大峯奥駈道 完全踏破 (前編その②) 吉野~前鬼
- 日本
2021.07.19 update
~前編その①より・・・~
大阪支社トレッキング担当の楠です。
つづいて、行者還小屋以降についてご紹介いたします。■トレッキング④(行者還小屋→弥山小屋)
本日は半日行程です。
57番靡・一の垰(たわ);多和とも書く)を経て、バイケイソウの群落を進みます。
見上げるとシロヤシオが咲き誇っています。弁天の森にある56番靡・石休の宿、55番靡・講婆世(こうばせ)の宿へ。
さて、ここから弥山小屋まで、木製ハシゴを含めた登りがひたすらに続きます。無事弥山小屋へ到着。54番靡・弥山神社と役行者堂を参拝して小屋へ入りました。
小屋は快適そのもので、乾燥室、お部屋の暖房、食堂のお菓子やカップラーメン、
アルコールに綺麗なトイレ。シャワー以外は何でも揃っていました。■トレッキング⑤(弥山小屋→八経ヶ岳→楊子ヶ宿小屋)
午後から回復の見込みがある天気予報に従って、出発予定をズラしました。
余裕のある行程の大切さを身に染みます。近畿地方最高峰の八経ヶ岳(1,915m)へ向け出発。
雨足はまだ収まってはいませんが、弱くなることを想定しつつ進みます。
鞍部にはオオヤマレンゲの群落があり、7月が開花シーズン(寿命は4-5日程度!)につき
5月は咲いてはいませんでしたが、防鹿柵が設けられ保護されていました。鞍部から登り返し、無事登頂!
役行者が第3生の骸骨が持っていた利剣を埋めたことから八剣山との別名もあり、
法華経八品を収めたことから51番靡・八経ヶ岳とも呼ばれています。雨足は弱くなりつつも、風は依然強く吹いています。
酸性雨、鹿の食害等により立ち枯れた木々は風を防いでくれるはずもなく、
南西からの風が体に突き当たります。先へと進み、ルート上からピストンで50番靡・明星ヶ岳(1,894m)を登頂。
その先、49番靡・菊の窟(きくのいわや)を経て、48番靡・禅師の森へ。
この辺りは10-15分間隔で靡が点在しています。47番靡・五鈷嶺(ごこのみね ; 1,694m)は巻きます。
46番靡・舟の垰(たわ)、45番靡・七面山を経て、44番靡楊子ヶ宿小屋(1,594m)へ。こちらも貸し切り状態ではあり幸運でしたが、玄関先が水浸し…。
しかしその水も夜には土壌に染み込まれていき安心しました。
枯れやすいとされる水場は今回は勿論問題はなく、徒歩3分の位置に恵まれた水場が!■トレッキング⑥(楊子ヶ宿小屋→釈迦ヶ岳→前鬼)
さて、前編の最終日です。早出早着を心掛けます。雨は完璧にあがりました!
まずは1時間弱で43番靡・仏生ヶ岳(1,805m)へ。ルート上からピストンで向かいます。
その先、鳥の水でミネラルたっぷりの水で喉を潤し、42番靡・孔雀岳(1,779m)へ。この先に、仏の世界観を表した曼荼羅世界の金剛界(吉野~)、胎蔵界(~熊野)の
両部分け(両峯分け)がございます。真言密教の影響で両部思想となっているそうです。
「生-死-再生の過程を体験する修行が峰入り」です。ヘルメットを着用し、ストックはザックにしまい(両手を空けて)臨みます。
大日経を納めて空になった石鉢を置いたといわれる41番靡・空鉢岳(くうはちだけ)へ。
巨岩・弥勒岩、杖捨ての岩場、馬の瀬を経て、急登を重ねて、ようやく、お釈迦様がいらっしゃる40番靡・釈迦ヶ岳(1,800m)へ登頂。
下りを開始。釈迦ヶ岳付近は流石に人気もあり、登山者とすれ違います。
岩壁の穴をくぐる行が行われていたという39番靡・都津門(とつもん;極楽の東門)
まで下ると、前方には赤ヤシオに染まった大日岳が出迎えてくれました!その後、更に下り本山派修験の灌頂道場38番靡・深仙宿へ。
ここは役行者がお亡くなりになる(又は日本を去る)前の法時の後、
前鬼と後鬼に、大峯山に修行にくる人をお守りせよと告げ、髭を剃り落とした地です。その髭を鬼たちは大事に埋めて塚を作ったとされています。
香精水が岩壁から湧き出ており、この聖水で峰中灌頂(聖水を頭に注ぎ仏菩薩と
結縁したり法脈を継承する儀礼)が行われたといいます。37番靡・聖天の森を経て、36番靡・五角仙を巻き、35番靡・大日岳(1,568m)を巻き、
太古の辻にある33番靡・二つ石へ。さて、ここから853段の滑りやすい木製階段を含め、下っていきます。
途中、ガレ場やクサリ場もあり嫌らしいルートも出てきますが、
新緑やコケの緑、アセビ(馬酔木)、シャクナゲに癒されながら、
順調に下ります。標高差約650m。二つ岩で休憩後、ゆっくりと下り、遂に29番靡・前鬼山へ到着!
61代目の五鬼助義之さんが今も大切に守る小仲坊の宿坊をはじめ、
行者堂や母屋を眼前に感動の瞬間です。
夕食前にお風呂に入り、自家製のお味噌から作った美味しいお味噌汁を頂きました。本当にお疲れ様でした!!