高野山巡礼と吉野山歩き 吉野山編
- 日本
2021.01.20 update
高野山の後は、吉野山を歩きました。その時の様子を春の写真と交えてご紹介します。
吉野山の桜(4月中旬)
吉野山
吉野山は日本屈指の桜の名所として知られています。吉野山の桜の起源は古く、1,300年以上も前にさかのぼります。7世紀後半の飛鳥時代、日本独自の山岳信仰である修験道の開祖と呼ばれる役行者(えんのぎょうじゃ)が、金峯山寺を開創するにあたり、蔵王権現を桜の木に彫り、本尊として祀ったことが始まりと伝えられています。
その後、修験道が広まるにつれ、金峯山寺への参詣も盛んになり、桜は「御神木」の献木として、吉野山に植え続けられました。吉野山の桜は花見のためだけではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきました。
修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の像。前鬼、後鬼という二匹の鬼を従えています(吉水神社蔵)
春の桜が有名な吉野山ですが、四季折々の景色があります。秋は美しい紅葉でも知られています。前回のツアーでは晩秋の吉野山を歩きました。出発時はあいにくの雨でしたが、雨に濡れた散りもみじに風情を感じました。
吉野山の散りもみじ
花矢倉展望台(はなやぐらてんぼうだい)
上千本の宿泊旅館を出発し、吉野山を登っていくと、花矢倉展望台に到着します。花矢倉展望台は吉野山の中でも特に眺めの良い場所です。雨も上がり、雲海に包まれた幻想的な吉野山を展望することができました。春は桜の展望台としても有名です。
花矢倉展望台から望む、雲海に包まれた吉野山(11月中旬)
花矢倉展望台から望む、桜の吉野山(4月中旬)
金峯神社(きんぷじんじゃ)
吉野山をさらに登っていくと、奥千本の金峯神社に到着します。金峯神社は古くからの修験道の霊場で、平安時代には藤原道長も祈願したと伝わっています。左の坂道を少し下ると、源義経が弁慶らと兄・源頼朝の追っ手から逃れるために隠れた「義経隠れ塔」があります。
金峯神社
義経隠れ塔
奥千本の紅葉の中も歩きました
吉水神社
奥千本の金峯神社の後は、吉野山を下山。中千本で昼食を食べた後、吉水神社へ。
吉水神社はかつて吉水院といい、修験道の開祖と呼ばれる役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した格式の高い宿坊でしたが、明治時代の神仏分離により、神社になりました。平安時代末期、兄・源頼朝に追われた源義経と静御前が弁慶らと身を隠し、南北朝時代には後醍醐天皇の皇居とされ、安土桃山時代には豊臣秀吉が吉野山に花見の本陣とした、大変歴史のある場所です。吉水神社の書院内には、それぞれの時代の歴史的な遺産が残されています。秋の紅葉も格別でした。
秋の吉水神社(11月中旬)
源義経・静御前 潜居の間(吉水神社)
後醍醐天皇玉座(吉水神社)
金峯山寺(きんぷせんじ)
吉水神社の後は、金峯山寺へ。金峯山寺は、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が開創した吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山寺の本堂・蔵王堂(ざおうどう)は、飛鳥時代に役行者が創建したと伝えられ、その後、焼失と再建を繰り返し、現在の建物は安土桃山時代、1592年頃に完成したものです。
金峯山寺の本堂・蔵王堂。奈良の東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築です
金峯山寺を見学後は、下千本を下り、吉野駅に到着。吉野山歩きは終了となりました。
吉野駅に到着
吉野山の旅館・宿坊、竹林院群芳園(ちくりんいんぐんぽうえん)
飛鳥時代から長い歴史を持つ吉野山。私たちは由緒ある宿、竹林院群芳園に泊まりました。竹林院群芳園は聖徳太子建立の一寺と伝えられ、宿坊として、豊臣秀吉、与謝野晶子はじめ、多くの文人墨客の宿として愛されました。天皇陛下も宿泊された宿だそうです。お部屋、お料理、お風呂、すべてが素晴らしく、感動しました。
竹林院の庭園「群芳園」は、豊臣秀吉が吉野山の桜の花見に際して、千利休が作庭し、一説には細川幽斎(細川藤孝)が改修したいわれており、歴史ある庭園も見学しました。宿のロビーには、豊臣秀吉の吉野山観桜時の茶弁当と伝わる一品も展示されています。
竹林院群芳園でいただいた夕食。美味でした
豊臣秀吉 吉野山観桜時の茶弁当(竹林院群芳園蔵)
竹林院の庭園「群芳園」(11月中旬)。春は桜に期待です
以上、「高野山巡礼と吉野山歩き」のご紹介でした。
長い歴史と信仰を持つ高野山と吉野山。是非一度、ご自身の足で歩いてみてはいかがでしょうか。