秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

茨城県ひたちなか市にある虎塚古墳は、7世紀初頭の築造の全長56.5mの前方後円墳です。埴輪は見つかっていませんが、横穴式石室内には見事な装飾が施されています。装飾古墳は、遺体を置いた石室内に装飾がある古墳と、石棺等に施された装飾がある古墳の二種類がありますが、日本全国に16万基以上ある古墳のなかでも、装飾古墳は600基程しかありません。その装飾古墳の多くは、熊本、福岡など九州地方に集中しており、関東以東では茨城、福島、宮城など一部にしか残っていません。

草に覆われた虎塚古墳

虎塚古墳には、ひたちなか市埋蔵文化財センターが隣接しており、石室内を原寸大に再現したレプリカを見ることができます。

玄室のレプリカは長さ3.0m・幅1.5m・高さ1.4m、壁面全面には白色粘土で下塗りがされており、その上に赤い顔料(ベンガラ)を用いて靭(ゆぎ:矢を入れて背に負う器具)や槍,楯,大刀など当時の武器,武具等が描かれ、また円文や三角文、武具とみられる文様などが描かれています。ベンガラは海藻もしくは動物性の脂で溶いて塗料にしたとのことです(ちなみに九州の壁画はエゴマの油を使っていました)。奥壁に描かれた2つの円文は、コンパスのようなものを使用して描かれたとみられ、中央部はベンガラが塗布されていません。

石室内の原寸大のレプリカ

靭は各地の装飾古墳に描かれていますが、武具で被葬者を守る意味合いがあったそうです。また、生前に被葬者が使っていたものを描いたという説もあります。

虎塚古墳の靫

福岡県桂川町の王塚古墳内に描かれた靫

 

福岡県筑紫野市の五郎山古墳内に描かれた靫

埋蔵文化財センターには、虎塚古墳からの出土品の他、上大平古墳出土の乳飲み子を抱く女性の埴輪や、三ツ塚古墳出土の鹿の埴輪など、素晴らしい展示が沢山ありました。

上大平古墳出土の乳飲み子を抱く女性の埴輪

 

三ツ塚古墳出土の鹿の埴輪

石室に描かれたこれらの文様が何を表現し、どのような意味が込められているのかは様々な説があり、結論は出ていませんが、紀元528年に起きた「磐井の乱」で敗れた磐井一族が、ヤマト王権によって九州から蝦夷防衛のために関東に流され、九州の装飾古墳の文化を関東に持ちこんだという説があるそうです。

磐井の乱(いわいのらん)は、527 年(継体 21 年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト 王権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌 528 年(継体 22 年)11 月、物部麁鹿火によって鎮圧された日本で最初の内乱です。527 年(継体 21)6 月 3 日、ヤマト王権の近江毛野 は 6 万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発しましたが、この計画を知った新羅は、筑紫の有力者であった磐井へ贈賄し、ヤマト王権軍の妨害を要請しました。磐井は親交があった新羅の願いに応えて挙兵し、ヤマト王権の進軍をはばんで交戦しましたが、翌528 年 11 月 11 日、ヤマト王権軍に討たれたと言われています。

岩戸山古墳から出土した石人と動物像

岩戸山古墳内の神社

筑紫野君磐井の墓は、福岡県八女市にある岩戸山古墳で、全長170メートルを誇る、九州北部最大の古墳です。筑紫野君磐井を通して、九州の古墳と茨城の古墳が繋がっていたことがわかりました。

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桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間①岩手から秋田編につづき、秋田から青森編として2021年の4月下旬に訪れたコースの旅路をご紹介いたします。

 

3日目:大潟村 桜と菜の花ロード

朝、ホテルを出発し仙北からしばらく国道を通り、八郎潟のある大潟村へ。五城目から橋を渡り、大潟村へ入ると日本海に向かって県道298号線の桜と菜の花ロードが11km続きます。ソメイヨシノが葉桜でしたが、菜の花は満開。菜の花畑の総面積は11.2ヘクタールだそうです。

菜の花ロード

大潟村の菜の花ロード

菜の花が綺麗なのでどんどん菜の花畑の中に入って行ってその後、出てくると足元は黄色い花粉だらけ。そんなことはお構いなし。皆さん満開の菜の花を写真におさめようと夢中になっておられました。その後、白神山地の一角である十二湖へ。日本海側の列車が走る五能線沿いをずっと専用車で走ります。

 

途中、秋田県と青森県の県境にある秋田県八峰町を通ります。八峰町は地層や地質を楽しめるジオサイトが点在するのも特徴です。途中、車を止め観光しながら先へ進みます。

 

鹿の浦展望台
夕日が綺麗に見れる場所として有名な鹿の浦展望台に立ち寄りました。日中ではありましたが日本海の海と展望台から右下を覗くと五角形や六角形の柱がたくさん集まったような溶岩流である柱状節理が見えました。

 

中浜海岸・ブラックサンドビーチ
珍しい黒い砂浜。この黒い砂はかつて近くにあった発盛鉱業所の溶鉱炉から流れ出てきたカラミです。これが水と一緒に海へ流出しそして岸に打ち上げられ出来たなんとも不思議な砂浜です。

ブラックサンド

中浜海岸のブラックサンド

八峰町を過ぎると秋田県を越え、青森県へ。津軽国定公園内にある白神山地・十二湖への入り口、森の物産展キョロロでガイドの方と合流し十二湖周りを散策します。因みにキョロロとはアカショウビンの鳴き声です。

 

十二湖

江戸時代・宝永元年(1704年)この地を襲った大地震によって沢がせき止められ、地盤が陥没して形成されたといわれています。その時できた湖沼は33を数えましたが、崩山の中腹(大崩)から眺めると、小さい池は森の中に隠れ、大きな池だけが12見えたことから「十二湖」といわれるようになりました。また、十二湖は昭和28年より県立自然公園、昭和50年より津軽国定公園に制定され、他にも自然休養林、保健保安林等の指定により、その昔から保護されてきました。

十二湖の青池

十二湖の青池

森の物産展キョロロからスタートして鳥のトサカの意味を持つ鶏頭場の池や「もののけ姫」でシシ神様が佇んでいる湖のモデルとなったという青池、透明度の高い沸壺の池などを散策。ブナ自然林を楽しむことが出来る心地いい散策路です。

その後、専用車にて移動して日本キャニオンへ。

 

日本キャニオン
白い流紋岩質の角礫凝灰岩が露出した地層で、昭和28年10月22日、十二湖が深浦・十二湖県立自然公園に指定された際、国立公園審議委員で冒険家・岸衛が「ベビーキャニオンじゃないか」と語ったことから岩崎村役場が日本キャニオンと命名したのが始まりだそう。あまりみない白い岩肌が連なる景色の日本キャニオンはどこか異国のようでした。

日本キャニオン

日本キャニオン

日本キャニオン付近の駐車場でガイドさんともお別れしこの日の宿泊地、不老ふ死温泉へ。不老ふ死温泉は日本海が広がる絶景露天風呂が有名なお宿です。今回ご参加の皆さんも日本海側に沈む夕日を露天風呂につかりながらお楽しみいただけたようです。

不老ふ死温泉付近から見える夕日

不老ふ死温泉付近から見える夕日

 

4日目:世界一長い桜並木 岩木山オオヤマザクラネックレスロード

翌日の朝、不老ふ死温泉を出発し深浦の名所、洞窟穴がある大岩や薄い緑色の凝灰岩が見られる千畳敷海岸で途中、足を止めながら世界一長い桜並木へ。

 

岩木山の裾野を走る道路沿いにあるオオヤマザクラの桜並木。

岩木町(現在の弘前市)で昭和60年から10年間に植樹したおよそ6500本もの桜の木に続き、鰺ヶ沢でも平成13年から2年間で1300本の桜を植樹。あわせて7800本、35kmも続く桜並木が、岩木山麓を一周する道路。その桜並木が続く道路を、岩木山にかけたネックレスに見立て「岩木山オオヤマザクラネックレスロード」と命名されています。

今年は残念ながら桜の見ごろを終えていましたが道中、まだ咲いている場所を探しながらネックレスロードを進みます。その後、岩木山神社へ。

 

岩木山神社

創建約1,200余年の歴史を持つ岩木山神社は、本州最北端の鎮守様の木材・県産のヒバを使用し、古いものは390年の風雪を耐えた建造物です。岩木山を望む鳥居から本殿までの長い参道は、杉木立に囲まれています。参道のど真ん中には津軽の象徴である岩木山が見えます。「お山」とか「お岩木様」と呼ばれ、津軽の人々の信仰の山です。珍しい狛犬も見る事ができ、逆さになった狛犬は恋愛運アップ、上向きは金運アップのご利益があるそうです。その後、カタクリの見られる穴場スポット志賀坊森林公園へ。

岩木神社

岩木神社

志賀坊森林公園

標高350mにある公園からは津軽の秀峰・岩木山と豊かな穀倉地帯である広大な津軽平野を一望できる展望地があり、森の中に入るとカタクリが咲き誇ります。あいにく岩木山は姿を隠してしまいましたが展望地のシダレザクラが1本、満開でした。散策路には、カタクリ、ニリンソウ、エンレイソウなど。歩いても、歩いてもカタクリの花。まさにカタクリの群生地でした。

志賀坊森林公園のカタクリ

志賀坊森林公園のカタクリ

林檎の花

林檎の花

志賀坊森林公園の周りはりんご畑が広がります。りんごの花には通常早い時期ですが、一本花の咲いている木をみつけました。つぼみはピンクですが花が開くと白い可愛らしい花が咲きます。その後、弘前市内のホテルへ。夜、夕食に出かけたあと弘前城のライトアップへ。

 

5日目:弘前城公園

最終日の5日目は朝から弘前城公園へ。弘前城公園は、1611年、弘前藩二代藩主・津軽信枚によって築かれた「弘前城」の跡地全域を公園とし、1895年に開園しました。日本一の桜の名所ともされ、植物園を含む敷地面積は、49万2000㎡。しだれ桜や緑の珍しいウコンザクラを見る事ができました。現在、弘前城は100年ぶりの石垣大修理の為、天守がお引越し中です。この場所でみた天守の方が今後、珍しい弘前城の景色になるかもしれません。その後、芦野公園へ。

弘前城

弘前城と枝垂桜

芦野公園

日本さくら名所100選に選ばれ、1500本の桜と、老松が湖畔に広がる自然公園。太宰治がよく遊んだ場所として知られており、およそ80ヘクタールの園内には太宰治文学碑や太宰治像があります。公園内には津軽鉄道が走り、昔ながらの小さな駅舎があります。踏切は原始的に人がロープで遮断していました。

 

津軽鉄道
青森県の奥津軽を走る、総距離約20.7kmのローカル線。津軽半島の玄関口・五所川原市から太宰治の出身地・金木駅などを経由して、中泊町までをつなぐ日本最北端の私鉄です。例年12月1日~3月31日の冬期間にはストーブ列車が運行されることで有名です。

芦野公園沿いを走る津軽鉄道

今年は異例というほど早い開花時期だったのでソメイヨシノなどの桜は見ごろを終えていたこともありましたが最後に芦野公園で綺麗な桜を見る事が出来ました。

 

東北には桜の名所が沢山ありますが、夏には青々とした緑が楽しめる白神山地、秋には紅葉の名所が沢山あり、冬には雪景色と津軽鉄道のストーブ列車など四季折々の良さがあります。是非、魅力的な東北の旅へでかけては如何でしょうか。

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みちのく3大を巡る「桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間」
2021年4月に同行させていただいた際の様子をレポートいたします。
 
ゆったり縦断ということで1日目は岩手県の北上駅にご集合頂き、まずは北上展勝地へ。この日は八幡平にて宿泊。翌日は秋田県仙北市へ向かいます。その道中に訪れる東北の桜の名所から春植物を見ることができる穴場を岩手から秋田編として今回はご紹介します。

 

1日目:北上展勝地

北上展勝地の始まりは、北上市に合併された黒沢尻町長にもなったジャーナリストの沢藤幸治が、27歳の時にこの周辺には陣が丘という景勝地もある為そこを活用し、日本一・世界一の桜の名称を作りたいという思いから36歳の時、1917年に「和賀展勝会」を設立し、当時の岩手県出身の原敬首相に働きかけ、桜の権威であった三好学東京帝大教授と井の頭公園や多磨霊園、弘前城公園を手掛けた造園家の井下清技師の指導と設計のもと桜の植栽を行ない大正10(1921)年に開園しました。「展勝地」という名前の由来は、陣ヶ丘からの眺めが素晴らしいところから、展望のきいた名勝・景勝の地という意味から、沢藤氏の親友で当時の司法大臣、風見章氏が事業団体の名称を展勝会と命名したことから名づけられました。

 

例年より非常に早い開花で残念ながら今年は葉桜でしたが川沿いに続く桜並木の長さは圧倒される美しさです。写真は今年のものではなく、ツアー発表時にホームページにて掲載していたものです。

陣ケ岡から見た北上展勝地

小岩井の一本桜

秀峰岩手山を背景に、小岩井農場の緑の大地に根を張る一本桜(樹種:エドヒガン)。詳しい樹齢は不明ですが、明治40年代 (約100年前)に植えられたと言われています。一本桜があるこの草地は、今は農場の牛などの餌になる牧草を収穫する畑ですが、昔は牛の放牧地でした。牛は暑さが苦手なので、夏の強い日差しから牛を守る「日陰樹」として植えられたものです。映画「壬生義士伝」や比嘉愛未さんが出演した連続テレビ小説「どんど晴れ」草彅剛さん主演ドラマ「冬の桜」にも登場し、有名になり桜の花の咲く時期は大勢の観光客の訪れる場所です。

小岩井の一本桜

通常であれば小岩井の一本桜は他の場所よりも開花時期が遅いので満開ではなく訪れた時期だと七分咲き程ですが、今年は例年より早い開花のおかげでこちらでは満開の一本桜を見ていただく事ができました。その後、八幡平の県民の森へ。

岩手山と桜並木

県民の森

昭和49年の全国植樹祭で作られた岩手山麓の植樹林。学習館から岩手山麓の森林に囲まれた「みんなの広場」を学習館のスタッフさんにご案内いただきゆっくりと散策を楽しみます。こちらではカタクリをはじめ、ニリンソウ、エンレイソウなどスプリング・エフェメラルとよばれる春植物に出会うことができました。スプリング・エフェメラルは直訳すると「春のはかないもの」「春の短い命」という意味で「春の妖精」とも呼ばれます。岩手県の最高峰である岩手山を前に沢山の植物を観察することが出来る正に穴場でした。こちらで見る事ができた植物をいくつかご紹介。

 

シデコブシ&ベニシデコブシ
県民の森では2種類のシデコブシを見る事ができ、ふかふかとした触り心地の冬芽が残っていました。これから赤い実をつけて鳥にアピールするそうです。

ベニシデコブシ

ベニシデコブシ

イタヤカエデの花
葉がカエルの手に似ているから「カエル手→カエデ(楓)」。黄金色の小さな花が見られました。

イタヤカエデ

イタヤカエデの花

カタクリ
綺麗な紫が特徴的なカタクリ。名の由来は、鱗茎が栗の片割れに姿が似ていることから「片栗」と名付けられたといわれ、カタクリの鱗茎から抽出した澱粉が「片栗粉」です。種子の散布に「蟻」が強く関係しているそうで、種子にはエライオソームという蟻が好む物質が付着しているため、蟻が種子を運ぶことによって生息地を広げているそうです。

カタクリの花

カタクリ

キクザキイチゲ
ここでは白色の花と青色の花のキクザキイチゲが見られました。両方見られるのは珍しいそうです。

キクザキイチゲ

青いキクザキイチゲ

エンレイソウ

中国ではこのエンレイソウの根を「延齢草根」と呼び、民間薬として用いられています。腹痛や食あたりに胃腸薬として、また、高血圧や神経が弱っている時などに乾燥させた根を煮出して飲みます。このように薬として用いられて胃腸などの症状が治り命ながらえた人がいたことから延齢草と呼ばれてきたそうです。また海外では学名の Trillium、「3から成るユリ」と呼ばれています。

エンレイソウ

 

沢山の春植物を観察した県民の森を後に、この日の宿泊地、八幡平ハイツへ。4月下旬というのに夜は雪が降っていたこともあり、2日目に予定していたアスピーテラインは封鎖しており通ることが出来ず、盛岡市を通過し岩手県雫石町と秋田県仙北市を結ぶ仙岩トンネルを抜け秋田県へと入っていきます。

 

2日目:刺巻湿原

3ヘクタールのハンノキ林に、6万株のミズバショウが一面に咲き誇る湿地帯。国道や鉄道路線に近い山間に、このような群落とハンノキ林があるのが学術上でも貴重な場所だそうです。因みにミズバショウは熊の大好物。訪れた刺巻湿原にも熊が最近出没したそうです。ミズバショウは、実は有毒で食べると下痢になり、呼吸困難を引き起こすともいわれています。熊がミズバショウを食べるのは冬眠後に老廃物を排出するためともいわれています。

ミズバショウ

刺巻湿原のミズバショウ

ミズバショウ

今年は桜と同様、開花時期が早かったのですが木道を進み奥へと進むとまだ綺麗な白い仏炎苞を見る事ができました。「ミズバショウの真っ白な花」とよく聞きますが、これは間違いです。実はミズバショウを印象的なものとする真っ白な部分は仏炎苞(ぶつえんほう)とよばれ、花を守るために葉が変化したものです。

ミズバショウは海外ではシベリア、サハリン、千島列島、カムチャッカ半島に分布します。名の種小名camtschatcensisはカムチャッカ半島に由来します。主に積雪の多い地域の湿地、湿った草地、湧水の湧き出る地、沼地などに自生し、ミズバショウは「湿地を代表する花」と紹介されることもあります。

 

そして、驚くことに刺巻湿原ではミズバショウだけでなく、カタクリの群生を見る事が出来ました。今年はコロナの影響で訪れる予定にしていたカタクリの館が開園中止だったので、ここで沢山のカタクリを観察することが出来ました。その後、角館へ。

 

角館 桧木内川堤の桜並木と武家屋敷

桧木内川堤ソメイヨシノは、昭和9(1934)年に上皇陛下御誕生記念として植えられ、2キロメートルに及ぶ花のトンネルとして知られます。桜は葉桜でしたがスイレンが綺麗にさいていました。桜並木を後にして、歩いて武家屋敷エリアへ。歴史案内人のガイドさんと角館の武家屋敷を散策します。

 

角館の歴史

「みちのくの小京都」と呼ばれる角館。城下町としての角館は中世末期、戸沢盛安によって創建されました。古城山に館を置き、その北側の山麓に城下町を築きました。しかし、戸沢氏が国替えとなり、あとについた芦名義勝の代には、その地が不利のため改めて元和6(1620)年に古城山の南側に新城下町を建設しました。当時は徳川幕府の体制の基礎づくりの時期で、元和6年は一国一城令が出された年でもあり、新城下町の造成は急を要したと思われます。やがて芦名家は断絶、明暦2(1656)年、久保田城主佐竹氏の一族北家の佐竹義隣が「所預り」として角館を支配しました。

 

以降、明治の廃藩に至るまで、北家は11代200年余続くことになります。北家初代義隣と二代目義明の妻が京都の公家の出身だったため、京文化も色濃く伝えられ、角館は城下町・宿場町として仙北地方の政治・経済・文化の中心地として栄えました。

シダレザクラ

角館のシダレザクラ

歴史ある角館をあとに田沢湖に訪れ、この日は仙北市にて宿泊。翌日は仙北から青森県の深浦へと移動します。

続きは桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間 ②秋田から青森編にて!!

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今回は「加計呂麻島も訪れる奄美大島と喜界島」のツアーで訪れる3島をご紹介します。

 

1.奄美大島

2021年7月、奄美大島が「奄美大島・徳之島・沖縄北部及び西表島」として世界自然遺産に登録されました。奄美群島は,九州本土の南に点在するトカラ列島と沖縄諸島の間に連なる奄美大島,加計呂麻島,請島,与路島,喜界島,徳之島,沖永良部島,与論島の8つの有人島からなる島々ですが、その中の奄美大島と徳之島は,アマミノクロウサギに代表される希少種を含む多様な生物が生息・生育していることが評価され,世界自然遺産に登録されました。

このツアーでは世界自然遺産にも登録されている金作原原生林での散策とマングローブ原生林でカヌー体験を行います。世界遺産に登録された奄美大島の自然をお楽しみください。

 

 

■金作原

亜熱帯植物ヒカゲヘゴが広がる金作原では映画のロケ地としても使用されており太古を思わせる景観が広がっています。高さ10mを越える「ヒカゲヘゴ」や傘替わりにできそうなクワズイモの葉や樹齢150年以上のオキナワウラジロガシなど亜熱帯性特有の植物が茂る金作原をガイドとともに散策します。

 

 

■マングローブカヌー

マングローブとは熱帯や亜熱帯などの暖かい地域に育ち、海水と淡水が入り混じる河口に見られる木々の総称です。日本では西表島について2番目の広さを誇る奄美大島のマングローブ原生林。マングローブは潮の干満によって表情を変え、満潮時には、潮がマングローブの水路に満ち、マングローブのトンネルの中へカヌーで入ることができます。また、干潮時は大きく潮が引き、いろんな形のマングローブの根やカニなどの生き物を見ることができます。海水と淡水が入り混じる独特な生態系をお楽しみください。

 

マングローブカヤック

 

2.加計呂麻島

奄美大島の古仁屋港から約15分で到着する加計呂麻島。このツアーでは奄美大島の古仁屋から日帰りで加計呂麻島へ訪れます。迫力満点の大きなガジュマル・於斉のガジュマルや諸鈍長浜の海沿いに並ぶ諸鈍デイゴ並木道、昔ノロ(女性司祭)が身を清めたとされている嘉入れの滝など島の自然や神聖な建物「トネヤ」や「アシャゲ」が残る集落など、民俗空間が多く残る加計呂麻島の風景をお楽しみください。

嘉入の滝

3.喜界島

奄美大島の東約25kmのところに浮かぶ喜界島。隆起サンゴから成り、今でも年間2ミリ程度隆起を続けています。周囲48km、最高所211mの小さな、平らな島ですが、美しい自然や昔から守られてきた伝統や文化など見どころが満載です。今も阿伝集落には防風防潮のためサンゴの石垣が残り、歌舞伎や能などの演目にもなっている鹿ケ谷の陰謀で島流しにされた俊寛の流刑地の説の1つであり、平家落人伝説の残る地でもあります。

サンゴの石垣が残る阿伝集落

 

ご紹介した3島以外にもアクティビティが含まれ、徳之島や沖永良部を訪れるコースもありますので、ご興味やスケジュールに合わせてお選びいただけます。

世界遺産に登録された奄美大島に訪れてみませんか。

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古墳紹介の最後は、熊本県玉名市に残る石貫ナギノ横穴古墳と石貫穴観音横穴です。菊池川の支流の繁根木川右岸には、灰石と呼ばれる阿蘇溶結凝灰岩の崖面が多くあり、その崖面250メートルほどの範囲にわたって6世紀頃に作られた横穴墓が造られています。熊本県教育委員会の調査では48基が確認されています。

 

【横穴墓が並ぶ石貫ナギノ横穴古墳】

二重、三重の飾縁(横穴墓入口の縁部分)には、円文、同心円文、三角文などが赤色などで描かれており、現在もその形跡を見ることができます。

【赤い装飾が残る飾縁】

内部には太刀のレリーフや屋根形の浮き彫りなどの装飾が施されているものもあります。

【内部に彫られた太刀のレリーフ】

 

内部からは鉄製の鉾(ほこ)、鏃(やじり)、玉類などが見つかり、国指定史跡となっています。

【横穴内部の遺体を置く部分(屍床)】

同じ丘陵の西側には、別の5基の横穴墓が残ります。3(1号墓から3号墓)はほぼ同じ位置に並び、2号墓の内部に千手観音が彫られていることから石貫穴観音横穴と呼ばれています。

【石貫穴観音横穴の看板】

【石貫穴観音横穴の祭壇】

石貫穴観音横穴は、古墳時代にこの地を治めていた首長の墓で、「千手観音像」が彫られたのは、古墳時代より後に仏教が伝わった平安時代初期になります。その後、「安世寺」というお寺もつくられ、この地域の人々の信仰の対象になっています。

【平安時代から続く地元の人の信仰の対象】

 

【内部に彫られた千手観音像】

石貫ナギノ横穴古墳と石貫穴観音横穴は、大正10年に熊本県内の他の装飾古墳(井寺古墳・千金甲甲古墳・千金甲乙古墳・釜尾古墳・大村横穴群)と共に国の史跡に指定されました。これらは日本国内で指定された装飾古墳群としては第一期の古墳群になります。そして、石貫ナギノ横穴古墳と石貫穴観音横穴は玉名市が全国に誇る装飾がある横穴墓で、九州各地に広がった古墳建造の歴史を知るうえで大変興味深いものだと思います。

 

 

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