桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間
①岩手から秋田編
- 日本
2022.01.04 update
みちのく3大を巡る「桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間」
2021年4月に同行させていただいた際の様子をレポートいたします。
ゆったり縦断ということで1日目は岩手県の北上駅にご集合頂き、まずは北上展勝地へ。この日は八幡平にて宿泊。翌日は秋田県仙北市へ向かいます。その道中に訪れる東北の桜の名所から春植物を見ることができる穴場を岩手から秋田編として今回はご紹介します。
1日目:北上展勝地
北上展勝地の始まりは、北上市に合併された黒沢尻町長にもなったジャーナリストの沢藤幸治が、27歳の時にこの周辺には陣が丘という景勝地もある為そこを活用し、日本一・世界一の桜の名称を作りたいという思いから36歳の時、1917年に「和賀展勝会」を設立し、当時の岩手県出身の原敬首相に働きかけ、桜の権威であった三好学東京帝大教授と井の頭公園や多磨霊園、弘前城公園を手掛けた造園家の井下清技師の指導と設計のもと桜の植栽を行ない大正10(1921)年に開園しました。「展勝地」という名前の由来は、陣ヶ丘からの眺めが素晴らしいところから、展望のきいた名勝・景勝の地という意味から、沢藤氏の親友で当時の司法大臣、風見章氏が事業団体の名称を展勝会と命名したことから名づけられました。
例年より非常に早い開花で残念ながら今年は葉桜でしたが川沿いに続く桜並木の長さは圧倒される美しさです。写真は今年のものではなく、ツアー発表時にホームページにて掲載していたものです。
小岩井の一本桜
秀峰岩手山を背景に、小岩井農場の緑の大地に根を張る一本桜(樹種:エドヒガン)。詳しい樹齢は不明ですが、明治40年代 (約100年前)に植えられたと言われています。一本桜があるこの草地は、今は農場の牛などの餌になる牧草を収穫する畑ですが、昔は牛の放牧地でした。牛は暑さが苦手なので、夏の強い日差しから牛を守る「日陰樹」として植えられたものです。映画「壬生義士伝」や比嘉愛未さんが出演した連続テレビ小説「どんど晴れ」草彅剛さん主演ドラマ「冬の桜」にも登場し、有名になり桜の花の咲く時期は大勢の観光客の訪れる場所です。
通常であれば小岩井の一本桜は他の場所よりも開花時期が遅いので満開ではなく訪れた時期だと七分咲き程ですが、今年は例年より早い開花のおかげでこちらでは満開の一本桜を見ていただく事ができました。その後、八幡平の県民の森へ。
県民の森
昭和49年の全国植樹祭で作られた岩手山麓の植樹林。学習館から岩手山麓の森林に囲まれた「みんなの広場」を学習館のスタッフさんにご案内いただきゆっくりと散策を楽しみます。こちらではカタクリをはじめ、ニリンソウ、エンレイソウなどスプリング・エフェメラルとよばれる春植物に出会うことができました。スプリング・エフェメラルは直訳すると「春のはかないもの」「春の短い命」という意味で「春の妖精」とも呼ばれます。岩手県の最高峰である岩手山を前に沢山の植物を観察することが出来る正に穴場でした。こちらで見る事ができた植物をいくつかご紹介。
シデコブシ&ベニシデコブシ
県民の森では2種類のシデコブシを見る事ができ、ふかふかとした触り心地の冬芽が残っていました。これから赤い実をつけて鳥にアピールするそうです。
イタヤカエデの花
葉がカエルの手に似ているから「カエル手→カエデ(楓)」。黄金色の小さな花が見られました。
カタクリ
綺麗な紫が特徴的なカタクリ。名の由来は、鱗茎が栗の片割れに姿が似ていることから「片栗」と名付けられたといわれ、カタクリの鱗茎から抽出した澱粉が「片栗粉」です。種子の散布に「蟻」が強く関係しているそうで、種子にはエライオソームという蟻が好む物質が付着しているため、蟻が種子を運ぶことによって生息地を広げているそうです。
キクザキイチゲ
ここでは白色の花と青色の花のキクザキイチゲが見られました。両方見られるのは珍しいそうです。
エンレイソウ
中国ではこのエンレイソウの根を「延齢草根」と呼び、民間薬として用いられています。腹痛や食あたりに胃腸薬として、また、高血圧や神経が弱っている時などに乾燥させた根を煮出して飲みます。このように薬として用いられて胃腸などの症状が治り命ながらえた人がいたことから延齢草と呼ばれてきたそうです。また海外では学名の Trillium、「3から成るユリ」と呼ばれています。
沢山の春植物を観察した県民の森を後に、この日の宿泊地、八幡平ハイツへ。4月下旬というのに夜は雪が降っていたこともあり、2日目に予定していたアスピーテラインは封鎖しており通ることが出来ず、盛岡市を通過し岩手県雫石町と秋田県仙北市を結ぶ仙岩トンネルを抜け秋田県へと入っていきます。
2日目:刺巻湿原
3ヘクタールのハンノキ林に、6万株のミズバショウが一面に咲き誇る湿地帯。国道や鉄道路線に近い山間に、このような群落とハンノキ林があるのが学術上でも貴重な場所だそうです。因みにミズバショウは熊の大好物。訪れた刺巻湿原にも熊が最近出没したそうです。ミズバショウは、実は有毒で食べると下痢になり、呼吸困難を引き起こすともいわれています。熊がミズバショウを食べるのは冬眠後に老廃物を排出するためともいわれています。
ミズバショウ
今年は桜と同様、開花時期が早かったのですが木道を進み奥へと進むとまだ綺麗な白い仏炎苞を見る事ができました。「ミズバショウの真っ白な花」とよく聞きますが、これは間違いです。実はミズバショウを印象的なものとする真っ白な部分は「仏炎苞(ぶつえんほう)」とよばれ、花を守るために葉が変化したものです。
ミズバショウは海外ではシベリア、サハリン、千島列島、カムチャッカ半島に分布します。名の種小名camtschatcensisはカムチャッカ半島に由来します。主に積雪の多い地域の湿地、湿った草地、湧水の湧き出る地、沼地などに自生し、ミズバショウは「湿地を代表する花」と紹介されることもあります。
そして、驚くことに刺巻湿原ではミズバショウだけでなく、カタクリの群生を見る事が出来ました。今年はコロナの影響で訪れる予定にしていたカタクリの館が開園中止だったので、ここで沢山のカタクリを観察することが出来ました。その後、角館へ。
角館 桧木内川堤の桜並木と武家屋敷
桧木内川堤ソメイヨシノは、昭和9(1934)年に上皇陛下御誕生記念として植えられ、2キロメートルに及ぶ花のトンネルとして知られます。桜は葉桜でしたがスイレンが綺麗にさいていました。桜並木を後にして、歩いて武家屋敷エリアへ。歴史案内人のガイドさんと角館の武家屋敷を散策します。
角館の歴史
「みちのくの小京都」と呼ばれる角館。城下町としての角館は中世末期、戸沢盛安によって創建されました。古城山に館を置き、その北側の山麓に城下町を築きました。しかし、戸沢氏が国替えとなり、あとについた芦名義勝の代には、その地が不利のため改めて元和6(1620)年に古城山の南側に新城下町を建設しました。当時は徳川幕府の体制の基礎づくりの時期で、元和6年は一国一城令が出された年でもあり、新城下町の造成は急を要したと思われます。やがて芦名家は断絶、明暦2(1656)年、久保田城主佐竹氏の一族北家の佐竹義隣が「所預り」として角館を支配しました。
以降、明治の廃藩に至るまで、北家は11代200年余続くことになります。北家初代義隣と二代目義明の妻が京都の公家の出身だったため、京文化も色濃く伝えられ、角館は城下町・宿場町として仙北地方の政治・経済・文化の中心地として栄えました。
歴史ある角館をあとに田沢湖に訪れ、この日は仙北市にて宿泊。翌日は仙北から青森県の深浦へと移動します。
続きは桜咲く色彩の奥羽ゆったり縦断5日間 ②秋田から青森編にて!!