8島巡る五島列島!北から南へ大縦断②
中通島、奈留島、久賀島
- 日本
2021.06.03 update
みなさまこんにちは! 五島列島うち8島を巡るツアーをご紹介させていただいているこのシリーズ、今回は2回目です。中通島(頭ヶ島、若松島)、奈留島、久賀島をご紹介いたします!
中通島(頭ヶ島、若松島)
五島列島で2番目の面積を持つ中通島。その中通島の南西には若松島、東には頭ヶ島がそれぞれ橋で結ばれています。中通島は先に述べました通り、五島列島2番目の土地面積を持つ島ですが、平野部は僅かです。海岸にかなり急な傾斜地が突き刺さり、その奥は深い森が広がっています。
中通島、若松島、頭が島には、合計29の教会が建ち、祈りの島々として有名ですが、実は神社・仏閣も多数あり、全国的に有名なビーチや、遣唐使関連の遺物も残されています。今回のツアーでは、これら3島を1日で周りましたが、色々細かく見ようとすると、1日では絶対に時間が足りません。中通島の教会を一部ご紹介します。
「青砂ヶ浦天主堂」は、国重要文化的景観「新上五島町北魚目」地区の小高い丘の上に建つ教会です。1910年建立の現教会は、鉄川与助氏設計施工によるもので、信徒が総出でレンガを運びあげ完成となりました。内部のステンドグラスは大変美しく、見事です。また今回の訪問は午前中だったので実際に見ることは叶いませんでしたが、午後になると、太陽の光が正面の丸窓を照らし、教会内部を美しく照らすそうです。2001年に国指定重要文化財、2010年に献堂100周年を迎えました。
頭ヶ島大橋を渡ってしばらく行くと到着するのが「頭ヶ島集落」。ここは、1軒をのぞいて皆キリシタンでした。五島崩れ(明治時代に五島にキリシタンが摘発された事件)の時、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、迫害が終わってからこの地に戻ってきました。頭ヶ島天主堂は、教会建築の父・鉄川与助の設計施工によって建設され、近くの石を切り出して、1919年に完成。2001年に国の重要文化財に、2018年には世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」に登録されました。
若松島では、隠れキリシタン洞窟を海上から見学しました。ここは、若松島の里ノ浦のキリシタンが、明治初めの五島崩れの際、迫害を逃れるために船でしか行けない険しい断崖の洞窟に隠れた場所です。洞窟は奥行50m、高さ5m、幅5mのT字型になっており、沖合からは見つけられないようになっている格好の隠れ場となっていました。3家族12人が約4か月間も息をひそめて暮らしていましたが、ある日焚き火の煙が船に見つかってしまい、捕縛され拷問を受ける結果となりました。この洞窟は後にキリシタンワンドとよばれ、1967年入口に十字架と3mのキリスト像が設けられています。
昼食は、上五島の名物料理・五島うどんの地獄炊きをお召し上がりいただきました。五島全体でうどんは名物ではありますが、乾麺のうどんを釜でゆで上げ、あごだし(干したトビウオの出汁)のつゆ、そして醤油をさしたとき卵で頂く「地獄炊き」は上五島が特に知られています。上五島にあるうどんの名店「竹酔亭」は、かつてのテレビ番組・テレビチャンピオンで全国2位に輝いた実績もあるそう!あごだしの濃い出汁とコシのあるうどんは本当に美味しがったです!
奈留島
奈留島は、五島列島のほぼ真ん中に位置する島です。複雑な海岸線に囲まれており、あちこちで美しい島景色が目に飛び込んできます。「奈留島の江上集落」が世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として構成資産に組み込まれているほか、松任谷由美さんの「瞳を閉じて」の歌でも有名な島です。
国指定重要文化財・江上天主堂の歴史は、1881(明治14)年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受けたことにはじまりました。現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。日本における教会建築の父・鉄川与助の設計施工です。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美しく響かせるためのもので、柱に描かれた文様や光を巧みに操る技法など、文化財としても価値の高い建築様式となっています。
奈留島では、「千畳敷」も訪問。海岸でサンゴを拾いつつ、引き潮だったので歩いて散策しました。少し歩くと古代サイの足跡(!)が残っていますので、ぜひご覧ください。
久賀島
久賀島は、今では人口は200人と、過疎化と高齢化が深刻な島です。禁教期には外海から移住した潜伏キリシタンが、仏教集落と互助関係を築きながら自分たちで組織的に信仰を続け、「信徒発見」後の厳しい弾圧を乗り越えてカトリックに復帰し、海辺に教会を建てるまでに至りました。それは久賀島の各集落における「潜伏」が終わりを迎えたことを象徴しています。
久賀島キリシタン資料館。館内の展示室には島の信者宅で保管されてきたマリア観音や十字架、ミサの合図に使ったほら貝、廃墟となり朽ちてしまった細石流教会の遺物など約100点が展示されています。
近くに建つ牢屋の窄殉教記念教会は、弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える場所です。久賀島での「五島崩れ」から100年たった1969年、記念聖堂が建立されました。その後1984年、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわかるようになっており、かれらの苦しみを雄弁に物語っています。正面にある塔『信仰之礎』には、入牢させられたキリシタンたち190人の霊名と名前が刻まれています。
旧五輪教会へは、車両を降りて約15分程歩いて行きました。途中、廃墟跡もちらほら。かつてはこの集落にもたくさんの人が生活していましたが、今では2世帯しか住んでいません。この旧五輪教会ですが、1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、五輪地区に移築されました。この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。
五島列島シリーズ③へと続きます!
[シリーズ記事]
8島巡る五島列島!北から南へ大縦断① 宇久島・小値賀島・野崎島