唐使船(804年)で唐に渡った僧空海と深くかかわりのあることを広く紹介し、その偉徳を顕彰するために建立されました。姫島を背に「辞本涯」(日本のさいはてを去るの意)と刻まれています。

当時の航海技術では決して楽天的に楽しめる航海ではなく、覚悟と決意が必要であったことは想像に難くありません。決死の覚悟で出発した当時の遣唐使たちの思いを、追体験できる場所です。なお近くには「遣唐使ふるさと館」という道の駅があり、こちらでは遣唐使にまつわる展示やシアター上映等が行われています。より詳しく遣唐使について知ることができます(食事も美味しいですよ!)。

魚藍観音展望所から望む高浜海水浴場

道中、魚籃観音のポイントにて写真ストップ。ここからは、高浜海水浴場や頓泊海水浴場など素晴らしい海景色を楽しめます。高浜海水浴場は天然の海水浴場としては、日本でも指折りの美しさを誇る白砂の海浜。遠浅で、五島を代表する海水浴場です。シーズンにはたくさんの人で賑わうそうです。

大宝寺門

大宝寺は、大宝元年(701年)震旦の国(現在の中国)より三論宗の祖師、道融和尚が来朝し弥勒山観音院大宝寺を開いたのが始まりです。その後大同元年(806年)、空海が帰朝の途、この地に滞在し大宝寺において本邦初めての真言密教を説き、真言宗に改宗したといわれています。別名「西の高野山」と呼ばれています。

 

五島家第30代盛公によって2年の歳月をかけて造られた隠殿「五島氏庭園隠殿屋敷・心字が池」。京都の僧・全正によって造られた庭園は金閣寺の丸池を模したもので、大変趣深く美しい庭園でした。心の文字を象った『心字が池』や樹齢800年以上と言われる楠の木、四季折々の植物なども庭園の見どころでした。

五島家邸宅 心字池

福江島のパンフレット等でよく見るのがこちらの大瀬崎灯台の写真。東シナ海に突き出したこの灯台からは、水平線をぐるっと見渡せます。灯台までは歩きで30分(帰りは登りなので40分)です。

大瀬崎灯台 遠望

灯台と沈みゆく太陽

灯台まで歩いて往復後、ビューポイントまで移動をして最後に沈む夕陽を眺めました。現在は与那国島が日本で一番最後に夕陽が沈む場所ですが、沖縄返還前までは、この場所が日本で最後に夕陽が沈む場所でした。

大瀬崎灯台と沈む夕陽

最後に、福江島での宿泊ホテルについてご紹介します。

ツアーでは、福江島唯一のリゾートホテル「五島コンカナ王国 ワイナリー&リゾート」に2連泊します。福江島のシンボルである鬼岳のふもとに建つリゾートホテルで、ホテルの露天風呂には、鉄分を含む赤褐色の色が特徴の鬼岳温泉が湧き、ゆっくりと旅の疲れを癒していただけます。

夕食は、五島でとれる旬の食材がたっぷり使われた会食をご用意。なお、敷地内にはワイナリーが併設されており、ブドウの栽培から醸造まで手掛けた純五島産のワインをお食事とともにお楽しみいただくこともできます。

鬼岳温泉 (www3.city.goto.nagasaki.jp

 


 

以上、シリーズ3回に渡り長崎県・五島列島の島々を紹介いたしました。各島によって歴史、見どころ等が異なる五島列島の島々。地理的には隣り合わせで歴史的に関わり合ってきたにもかかわらず、各島によってこうも特色が異なる列島は、なかなか珍しいのではないでしょうか。

西遊旅行では、今回紹介した島々を一度に、かつ丁寧に巡るツアーを設定しております。五島の見どころ全てを、ゆっくりと縦断しながら余すところなく訪問します。キリシタン関係ではあまり注目されない宇久島、小値賀島を含め8島巡ることで、五島列島の成り立ちや歴史もより深く知ることができ、大変お勧めです。

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みなさまこんにちは! 五島列島うち8島を巡るツアーをご紹介させていただいているこのシリーズ、今回は2回目です。中通島(頭ヶ島、若松島)、奈留島、久賀島をご紹介いたします!

 

中通島(頭ヶ島、若松島)

五島列島で2番目の面積を持つ中通島。その中通島の南西には若松島、東には頭ヶ島がそれぞれ橋で結ばれています。中通島は先に述べました通り、五島列島2番目の土地面積を持つ島ですが、平野部は僅かです。海岸にかなり急な傾斜地が突き刺さり、その奥は深い森が広がっています。

中通島、若松島、頭が島には、合計29の教会が建ち、祈りの島々として有名ですが、実は神社・仏閣も多数あり、全国的に有名なビーチや、遣唐使関連の遺物も残されています。今回のツアーでは、これら3島を1日で周りましたが、色々細かく見ようとすると、1日では絶対に時間が足りません。中通島の教会を一部ご紹介します。

 

青砂ヶ浦天主堂

 

「青砂ヶ浦天主堂」は、国重要文化的景観「新上五島町北魚目」地区の小高い丘の上に建つ教会です。1910年建立の現教会は、鉄川与助氏設計施工によるもので、信徒が総出でレンガを運びあげ完成となりました。内部のステンドグラスは大変美しく、見事です。また今回の訪問は午前中だったので実際に見ることは叶いませんでしたが、午後になると、太陽の光が正面の丸窓を照らし、教会内部を美しく照らすそうです。2001年に国指定重要文化財、2010年に献堂100周年を迎えました。

頭ヶ島天主堂

 

頭ヶ島大橋を渡ってしばらく行くと到着するのが「頭ヶ島集落」。ここは、1軒をのぞいて皆キリシタンでした。五島崩れ(明治時代に五島にキリシタンが摘発された事件)の時、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、迫害が終わってからこの地に戻ってきました。頭ヶ島天主堂は、教会建築の父・鉄川与助の設計施工によって建設され、近くの石を切り出して、1919年に完成。2001年に国の重要文化財に、2018年には世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」に登録されました。

 

若松島では、隠れキリシタン洞窟を海上から見学しました。ここは、若松島の里ノ浦のキリシタンが、明治初めの五島崩れの際、迫害を逃れるために船でしか行けない険しい断崖の洞窟に隠れた場所です。洞窟は奥行50m、高さ5m、幅5mのT字型になっており、沖合からは見つけられないようになっている格好の隠れ場となっていました。3家族12人が約4か月間も息をひそめて暮らしていましたが、ある日焚き火の煙が船に見つかってしまい、捕縛され拷問を受ける結果となりました。この洞窟は後にキリシタンワンドとよばれ、1967年入口に十字架と3mのキリスト像が設けられています。

聖母マリアの姿に見えるという海食洞窟・ハリノメンド

キリシタン洞窟に建てられたキリスト像

昼食は、上五島の名物料理・五島うどんの地獄炊きをお召し上がりいただきました。五島全体でうどんは名物ではありますが、乾麺のうどんを釜でゆで上げ、あごだし(干したトビウオの出汁)のつゆ、そして醤油をさしたとき卵で頂く「地獄炊き」は上五島が特に知られています。上五島にあるうどんの名店「竹酔亭」は、かつてのテレビ番組・テレビチャンピオンで全国2位に輝いた実績もあるそう!あごだしの濃い出汁とコシのあるうどんは本当に美味しがったです!

五島うどん・地獄炊き

 

奈留島

奈留島は、五島列島のほぼ真ん中に位置する島です。複雑な海岸線に囲まれており、あちこちで美しい島景色が目に飛び込んできます。「奈留島の江上集落」が世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として構成資産に組み込まれているほか、松任谷由美さんの「瞳を閉じて」の歌でも有名な島です。

奈留島 「江上天主堂」

国指定重要文化財・江上天主堂の歴史は、1881(明治14)年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受けたことにはじまりました。現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。日本における教会建築の父・鉄川与助の設計施工です。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美しく響かせるためのもので、柱に描かれた文様や光を巧みに操る技法など、文化財としても価値の高い建築様式となっています。

奈留千畳敷

 

奈留島では、「千畳敷」も訪問。海岸でサンゴを拾いつつ、引き潮だったので歩いて散策しました。少し歩くと古代サイの足跡(!)が残っていますので、ぜひご覧ください。

 

久賀島

 

久賀島は、今では人口は200人と、過疎化と高齢化が深刻な島です。禁教期には外海から移住した潜伏キリシタンが、仏教集落と互助関係を築きながら自分たちで組織的に信仰を続け、「信徒発見」後の厳しい弾圧を乗り越えてカトリックに復帰し、海辺に教会を建てるまでに至りました。それは久賀島の各集落における「潜伏」が終わりを迎えたことを象徴しています。

 

 

久賀島キリシタン資料館。館内の展示室には島の信者宅で保管されてきたマリア観音や十字架、ミサの合図に使ったほら貝、廃墟となり朽ちてしまった細石流教会の遺物など約100点が展示されています。

近くに建つ牢屋の窄殉教記念教会は、弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える場所です。久賀島での「五島崩れ」から100年たった1969年、記念聖堂が建立されました。その後1984年、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわかるようになっており、かれらの苦しみを雄弁に物語っています。正面にある塔『信仰之礎』には、入牢させられたキリシタンたち190人の霊名と名前が刻まれています。

旧五輪教会


旧五輪教会へは、車両を降りて約15分程歩いて行きました。途中、廃墟跡もちらほら。かつてはこの集落にもたくさんの人が生活していましたが、今では2世帯しか住んでいません。この旧五輪教会ですが、1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、五輪地区に移築されました。この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。

 

 

五島列島シリーズ③へと続きます!

 

[シリーズ記事]
8島巡る五島列島!北から南へ大縦断① 宇久島・小値賀島・野崎島

 

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こんにちは!西遊旅行トレッキング担当の児玉(ビリー)です。

今回は、東京都でも丸1日かけてやっと辿り着く都心部から約1,000km離れた小笠原諸島の4月のレポートをお送りいたします。

 

竹芝桟橋から、高層ビルが立ち並ぶ景色のなか東京湾を出発

24時間の船旅のコツ“おがさわら丸”

11時に竹芝桟橋を出航して、翌日の11時に父島に着きます。

―24時間何したらいいか?退屈ではないか?

意外にも快適に、あっという間に時間が過ぎていきます。レストランや売店、シャワー、給湯器、給水器が完備されているので、忙しい日常から開放されて思い思いの時間を過ごせると思います。天気が良ければデッキに出て太平洋を眺めながら、夕日や朝日を見るのおすすめです。

おがさわら丸の船内の様子

太平洋に沈む夕日を眺めながらもの想いにふける

ただ多くの方が、房総半島を過ぎた頃から波に揺られ船酔いすることが多いので、その場合は横になって寝てしまいましょう(酔止めはお昼過ぎには飲んでおきましょう)。あとコツは、お腹を空腹にしないことです。クッキーとか何かしら入れておくと良いです。船中の大半は電波がなくなってくるので、私みたいなiPhoneがないと生きていけない人にとっては丁度よい携帯(デジタル機器)デトックス期間になります。笑

 

島生活のはじまり!!

長い船旅を終え、たどり着いた父島は亜熱帯の気候が広がる大きな島です。

父島の港近く、商店や宿が立ち並ぶ湾岸通り

なんと海開きは1月1日から。天気が良いと、気持ちいい太陽が待っています。海に囲まれた海洋島なので、島の標高が高い山にはガスがかかりやすいのも特徴。太平洋に浮かぶ暖かい島ですが、スコールのような雨も降ります。雨対策も忘れずに。

 

小笠原諸島の生き物たち

今回のツアーで出逢った生き物たちをまとめてみました。生き物にも季節があるので、毎回このダイジェストに出てくる生き物と出逢えるわけではないのでご了承ください。

 

動植物が観察できるシーズン表

父島と母島のトレッキング

6日間のコースでは、父島ではハートロック、母島では乳房山を登ります。ここでは母島のトレッキングをご紹介致します。乳房山は標高463m。なーんだ高尾山より低いではないか、と思われた方。ここがポイントです。登山口の港は海抜ゼロメートルなのです。よってしっかり450mの標高差があります。

でも大丈夫です。島のトレッキングはスタスタとピークハントだけをしたら勿体ない!

世界自然遺産であるここにしかいない固有種の動植物をしっかり観察しながらガイドさんの自然解説を聞いてこそ味わいが深くなるものです。ゆったりとネイチャーウォーキングをお楽しみください。本当にゆっくり登りますのでご安心ください。

多数の気根をぶらさげるガジュマルの大木

ガイドによる懇切丁寧な母島の説明

母島最高峰・乳房山にて登頂証明書取得のための証拠作成(クレヨン塗り)

小笠原諸島からの帰り便

父島・母島、島民のライフラインを大きく担っているのが、実は「おがさわら丸」なのです。貨物船も運行していますが、日常的な物資や青果、精肉などは本土からの唯一の定期便であるおがさわら丸に揺られて届きます。母島も父島も、出航時の島民の心温まるお見送りも一つの魅力です。乗船して荷物を置いたらカメラを持ち、船の右側デッキで出航を待つのが正解です。また戻ってこいよー!!!と力強い島民の思いが伝わってきます。

母島の島民による心温まるお見送り

父島の島民によるまた来たいと思わせてくれるお見送り

父島の船々による熱のこもったお見送り

おわりに

小笠原諸島に行ってみたくなりましたでしょうか?船便しかないので遠い場所ですが、一度は訪れてみる価値がある場所です。コロナ禍で海外に行けない代わりに行ってみてみるのも良いかもしれません。

歩いた先には島が点在するボニンブルーの海景色のご褒美

以上 、ビリーこと、西遊旅行 児玉がレポートいたしました。

 

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