秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

大阪支社 高橋です。
7月に「花咲く千畳敷カール・乗鞍・上高地を歩く」へ同行させていただき、その中で2泊3日に渡って上高地に滞在し、自然探勝ハイキングを楽しみました。西遊旅行へ入社前、さらには個人的に何度も訪れた上高地でしたが、改めてその素晴らしさを体感することができました。今回から数回に分けて『日本屈指の景勝地・上高地』についてご紹介します。

 

上高地のシンボル・河童橋と穂高連峰(7月)

 

穂高連峰の裾野に広がる日本屈指の景勝地・上高地
上高地は、長野県の北アルプス南部の梓川上流部に位置し、長野県・岐阜県・富山県・新潟県の4県に跨る中部山岳国立公園の一部(上高地は全域が長野県松本市)であり、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されています。

 

①176万年前、火山活動によって現在の上高地の地にはカルデラが形成されたとされ、そのカルデラ内に火山灰がたまり、圧縮されて岩(地層)が形成されました。
②およそ6万年~2万年前、氷河時代だった頃には、山を覆っていた氷河の浸食作用によって紅葉の名所・涸沢カール(圏谷)などに代表される氷河地形を形成しました。
③1万2千年前、焼岳火山群の活動が梓川を堰き止め『古上高地湖』と呼ばれる湖ができ、湖底に堆積した土砂などが現在の上高地の地形の基盤となっています。

 

火山活動、氷河時代やその後の浸食作用など、途方もない時を経て形成され私たちを魅了し続ける上高地。
これから散策した経路に沿って、見どころをご紹介したいと思います。

 

活火山・焼岳と大正池
上高地へ通じる唯一の車道(県道)である釜トンネルを抜け、すぐ左手に見えるのが大正池、その畔に聳えるのが標高2,455mの活火山・焼岳。梓川右岸に聳え、現在も山頂から噴煙を上げ、活動を続けるトロイデ型(釣鐘を伏せたような形)の活火山です。
大正4年の大噴火で生じた泥流により梓川が堰き止められ、大正池が形成されました。
バスを降り、大正池の畔に出ると、大正池の水の美しさ、トロイデ型火山の焼岳が間近に迫る迫力など、到着直後から心奪われる上高地らしい景観が広がります。

 

上高地・大正池と焼岳(7月)

大正池から望む穂高連峰(10月)

 

上高地に点在する枯れ木
大正池をはじめ、上高地では水没した枯れ木に目が留まります。
これらはカラマツなどの針葉樹が水没して枯れ木となったものです。上高地の針葉樹は土砂崩れの起きにくい場所に増えることが多く、大正池周辺はある時から洪水・川の氾濫が発生しやすい土地となったため、周囲には湿った土地を好む広葉樹のハンノキの仲間などが生い茂るようになったそうです。大正池の枯れ木は幻想的な風景を演出する要因の1つですが、同時に「環境の変化を示す重要な痕跡」でもあります。

 

針葉樹の枯れ木は環境の変化を示す痕跡

 

伏流水によって養われる田代池
大正池より梓川左岸(下流の方を向き、左側の岸)に整備された遊歩道をしばらく歩くと、分岐点である田代湿原エリアに差し掛かります。
ここでは先を急がず、その先にある小さな田代池へ是非立ち寄ってみてください。

 

田代池は、大正池と共に大正時代の焼岳大噴火による影響で梓川左岸の支流の1つ千丈沢を堰き止めたことでできた池であり、正面に聳える霞沢岳などの砂礫層を経由した伏流水によって養われた池でもあります。大正4年の焼岳大噴火の際には最深5m余りあったとされていますが、枯れた水草や周囲から流れ込む土砂などが堆積し、徐々に小さくなり、長い年月をかけて湿原化してきており、それが田代湿原と呼ばれています。
田代湿原は穂高連峰の好展望地でもあり、秋になると湿原エリアが黄金色に染まり、撮影好きの方にとってはオススメのポイントでもあります。
田代湿原、田代池は、今後乾燥化が進行していくと樹木が進入し、やがては森へと移り変わっていくと言われています。

 

伏流水によって養われる田代池(7月)

田代湿原から望む穂高連峰(10月)

 

その後、梓川左岸の林間ルートをしばらく歩くと、梓川に架かる田代橋・穂高橋に差し掛かります。ここからは、橋を渡り梓川右岸ルートの散策を楽しみます。
ただ、田代橋からも美しい梓川の風景をご覧いただくことをお忘れなく。

 

梓川に架かる田代橋からの風景(7月)

梓川に架かる田代橋からの風景(10月)

 

日本近代登山の父 ウォルター・ウェストン
1888~94年、日本に3度長期滞在をしたイギリス人宣教師のウォルター・ウェストン
彼は滞在中、日本各地の山を登り、1896(明治29)年に著した『日本アルプス登山と探検』で、自らが訪れた上高地や穂高連峰などを広く世界へ紹介・賞賛しました。それまで日本では「山は信仰の対象、修行としての山登り」や「狩猟のための山行」でしたが、レジャーとしての登山を、また上高地を広く紹介した彼の功績は「日本近代登山の父」として今でも称えられています。
そのウォルター・ウェストンの登山案内を務めたのが、当時上高地に住み、地形などを熟知していた上條嘉門次氏でした。

日本近代登山の父 ウォルター・ウェストンのレリーフ

 

上高地のシンボル・河童橋
梓川の風景などを楽しみながら右岸ルートをしばらく歩くと、いくつかのホテルが並ぶエリアに差し掛かります。その先に待っているのが、上高地のシンボル・河童橋です。
1891年に初めて橋が架けられ、現在は5代目の吊橋です。
現在河童橋が架かるエリアは、古くは河童淵と呼ばれており、諸説ありますが、橋が架かっていなかった時代に衣類を頭にのせて川を渡る人々の姿が河童に似ていることがその名の由来と言われています。また1927年に芥川龍之介が小説『河童』で河童橋を搭乗させたことで広く知られるようになりました。
河童橋ではゆっくりとした時間を過ごし、梓川の美しさと共に、河童橋から望む穂高連峰の風景を是非堪能してください。また、橋上で梓川の下流方向を振り返ると、大正池の畔に聳える焼岳の姿もご覧いただけます。

 

上高地のシンボル・河童橋と穂高連峰(7月)

⑩梓川の下流方向には焼岳も展望

 

大正池から河童橋までゆっくりと時間をかけて散策する日帰り旅行でも十分に上高地の素晴らしさを体感していただけますが、西遊旅行がそのままで終わるはずがありません。河童橋付近のホテルに宿泊し、夜の上高地、早朝の上高地の風景を楽しんだり、さらに奥へ進む自然探勝ハイキングも楽しむ日程をご用意しております。

 

河童橋から先の見どころについては、次回にご紹介。 つづく。

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